湖面潜水!?
「ん…んん…」
最初に感じたのは息苦しさであった。
「うん…ん…っ」
…それと、柔らかい感触が口に。
「「ん…っ!?」」
ガバッと互いが互いの顔を離す。
「な、な、な…寝ながら何をしていたんだよ風音!!」
「わ、私はそのようなことをした覚えはありません!!!!」
…そうか、風音があそこにいた理由、それはきっと俺とずっと唇を重ね続けることで繋がっていたからだ。 …全く俺には覚えがないのだが…体が元に戻っていることも含めて。
「ふぁ…ぁ…ご主人様、おはようございます。 お身体が元に戻られたのですね」
「ぬぅ…弓弦が朝からハッスルしているから目が覚めちゃったよ…」
変騒がしくしてしまったので当然隣で寝ていた知影もフィーも目を擦りながら体を起こす。
「で、では私は朝食の準備をして参りますね」
いそいそと風音が逃げていく。
「…それで、弓弦は風音さんと朝から何をしていたの?」
「いや、何もしてない」
「嘘、私見ちゃったんだぁ…♪」
「な、何を…だ?」
…まさか、風音と俺が一晩中キスをしていたかもしれないってことを知っているのか?
…あ。
知影の瞳から光が消えていく。
「ふふふ、ふふふふふふっ♪ お仕置きしちゃおっか♪」
「お仕置き…はぁ、何と甘美な響き…ご主人様、私にお仕置きしてください…っ」
フィーもよく分からないが息が荒くなっている。
「ま、待て…頼むから待ってくれ…っ、おい耳を触るな!」
「…私と一緒に寝てた時はそんなことしなかったよね…せいぜい私が無理矢理弓弦の「知影?」…何でもない何でもない…あははのは」
「…知影こそ何をしていたのか…向こうで少し聞かせてもらうわね…ほら行くわよ」
「え? ちょっと…弓弦! 助けて! フィーナに命令して止めてよ!」
知影がフィーに引っ張られて部屋を出ていく。 …「助けてぇぇっ!」という言葉が聞こえた“ような”気がするが、まぁ空耳だろう。 寝間着から着替えて居間に出る。
「先程知影さんが笑顔のフィーナ様に引っ張られて外に出て行かれましたが…何かあったのですか?」
「知影が俺に対して夜な夜なこっそり働いていた悪事が軽く露見してな。 それでフィーが事情聴取をしているみたいだ」
「あらあら…私も後ほど詳しく御話を聞かさせて頂きます。 よろしいですね?」
「ん? 別に煮るなり焼くなり食べるなりしても良いぞ」
「酷い…私、百合趣味なんて無いのに…」とか聞こえてきそうだな。 …が、気にしない。
「クス、それでは彼女が可哀想です」
「可哀想か? あいつのことだ。 それを利用してそのまま俺に襲いかかってきそうだが」
「そうですね…『私は弓弦に食べてもらいたいな♪』…と仰りそうです」
相変わらず知影の物真似が上手い風音である。 まるで本人が宿ったみたいだ。 まぁ違うが、主にスタイ…いや、何でも無い。
「…どこを見ていらっしゃるのですか? 駄目ですよ弓弦様」
一瞬俺が視界の中央に捉えることで向けた視線を敏感に察知した風音が、恥ずかしそうにその部分を腕で隠す。
「…もうそろそろ出来そうだな。 2人を呼んできた方が良いか?」
「…はい。 御願い致しま」
グゥ〜…とタイミングの良いことにお腹が鳴る。
「…すまん」
「クス、少し召し上がりますか?」
「…」
風音が既に完成している玉子焼きを箸で丁寧に分けて取る。
「………あ、あ〜ん」
「か、風音!?」
「…御召し上がりにならないのですか?」
口を尖らせて箸を引く風音。
「…た、食べるぞ!」
「では…あ〜ん」
「……「仰って下さらなければあげませんよ」…っ、あ、あ〜ん」
…しっかり言わないとくれないようだ。 絶対にあの時の仕返しだろ…。
「………あ〜ん」
顔が赤くなるのを感じながら口元まで運ばれた玉子焼きを食べる。 …と。
「ただ今戻りましたご主人…様…」
「どうしたのフィーナ急に固まっ…」
丁度口に咥えたところで扉が開いて2人が帰ってきて固まる…お決まりのパターンだ。
「クス、まだ頂かれますよね。 …はい、あ〜ん…♪」
…2人が帰ってきているのに気づかず、再び玉子焼きを取り分けてから俺の口元に運ぶ風音。
「か、風音、帰ってきてるから…」
「あ〜ん」
「あ、あ〜ん…!」
「…クス、こうしていると弓弦様のお、奥様みたいですね♪」
「「…」」
「風音、取り敢えず周りを見てみろ」
「はい…。 …っ!?」
気づいたな。
「…ふふふっ♪ 風音さん…」
「私達と一緒に…」
「「外に出ようか」」
今まで固まって静止していた知影とフィーが再起動して風音を両脇から2人で固定する。
「…弓弦様、助けて下さい…」
「…食事ももう出来るはずだ。 取り敢えずそういうのは食べてからにしてくれ」
…兎に角俺は早く食事を済ませたいので風音を連行しようとする2人を止める。 間接的に風音を庇うことになるが、俺の目的はあくまで早くご飯を食べることだ。
「ねぇ弓弦…風音さんは庇うんだ…私は庇わなかったのに風音さんは庇うんだぁ…ふふふふふっ♪」
案の定知影が反応する。
「ご主人様…私の言いたいことはお分かりですね?」
「…後でしてやるから取り敢えず食事の用意をしてくれ」
「わん♪」
風音の拘束を解いて直ぐに食事の用意をしていくフィーは話が分かる良い娘なのでこういう時は助かる。
「風音さんやフィーナとは“あ〜ん”してさ…何で私とはしないの…私も弓弦と…したいのに…」
知影は俯いてそんなことを言う。 …普通ならばここで俺は「知影もやるか?」みたいなことを聞けば良いとは思うがわ俺には一つ確認しなければならないことがあった。
「…“アメチュー”だったか? …あれをやっている時点で“あ〜ん”もないと思うが」
“アメチュー”。 片方が口に含んだ飴を口移しでもう片方に移すアレだ。 因みに最近『落としたら負け』という謎ルールのゲームになってしまい、彼女の中でブームになっているらしい。
「うぅ…だって…私だけやっていないのイヤだよ…」
「風音とフィーとはやっていないからそれでおあいこだと思うが?」
「…でも弓弦、断れないからいつかやるでしょ?」
「…言われればだが「「やってくだ(下)さい」」…まぁこんな話してたら当然聞いてるよな。 はぁ…」
「ほら、現在進行形だ…どうせ私なんか…」
…困った奴だなぁ。
「…取り敢えず朝食だ。 腹が減っては戦は出来ない…今日こそあの湖の主を釣り上げたいからな」
「…弓弦は私のものなのに…やっぱりフィーナを許したのがいけなかったのかな…うん、そうだね…そうだよね…」
「先ずは食事の用意。 その後やってやる…ってもう準備終わってるか。 ほら、食うぞ」
「うん…」
…実はこの時、既に嫌な予感を感じていたんだ…。
「介護かぁぁぁぁっ‼︎」
数十分後、俺の怒りの突っ込みが周囲に轟く。 理由は言うまでもない。
「ご主人様、次は私です」
「その次は私ですね」
「その後は私だよ♪」
「スルーかっ!? 全員が全員揃ってスルーなんだな!! …あ〜ん」
「あ〜ん…ん〜っ! 美味ひいでふ♪」
誰かにあげては直ぐ誰かにあげるを繰り返しているので自分の食事にはあまり手をつけれてない。 もうすぐで終わりだが、腱鞘炎を起こしてしまいそうだ…。
「あ〜ん」
「クス、あ〜ん」
この状況を嫌だと思うか? …答えは否だ。 なんだかんだ言って美少女達の口に食事を運んでいくが楽しかったりする。 …普通に考えて先ず有り得ないシチュエーションだから…な。
「美味しい! 弓弦大好き! 愛してる♪」
「はいはい」
軽く答えて自分の食事に再び手をつけようとして…視線を感じる。
「…何だ?」
…まさか。
3人はそれぞれ別の料理をとって俺の口の前まで運ぶ。
「「「あ〜ん♪」」」
ですよねー…コホン。
結局今度は次々と差し出される食事を休む暇なく食べていくのであった…。
*
「はぁ…」
釣り糸を湖に垂らしながら溜息を吐く。
「どうかしたの?」
側で見守っていた知影が横から顔を覗き込む…近い。
「いや、何でも無い」
今朝は本当に散々だった…あの後食事が一杯詰め込まれた俺の頬を見て3人が何て言ったと思う? …「リスみたいだ」とか言って更にスプーンを突っ込んできたんだぞ…零さないようにするのが大変で大変で…思い出すだけでどっと疲れが出てくる。
「弓弦が可愛いのがいけないの。 その可愛さは罪だよ♪」
「覗くな馬鹿。 少なくとも俺は可愛いと呼ばれて喜ぶ男ではないからな」
まぁ褒められて悪い気がしないのも事実だが…。
「素直じゃないなぁ…またあの時みたいに素直な弓弦になってよ。 私を萌えさせて♪」
「断る。 襲われるのが嫌だからな」
「ケチ〜」
「ケチで結構」
「ドケチ〜」
「ドケチで結構」
「…いいよもう! 弓弦なんか知らない!」
「…っ!」
ウキが沈んだので引く。
「よし、今日六匹目だ」
「無視しないでよ弓弦…」
「…俺のことなんかもう知らないんだろ? なら俺が知影に構う必要も無いと思うが」
「…本気? 本気で言ってるの?」
「知影が一番分かっているだろ? 仮にも妻を名乗っているのだからな」
釣った魚の針を外しながら答える。
「も〜っ! そこは『冗談だよ☆《キラッ』とかやる場所だよ!? 確かに弓弦の言う通りだよ! 嬉しいよ! だけど…何かなぁ…」
「俺はそんな爽やかなハイエルフじゃないからな? 今のに少しイラッとはしたが」
人をアイドルとかと感違いしていないか? いや実際してそうで困るのだが。
「弓弦のアイドル姿…1000%の確率でドキドキで胸が壊れちゃいそうだし、2000%の確率で全力全開Love youしちゃっ!? …何で最後まで言わせてくれないの…」
「知らん。 体が勝手に動いたからな。 それに1000%とか2000%とか3000%とか何なんだ…もう少しスター…スタイリッシュに出来んのか」
無意識的に “アカシックボックス”でハリセンを取り出して知影の頭を叩いていた。
「うう…地味に痛いよ…」
俺がハリセンで叩いた箇所を手で押さえて知影は蹲る。
「下らないことを言うからだ。 少しは反省しろ」
「…反省したいけど反省したくない」
「は?」
「無意識だと思うけど弓弦さっきからハリセンで叩いた部分『よしよし』してくれてるでしょ?」
言われて視線を知影の顔から少し上に向ける…いつの間にか手が勝手に彼女の頭を撫でていた。
「ふふふ…つまりこういうことをする度に弓弦は頭をなでなでしてくれるんでしょ? なら反省しないよ♪ だって何度も何度も弓弦に突っ込ませて頭を撫でてもらえるんだから♪」
「しないからな。 くそっ…何故だ…」
理由は分かってる…が、認めたくない。 認めたら負けなような気がする。
「そういうことを考えている時点で弓弦は私に負けているの。 君が私に勝てるはず「知影なんて嫌いだー」…っ」
まるでこの世の終わりを見たかのような表現をする知影の頭をくしゃくしゃと撫でる。
「冗談だ。 悪かった」
「ふふふ、分かってたよ♪ だって弓弦が私を嫌いになることなんて無いのだから♪」
その自信はどこから来るのやら。 仮に俺が本当の意味で知影の下を離れることになってしまったら彼女はどうするつもりなのだろうか?
…ウキが沈んだ。
引く。
「ぐぉっ!?」
凄まじく大きな手応えが…間違い無い、主だ!
「弓弦!!」
一気に持っていかれそうになる。
「ぐ…っ。 今度は…負けない…っ!」
「私も手伝「来るな! 離れてろ!」…でも‼︎」
「この…っ!」
俺の力じゃ釣り上げられないとでも言うのか? …だがこれ以上竿を持っていかれてたまるものか…っ!
「…っ‼︎‼︎」
俺の体が湖に少しずつ引き摺られていく…負けるのか?
「…無理だよ弓弦! 竿を離して!」
「絶対釣ってやる…‼︎ 釣って今晩のおかずを豪華に…‼︎」
しかしいくら気迫があろうとも現実は厳しいもので、無情にも俺の足は既に湖に踏み入れようとしていた。
「弓弦、お願いだよ! このままだと引き摺り込まれちゃう!」
知影が背後から俺を引っ張る。
「もういい加減ウンザリなんだよ…こいつさえ釣れれば…れるのに! く…限界…か…っ‼︎」
竿ごと俺と、俺を引っ張っていた知影が湖に引き摺りこまれる。
「弓弦…きゃ、きゃぁぁぁぁぁっ!?」
「くそ…知影‼︎」
水中で気を失った知影を抱き寄せる。
バチィィィンッ‼︎
何かにぶつかり、通過すると同時に魔力が電撃のように辺りに迸る。
「…結界? 妖精と不可視…あともう一つは…ってうわぁぁぁっ!」
あと一つの魔法陣が光った瞬間、俺は自らの意識が遠ざかっていくのを感じた…。
*
「風音、止まって」
周辺探索の役割をくじ引きで引き、これまでの遅れを取り戻そうとしていたフィーナと風音。 草原と山を越えた先にある深い森の中で彼女達は立ち止まった。
「どうされましたか?」
「…この先、多分進んでも意味が無いわ」
「…やはり」
「えぇ。 木々達の声が聞こえないから不思議だとは思っていたけど…」
彼女達は森の中で迷っていた…否、迷わされていた。
「引き返しますか?」
「…少し待ってなさい」
「承知致しました」
フィーナは近くにあった木に手で触れ、目を閉じる。
「……………駄目ね」
感覚を遮断して木々の意識との同調を試みるが…何かに弾かれる。
「…と言いますと」
「分かるのはずなのに…分からない…としか言えないわ」
頭の中で疑問符を浮かべる風音。
「分かるはずなのに分からない…」
「そのままの意味よ。 ただそうとしか言えないの。 …考えが纏まらない」
「考えが纏まらない…」
「浮かんだと思ったら消える…まるで泡のように答えが消えて振り出しに戻される。 そんな感覚よ」
「成る程」と風音が頷く。
「分かり易い例えだと思います。 思考が纏まるを泡が膨らむことに例える。 つまり、泡を膨らませていくと突然破られてしまう…ですね」
「その通りよ。 何らかの力…強制力と言うべきものかしら。 “それ”以上考えさせてくれないの。 そして“それ”が何かについてもよ」
この時点で2人に与えられた選択肢は一つである。 無論選びたくはないが選ぶしかないのだ。
「引き返すわよ。 “今は”ここにいても何の意味も無いわ」
「はい。 ですがその前に…」
2人の視線の先には蠢く謎の陰…魔物だ。
「いくわよ!」
「はい!」
フィーナは刀を、風音は薙刀を構えて駆け出す。
「無理に相手にする必要は無いわ! 分かってるわね!」
「はい! あくまで立ち塞がる魔物のみを斬り伏せます! …焔の舞‼︎」
『唸れ風の刃…切り裂きなさい! ウィンドカッター‼︎』
「ふぅ…戻る分には問題無い…?」
フィーナが彼方を見て思案顔になる。
「何か感じられましたか?」
「えぇ。 向こうの方で魔法が発動したような気がしたけど…」
「弓弦様が何かの魔法を使われたのではないですか?」
「…そうね。 少し心配だけど取り敢えずは探索を続けるわよ」
言うが早くフィーナは森に沿うように走り出し、風音もそれに続くがフィーナの犬耳に落ち着きが無い。
「少しではな「風音」…失礼致しました」
「下らないことを考えている暇があるのなら夕食の献立でも考えてなさい。 そんなことあなたには必要無いかもしれないけどそんなことを考えられるよりは幾分かマシだわ」
「クス、本当に弓弦様と同じで不思議な所で意地をお張りになるのですね…まさか真似を「風音!?」クスッ♪」
「そういうことは言わなくて良いって言っているのが分からないの風音‼︎」
「あらあら…やはりそうでしたか…クス」
「ねぇ…あなた私のことをフィーナ様と呼んでいるのに敬意が全く無いと思うのは私の気の所為かしら?」
「そんなことはありませんよ。 “二人の賢人”である弓弦様、とフィーナリア様への敬意は片時も忘れたことはありません」
立ち止まり、頬をひくつかせた笑顔で風音を見るフィーナ。
「そう、立派な心掛けだわ! “二人の賢人”である弓弦様とフィリアーナ様のことを片時も忘れたことが無いなんて…風音は本当に凄いわ♪
「ど、どうされたのですか?」
やけに芝居がかった動作と声音で言うフィーナに風音は慄く。
「素晴らしいわ‼︎ 風音みたいな従者は滅多にいないはずよ♪」
「は、はぁ…ありがとうございます」
言葉だけ見れば風音は褒められているであろう。 だが、彼女は全く褒められている気がしなかった。
「えぇ♪ 本当に凄いと思うわ…」
「…?」
「自分で尊敬していると言ったハイエルフの名前をそのハイエルフの前で間違えるなんて…本当に」
「…ッ!?」
フィーナの全身から風音の目にも見えるほどの魔力が溢れ、その鋭い視線には殺意が込められる。
「良い度胸、していると思わないかしら…ねぇ風音?」
「フィ、フィーナリア様?」
「私の名前はフィリアーナよ!」
その言葉を聞いた風音は自分の失言を悟る。 横文字に弱い彼女であったが、まさか世界を救ったと語り継がれるハイエルフの名前を間違って覚えてしまい、それをまさかその当人(当ハイエルフ?)の前で、間違った名前で言ってしまうとは。 それならばこの怒りも当然と言える。
「申し訳ありません!」
「はぁぁっ‼︎」
斬りかかってくるフィーナに対して風音は逃げる。
「…っ! 逃げるなんて卑怯よ! 大人しく私に斬られなさい!」
「御断り致します! フィーナ様が落ち着かれるまでこのまま逃げさせて頂きます!」
『動きは風の如く、加速する! クイック!』
「…焔よ!」
風を纏って加速するフィーナに対し風音は炎を纏って加速。 距離を縮められないようにする。 あっという間に距離はどんどん離れ、ハイエルフであるフィーナの目をもってしても見えないほど、風音は遠くへと言ってしまった。
「はぁ、はぁ…風音って旅館の女将じゃなくて実は忍びかもしれないって時々思うわね…一体どんな風に育てられたらあんな足捌きが出来るようになるのかしら…」
昨晩風音が言ったことが正しいのなら薙刀の武術は女将の嗜み(?)として彼女の母から手解きを受けていたとしても有り得ないことでは無いだろう。 しかしあの足の捌き方は正しく忍びのそれだ。 医者でもないのに背後から首元の急所を鮮やかかつ正確に捉える技術も教えてもらったのだろうか? とフィーナは首を傾げる。
「…風音〜っ! 戻るわよ〜っ!」
「はい。 畏まりました」
一瞬にして現れる風音。 気配を感じなかったのは言うまでも無い。
「私の顔を御見つめになってどうされました?」
「…風音は何故それほど足が速いのかしら? 出来れば理由を聞かせてほしいのだけど…」
「はい…? ですが理由を御聞かせ願えますか?」
「ほら風音は足が速いでしょう? “クイック”を使ってあそこまで離されるのだから少し悔しくて…」
「成る程。 …ですが御教えすることは出来ません」
「…何故かしら?」
「言葉で説明することが出来ないのです。 かく言う私も見て学んだものですから」
「見て学んだ?」
「まだ私が幼かった頃に旅館に宿泊された旅の元飾り職人の方にこっそりと教わりました」
「飾り職人…ならその簪は」
「クス、はい。 その方から頂いた物です…懐かしいですね」
簪にそっと触れる。
「光陰矢の如し…時が経つのは早いものです。 あの方は今、どこで、何をなさっておられるのでしょうか…」
「もしかして…もしかしなくてもあなたの“そういう人”かしら?」
「クスッ♪ 惹かれていたのは間違い無いですね…でも、違いますよ。 私の初恋は弓弦様です」
「ふふ、私もよ。 最初で最後の初恋…と言うのかしら」
「クス、そうですね。 諦めないし、諦めたくない…そんなところでしょうか?」
「諦めるぐらいなら死を選ぶわ」
フィーナにはその覚悟があった。
「同じく、ですね。 知影さんも…きっと」
勿論風音にも。
「ふふ、そうね。 きっと…いいえ、絶対に…」
互いに同じ人物を愛する2人はその後も互いの思いを互いに語り合いながらその人物を待つために帰路につくのであった…。