156・なぜかナンションナーに帰れなかった
兄との謁見も終わり、やる事を終えたので帰って農機具の状態を見ようかと思っていたら、足止めされてしまった。
「なぜだ?」
足止めしてきたのはアホではなく幼女。ちょっと意外だ。
「旦那様は一応前線に出なければなりません。役に立つかはともかく、今回の作戦の司令塔でありますから。しかし、そうなりますと、後方の守りが手薄になりますので、公が領都に滞在していただければ安心できます」
という内容だった。
まさかそんな事になるとは思わなかった。
しかも、ヘンナもそのことに賛同しているらしい。
「危険はないでしょうけども、辺境騎兵団が加わるのです。公が境界領に居る方が良いのではないかと思われます」
などと言われては仕方がない。
まあ、ベルナの畑を見るのも良いかと思いなおし、春から運び込まれている農具と共に境界領へと向かった。
王都を出て街道を進むのかと思っていたが、意外な事に船で行くという。
「船で行けるのか?」
不思議に思って聞いてみたが、なんと、アホがナンションナーへ来る前に企画した港が境界領にはあるという。
「このような農具を谷越えで運ぶのは大変に労力を使いと言う事で、旦那様が谷を越えた先に港の建設を指示なさいまして、つい最近完成したばかりです」
と、幼女が胸を張る。
ちなみに、当のアホは軍の編成に忙殺されており別行動だ。
謁見のすぐ後、近衛の要人や義父と協議していたアホは近衛騎士団からの騎士を受け入れ、境界騎士団の在り方をアレコレ騎士団長となる人物と考えている事だろう。
まあ、当人は海兵隊がどうしたと騒いでいたので騎士が困惑している事は間違いない。
さて、当の境界領なのだが、海を船で進んでいくうちに陸地の木々が疎らになっていくのが分かった。
ある程度進むと低木の林が時折見える程度となる。
カルヤラの草原は人間が木を伐採した事でそうなったわけだが、ここは雨量の関係で元から高い木が育たない地域だ。
そんな陸地を見ながら進んでいくと、集落らしきものが見えて来た。
「あれが港です」
幼女がそう言って教えてくれた港は、ナンションナーや山の民の港ほどに整備はされていなかったが、天然の湾を利用したつくりなので十分な機能を持たせる事が出来る条件が整っていた。
「このような港があるのなら、ヴィーブリまで農産物を運ばずとも、ここから運び出せるのではないか?」
そんな疑問が出てきたが、それほど簡単なモノではないらしい。
「この港まで運び出すよりも、ヴィーブリの方が近いのです」
そう言って説明してもらったところ、地理的にはヴィーブリが一番奥まった形になっているのだそうだ。
たしか、簡易な地図でもそうだったが、自国すら正確な測量を行っていないような現状、他国の地図などザックリしたモノしか存在しない。
その為、位置関係はザックリとしか分からないのだが、ヴィーブリからパカリネン領サンマ湖と言うのは、谷越えさえできれば最短距離にあるという。
一応、資料では知っているつもりだったが、現地を見ると資料では分からない事が多い。
街道を行くのであれば、延々と谷沿いを西へ進み、谷越え可能な場所を南へ越えるという必要がある。
海側からであれば、東西に長い谷をショートカットして谷の南側となる境界領を進むことになるので、そりゃあ、距離も時間も違う訳だ。
そして、港に着くと農具が下ろされ、俺たちも船を降りて領都へと向かった。
俺の想像ではもっと荒涼とした場所と言うイメージであったが、案外そうでもなかった。何より驚いたのは土だ。
多分、本場の黒土ほどではないだろうがかなり黒い色をしている。火山があるという訳でもないので間違いなく黒土だろう。
「どうやらここの土は予想していたものより良い物らしいな」
畑の土を見ながらそう言うと、なぜか幼女がキョトンとしている。
「そうでしょうか?雨が少なくアマムの生育には向かない地域と言う事でしたが」
たしかに、アマムの生育には向かないらしい。
主な産物がベルナやピヤパ。まあイモと雑穀な訳だが。
今回そこにピッピとマイシィが加わる事になる。
ただ、農業に向かない理由が分からなくはない。
モンゴルや中央アジアなどが特にそうだが、草原があるから表土が守られ、耕作してしまうと風によって表土が吹き飛ばされることになる。
砂嵐と言うのは砂漠だけで起るのではなく、乾燥地帯であれば草原でも起きる。原因が、耕作によって本来草が保護しているはずの土がむき出しになっている事だ。
細かく軽い表土は簡単に風によって舞い上がってしまう。
こうなると栄養のある表土が飛ばされ、枯れた土地となる。いわゆる砂漠化という奴だ。
雨が降らないことで乾燥に強い作物を育てることは難しくはないが、耕作に伴って表土が風で持ち去られてしまうリスクがある。
せっかくの黒土なのに何やらもったいない気がして仕方が無いな。
幼女にもその話をすると、納得していた。
「なるほど。それは確かに残念です。いくら土が栄養豊富でも、風で吹き飛ばされてしまうのでは大規模な開墾は出来ませんね」
そう言う幼女に黒土の成り立ちも説明しておいた。
黒土地帯は主にステップ気候に属する少雨地帯に存在している。
かといって、過度に雨が少なくない地域で、ギリギリ植物の生育が可能な地域。
特に農作物が栽培可能な地域を耕作地域として利用しているのだが、その成り立ちについては、少雨と言う気候が主に影響している。
その地域は少雨のため、樹木の生育には適していない。かと言って、草の生育が不可能な地域ではない。
その為、草が生育して枯れるサイクルを繰り返すことで養分が蓄積していく。かと言って、樹木が育たないので森林が育つこともなく、雨によって表土が流されることもないので、長年養分が蓄積することで黒い土が生まれる。
「その様になっていたのですね」
感心する幼女に重ねて注意しておく。
「その様に養分が蓄積されているため、作物の生育には適した土地と言えるだろう。だが、耕地として表面の草を取り除いてしまえば、風で養分が飛ばされ、いくら少量の雨と言えど水が流れれば根が張り巡らされていないので土も流されてしまう。今現在、作物が育ちにくい地域と言うのはその様にして表面の養分が飛ばされ、流された地域なのだろう。養分が多いと言っても、容易に開墾はしない方が良い」
黒土と言えばアホが喜んで開墾してしまうかもしれないが、ここはウクライナではなく、カザフスタンやモンゴル当たりの方が気候的には近い。農業には限界に近い降雨量だろうし、灌漑農業をやれば塩害すら起きかねない。




