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俺と彼女の異世界冒険記   作者: 仲遥悠
最初の異世界
66/411

泡沫の日常、課されし試練

 静かな暗闇が、広がっていた。

 どこからか聞こえる、鳥の声。そして、久し振りに聞くような懐かしい駆動音が耳を打つ。

 挨拶を交わす人々の声が聞こえた。これもまた、どこか懐かしさを覚える。

 ただの声だ。それなのに、どうして懐かしくなるのか。

 少し考えてみる。


「…?」


 暗闇が少しだけ、明るくなった。

 世界が楕円状に広がっていく。

 自分が瞼を閉じていたことに気付いたのは、その時だった。


「ん……」


 朧気な視界に眼を凝らす。

 見知っているような、どこか覚えのある天井が眼に入った。

 白い天井。消灯状態の照明が、ポツンと設置されている。

 あぁ、やっぱり、覚えがある。

 身体をおこしてみると、既視感は強まる。


「……」

 

 そこは小さな一室だった。日当たりも、風通りも良好な部屋。

 勉強机には、参考書の山が。

 壁には、布に包まれた筒状の物が立て掛けられている。

 あぁ、やっぱり、間違い無い。間違えようがない。


「俺の……部屋……?」


 そこは正しく、かつて俺が──「橘 弓弦」が暮らしていた部屋だ。

 だけど、どうして今になって。

 この部屋は、もう存在しないはずだ。何故なら、この世界は既に、崩壊したのだから。

 俺は知影さんや、レオンと一緒にこの世界を後にして、機動戦艦アークドラグノフに身を置いて…。

 悪魔と戦って、知らない世界に転移して、そこでまた悪魔と戦って、フィーナと一緒に旅をして……色んな人と出会って…。

 この世界を後にしてからのことは、あまりにも現実味が無かったが、それでもはっきりと記憶に残っている。

 じゃあどうして今、自分の部屋に居るのか。

 何か、やろうとしていた気がする。

 そのために俺は一人──どこへ行った?


「…思い…出せない……」


 思い出そうとすれば、泡のように消えていく。

 手掛かりすら思い浮かばず、それどころか記憶の出来事さえどこか朧気になっていく。

 それでいて、俺が今見ている景色は、あまりにも現実味があった。

 頬を抓っても、窓の外を見てみても、スマホを見ても、何もおかしなことはない。

 かつての日常が、寸分違わず広がっていた。

 いやそもそも、ここは「かつて」と呼べるような場所なのだろうか。

 現実味どうこう言うのなら、記憶の中の出来事の方が──。


「夢……だったのか……?」


 その方が、妙に説得力がある。

 夢でよくある、突拍子も無いヤツだ。異世界転移、戦闘、魔法──あぁ、本当に突拍子も無い。

 そう考えてみると、驚く程に腑に落ちた。

 成程。高校生にもなって、随分面白おかしい夢を見ていたものだ。

 少々、捉えどころのない痛みを覚える程の。


「…流石に、ゲームや小説に入り込み過ぎたか」


 俺は眼の前の景色を受け入れることにした。

 悩んでいても、ぼーっとしていても、時間が過ぎることは確かだ。

 夢の内容がどうであれ、俺にはやることがある。

 時計を見れば、朝の6時を指している。

 曜日を見れば、今日は朝の当番の日だ。

 つまりこの時間は俺にとって、勝負の始まりとなる時間だ。いや、正確には朝と言う時間帯そのものが勝負か。

 急いで整容に向かうため、俺は部屋を後にした。


* * *


 天守閣の間に、男の怨嗟の声が響き渡る。

 殺意は刃に宿り、風音の背中を貫いていた。


「「……ッ!!」」


 背後から左胸を、一突きだった。

 情け容赦の無い、正確無比な死への誘い。


「…フー…ッ!!」


「イヅナ…っ」


 今にも駆け出しそうなイヅナの肩を、力強く掴む。

 その小さな肩には、これでもかと言う程の怒りが込められていた。


「(どうしてむざむざと刺されているのよ…っ!?)」


 風音の身体から、何度も剣が現れる。

 男は刺す。何度も、何度も。

 その狂気に血走った瞳に、歓喜を灯しながら。


「(それが、あなたの覚悟だったと言うの? 風音……!!)」


 ここで倒れることが──命を落とすことが、覚悟だったと言うのか。

 噛み締めた唇から、血の味が滲んだ。

 私の中で、怒りが湧き上がっていた。

 あの男を許さない。必ずこの手に掛ける。

 魔力マナを高めながら、臨戦の構えを取る。

 ただそんな状態でも動かなかったのは、風音の瞳がまだ生きていたからだった。


「……音弥、それがあなたの答え……ですか…?」


 風音は刺されているにも(かかわ)らず、どこからそんな声を出しているのか分からない程に静かな声音で、男に問い掛けた。


「あぁそうだよ!! 化物を全部殺して、僕は皆から讃えられる英雄になる! 『真音』の奴がなりたがっていた英雄だよ!!」


 対して男は荒々しい口調で、再度風音の左胸を刺した。

 誰の眼にも分かる、止めの一撃だった。

 風音の身体から力が抜けていくのが分かる。


「僕がなって、真音の夢を叶える!! 誰にも、誰にも邪魔をさせるものかぁぁぁぁぁッ!!」


 男が剣を横に薙ぎ払うと、風音の身体が擦れた。

 全力を込めたのだろう。勢い余ってすっぽ抜けたのか、剣が手を離れて床に落ちる。


「づぁっ!?」


 否。離れたのは剣だけではない。

 剣を握っていたはずの右腕までもが、床に落ちていた。


「あ゛ぁぁぁぁぁぁっ!?!?」


 噴き上がる血飛沫。

 男の右肩から先が、刹那の内に切断されていた。

 耳障りな悲鳴を上げながら、男は肩を押さえている。

 突然の出来事に二人揃って眼を白黒させていると、男の背後に人影が現れた。


「…ならば、私は咎を背負いましょう」


 聞こえるはずのない声が、静かに響いた。


「あ゛…っ!?」


 男の絶叫が、ピシャリと止んだ。

 先程までひたすら刺されていた風音の身体が炎に分かれて霧散すると、男の首筋が何やら光っていた。

 それは、朱色のかんざしだった。

 炎の色を反射しながら煌めくかんざしが、華奢な手によって握られ、男の首を貫いていた。


「…あなたと言う咎を」


 声と同時に、かんざしは引き抜かれる。

 膝から崩れ落ちた男の背後に立っていたのは、風音だった。

 どこか寂し気な視線で男を見下ろす彼女の手には、血に染まったかんざしが握られている。


──ボゥ…ッ。


 程無くして、男の身体が青白い炎に包まれる。

 まるで天へと誘うように男の身体を燃やし、皮を、骨を溶かしていく。

 火の魔力(マナ)のようで、どこか違う炎。

 私が知らない炎は、男も跡形も無く燃やして静かに消えた。


「力に溺れた者の末路はただ一つ……真音も、貴方も……」


 ──後から聞いた話によると、「真音」と言う人物がかつて存在したそうだ。

 あの男や風音を含めた三人の子ども達の運命は、ある日一振りの剣にて捻じ曲げられた。

 それが、『カースソード』。幼き日の風音が、父の技術を真似て鍛えた一振り。

 才能溢れる彼女であったからこそ精製出来てしまった剣は、偶然にも力が宿ってしまった。

 それが、魔法を封印する力と、持ち主を剣の魅力に取り憑かせてしまう力。

 普通ならば、あり得ない。眉唾ものの話と言って良い程だ。

 幼子が、親からやり方を教わったからとは言え、魔剣を打ててしまえるのなら──大工の子どもが親の技術を見様見真似で模倣し、一人で家を建てることの方が、まだあり得る。

 しかし、出来てしまった。それ故に、悲劇が起きた。

 魔剣の力に気付いた風音の父によって隠されたはずの剣は、偶然にも「真音」に発見され──彼を剣鬼に変えた。

 剣の魅力に取り憑かれるまま、人の命を殺め続けた「真音」はやがて討たれ、魔剣は喪われた──はずだった。

 それが何故か「音弥」の手に渡って起きてしまったのが──今回の騒動だった──と。

 

「…さらばです。音弥……」


 振り返ること無く私達の下へと戻った風音は、いつもと変わらないような張り付けた笑顔で、こう続けた。


「御待たせ致しました。では戻りましょうか」


「…風音」


「…もう良いのね?」


「えぇ。…もう、十分です」


「そう…なら、私から言うことは無いわね」


 辛いことを必死に隠している彼女の微笑みを見ると、そう返すことしか出来なかった。

 想い入れがある人物を手に掛けると言うのは、どのような大義名分があるにせよ辛いもの。

 彼女は、優しい人物だ。

 人の死なんて、割り切れることに越したことはない。

 だけど優しいが故に、馴染みの人物の死を「咎」として背負い、これから生きていくつもりなのだろう。


「なら、帰るわよ」


 でもそれは、これからの先の話。

 今はまだ、先にやることがある。

 あの人の帰りを待つために、私は帰還を促す。


「はい」


 風音も、今はもうこの場所には居たくないらしく、小さく頷いた。

 人が集まる前に、帰らなければ。

 私と風音が天守閣を後にしようとする中、


「……!」


 イヅナだけが、弾かれたように振り返った。


「イヅナ?」


 何か忘れ物でもしたのかしら。

 怪訝に思いながら振り返った私達の耳に、


「勿体無いなぁ…」


 突然の声。


「「……ッ!?」」


 気配無き声に振り向くと、男の消えた後に例の子どもが立っていた。

 得体の知れない、謎の存在。

 姿が見えないと思っていたら、私達の背後に立っていた。


「あーあ、勿体無い」


 振り上げた手から溢れる、禍々しい魔力マナ


「どうしてくれるのさ」


 振り下ろされた指の先には、イヅナが立っていた。

 耳をつんざくような轟音と共に、イヅナに向かって電流が迸る。


「イヅナッ!!」


 直線上の間に、咄嗟に私は割り込んだ。


「くぅッ!?」


 即座に展開した魔法障壁は、瞬く間にひび割れ砕け散る。

 凄まじい余波に襲われた私は、無様にも吹き飛ばされていた。


「フィーナ様ッ!!」


 襖で背中を強かに打ち付ける。


「ぐ…っ」


 漆黒の雷だった。

 魔力(マナ)が禍々し過ぎるから黒く染まっているけど、元は“プラズマアロー”と言う魔法なのが分かった。

 雷属性初級魔法…それをここまでの威力で放てるなんて…あの子ども、只者じゃない──!


「まだまだ雑魚だからと思って見逃していたら……よくもまぁ」


 苦悶に顔を歪める私を嘲笑うように、子どもは吐き捨てた。

 その身に纏う穢れた魔力マナは、おおよそ人のものとは思えない密度を有していた。

 圧倒的な魔力マナは、なおも溢れ続け、子どもの身体を重力の束縛から解放していく。


「折角面白そうな玩具が出来たのに…壊してくれちゃって」


 その背中には、一対の羽が生えていた。

 鳥とは違う、力強さを備えた黒翼が。


* * *


 両親が家を空けていることが多いため、我が家の家事は当番制を導入している。

 そして担当が割り振られている家事の一つに、朝食があった。

 今日の朝食当番は、俺だ。因みに、四姉妹と俺の五人で当番を回している。

 もう一人兄さんが居るのだが、兄さんに作らせるぐらいなら俺に作らせた方が良い──なんて四姉妹全員の意見の下、兄さんは抜かされている。俺、長女、俺、次女、俺、三女、四女──ローテーションとしては、そんなところだろうか。

 俺の比率が多いが、そう気にすることではない。

 作って楽しみ、食べさせて楽しむ──であれば楽しみを胸に、身体を動かすだけ。そう思える分には、すっかり主夫根性が植え付けられていた。

 さて、何度でも言うが、朝とは一日の始まりにて、勝負の時間である。

 一秒一刻を争うとは、正にこのこと。

 リビングにある台所に立った俺は、朝食の支度をしていた。


──チリリリ…!!


 換気扇を回し、火の点いたグリルに鮭の切り身を投入。

 火の入り具合を確認しながら、切り分けた具材を煮込んだ鍋に自家製の味噌を溶かしていく。

 同時に卵を溶いて卵焼き器に流し込んだ。

 グリルとコンロの三刀流。これが俺の基本形だ。多少慌ただしくはなるが、こうでもしなければ俺が満足しない。

 いかに効率良く、いかに美味しく栄養満点の朝食を用意出来るか──それは、戦いなのだ。


「ふぁ…おはよう、ユ〜君」


 そうしていると、リビングに新たな人物が入って来た。

 用意している朝食は六人分。自分以外の五人が揃うまでに朝食の支度を済ませられるかが、勝負の分かれ目だ。


「ん、フィーか。茶碗に皆の分のご飯よそってくれ」


 夢の影響もあったのだろう。

 何気無く口にした名前は、夢に出て来た女性のもの。

 あまりに自然に出てきたものだから、自分が一瞬何を言ったのか分からなくなった。


「(あれ、俺今…何を……)」


 具材に十分な火が通った味噌汁の火を落としながら、背後を振り返る。 


「…フィー?」


 そこに立っていたのは、勿論フィーではなかった。

 それもそのはずだ。ハイエルフ──ファンタジーの代名詞のような彼女が、こんな日本の某所に居るはずがない。

 張り付けたような笑顔でこちらを見てくる人物は、俺の六歳上の姉──橘 優香だった。


「…ユ〜君、その名前…少し詳しく訊かせてほしいのだけど…?」


「あれ、俺何か言った?」


「え、俺?」


 固まった姉の表情を見て、ふと思う。

 そういえば、いつの間に一人称が「俺」になったんだろうな。

 元々、学校以外では「僕」って言っていたはずだが…。あぁ、これも夢の影響だろうか。


「…ユ〜君…もしかして…彼女出来たの? フィーって、彼女!?」


 夢にしては、随分と色々な弊害が出ているものだと思う。


「…ど、どうしてそんな話になるんだよ!」


「だって急にオラオラ系になるんだもの。…そう言うのは、時間と…場所を…ね? …今夜とか」


 因みに優香姉さんは、妙に打たれ弱いと言うか──ある意味打たれ強いと言うか、こう言っては何だが、少々特殊な性癖を持っている。

 弟に冷たく当たられると、逆に嬉しそうな素振りを見せるのだ。

 弟限定のマゾヒストと言うのは中々危険な思想だと思うが、彼女を示す表現としては、これ以上無い程に正しい。

 今この時も、直前の流れを彼方に追い遣り、期待の宿った視線を向けてきていた。

 丁度良い。話を逸らすには好都合だ。


「まぁ、覚えていたら」


「…楽しみが増えたわ」


 どこか満足そうに茶碗にご飯を盛る優香姉さん。

 俺の本心としては、特に何かをする訳でもなく、夜は寝るだけなのだが。彼女は俺に何やらされることを楽しみにしたらしい。

 もっとも何もされなくても、程々であれば放置プレイだとかで楽しめてしまうのが彼女だ。我が姉ながら、色々と心配でならない。


──ガチャ…。


 次に扉の音がしたのは、料理を更に盛り付けている最中のことだった。

 入って来た人物は二人だ。


「…忙しそうね、杏里姉さん」


「あはは、昨日はちょっと夜更しし過ぎちゃったかも。ふぁ…ぁ……」


 美郷姉さんと、杏里姉さんという珍しい組み合わせだった。

 そう言えば、今日一番に起きてきたのは優香姉さんだ。

 いつもなら、長女の杏里姉さんが最初にリビングに入って来て俺を手伝ってくれるため、今日は中々珍しい状況だ。


「…うわ、朝から一汁三菜って…どんだけ張り切っているのよ、キモいんだけど」


 一方、橘家で最も早起きなのは美郷姉さんだ。

 優香姉さんよりも一歳歳上の橘家次女の一日は、町内のランニングから始まる。

 一っ走り終えると汗を流すためにシャワーを浴び、スーツ姿でリビングに入る──それが、彼女のルーティーンだ。

 今日も今日とて、美郷姉さんはスーツ姿だった。ノリの効いたスーツに包まれた出で立ちは、下手な男よりも男らしく、さながら劇団の男役すら完璧に務まってしまいそうだ。


「こら美郷、嬉しいのは分かるけど、そんなこと言わないの」


「だ、誰が嬉しいって言ったのよ!? 別に嬉しくなんかないわよ!」


 基本的に口調が厳しいけど、美郷姉さんはとても根が優しい。

 「キモい」と口にしながらも、誰よりも早く朝食を平らげて、誰よりも満足そうに家を出て行く。

 そんな姉さんは、棘のある言葉とは裏腹に素直にお腹を鳴らしていた。


「…な、何よ…。朝なんだから、お腹ぐらい空いていて当然でしょ!?」


 変に反応を返すと食って掛かられそうなために、他の姉さん達の忍び笑いを横眼にしながら、俺はそっと聞き流すことにした。


「ほらユ〜君、早く作りなさいよ! 遅いわよ! 遅過ぎる!!」


 しかし反応の有無に拘わらず、結局絡まれる運命である。

 勢い良く椅子に腰掛けた美郷姉さんは、腕組みしながらこちらを睨んできていた。


「ふふ、早く食べたいだって? ユ〜君」


「んなっ、優香!?」


「も〜、二人共言い争いしないの。美郷、木乃香呼んで来て」


「…今座ったばかりじゃない」


「美郷」


「う…仕方無いわね」


 因みに姉妹の力関係は、長女である杏里姉さんが断トツで上だ。

 にこやかに話す彼女だが、時折有無を言わせない迫力をまとうことがある。

 その言葉の前には、誰も逆らうことが出来ない。

 美郷姉さんは渋々とリビングを出て行った。

 程無くして戻って来た彼女に続いて、小柄な影が部屋に入って来た。


「…おはよう…です……!?」


 一家の最年少、木乃香は寝惚け眼を擦っていた。

 恐らく起きたばかりなのだろう。欠伸を噛み殺しながらリビングを見回した彼女は、突然我に返ったように部屋を出て行った。

 これで四姉妹は揃った。

 後は一番上の恭弥兄さんだけだが、起こしに行く者は居ない。

 何故か兄さんは、姉妹に嫌われていた。

 真面目で誠実な人なのに、どうして嫌われているのだろうか。幼い頃からの謎だった。

 

「そう言えば、恭弥兄さんは?」


 誰も起こしに動く素振りは見せないため、俺は手を止めた。

 と言っても、もう全員分の料理は盛り付け終わっていた。

 手早く洗い終えた調理器具を片付け、兄さんの部屋に向かおうとする。


「昨日の遅くに家を出て行ったよ。職場からの呼び出しじゃないかな?」


「そっか……」


 優香姉さんの言葉を裏付けるかのように、携帯を見れば「ご飯は残しておいてくれ」との通知が。

 夜中の通知となっており、一種の置き手紙のような内容になっていた。

 俺は恭弥兄さんの分だけ冷蔵庫に入れておき、姉達が待つ食卓へと向かう。


「弓弦お兄ちゃんのご飯だ…♪」


 丁度一通りの整容を済ませた木乃香も戻って来たため、家族一斉に手を合わせるのだった。


* * *


 声変わり前の、甲高い声。

 子どものように無邪気な声なのに、その立ち姿は不気味過ぎた。

 これでもかと言わんばかりの警鐘が脳内で響き渡る中、私は苦悶に顔を歪めていた。。


「退屈だから少し遊ぼうよ」


 天守閣に現れた闖入者は、先程絶命した男の側に居た子どもだった。

 あまりにも不気味な子ども。理由も無く、私とあの人が恐れていた子ども。

 姿が見えないと思っていたら、どうやら私達の戦いを観察していたらしい。

 全くと言って良い程に気配を感じなかったのに、今では圧倒的な存在感を放っている。

 子どもの容姿に似つかわしくない気配を感じた私の脳裏に、とある言葉が浮かんでいた。

 そう──「悪魔」と言う単語が。

 あんな年端もいかないような子どもが、ご主人様が仰っていた【リスクX】の悪魔の一体だと言うの…!?


「大丈夫ですか!?」


 風音に抱き起こされて立ち上がるけど、若干身体は痺れていた。

 防御魔法で受けるだけでも、相当身体に悪いみたいね…犬耳の毛が荒れちゃうわ。


「……悪いわね、風音」


「貴女様が、格もやり込まれるとは……」


「上には上が居るのが現実よ…悔しいけどね……」


 少しやり合っただけで分かってしまう。

 あの得体の知れない存在は、あのバアゼルよりも格上だ。

 真正面から戦えば、最悪の場合は全滅も視野に入れなければならない。

 こんな時に、あの人が居てくれたら──。


「…っ、あなたは何者なの!?」


 心中の弱音を飲み込み、私は誰何の声を上げた。


「ぁ…ぁっ──」


 その隣で、イヅナが身体を震わせていた。

 睥睨する悪魔の視界に、小柄な体躯と感情の高まりによる魔力(マナ)が映っていた。

 そして、


「──お前ぇぇぇぇッ!!」


 爆発。イヅナが吠えた。

 激情を顕わに抜刀し、悪魔の前に躍り出た。

 大人しいはずのあの子が、どうしてあそこまでの感情を──!


「あ〜あ、怖い怖い。そんなに僕が憎いのかい?」


「黙れ…ッ」


「やだなぁ、そんなに怒らないでよ」


「煩い!!」


 裂帛の気合と共に、イヅナが踏み出した。

 抜き放たれた刃が、悪魔に向けて振るわれる。


「お前が…!」


 緋色の刃が煌めく。

 怒りの炎を乗せて、眩く輝きながら。


「邪魔」


 鬱陶しそうに振り払われた手から生じた風に、小さな身体は掻き消えた。


「お前が…ッ!!」

 

 彼女の姿は、悪魔の頭上にあった。

 振り被られた刀が、横一閃の軌跡を描く。

 何と速い一撃なのだろうか。悪魔の首を狙った、鋭い一撃だ。


「鬱陶しいなぁ」


 しかしそんな一撃は、振りあげられた悪魔の腕に防がれる。

 薄皮一枚の障壁だ。けれどその強度は、私の展開したものより何倍も強固だ。

 互いの魔力マナの衝突が周囲を破壊し尽くす中、障壁を展開させていない方の悪魔の腕が、イヅナの顔を掴んだ。


「──ッ!!」


あれだけ見せ付けた(・・・・・・・・・)力の差が、まだ分からないの?」


 悪魔は嘲笑と共に、イヅナを凄まじい速度で壁に叩き付けた。


「……ぅぐ…っ!!」


「僕はお前のことを知らないけどさ……弱い癖に何度も歯向かわれると、目障りなんだけど」


 翡翠色の瞳が、見開かれた。

 怒気が強まり、視線込められた殺気が強まる。


「…ッ!!」


 声無き声だった。

 けれど私の耳には、ハッキリと届いていた。

 力無き己と、眼前の敵への憤怒──そして、


「…あの二人は兎も角君は別だ。殺しちゃっても良いよね?」


 ──助けを求めるか細い声が。


「行って、風音!!」


「焔の舞!!」


 イヅナを掴み上げる悪魔の身体の足下から、瞬く間に炎が噴き上がる。

 逃げた気配は無い。圧倒的な存在感を炎の中に感じる。


「その子から手を離しなさいッ!!」


 まだ痺れの残る身体を奮い立たせ、炎ごと悪魔の腕を斬る。


「そこですッ!」


 風音の追撃。

 振り下ろしからの横薙ぎが、炎の柱を十字に切断する。


「おっと……」


 悪魔は炎から跳び退っていた。

 掴まれていたイヅナは解放され、苦しそうに首を擦りながらうずくまった。


「(…風音!)」


「(畏まりました…!)」


 私は風音に目配せしてから、イヅナを抱えて戦線を離脱する。


「…ぁ…か…は…っ」


「待ってて、すぐに回復魔法を…!」


 イヅナの首筋には生々しい圧迫痕が出来ていた。

 尋常ではない力の名残に肝を冷やしつつも、急いで回復魔法の詠唱に入った。


「やだねぇ、血気盛んで。ちょっと首を絞めただけじゃないか」


「口を慎んで頂けませんか? …些か不快ですので」


 牽制役を担う風音の薙刀に、炎が宿る。


「へぇ、随分個性的な火魔法だ。君、何か──」


「“烈焔波”!!」


 薙刀から放たれた複数に及ぶ炎の斬撃が、悪魔の口を噤ませる。

 凄まじい速度の斬撃だった。一太刀一太刀が空気を捻じ曲げるような轟音を上げて襲い掛かっている。

 悪魔は忌々しそうに顔を歪めながら、報復とばかりの雷を放っていくも、風音は大きく蛇行しながら全て避けていく。


「なら、これはどうかな!」


 広げられた悪魔の翼から、漆黒の光弾が無作為に放たれる。

 自分の下へと迫るものだけを難無く避けていく風音だったけど、複数の光弾が途中で静止していた。


「(どうして…?)」


 不気味な静止に、私の中で警鐘が鳴る。

 その原因を探ろうと視線を巡らせていると、あることに気付いた。


「そぉら…!」


 静止した光弾が、いつしか風音の周囲を囲んでいることに──!


「風音、危ない!!」


 声を上げたのはイヅナだった。


「死んじゃいなァッ!!」


 直後。静止した光弾が意思を得たように、一斉に風音へと迫る。

 光の包囲網は、完全に風音の動きに追従していた。

 このままでは数発の被弾は免れられない。

 私の脳裏に最悪の光景が過ぎる中、イヅナの声に顔を上げた風音は、自らに制動を掛け、


「ッ!!」


 一気に加速しながら悪魔の懐に飛び込んだ。

 全方位から迫っていた光弾は空を切り、壁中を穿っている。

 唯一前方から風音の動きを捉えていた光弾は、縦一文字に斬り裂かれていた。

 

「へぇ、やる」


 喉元を狙った風音の斬撃は、軽く避けられる。

 自らの下へと迫ることは予想していたのだろう。悪魔は上体を反らしながら風音の腹部を蹴り付けた。


「…くっ!」


「ははっ! 良い顔だ!!」


 苦悶に顔を歪める風音を嘲笑いながら、そのまま足を掴む。

 足を失った風音の身体が地を離れ、大きく振り回されていく。

 意識を刈り取りかねない勢いのままに、風音は壁に向かって投げ付けられ──壁の寸前で、猫のように身体を切り替えした。


「……っ」


 衝撃のあまり片膝を突いてしまったのは、イヅナの治療が終わるのとほぼ同時だった。

 たった一人で、あの悪魔相手に囮を努めた。その身体能力の高さは、やはり一旅籠屋の女将だとは思えない。

 ただ、体勢を整える時間は十分に稼いでくれた。


「…風音、ありがと」


「いえいえ、当然の務めですよ」


 私達はそれぞれの得物を手に、悪魔と相対する。

 私の一撃に加え、風音との戦いを経たはずなのに、悪魔には傷一つ付いていない。

 手応えはある。それが勝利の手応えかと言うと、そうではないのだけど。


「さぁ…行くわよ!!」


 それでも私達は、負ける訳にはいかない。

 視線を交わし、戦意を胸に、悪魔に立ち向かっていった。

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