若き剣客
隊長殿が意外に料理上手であったことに驚いた夜から時間が流れた。
今は翌日の昼…だろうか。いや、朝かもしれない。
だが少なくとも、夜は明けている──気がする。
というのも、私の体内時計の感覚しか頼りにならない状況のためだ。綺麗な空なんて暫く見ていない。
洞窟は相変わらず薄暗く、“ライト”の魔法無しにはお互いの顔すら目視出来ない。
そう、暗い。本当に、ほんっとうに迷惑だ。うむ。
しかしそれでも進む。明かりの無い道を、手探りの状況で。
「隊長殿、今はどの辺りを歩いているのだ?」
何時間摂ったのかも分からない仮眠から、どれ程の時間が経過したのだろうか。
文字通り先行きの見えない不安を紛らわそうと、私は口を開いた。
「ん〜そうだな〜。それそろ半分は過ぎたとは思うが…それ以外はさっぱり分からんな!!」
知影殿を挟んで戦闘を歩く我等が隊長殿からは、何とも頼りない返事が戻ってくる。
半分は過ぎたという謎の確信は、どこからくるのだろうか。自信の無い返事よりはマシだが、自信があり過ぎるのも何と言うか。
「でも大分歩いてますよね。海の中かぁ…この洞窟の壁が透明だったら水族館気分かも」
知影殿も、随分と呑気なものだ。
水族館──確か以前訪れた世界にあったレジャー施設の一つだ。
水生生物の展示施設。一度足を運んだことがあるが、思い出して気分に浸れるようなものでもなかった。
勉強にはなった。しかし勉強を思い出して楽しい気分に浸れるのかと問われると、何とも返答に困ってしまう。
学びにはなった。学びにはなったが、それ以上でもそれ以下でもない。学びになっただけでしかない。
天井が一面ガラス張りの道を歩いて、水生生物を下から見上げた時には様々な発見もあったが──同時に、ガラスが破損でもしないかと心配になった。
ああいったレジャー施設は厳密に安全管理がされていることが多いが、それをこの洞窟に求めるのは酷と言うものだろう。
「…そうか」
心配だ。
こうも強い磯の香り──ここ海の中であるのは間違い無いのだろう。
しかし、水族館のように安全が確保されている訳ではない。いつ、どこで、誰が、どんな目的…目的に関しては、大陸横断のためだとは思うが、兎に角謎の多い洞窟だ。もし洞窟が水圧に負けて、崩れるようなことでもあれば──想像だけで、背筋に冷たいものが走る。
「(…早く出たいな)」
最後尾を歩く私は、悪寒に身を震わせながら地面を見詰める。
こうしている間にも、地面から海水が染み出してきたりしないだろうか。考えるだけで悪寒が走り、反射的に震えてしまったのか視界が揺れ──にしては、やけに足下が揺れたようにも思える。
「お? 今揺れたな~」
どうやら隊長殿も、揺れを感じたようだ。
つまり洞窟自体が揺れたと。
「(まさか地震…か?)」
いやまさか、崩落の予兆か?
「揺れましたね」
知影殿の声は、呑気な隊長殿の声とは打って変わって固いものだった。
彼女もまた、数ある可能性の中から最悪のシナリオを予見したのだろう。歩みを進めながら、周囲の岩肌を可能な範囲内でつぶさに観察し始めていた。
「ふ〜む……」
一方隊長殿は、どこか訝しむように前方を見遣っていた。
特に壁を見る訳でもない視線は、進路方向に広がる闇を探っている。
「何だったのでしょうか?」
「…何かの衝撃の余波、だな〜……」
衝撃の余波…?
「戦闘か?」
「分からん」
隊長殿は首を横に振る。
しかし背負った得物の柄を撫でると、息を殺すように指示を出した。
「この先だ」
知影殿が困惑気味に、私の顔を見た。
「‘今は付いて行くしかない’」
「‘…うん’」
足音を忍ばせる背中に、私達は続いた。
闇の中を、静かに進む。
沈黙の時間が妙に落ち着かない。僅かだが、緊迫感が周囲に漂っていた。
隊長殿は、何を予見したのだろうか。いざと言う場合に備え、懐に忍ばせてある銃弾の数を確認する。
はっきり言って、あまり残弾のある状況ではない。悪魔との戦闘以来、銃弾の補充が出来ていないためだ。
一発一発、慎重に使っていかなければならない。そう考えながら歩いていると、
「二人共、そこで止まれ」
隊長殿が急に立ち止まった。
背後の私達を左手で制し、大剣の柄を握りながらゆっくりと先の広間へと進む。
隊長殿を照らす明かりが、追従しながら周辺を照らす。最初は長方形の空間を、だが暫く先に行くと四角の上辺が消えた。
どうやら、吹き抜けがあるらしい。
私達が休息を摂った場所もそうだが、この海底洞窟は直線の通路だけでなく、開けた場所もそれなりにあるようだ。
時間が時間なら、休憩ポイントだろう。しかしまだ、今日分の探索を始めたばかりだ。この先にも広場の存在はあると予想されるので、先を急ぐことになるだろう。
そんな広場と思われる空間で何を見たのか、隊長殿は二度見、三度見、四度見(見過ぎ)をしながらいそいそと戻って来る。
「…何か凄いのが居るぞ〜?」
「む…凄いの、だと?」
「何が居たのですか?」
隊長殿は肺に溜めていた空気を深く吐き出し、真剣な面持ちで私達を見た。
「グリフォンだ。漆黒の」
グリフォン。鷲の翼と上半身を持ち、獅子の如き下半身を持つ生物。
中々遭遇出来る種ではないが、鋭い爪と強力な風魔法に注意しなければならない。
しかし、漆黒の体躯を持ったグリフォンなんて聞いたことがない。
「珍しい種だな…。突然変異種か」
「分からんな〜。かなり傷を負っていたが…ヤバそうな気配を感じた。…このまま足音を殺して通り過ぎるから、心の準備をしとけよ〜」
通常種で【リスクF】程度はある相手だ。隊長殿が居るからまず討伐可能だが、ここは洞窟だ。真正面から戦えば、余波で洞窟が崩落する可能性が大いにありえる。
慎重に三人一列に並び、忍び足で先へと進む。
む…、嫌な予感がするぞ。
「‘…良いか~、このままそ〜っとだぞ~?’」
人の倍程もある魔物の側に差し掛かる。
…成程、確かに漆黒のグリフォンだ。眠っている…のだろうか。
「‘そ~っと、だぞ〜……’」
「‘うわぁ…筋肉凄…サラブレットみたい……そ~っと……’」
「‘…うむ’」
──コロッ。
…む。足先に何か当たった。
「キェェェェッ!!!!」
上がる咆哮。
空気が震え、衝撃が肌を打つ。
まさかと思い咆哮の主を見遣れば、石の転がる音に反応したグリフォンが、片方しかない翼を大きく広げていた。
「「…ユリちゃん」」
「っ、嫌な予感程よく当たる…っ!」
「いや予感も何も、そ〜っとって言わないからだよ」
「足元不注意とは…迂闊ッ!』
「いやだから、そ〜っとって言わなかったからだって」
「そんなことはどうでも良い! 構えろ二人共〜!」
互いの得物を手に、戦闘態勢を取る。
戦闘が避けられないのならば、なるべく手早く倒す。
照準越しに捉えるグリフォンは、身体を起こそうとして──前脚から崩れ落ちる。
威嚇するように翼を広げているが、それだけだ。
攻撃しようとしているが、身体の状態がそれを許していないように見える。
「…こりゃ相当弱っているな〜?」
戦闘態勢そのままに、隊長殿がこちらを振り返る。
戦うか、逃げるか。自分の中で出ている答えに対する意見を募る問い掛けだった。
「手負い獣を侮ると、痛い目を見る。苦しまぬよう一撃で仕留めるべきだ」
このまま見逃して、背後を狙われる。避けるべきはそこだ。
ただでさえリスクの高い旅をしているのだ。死に直結するような選択をするべきではない。
それに例え何であれ、相手も生きる存在だ。苦しんでいるのならば、その苦しみから解放してやらねばな。
「そうだね。『手負いの獣の一撃をあなどるでないぞ』って賢者の言葉もあるし」
「む、そんな賢者の言葉があるのか」
そんな会話をしていた時だった。
空気が震え、私達の耳を音が打った。
【…好き勝手に、言って…くれるなぁ? …人間の、分際で】
風ではない。声が聞こえた。
若い男の声が紡ぐ、意思のある言葉達。
声の主は、再び身体を起こそうとする黒き魔物から。
「人語を操るグリフォンだと〜っ!?」
「わぁ…やっぱり居るんだなぁ…こう言うの」
呑気な反応をする二人だが、瞳は険しくグリフォンを捉えている。
【…どうせ、遅かれ早かれ死ぬ…んだ】
グリフォンの瞳も、私達を捉えていた。
穏やかな雰囲気を纏っているが、瞳に宿るのは敵意の色。
「…来るぞ」
隊長殿が声音を落とす。
真剣な様子が語っている。今、危険な状況にあると。
【気分は悪くないが…人間は気に食わねぇ。…悪役らしく道連れ…に、させて、もらう、ぜッ!!】
言うが早く、グリフォンから黒い風の刃が放たれ、私達に襲い掛かった。
圧倒的な密度で放たれる、風の魔法。
隊長殿が防御魔法を放つも、完全には捌き切れない。
次から次へと私達のすぐ隣を突き抜けていく。
その凄まじい風圧たるや、私と知影殿の狙いを定めさせない程。
反撃を試みようとしたが、飛び道具を封じられてしまい、私と知影殿は攻撃が出来なかった。
「くっ…手負い獣の足掻き…ってか〜? 全開状態のコイツをここまで痛め付けた奴は一体何者だ~ッ!?」
吼えるように文句を言う隊長殿。
刃の圧に押されているのか、衣服が切り裂かれている。
微かに風に混ざる血の香りは、皮膚が少なからず切り裂かれているのだろう。
当初は脇に逸れていた風の刃は、次第に私達へと狙いを定める。
「ッ!」
私は咄嗟に横に飛び退いた。
直後、元々私が立っていた場所を風が吹き抜ける。
「きゃあっ!?」
知影殿の悲鳴が上がる。
「知影殿!」
「だ、大丈夫! 少し…もらっちゃったみたい…っ」
僅かに避け損ねたのだろう。
彼女の足から血が滴っていた。
深い傷ではない。しかし、元々より動きを鈍らせるには十分だ。
「(守りに徹するのは限界か…ッ!?)」
私は知影殿の下へと駆け寄ると、‘プロテクト’を唱えた。
追撃で放たれた刃を障壁で押し返し、知影殿を庇う。
「くぅ…ぐっ!」
何と言う威力の魔法だ。
一撃当たるだけで、見る見る内に‘プロテクト’が効力を失っていく。
「ユリちゃん…!」
「ハァッ!」
再度、‘プロテクト’を張り直す。
一枚目の障壁が切り刻まれ、霧散した。
【オラオラオラオラァッッ!!】
だが、二枚目の光の障壁も、瞬く間に輝きを失っていく。
一枚目と比較して、ロクに魔力を練れていない魔法だ。
突破されるのは、時間の問題だった。
「ク…っ」
撤退か、突破か。
撃破が叶わなければ、倒さずしてやり過ごすしかないだろう。
そして私達は、どうしても東大陸に向かなければならない。
つまり、撤退は無い。視線を隈無く動かし、私は目的地を確認した。
「‘知影殿、隙を見て向こうに行くぞ’」
「‘うん分かった。でも…隊長さんが’」
「‘隊長殿が?’」
知影殿が指で示した先。そこでは、
「チィ──ッ!」
隊長殿が得物を構え、突撃を試みていた。
「ユリちゃん、知影ちゃん! 自分の身は、自分で守ってくれッ!」
守りながらの戦いは、困難である。
そう判断したのか、隊長殿は一人で魔物の懐に飛び込んだ。
「おらぁぁぁぁッ!!」
向かい風に逆らいながら、隊長殿は加速する。
神速の突きを放とうと振るわれた得物の切先が、風を切り裂いていく。
──ガギィンッ!
隊長殿の一撃が鋭い音を立てて、魔物が形成した風の障壁と衝突した。
二つの風が大きく唸り、衝撃波となって周囲に広がる。
「凄い、隊長さん…。拮抗してる…!」
「いや、押されている──!?」
隊長殿の表情が、徐々に険しさを増していく。
元々隊長殿は、魔術よりも武術に物を言わせている男だ。
単純な魔法での力比べでは、分が悪い。
【…脆い、脆、過ぎるぜ人間…!】
隊長殿の足が、後方に下がり始めた。
「ぐ…!」
「隊長殿!」「隊長さん!」
【おら、とっとと…くたばれ──!】
粗雑な印象を受ける魔物の声が、途中で途切れた。
「ぐおっ」
隊長殿を勢い良く吹き飛ばして攻撃の手を止めると、暗闇を睨む。
【この感覚、は…!!】
驚いたように見開かれる瞳。
「…?」
暗闇の向こうに、何か居る。
攻撃が止んでいたこともあり、私は微かに感じる気配に眼を凝らした。
「感覚が…何だってんだ〜!」
荒い息で問い掛ける隊長殿の言葉に、魔物は答えなかった。
──いや、違う。答えることが、出来なかった。
「…遅い」
‘ライト’の光が、暗闇に走る軌跡を鋭く照らす。
洞窟内に響いたのは、抑揚の無い女の声。
【キェェェェッッ!?!?】
血飛沫が上がった。
漆黒のグリフォンの片翼が、音を立てて地に落ちた。
切断されたのだ。神速の一太刀によって。
【ぐ…っ…!?】
呻くグリフォン。
溢れる血は溜まりとなり、地面を濡らしていく。
元々深い傷を追っていたためもあるのだろう。致命傷に見えた。
「…翼を斬った。あなたはもう…おしまい」
【…ッ】
得物を構えながら歩み寄る闖入者の顔が、明らかになる。
あどけない顔立ち。しかしその体躯は、小柄な身形に不釣り合いな程、主張すべきところがしっかりと主張している。
「えぇ……うわぁ…やっぱ居るんだなぁ、ああ言うの……」
大人顔負けの容姿に、知影殿が呆気に取られた表情を浮かべていた
。
【お前…まさか…ッ!?】
一方グリフォンもまた、驚きに声を上げている。
呆気に取られた表情を浮かべているのだろうか。自らに刃を向ける存在をまじまじと見詰め、固まっていた。
【け…っ。ンだよ…おい……っ】
しかし次の瞬間、忌々し気な舌打ちと共に脱力する。
何かを察したかのように、諦めたかのように、その場に倒れ込んだ。
【…俺の行動も…この結果も……。何の因果だ、これは…】
「…言い残したこと、ある?」
力無く、左右に振られる首。
【…とっとと…殺れ。…どうせ…助からねぇ、助かろうとも…思わねぇ……】
「…分かった」
振り翳した得物は、身に纏った和装に良く合う──刀。
緋色の刀身。炎を幻視しそうな程に美しい輝きを持つ一振りが今、
【……これもまた…長老の導きと言うこと…か……】
振り下ろされた。
【‘なぁ…クソジジイ…’】
グリフォンの首に走る、赤い軌跡。
接続を絶たれ、徐に首が落下するグリフォンの言葉は、誰に向けたものなのか。
【‘やっと…アンタの所へ…’】
私達を窮地に追いやった漆黒のグリフォンは、静かに絶命した。
地に斃れ、光の粒子となって還っていく。
荒々しい雰囲気とは裏腹に、その死に際はあまりにも──安らかだった。
「さよなら……」
魔物を切り捨てた存在は、得物を鞘に収めると暫く瞑目していた。
「(…どうか、安らかであれ)」
その死に様に、私もまた眼を閉じ祈っていた。
私は聖職者ではない。しかし、どこか救われたように斃れていった魔物に、何故だか祈りたくなった。
「(しかし…)」
まさか、「彼女」が来るとは。
転移事故によって訪れた異世界で出会った救援者は、私と隊長殿が良く知る人物であった。
「地面の中に吸い込まれていく…。魔法とは、不思議なものですね」
「吸い込まれると言うよりは転移の一種よ。私達は今、魔力の粒子レベルにまで分解された上で出口側の魔法陣に引き寄せられているのよ」
「…分解、ですか。では何故に今、言葉を交わせているのでしょうか」
「そうね…。本来転移と言うものは亜高速の速さで行われるもの、つまりは一瞬ね。瞬きの間にでもワープアウトしているようなものだけど……どうしてかしら」
「ワープロソフト、ですか……」
「…ワープアウトよ。微妙な言い間違えね…。何故だか、どこかにありそうな気がしなくもない言葉」
「あぁ、パワプロアウトですね。失礼致しました」
「…ワープアウトよ」
「あぁ、バッターアウトですね」
「どんどん原型が無くなっていっているわね!? しかも、妙に悔しさを覚えるのは何故かしら……」
「大変失礼致しました。耳に馴染みの無い言葉と言うものは、どうしても聞き取り辛いものですね」
「そうね…。言葉や文字の壁は、時と場合によっては大きな障壁となるわ。だから様々な文字に触れる私達の中で、“アカシックルーン”なんて翻訳用の魔法が出来たのかもしれないわね」
「たかし君、ですか? その様な知人は……」
「…もう良いわ。さて、予告よ。『セティという心強い仲間を加え、知影達は洞窟を進む。止まぬ雨が無いように、永遠に続くと思われた暗闇道にはいつしか光が混じり始めていた。広がる新たな大陸に、反応を強める弓弦センサー。しかし新たな騒動が、一行を待ち受けていた──次回、東の日、東の風』」
「横文字、難しゅう御座います……」