ぶつかる想い、秘めたる想い
彼方から戦闘の音が聞こえる。
かなりの距離を置くことを許してもらえたことに安堵しながら、セティは風音と対峙していた。
「(…距離は…取った)」
戦場を二分し、各個撃破を目指す。
それが短いやり取りの中で決まった、今回の作戦だ。
いや、作戦とは呼べないのかもしれない。
打算だらけの現状だ。相当に運を味方に付けなければ、どうにもならない。
「(私の役目は…生き残ること)」
再び駆け出す。
セティは小柄故に、身軽だった。
「クス…まだ御若いのにその胆力、素晴らしいものです。余程の修羅場を掻い潜っていらっしゃったのでしょうね」
背後を追う風音が、一気に詰めて来た。
「ッ!」「うふふっ」
衝突。
背後からの強襲を、セティは振り向き様に受け止めた。
「…勝つため。当然の判断」
「そうですか。素晴らしい判断です」
鍔迫り合いは、引き分けで終わる。
僅かに距離が開く両者の間。
森の中を駆け抜けながら刃を交えていく。
「クス、此方は如何ですか?」
試すような言い方と共に、風音の薙刀に炎が灯った。
背後を一瞥すれば、彼女の足跡に小さな火が灯っている。
「…っ!!」
火の位置は、セティを取り囲むように広がっていた。
「(陣が描かれている…っ!?)」
セティは薙刀から繰り出された炎の斬撃を、刃を滑らせるようにして受け流す。
「御上手です」
受け流された風音は、ニコリと微笑んだ。
セティと風音の間には、完全に遊ばれるだけの技量差があった。相手はこちらの間合いを完璧に把握しており、恐らく単純な剣技は一切通用しないだろう。
返す刃による一撃に弾かれながら、セティは歯噛みした。
「(強い……!)」
弾かなければ斬られていたが、弾いたとしても次の手が待ち受けている。
セティはいつしか、灯火に周囲を取り囲まれていた。
風音が返す刃を放った位置が、丁度円陣の終着点になっていたのだ。
「参ります…!」
灯火が噴き上がり始め、焔となる。
セティは大きく跳び上がった。
『起これ!』
跳び上がったのは、少しでも詠唱時間を稼ぐため。
右手を突き出し、これから使われるであろう魔法に対しての反撃魔法を詠唱する。
「焔の舞!」『アクアストーム!』
噴き上がる焔に対し、セティの真下に現れた水流が衝突する。
火の系列と水の系列。衝突するのは相克関係にある属性。
互いが互いを喰らい、呑み込み、威力を増していく。
だが、勢いは焔の方が上だ。
水流が徐々に押し負けていく。
徐々に、しかし確実にセティの下へと迫る。
「…負けない……っ!!」
セティは左手も突き出し、歯を食い縛る。
展開されていた魔法陣が、さらなる彼女の魔力を注がれて経を増す。
勢いを増した水流は焔を押し返す。
しかし風音の放つ魔法も威力を増した。
互いに譲らない水と、焔。
衝突は、双方を呑み込んで膨れ上がる──!
──ドカァァァンッ!!
水分が気化し、爆発が起きる。
水蒸気爆発だ。辺りに霧が立ち込め、視界が悪くなる。
衝撃の余波で吹き飛ばされていたセティは、空中で体勢を整えて得物を構える。
白い霧を突き抜けて、風音が薙刀を振るってきたのはその時だ。
「中々の使い手です…!」
「……っ!」
「ですが…!」
言葉を切ると、彼女は得物を握る手に力を込めた。
押されまいとセティが僅かに力を強めた途端、引き波のように押し込めてしまう。
「っ!?」
競り勝った──否、そう思わせるフェイント。
気付いたからこそ、セティの表情は一瞬にして固まった。
攻めに転じようと動いた足を引き下げ、守りを固める。
「(来る──ッ!)」
巧みに薙刀を操った風音により、石突で刀の鍔を打たれる。
鈍い振動と同時に下から突き上げられる刀。
セティが得物を手放すまいと、柄を握り締めた直後──風音が頭上で回転させている薙刀に、炎が宿る。
「焔烈閃!!」
振り下ろされた斬撃から、炎が放たれた。
物理的に刃同士を抑えることは出来ても、実体を持たない炎は防げない。
セティの小さな身体を高熱の炎が襲った。
「……ぐ…」
熱さに耐えるセティ。
身体の奥底から焼き尽くされているかのようだ。
だが風音の攻勢は止まらない。
手元に引き寄せた薙刀の石突が、セティの腹部に吸い込まれる。
「なぁっ!!」
激痛が駆け巡り、視界に閃光が走る。
セティは堪え切れずに、背中から木に打ち付けられてしまった。
「(…強い…やっぱり…!)
こちらに悠然と歩く風音を睨みながら、セティは血の味を舐める。
もう少し戦えると思ったが、流石に一対一では戦果は芳しくないかもしれない。
だが、負けられない。
少しでも時間を稼げばきっと──レオン達が来る。
セティは自らをそう奮い立たせ、木の背凭れから離れた。
「…貴方は、迷いを抱えていますね?」
「──!」
突然の問い掛けに、セティは微かに眼を見張る。
思わぬ指摘に瞳が揺れていた。
「心に迷いを抱えた者に私は倒せません。…今の貴方に負けては、従者失格ですので」
痺れるような感覚が手足に走る。
背中に生温かい感覚があるのは、恐らく背中からも出血したのであろうか。刺すような痛みが走っている。
「…私が…迷いを抱えている…?」
だが痛みよりも、向けられた問い掛けの方がセティの心を揺さ振っていた。
迷い。
そんなものは無い。無いはずだ。
だが何故否定出来ない。指摘された事実に、唇を噛む。
「はい、迷いです。何かは存じませんが、迷いを断てねば私を──あら…?」
だが風音もまた、眼を見開いていた。
言葉を詰まらせた彼女の視線が、鋭くなる。
一定の距離を置きながら、何かを観察しているようだった。
「…私は、夢を見ているのでしょうか」
やがて口にした言葉は、まるで眼にしているものを疑っているような物言いだった。
「…何故その刀を貴方が持っているのでしょうか。それは紛れも無く、私が鍛えた刀…。刀が主と認めた者の血縁にしか抜くことの出来ない……」
風音の視線は、セティが持つ刀に注がれていた。
見覚えがある──否、見覚えどころの話ではない。
柄の部分に羽を象った彫刻に、歪み一つ無い曲線を描いた刃紋の色は緋色。
空似では説明が付かない程に、彼女の作品に似ている。
──昨日フィーナに渡したばかりの、『軻遇突智之刀』に。
「………これは…私のもの…」
セティは刀を腰に帯びた緋色の鞘へと収める。
刀を奪われると思ったのだ。渡すまいと後退りながら、大切そうに胸に抱いた。
絶対に渡さない。拒絶の意思がそこにはあった。
「(…いえ、よく見れば…少し違いますね。あの刀は、十や百では足りない戦場を潜り抜けています。鍛えられてから、相応の年数が経過している。なら私が鍛えた刀が、偶然にも似ていただけ…と言うことで御座いましょうか?)」
風音は遠眼ながらも、しっかりと刀を見定めていく。
どこからどう見ても『軻遇突智之刀』に酷似しているが、そのものとするにはあまりにも疑問点が多い。
もう少し、詳細を鑑定する必要がある。
それには彼女の話も必要だ。
風音は警戒しながらも刃を下ろし、疑問を口にした。
「…宜しければ、色々と御話を伺っても宜しいですか?」
不穏な動きを見せれば、いつでも斬り捨てられるように注意する。
いや、彼女の持つ刀を見てしまったのだ。少女を手に掛ける心算は、風音の内より消え失せていた。
ここ数日のこと。彼女の周りには、御伽話のような出来事が次々に巻き起こっているのだ。
語り継がれるような英雄との共闘だけでなく、自分もまた、魔法と呼ばれる摩訶不思議な力を行使出来るようになった。それはどちらも、これまでの日々では考えられなかったようなものだ。
そして今回。二振り目の、『軻遇突智之刀』。
「(その意味することは、もしやとは思いますが……)」
「…私は──」
思案を深める風音に向けて、セティがその先を続けようと徐に口を開く。
翡翠色の瞳が風音を真っ直ぐ見詰める中、辺りが薄暗くなっていく。
──。
音が聞こえた。
空気を震わせながら、巨大な何かが近付いてくる。
訝しんだ二人が同時に空を見上げると、空には異変が起きていた。
* * *
小さく肩で息をする隊長さん(銃弾食らっておいてそれって、頑丈だよねこの人)の下に駆け寄った私達の前に、銃口が突き付けられていた。
「……貴様その剣を、どこで手に入れた」
ユリちゃんの声も、震えていた。
多分、私の頭の中にある予想の一つに思い至ったんだ。
ファンタジーの権化とも言える森の妖精に、あのメカメカしい武器はどう控え目に見たって似合っていない。
私が概念に囚われているだけ? ううん、どことなく持ち慣れていないように見えるのは、気の所為じゃない。
じゃあ何故美女が、あの武器を持っているのか。
考えられることの一つに、本来の持ち主から奪ったと言うことがある。
だとすれば、到底許すことは出来ない。
でも「彼」は、そう簡単に武器を奪われるような人じゃない。
だからと言って、似たような武器──と言う訳でもないのは、見れば分かる。
あれは間違い無く、私達が知っている人の武器。
じゃあどうして、銃剣なんて物を持っているのか。
ユリちゃんも、それが気になって問い掛けたんだ。
だけど返事は、変形機構の起動ワードだった。
「…シフト」
銃形態から剣へと戻した美女の姿が消えた。
「フ──ッ!!」
その姿は、ユリちゃんの背後に現れる。
振るわれた剣の切先が、肩口を浅く斬り裂いた。
反撃で射撃をしようとしたユリちゃんだったけど、動きがおかしい。
「く…お……ッ!」
まるで蝸牛のように、緩慢だ。
銃を構えた時にはもう、美女の赤く光った拳が腹部にめり込んでいた。
「“ディレイ”…だとッ!?」
「ユリちゃんッ!?」
衝撃がユリちゃんの身体を突き抜け、くの字に曲げさせる。
あれ、爆発しないよね!? 何か轟き叫ぶような光を放っているけど!!
「あれは力を高める魔法だ! 気を付けろ!!」
吹き飛ぶユリちゃんの身体を他所に、美女はまた消える。
「隊長さんッ!!」
先程のような映像は、見えない。
ただ迫り来る危機感に、私は隊長さんを呼んでいた。
「…おいおいおいおいおいおい…っ!」
隊長さんを狙って風の刃が飛来し、氷の槍が、雷の雨が頭上から降り注ぐ。
地面が山のように盛り上がり、私達全員の身体を押し潰そうとしたかと思うと、火球が幾つも襲来する。
一つ一つが着弾と同時に大爆発を起こし、隊長さんを焼き尽くさんと火柱を上げた。
地水火風の四大魔法コンボに氷と雷の合わせ技…。基本となる八属性の内、六つもの属性を容易く操れてしまう辺り、美女の高い実力がありありと分かる。
凄まじい魔力だ。次々と明らかになる美女の強さを前に、隊長さんの顔が青褪めていく。
見る見る内に、ランプの魔人のように。
先程までの攻勢はどこへやら、今は完全に防戦一方になっていた。
「隊長さん、どうしますか!?」
何なのこの人…あの剣を出してから鬼のように強くなったよ……。
持っている武器一つで、ここまで強さが変わるもの!?
ユリちゃんは倒れ伏しているし、隊長さんは魔法の嵐の中に居る。
どうする私、この場をどうやって──!?
「どうするっつったってな〜っ!? かくなる上は……うごぉぉぉぉおおッ!!」
隊長さんが爆炎を受けて吹き飛ばされてくる。
続いて放たれた火球により、ユリちゃんが吹き飛ばされてきた。
まるで、私達の位置を一箇所に纏めることを目的としているかのように。
「(ように?)」
じゃない! それこそが──!!
「隊長さん! ユリちゃん! きゃあっ!?」
突然足下に闇が現れ、その場を離れようとした私の手足を絡め取った。
「な、なにこの闇…っ!?」
動けない。
まるで底無し沼に呑み込まれていくような感覚に、背筋が凍る。
深い闇──まるで行ってはいけない場所に引き擦り込まれてしまうような気がして……恐怖を感じる。
『…ソバワマ、ントボセ、ツカ』
違う。この恐怖は──もう一つ別の危機を予感してのもの。
耳慣れない言葉を口にした美女が剣を掲げると、切先を中心に巨大な魔法陣が形成される。
問題は…その数。多重に形成された魔法陣のタワーが、大空に吸い込まれていく。
「…な、何かヤバいのが来る…な……」
「ぐ……」
隊長さんもユリちゃんも、私も、誰一人としてその場から動けない。
ただ呆然と眺めることしか出来ない中で、多重展開された魔法陣は綺麗で──感動さえ覚えた。
『…幾星霜の時を経て彼方より来るは星の涙…魔力に導かれるがまま、この地に墜ちよ…!』
歌うように紡がれる声に従い、魔法陣が一斉に光を放ち、交互に回転を始める。
傍目にも、とんでもない魔法を使っているのだと分かる。
でも、彼女の魔法を止められる人は居ない。
傍観者しか居ない状況の中、魔法が完成する──!
『…罪深き人間よ、消えなさい!! オーバーウェルム、メティオール!!!!』
私達の頭上に、絶望として。
「あぁ…泉が染みる。何かこの、良い具合に冷たい感じがプールみたいだな。何となく、浸っていたい気分にさせられる」
「しかも貸し切りと言う素晴らしい環境。ここなら人眼を気にせず、何でも出来るな。泳ぐことも出来れば、飛び込みも出来る。せ〜の!」
──ザバーンッ!!
「ぷはっ! あぁ、気持ち良いな! 爽快感が突き抜けてくる感覚が、堪らない! おりゃっ! 全力バタフライッ!! 背泳ぎッ!! …からの平泳ぎッッ!! そしてクローーールッ!!」
「虚しいッッ!! 一人メドレー、虚し過ぎるな……」
「…思えば、一人だけの空間で泳ぐってことは俺の人生の中で無かったからなぁ…。貸し切りプールなんて、経験したこともない。部活あったし…休日の市民プールは、当然のように人で賑わってたし…家族も居たし。はは、懐かしい…なんてことを考えていると、余計に寂しさが増してしまう。人肌も恋しい…」
「人肌…か」
「って、何考えているんだ俺は。予告を言わないと…。『圧倒的な実力差を前に知影が、レオンが、ユリが、セティが、懸命に抗う。知恵を巡らせ、武を振るい、迫る絶望を打ち砕かんとする。風音が敵する、フィーナが叫ぶ、深緑の地に激震が走る──次回、迫り来る絶望、忍び寄る希望』…さて、どう戦ってくれるか楽しみだが、俺もそろそろ……」
「やっぱり、もう一泳ぎするか」