事故!?
ーーー呆気無い。その一言に尽きると言っていい戦いだった。
「今の奴、【リスクG】どころか【リスクH】いっていれば良い程の強さだったな〜」
「…隊長殿の言う通り、臨界点に達しようとしている『崩壊異世界』の親玉としては確かに呆気無かった。だから私にはそれが酷く不気味に思える…」
「そうだな。これでは最初に魔力が流れていた地点にいた三体の方が圧倒的に強かった。…それに、リィルから訊いていた【リスクB】は…一体? どこに居ると言うのだ」
「……嫌な予感がする」
倒した後も燻っているように揺蕩う陰を見ながら、セティが言う。
「レオン、これでこの後はどうすれば良いんだ?」
「ん〜…こいつが勝手に消えてくれるのを待つだけだ〜」
「そうか…それなら良いんだ。だが…」
…イ…ん゜んっ、セティの言う通り嫌な予感がする。こう…釈然としないが…。
「片付いたついでに、そもそもなんで世界が崩壊どうこうになるかについて詳しい話を聞きたいんだが…。こいつらは一体何なんだ?」
「“この世ならざるもの”だ〜。それ以外はさっぱり分からんな!!」
「分からんことを自信有り気に言うなっ。せめてどうして現れるとか何故こいつらの所為で世界が崩壊するとかの理由を知りたかったんだが…。じゃあ質問を変えるが、その…『組織』だったか。『組織』とやらは一体、何年これをやっているんだ?」
「かなり長いとは聞いとるな〜。だが何年と聞かれても…う〜ん、さっぱり「口を塞ぐわよ」むぐ〜っ!!」
フィーが水魔法でレオンを水の中に閉じ込めてしまう…が、すぐに解除させる。
「ぷはぁっ! …はぁ…はぁ…し、死ぬかと思ったぞ〜…」
…冗談になっていない冗談だな。
「ご主人様が求めているのは答え。決してくだらないジョークではないわ。今後は気を付きゃんっ!?」
「気を付けるのはお前だ! 気持ちは分からなくもないが、あまりそう人間の男に対してカリカリするな!」
「…わん」
フィーは犬耳をしゅんと力無く垂れさせて渋々と言う。時々出る彼女の犬言葉は何なのやら。
もう癖になっているかもしれない…が可愛いから問題無い。
「…それ程の人間の男嫌いで、よくあの時俺に声を掛けることが出来たな。俺もあの時は人間だったんだぞ? 勿論、今もそのつもりではあるんだが」
…確か元々あまり好きじゃなかったのが悪化したんだったな。だが、まぁ酷いもんだ。
「…あの時は夢の中でしたから。夢の彷徨い人は誰であってもハイエルフとして在るべき場所へと導かねばなりません。そう言う決まりがありましたから…。ただ、私も寂しかったのだと思います。次の日に私が死ぬと言うことは既に予知で知っていました。…もっとも、その宝具は壊れてしまいましたけど」
「…あぁ、感傷的になっていたと言う訳だな…。俺がもし、あの時フィーに会えなかったらどうなっていたんだろう」
「キムチタルタルなんて上手くないと思うぞ〜」
…おいコラ。その聞き間違えが全然上手くない。
「…ご主人様、今すぐ命令を。この男の口を塞げと言う命令を」
「隊長殿、空気を読んでくれ。風魔法使いが空気を読めないとは皮肉にもならん」
「私も今の隊長様にはお灸を据えるべきだと提案致します」
「……隊長、邪魔」
「…味方は居ないのか〜。世知辛いな〜」
話が逸れに逸れる。
時間が経過して“ベントゥスアニマ”の効果が切れかかっていたので、地上に降りてフィーを宥める。
「話の続きは戻ってからだな。…それで、いつ戻れるんだ?」
「それなりの時間は経過しました。陰は消滅する気配すらありませんし、いかがなのでしょうか」
…機嫌は治ったみたいだな。
だが…確かにどうしたものか。何もしようがないんだが。
「…セイシュウ、これは一体どう言うことだ…?」
レオンが厳しい顔で通信を入れる。
「…雲行きが怪しくなってきましたね。私まで少々落ち着かなくなって参りました…弓弦様、一度あの陰の近くまで行ってみませんか?」
「そうだな…レオン、少しあの陰のところまで行く。何かあったら呼んでくれ」
…危険かもしれないが、近くまで行こう。
「私も行きます」
「セティはどうする」
「…私も行く」
「私はここで連絡係として待つ。分かったら照明弾を撃とう」
「頼む」と言い陰の下まで行く。
陰はやはり、揺蕩うだけで消える様子は無い。
「…魔力を感じます。どこか悲しそうな…」
「……まるで苦しんでるみたい」
フィーとセティの言う通りだ。
「分かってる。ずっと俺も感じていたからな…。だがどうすれば」
フィーの犬耳がピッと立つ。
「ご主人様! 魔力が集まってきます!」
「何だと!?」
「いけません! 今すぐこの場から離れましょう! ここまでの禍々しい魔力…呑み込まれでもしたら!」
フィーの言葉はそれ以上続かなかった。
ーーー俺が持っていた“ソロンの魔術辞典”が独りでに開いて、あるページを示したのだ。
「殲滅魔法…“アタラクシア”? 使えとでも言うこと…!?」
…そう言うことなのか? アイツ……
「…良いわ…! ご主人様!」
「御二方! 私とセティが魔力を抑えます! その間に!」
…。まさかこの時のことを予知していたのか? …考えられなくはない…が、いや、今は眼の前のことに集中だ。
「「ーーーッ!!!!」」
意識を…集中させていく。
『時氷の杖』を使った時のように、彼女の意識のに自分のものを同調させていく。
『ラハヤ…スロヲワハ…!』
『ラハヤ…クスニキ…!』
フィーの詠唱に続ける形で詠唱する。
「きゃあっ!? 私にも感じることの出来るこの濃密な魔力…ここまでの力を、流石は…ッ!!」
『ラオチサ、ヌオガブラギリロヲ!』
『ラオチサ、ヌコキブラギリロヲ!』
ーーー詠唱の言葉が自然と頭の中に入ってくる…!?
『ナヤハニハ、“フィリアーナ・エル・オープスト・タチバナ”!』
『ナヤハニハ、“ユヅル・ルフ・オープスト・タチバナ”!』
詠唱に…名前?
『『ンウノヴイ、ナグリセユヌウスミチハタ!!』』
手を繋ぐことでニ人分の魔力回路を形成、俺とフィーの体内を魔力が激しく駆け巡る。すると身体が燃えているかのように熱くなり、魔法陣が展開。発動態勢に入った。
「…た、隊長殿! アレを見ろ!!」
「……あ〜成る程な〜って、何やってるんだあいつらは!? 知影ちゃんが怒るぞ!?」
「そう言う問題では無いだろう!!」
下でレオンとユリが何か言っている…知影がどうこうと聞こえたな。
『呼んだ?』
…本気で謝らんといかんかもしれんなこれは…!
「いきます!」
「あぁ…!!」
…はぁ、なんでこんな展開になるんだろうな。その内燃え尽きて真っ白にならないか心配だーーー
『『ーーーアタラクシア!!!!!!』』
展開された巨大な魔法陣。それが陰を押し潰す。
陰は霞むように消えていき、まるでこの世界全体を照らすかのように光が広がっていく。
その中、ユリが撃った照明弾が俺達の足下で発光した。
「お〜い! 何か知らんが艦に戻れるようだぞ〜!」
降りてみると転送装置が。
…タイミング良過ぎないか? いや…こんなものなのだろうか。
「じゃ〜細々とした話は全て後回しにして今はさっさと帰るぞ〜!」
全員が同じ気持ちだったのか、転送装置に魔力を込めていく…転送準備完了。
「よ〜し! 行け〜!!」
「何でだぁぁぁっ!!!!」
…置いて行かれた。
「え? え? 何で私がここに?」
隣には何故か知影。何故だ。
「ご主人様が転移する直前、何かがご主人様の転移を阻みました。またその際、ご主人様と何らかの魔力の繋がり…つまり、ご主人様の心を覗くことが出来る私や知影が巻き込まれたのだと思います。ですが…」
フィーが視線をある人物に向ける。
「………………………………」
「彼女が居る理由が全く分からないのですが」
視線の先には風音が。
「私とフィーナの共通点と言えば…弓弦に対して“そう言う感情”を持っていてプラス…」
照れたように両手で両頬を押さえる風音。見せ付けているように思えるのは俺の心がただ今大絶賛暗雲模様であるがためか。
「「キスをした人間」」
二人がジト眼で俺を見る。
「ご主人様、いつ風音とキスをしたのですか! …思い返せばそのようなタイミングは…あったわね…ぇっ!」
「風音さんが弓弦と二人切りになった時と言えば、昇進試験中のあの時…!? あ〜っ!!」
「…私には意味が全く分からないのですが」
困惑した表情をしている彼女に、フィーが詰め寄る。両者の距離は中々に近い。
「あなた、ご主人様とキスをしたわね?」
「それは…はい」
「…薄々とは思っていたけど確定ね。ご主人様と言う人は…」
「うぅ…何と言うか、すまん」
…不可抗力…とは、言えないか。
「じゃあ早速、風音さんを殺そっか♪ フィーナだけだったらまだ良いよ、でもね…これ以上弓弦の近くに女の子は要らないんだ…。ただでさえフィーナが来てからと言うもの、弓弦が私に構ってくれる時間が減っちゃったのに…もっと弓弦に構ってもらえなくなるなんて嫌だから…ね。だって私は弓弦の奥様なの…正妻よ正妻、フフフッ♪ さ、これ以上女は要らないから申し訳ないけど死んで」
「うわぁぁっ!? 止めろ知影! 早まるな!」
眼が笑っていないのにその表情は満面の笑み。正に、狂気だ。
「私は弓弦のためを思ってやっているのよ! 止めないで!」
「落ち着け! 良いから落ち着いてくれ!」
弓に手を掛けた知影を背後から羽交い締めに…彼女の病みっぷりにも困ったもんだ! くそっコイツ…力強いな!
「知影。私達の夫であるご主人様はあまりの魅力的過ぎる人だと見方を変えるのよ! これからも絶対増えていくのよ!? キリがないわ!」
「嫌なの!! これ以上弓弦を誰かに取られたくないよ! 殺したい! 殺したくてしょうがない! フフッ、弓弦のためなら私は鬼になれる! この身の淵から沸き起こる狂気に身を任せて凡ゆる障害を排除するの!! 邪魔しないで、そいつ殺せないッ!!」
…狂気の沙汰だ。
「…私がここで自刃すれば落ち着かれるのですね…分かりました。それでは…」
風音が薙刀の刃を自らの胴に当てる。
こっちも狂気の沙汰! 冗談じゃない!!
「フィー! 風音を止めてくれ!」
「は、はい!! 止めなさい風音!! あなたらしくもない!」
「その女は私が殺すの! 勝手に死なれては困るわ!!」
「あぁクソ、いい加減にしろ!! 何でそう仲良く出来ないんだよ! 今がどんな状か分かっているのか! 三人が三人共、人より賢いくせになんで分からないんだよ!! 何でそんな自滅するようなことをするんだ馬鹿馬鹿しいッ!!」
「理性と感情は別!! 頭で分かっていたとしても許せないの! だって弓弦が他の女に取られたら私はどうすれば良いの!?」
「どうもこうも無いだろう! お前自分がどれだけスペックの高い女子か自覚しているか! 殆ど男の理想を詰めるだけ詰め込んで具現化したような人間だろうが!」
どれだけ学校で人気があったことか。二つ名まである辺り、相当なんだぞ……!!
「知らないよそんなこと!! 私にとって自分のスペックとか男の理想とかそんなことはどうでも良いの! 私にとっては弓弦が全てなの! 凡ゆることにおいて優先順位一位は弓弦! 何が何でも弓弦! 弓弦なの!! これは全て君のため! お願い分かって!!」
「俺のためを思うのなら落ち着いてくれ! このまま風音を刺したりなんかしたら俺は知影と一切口を利かんぞ!!」
「そ、それは嫌! 弓弦に無視され続けたら私…私は…っ」
しゃくり上げ始める知影。い、いかんやり過ぎた…っ! 一々泣かせる直前までいかなきゃ俺は説得出来ないのか…!?
「…すまん、意地悪が過ぎた。大丈夫だ…俺が知影を嫌いになるなんて、絶対に無いから安心しろ」
肩を震わせながら大人しくなった知影をそのまま優しく抱きしめる。
「分かってるよ…でもね? 口に出したらそれが本当のことになってしまいそうで…怖いの。もし弓弦が私のことを嫌いになったらなんて思うのが…そう言うことを考えている私が…心の中では君のことを信用していないみたいで…」
「ならそういう時は遠慮無く俺の心を覗いてくれ。そう言う時だけだぞ? そこんとこ間違えないようにな」
…もしかしたらそのために俺達はそれぞれ互いの心を覗けるのかもしれないな…なんて、そんなことはないか。考え過ぎだな。
「うん! 弓弦だぁい好きっ!」
『フフフ…計画通り♪』
…おい。…でもまぁ、良いか。“大好き”の部分は少し聞き覚えがある言葉だが。
「…先程の言葉は私達全員に向けて仰った言葉と受け取っても良いですね?」
「私もそう受け取りますが宜しいですか?」
「人間、信頼関係が第一だからな。その代わり俺も覗かせてもらう時もあるからな?」
…と言っても、気が引けるからな。あまり覗く訳にはいかないが。
「私は良いよ。寧ろ覗いて♪」
「全てご主人様に考えが筒抜け…はぁ、はぁ…っ♪」
「私はお恥ずかしながら少し…抵抗がありますね」
「少しなのか?」
「えぇ、少しだけですよ。私ごときの心を覗いたところで弓弦様にとって得となることはありませんから」
『クス…覗いても無駄ですよ?』
…チッ。
「さて、じゃあこれからどうする? インカムを持っていたセティとレオンは居ないからアークドラグノフと通信が出来ない…。“シグテレポ”も無理そうだから、このままここで待ってみるか? それとも、周辺を探索してみるか?」
最初この世界に来た時のような禍々しい魔力は消えて、今は清々しいほどの青空の下、穏やかな風が魔力と共に吹いている。
今の状態のこの世界なら、普通に生活していけそうな気がする。
「この辺りに拠点を作って、暫く滞在しながら周辺の探索をするのが俺的には良策だと思う。三人はどうだ?」
「そうですね。当分はこの場を動かない方が向こうからしても探し易いはずです。…知影と風音はどうかしら?」
「私は良いよ」
「私もです」
「よし、なら先ずは役割分担といくか。拠点製作、情報収集、食材採取に分けるとするか。 それぞれニ、一、一に分けた方が良いな…と、言うことでくじ引きだ」
妥当な判断だと思いたい。と言うか、くじ引きにでもしないと話が纏まらないような予感しかしない。
氷魔法の応用で割り箸の代わりを作る…霜焼けにならないように注意しなければ。
「せーのっ!!」
じゃんけんをして勝った風音が最初に引く。
「…情報収集、ですか。はい、畏まりました」
次に知影が。
「拠点製作!! これで後は」
期待の込もった眼差しで俺を見る。
「…私も拠点製作みたい、ご主人様は食材採取ですね」
…だがフィーの言葉にがっくしと膝をつく。
「そうだな。なら俺は早速探しに行ってくる…この世界の食材に興味があるからな」
「では私も行って参ります」
風音の姿が一瞬で消える…ってどこだ!?
「後ろです…クスッ」
「…ッ!?」
背中と背中が触れる感触が一瞬あったあと、振り向くと既に風音はどこかへと消えていた…忍者かよまったく…。結局何がしたかったんだ?
「じゃあ拠点、任せたぞ」
「了解だよ♪」
「期待に添えるよう、頑張ります♪」
“クイック”をかけて食材の捜索を始める…と言ってもそこらに落ちているものでもないので…。
「“アカシックボックス”…っと、えぇと竿とクーラーボックスは…はぁ、あるんだな…」
俺が現在いるのは湖のほとり…やろうとしているのはそう! 釣りだ。
…本来はこんな予定無かったのだが、付近を倍速で通りかかった際良さそうな魚を見つけたので試しに釣り糸を垂らした訳だ。さて釣れるかどうか。
「…これだけ釣れば問題無いよな」
ーーー数時間後。
クーラーボックス内は氷と中々脂が乗っていそうな魚で一杯になっていた。小腹が空いてしまい、火を起こして小さめのを焼き、毒見ついでに食べてみたが普通に美味しかった。“何故か”焼いている時に近くを通った風音にもついでに食べてもらったが、美味しいそうだ。
…しかしどうしてあのタイミングで通りがかったのだろうか? 匂いに誘われてきた…トカ、いやそれは無いか。
それにしても困ったものだな…。風音が何か情報を持ってきてくれることに期待したいがまぁまだ一日、上々たる結果でなくてもまだ問題無いだろう。少なくとも食料の確保さえ出来ていれば。
久々の閑話休題
じゃあ戻るとするか…倍速で。
…………………そう言えば、ここにどうやって来たんだろう。
* * *
弓弦が帰る道を見失って途方に暮れるその数時間前。
風音は木の上に立って木の葉で隠れながら、魚を焼いている自らの主人の様子をこっそりと見ていた。
「…そろそろいけそうだ。いただきますっと」
補足としてだが、彼女がここにいるのは所謂偶然というものだ。情報を得られそうな人を探している際に煙が上っているのを発見し、もしやと思い来てみたら弓弦が楽しそうに竹串を刺した魚を焼いていたので何となく、何となくそっと覗いているだけだ。
「熱っ…だがうん、美味いな! これはあいつらも喜ぶな! そうと決まったら…!」
…と言いつつも再び釣った魚を焼き始める弓弦。
「(クス…ッ今夜のおかずは豪華になりそうですね。拠点予定地よりかなり離れた場所ですが…短時間であれほど釣り上げてしまわれるとは…)」
この時風音は弓弦に集中するあまり、あることに気付いていなかった。
そう、決して彼女が重いからとかではないはずなのだが乗っている枝が折れ掛かっていたのだ。
「……」
ーーー結果。
「(…あ、釣り糸を垂らされました。様になっていますね……)」
ポキッ。
「ーーーえ?」
枝が折れて木から落ち、地面に尻餅をつく風音、当然弓弦に気付かれないはずもなく。
「…クス、このような場所で何をなさっているのですか弓弦様?」
弓弦の視界内に入る前に素早く立ち上がり埃を振り払って偶然通り掛かったように装う。女将とは、いついかなる時も迅速な行動を行わければならないのだ。
「風音か…。まるで何かが木から落ちたような音がしたが、わざと俺に気づかせるために大きな音を立てたのは感心しないな。魚が離れていってしまう」
「…申し訳ありません」
「…まさか風音、そこの木から落ちたとかはないよな? あそこの木の枝が分かり易い程に折れているからまさかとは思う…いや、何でもない」
失言といわんばかりに口元を押さえる弓弦に、細められた瞳から鋭い視線が向けられる。
細められた瞳ーーー即ち、ニッコリだ。笑顔を絶やさないことは、社会を生き抜く上で大切なのである。
「…今、何を仰りかけたのですか? まさか私の身体が…重いとでも?」
「そんなことは言ってない。大体、風音は…こんなにも軽いんだから、重そうだと思う訳ないだろ?」
風音を抱き上げて、そのまま高く上げたり少し下げたりして自分の言っていることが間違ってないか確認する弓弦。しかし遊ばれている風音からしてみればたまったものではないので、下ろしてもらう。
「…不意打ちでああ言った類のことは禁じ手です。それを抜きにしても、断り一つ入れずに女性の体を持ち上げられるなど…配慮に欠けるとは御思いになりませんか?」
笑顔が怖い。
「まぁ配慮が足りなかったのは認めるが、どうにも風音が木から落ちたのが信じられなかったからな。じゃあ、そこの木は…ん? …弱っているな」
そう言うと、弓弦は先程風音が乗っていて枝が折れた木の下へと行って幹に手を当てる。
「フィーが言ってたな。確か弱っている木には魔力を込める…っ!! だったな」
フィーナ曰く、自然を癒すのはハイエルフの能力の一つであり役割でもあるらしいが、弓弦はこの時初めて自然を癒すーーー自然に魔力を込めることを行った。
「何をなさったのですか? 心なしかかその木が活性化しているように思えるのですが」
吹く風に揺らされ、幹が揺れる。すると緑葉が静かに音を奏でた。
「風音にも分かるか? 木に魔力を込めてみたんだ、折れたままじゃ可哀想だからな、枝を伸ばすためのちょっと手伝いをしたんだ。自然の生命は大切だからな」
「ですが、魚は召し上がりになるのですね。あの魚、そろそろ焦げますよ?」
「おっと、危ない危ない。それは言いっこ無しにしてくれ」
風音に魚の焼き過ぎを指摘された弓弦は急いで焼いている面を裏返して塩を振る。
「そうだ。焼けたら風音も食べるか? さっき一匹食べたけど中々どうして美味かったぞ」
「是非とも頂戴します」
「よし、…“アカシックボックス”っと、ならこれに座って少し待っててくれ」
弓弦が“アカシックボックス”で彼が座っているのと同型のアウトドア用の椅子を取り出す。風音は弓弦の椅子の隣に渡された椅子を置き、それに座って焼かれている魚を眺めた。
「この世界について何か収穫はあったか?」
「申し訳ありません…」
「そうか、まぁまだ一日だ。そう上手くいかなくても仕方が無いな…。よし、焼けた」
弓弦は魚を火から離して風音に差し出す。
「これは…鱒に似ていますね。塩が効いていて美味しいです」
焼き魚を食べての一言。
「物事が上手くいかなくても今食べているこの魚は美味いだろ? …何が言いたいかと言うと、取り敢えず美味しいものを食べて生きてさえいればきっと何か良いことがあるはず…と言うことだ。ま、一つ一つの失敗引き摺っていても仕方無いんだな、これが」
「…クスッ、上手いと美味いをおかけになったつもりですか? 少し寒いです」
「…そうか」
本人としては自信があったのか、風音の言葉に落ち込む彼の姿を見て焼き魚を食べ終えた彼女は、彼の犬耳を掴む。
驚いて犬耳を押さえながら離れた弓弦は犬耳をピンと立てて少し潤んだ瞳で彼女を睨む。
「風音! 寒いのは分かったからいきなり人の耳を掴むな! 驚くだろうが!」
「クス、申し訳ありません♪」
「絶対悪いと思ってないだろ! ほら! 魚を食べたのならさっさと情報収集に行ってこい! 下らないことに時間を無駄にするな!」
「承知しました。ではこれにて」
風音は弓弦に一礼をするとその場を離れる。
森や平原を疾走してただひたすら人の営みの跡地を探す…時々休憩も兼ねて立ち止まり、方角を確認してから再び走り出す。所々魔物らしき姿を遠眼に窺えるが敢えて放っておく、無駄な殺生は彼女の望むところでは無いからだ。
『〜〜♪』
弓弦が居る方角に向けて意識を集中すると、風音の頭の中に楽しそうな弓弦の鼻歌が聞こえるような気がした。未だ何一つ手がかりがつかめない状態の中、自らの不甲斐無さにどうしても焦り掛けてしまう風音の心を落ち着かせるのは彼の声だ。 それを聞くだけで彼女は身体の奥底から力が湧き上がるような感覚を覚えた。
「クスッ…(心の声が聞こえるというのは面白いものです。フィーナ様や知影さんの謎行動の原因はこれだったのですね)」
思い返してみれば…フィーナも知影も時々急に身悶えする時があった。突然顔を赤くしたり、くしゃみをするかのように手で口を隠す。きっとあれは弓弦の心を覗いていたのだろうと風音は分かった、今の風音自身がそうだからだ。
突然弓弦の声が聞こえなくなったら無性に気が落ち込むし、再び聞こえてきた時や自分のことを考えてくれている時などどうしても口角が上がってしまう。
普段は女将らしく、努めて冷静な態度をとることが出来るのだが…弓弦の前では不意打ちで女将という仮面を割られてしまう時がある。そして、女将の仮面を外したらそこにいるのは少女である風音が出てくるのだ。
ーーー彼の言動一つで一喜一憂するそんな一人の乙女、風音に。
「…っ!? クスッ、私といたしましたことが少々意識が飛んでいたみたいですね。では、もうひと頑張りです!!」
思い返すあまり、普段より長い間意識を手放していた風音は呼吸を整えると、再び走り出した。
「…むぅ」
「お~?」
「……むぅ」
「ユリちゃん、どうかしたか~?」
「隊長殿…っ!?」
「?」
「あ、いや、その……失礼するっ!!」
「忙しいな~。早い早い。もう姿が見えなくなったな……? ユリちゃん何か落としていったな…。これは…花弁? お、こっちにもある…って、意外と辺りに散らばっているな~。花弁千切って一体何をしていたんだか…う~ん、さっぱり分からんな! お、何だ何だ~? 花弁に何か書いてあるな~。『異世界に取り残されてしまった弓弦達。元の世界へと戻る術を探そうにも、それは雲を掴むようなものであった。じっくり腰を据えて事に当たろうと彼等が計画したのは、異世界での生活であったーーー次回、拠点建築!?』…拠点を造るのか。秘密基地みたいで良いな~!!」