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俺と彼女の異世界冒険記   作者: 仲遥悠
最初の異世界
64/411

二振りの宝刀、二人目のオープスト

 三人の人間を見送った私達は、長老の家へと引き返していた。

 個性的な人間達だった。悪い人達ではないみたいだけど、私には気になることがあった。


「はは…」


 ご主人様の瞳に光が無いのだ。

 きっと帰還した時のことを考えているのでしょうけど。それにしても中々の落胆振り。

 まるで逃れようのない現実を前に、どうにか諦めを付けようとしているみたいだった。

 何か言葉を掛けようと思ったけど、上手い言葉が思い付かなかった。


「(知影…か)」


 ご主人様が怯える理由が分かったような気がするわ。

 何と言うか、とても思い込みが激しくて、情熱的な娘。

 ご主人様の側に近付こうとするその存在は、私にとっても要注意人物であることに他ならなかった。


「ご主人様…あなたは私が守ります」


「平和的方法で頼む……」


 そんなことを話しながら、全員が席に着く。

 特に何かを話そうと言う訳ではなかったのだけど、取り敢えず一息吐きたかったのだ。

 先に戻ったセティと風音が奥に座ったので、私とご主人様は手前側の椅子に座った。


「さて…ではここから、本当の自己紹介と参りませんか?」


 風音が突然話を切り出したのは、その時だった。

 これまでになく真剣な彼女を前に、私はご主人様と顔を見合わせる。

 本当の自己紹介をする人物が誰なのかは、風音の様子から簡単に分かった。

 ご主人様も不思議そうな顔をしていた。

 いきなり本当の自己紹介がどうとか言われても、困惑するのが普通だった。

 ただ風音とセティの間に流れる雰囲気は意味深なものであり、只事でないことは察せられた。

 私達は思わず、居住まいを正していた。


「…セティさん。その刀について…確かめたいことがあります」


「…コク」


 頷くと、セティは鞘ごと刀を取り出し、机の上に置いた。

 私の最大地属性魔法と、拮抗してみせた刀だ。私は柄から鞘まで、隅々と観察した。


「(あら? これって……)」


 その刀は緋色の鮮やかな、美しい刀。

 羽をあしらった彫刻は、刀匠による刻銘だろうか。歪み一つない曲線美が、刀匠の実力を物語っていた。


「…良い刀だな」


 最早「名刀」と評しても差し支えない程の気配を漂わせる、一振りの刀。

 でもこうして間近で見てみると、どこかで見たような──。


「その刀…!!」


 見たような、ではない。

 私はその刀を見たことがある。それどころか、手にしている。

 まさかと思い、私も同じように鞘ごと刀を取り出して置く。


「ん? フィー、いつの間にそんな……ん?」


 机の上に、二振りの刀が置かれた。

 鋭利な光を帯びた緋色の刀身、羽の彫刻、漂わせる業物の気配。


「んん…?」


 二つの刀は…細部に至るまで全く同一の物だった。


「…先は刃を交えている手前、詳しくは問いませんでした。…ですが敢えて一人残ろうとしたのには、相応の理由があると愚考致しました」


 疑問符が次々と増えていくご主人様の隣で、私は一人思案に耽った。

 二振りの刀は、まるで分身したかのように酷似している。

 別に『魔法具』にしたって、同じ物が複数ある場合が多い。刀も同じだ。

 『ジャポン』の兵達の武器も、大体似たような見た目をしていた。きっと、同じ人…もしくは一門が作ったのね。

 そう、問題は──この刀を鍛えた人の存在だった。

 風音がここまで問題視すると言うこと。その事実が私の注意を強く引き付けた。


「今一度問いましょう。…その刀は紛れも無く、『軻遇突智之刀かぐつちのかたな』ですね? 私が鍛えたのは、フィーナ様が手にしている此方の一振りのみ。しかし何故か、貴女あなたも同じ物を持っている。その訳を…御教え願えませんか?」


「『軻遇突智之刀かぐつちのかたな』…か」


「…風音が朧断おぼろだちの他に鍛えてくれた、もう一つの作品です。何でも、最初に抜いた人の血縁者以外の人物には抜けないのだとか…」


 特定の魔力マナに反応する『魔法具』は数多く存在している。

 机の上に置かれた二振りの刀も、特別な力を有していることは視なくても分かる。視てみれば、“コマンドオーダー”と呼ばれる魔法が──条件を満たした場合にのみ発動する術式が組み込まれていたことも確認した。


「はい。ですから製作者である私自身も、この刀を鞘から抜くことは出来ないのです。フィーナ様に手渡した折より、刀は御二方の血脈を生涯の主と認めました故…」


 “コマンドオーダー”。

 支配属性に分類される魔法だけど、それは分類上の話。

 優れた存在が、自らに相応しい居場所を選ぶように。得物に込められた魔力マナが、ひとりでに意志を持ち、居場所を探す。

 言葉を話すこともないし、その存在を感じることは出来ない。だけど、扱える人は扱え、そうでない人は扱えない事実がある。

 これを有り体に表すのなら、「得物が持ち手を選んでいる」と言う表現が正しいだけなのだ。

 『オレイカルコス鉱石』で風音が鍛えた、唯一無二の刀。

 一振りだけのはずの刀が、どうして。

 この意味すること。それは──?


「…俺とフィーの血筋に反応する…か。まるで、伝説の武器だが…最初に手にしたのはフィーなんだろ? なら俺も抜けると言うのはどうしてだ?」


「御二方を繋ぐ絆に応えるようにと、そうあるように(・・・・・・・)願いながら鍛えた刀ですから」


「…そんなことが出来るのか」


「鍛冶師にとって、作品は子も同然。…願えば、意外と応えてくれるものですよ?」


「意志は力なり、か。成程な…」


 ご主人様は私が置いた刀を慎重に手に取った。

 しげしげと全体を眺めながら、左手で鞘を、右手で柄を握る。


「よっと…」


 両手を離す動きに従い、刀身は鞘を離れた。

 露わになる、緋色の輝き。仄かな日光を浴びて、力強く輝いていた。

 それはまるで、持ち主の手にあることを喜んでいるかのようで。

 何の抵抗も無く、刀は抜き放たれていた。


「…フィーの刀は抜けるみたいだな。まぁ当然か」


 心のどこかで感じていた心配に対して、胸を撫で下ろしている私が居た。

 もしかしたら、抜けないかもしれない。血脈がどうとか風音が言ってくれるものだから、少しだけ心配になっていたのだ。


「当然です。私とご主人様は、『契り』を交わした関係ですから」


 私とこの人の間に流れている血脈──言い換えれば、魔力マナが同じ。だからこの刀は抜けた。私達の魔力マナに応えて。

 つまりそれは、私とこの人の間で確かな繋がりがあると言うこと。

 ハイエルフの枠組みで、夫婦であることを意味しているから、嬉しかった。


「…そんな恥ずかしいことを、よくも恥ずかし気も無く言えるな」


「それ程でも無いわ」


 だって、あなたが代わりに照れてくれているから。


「ったく……」


 ご主人様は頬を赤くしながら、髪を描いた。

 その反応が、とても可愛らしい。

 …あ。誤魔化すためにもう一振りの刀を手に取った。


「そしてこっちも…」


 二振り目。

 ご主人様は同じように、柄を掴んで刀を鞘走らせた。


「…抜けるか」


 刀は、抜けた。


「私は…抜けませんね」


 ご主人様からセティの刀を受け取った風音が抜刀しようとすると、柄はビクともしなかった。

 まるで見えない鍵で施錠されているかのように。抜こうとしている風音の腕は震えていたけど、暖簾に腕押し状態だった。

 どうやら扱えないと言うのは、本当のことみたい。


「じゃあ今度は私が…」


 セティの刀を手に取り、私も挑戦してみることに。


──ス…ッ。


 鋭いを音を立てながら、刀身が露わになっていく。

 抜けてしまった。

 風音は抜けない。なのに、私とご主人様は抜ける。

 この意味することは、まさか。

 

「セティは…こっちの刀を抜けるのか?」


「…うん」


 そして最後に、セティが私達の刀を抜いてみせた。

 一切の抵抗も無く抜ける刀。

 風音は抜けない。なのに、この娘は抜ける。

 この意味することは、まさか──!?


「セティ、君はまさか…」


 私はご主人様の様子を窺った。

 左右で色の違う瞳が、大きく見開かれている。

 ご主人様の脳裏にはきっと、とある予想がある。

 そしてそれは、私の考えていることと同じ。

 正直言って、考え難い。

 でも可能性としては、それしかない。

 でもそれって…それって──!!

 私は息を呑みながら、ご主人様の次の言葉を待った。

 そして、


「フィーの血縁…家族、なのか?」


 口にされた言葉に、固まった。


「……そう」


「となると…俺の義妹にあたるのか」


 コクリとうなずいたセティに、ご主人様の頬が緩んでいた。


「そうか…義妹いもうとか…。道理で、初めて会った気がしない訳だ」


 納得したように話すご主人様は、どこか昔を懐かしむような口振りをしていた。

 そう言えば以前、ご主人様は姉妹の存在を口にすることがあった。

 優し気に接するのは、きっと実妹の姿を重ねているのだろう。

 …嬉しそうね。


「クスクス…そうで御座いますね」


 風音は面白そうに私の顔を見てきた。

 「どうされるんですか?」と、その瞳が語っている。

 彼女もきっと、私と似たようなことを考えていたはず。

 私の返答に合わせるつもりなのだろう。

 セティと言う少女。

 私とご主人様にしか扱えないはずの得物を、自らの愛刀として扱える少女。

 艷やかな黒髪に、翡翠色の瞳をした和装少女。

 彼女の、正体は──。


「ふふ、そうね」


 私もまた、ご主人様の言葉に同意した。


「可愛らしい妹さんではありませんか」


「…そこまで可愛いとは…思わない」 


「あらあら、謙遜も御上手ですね♪」


 自分の刀を手元に寄せたセティを、風音は微笑まし気な眼で見詰めていた。

 優しく、慈しむような瞳。

 その姿は歳に見合わず、まるで母親を思わせた。 


「だとすると、セティと言うのは偽名なのか?」


 セティは首を横に振る。


「それも大切な私の名前。…でも、本当の名前もある」


「へぇ。因みに、何て言うんだ?」


 翡翠色の瞳が私を見た。

 少しだけ口籠る様子を見せながら、彼女は小さく息を吸う。

 やがて胸の内に溜めていたものを吐き出すように、


「…イヅナ。イヅナ・エフ・オープスト」


 本当の名前を口にした。

 私達と同じ、オープスト姓。「エフ」は、私の「エル」やご主人様の「ルフ」と同じ、尊称。これはハイエルフと言う種族の中でも、最も始祖に近い一族にしか名乗ることを許されないものだったりする。

 尊称に関しては、まだご主人様には伝えていなかったわね。

 特に伝える機会もなかったし、あまり意味がある訳でもないし。

 これからも、訊かれもしなければ答えないのだろう。私自身、彼女の名前を聞いて思い出した程度のことでしかないのだから。


「イヅナ…か。良い名前だな」


「父と母から貰った、自慢の名前…!!」


 イヅナは少しだけ興奮した様子で眼を輝かせた。

 名前を褒められたこともあるけど、名乗れたことが余程嬉しかったのだろう。

 嬉しがっている分、彼女が自らの名前に誇りを持っていることも分かった。


「そうなのか。…大切に育ててもらったんだな」


「…? どうして?」


「言葉の端々に、親への純粋な尊敬が込められているからな。しかも自分も卑下していない。そう言えるだけで、相応の愛情が注がれているってことが分かるんだ」


「! …天才……!」


 和やかな二人の遣り取りは、聞いているだけで心地の良いものだった。

 少しだけ得意気に語ってみせるご主人様に、眼を輝かせながら頻りに頷くイヅナ。

 外からの光しか入らない屋内だけど、二人の周りには何故だか仄かな灯りを幻視出来る。

 胸が温まる光景とは、きっとこのことを言うのね。


「…クス、意外と抜けている方なんですね。確かに…頷けます」


「…風音、それはどう言うことかしら?」


 不意の横槍に私は眉を顰めた。

 風音は袖で口元を隠しながら、こちらに半眼の視線を向けていた。


「いいえ。何でも御座いません」


 意味深な視線と静かに睨み合う。

 何かあるから、そんな視線を向けているのよ。

 だけどそれを言わない辺りが、何とも嫌な反応。

 何が頷けるのかしら。ハッキリ言ってほしいのに。


「…少し、外に出るから」


 このまま意味深な視線を注がれるのは、何とも居心地が悪かった。

 私は逃げるように席を立ち、家を後にする。


「ふぅ……」


 家の木壁に凭れ、私は小さく息を吐いた。

 色々なことを考えるあまり、疲労を感じていたみたい。

 休憩とばかりに眼を閉じ、そっと自らの中に意識を沈めていく。

 真っ暗になった世界。感じるのは自分の鼓動と、土の香りを孕んだ風の感触。

 ゆっくりと肺一杯に空気を溜めては、静かに吐き出していく。

 それは心穏やかになる一時だった。だけど少しだけ、隣に寂しさを覚える。

 自分から離れておいて、温もりを求めている私が居た。

 これでもかと幸せを感じているのに、どんどんその先を求めてしまう。

 別に満足しようと思えば出来るし、満足し切っている部分は大いにある。だけど求めようと思えば、どこまでも、とことん求めることが出来てしまう。

 ヒトって不思議なものね。そして、とても罪作り。

 心の持ちよう一つで、どうとでもなってしまうのだから。


「‘…戻ろうかしら’」


 寄り掛かっていた壁から離れ、眼を開ける。


「?」


 まん丸な瞳が、私を見ていた。


「…どうかしたの?」


 いつの間にか外に出て来ていたイヅナは、首をふるふると横に振る。


「…何でもない」


「何でもないの?」


「…コク」


 今度は縦に首を振る。

 じゃあ何をしに外に出て来たのかしら。不思議に思いつつも、私は彼女の瞳を見詰め返した。


「……」


 翡翠色の、私によく似た瞳。

 私を真っ直ぐ映しながら、何か物言いたそうにしている。

 こうして意識してみると、確かに似ている。

 それこそ私の妹であると、あの人が思うのも頷けるぐらい。

 そんな驚く程の美少女──なんて言うと、まるでナルシストだけど。でも可愛いと思えるのは間違い無い。

 イヅナ・エフ・オープスト。

 私は時を超える魔法を知っている。使える人も、知っている。

 あなたが私の前に現れたのは──。


「…ねぇ」


 これは、メッセージだ。

 彼女が語ることではなく、存在そのものが。

 彼女が「在る」ことに、何かしらの意味がある。そしてそれは、彼女を送り出した(・・・・・)人物が、何としても意味を持たせたかったもの。

 考え過ぎかしら。偶然かしら。

 でも全ての運命が偶然でないとするならば、必然であるならば。

 私はこの娘に対して、どう接すれば──。


「…あなたは本当に、私の──」


 私はイヅナに、そっと手を伸ばしていた。


「…っ」


 イヅナの瞳が微かに見開かれ、伏せられる。

 下方に据えられた視線は所在を失い、右へ左へと移る。

 まるで怯えた子猫のような反応。何をされるのだろうか、不安な様子だ。

 ただその様子の中に、どこか期待の色が宿っている。

 彼女は俯いたまま、見上げるように私の手を見ていた。


「(…まさか、撫でられたいのかしら)」


 何となく伸ばしていた手が、行き場を見付ける。

 イヅナの艷やかな黒髪に向かって、ゆっくりと伸びていく。


「どうした、フィー?」


 その背後では、ご主人様と風音が家から出て来ていた。

 不意の声掛けに顔を上げた私は、


「‘ひぅ…っ’」


 何とも可愛らしい呟きを耳にした。


「ん?」「まぁ…」


 ご主人様と風音が視線を落としたのにつられ、私も手の行先を確認する。


「!?」


 真紅のリボンの内側。黒髪に隠れている、何某か。

 私の手は、どうやらあらぬ方向へと着地したようだ。


「…〜っ」


 イヅナの顔が、仄かに赤く染まっていた。

 感触を確かめてみると、髪と呼ぶにはあまりにも手触りの良いものに触れているらしい。

 どちらかと言えば、フワフワした毛布のような──。


「…あぁ」


 犬耳だった。

 それもそのはず。私の妹と言う名目上、彼女はハイエルフ。

 即ち当然──ご主人様曰く、犬耳と言う器官が存在している。

 一応私にとっては、単なる耳なのだけど。彼は断固として主張を譲らなかった。

 「人間で言う耳は、別にあるのだから。これは犬耳と呼ぶより他無い」と、断定するような口調。

 その流れで人の耳を触ってくるものだから、反射的に平手で打ってしまったのは懐かしい日々のお話。

 今ではすっかり──って、何考えているのよ私は。


「いえ。…何でもありません」


 面白い発見に、私は誤魔化しつつも犬耳に触れた。


「む…っ。ぅぅ……」


 イヅナは少しだけ怒ったように息を詰まらせたけど、眼を細めながらされるがままになる。

 …心地良さに耳を任せている姿が、本当に可愛い。

 もっと、可愛がりたくなってしまう。


「ふふ」


「…ぅ……うぅっ…!!」


 いつも私がご主人様にされているようにマッサージすると、イヅナの身体がビクンッと動いた。 


「やっぱり…ここが、弱いのね」


 耳が敏感な程、私達にはとある特徴がある。

 けれど今はそんなことを考えるより、

 この一時を楽しむ方が、先決だった。


「ん…! ふ、ふぅ…っ、フー…ッ!!」


 懸命に耐えている姿が、とても愛らしい。

 あぁ、何だかとても楽しくなってきた。

 楽しい一時であるが故に、あの人と共有したくなってしまう。


「ご主人様も、どうぞ」


 私はご主人様を呼び寄せた。

 最初こそ不思議そうにしていたけど、何をしているかが分かるとそわそわしていた彼。


「…フィー、よくやった…っ!」


 弾かれるようにして私を見ると、喜び勇んで来てくれた。

 私が右、ご主人様が背後から左の犬耳をそれぞれ掴み、優しくマッサージしていく。

 イヅナは私達に挟まれて、前後にフラフラと身体を揺らしている。

 瞳を潤ませながら、マッサージに耐えているみたいだった。


「…っ、っ…ん…っ!!」


 何かいけない香りがするわ。

 でも止められない。

 まるでご主人様と共同作業している状況が、堪らない。

 二人で触って、二人で揉み解して、イヅナの犬耳と戯れていく。

 イヅナの揺れは、さらに大きなものになる。

 やがて立っていることすら出来なくなったのか、ご主人様の胸に背中を預けた。


「おっと」


 ご主人様はイヅナの肩に触れ、そっと衝撃を受け止めた。


「ぁ……」


 後ろを見上げたイヅナの顔が、ただでさえ赤いのに茹で上がっていく。

 今にも湯気が出そうな勢いだ。

 そんな様子もまた可愛らしくて、私はご主人様の分まで両耳を触り続けた。


「ぁ…っ! ………きゅぅ……」


 そうしていると、イヅナは崩れ落ちた。

 力無くご主人様の腕の中に収まり、熱に浮かされたような瞳で空を見上げている。

 ご主人様はそんな彼女を抱き留め、そっと胡座あぐらの上に座らせた。


「…少し、やり過ぎたか」


 力無く凭れ掛かる少女の頬を突くも、反応は無い。

 完全に気絶していると判断したご主人様は、小さく息を吐いた。

 その表情は、充実感に満ちていて微笑ましい。


「…かもしれませんね」


 私も草の上に座り込み、そんな二人の姿を眺めていた。


「…微笑ましい光景…なのでしょうか……?」


 一連の流れを傍観していた風音も、ようやく私達の下へと歩み寄る。

 疑問符を口にしながらも、語気が呆れ混じりだった。

 同じようにしゃがみ込み、おもむろに両腕を持ち上げると──











「ひゃっ!?」「ぐっ!?」


 私とご主人様の犬耳を掴んだ。

 全身に駆け巡った痺れるような感覚に、私もご主人様も息を堪えた。


「ひゃ…か、風音! や、止めなさい!」


「そ、そうだ風音さん! や、止めてくれ…っ!」


 これは、とても良くない流れだ。

 静止の声を上げるも、風音の手付きは嫌らしさをまとっていく。


「あらあら…うふふ。御二方共、ここが弱いのですね♪」


「きゃんっ!?」「んぐっ!?」


 結論から言うと、風音の手付きはご主人様並みかそれ以上だった。

 流石は女将。客を喜ばせる技法の多さには事欠かない。

 見事と言う他無い力加減によって、私とご主人様は弄ばれていく。

 思考に靄が掛かっていく中で懸命に抗おうとしても、強い脱力感に苛まれて身動きが取れなかった。

 私達を手玉に取るなんて…っ!


「風音…あなたまさか、悪女ね…っ!!」


「クスクスクス……♪」


 風音の冷たい笑みに、背筋にぞくりとしたものが走る。

 彼女は、弄ぶ側の人種だ。隙を突かれたら最後、満足するまで離してくれない。


「…か、風音さん…止め──」


「風音さん…ですか。随分と他人行儀ですねぇ…」


 特に餌食となっているのは、ご主人様だった。

 日頃触られ慣れていないのもあってか、息も絶え絶えの状態になっていた。

 「止めろ」と懇願されながら、風音は笑みを絶やさない。

 細められた瞼の奥から、冷たくも鋭い光を放ちながら。


「風音と呼んで下さい♪」


 攻めの手を強めていく。

 さり気無い要求を差し入れる辺り、何と抜け目の無いことか。


「んぐぅぅ…っっ!! …か、風音ぇ…っ!!」


 大きく身悶えしながら、絞り出すように。

 ご主人様は風音の呼称から「さん」を消す。

 別にさん付けであろうとなかろうと、私にはどっちでも良いように思えた。

 だけど風音は返答に満足したのか、私達の犬耳から手を離す。


「良く出来ました♪」


 激しい脱力感に、私とご主人様は仰向けに倒れた。

 梢の合間から除く光を浴びながら、暫く余韻に攻められるあまり動けずにいた。

 このまま空を眺めていたい気分にもなったけど、私はどうにか気力を振り絞って首を捻る。


「…はぁ…はぁ」


 視線を向けた先では、ご主人様が荒い息を吐いている。

 涙混じりのまなじりが、キラリと光を放ちながら頬を伝っていった。


「ぅ……くぅ……っ」


 そんなご主人様を見て、ゾクゾクしている私が居た。

 ご主人様は、受けも攻めも両方いけるのね。

 気が向いたら…攻めてみようかしら。


「はぁ、はぁ…っ、ほら、もう行くぞ」


 そんな私の視線に気付いてか、ご主人様は跳ね起きた。

 咳払いと共に気を取り直した彼は、手を伸ばしてくる。

 勿論、私は掴まるようにして立ち上がったけど、上手くバランスを取れずによろめいてしまう。


「きゃ…っ」「…っとと」


 今度は私が、ご主人様に身体を預ける側になった。

 これだけでどうして、頬が緩んでしまうのか。

 私は下から見上げるように、ご主人様に声を掛けた。


「…そんな息切れした状態で大丈夫ですか?」


 気遣うように、艷やかな黒髪に手を伸ばす。


「あぁ…」


 背中に回されていた手が、離れていく。


「大丈夫だからその手を伸ばさないでくれ」


「そう。大丈夫だからその手を止めなさい」


 睨み合う、数秒間。

 ご主人様の瞳には、確かに私の耳が映っていた。

 また触る気だったわね? 駄目よ、もぅ。

 油断も隙もあったものじゃないとは、正にこのことだった。


「私は…………頬を触ろうかと」


「その間は何だ、その間は」


「私は頬を触ろうと思ってたんです」


「嘘言うな。思いっ切り人の犬耳を見ていただろうが」


 きっと私の瞳も、彼から見れば似たようなものを映していたのかもしれない。

 でも私は違う。頬を触ろうとしていただけなのだ。

 …まぁ確かに、手が滑る可能性は否定出来ないけども。ご主人様程あからさまな訳じゃない。頬を触ろうとしていたのだから。

 問題はご主人様よ。油断も隙もあったものじゃないとは、正にこのことを言うのね。

 ほらこうして話している間も、犬耳をピコピコピコピコ動かして。

 まるで私を誘っているみたいじゃない。


「人の言葉を嘘呼ばわりって、酷いわ……」


 そんな触ってほしそうに、犬耳がピコピコと。

 私はついつい腕を伸ばしてしまう。

 ピコピコ、犬耳、触って──ふにふにしたい。

 ご主人様の蕩けた顔が──。


「おい」


「…はっ!?」


 伸ばしていた腕が、割と強めの力で掴まれる。

 あまりに誘うような動きをしていたから、つい触りたくなってしまったのだ。私は悪くない。


「…油断も隙もあったものじゃないな」


「その言葉、そっくりそのまま返しますけど?」


 再び睨み合う。


「はいはい♪」


 その背後に、音も無く風音が立っていた。

 気付いた時には既に遅く、二人揃って耳を掴まれてしまう。


「ひゃっ」「んな゛っ!?」


 駆け巡る奇妙な感覚によって再び崩れ落ちそうになるのを、ご主人様の身体に掴まって耐える。

 支えようとした力強い腕が腰を引き寄せ、さながら抱き締め合っているような構図になる。


「「……」」


 顔が近い。

 吐息すら身体に触れそうな距離感の中、私はご主人様と見詰め合う。

 何度目かは分からないけど、決して飽きることのないやり取りだ。


「御二方共、そろそろ御自重願えませんか?」


 もう少し続けていたかったけど、不穏な気配に身を離す。

 冷ややかな声音と共に空を切る、風音の腕。

 風が唸っていた。少しでも反応が遅ければ、再び玩具にされていた。

 それ程に彼女の行動には、容赦の無いものがあった。

 柏手を打つようして場の空気を引き締めた彼女は、声音以上に冷ややかな視線を私達に注ぐ。


「戦いを前に、自らを鼓舞し合う。其方そちらに関しましては、私にも理解出来ます。ですが、あまり時間を割き過ぎると…御覧下さい」


 深々と溜息を吐きながら、風音が示した先にはイヅナが居た。

 刀を胸に懐きながら、左右に揺れている。


「すぅ…」


 立ちながら、寝ているようだった。


「イヅナが船を漕いでいるではありませんか。立ちながら」


 そう話す風音の言葉には、呆れが強く含まれていた。

 彼女の言葉と、イヅナの様子。その両方を見た私達は思考を落ち着かせる。

 別に羽目を外していた訳じゃないけど、二人の世界に入っていたのは事実だった。


「悪い。…イヅナ、起きろ」


 ご主人様も思考を切り替えたようで、自分の頬を力強く叩くとイヅナの下へ。

 優しく肩を揺らされ、寝惚け眼を擦った。


「ん……寝てない」


「ん、頑張って起きてて偉いぞ」


「ん……」


「偉い偉い…」


「ん」


 頭を撫でられながら、私達の側まで歩いて来る。

 流石はお兄さんね。小さな子の扱いには慣れているみたい。


「良し、じゃあそろそろ動くか。準備は出来ているか、皆?」


 撫でられているイヅナの眼が完全に開いてから、ご主人様は静かに魔力マナを高めていく。


「ん…!」


「はい」


「…本当に一人で大丈夫ですか?」


「俺としてはお前達の方が心配なんだがな。奴の剣を何とかしないことにはフィーとイヅナが戦えないだろうし……」


 背中越しに見詰めてくるご主人様の瞳は、心配そうな色をしていた。

 自分のことよりも、私達の心配。この人らしいと言うか、何と言うか。

 心配し過ぎるのも、考えものなのだ。


「つまり、剣さえ何とか出来れば、ですよ」


 あの時とは違い、私達には風音が協力してくれている。

 ただの人間である彼女なら、魔剣の力も及ばないはず。


「私の出番ですね」


「…ん」


 背中を預けられる仲間が一丸となって、戦いに臨む。

 それはまるで、北の国におけるバアゼルとの戦いを思い出す状況だった。

 ふふ…良いわね、この雰囲気。何だか、負ける気がしない。


「分かった、そっちは任せる」


 風が優しく吹き抜ける。

 ご主人様の魔力マナが、風と呼応しているのだ。

 飛行魔法(ベントゥスアニマ)、もう完璧に使い熟せているわね。


「じゃ、行って来る。悪魔とは言え、あまり待たせるのも気が引けるしな」


 集った風が、ご主人様の身体を銃力より解き放つ。

 大空の向こう。遥か西の地にて待ち受ける悪魔の姿を睨んでいた彼は背中越しに、


「イヅナ」


「…心配には及ばない」


 イヅナ、


「風音、二人のこと…頼む」


「…御任せ下さい。必ずや」


 風音へと視線を向ける。


「あぁ、頼もしいよ」


 最後に私を真っ直ぐ見詰めた彼は、


「信じてるからな、じゃあまた、ここで」


 春風のような笑顔で手を振った。


「(なんて良い笑顔なの…っ!?)」


 不覚にも…言葉を失ってしまう。

 …はぁ、こう言う時なのよ。本当にこの人のことが大切なんだと、実感するのは。

 もう今日何度目かしら。心臓が保たないかもしれない。

 だけどこの気持ち、この感覚…いつまでも忘れないようにしないと。

 忘れさせてくれなさそうだけど。


「信じられましたから。コホン、必ずここに戻って来るわ…全員で」


 私も最大級の笑顔で手を振り返した。


「“ベントゥスアニマ”!」


 私達に見送られ、ご主人様は空へと往く。

 彼方に吸い込まれていくあの人は振り返らない。

 一筋の光と化して、決戦の地へと向かって行った。

「ククククク…アハハハハハ、アーハッハッハッハッハ!! ヒーヒヒヒヒヒぐぇほ!? ゲッホゲホ!! あ゜ー…まさか出番がもらえるとは思っていなかったから笑い過ぎてせてしまった。ククク、英雄たる人間がこんなこと「邪魔だお前」うぐぉっ!?」


「…っつつ、何なんだこの手紙、開けた途端俺をこんな所に連れてきやがって…俺に予告を言えだぁ? ったく、オープストからの手紙だと思って開けたらこれだ……あぁしゃあねぇ、やるか。『決戦の地に指定されたのは、冒険が始まった地であった。跳ばされ、跳び、出逢い、共に前へと歩みを進めて行った物語の第二章。二百年に渡る物語はそこでーーー次回、名無しの決着』…あんなことをしておいて言えた義理じゃねぇが…俺は俺で世界ってやつを気に入っているんだ。俺は大人しく地獄に堕ちるが…応援しているから頼むぜ、オープスト、夫妻さんよ。ったく…爺さんの奴はどこに居るのやら…どこ行っても見つかりやしねぇ」


「……」


「あぁ? 何だこの人間…けっ。」

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