109・その城壁はさらに堅牢な城門まで備えていた
海の結氷が緩み、船が通れるようになると早速カルヤラからの船がやってきた。
この辺りの氷は流氷になって船を破壊するほどの力はないが、木造船だと当たってタダで済むとは思えないのになんとも冒険心の強い事だ。
ナンションナ前面の海が凍るのは寒さもあるがハルティ半島から流れ込む川の影響が大きい。
たしか、オホーツク海が凍るのもアムール川周辺からとか言ってなかっただろうか?
それと同様に塩分濃度が湾奥になるナンションナー辺りは低くなっており、ムホスから北上を始めたあたりからだんだん凍り出すようになり、ナンションナーから南方数十キロは完全に凍結してしまう。
例えば北欧だと氷の上をそのまま歩いて行けたりする状態になるそうだが、ナンションナー前面の氷を渡る者はあまりいない。
ナンションナーの対岸はリアス式、もしかするとフィヨルド地形なので集落を作るのに向いていない。切り立ったがけや急峻な山岳を超えていかないと人里が無いのでわざわざ住もうという人がいないのだと山の民から聞いた。
山の民も結氷限界より南に集落を置いて半島内の往来が通年で可能な地域までしか基本的には住んでいない。
例外はガイナンやガイナンカの様な鉱山地帯だ。ならばナンションナーが栄えそうなものだが、ガイナンから山を越えた北方には凍らない港があり、そこから東へと船で向かうのが主流だった。
しかし現在ではナンションナーで良質の石炭が採掘されたことで、こちらとのつながりが太くなり、更にはカルヤラへとガイナンで作られた製品も売れるようになって状況が変わってきている。
ただ、ガイナンはその良質な鉄鉱石を用いた製品を北方の港から遥か東方の島国まで輸出する事になったらしく、カルヤラへの交易はほぼナンションナーが担う事になって行くらしい。
さて、今年初めの冒険者が来て以来、徐々に船も増え始め、ナンションナーの港からは様々なものが積みだされていく。
ついこの間は何やら巨大な製品がナンガデッキョンナーから専用の線路を引いて持ち込まれ、船に積み込まれていた。
「嬢ちゃん、あとひと月もすればアレを取り付けて運河が完成する。アマムを見に行く頃には下流の運河はすげぇ光景になってるぞ」
ルヤンペがそんな事を言って船に乗り込んでいった。
俺は今年もシヤマムの田植えをやってから動こうと思っているので、工事中の姿を見る事が出来ない。この下流運河が出来れば次は上流だ。そっちはぜひ工事を見に行きたいと思うが、どうなる事やら。
ナンガデッキョンナーから次々水門の部品が運び出されてくるのを横目で見ながらピッピ畑の作業をやっていた。
ひと月もすればと言っていたが、その頃にはシヤマムの田植えがちょうど最盛期だった。
その頃にはピヤパの種蒔きも始まる。
うずうずしながら、イアンバヌのお腹を時折撫でながら、ナンションナーでの農作業を進めていた。
「水門工事でいいモノを見付けた」
ちょうどアピオの植え付けにやってきていたミケエムシがそんなことを言ってきた。
何が見つかったのかと思ったら、どうやらシール材に仕えそうな素材が手に入ったそうだ。
ナンションナーで使う道具類、特に農機具はホコリや泥が入り込みやすい。これまではこまめな掃除で騙し騙し軸受けを使ってきたのだが、唐箕、ハーベスター、ロータリー、円盤馬鍬と主要な農機具に多数の軸受けが使われている。
円盤馬鍬などはそこそこの速さで牛が引っ張るので軸受けの摩耗も早い。仮にベアリングを作ったところでシールが無ければ同じこと。
今回、どうやらそのシールに仕える材料を手に入れたという。
「何を使うんだ?」
これまでシールの役割を果たしていたのは柔らかい金属や硬質の木材だった。それらを精密に加工して軸と軸上の隙間を塞ぐように配置していたのだが、当然ながら潤滑油が漏れたり、泥埃が入ったりするのは常識で、軸の摩耗も早かった。
「これだ」
そう言って見せられたのは、植物の蔓だった。ツルなんてどう使うんだろうか?
「そのままじゃ使えねぇが、この樹液を煮詰めてやれば、程よい堅さの粘土が出来る」
うん、それ、ゴムだよね?
そして見せられたのは白い塊。ゴムにしてはちょっと堅くない?
「そのまま使っちゃあ、長持ちしない。これに炭と酢を混ぜるんだ」
何を言ってるのかどうやるのかもわからんが、閘門には給排水バルブも備え付けられているので、木栓では劣化が早く、扱いも難しい事から試行錯誤して、このゴムっぽいモノを使う事を思いついたらしい。
ゴムがそうであるように、耐候性や耐久性、柔軟性と言ったモノを求めて試行錯誤してシール材が生み出されたらしい。山の民、マジチート。
「それで軸の隙間を塞ぐんだな?これまでよりも長持ちしてくれるならそれにしよう」
俺は即座に開発を促す。コイツでロータリーの駆動部をシールできれば代搔きでも使えるようになるだろう。
ミケエムシがシール開発に没頭し出してすぐ、彼には悪いが、農作業がひと段落付き、そろそろ辺境北部のアマムが色付き出したというので、辺境へ向かう事にした。ハーベスターや脱穀機、唐箕を持ち込むので彼がいないと専門的な話が出来ない。
そして久しぶりに訪れた下流の運河はとんでもない事になっていた。
「これはすごい」
滝の脇から石垣が続いてそこには2ヶ所、大きな水門が取り付けられている。
開発当初は上下動する仕組みにしようとしたようだが、あまりにも駆動力が必要で、設備が多くなることから、観音開き式に改められている。俺が何か言う前にそうやったのはさすが山の民。チート集団はちゃんとわかっている。
すでに完成して稼働している運河にルヤンペたちはいなかった。
稼働を行っているのは、監督役や保守整備のために残った山の民をリーダーとした現地の人々だった。
「積み荷の移し替えは無くなったが、一度に水門を通れる船は少ない。結局、ムホスまでは一日がかりになっているようだな。おかげで水門の稼働で荷替え人夫以外に、宿関係の連中もここを離れずに済んでる」
ちょうど休憩中の山の民からそんな説明を受けることになった。運河の開通でこれまでより大型の船を使えるようになるそうだが、積み替えをしないだけで順番待ちの時間はかかる。時間短縮にはなるが、俺が思ったほどではないらしい。




