28・熊は言うほどおいしくなかった
俺が一応それっぽい話をホッコに語っている間に、熊肉の用意が出来たらしい。
「二人とも、そろそろ食べごろだよ」
イアンバヌが俺たちを呼ぶ。
熊肉なんか食ったことが無かったが、そんなに旨いとは思わなかった。味噌とか醤油が無いからとか、香草が云々という以前に、こう、何か違う気がした。
「あんまりおいしくない?昨日の干物に比べたら確かに味気ないけど、これはこういうものだよ。食べ応えがあるだろう?干物みたいな味を求めるなら、猪を狩った方が良いかもしれない」
なに、猪居るの?
「なら、猪捕まえよう。明日は猪が良い」
俺がそう言うと三人は笑っていた。
それはそうだ。ここは街道沿い。そう簡単に猪と出くわしたりはしないだろう。猪というのは鼻が良いからわざわざ危険に近づいて来たりはしないらしい。見つけるために街道を離れるわけにもいかない。
「ところで、あれはどうするんだ?」
一つ気になるといえば、倒した熊は必要な肉を取った後、そのまま放っている。あれだと狼が寄ってきたりしないだろうか?
「あれはそのままにしておく。俺たちが離れたら狼が食いに来るだろ。連中への土産みたいなもんだ。もう、その辺りでこちらを窺ってるんじゃないか?」
ホッコが平然とそう言うから、俺は怖くなって辺りを見回した。
「そんなに心配しなくていい。狼は自分の縄張りを荒らされなければ襲ってこない。俺たち森の民と狼は持ちつもたれつさ」
そう言っている。なるほど。
そんな話をしながらかなりあった熊肉を食べてしまった。旨いとは思わないが、たまに食べるには良いかもしれない。
「やっぱり食べるなら、鹿か猪かな」
今になってケッコイがそんな事を言うが、不満があった訳ではなさそうだ。
今日も役立たずな俺は不寝番はない。ホッコに襲われる心配もないためか、今日は俺一人で寝ることになった。なんだか寂しい。
翌朝、昨日の目覚めと比べて酷く肌寒かったが、イアンバヌが居ないのだから仕方がない。
「ウルホ、朝だ」
イアンバヌが起こしに来てくれた。
「狼が来たりしなかったのか?」
俺はふと聞いてみた。
「熊のところには来ていたみたいだな。こちらに近づいては来なかった」
やっぱり近くまで来てたんだ。
「さあ、今日はウマゲに行くよ。早く朝食とって準備しなよ」
ケッコイが俺たちに声をかけてきた。
今日の朝食は、さすがに熊の残りではなく、普通に干し肉とンビセンだった。
今日は何事もなく街道と呼ばれる山道を歩く。特に整備されている訳ではなく、森の中を縫うように進んでいくだけだ。これがカルヤラならば木を切り倒して、谷を埋めてまっすぐな道を整備している事だろう。
ケッコイにその様な話をしてみたら、やはり、森の民はそのような工事を受け入れたくないという。
「荷車を通す道を作って、所々に休憩所や宿場町を作るのか。そんなことをすれば何とか共存している狼との縄張りが荒れることになるだろうな」
それは狼との争いという事だけではないという。
「狼は生活するうえで猪や鹿を獲っているけど、そうすることで数が増えすぎないようになっているんだ。狼の縄張りを荒らしてしまえば、狼が狩りをしない場所が出来てしまう。そうすると、熊が住み着いたり鹿や猪が増えすぎることになって私たちの生活にまで影響してしまう」
なるほど、まるで前世の日本の状況じゃないか。自然の調整が効かない森では本来あるはずのバランスが崩壊してしまって森で支えきれない獣が人間の縄張りへと入ってきてしまう。今の森の民はちゃんとバランスを見定めて生活をしているらしい。
「そう言えば、大公領では猪や鹿が畑を荒らしたり、街に出てきて騒ぎが起きることがあると聞いた」
まだ宮殿に居たころ、カルヤラの地理や政治状況などを調べたのだが、北方に広大な領地を持つ大公領では、よく森や林から獣が出てきて荒らされるという話が書かれていた。
「それはカルヤラだけの話じゃないさ、カルヤラから見たら北、私たちから見たら南に居る一族も影響を受けている。獣が郷へ出る元凶を排除したいという彼らの想いが、カルヤラとの紛争に繋がっていると思うね。私は」
確かに、そう言われたら否定や反論できない。
「でも、カルヤラほどの事はしないが、ケッコナン一族は牛を飼うために木を切り倒したり、畑を耕したりしているからお互い様かもしれないね」
そう付け足してきた。
結局のところ、狩猟採取だけではやっていけなくなっているらしい。
「ならば、猪を飼えばどうだ?」
俺はそう提案してみる。
「そうしたいのはやまやまだが、飼うためには実のなる木や餌になる根や蔓を育てる畑が必要になる。牛は冬以外は草で育てるから広い畑も必要はない」
との事だった。確かにそうだ。
そんな話をしていると、森の先に開けたところが見えてきだした。
「アレがウマゲの郷だ」
そこは切り拓いて作ったというより、元から草原だった場所に建物を建てたという感じの村が広がっていた。
森の民と聞いて、俺は物語に出てくるエルフの様にツリーハウスで暮らしているのかと想像していたが、どうやらそんなことは無かったらしい。あくまで、昔ながらの生活スタイルを続けることに価値を見出している民というだけの様だ。
村は特に門や柵はなく、街道にありながら、宿場町という訳でもなかった。一応、村長の家に泊めてもらえるという。
「ようこそいらっしゃいました。ホッコ様」
村長に迎えられた俺たちは彼に促されるまま家へと入る。長身の森の民の家だけあってそれなりにデカイ。宮殿ほどではないが、カルヤラならば相当な貴族の家だ。天井の高さだけは。それ以外はナンションナーの屋敷程度でしかない平屋だった。
「では、ホッコ様がこちら、ケッコイ様と使節の方がこちら・・・」
村長がそう言うので、ホッコが慌てて止めに入った。
「長、ちょっと待ってくれ」
それを見た村長は何やら悟ったらしい。
「これは失礼いたしました。ホッコ様とケッコイ様がこちらで、使節の方がこちら」
と、少し意図を勘違いしているが、それでよいと思う。ホッコも一瞬困った顔をしたが納得したようだ。
「お、おう」
ケッコイとイアンバヌが蔑んだ目でホッコを見ていたが、まあ、それはどうでも良い。




