第六幕
『彼は、笑わなくなった』
皆の前から姿を消したハクシャクは、一人、自室にいた。
「こちらは、〇〇中学校です。ただいま電話に出ることができません。ピーッという発信の後に、メッセ」
ぷつん。
「やはり…こんな夜遅くでは、学校とやらはやっていないな。」
ライブハウスとして使われていたこの場所には備え付けの電話がある。
今までほとんど使用したことがなかったそれの出番は、相手の留守という形で終わった。
受話器を元の位置に戻すハクシャクの顔は、
笑っていなかった。
「……。」
「何らしくないことしてるんですか。」
いつからそこにいたのか。
ハクシャクの背後にはセバスチャンとドールの姿があった。
二人を見ると、男は口角を上げた。
何も二人の存在が面白かったわけではない。
上げたくなった。
らしくないという言葉を聞いて、ただ、上げたくなったのだ。
「ふふ、父親として、いじめについて学校に聞くのは当然のことだろう?」
「父親は普通、息子に噛みつかないわよ。」
「息子は普通、母親を殴らないがな。」
悪態をついても笑えるのは、彼らが妖怪だから。
だが、この時ばかりは、ハクシャクは心から笑っていなかった。
口元は歪んでいるが、取り繕った所為か不自然な形を成していた。
二人も同様だ。
「…あいつは?寝たのか?」
「はい。先程の大荒れが嘘みたいにぐっすりと。」
「そうか。」
ドラキュラは、
「……最近のあいつは見ていて面白くない。ヒマだ。」
頭を、抱えた。
彼は、二人が来る前と同じように、
笑っていなかった。
「あいつ自身も面白くないはずだ。」
そして無の顔で、男は、問う。
「ドール、妖怪の嫌いなものは退屈…そうだよな?」
「えぇ、そうよ」
「セバスチャン、それは妖怪にとって死を意味する、そうだな?」
「はい。」
二人の返事を耳だけでなく、心で受け止める。
「……この先ずっと退屈ならば、どちらにしろ道は一つ、だ。」
そしてハクシャクはおもむろに、そしてゆっくりと、自身の一族特製のワインを棚から取り出した。
「付き合え、二人とも。最後の宴だ。」
最後。
その言葉に、女は過剰に反応した。
「最後…?何言ってるのあんた?」
意味がわからない。
最後の意味が、わからない。
だがそんなドールをよそに、ハクシャクは一人、宴の用意を進めた。
俯きながら、彼はテーブルにグラスを人数分置いた。
だからわからない。
彼の顔が。
今、ハクシャクがどんな顔をしているか、見えない、わからない。
「私にはあいつの人生を面白くする義務がある。私は長く生き過ぎた。死ぬのに恐怖はない。」
「だから何言ってるの?」
グラスに液体を注ぐ彼の顔は、見えない。
「あいつに、『自ら死を選ぶのはクズだ』と言ったが…背に腹はかえられん。だが私はあいつとは違う。だから怖くはない。しかし、…未練はあるな。あいつの成長を見ることが出来ない。あいつのこれからの面白い人生を、見れない。」
「何言ってんのか聞いてんのよ!」
顔もわからなければ、言っている意味もわからない。
痺れを切らしたドールはハクシャクの肩を掴んだ。
「最後とか死ぬとかわけわからないこと言って…何考えてんの?」
「些細な問題ですよ、そんなこと。」
表情がわからなくても、何を考えているかがわからなくても、察しはつく。
そう言わんばかりに、セバスチャンはグラスに注がれたワインを飲み干した。
「相変わらず美味しくないですね…。」
口を黒ナフキンで拭うと、ゾンビは言葉を続けた。
「ハクシャクが死のうが何しようが、わたくしには関係ありません。妖怪が感情的になるなんてナンセンスです。ですが、義理ってものがあります。黙って付き合っとけばそれでいいんですよ。」
「ありがとう、セバスチャン。」
相変わらず、ハクシャクの顔は見えない。
だが、着飾った黒いマントをなびかせ、辞儀をする彼の姿から、セバスチャンが心から自分に礼を言っているのだと理解した。
だから、セバスチャンは笑った。
本当に最後なのだと理解したから、せめてもと、
笑った。
「気を遣ったつもりはありませんよ。これからは、ハクシャク抜きでの家族ごっこですね、マダム。」
「何なのさっきから?もしかしてアンタはわかってるの、セバスチャン?わかってないの…アタシだけ?」
「…そういうことです。」
セバスチャンにも、ハクシャクの感情はわからない。
だが、何をしようとしているかは検討がついた。
故にそう答えた。
ハクシャク、ドール、そして自分の感情。
皆がそれぞれ、抱くべきモノがある。
だがセバスチャンは、妖怪が感情的になるなんて下らないと、自分の中で言い聞かせた。
「全員死んで、いなくなるよりはましでしょ,孤独なフランス人形さん。」
あえて妖怪らしく、悪態をつくことが、今自分がするべき正しい行為だと、彼は思った。
だから、笑った。
ドールは違った。
ただただ地団駄を踏み、わからない自分に、そして二人に苛ついていた。
そんな彼女の感情を抑えるかのように、ハクシャクはドールの肩を、そして、セバスチャンの肩を抱いた。
「そうすると私は生贄なわけだな?」
この時、二人が見たハクシャクの顔は
笑っていた。
「…くくく。」
だから、やはり、セバスチャンも笑った。
理解している者として、笑った。
「ぷ、くくく、」
「「ははははははははははは!!!」」
部屋には、笑い声と、ドールが頭を掻きむしる音だけが響いた。