隊長 前編
俺とディオが食堂に着いた時、食堂は早くも人で賑わいつつあった。
時刻は昼頃だと言うのに、今から酒盛りを始めようとばかりの盛況振りだ。乗組員は机の上に並べられた食事を前に、舌鼓を打つべくまだかまだかと落ち着きを見せない。
そんな『アークドラグノフ』の食堂は、どちらかと言うと「レストラン」の印象に近いだろうか。食堂内は、腹の虫を騒がせる香りで一杯だ──等と考える内に、腹が減った。
ここを訪れた者は、メニューから食べたいものを選んで店員に注文する。食べ終わった後に会計を済ませて帰るのが一連の流れであり、日常。料理を作る手間が省ける憩いの間だ。
勿論、「レストラン」らしくデザートの種類も豊富だ。シャーベット、パフェ、ケーキ──和風デザートが無いのが寂しいが、それでも甘党の舌を唸らせられるだろう。
ああ、腹が減った。
「へ~…。昼過ぎにここまで人が集まっているのは珍しいね。アナウンスからそんなに時間は経っていないはずだけど」
賑やかな景色には、ディオも驚いたようだ。
それよりも腹が減った。腹が減って…倒れそうな気分だ。
「あぁ…そうだな……」
人でごった返している食堂内で座れる場所を探していると。
「よーし! 報告終えた奴から早めに席着けよ~! お前さん達全員が報告終えて席に着かないと、色々出来ない事があるからな~、頼むぞ~!」
──等と、物凄く緩い言葉が離れた所から聞こえた。
食堂に来た人間に、急拵え感のあるお立ち台から声を掛けているのは、この部隊の隊長レオン・ハーウェル。自らの危険を顧みず、俺達を助け出してくれた命の恩人でもある。
無造作に伸ばした黒髪と、碧玉色の瞳が特徴だ。先程の間延びした発言から分かるかもしれないが、お酒が大好きで気さくな人物だ。
…いや、間延びした発言からは微妙に分からないか。
「達成するのに僕が数日かかってしまうような任務でも、ほぼ必ず一日で戻って来る。本当に尊敬出来る人だよ…」とはディオの弁だ。
言われて見ると、その立ち振る舞いに隙が無い。武人の気配を漂わせており、実力者であることがハッキリと分かる。
言うなれば、多くの戦場を経験している強者の気配を感じる。
今はまだ遠く及ばないかもしれない。いや、まずもって及ばないだろう。考えるまでもなく、ボコボコだ。
だが実力者だとしても、いつかは超えてみたいとは思う。
壁があるなら乗り越えてみたい。山があるなら登りたい。
──ぐぎゅるううう。
「……」
『…お腹空いてるんだねぇ。私のこと食べる?』
そして、穴があるなら入りたい。
「良〜し! 今居る面子は全員集まったな~? んじゃ、新入りを紹介する。弓弦~こっち上がって来~い!」
そう言うとレオンは、俺に向かって手招きした。
アレだろう。今流行っている招き猫の物真似だろう。それか…片手だけでも羽ばたかせて空を飛ぼうとしているのか? 何て無茶な。
『…弓弦君…招き猫は今流行っている訳じゃないと思うけど』
そんな冗談はさておき。
どうやら壇上で俺のことを紹介するようだ。
マジか…。あまり人前に出るのは、目立ちたがりみたいで好きじゃないんだが…はぁ。
だが行かないのもマズいので壇上に上がる。
すると、視線が注がれた。俺のことを見定めるような視線、ただただ気になるらしい視線、興味深そうな視線──。
うわ…結構な人に見られているな、俺…。緊張してきたぞ…?
「もう知っている奴も多いが、コイツが昨日からこの部隊に入ることになった橘 弓弦だ~。…弓弦、面倒臭いとは思うが一応挨拶しとけ、な〜?」
レオンの隣に立つと、肩をガッシリ掴まれた。
拘束完了、逃げ道無し。
諦めて俺は小さく深呼吸をする。
こう言うのは決まって、第一印象が大切だ。だから噛まないように注意しないと…。
「橘 弓弦だ。『趣味は読書と料理です』…よろしく頼みま『しゅ』」
そんなことを思わなければ良かったと思う、今日この頃。
勝手に唇が、突然思惑とは別の言葉を紡いだ。
くそ、やられた! やってしまった…。よくもまぁ、人の頑張りを無駄にするようなことを平気で良くやれるものだ…はぁ。
『~♪ 起きて早々弓弦分補給完了! …まったく、ちゃんと起こしてよね? さもないとまた悪戯するよ?』
少し前から起きてただろうが。具体的には、不覚にも俺の胃袋が騒いだ辺りから。
まさかあれ…寝言か? 寝言だったのか?
起こせと言われても。起こし方も分からないし、起こす気もなかった。そもそも起きていると思っていた。
…皆笑ってるし。とんだピエロの気分だ。「しゅ」って何だ、「しゅ」って…まったく。
『可愛いよ弓弦♪ 私ご飯何杯でもいけちゃうっ♪』
勝手に食ってろ。
それよりも問題…と言うかカチンときたのは。
「ぷ…っ」
盛大に笑いを堪えてるディオ。
後でシメてやろうか──静かな殺意が湧いた。
「…で〜。取り敢えずコイツには、後で試験を受けさせるからな。来れる実行部隊隊員は来るように。んじゃ~解散! と、ビールを持って来~い!!」
何てことを考えている内に、挨拶は終わったようだ。
たちまち食堂はオーダーの声で騒がしくなり、レオンは壇上で胡座を掻いてビールを煽り始めた。
俺もディオと一緒に適当な席に着く。
「うぐっ!?」
ついでに精一杯の感謝を込め、ディオの頭を小突いた。
「な、何だよいきなり…」
「迸る感情の赴くままに、心からの感謝を込めてみた。まだ欲しいか?」
「…て、丁重に辞退させてもらうよ……」
ストレス発散も程々に。
相変わらず腹が減っているので、メニューに眼を通してみることに。
──意外にも読めた。と言うか、日本語だ。
良く良く考えてみると、日本人じゃありえないような自毛の面々が当たり前のように、流暢に日本語を話しているのも不思議だ。
俺にとっては周りから、当たり前のように聞こえた日本語。
駅や街を歩くと分かるのだが、耳慣れない言葉を聞いた時は、自然と気になってしまうもの。
しかし今はどうだ。メニューも、耳に届く声も、日本語。俺にとって慣れ親しんだ母国語だ。
だから、意識していなかったら気付けなかったかもしれない。
『言われてみると確かに不思議かも。違う言語って異世界のお約束なのにモドキ通訳も無いし、コンニャクも食べていないはずだけど』
取り敢えず注文を済ませた。
言葉は問題無く通じているし、聞こえる言葉は明らかに日本語。片言でもない。…言語の問題は、謎が謎を呼ぶってヤツか。
良く分からないから、良く分からないことにしておく。そう言うことにしておくのが一番かもしれない。
考えても答えが出そうにない以上、そっとしておいた方が混乱も少ない。「何故? どうして?」と疑問を持つのも、確かに知識を深める上で大切なポイントではあるんだが。残念なことに俺の頭は、突き詰めて考えられる程の優秀さはなかった。
『私が考えておこうか? 私、天才ですから』
どこの花道だまったく…。
『思い当たることはあるんだけどね。確信が持てないから考えさせて』
彼女が天才だろうが天災だろうが、俺にとっては同じようなもの。
だが思い当たる節があると話す辺り、流石の頭脳だ。
「(天才…か)」
『天妻!? 天妻って言った今!? “天女のように美しく可愛い俺の妻”って言ったよね!! やだ、恥ずかしいよ…キャッ♪』
程無くして運ばれてきた料理を堪能する。
ハンバーグとサラダ、コンソメスープ、白飯。ありきたりな組み合わせ。
だからこそ、美味い。空腹を満たそうと、がっつかない程度に食べ進めていく。スプーンにフォーク、箸まで何故かあるため、食べる道具には困らない。
美味い。あぁ美味い、美味過ぎる。空腹は最高の調味料とは、良く言ったもの。瞬く間に皿の上が片付いていく。
『私の名前は橘 知影。私は奥様あなたの奥様愛しいあなたの天妻です♪』
天才と名乗る彼女。
確かに彼女は天才なのかもしれない。だとしても、その頭の回転を、こんなどうでも良いことに使われなければな…。
ここまで来ると呆れを通り越して、最早感心の域だ。宝の持ち腐れではあるが、宝の価値は秘宝レベル。美しくて可愛いのは認めるが、妻の部分は全力で不定したい。断固拒否、願い下げとはこのことで。
『妻じゃない…そっか、まだ結婚してないもんね。弓弦君の年齢が法律に引っ掛かるから』
そう言う問題でもないと思うのは、言うべきなのだろうか。
それに結婚することが前提と言うのもどうなのだろうか。
疑問は湧くが、一つだけ確かなことがある。
夢見がち乙女とは、恐ろしい。
『夢見る少女じゃ居られない♪』
無視。
「ごちそうさま」
脳内彼女の相手をしつつも食べ進めていたら、完食していた。
空腹は満たされ、とても良い気分だ。
ゆっくり一息吐いて椅子に凭れると少しだけ、眠気を覚えた。
何とも幸せな身体だと思いつつ。隊員服のポケットに、そっと手を差し入れる。
「……」
そして気付く。
橘 弓弦、ただ今絶賛一文無しだった。
「あ、お金は僕が払うから。先輩面、させてよ」
「ん、あぁ…すまない」
「良いよ良いよ」
伝票片手に会計へと向かうディオ。
しかしごった返す程の人口密度は、当然のように食事終了時間を重ならせた。
レジから伸びる列の最後尾に並ぶディオだったが、会計を済ませるのは少し先のこととなりそうだ。
ディオが自分の後ろに立った隊員と親しそうに話している姿から視線を外し、俺は一人物思いに耽た。
──お人好しなディオ。彼の好意に甘えるのは、これが初めてではない。それはまだ俺が、この艦で使えるお金を持っていないためだ。
レオンが言うには、今度渡してくれるそうなのだが…。それがいつのことになるのかは別問題として、いつまでも奢られっ放しになるのは気が引ける。
早く貰えると良いんだが。そう考えてしまうのは、早く自立したい気持ちの現れか。
ここに俺の身内は居ない。突き詰めて言うなら、心の底から頼れる人が居ない。
これまでの人生の中においても。やれ友人だ、親友だ、と言っても俺からすれば、いざ頼ろうとしたら家族を選択してしまっていた訳で。
ここに家族は居ないんだ。かつての日常で、俺が心の拠り所にしていたものは、もう存在しない。
俺は…頼るものがなくても生きなければ、ならないんだ。
それは焦りなのかもしれない。分かっている。
だが分かっていても焦ってしまうのは──体良く言えば若さなのだろう。取り繕わなければ、幼さ、未熟さ…か。早く一人前になりたいと言った稚拙さだ。
『ねぇ、弓弦君…私は…』
力があれば…。そんなことを思いはするが、力があったところで…と考えてしまう。
それに正直なところ、これからの見通しも立たない。暫くはここに身を置くが、この先何をしていきたいのか。それについても考えていく必要がある。
兎にも角にも、生活基盤を整えていかないとな。そのために頑張ることにしよう。
後──。
『極貧生活でも大丈夫。そこに、愛があるから。愛は全てを救うのです…崇めよ、讃えよ…全ては愛の名の下に…っ』
取り敢えず、本気で静かにしてほしかった。
* * *
「はぁ!!」
ディオに案内してもらってやって来たVRルーム。早速その空間に入った俺はその世界観…と言うか、リアリティに驚かされた。
どこまでも広がるような地平線。
抜けるような青い空、厚みのある雲。見渡す限りの緑一面──そのどれもが、これでもかと現実味を帯びている。草を触った感覚とかもうそのままだ。そのまま過ぎて怖い。
『VRMMOが現実のものになるのもそう遠くない日が来ているよね、今』
「っ、そうだな!!」
脳内の彼女はのんびりとそんな会話をしているが、俺は今現在、一大事な状態だ。
それはもう大変、大事、正に一大事。
何たって俺は今、沢山の仮想魔物に囲まれていた。
右も、左も前も後ろも、狼だらけ。
獰猛に吠える魔物に襲われる中、生き残るために剣を構える。
『後ろ、来たよ!!』
「おわっと…ッ!!」
牙を剥き出して襲来する狼。背後からの襲撃を後ろに跳びつつ身体を捻りながら避け、剣を振るう。
荒々しい毛並みに剣を滑り込ませると、手応えを感じた。そのまま力任せに、振り切る。
「取った…ッ!」
切先から草むらに飛び散る、赤い雫。
少し遅れて、斬り裂かれた首が地に落ちる。
「(ナイスだ…知影さん!!)」
自然と、彼女の名を呼んでいた。
それは戦闘と言う行為が、俺の気持ちを昂ぶらせていたためか。
いやそれだけじゃない。
剣を取り、戦うこと。戦えること、生を実感出来ること──それが嬉しかったんだ。
まるでゲームのようだから。そんな子ども染みた理由もあるにはあった。それは否定出来ない。
だがもう一つ──こうでもして気合を入れなければ、命が脅かされている現状に呑み込まれてしまう気がした。
要は強がりだった。幼い男が、精一杯自分を強く見せるためだけの。
『ふふふ、攻撃予測は全部私に任せてね、全部予想して見せるから♪』
だが強がるだけでも、実力が必要。戦えなければ、強がる暇も無く殺される。
今この時、彼女が脳内に居て初めて感謝出来た。
的確な攻撃予測と、的確な指示。
文武両道が姿を成したとも言われた、『学校のプリンセス』の二つ名は伊達じゃないと言うことだ。
『さぁ次来たよ! 正面から!』
しかし驚いたのは、俺自身の身体能力だ。
動きが全然違う。自分でも、向上していることが分かる。
「ッ!」
『背中、狙えるよ!』
飛び退るようにして避けながら、標的を捉え損ねた魔物の背を捉え返す。
「くらえッ!」
グサリ。しっかりと貫いてから、剣を引き抜く。
今出来た後方宙返りからの斬撃なんて、以前の俺なら確実に出来なかった。
『何となくだけど、そろそろ一斉攻撃が来ると思う』
「(何体来ると思う)」
一応見本は居た。勿論ゲームと言う見本が。馬鹿げた身体捌きをする身内も、居るには居たんだが…。
だが見様見真似で出来る程、創作物の体術は簡単じゃないはず。プロのスタントマンが行うような身体捌きを、こんな高校生が簡単に…。
『五、六匹来るよ! 来たッ!』
予測通り、周囲から飛び掛かって来る狼達。
逃げ道は無い。なら、作れば良い。
「ッ!」
狙うは一点突破。
踏み込みと共に突き出した剣で、一体の喉を貫く。
『わぉ凄い♪ お先真っ赤っか♪』
そのまま突き抜けて包囲網を突破。
素早く切り返して、刃を振るうこと数撃。
血飛沫が飛び交う草原で、刃が舞う。
敵の動きが、眼で追える。
ただでさえスローに見えるのに、攻撃方法まで分かっていたら、負ける要素が無い。ドッチボールなら、一人で負け知らずになれそうだ。
だが普通は、昨日の今日で行えるはずがない。
何なんだ一体、こんな思うように身体が動くなんて…。
俺の身体、どうしてしまったんだ…?
これはVR空間の恩恵なのだろうか…?
不思議だ。不思議、奇妙で、不気味でさえある。
『秘めたる力が眼覚めたとか、どうかな? 今の弓弦君、竹刀を握っていた時に比べて剣の構え方とか違うから…。何て言ったら良いのかな、今の方が無駄な力が入っていなくて自然な構えの感じがするけど』
俺が教えられた剣筋は剣道の型とは違うものだったから、それはそうだ。
自分の本来の戦い方から敢えて変えているのなら、自然と動きはぎこちなくなる。真面に戦えるようになるまで、どれだけの経験が必要なのか──元々の戦い方と異なれば異なる程、困難を極めていく。
勝負の基本は間合いにあり。間合いが異なれば、感覚がまるで異なる。実力者同士の試合ならなおさらだ。
俺が今握っている、データが打ち込まれただけのこの剣。その長さ自体は扱い慣れたものだが、抜き身のために俺が教わった剣術の型は使えない。
型に沿った方が、重さが乗るんだが…。
『残りは一体、決めちゃって!』
少なくとも今の相手は、そこまでしなければ勝てない強さではない。
確実に一体ずつ仕留め続け、残った最後の二体。片方を袈裟状に斬り付けて瞬転。
下段に構えて刃の軌跡をイメージしつつ、徐に膝を曲げる。
全身の重心を、前へ。
柄を握る両手から、余分な力を抜いた。
他の力を全て、足へ──ッ!
「っ、ラストォっ!!」
脚力を、爆発させた。
踏み込みながらの斬り上げが皮を、肉を、骨を断って獣の体躯を縦に分ける。
ノルマの百体を倒し、試験は終了するのだった。
「レオン・ハーウェルか…」
『『アークドラグノフ』の隊長さん。カッコ良いねぇ』
「気に入ったのか?」
『私の一番は弓弦君。強いて言うなら、それ以外が大体二番になったりするだけで』
「…そうか」
『あ、大して関心無い時の返事だ』
「いや、何もそう言う訳じゃないが」
『だって声の感じがそうだった』
「…それで、だ。俺が一番だとでも言いたいのか」
『うん。だって息ピッタリだし』
「…俺が動き易いよう、上手く指示していただけだろう。息も何もあったもんじゃない」
『でも、指示に応えられるのは凄いよ』
「生き残るのに必死だっただけだ。で、レオンのことを話そうとしていたはずなのに、どうしてこう逸れていくんだか」
『…じゃあ、リィルさん呼ぶ?』
「長くなるから、止めとけ」
『でも呼ばないと、何かしっぺ返しがきそうな予感』
「さて、な。予告言うぞ。『乗り越えた壁の先には、より大きな壁が反り立っていた。壁の名は、レオン・ハーウェル。高速、かつ大質量で繰り出される斬撃の前に、弓弦はどう立ち向かうのか。勝敗の行方はレオンを不敵に笑わせる──次回、隊長 後編』…彼女が、眼覚める」
『リィルさん…。うーん、何か嫌な予感がする』