暗雲立ち込める東の国 後編
『ジャポン』城は、木造造りの中々趣深い城だった。木材の香りが、何とも心を落ち着かせてくれる。
もっとも、城内を重く包み込む暗澹とした雰囲気を前に気を抜くことは出来ないが。
作戦室に通された私達は、そこで眼鏡を掛けた優男を始めとした数人の武装した兵士に迎えられた。
「お話は聞いております。初めまして。今回の化物退治の指揮を任されている裕架 音弥です」
先程「優男」と評したが、「裕架 音弥」と言う男は、正しく優男だった。
立ち振る舞いは、他の兵達と比べて洗練されている。眼鏡から覗く鋭い視線や、腰に帯びている剣こそ物々しさはあるが、どこか武人然としていない。
気迫に欠けているように見えなくもないのだ。いや、闘気を抑えているだけなのかもしれないが。どことなく頼り無さを覚えなくもない。
頼り無さと言えば、ディオ殿もそうだな。彼は彼で、まだ背中を任せられん。
彼の場合は、単なる実力不足だ。背中を任せると言うよりは、危なかっしい彼の背中を私が守ると言うのが正しいだろう。
しかし、眼の前の男はどうだ。
筋肉の付き方を見れば、それなりに剣を振るってきたことが分かる。
少なくとも、上辻殿や周りの兵よりは腕が立つだろう。
──だが、背中を任せられない。
何故かは知らん。勘と言えば勘。勘であり、直感だ。
根拠を求めようとすれば、すぐに行き詰まってしまいそうな、勘と言う感覚。そもそも根拠を追求出来る程に一眼で人を見抜ければ、最早超能力者の粋だ。
いや、初対面の人間にそう簡単に背中を任せることは出来ないのだとしても。どことなく窺える底知れなさが、私の疑念を駆り立てた。
「では早速始めましょうか」
裕架殿が語る、討伐作戦。
その内容は上辻殿が言ったことと、然程変わらなかった。
つまり、私達を含む上辻隊は先遣隊。化物に対して裕架殿の隊が奇襲を掛けるための時間稼ぎを行う旨が伝えられたと言うことだ。
「──では明朝決行します。先遣隊の方は我々が回り込むまで、時間稼ぎに徹してください。死力を尽くし、前線の維持に努めるように」
裕架殿はそれだけ言うと、作戦室を出て行った。
「は。…では皆さん、本日は城内でお休み下さい。明朝出発となりますので、それまでは自由にしてくださって結構です」
上辻殿も一礼と共に去って行く。
作戦の準備があるのだろう。彼が消えて暫くしてから、城内は慌ただしくなった。
「お〜し。全員、一旦解散!」
暇になった私たちは自由行動となり、思い思いの場所へと向かった。
* * *
セティの姿は、再び『鹿風亭』跡地の前にあった。
「……」
道行く人々が彼女の姿を見ると、立ち止まり、声を掛けようとする。が、彼女の雰囲気に呑まれて誰も声を掛けることが出来ない。
トボトボと跡地を歩き回く少女の姿は、少々奇妙な印象を人々に与えた。
しかしその様子も時の流れと共に、風景の一部となった。
当初は集めていた人の注目も疎らとなり、いつしか彼女を気に留める者は居なくなった。
「………?」
頻りに周囲を確認しながら歩いていたセティであったが、首を傾げると足を止めた。
そこは庭石の名残が並ぶ、跡地の一角。
庭石を退かした彼女の瞳は、何も無い“はず”の地面を凝視する。
「………!」
翡翠色の瞳が、微かに見開かれる。
そこには本当に微かにだが、僅かに地面が盛り上がっている箇所があった。
彼女は一度、横眼で周囲を確認した。
注意は集まっていない。まるで最終確認をしたかのように瞑目した彼女は、その位置まで足を進めると──
『──ジュ』
消えた。
* * *
知影もまた、城から街へと繰り出していた。
「なんてったって日本〜♪」
彼女の元居た国は、「日本」という。
それは彼女の国での一般的な呼び方であり、別の呼称として「ジャパン」というものがあった。
「ジャパン」と『ジャポン』。文字にしても音にしても、一文字違いな固有名詞。
名称だけでなく街並みや人の姿もまた、奇しくも彼女の出身国と酷似していた。
酷似していた、というのはあくまで似ているというだけであり、そのままのものではない──というのも『ジャポン』の街並みは、彼女からすれば時代を感じるものだったからだ。
時代。彼女が生まれる前の時代。彼女の居た国では、特定の出来事を区切りとして時代を示す名称が変わるといった風潮があった。
主として、国の象徴であるモノ(この「モノ」には、「者」や「物」が含まれている)が天命を全うした際に切り替わることが多い。
そのような数々の時代の中で、この『ジャポン』と呼ばれる東大陸最大の王国を照らし合わせるのならば、「戦国〜江戸」の辺りが適当だ。
年数にして、およそ200年以上も前の時代。歴史の教科書に登場するような街を歩くだけに、知影の好奇心が刺激されていた。
鼻歌交じりなのも、そのためである。
しかし彼女が上機嫌なのは、それだけが理由ではない。
本命としては、もう一つの理由の方だ。
明日やっと、弓弦に会うことが出来る──という理由。
勿論この理由にも、理由がある。
理由の訳。訳の理由。訳の訳。
訳が分からなくなりそうであるが、彼女の心を衝き動かす背景があるのだ。
「それなり日本っ♪」
自分の身体を取り戻してやっと本当の意味で会えたと思ったら、その翌日に飛ばされてまた会えなくなる。
自分の身体一つにどれ程苦労したことか。異世界の知識も大いに借りたが、何より自分のあらゆる知識を総動員したのだ。
「…そう。アイドルのように、今や住んでた国すら幻想…」
それなのに、それだというのにこの現状。完全な離れ離れである。
自分という存在を繋いでくれた、唯一無二の人物との離別。地獄かと思う程の仕打ちに加えてあの夢──弓弦が犬と共に、自分に対して別れを告げる夢を見た。
「夢だけは誰も奪えない心の翼なのに…」
夢は夢でしかない。
見たのはあの一度切りだ。だが何かを予知しているようで、怖かった。つまり鼻歌はそれを紛らわせるための空元気の意味合いも含んでいることになる訳だが、当然紛れるものではない。
「……………少年はみ〜んな〜…♪ ……………明日はふふふ〜ん……♪」
次第に鼻歌が小さくなった。
知影は近くにあった椅子に腰掛けると、空をボンヤリと見上げた。
「あ〜あ…私の魔法って何だろう…」
解けない疑問から、自らの魔法属性が連想された。
レオンは風、ユリは光、セティは水。弓弦もアデウスとの戦いにおいて何かの魔法に覚醒した。
彼が用いたワープの魔法はどの属性にカテゴライズされるのかは分からないが、彼は何かしらの魔法を用いていた。
そう簡単に覚醒するものかは分からないが、直接自分の眼で確認したのだ。覚醒したのは間違い無い。
個人的に、呼び声に応じるようにして姿を現したのが高得点だ。
あの瞬間、知影の胸はさながら青春物語のヒロインの如く高鳴ったものである。
それだというのに、彼が危機かもしれない状況下で自分は魔法を扱えない。自分だけが覚醒していないのだ、自分一人だけが。
力不足、足手まとい。天才と呼ばれた故に、元の世界で多岐に渡る才能を発揮していた彼女にとって、これ程歯痒いものはなかった。
「お」
そんな彼女の近くを偶然にも通り掛かり、声を掛ける者が居た。
「知影ちゃん。こんな所で何、黄昏ているんだ〜?」
夜の帳の下でもよく目立つ彼の碧玉の瞳が、知影を覗き込む。
「隊長さん…私の魔法属性って…何なのでしょうか?」
レオン・ハーウェルであった。
知影の疑問に耳を傾けた彼は、どこか微笑ましそうに表情を緩めると、腕を組んだ。
「う〜ん…さっぱり分からないな。あ、それで黄昏ていたんだな〜?」
「はい…」
実際は少し違うが、紛らわしくなるのを防ぐために知影は同意する。
少なくとも悩みの半分は、魔法に関してのものだ。
気遣いをありがたく受け取っておこうと思う程度には、彼女の思考は常識的だった。
「もしかしたら知影ちゃんが気付いていないだけで、もう覚醒しているかもしれないぞ〜?」
知影は記憶を手繰る。
前提条件である、魔法をその身に受けるという条件はクリアしている。
その意味では、無意識の内に覚醒しているのかもしれないが──。
「…私が気付いていなければ、それは覚醒していないと同じです」
いかなる名刀も、振るわねば飾り物でしかない。
いかなる錆刀でも、振るわねば飾り物になり得る。
刀そのものの価値を抜きにすれば両者はイコールであり、振るって初めて違いが生じる。
知影は魔法の行使について悩んでいた。
レオンは魔法の有無について諭した。
微妙に論点の擦れ違った問答に、知影はありがた迷惑気味の感情を覚えた。
「…相手は強大な力を持つ存在だそうです。明日の作戦で、私は力になれるかどうか…」
「う~ん、そうだな〜……確かに相当ヤバそうだからな〜。だが〜お留守番なんてことはしたくないんだよな」
「勿論です。弓弦君が居るかもしれないのに、それだけは嫌です」
「ま、だろうな〜。それならそれで良い。俺達がサポートするだけだ」
頼もしい言葉に、知影は思わずレオンの瞳を見詰める。
正直なところ、意外な言葉だった。微かに開いた口が、塞がらない程に。
容易く口にされた言葉が、こうも頼もしく思えてしまうとは。
知影は、そんなレオンに対して疑問に感じることがあった。
「…どうして隊長さんはそんなに余裕そうなんですか?」
感じた頼もしさは、大仕事を控えていても余裕を見せている姿からくるもの──そう知影は考えた。
経験からくるものか、実力がそうさせるのか。レオンという男は、とても余裕を持っているように見えたのだ。
換言すれば、動じない。表面上はリアクションを取っていても、心の底は揺れていない。
巌のように構え、支柱となる。
成程。頼もしさとは、こんな姿から相手が受け取る感情なのかと考えたからこそ、疑問が生じた。
「ん〜?」
彼女が訊くと、レオンは何のことはないとばかりに大剣の柄を軽く小突く。
「隊長ってのはな〜? どんな時でも余裕振ってないと部下が不安がるんだ〜」
「う〜ん…どんな時でも、か……」
「ここだけの話なんだけな~? 昨日、今日だけで四百人余りが化物に殺されているそうだ」
「え…」
どんな時でも、余裕を持つ。
しかし突然口にされた犠牲者の数に、知影は息を呑んだ。
瞳は見開かれ、夜空のような右眼と闇のような左眼が不安気に揺れる。
四百人。四百人もの命が失われたのか。
かつては、画面や他の世界での出来事でしかなかった死者の数。それが一瞬にして眼前に突き付けられ、言葉を失うしかなかった。
「…『鹿風亭』だったか〜? そこの従業員と、今日森に突入して帰らなかった兵士の人数を足しての数だ〜。ま~これ…放っておくとそれなりに危険だ。…だから何としても倒さなければならないんだよな〜」
世界の崩壊を促してしまう要素の一つに、“災厄”がある。
要素とは逆にいってしまえば、世界の崩壊を防ぐための近道でもある。例えば、“災厄”を引き起こす要因を排除することが出来れば、自然と世界を崩壊という最悪の事態から遠去けることに繋がるのだ。
「…俺だって人間なんだ。怖いって思うことぐらい、これでもかとあり過ぎて困るな~」
隊長としての義務感。それが彼の余裕の正体だった。
そんなレオンのらしくない、らしい言葉で若干落ち着いてきた知影は静かに瞑目する。
「(…そうだよね。誰だって怖い…。初めての経験ばかりで、怖いけど……)」
励まされていると気付かない彼女ではない。
彼女は彼の気遣いに応えるため、精神を落ち着けていく。
「…弓弦君はあの森に、居ますよね…」
「知影ちゃんがそんな弱気でどうするんだ~? お前さんの弓弦センサーを信じて、な〜?」
「私のセンサー…私の…決意……」
知影は背負っていた弓を取り出した。
弓蔓に指を掛け、徐に引っ張る。
自らの心に巣食う迷いと、弓弦に会いたいという決意。
同居する感情のどちらが強いものであるかを、改めて確かめるために。
「ッ…!」
キン…ッ。
鋭く張った、澄んだ音。
矢の番えられていない、弦だけの音。
しかしその音は確かに夜を、知影の心の迷いを裂いた。
「…いけます」
何があっても、弓弦と会う。
知影の表情から、迷いが消えていた。
「そうか〜。ま、程々にな〜?」
迷いながらも、進む。
何があっても、折れない決意と共に。
「(…良い瞳だ)」
レオンは彼女の答えを、満足そうに受け止めた。
「(俺達が必ず弓弦の下へと連れて行く。…誰かを失うのはゴメンだからな…!)」
同時に彼自身もまた、自らの決意を強固なものにする。
「ありがとうございます」
「俺は隊長だから当然だ〜。…んじゃ〜戻るか〜」
「はい」
そんな二人の遣り取りを影で見ていたユリは、街の外へと足を向ける。
「(知影殿…)」
知影がそうであったようにユリもまた、弓弦について考えていたのだ。
近くの森の、どこかに居るはずの弓弦。彼と一緒に行動しているはずのハイエルフの女性。喋った傷だらけの漆黒のグリフォン──この三つに関係性があるのでは、と彼女は考えていた。
あのグリフォンは、『ポートスルフ』を襲った妖術師と何か関係があるのではないか──いや、関係云々以前にグリフォンの傷が二人によって付けられたものだとしたら。この三者は繋がると彼女は考えていたのからだ。
『二人の賢人』。その存在は、かつてこの世界を救った英雄の二つ名。
世界を救い、『ポートスルフ』で港町を救った彼等が、何故この国の王を手に掛けたのか。何故人に忌み嫌われるようなことをしたのか。
賢人と、人。英雄と、人。
「(恐らく、鍵はそこに……)」
ユリは街の外に出た。
何故かは分からない。しかし戦人としての直感が、激戦を予知していた。
武者震いのようなものなのだろうか。震える自らの心を諌めるため、銃を背負って獲物を探した。
丁度視界の隅に鳥型の魔物が映ったのは、その時だ。
背中に掛けてあるスナイパーライフルを取り出して魔物の眼に照準を合わせる。
「…っ!」
発射された弾丸は魔物の体に吸い込まれ、地へと落とす。
命中だ。しかし、近くでしゃがみ込んで魔物の死骸を確認したユリの表情は晴れない。
「(脳天…か)」
ユリが照準を合わせたのは、魔物の眼。
だが命中した箇所は眼を逸れ、脳天を撃ち抜いていた。
紙切れ一枚程度の誤差。角度にして、一度にも満たない。しかし誤差は誤差だ。
撃ち殺すという目的こそ達せられたが、針の穴を通すような精確さが求められる狙撃においては大失敗だった。
「(…私は…恐れているのだろうか…?)」
魔物が魔力の粒子に還っていくのを見届けながら、ユリは手元に手を落とす。
何を恐れているのか。
胸の内にある懸念を口に出したら、本当にそうなってしまいそうで──怖かった。
もしかしたらの、場合の、“可能性”。
それが現実となったらと思うと──そこまで考えて、思考を打ち切る。
立ち上がり、街へと戻り、“あの場所”へ。
「セティ殿」
ある場所──元『鹿風亭』跡地まで移動したユリ。
まだ外に繰り出したばかりだ。もう少し物思いに耽りたいと考え足を運んだ場所には、先客が居た。
「……ユリ。…どうしたの?」
セティが更地の片隅で刀を研いでいた。
ユリの声に気付いた彼女は僅かに顔を上げ、自らの得物に視線を落とすと立ち上がった。
「(…彼女のことだ。自由行動となってからずっとここに居たのか。…やはり、余程この旅館に泊まりたかったのだな……)」
「…もう遅い…城に戻る」
「…そうだな」
セティに促され、ユリは彼女の隣に並んで歩く。
更地──感情が見えない彼女の翡翠色の瞳には、どう映ったのだろうか。
ただ、感情が読めないからこそどうとでも取ることが出来る。
寂しさか、それとも別の何かか。
ユリは疑問を覚えたが、敢えて訊かないでおいた。
「早く橘殿と合流して、艦に戻りたいものだな…」
「……コク」
頷きが返ってくる。
あまり言葉数の多くないセティは、それ以上の反応を返さなかった。
彼女はユリ達と違い、まだこの世界に来て日が浅い。そこまで強い帰艦願望は持ち合わせていないようだった。
しかし、折角隣を歩いているというのに何も会話しないのも勿体無い。
ユリが話題を探し始めると、すぐに都合の良い題目が見付かった。
「……そうだ! セティ殿は橘殿とはまだ会ったことが無かったな!」
「………うん」
「彼のことはどこまで知っているのだ?」
セティは暫く考える。
少しの間を置いてから返答を口にした。
「……名前だけ」
直接の面識が無い両者だ。名前だけしか知らなくとも当然のこと。
話題に挙げたユリからすれば、とても望ましい返事だった。
「そうか。では私の主観がかなり入るが、城に着くまで少し話しておこうか」
ユリは弓弦についてセティに話す。
ただ自分が感じたありのままを、弾むように言葉にする。
「橘殿と言う男は──」
しかしユリには、別の思惑もあった。
語ることよりも、寧ろそちらの方が目的なのかもしれない。
ユリはセティが知る、“彼”の人物像を固着したかったのだ。
決して長く続く仲ではないが、短い日々の中でも知り得た人となりを丁寧に語る。
心の底に、ふと浮かぶ不安な予想を打ち消すために。
ユリ自身、ただ話したかった。
故に彼女が少女に語ったことは、少なからずそうであってほしいという彼女の表出した願望そのものであった。
そんなユリの話に、セティは熱心に耳を傾けていた。
「…それで今の性格は本人が必死に作ったものでな、動揺すると素が出るのだ」
「……ふふ」
小さく噴き出したような声音。
次から次へと話していたユリだったが、思わぬ反応に話を止める。
「? 何かおかしなことでも言ったか?」
セティは感情をあまり出さないし、口数も多い方ではない。
だがユリが訊き返してしまう程、弓弦の話を聞いている時のセティはよく笑った。
話の中でも数回笑みを零す場面は見受けられたが、とうとう声に出し始めたためにユリは驚いていた。
「まさか…セティ殿も橘殿に興味があるのか?」
「も」、とは何故出てきたのだろうか。
一瞬複雑に感じてしまった自分が居たような心持ちになったが、どうしてそう思ってしまったのか。
ユリは自身の胸に手を当てて、己の心中を探る。
「…?」
しかしあまりに一瞬の起伏であったが故に、良く分からなかった。
「…コク。…興味はある。でも……ユリの方が面白い」
「わ、私が?」
戸惑うユリに、セティは頷き返す。
「……素が出る…ユリと同じ」
「私は…別に性格を作ってなど…」
嫌な予感に、ユリは頬がひくつく。
性格なんて作っていない。彼女は極めて自然体で日々を過ごしていると自負していた。
しかしセティの表情は、まるで既に裏取りを済ませてから被疑者を追求する刑事のように確信に満ちている──ような、無表情をしている。
「…知ってる。艦の皆には内緒で…作ってる」
そしてどうやら裏取りは、ユリの趣味に関するもののようだ。
世間体的には銃弄りや自らが生業とする医学の勉強等と公言しているが、ユリには周囲の人物には黙っている趣味があった。
彼女は年頃の女性だ。艦という閉鎖的な空間で、自らの欲を満たす手段としての趣味を持っていた。
それは銃でも、医学の勉強でもなく、ただただ年頃の女性としての趣味。
有り体にいえば、可愛らしい趣味というものだ。
「ぬいぐむ…」
「よしてくれ…!」
趣味を暴露されそうなった焦りから、ユリはセティの口元を手で押さえながら声を僅かに荒げた。
彼女の隠れた趣味。その一つにぬいぐるみ製作というものがある。
元々は手先の訓練用に行っていたものが、いつしか本格的にハマってしまい、趣味へと昇格した。
その出来としては、店売りに勝るとも劣らない完成度だ。
時折、異世界の小売店で。極稀に、『アークドラグノフ』内の小売店に卸すこともある。利益もそれなりに上がる。
趣味と実益を兼ねているが故に、彼女がどっぷりと没頭してしまうのは至極当然のこと。彼女の部屋には、乙女的な意味で周囲には見られたくない程にファンシー感満載な世界観が広がっているのだ。
流石に部屋を見られた訳ではないのであろうが、店に卸している姿でも見られたのだろう。
否定しようとしたユリだが、焦って少女の言葉を妨げた時点で言っていることを認める行為でしかなかった。
「…分かった…認めよう…」
がっくしと肩を落としたユリ。
次から次へと暴露話を言われたものでは堪ったものではない。完全に根折れした彼女を見たセティは、また控えめに頬を緩めた。
「……やっぱり、変わった」
「…私が、か?」
何が変わったのだというだろうか。
訊き返しても、少女は「何でもない」と首を振るだけ。
ユリは良く分からないまま、視線を前に向けた。
夜に染まった『ジャポン』城は行灯によって仄かに照らされている。
空を見遣れば、蒼い下限の月に薄い雲が掛かっている。
そこまでなら、何とも風情のある光景だ。
しかしもう一方の赤い月が、何とも暗い予感を掻き立てる。
「……気になる?」
「む…? あぁ…」
蒼い月と、赤い月。
蒼い月が神秘的な印象を受けるのに対して、赤い月はその逆──どこか不安を思わせる輝きを放っている。
「どうしてこの世界の月は、双子なのだろうな」
「…元々は、一つの月だった」
セティもまた、空を見上げていた。
「…そうなのか?」
「…何となく…言ってみた」
「……」
冗談なのかそうでないのか、微妙に判別の付かない会話をしながら二人は城への帰路を歩き続けた。
「どうして此方の泉は、淡く輝いているのでしょうか……」
「あら、泉の輝きだなんて面白いことに気付いたわね。簡単に言うと、森の息吹を浴びて清められた魔力が、泉と言う形で染み出している…と言ったところだけど」
「ママ…ですか」
「…魔力、よ。二文字なのだけど……」
「…すぅ」
「…弓弦様は深く眠られていますね」
「そうね。良かった…顔色も悪くないし、気持ち良さそうな寝顔。…こう言っては何だけど、生死を彷徨い続けているのに呑気なものね……」
「ですがフィーナ様…嬉しそうですね」
「…そう、見えるかしら。…なら、そうなのかも。特に他事は考えていなかったのだけど……」
「きっと、肩の力が抜けているのでしょう。先程まで、ずっと気を張って居られましたから」
「えぇ。私も私で、疲れているのね。ふぅ…」
「御茶を御淹れしましょうか?」
「淹れるって言っても…急須も湯呑も、茶葉も、お湯も何一つ無いわよ? お湯は…用意出来るけど」
「なら、準備は整っております」
「え?」
「実は私、偶然にも茶葉を持ち歩いていまして……」
「お香代わり?」
「いえ、偶然です」
「でも…肝心の急須は…?」
「それが…。私との見間違いでなければ、弓弦様が御手に……」
「え。…嘘、本当に持ってるじゃない。どうして? だってさっきまで……」
「…もしやとは思いますが、無意識で取り出されたとか……」
「“アカシックボックス”で? …にしては、随分なタイミングね。じゃあ、湯呑は?」
「それでしたら、弓弦様の御着物の中に」
「……しっかり二人分あるわ。あの人、いつ取り出したのよ……最早手品ね」
「クス…ッ。では御淹れしますね」
「そう。なら私は今の間に予告を言おうかしら。『最初の一方で情報を与え、次なる一方で補足を行い返事を得る。与えた情報から見返りの情報を引き出す少女は、月夜を眺めていた。二つの月が照らす空の下、赤き光が照らし出したのは──次回、報告する者、倒錯する者』…さ、予告は以上よ。そろそろ御茶を貰えるかしら」
「はい、只今……」
「お茶…ね。…何かがおかしいと思えるのは、私の気の所為かしら」
「まぁまぁ。はい、どうぞ」
「ありがとう。ズズ…。ふぅ、染みるわね……」
「ズズ…。心穏やかな時間と言うのは、かくあるもの…で御座いますね」
「そうね…。色々と気になることは多いのだけど」
「…気にしたところで、きっと答えは出ないかもしれませんね」
「…そうね。何かこちら側でも色々あったから少し疲れたわ。泉に浸かってくるから…この人をお願いね」
「はい。畏まりました」
「ズズ…。御茶が美味しいですねぇ……」