迷いの森、迷い無き者達
翌日、私達は先遣隊として、『迷いの森』と呼ばれる森に突入した。
「迷いの森…かぁ。ありがちな名前」
「そんな身を蓋も無いことを言うな〜。…深そうな森だ〜」
確かに、深い。
『ジャポン』城から遠眼に眺めても、森の終わりは見えなかった。
どこまで続いているのだろうか。目的地は最深部だそうだけど、先が思いやられる。
「綺麗な森ですね」
マイナスイオンに満ちた土道を歩いて行く。
何でもこの森は結界で守られていたそうなんだけど、どうやら事前に突入口を作ってくれていたらしい。
私達が森の入口に入った時には、人一人が入れそうな抜け穴が空いていた。
うーん、冒険の予感。冒険してるって感じ。
「あ〜そうだな、この森、どことなく神聖な雰囲気と言った感じだしな〜」
私達は、対化物用の剣を装備した部隊の先頭を歩いていた。
隣には、同じく対化物用の剣を装備した上辻さんが居る。
まさかのまさか、先鋒中の先鋒。一番槍状態だ。
「うむ…そう…だな……」
「…ユリ、少し顔が強張ってる」
「んな…っ、ただの森だぞ。何を怖がる必要がある…っ」
「…怖がってるんだ」
「……っ」
隊長さんやユリちゃん、セティは特に気にする素振りを見せていないけど、私には気になることがあった。
「(幾ら何でも、最前線に差し向けられることないんじゃないかな…)」
疑いたくはないけど、裏を疑いたくなる。
いつか背後を狙われるかもしれない──そんな危機感が、私の中で揺らめいていた。
そもそもあの音弥って人が…個人的には気に入らない。
何だかねぇ…何だか、なんだよ。私の中にもある弓弦君の知識が、「疑え」と警鐘を鳴らしていた。だから気に入らないし、信用出来ない。
きっと隊長さん達も分かっているのだろう。でも敢えて、従っている。
特に反発する必要も無いだろうし、従っておいた方が都合が良いんだろう。私の予想だけど。
「え? ユリちゃん…この森ですら怖いの?」
「な、この森ですら…とは何だっ。酷いじゃないか、知影殿」
「いやぁ…だって、良い感じの森だからさ。森林浴とかに最適じゃない?」
森には緑が溢れ、涼し気に吹く風、遠くから聞こえる水のせせらぎの音が心地良い。
隊長さんの感想だった、「神聖な森」とは上手い喩えだと思う。
「こう…お伽噺だと、ユニコーンでも居そうな森じゃない? 怖がるって、寧ろ失礼だと思うな〜」
「ふむ…知影殿はユニコーンを知っているのか」
「え、知ってるの?」
「ユニコーン」。弓弦君の知識にはある生物の名前。
私達が元々暮らしていた世界では、伝説上の生物の名前だ。
「その角を煎じると、伝説の秘薬になると言う話だが…実在するかどうかは知らん」
「へぇ、そこまで似てるんだ。じゃあ、清らかな乙女にしか姿を見せないって言うのは?」
これもまた、ありがちな通説。
清らかな乙女とはどんな存在のなのか。清楚系? それとも純情系? まさか、あっち系?
色んな物語の色んな場面で話題に上がり、ちょっとした遣り取りがある。時には論争も起きたりする。
あ、因みに私は…清らかな乙女で〜す♪ なんてことを言ってみる。
「あぁ、正にその通りだ。…まさか、知影殿の世界には実在したのか?」
「ううん、私達の世界では空想上の生物」
「ふむ、一度は見てみたいものだが…難しいものだな」
そんな話をしながら、森の奥を目指す。
本当に化物とやらはここに居るのかな? 歩けば歩く程に、疑わしくなっていく。
でもその代わりとばかりに、私の中の“予感”が強まっていく。
弓弦君の感覚が近付いている。森に入る前は不安半分だったけど、進みにつれて確信が増していく。
彼はこの森にいるはず。絶対。
だから私の視線は、彼の姿を常に求めていた。
前後を、左右を、常に窺っていた。
彼の姿が映ることを願って──。
「…あれ?」
だから、気付いた。
何か、おかしい。
「…後続が続いてませんね」
私の声に、上辻さんが後ろを振り返った。
険しい声に私達も後ろをふり返り、異常事態に気付いた。
森に入る前に居た、あれだけの人達が居なくなっている。
今ここに居るのは上辻さんと私達“だけ”。
「…う〜ん、迷子か〜?」
「隊長殿、この場合は私達が迷子になったのではないか? だが…」
「…だな。だが〜…妙だな」
「うむ。…この場の誰も、逸れゆく人々の気配を察知出来ていない。…妙だ」
「…うーん」
この森はその名前の通り迷い易いとは聞いたけど、おかしいと感じた。
何て言うのかな…この森は迷い易いんじゃなくて、人外の力が働いているような気がする。
まるで森自体が生きていて、私達を迷わせているような……?
なぁんて、あるはずがないと思いたいんだけど……。
弓弦君の知識にはあったんだよね。人を迷わせる森。
「……霧が濃くなっている」
セティの言葉で、私は確信した。
いつの間にか周囲を霧が覆っている。
これは……もう、私が覗いてきた弓弦君の知識の中で、ピンポイントに該当してしまうものがあった。
多分きっと、私達は“当たり”を引いてしまったんだ。
そして──招かれた。
「霧が? まさか…魔法…か?」
「…どうやら〜見事に敵の術中に嵌ったという訳だな~」
「…皆さん。気をつけて下さい」
ユリちゃんが、隊長さんが、上辻さんが、表情を引き締めた。
逸れないように、互いの顔がハッキリと視認出来る距離感で密集する。
私達が睥睨して見詰める中、霧が濃くなり、視界が悪くなる。
緑鮮やかな世界が白くなり、色を失う。
密集しているから私達の姿は見えるのだけが幸いだけど、それ以外は何も見えなくなった。
強まる危機感。
周囲を警戒しながら、ただ歩みを進めて行く。
「待て」
呑気さの消えた隊長さんが、鋭いを声を上げた。
「誰かが居る」
前に出て私達を手で制すると、前方を厳しい眼差しで睨んだ。
「誰だ」
誰何の声を上げる。
似たような光景に見えたのは、気の所為じゃない。
南大陸から東大陸を繋いでいた『スルフ洞窟』で遭遇した、喋る漆黒のグリフォン。
あの時も、隊長さんは厳しい表情をしていた。
ただあの時と違うのは、隊長さんの声が、さらに固いこと。
あの時が岩なら今は、さながら鉄のように固い。
手は大剣に伸びており、完全に臨戦態勢を取っている。
額を伝った冷汗が、隊長さんか感じている危機感の凄まじさを物語っていた。
「そこに居るのは分かっている。何の目的で俺達を招いた」
どうやら隊長さんも、私と同じ考えに至ったみたい。
私がここまで考察を深められるのは、似たような出来事を「知識」として知っているから。
隊長さんも、似たような経験をしてきたのかな。
それとも、歴戦の勘がそうさせているのかな。
こう言う時、隊長さんって結構凄い人なんだと分かる。
──あなた達なら、多少は話が通じそうだと思ったから。
森の中で反響した声は、とてもよく響いていた。
とても美しく、凛とした女性の声。
だけど感じたのは、強い拒絶の意思だった。
「話、だと…?」
──退きなさい。
「…姿ぐらい見せたらどうだ? 話はそれからだ」
暫く静寂が森を支配した。
しかし隊長さんの言葉に応じたかのように、濃密な霧の向こうに影が映った。
影は人の形をしていた。私より、少し背が高いかな。それ以上のことは、分からないけど。
「これなら、良くて?」
隊長さんと人影は、互いに探り合いをしているようだった。
どちらがどこまで譲歩出来るか。霧一つ挟んだ距離の中、睨み合いと言う名の探り合いをしている。
もう少し向こうの譲歩を引き出せないだろうか。隊長さんはそんなことを考えていそうだけど、やがて話を促した。
「…あぁ。それで、話とは何だ」
「ここは神聖なるエルフの地。元来人間が足を踏み入れる場所ではないの。…早々に、立ち去りなさい」
人影の要求は、退去だった。
エルフの地…俗に言う、聖地ってことかな。
確かにここが向こうの家なら、部外者には出て行ってほしいものだけど…。
「…エルフ…聖地…そうそう…」
「それについては詫びる。しかし私達は、この森に逃げ込んだと言う化生の存在を討つことを目的にここまで立ち入った。その者を討つことは森の平穏を守ることにも繋がるだろう。どうか、協力してもらえないだろうか」
情報の処理が追い付いていないらしい隊長さんが首を傾げたので、ユリちゃんが代わりに答える。
隊長さん…まさか言葉の意味が分かっていない…なんてことはないよね。
「そう…」
ユリちゃんの説得が功を奏したのか、人影は応じてくれた。
思った以上に、好意的な反応だ。
声が消えると、同時に周りの霧が晴れた。
「…村?」
鮮明になった周辺を見渡すと、所々に家があった。
ここは村…のかな。どうやらいつの間にか入り込んでいたみたい。
でも村と言うよりは、「跡地」が正しい表現かもしれない。
木造の家には、雑草が足を伸ばしている。辺りの地面を見てみれば、草花がそこら中に生き生きと空を仰いでいる。
どこを注視しても、上からの力で圧迫された名残が無い。つまり、人が踏み入っていないことの証左。
この村の跡地はパッと見ただけでも、人の手が入らなくなってから長い年月が経過していると思った。
聖地、エルフ…と言うことは、ここはエルフの村だったのだろうか。
一見しただけでは、それ以上のことは分からなかった。
「……」
そんな廃村に一人、立っている人が居た。
私達それぞれの視線が、その人物に釘付けになる。
「……………!!!!」
セティが息を飲んだのは、きっとそこに立つ女性の美しさに見蕩れたんだと思う。
現れたのは、女性。とても美しい、美し過ぎる女性。
──その女性は不思議な旅装束を身に纏っていた。帽子を被り、そこから零れんばかりの艶やかな、金糸のような髪を靡かせていた。
私達を、私達の存在を認めないかのような、熱を感じさせない翡翠色の瞳で冷たく見据えている。
…うん、認める。途轍も無い美人。それこそ弓弦が読んでいたような本の挿絵に登場しそうな、浮世の欲望を詰め込んだように現実離れした美貌を持つ……そんな女性。正直…私や、ユリちゃん、セティちゃん──私が今まで出会った、見た人達の中で、誰よりも綺麗。
幻想的なその姿が、少し離れた位置に見える枯れた大樹と合わさった様は、正に一つの絵画。なのにきっと私と弓弦君が居た世界の、世界中の画家の力を合わせたとしても、その美しさは表せない。
どうしてこうも美しく描けたのか、製作者さえもそれが分からない不可思議な産物、神の与え給うた恵みそのもの──それが彼女なんだと思い知らされる。
…でも、それだけじゃない。もう一つ、何かが彼女の美しさを引き立てているような気がする。
外見じゃない、内面上の何かが──。
「…なら、協力してあげる」
女性が右手を徐ろに私達へと向ける。
「──ッ!?」
私の背筋を、冷たいものが走った。
好意的、撤回! この人は──!?
「ッ!」
隊長さんが一歩、前へと出た。
直後。
『凍って』
凄まじい氷の礫が私達を襲った。
それはまるで、氷の嵐。身体の熱が、瞬く間に奪われていく。
「「「「っ!」」」」
視界を白く覆う、凄まじい魔法。
夏場には是非とも欲しい、冬場には心から願い下げな嵐を前に、隊長さんが剣を鞘走らせた!
「おぉぉらッ!!」
雄叫びと共に振り下ろされる剛の一撃。
生じた振動は衝撃波となり、吹雪を霧散させる!
「凄い……」
吹雪を打ち消す一撃? 凄まじい力だ。
私の中で、隊長さんの株が鰻上りだった。
「…っ、痛いな〜…それにいきなりブルドーザーを使ってくるとは、少しばかり穏やかじゃないな〜!!」
「……」
現在、株は大暴落中。FXって怖い。
「ブルドーザー」って…多分、“ブリザード”だよね、うん。名前の間違い方…おかしいよ隊長さん。
「これで分からないなんて。愚かなものね、人間は」
吹雪を引き裂いてなお勢いの収まらなかった衝撃波を、右手で軽く止めた女性は嘆息した。
私達に対して攻撃を加えることに、大して何も思っていないかのように振り上げられた手の上に幾つもの氷の槍が現れる。
「──これが、協力よ」
手を振り下ろすと同時に降り注いだ槍の雨。
傍眼から見れば美しいとさえ思える造形の槍は、人の命を容易く奪えるような鋭利さを有していた。
隊長さんとセティが叩き落としてくれなければ、私達は命を落としていたかもしれない。
どうして、ここまでの敵意を──ッ!!
『奈落への──』
女性が再び詠唱を始めた…って、何そのフレーズ!?
「っ、させない!」「ユリちゃん、知影ちゃん!」
「心得た!」「はいっ!」
最初の言葉からして危険度が丸分かりの詠唱を阻止するために隊長さんと上辻さんが斬り込む。
ユリちゃんの銃弾が、私の矢が、振り続ける氷の槍を叩き落としていく。
でも、数が多い。
「…くっ!?」
至近距離故に捌き切れなかった槍が、上辻さんの喉元へと直進し──叩き斬られる。
「お~らよっと、大丈夫か~?」
「っ、はい!」
得物を振り下ろした隊長さんの動体視力、ヤバくないかな。
「何としても守る」と言わんばかりの背中が、とても頼もしい。
庇われた上辻さんは脇から飛び出すと、女性に斬り掛かる。
「…任せました!!」
その後ろから隊長さんは大きく踏み込むと、力強く地を蹴った。
──ズンッ!!
空気が、震えた。
踏み締められた地面が反動で巻き上がった時には、隊長さんは風を切るような速さで駆け出していた。
「お~お~、任せとけ~!」
どんどん、どんどん加速していく隊長さん。
駆ける中、両手で握られた剣の切先が風を纏う。
「え、アレ凄……」
「『加速剣』【スラッシュビジョン】。速さを力に変える、隊長殿が得意とする剣術だ」
「そう、あくまで抵抗するのね──ッ!」
女性が槍を握った。
大剣と槍、互いの武器が重なり、激しく火花を散らす。
「…ッ!」「…おらッ!」
火花を通して睨み合いが続く中、隊長さんが一歩分押し込む。
吊り上がった口角が得意気な声を作る。
「風の刃を避けれると、思うな~ッ!」
瞬間。隊長の剣が纏っていた風が解けた。
鋭い音を上げながら荒れ狂って槍を覆ってしまう。
──バキィィンッッ!!
氷で出来た槍が砕けた。
なおも風の勢いは衰えず、女性を切り刻んでいく。
「おらッ!」
「今だッ!」「うむ!」
好機と見た私とユリちゃんが矢と弾を発射する。
これまでの返礼だ。隊長さんの身体を避けながら、女性の身体を狙う。
見た眼に惑わされちゃ駄目。相手は化物らしいのだから。
弓弦君にまた会うまで、私は死ねないんだ。そのためなら、この矢で何だろうと射抜いてみせる!
「悪いな、このまま──っ!?」
隊長さんが、返す刃で追撃を見舞おうとする。
巻き上がる砂埃の中、振り上げの一撃。
「ッ!」
剣は振り上げられた。でも、軌道が不規則。
まるで、無理矢理持ち上げられたかのような──まさか、弾かれた!?
「ぐ…ッ!?」
隊長さんの身体を、弧を描いた光が走る。
直後、凄まじい風圧が私達を襲った。
隊長さんの身体が、吹き飛ばされてくる。
「レオン!」
魔法で吹き飛ばされた隊長を受け止めたセティが、大きく跳び退った。
距離を取りながら、衝撃を殺そうとしたみたい。
でも隊長さんの身体が重かったのか、体勢を崩して尻餅を突いていた。
セティの膝上に腰を下ろす体勢となっている様子は、さながらラッキースケベに見えなくもない。
あの胸が背中に当たっているとか、少しだけ羨ましい。
「お、柔らか…へぶっ」
「…離れる」
あ、打たれた。
「(じゃなくて、あの女は…っ!?)」
更に追撃が飛んできそうな雰囲気に、私は相手の様子を窺った。
「……」
果たして、あれだけの猛攻を受けてなお無傷の装束に触れているその人から、追撃はもたらされなかった。
「…っ!?」
私は息を呑んだ。
装束に触れているあの人の眼は、何だ。表情は、何だ。
「ユリちゃん……」
ユリちゃんは驚いたような、どこか裏やしそうな瞳で彼女を見ていた。
「…うむ。あの女性も、退けない理由が…譲れない思いがあるようだ」
私達に向ける視線や表情とは真逆の、愛おしそうな笑みを一瞬だけ浮かべ、遠くに視線を向ける女性。
あの装束、大切な物なのかな。思い出の品とか…。え、まさか未亡人!?
…。確かにその視点で見てみれば人妻のように成熟されつつも、若き日のまま愛に生きる乙女のような香りが──。
「…すん、すん…ッ!?」
するッ!?
「…うむ。愛の香りだな」
「うん…うん? ちょっと待って。ユリちゃん何で分かるの」
「勘だ。成程…彼女が守りたいのはこの森…もそうだろうが、あの背後の家なのかもしれないな」
そう言うと、ユリちゃんは村の奥に見える一軒の家へと視線を向けた。
他の家とは違って、まだ家としての機能を保っているようだ。ぼんやりとした灯りが見える。
眼前の女性の家──と考えるのが、当然な考え方。
「思い出を守ろうとしているのかな」
「そこまでは分からん。ただ…これは話し合いでどうにかなる相手ではないと言うことだ」
「そっか。…そうだよね」
ユリちゃんの言う通り、罷り通りたければ実力で押し通すしかない。
私だって、弓弦との思い出に踏み入ろうとする存在は絶対に許せない。
…あんな奥さんに愛を注がれている人、良いなぁ。だって一瞬だけ見せたあの慈愛の表情…あれだけで本来は優しい人なんだと分かるぐらい、温かさに満ちていた。
きっと尽くすタイプだろうなぁ。
根拠は乙女の直感。
「終わったわね」
女性が突然、冷徹な雰囲気に戻って口を開いた。
彼女が視線を向けた方を見遣ると、
──ドゴォォオオンッッ!!
地面を震えさせるような爆音と共に、巨大な火柱が上がった。
紅蓮の業火を思わせる、天への柱。
天を焦がす火柱って言うのかな。あの付近に居たらあっと言う間に焼け死んでしまいそうな熱量が、ここまで届いていた。
「あの方角…まさかっ!」
上辻さんが狼狽した様子で火の柱を睨んでいた。
あの驚きよう…まさか。
「おいおい…これは…不味いことになったかもな」
新たに現れた人物が女性の前に立つ。
隊長さんが厳しそうな声を上げているけど、少しだけ鼻の下が伸びている。
「御待たせ致しました」
それもそのはず。
次に現れたのは着物の端に炎を纏った、またまた美しい女性。
髪を下ろした和服美人…うん、これぞ正に大和撫子って感じの人で、言葉遣いからして従者の人かな? 握っている武器は薙刀。
先日隊長さんが夢見ていたっぽい感じの人だ。鼻の下が伸びるのも分からなくはないけど、今そんな場面じゃないよね。
どっちかと言えば、危機的状況だ。
ああ言う落ち着いた感じの人が、実は一番危険だったりするんだよね……。
「お疲れ様。別のルートを通っていた人間は?」
「……音弥を逃がしました」
新たに姿を見せた女性は、僅かに表情を曇らせながらとんでもないことを言った。
ほらやっぱりそうだー!! ヤバい感じの人だよこの人!?
見事にやられたって感じか。別動隊はきっと壊滅してるんだ…。
「…本隊を読まれていたか。…援軍は絶望的だな」
「そうだね…。あの人の言っていることが、本当なら」
…だとしたら、酷いことをするものだと思う。
あれだけの人を殺めちゃうなんて、どうしてそんなことをするの…?
やっぱりあんな姿をしているけど、魔物なのかな…?
「…まぁ良いわ。十分な戦果よ」
「御褒めに預かり、光栄に御座います」
短い会釈の後にこちらに向き直った女性は、感情の読み取れない笑顔を浮かべていた。
貼り付けたような笑顔。笑っているように見えて、全然笑っていない。
「あ、あなたは…!」
そんな女性を見て驚きの声を上げたのは、上辻さんだった。
「か、風音さん! 化物に殺されたはずでは…!?」
「まぁ…上辻様、御久しゅう御座います。…そうですか」
風音…確か鹿風亭の女将さんの名前だったはずだけどまさか、眼の前の人が…? え、じゃあ化物が女将さんの身体を乗っ取ったの!?
「‘ねぇ、ユリちゃん…殺した人の皮を被る魔物って……’」
「‘な…っ、こ、怖いことを言わないでくれ…っ! 居るかもしれないがな……!?’」
…殺した人の皮を被ることで、その人に成り済ます魔物…そっか、居ないことはないんだよね。
じゃあそのタイプの魔物ってこと?
「…私は殺されたことになっているのですね…。そう、化物…で御座いますか……」
「風音」と呼ばれた女性は、どこか寂しそうに息を吐いた。
薙刀を下ろし、静かに上辻さんの言葉に耳を傾けているようだ。
もう一人の女性は、大して興味が無さそうに私達の様子を窺っていた。
何か変な素振りをしたら、いつでも攻撃出来るようにしているみたい。そんなことも考えなくはなかったけど、隙無いなぁ。
「何故こんなことをしているのですか!? あなたの後ろに立っているのは化物! 王を殺しただけでは飽き足らず、『鹿風亭』を焼いたのですよ!!」
私達は、二人の遣り取りを見守っていた。
「あなたが無事で良かった…ですが、私達の側に戻って来てください! 音弥さんだって悲しまれて…!」
「そう…音弥が……」
「お願いです! あれ程“心”について語っていたあなたが化物に心を売るようなこと、してはなりません!! 何か人質に取られているのなら…!!」
「…御話は以上、で御座いますか?」
上辻さんは暫く静止した。
まるで、現実が受け止められていないように。瞬きのみで言葉も発さず、静止していた。
数秒程時間を置いて、ようやく絞り出した言葉は、呆然としたものだった。
「は…?」
小さく頭を振りながら、和装美人が口を開く。
「…何が真実か、何が偽りか…。見極めよ、とまでは申しません。ただ…これだけは、言わせてもらいます」
懇願は、明確な拒絶の意思によって切り捨てられた。
他の何物でもない、あの人本人の意思。
…うん。あの人はきっと、「魔物」なんかじゃない。人間だ。
「それ以上この人や、“あの御方”を悪く言おうとされるのなら…残念ですが、私としても見逃す訳には参りません。…命が少しでも惜しいと思うのならば、どうか…このまま御引き取り願えませんか…?」
あの人は、自分の意思で向こう側に立っている。
上辻さん達の敵として、人に仇成す側に立っている。
向けられた薙刀が、その答えだった。
「か、風音さん…っ!?」
「御引き取りを」
…でもどうして? 両親から託された大切な旅亭を焼き払われたことを知っていても、あの女性の味方をするのは。
…何か、裏があるような気がする。私達の知らない、何かが。
“あの方”って誰のことだろう……。
「何故です!? どうして…!!」
──バリィンッ!!
何か固いものが割れるような音が聞こえた。
私達の様子を眺めていた女性が宙を見上げ、小さく息を吐いた。
「…風音。どうやら、あなたのツケが来たみたいよ」
「…そう、ですか」
慌ただしい足音が聞こえた。
数百、いやそれ以上。
私達が逸れた人達の数に近い足音だ。
「…良かった…!」
背後を一瞥した上辻さんが胸を撫で下ろした。
大声を上げてこちらに近付いてくる一軍。それは正しく、私達と逸れた人達の姿だった。
誰も負傷している様子は無い。きっと、森の中で迷っていたのだろう。
村の入口を覆わんばかりの援軍は、全員得物を抜き放って臨戦態勢を取った。
二対千。数の上なら、私達の方が圧倒的優位に立った。
上辻さんの号令一つで二人を取り囲み、総攻撃を仕掛けることも十分可能。
だけど私の胸には、不安があった。
「…お願いします、降伏してください。安全は保証しますし、生きている限りまたやり直せます! ですから!」
ううん、私だけじゃない。
負ける要素は無い。そう思いたいけど。
「「「……」」」
きっと隊長さんも、ユリちゃんも、セティも、何一つ安心出来ていない。
得体の知れない存在を前に、頭数が意味を成していないかのように。
「…降伏を」
周囲の空気が張り詰めていく。
降伏を迫り、緊迫感の高まる状況下で上辻さん達の剣が黒く光り始めた。
それはまるで、剣に秘められた力を解放しているようだった。
あれが噂に聞いていた特殊装備──だけど、あの光は、何だか。
「‘隊長殿…!!’」
「‘…あぁ。どうにもキナ臭くなってきたな’」
「‘この…光…!!’」
上辻さん達の様子は変わらない。
だけど他の皆は、明らかな異常事態を予期していた。
特殊装備とやらは、聖剣とか言う清らかなイメージよりも…もっと、暗い闇のような。
見ているだけで、不安を駆り立てられるような──ッ!?
「時間切れ…よ」
「はい…」
リミット? 何のリミットなの?
あの剣が光るまでがリミット? どうして? そこに何の関係が──。
「!」
風音と呼ばれた人の手で、薙刀が回されている。
円を描くように、回る、回る。
「──焔の舞、天炎」
炎を上げながら、回る。
「っ、総員散開しろッ!!」
風音と呼ばれた人が地面に薙刀を突き立てた途端、隊長さんが何かに気付いたように空を見上げ、叫んだ。
私達は指示に従い、その場から全力で撤退した。
空から幾つもの熱線が降り注いだのは、その直後だった──。
「…止めて! 俺のために争わないでっっ!! …なんて、言ってみる今日この頃。何だか延々とプールに浸かっているような気分だ。癒やしの泉、聖なる泉。浸かっているだけで、身体に力が漲ってくるような感覚。まさか、実体験することになるとはなぁ。流石に、戦闘不能回復効果は…あぁ、実体験中か。…しかし、こんな所に一人で放置されるって言うのは、寂しいな。侵入者を撃退するために、二人揃って出て行ったが、その間に俺が溺れることは考えなかったのか? 前回溺れているんだぞ? 対策をしていったみたいだが……」
「その対策がまさか、泉の淵に縄で縛り付けるってどうなんだ。一人放置だなんて、何のプレイだよ。中々シュールだぞ? 最早罰ゲーム並みじゃないか、もう少し優しい扱いを…だな……」
「なんて言っても、誰かが相手にしてくれる訳でもないし。寂しいのは依然変わらない。いや、寂しい訳じゃないぞ? こう一人だと、つまらないってだけで…って、何言ってるんだ俺……」
「じゃ、予告だ。『分かり合える者が居る。分かり合えぬ者が居る。問の中で言葉を交わせども、思いが通うことはない。ヒトの間に言葉が生まれて久しい世の中で、争いが絶えた試しはないのだから。剣を取れ、弓を射れ、魔法を放て。相対する者が、敵であるのなら──次回、ぶつかる想い、譲れない願い』…どうして、戦わなければならないんだろうな……」