最終幕
『彼はここで泣いていた』
「ただいま。」
少年が家に帰った時間は、夜の八時を回っていた。
中学生の帰宅時間にしてはかなり遅めだ。
家に帰りたくない。
妖怪がいる家に、帰りたくない。
その単純な理由が、彼の帰宅の足を鈍らせた。
「何、二人とも黙ってさ?」
ドールとセバスチャンは少年と目を合わせようとはしなかった。
その意味がわからず、少年は強がった言葉を口にする。
「人間と違って妖怪は不気味だね。気味が悪いよ。僕が夜遅くに帰ってきて怒ってるの?」
妖怪は、答えない。
「てかあの人は?」
答えない。
「寝てるのかなー?」
わざとらしく首を傾げると、少年はハクシャクが寝床にしている棺を蹴った。
「…やめなさい。」
ドールの声はか細かった。
「何で?やられたらやり返したらいいんでしょ?今まで嘘吐かれたんだから,これぐらい罰は当たらないでしょ?」
女を無視し、少年は棺を蹴り続けた。
長年使われた所為か。
棺は、脆かった。
中学生の男児の蹴り数発で、すぐにへこんだ。
「そこにハクシャクはいませんよ。」
少年を止めたのはセバスチャンの一言だった。
「どこにもいない、って言った方が正しいですかね。」
執事は少年に歩み寄ると、黒い物体をひらつかせた。
それは黒ナフキン?
いつも持ち歩いている黒いナフキン?
違う。
同じ色だから少年は気がつかなかった。
それは、もっと長かった。
もっと美しく、もっと荘厳だった。
それは、衣装。
ハクシャクの、マント。
「さっきセバスチャンが見つけてくれたわ。砂と、ハクシャクの服を。」
「…は?」
やはり、意味がわからない。
少年は間抜けな顔を晒した。
理解が追いつかない。
幼い矮小な脳では、理解が追いつかない。
「呆けた顔しないで下さいよ。わたくしは彼が死んでもどうでもいいですが。」
「冗談言わないでよ。昨日あの後、飲みながら泣いてたくせに。」
ドールはセバスチャンの脇腹を小突いた。
茶化したつもりだった。
悪態をついたつもりだった。
だが、ドールもセバスチャンも、
笑っていなかった。
「え、ナニ、、?」
「……ハクシャクとは付き合いは長かったけど、何考えてるのか全然わからなかったわ。」
やはり、女は目を合わさない。
「少なくとも、貴方の為を思って死んでいったと思うわよ?わざわざ学校に行っていじめをやめさせるよう話してきたんだから。それで砂になって…ってこと。」
全てを全て。
一から十を説明されて、少年は理解した。
ハクシャクが死んだことを。
「父さんが、死んだ?……何なんだよ、もう。何なんだよもう!!」
考えるより先に、体が動く。
少年は…加減を知らぬ幼い男児は、父であった男の寝床を足で破壊した。
「やめなさい!」
「何なんだよ!!意味がわからない、勝手すぎる、ただのバカじゃないか!!」
考えるより先に、言葉が出る。
ドールは母の顔をして少年の方を向こうとした。
「アンタもういい加減に…!」
「大概にしなさい。」
そんな女を、執事は払いのける。
そして、セバスチャンは少年に詰め寄った。
「わたくしは、周りに興味がありません。妖怪が感情的になるなんて、下らないことです。…けど、わたくしが、妖怪のなり損ないのゾンビだからですかね。」
兄は、泣いていた。
「悲しいんですよ。彼がいなくなって。虚しいんですよ。それに、」
悲しみとともに怒りが込み上げて来る。
冷静さを欠いた兄は、その場にマントを投げ捨てた。
「腹立たしいんですよ。貴方の姿を見てるとねぇえ!!」
兄は弟の胸倉を掴んだ。
弟もまた、感情のおもむくままに、兄の肩を掴む。
「自分だけが辛いみたいな顔をして…。わたくしだって…わたくしだって!」
下らない行為かもしれない。
けど、抑えられない。
セバスチャンは拳を振りかざした。
だが、それは振り下ろされることはなかった。
「やめなさいって言ってるでしょ!」
ドールが割って入ったのだ。
「……辛い顔したら悪いのかよ。」
状況を、父が死んだ状況を理解していけばいくほど。
少年も、目から零れるモノを止められなくなる。
「泣いたら悪いのかよ!だって、だって僕は…。」
止められない。
「まだ、あの人から……父さんから、一度も名前で呼ばれてないんだよ…?結局決めてくれなかった。呼んでくれなかった…ぁ……!!」
「決めてたわよ。」
「え…?」
母は口を押さえ、嗚咽した。
涙を流し、嗚咽した。
「悩んでたわよ、ハクシャク。何て名前呼んだらいいか…。死んだら呼ぶこともできないのにね。確かに、バカみたいね。ホント、バカみたい……。」
ドールはその場に崩れ落ちた。
力なく、崩れ落ちた。
「…ごめん、なさい。ごめんなさい。ごめんなさい…!蹴ってごめんなさい。父さんの気持ち、わからなくてごめんなさい……!」
少年はその場に崩れ落ちた。
力なく?
いや、力は込められていた。
必死に彼は腕に力を込めた。
落ちたマントを拾い、自分の胸に、必死に腕で抱き寄せた。
「そうやって謝ることも、死んでしまったらできません。育ててくれたお礼すら、言えません。」
「…生きたてたら、いつでも謝ることはできるわ。けどね、」
ドールは未だに痛む頬に触れた。
ドールが生きていたら、いつか謝ることができる。
殴ったことを、謝ることができる。
だが死んだハクシャクには、
「死んじゃったらね、全部おしまいなのよ。」
謝ることは、できない。
「う、うううぅ…!」
母は、息子を抱きしめた。
力が入る限りに、抱きしめた。
目に溜まった雫を拭い、彼女は、精一杯に。
母親の顔を、つくる。
「…そういえば、もうすぐハロウィンね。あなたを拾ってから何度目かしら。……ねぇ、知ってる?ハロウィンは死んだ者の魂が、訪ねてくる日なのよ?ハクシャクは妖怪だけど……きっと。きっとハクシャクの魂も、ここに戻ってくるハズだから。だから信じて待ちましょう?父さんの帰りをみんなで待ちましょう…?」
鐘には二種類の鐘が存在する。
始まりを告げるモノと終わりを告げるモノだ。
では今から鳴るのはどちらの鐘?
夜の九時、この部屋にある大きな大きな時計は鐘を鳴らします。
今から鳴るのはどちらの鐘?
間もなく彼らの物語は終わります。
どちらの鐘が今から鳴る?
答えはカンタン。
終わるのだから、終わりの鐘。
…だけど、ホントにそう?
ホントに彼らの物語は終わり?
これは彼らにとって始まりの物語。
彼らと彼にとって、これは始まり。
だから、鐘は鳴る。
だから、カンタンな理由。
これは、始まりの鐘。
これから始まる物語。
『彼はここで泣いていた
けど
これからは
笑っていてほしい』




