せかいを食べる、甘いまほう。
食っても食っても、昔から決して「もう無理、食べきれない」という状態になったことがなかった。
バレー部の大会の打ち上げで焼肉に行っても、当たり前のように制限時間いっぱいまで肉を食べ続けてしまう。バイキングなんかに行けば、食らいつくす勢いだ。仲間から『グルメファイター』なんていうあだ名までつけられたが、別に大食いなんて自慢できると思っていなかったし、そもそも七斗の見た目は大食漢には程遠い。
身長は男子高校生の平均くらい。筋肉は程よくついている。それに、スラッと足も長いので細く見られがちだ。大食いどころか、むしろ「ちゃんと食べてるの?」と親戚のおばちゃんに心配されるレベルだ。だから、大抵の場合七斗は初めて食事を共にする人には、本当に驚かれる。もうそれも、16年何度も繰り返した光景だったので慣れてしまっていたのだろう。
七斗は一人の教室で、ボーッと夕空を眺めながら考える。この体質とはずっと付き合ってきたのに、なんで急に、こんなことになってしまったんだろう。何でもないあの日から、七斗の地獄は始まった。
★ ★ ★
「ありがとうございましたー!」
蒸し暑い体育館に、大声が響く。顧問の教師は、円の中心で爽やかに笑った。
「おう、まあまあお前らいい調子ってところかな。このまま大会に向けて頑張れよ。七斗、お前には特に期待してるからな」
顧問の大きな手が、ポンと肩を叩く。エースアタッカーの七斗は、照れ臭そうに「あざっす」とはにかんだ。
第二体育館で放課後の部活を終え、そのまま更衣室になだれ込む……そんな、いつもと同じ光景。友人たちと駄弁りつつ、七斗は汗に濡れたジャージを脱ぎ、下敷きで頬を煽いでいた。友人が首に制汗剤のスプレーを吹きかけるのを見て、立ち込めるその匂いに顔をしかめる。タオルで汗を拭いて、更衣室の端に置かれたパイプ椅子から立ち上がったとき。
急に、今まで襲われたことのない空腹感に身体を支配されてしまった。
「……ん、な、なんだ?」
身体の違和感、というよりも突発的な病と言ったほうが正しいかもしれない。更衣室のロッカー、自分を呆然と見ている友人の顔、灰色の天井……更衣室に蔓延した汗の匂いまでもがボヤケて感覚から消えていきそうになる。そして、自分の身体に取り残されたのは激しいまでに空虚な空腹だけだった。
「……七斗、なんかすごい顔してるけど」
シューズを手に取った友人は、戸惑ったように笑って言う。
「腹でも減ったか?」
「……ビックリするくらい」
なんとか笑い返しては見せたが、七斗は倦怠感で今にも倒れそうだった。立っているのもやっとだ。そのまま、学ランを羽織り、リュックを乱暴に手にとって
「ちょっと、俺、体調悪いし、先帰る」
心配そうに見ている部員たちになんとか笑いかけて、フラフラした足取りで第二体育館を後にしたのだった。
★ ★ ★
呪いにでもかけられたのだろうか。あれから、七斗はギリギリと痛む胃と、強烈な飢餓感に延々と苦しんでいた。あの日、急いで家に帰った七斗は、扉を開けるや否や「今から晩御飯なのに!」と止める母親の声も無視して食パンに齧りついた。1枚じゃ治まらない。2枚、3枚、4枚……トースターで焼く余裕もなく、口の中に詰め込んでいく。
「明日の朝ゴハン無くなるじゃないの!」
母親の声で、我にかえった。七斗は3分もしないうちに1斥たいらげていた。呆れる母親は、晩御飯のエビフライとキャベツの千切り、コーンスープとごはんをテーブルに並べる。
「食べれる? おなかすいたのは分かったから…………って、ええ、うそ」
七斗はテーブルについて、ガツガツと食べ始めた。足りない、足りない。おいしい? わからない。ただ、苦しい。食べても食べても、まるで胃にたどり着く前に魔法でごはんが消えてしまうように、おなかが空き続ける。
「ごめん、足りない……」
「ちょっと、どうしちゃったの? ストレス? もうお父さんも先に食べちゃったからご飯ないわよ」
七斗は、「そっか」と呟いた。なんとなく、わかっていた。これ多分、食べても食べても無駄なやつだ。
「ううん、大丈夫、ごちそうさま。おいしかった」
――ああ、あんなに食べることは大好きだったのに。なんでこんなことに。
自室に戻る途中、暗い廊下で七斗は自分の腹を睨みつけた。
――畜生、俺が何したっていうんだ。
★ ★ ★
その日から、七斗は生きた死体のように過ごしていた。ただ無気力に高校へ行き、気だるい身体のまま授業を受ける。意味をなさない昼食を、救いを求めて必死で食べる。働かない頭で午後の授業を終えたら、フラフラなまま部活に行く。
さすがにおかしい、と両親は3日目で病院に連れて行ってくれた。しかし、身体的・精神的にも特に問題なさそうだと言われてしまう。一応、と出された薬も効かない。「しばらく様子を見てみましょう」という医者の言葉は見放したように聞こえた。
「俺、死ぬのかなぁ」
大食いなのは、自分の一つの個性だと思っていたのに。なにもここまでする必要ないじゃん。唯一の救いは、際立って大きな音でお腹がなることは無い……ことくらいか。鳴らなくたって、空腹なのは同じなのに。いつまでも、飢餓の地獄が体にまとわりついて、離れない。
――嘆いても、七斗の苦しみはずっと続く。
最悪を極めたのは部活中のコンディションだった。
今までめったにしなかったサーブミスは目立つし、何より上げられたトスを拾えない。頭はボーッとして、いつもならトスが来る前に反応していた身体は錘でもついてしまったように鈍くしか動けなかった。体育館の床に落ちたボールの音と、仲間の冷たい視線、顧問のため息が止まった時の中で心に突き刺さる。
「七斗、お前最近調子悪いな」
顧問の教師は、部活が終わった後、七斗をこっそりと呼び出していた。他の部員は、空気を読んで、黙って先に出て行ってしまった。たった二人きりの静寂の中で、顧問の男は眉を下げて言う。
「いや、怒ってるんじゃないんだ。ただ、心配なんだよ。体調が悪いなら無理しなくていい、正直に言ってくれてもいいんだ。大丈夫だからな」
――そんな言葉をかけられる自分は、なんてみじめなんだろう。ギリギリと二重の意味で痛む腹を押さえつけながら、七斗は熱い目がしらをこすって唇をかんだ。
あぁ、もう限界だ。
こんな調子なら友人も心配しつつ、本当は迷惑がっているに違いない――と、思考までネガティブになってくる。
こうなってくると……ついには部活に行く気が失せてしまった。職員室の前の申請書一覧ボックスから、「退部届」を持ってきた。クラスメイトはみんな、帰るか部活に行ってしまったようだ。たった一人になった放課後の教室で、一枚の紙切れを穴が開くほど見つめていた。
「どうしよう、ほんと」
バレーは、七斗の唯一の取り柄だったのに。
こんなくだらないことで追い詰められていることが、悔しくてたまらない。唇をギュッと噛む。そうしている間にも、無限に腹は不満足を叫ぶ。俺に言われてもどうしようもできねえよ、と腹がたった。すると、突然、
教室の後ろのドアが開いた。
「忘れ物しちゃってさあ」
入ってきたのは、クラスメイトの女子だった。そばかすのある頬を上げて彼女は元気いっぱいに笑う。
「お菓子なんだけどさー、あれっ、どこに置いたっけなぁ」
「……お菓子?」
「そー、あれー、机にもないや」
彼女は急いでいる風だった。乱暴に中に溜まったプリントや教科書を引っ張り出して、机の上に積み上げていく。
「んっ、時間がない、いいやもう!」
慌てて鞄を持った彼女は「お騒がせたな」と言い捨てて、走ってそのまま出ていってしまった。七斗はボーッとしたあと、ある欲望にとらわれてしまう。
(お菓子って言ってたな、食べたい、お菓子が)
もはや、ここ数日の、七斗の『食』に対する執着は異常の域だった。焦点の定まっていない目でグルリと教室を見渡す。彼女はひとつ、確認していない場所があった。それは、生徒それぞれに与えられたロッカーだ。
なんのためらいもなく、彼女のロッカーを開ける。そこに、綺麗に包装された箱が1つ入っていた。本能のままに飾られた紙を引き破り、それを床に散乱させながら必死の形相で箱を開ける。中には、ウサギと鳥の形をしたチョコレートが入っていた。
「……美味しいな」
七斗は、それを呟いてからハッと気づく。いつの間にチョコレートを口にしていたかさえ、全く気づかなかったのだ。自分が何をしてしまったのかに気づいた頃には、口の中で魅惑的な甘さが、トロトロと溶けて終わってしまっていた。
「……うわ、俺最低じゃん」
恐らく、あの子が切羽詰まるほど必要としていたこのお菓子を、罪の意識なく食べてしまった自分に……かなりドン引きした。膝をついたまま、自分の齧り跡のついたウサギのチョコレートを呆然と見つめる。
「……………………ん?」
七斗は違和感に気づく。慌てて自分の腹を触る。さっきまで耐え難いほどの空腹に襲われていた胃は、いつのまにかウンともスンとも言わない、平常の状態に戻っていたのだ。
「まさか……?」
七斗は確かめるためにもう一度チョコレートを齧る。もう一度チョコレートを齧ろうと口を開きかけたが、たまらず今度は残った分を丸ごと口に入れた。チョコレートは脳まで溶かすような甘さで、トロトロと舌のうえで小さくなっていく。そして、唾液と混じった甘美をごくん、と飲み込めば、
「…………な、なんだ、これ?」
一瞬めまいがして、倒れそうになって……いや、倒れ込んだ。脳みそはおかしくなってしまったみたいだ。酒を飲んだことなんかないが、まるで酩酊してしまったみたいに世界はぐるぐると回っている。その中で、身体を優しく満たしていくのは、最近の七斗が欲しくて欲しくて仕方のなかった『満足感』と『幸福感』だ。
「嘘だろ、こんなちっちゃいチョコレートで」
七斗はもう我慢ができなかった。起き上がると、鳥の形のチョコレートを口の中に押し込んだ。もう、この甘さに身も心も囚われていく。良心なんて、空腹感と一緒に死んでしまったように。
バレないように箱と包装を急いでリュックの中に隠し、さっさと教室を去ろうとした瞬間、
「あ、そういえばっ、ロッカー見てないじゃーん!!」
そばかす女子……例のクラスメイトを出迎えてしまった。
★ ★ ★
「あれー、絶対ロッカーだと思ったのにっ」
彼女は頬をふくらませる。七斗はそれを固い視線で見つめながら、冷汗をタラタラと流していた。まずい、どうしよう。糾弾される恐怖と、今更になっての罪悪感で、満たされた胃がまたキリキリと痛みだす。仏頂面で唇を噛んでいる彼女に何と声をかけようか迷いながら……ふと、七斗は思い立った。
もう、潔く謝ろう。そして、できれば……また、あのチョコレートを食べさせてほしい。どこで手に入れたものなのかを教えてほしい。虫のいい話だと分かっていたが、七斗は尋常じゃないほど追い詰められていたのだ。そして、自分でも気づかないほど、あのチョコレートの深い虜になっていた。
「……ごめん、えっと」
「おいおい、クラスメイトの名前くらい、覚えようぜ! 佐々木だよ!」
「佐々木、その、えっと……」
可愛い童顔は、いやらしく微笑む。挙動不審な七斗に、佐々木はゆらりと近づいて、
「えっ、な、」
少し背伸びして、狼狽する七斗の――口の端についたチョコレートを、細い指で拭ってみせた。
「ついてんだよ、チョコレート」
「……うん、その、えっと。悪い。でも、事情があるんだよ……。お詫びならなんだってする。だから、聞いてくれないか」
微笑む彼女の顔が何故か見られなくて、七斗は窓の外を見やる。夕日はもう落ちて、夜が始まろうとしていた。
「事情かぁ、おう、言ってみな!」
彼女は、さっきまでの蠱惑的な表情が嘘みたいに、大輪のヒマワリのような笑顔で言った。
「佐々木ちゃんのチョコレートを食べるに相応しい事情があるってんならさ!」
「悪かった、本当に」
「うん、いいから話せって」
佐々木は適当に机に座った。足をぶらぶらさせながらニコニコしている。七斗は気まずそうに話し始めた。
「お腹が減って仕方ないんだ。前から大食いってよく言われてたんだけど、最近になって急に、いっつもいっつも、休まることない空腹感に襲われてさ」
「うん」
「病院にも行ったんだけど異常ないらしくて」
「あらー」
「なんか、そういう病気あるにはあるらしいんだけど、それとも違うというか」
「あらまー」
随分と適当な感じだが、佐々木は「なるほどねっ、それで?」と頷いて続きを促す。
「俺もうほんとブッ倒れそうになりながら一週間過ごしててさ、部活もやめようか迷ってたんだ。そんで教室でボーッとしてたら佐々木が来て」
「来たね」
「チョコレート探してるとか言って」
「おう」
「佐々木がロッカー探さなかったからさ……もしかしたらと思って、開けたらあったんだよ。気づいたら食ってた」
「なんか、かわいそうになってきたや」
佐々木は呟いた。
「……おう、俺も自分が可哀想だよ。そしたらさ、ビックリするくらい美味しいし、今まで苦しんでた飢え感……空腹感? これがさ、ぴったりおさまったんだ」
七斗は早口で捲し立てた。
「な、なぁ、そのチョコレート、何なんだ? ほんと、何でもするから、それを手に入れる方法を教えてほしい」
「事情はわかった!」
間髪を入れず、大きな口を開けて彼女は笑った。
「なんだか、わたしにとってもそれは面白そうだ。七斗くん、いいよ、君に協力する。あんまりにもかわいそうだし」
佐々木は「よっと」と言って、机から降りる。そして、黄色い月が上った空の方を向いて、窓際に立った。
「見てて」
甘い声が、七斗の耳を優しく、妖しく惹きつける。
彼女は、両手をゆっくりと空に掲げた。
彼女の向こうで、星々がキラキラ踊っている。
月光を撫で上げるように、彼女は手を揺らす。
――――瞬間、蛍光灯が、パツンと音を立てて消えた。
星と月の光だけが教室を満たす中で、不思議なほどにくっきりと見える彼女は、七斗を振り返ってペロッと舌を出して、ニコッとわらった。
「いのちの魔法使い!」
「……? は?」
「わたしは、いのちの魔法使いなのだよ!」
彼女は両手を下ろした。そして七斗に何かを差し出す。手の上には、犬の形のクッキーが載せられていた。
「な、こんなの、どうやって? ていうか、いのちの魔法使い?」
「うん、そうそうー。知らないと思うけど、この世界に魔法使いっていっぱいいるのだよ。大体、普通に学校に通いながら夜は魔法の師匠のところで修行すんのね。忙しいのよー、けっこう」
魔法使い、と名乗った少女は饒舌だ。
「そうそう、そんでわたしは『いのちの魔法使い』なの! うーん、もっと分かりやすく言うと、食べ物の魔法使い! わたし、食べ物にしか魔法をかけられないのだよ。あ、えっと魔法使いには、魔法をかけられる対象がね、決まってるんだ。そんなことはどうでもいいや。わたしの魔法の試作品として師匠に持っていこうとしたのが……七斗くんが食べちゃったやつ」
七斗の瞳に、月を背に微笑む魔法使いが、美しく映りこむ。
「……いや、そんなこと言われても」
「信じられないよねー、うんうんわかる。わたしだって、親に『魔法使いの修行しろ』とか言われて最初マジで意味わかんなかったし」
「ほ、ほんとなのか」
「とりあえず食べて、これ」
犬の形のクッキーを、ぐいと押し出す。
「クッキーは、わたしが前に作ったやつ。それを魔法で家から呼び出した。んで、魔法もかけた。これ食べたら、何かが起きるー!」
何かが起きるなど、聞こえようによっては物騒だがーー七斗はためらいなくそれを齧った。サクサクした食感が、優しい甘みと共に口の中で解けていく。
「……う、うまい」
「どう?」
「やっぱり不思議だ。もっと、もっとって思わない。純粋に、『おいしさ』を楽しめる……。なんていうか、心があったかい。幸せだ」
「七斗くん、重症だねえ」
悪かったな、と思って佐々木を見れば、肩をすくめる。
「佐々木、おまえ食べ物になら何でも魔法がかけられるのか?」
「いや、それがね、自分の作った食べ物にしかかけられないんだ」
「……なんか、すてきな魔法だな」
ぽろりと口から出た言葉に、七斗は「あっ、いや、なんかごめん」と笑い誤魔化した。佐々木は笑っているかと思ったら、
「す、すてきとか、は、はじめて言われたよ」
闇の中でもわかるくらい、頬を赤く染めていた。熱を持った頬を、星が順番に照らしていく。
「……あのさ、わたしからもお願いしたいな。いま、研究してるんだ、人を幸せにするお菓子の魔法。よかったら、七斗くんに協力してほしい。なんか、七斗くんは七斗くんで大変そうだし……どう?」
上目遣いで見上げられたら、そんなの、ごくりとまだ甘みの残る生唾を飲み込むしかない。飲み込んだ喉から、なにか熱いものが頬まで上ってくる……………体温が、熱くなる。
「い、いいのか! 俺ほんと、母さんのご飯も食べても食べても空腹で、ほんとに頭おかしくなりそうだったんだ! ありがとう、ありがとう」
勢いで佐々木の両手を握ってしまう。ぽっ、と頬をまた染めた佐々木は、「これからよろしく、七斗くん!」と言って、そばかすのある頬を緩ませた。
★ ☆ ★
七斗は「本当にありがとう、これで部活も続けられる……本当にありがとう!」と笑って、急いで帰っていった。今までよっぽど辛かったのだろう。ここ一週間の七斗は今にも死にそうな顔をしていて、細い声しか出ていなかった。それが、また前のように元気いっぱいのスポーツ少年に戻ってくれた。佐々木は、一人残された教室でクスリと笑う。その笑みは、さっき見せたような可愛らしいものではない。
「師匠、被験者は帰りましたよ」
「ここでは師匠ではなく、先生と呼べ」
教室に無音で入ってきた「師匠」と呼ばれた男は、バレー部の顧問の教師だった。
「先生の『飢餓魔法』も、ほぼ完成と言って間違いなさそうですね。あの、魔法耐性Sクラスの七斗くんにあそこまで効果をもたらすなんて……さすがです」
佐々木は、うっとりとして言った。
「あのとき、うまく魔法にかけられて良かったですね」
男は「まあな」と苦笑する。
「まあ、完成っちゃ完成だが……直接接触しないとかけられないんじゃまだ使い物にならない。それこそ、俺のことブッ殺して血液を世界中にブチ撒けるか? それじゃ足りねえか、まあ倍化魔法やら蘇生魔法が使える魔法使いを脅して利用すりゃいい。クク、冗談だよ。いや、冗談でもねぇか」
低い声で男は続ける。
「それにさ、俺の魔法は君の『いのちの魔法』があって、初めて計画にとって、効果のあるものになるんだ。いのちの魔法ねぇ……。そんな優しいものじゃないだろう」
顧問の男は、羽織ったコートを風になびかせる。白い手の中で、煙草が火を灯していた。一度咥え、煙を夜に溶かす。
「君の魔法は、『食物に付随する効果』を操るものだ。そして、かけられる対象は食物全て。君が作ったものだけじゃないだろう」
「聞いてたんですね」
冷たく吐き捨てる。佐々木は「ただの演出ですよ」と嘲笑う。
「ほら、多少は可愛らしく見えたほうが "いのちの魔法使い" らしい、じゃないですか。まあ、どうでもいいんです、そんなこと」
彼女の口の端が上がる。楽しくて仕方がないといったように。
「七斗くんに効果があるということは、即ち全人類に効果があるということですね。今度こそ、私たちが世界を征服する時が来るんです」
拳を握り、月に向かってそれを突き出した。
「突如、強烈な飢餓感に襲われる人類、そしてそれを救えるのはわたし、いのちの魔法使いだけ。すべての人類と魔法使いは、わたしたちの支配下になる」
男は、恍惚と狂喜に嗤う少女の後ろ姿を、紫煙の中で眺めていた。形のいい唇を笑わせ、その来たる日を思い描きながら――
――何も知らず、世界の滅亡のためにこれから利用され続ける少年……七斗のことを、少しだけ哀れに思うのだった。
彼女の魔法が
せかいをまるごと喰らい尽くす
その日まで。