第五幕 Ⅰ
『次の日も、彼はここで泣いていた』
「最近あの子、様子おかしくない?」
ハクシャクに問う女は真剣だった。
「よく怪我をするようになりました。モノもよく無くなりますし。」
「それで?」
だから、腹立たしい。
父親の面をした男の態度が。
「『それで?』じゃないわよぅ。」
彼女はハクシャクの仕草を真似てみせた。
それは場を和ませようと思ったからではない。
自分の苛立ちを、彼に伝えられると思ったからだ。
しかし、その気持ちは届かない。
「アンタ父親なんだから、何か手を打ちなさいよ。それともまさか、今まで気づいてなかったの?」
貴方も母親でしょうが。
そう思うと同時に、セバスチャンは時計を見た。
そろそろあの子が帰ってくる時間…。
「…ただいま。」
彼の予感は的中した。
そしてもう一つの悪い予感…。
「話は聞いたぞ、少年!何でもいじめにあっているそうだな!」
「ちょ、アンタ…そんないきなり…。しかもいじめって決まったわけじゃ、」
ハクシャクが、少年が帰ってすぐに、この話をすることも、セバスチャンにはわかっていた。
そんなゾンビの考えはドールによって代弁された。
きっと彼女の言葉はすぐにかき消されるであろう。
…まぁ、どうでもいい。
しばらく黙っておこう。
セバスチャンは一人、鼻で笑った。
「何故暗い顔をしている?やられたらやり返せばいいだけだろ?そう教えたハズだが?まだまだお前も、妖怪としては半人前、」
「妖怪って、嘘吐くの下手なのか上手いのか、よくわからないよね。」
少年が言葉をさえぎったのは、セバスチャンを含め、妖怪たち三人にとって意外であった。
だがそれよりも意外だったのは
少年があるモノを取りだしたことであった。
それは彼らにとって今まで何度も目にしてきたモノ。
少年がここに来てから何度も目にしてきたモノ。
だから、彼がそれを持っていることは、
彼らには意外だった。
「これ、何?」
女に至っては、口を手で覆い、慌てていた。
「…ほう。」
ドールとは違い、ハクシャクは極めて冷静だった。
ばれたらその時はその時、という言葉は伊達ではない。
そんな彼とは対照的に、ドールは棚をひっきりなしにいじった。
そんなことをしても、意味はないというのに。
「私にとってはただの紙切れだが?『妖怪』の私にとって、それは価値のないモノだ。残していたのは、ただの情さ。」
価値が、ない。
その発言は、人間と妖怪の間に齟齬を生む。
「僕にとってはとっても大事なことなんだよ!今まで僕を騙してたの?」
少年とハクシャクの息遣いもまた、対照的であった。
はぁ、はぁ、と狂ったように漏れた少年の吐息を吸い取るかのように、ハクシャクは囁いた。
「あぁ、そうだ。私たちは妖怪、お前は人間だ。」
「ハクシャク!少しは言葉を選びなさいよ!」
女の揺れた声は、男の心を揺らすには至らない。
「今更隠す必要があるのか?少年、真実がわかったとて、私たちとお前の関係は変わらないだろ?小さな問題だろ?何だ、それともいじめの方が小さな問題か?」
「……どっちもきついよ。」
そもそもの考え方が、違う。
妖怪だから。
人間だから。
少年の兄は黙ったまま。
母はまともぶったことを言うがそれまでで。
父は、
「ん?どうした、いつもの元気がないぞ?」
笑っていた。
「話は終わりだ、そろそろ食事にでもしようではないか。」
終わり?
何が?
まだ何も終わっていないというのに。
そろそろって何だよ。
まるで煩わしいみたいじゃないか。
何が、
何が煩わしい?
父さんは何が煩わしいの?
もしかしたら何も考えずにそう言ったのかも。
じゃあ僕は?
僕は今、何がこんなにもイヤなの?
話が済んでないこと?
お腹が減っていないのにご飯の時間になったから?
違う。
あの笑顔がイヤだ。
あの笑顔が煩わしい。
じゃあ、何で父さんは笑ってるの?
何で二人は止めないの?
…あぁ、そうか。
僕の家族は妖怪だから。
こんなにもイヤなのは
僕が人間だから。
ぷつん。