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俺と彼女の異世界冒険記   作者: 仲遥悠
最初の異世界
65/411

散りゆく者へのけじめ、送る者としての覚悟

 澄み渡った青空を、西へ、西へと飛行する。

 仲間と離れ、ただ一人。ふと考えてみれば、若干の寂しさを覚えなくもない。

 だが、俺には一人で行動しなければならない理由があった。

 脳裏に思い起こされる、夢の中での出来事。

 フィー達が『霞の森』で俺を守るために戦っていた時──俺は夢の中でとある存在と邂逅していた。

 その存在には、随分と驚かされたものだ。

 はっきり言って、夢であってほしい。ほら、夢って大概突拍子も無いものを見たりするのだから。

 だが俺が見た夢は、夢にするには中々現実味を帯びており、強い予感を抱けるものだった。

 招待。そう、あれは言うなれば招待だ。

 俺はとある場所にて、恐らく俺を待っているであろう存在の下に向かっていた。

 本人(?)がわざわざ夢に出て来てまで言ったのだから、待っていることについては信じられるものがある。

 いや、信じるというのもある意味おかしいかもしれない。何せ相手が相手だ。信じるなどと言う言葉とは無縁の存在に思えなくもない。

 しかしそれでもその存在は、俺を待っているのだろう。

 そして俺は、その存在の招きに応じる必要性がある。

 何せ、色々と因縁のある相手だ。

 考えようによっては、俺とフィーの命の恩人(?)になる、なってしまうのだ。

 それがもし、その存在──“ヤツ”の気紛れであったとしても、それは事実。

 だったら、借りを返さないといけない。無下には出来ないのだった。


「…運命さだめくつがえす…か」


 俺は夢の中で耳にした、不思議な言葉を口にする。

 夢の中で“ヤツ”が俺に言った言葉。俺が引っ掛かっている言葉。

 陳腐な文句だ。だが、決して冗談で言っている素振りではなかった。

 その言葉が、何意味するのか。

 決戦の地──この世界での冒険が始まった地に向かっている俺は、夢の中での出来事を思い出していた。


* * *


 その声は、突然俺の睡眠を奪っていた。


「ふむ…この蜜柑なる果物かぶつ、美味だ」


 寝起きが悪い人、と言う存在は集団の中に一定数居る。

 寝起きと言うのは、休息からの覚醒だ。一日の中で基本的に行われる行為であり、誰しも経験があるものである。

 さらにその中には、二度寝を嗜む者が居る。

 幸せな時間が続けられるのなら、続けようと思ってしまうのが生物の欲。故に、二度寝は行われる。

 その傾向は、寝起きが悪い人程顕著だ。一度起こしたとしても、次の瞬間には寝入っている。まるで弄ばれている気分にさせられるものだ。例外は居るが。

 誰しも疲れている時はある。誰しもまだまだ寝足りない時がある。それでも、起きなければならない瞬間と言うものは必ず存在するのだ。

 かく言う俺も、弄ばれていた側の一人だ。人が折角朝食を準備したと言うのに、中々起きてくれない身内が居たのだ。

 その寝起きの悪さたるや、起こしに来た人を布団の中に引き入れる程。

 その後しっかりホールドされるものだから、アレで何度寝かしつけられたことか──いや、今はそんな思い出話に浸る時じゃない。

 兎に角突然聞こえた声は、例え寝起きがどんなに悪い人物であろうと一瞬で覚醒させてしまいそうな衝撃を孕んでいたのだった。


「……」


「この炬燵こたつというのも中々…乙なものよ」


「……」


「改めて長考すると人間と云うのは、真に興味深き存在よ。…其処で何を呆けている? 貴様も入れ」


「『何をしている?』はこっちの台詞だぁぁぁっ!!」


 考えてみてほしい。

 二度に渡って死闘を繰り広げた敵が、炬燵に入りながら悠々と蜜柑を食べているのだ。

 おまけに、当たり前のように俺にも炬燵に入るように促してくるなんて、あり得るか? いや、普通あり得ない。

 しかも地味に親し気だ。確かに知り合い──の枠には入らないこともないが…。


「…で、何の用だ。夢に出てきたと言うことは俺に、用事があるんだろ? 早く言ってくれ」


 俺は思わず入れてしまったツッコミを誤魔化すように咳払いをしつつ、取り敢えず炬燵に入った。


「(おお、暖かい)」


 思わず炬燵にほだされそうになったが、今はそんな悠長なことを考えている時ではない。

 数多の疑問を胸に、蜜柑を剥いている存在──人間体のバアゼルを睨み付けた。

 炬燵に入って蜜柑を向く、筋骨隆々とした眼光鋭い白髪の男。

 和んでしまう自分が居るのは、何故だ。


「此れでも食せ。急いても好事こうじは無い」


 そんな視線を気にも留めていないのか、バアゼルは蜜柑を差し出してくる。

 橙色の、瑞々しそうな蜜柑。手にしてみると、思ったよりも重さがある。

 一つ口に運んでみると、これが中々美味だ。


「…ん…美味いな」


 程良い甘味と酸味のバランスが炬燵と言う快適空間との相乗効果を生み出し、心を落ち着かせる。

 って落ち着いたら駄目だろ!? 因縁の敵との再会と言ったら、もう少し緊迫感があっても良いのではないだろうか。

 だが現在、そんなものとは縁遠い雰囲気が漂っている。

 ただただ穏やかな時間が流れており、俺は他に寛ぎの足しになる何某かを自然と探していた。


「…ほら、お返しという訳ではないが」


 視界の端にポッドと急須と茶葉が映った。

 爽やかな緑茶の淹れられそうなセットだった。

 炬燵、蜜柑、茶。これぞ素晴らしき自国の文化である。

 蜜柑の代わりとばかりに、熱めのお茶を二人分交互に淹れて渡すことにした。

 何故茶淹れセットがあるのか、蜜柑があるのか、炬燵があるのか、バアゼルが要るのか──訳が分からないが、この空間に存在していると言うことだけは確かだ。あるのなら、活用する。

 茶の淹れ方に関しては、身内がうるさかったから多少の心得がある。丁寧に丁寧に湯呑へと注ぎ、バアゼルの前に差し出した。


「…ほぅ…美味だ」


 茶を一口啜っての一言。

 気に入ったようで何よりで、俺も少し口に含む。


「ふぅ…」


 口に含むと爽やかで、それでいて深みのある味わいが広がる。

 まぁ自画自賛だが、結構な手前だ。これは良い茶葉だ。


「さて…我が此処に居る、理由だったか……」


 もう一度啜ると、バアゼルが徐に話を切り出した。


「決着を着けようではないか。貴様等も、我を残したまま世界を離れるのは心苦しいだろう?」


「決闘…いや決戦の申込みってところか。…だが、何故だ。お前の目的は何だ。そこまでして、お前に何のメリットがある」


「得…か」


 バアゼルは新しい蜜柑を剥く手を止めた。

 そして俺の眼を見据えながら、


運命さだめを…くつがえす」


 意味のわからないことを言った。


「…は?」


「貴様は一度、運命さだめに抗った。そして…今を勝ち得た。其れが未来か、又は歴史であったとしても…貴様は抗った」


「未来か…歴史?」


 何だ、その妙に不安を呼び起こされる表現は。

 だが俺の疑問に返答は無く、バアゼルは淡々と続けた。


「我は貴様に可能性を見出した。此処に存在している事こそが、其の証左であるが故に」


「…可能性? 何の可能性だ」


 蜜柑を一口に、茶を最後まで啜り終え、バアゼルは立ち上がった。

 語る言葉は既に語り終えたとばかりに、俺に背を向けた。


「決戦の地にて待つ。我が誘いに応じるか否かは貴様次第だ」


「お、おい!」


 離れて行く背中は、やがて闇に消えていく。

 追い掛けようとするよりも早く、俺の意識は遠退いていった──。


* * *


 夢はそこで終わった。

 衝撃的な内容だったが、現実でも衝撃的な出来事があったために考えている暇は無かった。

 あの時は外でとんでもない魔法を使用しようとしていたフィーを止めるためだけに意識を集中させていた。しかし落ち着いてからよくよく考えてみると、謎が謎を呼ぶ──と言った感じだ。


「…(さて、到着だな)」


 この世界の中心に位置する島。

 そこに広がる森の奥深くにある、そこは広場。小さな広場。

 二百年前の決戦の地であり、そしてこの世界での物語が始まった場所。

 何の因果か、俺はそこに戻って来た。あの時と違うのは、そこにつm…もとい、フィーが居ないこと。

 この世界に来たから色々あったように思えるが…。全てはここから始まったんだな。


「‘始まりの場所が終わりの場所…か、本当にゲームみたいだな’」


 ありがちな展開だ。

 だが、使い古されているのには理由がある。

 人の名言が、ごくごく当然なことを切り取ったものであるのなら──使い古されているのは、王道だからだ。

 まさか俺の冒険も、そんな王道染みたものになるとはな。運命とは皮肉なものだ。


【…ほぅ】


 そんな俺独白に反応したかのように、声が聞こえた。

 次いで、前方の景色が歪む。滲むように、渦を描いて。


【ほぅ…興味深い事を云うではないか。正に、その通り】


 そうして奴は、現れた。


「バアゼル…!」


 夢の中でのような眼光の鋭い人間体とは違う、蝙蝠(こうもり)型の悪魔。

 黒き鋼鉄を思わせる肉体、畏怖を覚えさせられる両翼。

 赤き瞳に睨まれると、まるで心臓を掴まれているような心地にさせられた。

 正直、夢であってほしいと思う自分が居た。

 空振りで終われば、それでも良い──そう思っていたが、残念だ。


【ク…又合間見えたな、賢人の片割れ。名は、弓弦だったか。先ずは我が誘いに応じた事に、礼を述べよう】


「…借りは返すタチでな。それが恩なら、報いもする…!」


 名前を覚えられていたことに驚きながら、俺は震える手を抑えるかのように剣を握り締めた。

 あぁ、一人でコイツと戦わなければならないのか。

 分かってはいたが、随分と心細いものだ。

 だが、俺は選んだんだ。奴との決戦を。


【我の眼に狂いは無いか…貴様が足る存在か。審判を始めようではないか…!】


 バアゼルの咆哮が、大気を震わせた。

 空が暗雲に包まれる。

 分かる。自然が、世界が、泣いているのだ。


「…審判…だと…!?」


 直後。一瞬にして俺の周囲が闇に呑み込まれる。


──貴様の覚悟を示せ。然も無くば、死…あるのみ。


 それがバアゼルの支配魔法だと判断した頃には既に、手遅れだった。

 俺の意識は鎌で刈り取られたかのように、抵抗する間も無く闇に包まれていった──。


* * *


 アークドラグノフに帰還した私達は、艦底にある転送装置の前でセイシュウさんに出迎えられた。

 そのまま一緒に隊長室へと向かい、状況の報告を行った。

 弓弦君のことが心配で心配でしょうがないけど、転送装置の前から担がれるようにしてここに連れて来られて、私としては不満だらけ。

 ユリちゃんが担いだんだけど、出来れば弓弦君にベッドまで担がれるのが良かったな……。


「…と、言う訳だ〜」


 一通り報告を聞き終えたセイシュウさんは、手元の書類に眼を落としながら小さく唸る。


「成程ね…じゃあ隊員がまた増えるんだ」


 その書類には見覚えがあった。

 確か、私や弓弦君が入隊した時に書いたものだ。

 書類は二枚揃えられており、後は記されるのを待つだけになっている。

 随分と準備が早いなぁと思いつつ、私は複雑な心境だった。


「ん〜…そいつは分からないな〜。あくまで本人の意思次第だからな〜」


「だけど…フィーナや風音と言う人達…弓弦君を心から信頼しているって感じがしました。…来ても…おかしくないです……」


 付いて来ちゃいそうなんだよね、あの二人。

 女の勘…と言うより、最早断言出来そう。弓弦君そう言うの断れないし。きっと…断りもしないだろうし。

 そんなこんなで、来ちゃいそうだなぁ。


「うむ。あの心酔振りは、中々のものだと思う。二人共…その……『ご主人様』と呼んでいたぐらいだからな」


「…え」


 セイシュウさんは口をあんぐりと開けた。


「何それ、どこのメイド喫茶」


 メイド喫茶、異世界にもあるんだ。


「因みに…どんな娘達だった」


「金髪巨乳美女と、黒髪和装美女」


「…何だって、黒髪和装美女と、金髪で、巨乳な美女…!? それが、ご主人様だって……っ!?」


「あぁ…ご主人様だ」


「……!」


 ゴクリと生唾を飲むセイシュウさん。

 真偽を窺うように、隊長さんと顔を見合わせていた。

 さながら「マジか?」、「マジだ」を視線で何度も交わしているかのようだった。

 繰り返す内にセイシュウさんは喜々とした様子になっていたけど、私達の冷ややかな視線に咳払いした。


「…男と言うものは」


「…だね」


 そんなに、ご主人様呼びが良いのかな。

 じゃあ私も弓弦君のこと、「ご主人様♡」って呼ぼうかな……?

 だって、「お帰りなさいませご主人様。本日はどうされます? ご飯ですか? お風呂ですか? そ・れ・と・も♡ 欲情のままに私をこの場で押し倒し服を引き裂いて身体も心も蹂躙してご主人様の男の魅力で私を大人の女にしてくださいはい分かりました玄姦ですねそれでは押し倒してください早く速く疾く捷く!!」って感じ、良くあるから一度ぐらいはやってみたいんだよねぇ…。

 …よくあるのかな。流石に盛り過ぎたかも。


「…そして二人揃って、相当の実力者だ〜」


「…それはまた。そんなに強かったのかい?」


 セイシュウさんの問いに私達全員が遠い眼をする。


「はぁ…弓弦君…逞しいなぁ……」


「「「……」」」


 あ、私は新婚生活に想いを馳せているだけだから気にしないでね♪


「三対一と言う、人数面では非常にこちらが有利だったのだが……」


「魔法の種類も威力も、反則級だったな〜…」


「子どもは沢山欲しいなぁ……一人産んだら次、もう一人産んだら次!! って感じで……」


「「「……」」」


 あ、子育てで弓弦の手はあまり煩わせないよ?

 弓弦はずっと愛の巣に居てくれるだけで良いの。後は私が全部、ぜ~んぶ、何とかするから…ふふふ。

 そう! 私は結構、色々と出来ちゃうんです。

 身体は弓弦のために毎日働かないといけないから、お金や他の人に働いてもらうとか。

 あ、でも。弓弦君イケメンだし、彼をプロデュースしてアイドルやらせるとか!? 「プロデューサーさん」って言われてみたくない!? ね!?


「プロデューサーさんだって…きゃっ♡」


 …あれ、何か違う気がする。


「…。あれ? その時シェロック中尉は?」


 私の反応はことごとくスルーされる一方で、新しく入隊するであろう二人についての話は続いていた。


「もう一人を個別に相手取って時間を稼いでくれたが、満身創痍だった。彼女でも時間稼ぎが精一杯だったようだ」


「にわかには信じ難いね。まさかあの子が……」


 セイシュウさんは情報を事実として飲み込むように、生唾を飲んだ。

 そうだよね…何故あれ程までに強いんだろう。ヒロイン補正掛かり過ぎにも程があるし、やっぱり私との扱いの差が酷いように思えるんだよね。

 片やボンキュッボン、方や、やっぱり私よりスタイル良いってどんな偏差値してるんだか。こう言う時に、異世界の広さってものを思い知らされる。

 私は私で、容姿にそれなりの自信はあったのだけど、いや、別に負けてはいないと思いたいんだけど…。


「だがそんな二人が力を貸してくれているのだとしても、相手は【リスクX】…たった一体で世界を滅ぼしかねない悪魔だ。…やっぱり今からレオンとクアシエトール中佐の二人だけでも……」


「そうしたいのは山々だったが、それを認めるような様子ではなかったな。申し出たところで、断られていただろう」


「セティちゃんを連れて行ってくれただけ十分だ〜。コイツに関しては、無事を祈るしかない」


 そう言えば弓弦君、何か帽子を被ってたよね…。

 あれ…? フィーナって人も帽子を被っていたような…?

 もしかして……? お揃い?

 そう言えば…お揃いだったような気が…あれ?

 なんで? なんで…? 


「そうか…君が言うのなら、僕は従おう。インカムは渡したんだよね? 彼等の帰還に備えて、色々準備をしないといけないか……」


 どうしてお揃い? なんで?

 しかも帽子? どうして帽子なの? 服とかじゃなくて?

 余計に腹立たしいんだけど……!?


「そ、そうだな~!? 大分お前さん達にも迷惑掛けたみたい…だ、し…し…しぃ〜……」


「た、隊長殿?」「レオン?」


 何それ? 私に隠れてこっそり二人で愛を育んでいました〜とか? え゜っ、そうだよね? 浮気? 浮気なの?


「知影ちゃんを…俺から…離してくれ…うぉぉ!?」


「い、いかん!」


「レオン、おい嘘だろ…?」


 ううん、弓弦君が浮気をする訳ないもの。

 きっとあの女よ、あの女が弓弦君の優しさに付け込んだの…そうに違い無い。だって弓弦君は私のことが好きなのだから。

 そうだよね…? だから…全部…ぜんぶ…あの女が悪いんだ…フ、フフフ…。


「あらー…?」


「た、隊長殿! 気を確かに! 隊長殿ぉッ!?」


「……おーい、気絶しないで業務やってくれぇ…」


* * *


 城への道すがら、私の脳裏で渦巻いているものがあった。

 まるで湯水のように、考えないようにしても次から次へと浮かび上がってくる。

 大丈夫。きっと無事に戻って来る。そう思いながらも、それ以上に不安ばかりが胸の内を占めてくる。


「(ご主人様はご無事だろうか…?)」


 私は西の空を見遣りながら、ユヅルのことを考えていた。

 ユヅル、私の大切なパートナー。互いの内を流れる魔力マナを分け合った存在。

 それは人間で言うのなら、互いの血を半分を分け合ったような関係。

 人が自らの胸に手を当てれば己の鼓動を感じられるように、私はあの人の存在を感じることが出来る。

 もしあの人の存在が消えるようなことがあれば、私の身を途方も無い喪失感が襲う。途方も無い──そう、自分を見失ってしまいほうな程のものが。

 大切な半身を失った人達の姿を、私は知っていた。

 勿論殆どの人は、パートナーの死を乗り越えていた。だけどその一方で、死を受け止められずに自らも後を追う人も居た。

 パートナーを失うことは、己の存在を揺るがす程のこと。

 だけど失うことさえなければ、常に繋がりを感じていられる。


「(ユヅル…無事かしら……)」


 それがどんなに嬉しいことか──安堵を噛み締めながら、私はもう何度目か分からない不安を吐息に込めた。

 同時に込み上がる、これでもかと言う不満。

 どうして一人で行ってしまったのよ。

 男のタイマンとか、プライドがどうとか、こうとか…。けれど邪魔するのも気が引けて……もぅ、遣る瀬無いわね。


「さっさと片付けて戻るわよ。こんな街、長居はしたくないもの」


「クス、そんなことを仰って…弓弦様の下に向かいたくて仕方が無い様子ですね?」


 隣を歩いている風音が茶化してきた。

 彼女と出会った街に戻って来た訳だけど、たった数日の間に随分親しくなった気がする。

 この女、丁寧そうな素振りをしているけど中々棘のある人物だ。

 言葉の内に棘を入れたり、人を茶化したり──きっとサディストなのね。私とは絶対に相容れない感じがするわ。

 何よ、人を見透かしたような態度をして。

 私は呆れの感情をこれでもかと込めた溜息を吐いた。


「…はぁ。馬鹿なことを言う前に、しっかりと精神を研ぎ澄ましなさい。魔法が解けるわよ」


「承知しています。ですので、魔法は解けていませんよ?」


 軽口を叩いているけど、風音の精神力は大したものだと思えた。

 今私達に対して発動している魔法が、一切揺らいでいないからだ。

 その魔法と言うのが──幻属性上級魔法、“イリュージョン”。

 姿と音を隠す幻の空間を作り出す魔法。

 便利な魔法ではあるけど、そうとも言い切れない特徴がある魔法だ。

 難点は被付与者の精神状況に、魔法の効果時間が左右されること。

 隠密行動に有用な魔法だけど、あまり効果が持続しない特徴がある。

 一度集中力が途切れると瞬く間に効果が消失してしまうし、そもそも魔力マナを視認出来る相手には効果が無い。少しばかり癖のある魔法だった。

 そんな“イリュージョン”を、私は街に入る直前に魔法を発動している。

 念のために効果持続を延長させる魔法も併用しているけど、それも元々の魔法が消失してしまったら元も子も無い。出来れば不必要な戦闘は避けたいところであり、あまり目立つ行為は好ましくない。

 誰にも見付からずに城へと辿り着けるよう、しっかりと集中力を維持する必要があった。

 最悪効果が切れても、再度山掛け直すことも不可能ではないけど、そこにも問題があった。魔法自体の消費魔力(マナ)も決して少なくはないのだ。

 人間達との戦闘で魔力マナを消耗していることもあり、これ以上の消耗は避けたいところだった。


「…そうね」


 それぞれに発動している“イリュージョン”の状態を確認してから、私達は城内に入った。

 昼間の城内は、仄かに料理の香りが漂っている。兵達は欠伸を噛み殺しながら、周囲を警戒している。

 昼時と言うこともあってか、交代で休息を取っているのだろう。兵の姿は疎らだった。

 隣を侵入者に通り抜けられているとは知らずに「異状無し」の応酬を繰り広げている警備兵を尻眼に、城の上階へと向かった。


「フィーナ様」


 木造の階段を昇る途中から、風音の纏う雰囲気が冷めていった。

 穏やかな色の消えた瞳は、まるでこれから起こる出来事を見据えているかのよう。

 彼女は有無を言わせない語気で、私の名前を呼んだ。

 

「止めは私が刺します。何卒手出しはなされぬよう…」


「えぇ、構わないわよ」


 私は二つ返事で了承した。

 彼女とあの男の因縁に興味は無い。だけど、あの男の剣の前に、私とイヅナは無力だ。

 彼女にはしっかりと前線を担ってもらわなければならない、私としては目的を遂げられさえすれば良い。

 あの男は危険だ。手にしている剣も、その思想も、傍らに佇んでいた子どもも。

 森の安全のためにも、男の野望を阻止することは急務だ。


「ありがとう御座います。…必ずや、あの男を止めてみせます」


 そんな遣り取りをしている間に、私達は天守への襖へと辿り着いた。

 周囲に兵の姿は居ない。それはきっと、あの男が心の底で他者を信用していないと言うことを示していた。

 信用出来ないから、従えるだけの力を求める──全く、愚かなものね。


「いよいよ、ですね」


 巨大な松の木があしらわれた大襖。この先に──あの男は居る。

 あの人はどうしているかしら? …いいえ、今は、眼の前のことね。


「えぇ、そうね」


「……油断は禁物」


 私達は互いの顔を見合わせながら、息を整える。

 魔法は解除した。魔力マナは、一戦交えるぐらいなら十分な量が残っている。

 腰に帯びた刀に手を添えながら、襖に触れた。


「行くわよ」


「はい」「…コク」


 ドンッ! 

 私は力一杯、襖を開け放った。


「な…お前達は…!?」


 中にはやはり、音弥と呼ばれる男が玉座に座っていた。

 鉄製の防具に身を包む様は、さながら将のよう。

 闇を宿した瞳で私達を捉え、驚愕に見開いていた。

 大方、私達は死んだものだと思っていたのだろう。慌てて、手元の剣に手を伸ばしていた。

 私達は忌まわしい人間の男を前に、それぞれの得物を抜き放った。


「…ご主人様を化物呼ばわりしたこと、後悔させてあげるわ…ッ!!」。


「……覚悟」


 一斉に駆け出す。


「させるか! 我が剣よ! その大いなる力をもって化物共の下法を封じよ!!」


 直後、男が剣の力を発動させた。

 闇色の光が部屋中を覆い、身体が重くなる。

 突然立つことも叶わない程の重りを載せられた感覚だ。堪らず私とイヅナはその場に崩れ落ちてしまう。


「く……」


「…身体が…ぅ…っ」


 悔しいけど、良く出来た剣ね。

 あの呪力は、さながら猛毒。魔力マナに敏感な存在であればある程身体を蝕まれ、動くことすら叶わなくなってしまう。私だけでは、あの時の二の舞だった……だけど、


「っ、任せたわよ!」


 今は風音(彼女)が居る。

 私達の隣を駆け抜け、一直線に男の下へ。


「畏まりましたッ!」


 跳躍。

 体重を載せた一撃が、男の剣と衝突する。


「お前はッ!?」


「…ッ!」


 剣戟音が響き渡る。

 まるで自分の手足のように薙刀を巧みに操る風音が、次第に男を追い詰めていく。


「ぐ…どうしてだ…!?」


 空気中の魔力マナが封じられて無くなれば、ハイエルフである私とイヅナは動けない。だけど人間なら、人間である風音ならこの影響は少ない。


「どうして僕は、お前に勝てないッ!? 英雄だぞ!? 選ばれし者の剣がァッ!!」


 着物をはためかせながら、踊り子のように美しい身体捌きで翻弄していく。

 男の剣を軽やかに捌く様が、両者の実力差を物語っていた。

 男が稚拙な剣を振るっている訳ではない。風音の動きがそれを凌駕しているだけだ。

 そんな芸当をどこで身に着けたのか。おおよそ旅籠屋の女将のものとは思えない動きに疑問が湧く。

 一筋、また一筋と男の頬に、鎧に、傷が入っていく。


「また僕の邪魔をするのか! 風音ぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」


 血走った眼で風音を睨み、怨嗟の言葉を口にする。


「剣よ! 『カースソード』よ!! 力をォッ!!」


 轟くような咆哮に、闇が応えた。

 刀身から迸った闇が、男の狂気を孕んで風音の四肢に絡み付いた。


「──ッ」


 闇に手足の自由を奪われた風音の瞳に、微かな動揺が走った。

 動きを封じられた。足は地を離れ、腕は締め上げられて鬱血していた。


「風音ッ!」


 私は思わず彼女の名を呼んでいた。

 決して長い付き合いではない。しかしその中でも、確かに同じ時を過ごしていた記憶が名を呼ばせていた。


「終わりだァァァァッ!!」


「…ッ!」


 風音の顔が、僅かに上がった。

 私の声が届いたようだ。手足に全身の力を込めているのか、四肢が震え始め──紅く、眩く輝いた。


「はぁ──ッ!」


 拘束しているはずの闇から、真紅の炎が噴き上がった。

 凶刃が今正に振り下ろされようとしている中、彼女の身体は解放され自由を取り戻す。


「焔よ…!!」


 四肢に宿りし焔が、薙刀に灯る。

 紅蓮の軌跡を描きながら、男の剣を迎え撃った。 


 ──ガィィィィィンッッ!!


 耳をつんざく程の金属音が響き渡る。

 しかし薙刀に宿りし焔は闇を焼き喰らい、天井を抉り、うねりながら暗雲立ち込め始めた空に昇っていく。

 それはまるで、龍が天に昇るようにも見えた。


「何…ッ!?」


 猛り狂う焔の衝撃は、男が得物を手放すには十分なものだった。

 熱波荒れ狂う中、空を舞う男の剣。

 無防備になった男に止めを刺すかと思いきや、風音は奇妙な行動を起こした。

 自らの髪を結っていたかんざしに触れると──それを静かに引き抜いた。


「…『カースソード(呪いの剣)』ですか」


 重力に従って降りた髪が、彼女の動きに合わせて静かに靡く。

 火の粉の舞う最中靡く黒色は、焔を浴びて赤味を帯びているようにも、灰のように白く染まっているようにも見える。

 その美しさに、私もイヅナも言葉を失っていた。

 しかし、眼の前の現象は正しく現実のもの。


「八年前の…真音と同じわだちを踏むとは…ッ!!」


「ご…ぉ…っ」


 薙刀の石突で鳩尾を鋭く突かれ、男が後退りながら苦悶の声を上げた。

 追撃するかと思ったら、風音は簪を静かに胸の高さで構え始める。

 繊細な造形の美しい金の簪は、雲の合間から降り注ぐ茜色の光を淡く反射していた。


「…こんな物ッ!!」


 風音が腕を振り払うと、簪が投擲された。

 一直線に呪いの剣へと向かう様は、さながら一筋の光。

風を切る鋭い音を上げながら、禍々しい刀身と衝突した。


──キィィィィンッ!!


 金属音が響き渡る。

 同時に不思議なことが起こった。

 簪から発せられた白銀色の魔力マナが、剣を包み込んだのだ。

 銀。それは、破邪の色。邪なるものを打払う、聖なる力──そう、あれは、破魔の力。


「や、止めろ…!」


 ピシリと、剣にヒビが入っていく。

 男の静止の声を呑み込むように白銀の光は輝きを増し、そして。


「在ってはならないのです!」


 風音が立てた柏手の音と共に、鏡のように砕け散った。


「ば、馬鹿な……」


 ヒラリヒラリと舞い落ちる鏡の欠片を、男は呆然と見詰めていた。

 剣を破壊する剣──俗に言う、「ソードブレイカー」と呼ばれる得物があるように、魔法具を破壊する魔法具は存在する。

 まさかあの簪も、魔法具を破壊する魔法具だというのか。

 しかも単なる破魔じゃない。どちらかと言うと、「破邪」。

 邪なる存在を退ける力が込められた、簪形状の魔法具なんて文献では見たことがない。


「(まさか、あれも自作なのかしら…)」


 魔剣の力が失われ、身体の自由が利くようになる。

 装束の裾に付いた埃を払いながら、私は立ち上がった。

 イヅナはちょこんと立ち上がり、静かに得物に手を伸ばす。

 風音は軽やかな身の熟しで簪を手にすると、袖の内に忍ばせる。

 形勢は、確定された。


「…ひぃっ!!」


 三人で男を囲む。

 それぞれの得物の切先を向けた途端、男は無様に床に頭を擦り付ける。

 そして耳障りな涙声で叫んだ。


「す、すみません! 許してください! 私、今やっと風音さんの言葉が分かりました! もうこんなこと止めます! 罪も償います! ですからどうか命だけはっ!!」


 剣が割れた途端、態度をガラリと変えて命乞いをする様はただただ滑稽だ。

 人の命をゴミのように扱っておいて、いざ自分がその立場に置かれてこの有様。

 しかし頭を擦り付けようとした直前、私達に向けられた瞳は憎悪を宿していた。

 その魂胆も見え見えで…反吐が出そうだった。


「後は私に任せて下さい」


 そう言うと、風音は男の首に薙刀を添えた。


「その人間を許すのかしら?」


 一応の確認だった。


「……」


 私が向けた視線を真っ直ぐ見詰め、風音は力強く頷いた。

 静かな気迫の宿った姿勢に、私は彼女の覚悟を読み取った。


「分かったわ、扉の外で待ってるわよ」


 私とイヅナは天守閣の入口で、二人の遣り取りを見守ることにした。


「…分かりました。では人々を混乱に陥らせたことの謝罪と、東の森の聖域化を御願い致します。…一国を担う者としての責務、果たして頂けますか」


「はいっ! しますっ!」


「…では、外に出ましょうか」


 風音が背を向けた瞬間、予想通り男の瞳に殺意が輝いた。

 顔が醜く歪む。


「………あいつっ!!」


「待ちなさい」


「…コク」


 私は駆け出そうとしたイヅナを制した。

 これは風音の“けじめ”だ。

 私達が邪魔をする訳にはいかなかった。


「…良い子ね」


 心の片隅に過ぎった不安を押し殺すように、私はイヅナの髪を撫でる。

 きっと大丈夫──そう自分に言い聞かせながら。静かに成り行きを見守る。

 そして、


「死ねぇぇぇェッ!!!!」


「…!!」


 私達の視線の先で、風音は刃に貫かれた。

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