東の日、東の風
『スルフ洞窟』内にて遭遇した、漆黒のグリフォン。
深い傷を負ってなお、私達三人を窮地に追いやった強敵だった。
そのような魔物を容易く斬り伏せた後、消滅まで見届けた闖入者は、覚えのある人物だった。
「…怪我は…無い?」
彼女が来るとは思わなかった。
心配そうに私達を見回した彼女の名を、私は口にした。
「セティ殿…セティ殿なのか?」
肯定するように頷いてみせた少女の肩を叩きながら、隊長殿が破顔する。
「いや〜助かった〜! まさかこんな良いタイミングで来てくれるとはな〜…セイシュウの奴、上手くやったな〜?」
「…それは、偶然」
偶然の産物だとしても、頼りになり過ぎる援軍の到着に、私も肩の荷が下りる気分だった。
互いに情報を交換し始めた二人を横眼に、私は知影殿の治療に取り掛かった。
「‘ねぇ…知ってる人?’」
突然の救援者の事情が上手く飲み込めていない様子の知影殿は、頭上に疑問符が浮かんでいた。
疑問を耳打ちしてきた彼女に、「セティ殿」の正体を口にする。
「あぁ…副隊長だ、私達の」
「‘えっ。…うわぉ…ファンタジー’」
何がファンタジーなのだろうか。
どこか訝しそうにセティ殿を見る彼女の真意は分からない。
「‘…何だろう。初めて会うはずなのに妙な既視感を感じる…’」
「む、既視感?」
「あ、んん…何でもない。こっちの話」
そう言うと、知影殿は思考の海に入ってしまう。
何かしら思うところがあるようだ。しかしそれを訊いたところで、何か話してくれる訳でもないのだろう。
自分の中に閉じ籠ってしまったような印象を受けた。
「しかし隊長殿、これで一安心だな」
知影殿の治療を終え、私は次に隊長殿の治療へと移った。
「いや、二安心だな。どうやらディオとトウガを救援に向かわせたのは、正解だったようだ〜」
何気無い言葉に対する、珍しい形での返事。
隊長殿が使った思わせ振りな言葉に、私は眼を瞬かせた。
「あぁ…」
疑問は口にするより前に、氷解していく。
私達がこの異世界に転移する原因となった、空間を司る悪魔との戦い。
そもそも艦に来たばかりの知影殿や橘殿までもが戦いに駆り出されたのは、副隊長であるセティ殿が救援要請を送ってきたことに関係している。
五人しか居ない戦闘要員の内、二人が彼女の救援に向かうことになった以上、戦力を補うために仕方の無かったことだ。無論、二人の同意は得た上でのことだが。
セティ殿がこの世界に救援として送り込まれたと言うことは、彼女の救出が成功したからこそ。セティ殿もそうだが、私達はディオ殿やトウガ殿にも助けられたと言うことになる。
この状況は、『アークドラグノフ』実行部隊総員で作り出すことの出来たものだ。隊長殿の心中は、さぞ喜んでいることだろう。
「お、手当してくれるのか〜。流石ユリちゃんだな〜」
傷口に手を当てながら、回復魔法を掛けていく。
代わりにセティ殿が知影殿の下へと向かう。
「茶化さないでくれ。それよりも、『楔』は打ち込まれたのか?」
話題は、これからの予定やセティ殿との共有事項に関するものになった。
「おう、だが『転送装置』は艦に戻したそうだ〜。セティちゃん単独で来てくれたみたいだからな」
「ふむ」
『楔』とは、『転送装置』のこと。
数多ある異世界は、当然それぞれの時間の流れが異なることも多い。
私達がこの世界で一日過ごしただけでも、他の世界では一月以上の時間が流れる場合もある。
『転送装置』は、隊員や物資の移送の他に、異なる世界同士の時間軸を同調させる機能も有しているのだ。その効果は、分かっているだけでも数百年単位持続すると言われている。
どうして時間を同調させられるのか。メカニズムは分かってない。
古代の遺跡から発掘されたものを多少改良して再利用していると言う、何とも浪漫溢れる装置だった。
「通信一本で帰れるってことだ〜」
時間の流れが同調すれば、時間の流れを同じくする『アークドラグノフ』と通信が出来るようになる。
私達に、頼れる後ろ盾が出来たと言うことだ。肩の荷が降りるのも、当然のこと。
「…後は、橘殿か」
後は、橘殿さえ見付かれば万事解決。
東大陸に居るであろう彼と合流出来れば、晴れてこの転移事故から始まった冒険に別れを告げることが出来る。
それも、全員生還で。
「そうだな〜」
全員生還。それは、隊長殿が強い信念を持って取り組んでいることの一つだ。
相変わらず脳天気な様子を見せている隊長殿だが、きっと橘殿と合流するまでは帰艦するつもりはないのだろう。
一旦帰投する案を提案しようと思ったが、その必要は無いようだ。
「…どうしているのだろうな」
「…う〜む、さっぱり分からんな」
それにしても、隊長殿は何故分からないことを自信満々に言うのだろうか。
さっぱり分からないのは、私が言いたい言葉だ。
「…セリスティーナ・シェロック。…宜しく」
「あ、神ヶ崎 知影です。こちらこそ宜しく」
少し離れた所で、自己紹介し合っている二人の声が聞こえた。
そう言えば、セティ殿が任務に向かったのは、知影殿達が来る前のこと。
二人は初対面になるのか。微笑ましい様子に頬が緩んだ。
「さ〜、休憩はぼちぼち終わるか。セティちゃんはどっち方面から来たんだ〜?」
「…隊長達を追ってきた」
セティ殿が指で示したのは、私達の進行方向。東大陸方面だ。
何でも、辛うじて拾えた私のインカムを辿り、ここまで辿り着くことが出来たのだとか。
「だが〜、どうしてユリちゃんのインカムなんだ?」
「唯一稼動しているインカムが、ユリのだけだった。後の三つは…駄目」
「駄目? ユリちゃんのは、もしかして通信の接続に成功していたのか〜?」
視線が合った隊長殿に対して、私は首を左右に振った。
「いや、この世界に転移してから再三試したが…常にノイズ音しか聞こえなかったぞ」
仮に通信の接続に成功していたのなら、何かしらの音声が聞こえてもおかしくないはずだ。しかし、聞こえたのは砂嵐のような耳に障る音のみ。
そしてそれは、知影殿のインカムも同じ。
何故私の電波だけ拾うことが出来たのだろうか。
「隊長のは多分、電池切れ。知影のは……」
上眼がちに知影殿のインカムを見るセティ殿。
その仕草だけで愛らしさがあるのが、何とも乙なものだ。
翡翠色の瞳でまじまじと注視してから、ポツリと。
「…うん、壊れてる。…どこかで強く落とした?」
インカムの故障を指摘する。
「あ、そう言えば海に落ち掛けた時に落としたんだよね。修復する材料も無いし、どうせ聞こえてなかったからそのままにしてたんだけど」
「む、しかし見た目には…」
「あ、中身は兎も角、見た目だけなら直せそうだったから直してみた」
「直したのか…」
見た目だけでも直せるものなのか。
いや、直せるどうこうより、直せそうだから直せてしまったの一言に尽きるのだろう。私は僅かながら脱力感を覚えた。
「弓弦のも…電池切れかなぁ……」
「ま〜、俺のヤツが切れたぐらいだからな…。アイツのはもう、とっくの昔に切れているだろうな〜」
「…よく分からない。…けど、辿れたのはユリのだけ。他の反応は無かった」
「…そっか」
セティ殿の返事に、知影殿は大きく肩を落とした。
艦から逆探知出来れば、弓弦の足取りがハッキリするかもしれない──そんなことでも考えていたのだろう。
頭の良い知影殿のことだ。セティ殿の話を聞いて逆探知の可能性と、一人で行動しているはずの橘殿が優先されなかった理由について、すぐ思い付いたはずだ。しかしそれでも、確認せずにはいられなかった。
それだけ橘殿のことが気掛かりなのだろう。少々病み気味なのは否めないが。
「ふむ、となると…当面の目的は変わらないな」
橘殿の手掛かりは、依然として知影殿のセンサーのみ。
まずは予定通り、東大陸へと赴く必要があった。
「よ〜し! セティちゃんも加われば大分戦闘も楽になりそうだな〜。じゃ、取り敢えずは進めるところまで進むぞ〜?」
「了解だ」「了解です」「…了解」
三者三様の返事をしてから、私達はひたすら洞窟を進んで行く。
セティ殿が加わったため、前列を隊長殿とセティ殿が、後列を知影殿と私が務める隊列に変わっていた。
外部が近付いているのか、足場が徐々に上向きの傾斜に変わっていった。
風の香りに、爽やかさが増す。同時に、時々魔物と遭遇する場面もあった。
「お〜、出て来るようになったな」
「…レオンは下がってて。傷、開くかもしれないから」
魔物と遭遇はするが、私達は手を下していない。
いや、下させてもらえない。
セティ殿が刀を振るう度、魔物が物言わぬ屍となって魔力に還っていく。
「うわぁ……つっよ…。これアレだよ、初登場人物の顔見せ会みたいな…そんな補正掛かっているんじゃない…?」
「いや。全くもって、いつも通りだが……」
流石は副隊長であるセティ殿だ。私と知影殿の出番が殆ど無くなってしまう程彼女は強かった。
「‘でも…何か…知っているような、知っていないような身体捌きの癖が…あるような、ないような……ないのかな…いや…ある気がするんだけど…えぇ…どうなんだろう……’」
知影殿は何かボヤいているが、時々彼女の言葉は理解しかねることがある。
彼女の居た世界固有の言葉なのだろうか。それとも、彼女の扱う言語が高度過ぎるあまり、私の理解力不足しているだけなのだろうか。
言葉とは不思議なものだ。
「う〜ん…。セリスティーナさん」
「…セティで良い」
「じゃあセティ。私達、どこかで会ったこと…無いかな?」
[(…む?)」
そう言えば。先程知影殿は、既視感がどうとか言っていたな。
まさか、二人は知り合いなのだろうか。
それか、彼女によく似た人物を知影殿が知っているのだろうか。
「無い」
「そうかな…名前にも聞き覚えが…」
「初対面」
念を押すように言うセティ殿。
知影殿は今一つ納得がいかない様子ではあったが、やがて得心がいったように手を叩く。
「あ! 思い出した。弓弦がやってたゲームに…。で、お気に入りのあまり魔法全て覚えさせてHPとMPと力をカンストさせた上であの最後の僕ちんさんに……」
「…? よく分からないけど……そう言うの、困る……」
…知影殿は何を思い出したのだろうか。意味不明な言葉が多過ぎて、特に後半などは何を言っているのかさっぱり分からない。
首を傾げながら、先を行く彼女達を見ていた。
「…もう少しで出口」
その後も暫く歩くと、遠くに光が。
「む…!」
薄明るく、やがて明度を増していく。
私の魔法の光ではない。自然光だ。
「ん〜? …お! もう少しかかると思ってたが、意外に早く着けそうだな〜!」
「…●%★♭え? 東大陸に着いたんですか!」
披露の色が隠せていない隊長殿も、ようやく見えた出口に表情が明るくなる。
それに対して知影殿は、まだあの独り言を続けていたようだ。
しかし一泊二日で抜けられるとは…余程洞窟が短かったのだろうか。
そう長い距離を歩いたつもりはないのだが、無事に踏破出来て何よりだ。
「よ〜し! じゃあちゃっちゃと東の国に行くぞ〜、走れ〜っ!」
隊長殿の後には誰も続かない。
「ひ…っ、コホンッ」
最初は私も続こうとしたのだが、知影殿とセティ殿が全くと言って良い程に動き出す素振りを見せなかったため、既のところで自重した。
「…何故行かないのだ」
「面白そうだから」
「…コク」
この息の合い様。
どうやら二人は完全に打ち解けているようだ。
しかし「面白そう」が理由だとは──中々に手厳しいものだ。
「って走れよ〜っ!?」
誰も付いて来ていないことに気付いた隊長殿が戻って来る。
結果。面白くなかった、うむ。
「皆もっとな…ノリが良くても良いんじゃないか〜?」
「隊長さん。ある意味、ノリが良いと思いますけど」
「…そうかもしれんが…な〜?」
面白そうと思って実行したことでも、結果面白くないなんてことはよくあることだ。
そんな現実の虚しさを噛み締めていると、白衣の裾をついっと引っ張られていることに気が付いた。
「……てっきり、ユリも一緒に付いて行くと思ってた。どうして?」
「む?」
セティ殿が質問とは珍しい。
一緒に付いて行かなかった理由か…。
「ん…何でもない」
「??」
質問の真意が分からないままに、私は洞窟を抜けた。
岩肌一色だった世界に、色が灯っている。それはまるで、セピア色の写真が一瞬にして鮮明なカラー写真に変わったような──そんな感じだ。
「外だ〜ッ!!」
「抜けたぁっ♪ やったぁ♪」
「…?」
「…ふっ」
空や周りの景色は黄昏色に染まり、木々や私達の足下から伸びる長い影。
眩しい。眩しいが、心落ち着く。思わず口角が緩み、笑みが零れそうだ。
「お〜いユリちゃん、ユリちゃ〜ん?」
両手を広げて駆け出して行きたいような、そんな爽快感に見舞われた。
全身で感じる全ての感覚が、ここが外だと言うことを実感させてくれる。
「…何だ〜、あの眼の輝きは」
「…暗闇暮らしが長くて、外に感動してる」
「いや、そうだとは思うが〜…。あんな、両手を広げてクルクル回る程のことか〜?」
「…感動とは、そう言うもの。ネジぐらい、軽く飛ぶ」
やはり洞窟などは入るべきでは無いのだ、うむ。
あぁ…光…光は良いな。
「ふ〜む」
「見て。ユリ…凄く良い笑顔してる」
「…なんて良い笑顔なんだ…」
光溢れる世界に、感謝を。
外の世界を一通り肌で感じてから、私は至って普段通りの様子で隊長殿の下へと戻った。
「…隊長さん」
そこでは知影殿が、いつになく真剣な表情で隊長殿を呼び止めていた。
何とも言えない表情で私を見ていた隊長殿だったが、知影殿の様子を受けて声のトーンが落ちた。
「…何だ〜?」
「…あの森から微かに…弓弦君の気配がします。本当に…微かですけど」
知影殿が指差す先には、木々が生い茂る森林が。
一体どこまで広がっているのだろうか。ここからでは、全貌を窺い知ることが出来ない。
森林と呼ぶよりは、大森林の方が正確な表現かもしれない規模の森だった。
「…それは本当か?」
「分かりません…でもあの森の近くまで行ってみませんか…?」
本当に微かな反応なのか、知影殿自身も半信半疑のようだ。
喜びよりも、不安の方が強い面持ちをしていた。
「…ユリちゃんとセティちゃんはどうする?」
私は森と、その反対側の地平線を交互に見た。
森の反対側に、微かに街のシルエットが視認出来る。
一面に広がる草原にも人の手が入っている形跡が認められ、付近に人の住む場所があることが窺えた。
あれが噂に聞く、東の国か。
だが橘殿の気配があるのは、森。
これの意味することは──ふむ。
「私は構わない」
洞窟での消耗もあるし、宿で一息入れるのがベターだ。
しかし知影殿の勘を頼りにこの大陸まで足を運んだのだ。とことん彼女の勘を信じるのも良いだろう。
しかし気配を感じるとは、一体どのような原理なのだ?
それは置いといて。
「あの森に…橘殿が」
遠眼で見た感じでは、特にこれと言って疑問に思うような点は無い。
ただの森。深い森。
「(暗そうだな…)」
別に暗いのが怖いと言う訳ではないが、気にはなる。
やはり、視野が悪いと狙撃も難しくなるからな。
「セティちゃんは〜?」
「…コク。構わない」
セティ殿はコクリと頷き、知影殿の提案を推した。
「全員一致か。よ〜し、まずは近くまで行くぞ〜」
隊長殿の号令の下、私達は進路を左方に見える森に向けるのだった。
「やっと泉に着いたわ…。何故だか、一話分の時間が掛かった気がしなくもないけど…」
「そうですね…。最初は、ほんの数行で移動出来ていた様にも思えるのですが、これも人間が森に攻め入った影響なのでしょうか……」
「考え難いところはあるし何かしらの意思が感じられなくもないけど、そうかもしれないわね。あの人は…あ、居た」
「……」
「あらあら…泉の中心にまで移動していますね」
「…ここは閉鎖された空間。風は無いし、泉は完全に凪の状態だと思うのだけど…何かの拍子に流されてしまったのかしら……」
「…泳がれた…と言う可能性は御座いませんか?」
「…どう言う意味?」
「ほら…弓弦様……うつ伏せで浮かばれていますし…。泳がれて、力尽きてしまった…とか」
「…うつ伏せ?」
「はい、うつ伏せ…ですよね?」
「ちょっと…あの人、息してる!?」
「…ここからは、何とも。…背中は動いていませんね」
「嘘でしょっ!?」
「あら!? あらあら…あんなに御急ぎになって……」
「……」
「捕まえたっ。ねぇ、ユヅル大丈夫!? ちょっと!!」
「……」
「しっかりして! あなたっ!!」
「……ごぼっ」
「あなたぁぁぁっ!?!?」
「あらあら。…では、予告で御座います♪ 『簡単に見えるもの程、多くのものを見落としてしまう。踏み入れれば事足りるものを、善人程しがらみに絡まれ足踏みする。人の思惑に煽られ起こされつつある小さな火種を前にして、一行は東国の情勢に巻き込まれざるを得なくなる──次回、暗雲立ち込める東の国 前編』」
「それ、このタイミングですることじゃないわよね!? 肩ぐらい貸してほしいのだけど!」
「ですが…皆様を御待たせする訳にも参りませんので」
「この人の生命の危機を前に、優先すべきこと!?」
「あら…生命の…危機ですか?」
「うつ伏せで泉に浸かっていたのよ、息していないのよ!?」
「…!? 畏まりました、直ちに…!」