第四幕
『月日は、流れていった』
『彼は、ここで泣いていた…と思う』
「…ただいまー。」
夕方でも、夏は太陽の光が強い。
夏服の袖の下から微かに見える、少年の白い肌がそれを物語っていた。
「ん…、あぁ、もうこんな時間ですか。」
黒いナフキンで片眼鏡を拭くと、セバスチャンは時計を見た。
「父さんは?」
「酔いつぶれて寝てるわ。」
ドールが顎で示した先には、ハクシャクの棺があった。
「そっか…。あ、今日体育大会の練習だったんだ。しんどくて大変だったよ。」
「そう…。……?」
異変。
少年からそれをいち早く感じ取ったのは女の方だった。
「その練習って、怪我はつきものなの?」
「え、?うんまぁ…何で?」
「腕、押さえてるじゃない。あと足。ひきずってるわ。」
異変。
それを体現しているかのように、少年の目は泳ぎだす。
「えっと…そ、そうなんだ、リレーで転んじゃってね。はは、すりむいちゃった。」
「…後で手当てしますよ。無理はしないように。」
異変。
それを見たセバスチャンは、ドールと一緒に寝床にしている部屋へと消えていった。
「…兄さん、いつも僕に興味なさそうなフリして、意外と優しいんだな。……痛っ!」
あぁ。
もう異変は隠せない。
父親が目の前で寝ていようが。
二人が寝床にいようが。
もう
隠せない。
『イヤな』記憶は離れない。
フラッシュバックは起こる。
「…さい。」
『お前ホント気持ち悪いよなー。』
『妖怪なんだったら、オレたちを殺してみろよ。』
「ぅるさい。」
『おい、殺れねぇんなら、こっちからイッていいか?』
『お菓子ばっかり食ってんじゃねぇぞ!』
「うぅるさぁい!!」
罵倒された記憶、
殴られた記憶、
私物を捨てられた記憶、
日々の記憶が、頭をよぎる。
全てが全て、よみがえる。
あぁ。
だから
モノに当たる
当たってしまう。
「あぁ!」
いつも父が座っている椅子を倒し、
いつも母が使っている化粧ポーチを落とし、
いつも兄が持ち歩いているナフキンを遠くに投げる。
「うるさいうるさいうるさいうるさいぃいぃぃいい!!」
手当たり次第、としか言いようがないくらいに、少年は荒れた。
酔っている男は未だに起きない。
カボチャを殴り、棚の引き出しを全て出し、散乱させ、時計に頭をぶつけ…。
…?
棚?
「あ、う…!」
理性。
学校で受けた傷が痛みだしたことにより、少年は微かではあるがそれを取り戻した。
だから
見える。
それが
見える。
「…?」
自分の体よりも傷ついたクマのぬいぐるみには目も暮れず、少年はそれを見た。
それは、紙。
いや
手紙。
「何だ、この紙切れ?」
彼がここを片づけるのに、時間はかからなかった。
「やっぱり、変よ。」
「何がです?」
「惚けんじゃないわよ、白々しいわね!最近のあの子よ。」
「……。」
「前まであんなに元気だったのに。近頃ずっと俯いて…。」
「わたくしが作ってあげた手さげ、こないだ泥まみれになってましたね。」
「それよ!『転んだ』って言ってたけど、転んであんなんになる普通?」
「何が言いたいんです?」
「何が言いたいと思う?」
「……。」
「……。」
「まぁわたくしは、彼の人生なんて興味ないですが。」
「その人生を、あの子の人生をどうするかが『家族ごっこ』でしょ?」
「よく言います。」
「あの子にあげたモノのことを話すあたり、アナタは立派なお兄さんよ。」
「……それはどうもありがとうございます、オールド・レディ。」
「マダム(夫人)とおっしゃい。」
彼らは隣の部屋で、少年が暴れているのに気がつかなかった。