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俺と彼女の異世界冒険記   作者: 仲遥悠
最初の異世界
47/411

忍び寄る悪意、日の本を翳らせて

 薄暗闇の中で、対峙する両者。

 静かな風音の瞳に映る音弥の瞳が、瞬時にして戦意を宿す。

 歯は食い縛られ、溢れ出すのは殺気。


「…見せてあげますよッ!」


 待ってましたと言わんばかりに剣を鞘から抜くと、上段に構えて風音に斬り掛かった。

 壱の太刀を避ける風音。半歩引いたすぐ隣を、刃が薙いだ。


「(確かに、腕を上げましたね…)」


 薙刀の柄を握り締め、続く横薙ぎの一閃を掬い上げるように受け流す。

 しかし音弥の勢いは止まらない。

 受け流されることを見越していたように身体を翻すと、そのまま振り下ろしの一撃を見舞う。


「チ…ッ!」


 空を切る切先。

 風音もまた次の手を見越していたように、後方へ飛び退っていた。


「シィ──ッ!!」


 音弥の足が地を踏み締め、力強く離れた。

 薙刀の先で受け止める風音に繰り出される斬撃の数々。そこに一切の手加減は見られない。

 首筋目掛けて、剣先が舞う、舞う──!


「どうです! 私だって、いつまでもあの時のままではないッ!」


 防戦一方の風音に、音弥が吼える。

 狭い地下空間に遮られることなく繰り出される剣術は、確かに熟練者のものだ。

 恐らく本人の才もあるのだろう。確かに、以前眼にした時分よりも強くなっている。


「……」


 幾重にも響き渡る剣戟の音。

 火花が散り、空気が揺れる。

 音弥が剛の戦いをするのなら、風音は静の戦いをしていた。

 刃の嵐の中を、卓越した身体捌きと薙刀捌きで回避し続ける。

 生命に触れるまでの距離、紙一重。

 髪先や服先が切られようと、風音は乱れない。

 次第に音弥の息が上がり始めるが、風音は呼吸一つ乱さない。

 戦いの様相は、徐々に音弥の劣勢へと傾き始めていた。


「っ、ハァァァァァッッ!!!!」


 業を煮やした音弥が、大きく踏み込んだ。

 逆袈裟斬りから跳躍──そのまま全体重を込めて落下。

 両手で掲げられた剣が振り下ろされる──ッ!


「…甘いですね」


 清流が、流れた。

 薙刀が、これまでにない軌道で宙を流れる。


 ──ガィィィィィィィンッッ!!


 火花。

 しかし生じた衝撃は、これまでの比ではない。

 金属音はどこまでも甲高く、余韻を残して闇に消えゆく。


「力も、狙いも、覚悟さえも。その程度では…!」


 刃の上を、刃が滑る。

 瞬く間につばへ接近すると、そこからは鮮やかな光景が広がった。

 風音によって素早く円を描くように操られた薙刀が、音弥の剣に力を加えた。


「づぅッ?!」


 不意を突かれた音弥の手から、剣が弾き飛ぶ。

 だが薙刀は止まらない。再び踊るように振るわれた石突が、無手になった男の鳩尾に吸い込まれる。


「ガ──ッ!?」


 鈍い衝撃に、音弥の口から呻きと唾が吐き出される。

 狙い澄ましたかのような一撃だった。催した嘔気と、強い痛みが音弥に片膝を突かせた。

 勝負が決した瞬間である。

 音弥の首筋へと薙刀の刃先が添えられ、音弥は敗北を喫した。


「夢のまた夢…ですね」


 圧倒。歴然とした実力の差がそこにはあった。

 睨み付けるように風音を見上げた音弥だったが、睨んだところでどうにかなる訳ではない。


「(どうして…勝てない)」


 疲労困憊の自分。

 余裕綽々の相手。

 変わりようのない現実を、受け入れるしかなかった。


「…今日はもう遅いです、早く家に戻りなさい」


 項垂れた音弥が悔し気に歯を噛み締めた。

 悔し気に打ち付けられた拳の皮膚が捲れ、血が滲んでいた。

 だが薙刀を壁に立て掛けた彼女がそれ以上、彼を相手にすることはない。

 話は終わり。窯に向かう背中が物語っていた。


「私は……諦めないですから…」


 振り向かない背中に対して捨て台詞を残し、擦れた眼鏡を掛け直す。

 心の内には、様々な感情が混ざり合っていた。

 しかし、今回は負けだ。それだけは認めなければならない。

 逃げるように、彼は階段を昇って行った。


「…では、仕上げと参りましょうか」


 静寂を取り戻した空間で、風音が髪を結び直す。

 作業、再開の合図であった。

 楽し気に刀剣へと向かう様は、先程までの出来事がまるで無かったかのようだ。

 ここから始まるのは、文字通りの仕上げ。

 父から教わった鍛冶術の一つを、ここで用いる。

 風音は、先にオレイカルコス鉱石から作っておいた小さな宝珠を、刀剣の隣に並べた。


──ボッ…。


 程無くして宝珠から炎が溢れ、刃を包み込んでいく。

 これぞ、一子相伝の鍛冶術であった。名はまだ無い。

 というのも、方法が問題だ。師曰く、「依代と純粋な力の塊を準備し、後は祈れ」なのだから。

 どうしてそうなるのか。それは父のみぞ知ること。

 しかし現実のものとして起こってしまうのだから、納得するしかない。


「(…久方振りの一振り…。私の腕…と言うよりは、素材に助けられた部分が大きいのでしょうか?)」


 刀剣と宝珠が共鳴するように光り輝き、溶け合っていく様子を暫く見ていた風音。


「ふぅ…。あら」


 小さめに吐いた溜息は、意外と大きなものだった。


「(流石に…疲れましたか)」


 壁に立て掛けられた時計を見ながら、内心で独りつ。

 明日も女将としての仕事は数多くある。

 正直大変ではあるが、遣り甲斐を強く感じているのだからやめられない。

 明日のためにも、休まなければ。

 静かに笑みを零すと、やがて彼女も自室へと戻って行く。


「(…やはり私もまた、未熟者。精進…あるのみで御座いましょうか…?)」


 今夜は良く眠れそうだ。

 風音は秘密の作業場への入口を隠すと、自らの仕事に満足しながら旅館内に戻って行った。


「……」


 だから、気付かなかった。


「‘英雄…。英雄にさえ…なれれば……’」


 その背に向けられていた視線が、不穏な闇を帯びていたことに──。


* * *


 朝起きた二人は、まず風呂へと向かった。

 二日酔いのため頭痛に襲われているフィーナを、弓弦が引っ張るようにして連れて行く形だ。

 何せ昨日はてんやわんやの大騒ぎだったのだ。フィーナは酒に潰れ、弓弦も度重なるツッコミで疲労困憊状態だった。

 二人揃って布団の上に倒れ込むのも、当然の摂理なのかもしれない。

 風呂。そう、風呂である。

 『鹿風亭』の風呂は、男湯、女湯、貸し切り湯の三種が存在している。どれもひのきから作られた自然の香り豊かな風呂場だ。

 シャワーの類はないが、代わりに檜製の桶を掛け湯として用いると清々しい香りが鼻孔を突くのだとか。


「「あぁ……」」


 因みに二人が利用したのは貸し切り湯だった。

 ほぼほぼ寝惚けた状態で入浴しているため、隣で並んで身体を洗ったりしているのに何も起こらない。

 風呂に浸かろうと、何も起こらない。ただ肩を並べて湯船を堪能するだけだ。


「「あぁ……」」


 何も起こらないまま、朝風呂を終える。

 虚ろな眼のままで座布団に座った二人。

 慣れたようにフィーナが二人分の緑茶を用意すると、二人で茶を一口。


「「…はっ!?」」


 この時初めて、二人の意識は覚醒した。 


「おはよう」


「おはようございます」


 互いに数度の瞬きの後、朝の挨拶を交わす。

 何とも奇妙な朝の一時であった。


「…今日は、何をしましょうか」


 穏やかな時間が、流れていく。

 その中で話題は、今日の予定へ。


「そうだなぁ……」


 弓弦は何気無く窓の外を見遣った。

 今日も良い天気だ。青空を見上げながらそんなことを考えていると、


──存じ上げません。


 外から声が聞こえた。

 距離があるのか、少々小さな声だ。

 方角からして、旅館の入口側だろうか。

 聴覚にも優れたハイエルフで、ようやく話の全貌が聞き取れるような声だ。

 だから、強い拒絶の意が込められた声であることが分かった。


「(穏やかじゃない、妙だな…)」


「…はい」


 フィーナと視線を交わし、二人で耳を澄ましていく。


──嘘を申すな。妙な二人組を見たとの一報が入っているのだ。言い逃れは出来んぞ、女将。


──そうは仰いましても…。女将として、おいそれと宿泊者様の情報を提供する訳には参りません。確証に足る証拠の提示を御願いします。


──『二人の賢人』の話…よもや知らないとは言わせまいな?


 空を覆う青さとは、対象的な不穏振りだ。

 旅館前の遣り取りに、二人顔を見合わせる。


「…ユヅル」


「あぁ」


 旅館の二階に上がり、障子の隙間からこっそり外の様子を窺う。

 弓弦達が利用している客室は、旅館の離れに位置する部屋だ。場所を変えなければ、外で何が起きているのかを確認出来なかった。


「(…揉めているな)」


 僅かな視界から、あまり歓迎したくない光景が窺える。

 旅館の外で、風音が言い争っているようだ。

 しかも相手が問題だった。

 旅館の外に並ぶ、人、人、人──その数、何百は居るか。

 通りを埋め尽くす人の正体は、国兵か。全員が刀を帯びているのだから、物々しさは相当なものだった。

 言い争っている相手は、そんな多くの兵を率いた男だ。

 無精髭を生やし、身体は小太り気味だ。相手をバカにしているような瞳は汚れており、柄の悪い印象を受けた。


「何故御伽話のような話を信じろと言うのです? 二百年前の英雄が生きている訳、ないではありませんか?」


「(風音さん……)」


 対する風音の態度は、毅然としている。

 絶対に応じないという背中に、意地が見えた。

 ただただ眩しく、そして頼もしかった。


「奴らはハイエルフだったらしいからな。我々人間とは違い寿命が遥かに長いはずだ。それに、これは王命だ。玉璽ぎょくじの押された書状もここにある。昨日からこの宿に泊まっている化物を捕縛しろ…とな」


 だが男も引き下がらない。


「──ッ!!」


 「化物」呼ばわりに、フィーナの全身から怒気が放たれる。

 翡翠色の瞳が、まるで汚物を見るようなものへと変わった。

 何かフォローを入れるべきか。そんな考えが過りもしたが、言葉が出てこない。

 何の言葉も言わず、怒りに震えるフィーナの身体を抱き寄せることしか出来なかった。


「ご主人様…ちょっと痛い……」


 だから気付いた。

 フィーナの肩へと回した手に、知らずの内に力を込めていたことに。


「…! 悪い」


 どうやら、思った以上に内に秘めた感情を表出させていたようだ。

 フィーナの手前、スカしているぐらいに落ち着いていようと思っていたのだが──そうもいかないようだ。


「(だが…何故兵の耳にまで届いている。昨日の今日だぞ? 確かに俺達の危機管理予測が甘かったって言うのもあるだろうが、早過ぎる…)」


 慌てて力を弱め、意識を外へと向ける。


「(考えられるのは…誰かが密告した…ってところだが……)」


 風音の背後に立つ従業員達を観察する。


「この旅亭には現在、化物など宿泊しておりません。早々に御引き取り下さいますよう」


 「そうだそうだ!」と風音の言葉に同意の声を上げている者達の姿が眼に入った。

 中でも声を上げているのは、フィーナと恋話をしていたり、謎の質問を打つけてきたりと昨日の宴会で世話になった者達ばかりだ。皆が一丸となって、国兵達から庇ってくれていた。

 何としても宿泊客を守ろうとする、胸の熱くなる光景だ。

 しかし熱気の高まる従業員達の隅に、微かに温度差があった。

 いや、一度意識してしまえば、不気味な程に強い温度差だと思えた。

 たった一人だけ、妙な雰囲気を漂わせていたのだ。

 ほぼほぼ真下に立っているため、その表情は窺い知れない。

 ただ不気味に、傍観しているようにも見えた。


「(アイツか…!)」


 弓弦の脳裏に浮かぶ、とある一人の人物。

 昨日の様子と今の状況から、自然と犯人の姿が浮かんでいた。

 状況が徐々に飲み込めてきた。

 宴の後、夜の闇に紛れて奉行所にでも密告したのだろう。

 自分達はいうなれば、指名手配犯だ。兵達が動く理由はそれで十分だ。


「(だとしても…何故こんな朝に……)」


 密告するタイミングがあるとすれば、昨晩から今朝に至るまでの時間帯しかない。

 普通に考えるのなら、夜の内に密告するのがセオリーだ。密告が遅れれば遅れる程、自分達が国を出る可能性があるのだから。

 だが夜に密告したのだとすれば、行動が遅いようにも思えた。

 兵達を見ると、物々しい武器の数々を帯びているのが分かるが──


「(戦闘準備を万全にしつつ、逃げられないように包囲網を作るためか? いや、だがこんな白昼堂々と行動を起こす理由はどこにある? 人々に見せびらかすため? 夜に動けなかった理由が何かあるのか…?)」


 兵達の内数人が松明を手にしているのが眼に付いた。

 朝から松明。視界が明らかな時間帯での松明とは、また分かり易い脅し道具だ。


「‘ご主人様……’」


 フィーナの表情が、曇りを増した。

 このままでは、自分達の所為で要らぬ犠牲が出る。


「‘あぁ。フィー、出るぞ’」


 弓弦とフィーナは、浴衣から装束へと素早く着替え、頷き合うと下に降りて行った。

 招待されているのだ、応じようではないか。


「代々続く旅館だかどうかは知らないが、こちらには王命がある。日の本の大義がある。そのためなら貴様等をひっ捕らえ、旅館を焼き払うことも出来る…が、それでも良いのか?」


「大した政策も行えず、私服を肥やす国主が命じた大義? それはさぞ御立派なことでしょうね。…僭越ながら申し上げますけど、あなた方の言う大義とは…横暴の間違いではありませんか?」


 不穏な兵達の様子にも臆することなく、風音は食い下がり続ける。


「貴様…言葉が過ぎるぞ…!」


「(…しまった。些か煽り過ぎましたか)」


 しかし場の状況は、刻一刻と悪くなっていく。

 風音はチラリと兵達の状態を観察した。


「(…刀、火縄銃、そして火矢と松明…。その気になれば、刹那の内に蹂躙されてしまうでしょうね…)」


 女将として鍛えられた観察眼が、危機を報せる。

 不遜な相手の様子に対し、顔を明らかに顰めた輩が数名居た。


「(…可能であれば御引き取り願いたいものではありますが、玉璽ぎょくじの押印された令状がある以上…それも困難な話でありましょう……)」


 その指先は、刀の柄を撫でている。

 いや、既に引き抜こうとしている。

 一歩踏み出されるだけで、風音の立ち位置は既に刀の間合いだ。

 対して風音は無手。複数人で斬り掛かられたら、ひとたまりもない状態だ。


「(ですが脅迫に膝を突き、無実の罪に問われている方々をむざむざ差し出すなど『鹿風亭』女将末代までの恥。…せめて、騒動に気付いた御二方が逃げおおせるまでの時間を……)」


 場の状況は、一刻を争うものに変わり始めていた。

 風音の作戦は、可能な限り時間を稼ぐこと。

 兵達が押し入ろうとした直後に確認したところ、『二人の賢人』は入浴中であった。

 真心の込められたおもてなしを受けつつ、ゆっくり寛いでもらえる。それが旅館の主として何よりの喜びであったため、特に声を掛けることはしなかったが──彼等ならそろそろ騒動に気付いてもおかしくない頃合いだ。

 出来れば逃げてほしい。

 しかし、心のどこかでは願い通りにならない予感を感じていた。

 そして、


「風音、ありがとう。だけどもう良いわ」


「俺達の所為ですまない。迷惑を掛けた」


 予感は的中した。

 痺れを切らしたと表した方が正しいのであろうか。

 眼に見ることの出来ない緊張感が最高潮に達しようとした瞬間、二人は欄干らんかんから外に躍り出た。


「御二方…! …やはり、来てしまうのですね……」


 驚いた表情を浮かべた風音の側を通り抜けると、二人は兵の前へ。

 従業員達を背に庇うように、並んで立ち塞がった。


「何のために私達を捕まえようとするのか。理由を聞かせ──」


 兵達の手が得物を掴む。


「(ッ!? いけないッ!!)」


 それは、瞬きの合間に等しい時間で起こった。

 殺気が爆ぜ、焦げ臭い香りが瞬く間に充満する。


「死ねぇぇぇッ!!」


 殺意が、鉛弾となって放たれた。

 数々の銃声。銃口の先には、弓弦よりも一歩進み出ていたフィーナが。


「──え!? きゃあぁっ!?」


 問答無用の暴挙が、遅い掛かる。

 フィーナが理由を問い質そうとした途端、弾丸の応酬が放たれる。

 照準は定まっていないが、何しろ弾数が多く、あまりにも不意を突かれ過ぎた。

 あまりに唐突だった。流石のフィーナも動揺し、魔法の詠唱が間に合わせられずにしゃがみ込むしかなかった。

 弓弦も弾道上に立とうとしたが、背後から襟を掴まれて尻餅を突く。


「掛かれェッ!!」


 しかし不穏な号令を耳にした途端、弾かれたように剣を抜く。

 迫り来る兵達の剣を弾き、身体を蹴って押し戻しながら声高々に詠唱を紡ぐ。


『動きは疾風の如く、加速するッ!』


 “クイック”を発動。

 倍速化した動きを活かして、剣と銃を交えた複数人による攻撃を捌く。


「うぉぉッ!!」


 これ以上の勝手は、許さない。

 気迫が宿った剣が、剣を叩き折り、鉛弾を叩き斬る。


「ひ、ひっ!?」


 向かって来た兵達の後頚部に、剣の柄が沈み込む。

 一人、また一人と殴打して気絶させていく。

 攻めの手を緩めた途端にやられる。鬼神の如き戦い振りをする彼だが、


「(フィーは…大丈夫か…ッ!?)」


 反射的に飛び出し、敵兵しか視界に映す余裕の無い状況では背後を確認出来ない。

 最後の記憶に残るフィーナの姿は、しゃがみ込んでいた。

 彼女の無事が気掛かりだ。今すぐにでも駆け寄って、無事を確認したかった。

 だがそんな余裕があるはずもない。

 やらねば、やられる。ただでさえ、「峰打ち」をしているのだから。

 相手は人間だ。命を奪うまでの覚悟は、弓弦にはまだ固められなかった。

 だからこそ、余計に苦戦していた。


「(く、そ…ッ!!)」


 手加減までしているのだ。決して負ける訳にはいかない。

 フィーナの無事を信じて、弓弦は剣を振るい続けた。


✳ ✳ ✳


 銃声が響いた途端、フィーナはしゃがみ込んでいた。

 人の耳にすらつんざくように響く音は、彼女の聴覚にとっては鼓膜直撃の爆音でしかない。

 魔力マナを操る集中力すら保てずに、しゃがみ込むしかなかった。

 無様だとは思った。そして愚策だとも思った。

 これでは格好の的だ。すぐに防御魔法を展開して、遠距離武器を弾く障壁を展開せねば。

 だが──自分はどうなったのだろうか。

 身体が、重い。

 しゃがみ込んでから、急に足への負担が増した。まるで、自分の上に重石が載せられたような感覚だ。

 だが石にしては、妙に柔らかく仄かに熱を感じる。


「…ぅ……」


 微かに呻くような声。

 彼女の視界上部を満たしたのは赤い、液体。

 嗅覚が、鉄に近い香りだと報せてきた。

 鉄の香りに近い、赤い液体。


「(…血?)」


 フィーナは、自らの上に“誰か”が倒れ込んできたのだと気付いた。

 もし「血」であるならば、誰の血か?

 先程の喧騒が嘘のような静寂に包まれた中で、彼女は上に乗った“誰か”を退かす。


「…あ、あなたどうして…っ!?」


 視界の端を横切った裾に、眼を見開く。

 見覚えのある裾だ。そして、苦悶に歪む端正な顔を見て確信する。

 フィーナの上に倒れた──否、銃弾の嵐から彼女を守ったのは、


「っ…ぅ…!!」


 風音であった。

 着ていた着物は流血で真紅に染まり、息も絶え絶えの状態だ。

 死に直結する急所からは離れているが、両脇腹からそれぞれ出血している。

 自分で創部を押さえているが、出血は止まらず重症だ。

 治療しなければ、死は免れられない。

 フィーナは身体を震わせながら、風音の胸に両手を当てた。


『かの者を、癒したまえ!!』


 心が、怒りに震えていた。

 あまり人間が好きではない彼女であっても、助けられた恩を仇で返してしまう冷酷さは持っていない。

 込められた恩の分だけ、必ず返す。貸し借りは帳尻を合わせる主義だった。

 だから、殺しはしない。必ず、出来るだけのことをする。

 全霊の魔力マナを打つけ、風音自身の自己治癒力を活性化させ続けた。


「(…許さない)」


 誰だ、誰が撃った。

 恩人を攻撃した輩に、必ず一撃を見舞ってやろうと決意を固めた彼女は、


「…?」


 ふと、周囲が静まっていることに気付いた。


「(いつの間に……)」


 光属性中級回復魔法“ヒール”を掛けながら周囲を見渡すと、静寂の理由が広がっていた。

 銃と剣を叩き斬られた兵達の身体が、そこかしこに転がっている。

 息はしていた。皆気絶しているのだ。


「…答えろ。この国の王が、何故俺達を狙う」


 声のした方を視線で追うと弓弦が居た。

 風音と言い争っていた男の身体を氷属性初級魔法“バインドアイス”で縛り付け、その首元に剣先を突き付けている状態だった。


「答えろ」


 切先が薄皮に触れる。

 少しでも刃を動かせば、動脈に触れる位置だった。

 冷汗を滴らせる男の顔を、静かな怒りを宿した瞳で睨み付けている。


「…貴様等が“英雄”だからだ。災厄を退けし二人の賢人えいゆうユヅル・ルフ・オープスト・タチバナと…フィリアーナ・エル・オープスト・タチバナ」


「…答えになっていないな」


 フィーナは全身の魔力マナを活性化させ、全力で回復魔法を使い続けながら耳を傾ける。


「何のために現れたのかは知らんが、平和な時代となった現代に“英雄”は不要な異分子だ。そこに“在るだけ”で災いを呼び寄せる…害悪よ」


 弓弦もまた、男の言に耳を傾け続ける。


「平和を作り出すのに“英雄”は必要だ。だが平和を維持するのは我等が国よ、王よ。過ぎた力を持つ“英雄”は、不要。まして、それが人間われわれとは相容れぬハイエルフ(化物)ともなれば…」


「──ッ!!」


 化物呼ばわりか。

 フィーナは絶句し、男を睨み付ける。


「(化物なのは…化物と決め付けるあなた達の心よ…ッ!!)」


 噛み締めた唇から、微かに血の味がした。

 自分達が何をしたというのだ。何故化物呼ばわりされなければならない。

 フィーナの中で、怒りが沸々と沸き上がる。


「ならばその命、せめて国に捧げてもらわねばな」


「…散々な言い様だな。放っておいてはくれないのか」


 だが弓弦は静かだった。

 嘆くように頭を振り、溜息を吐く。


「“化物”を手に掛けるのに理由は要る──ッ!?」


 そして静かに、刃を振るった。

 微かに硬い手応えを受けながら、横薙ぎに振り抜いた。


「…あぁ、要らないだろうな」


 一太刀。

 たったそれだけで男の首が、身体と離れ宙を舞っていく。

 やがて地を転がり動かなくなると、残された身体も地に沈んだ。

 男がもう、動くことはなかった。


「(あぁ、そうか…俺、殺してしまったのか……)」


 初めて奪った人の命は、あまりにも実感が湧かなかった。

 血飛沫が上がる光景に、従業員の間でどよめきが走る。


「(あぁ、これで…俺は人殺しだなぁ……)」

 

 返り血を浴びながら、弓弦は内心で独白する。

 初めて、人の命を奪った。

 こんなにも簡単に、奪えてしまうものなのか。


「(激情に任せた一撃…あぁ、美郷姉さんに怒られそうだ)」


 自分に剣を教えた師は、この光景を見たら何と言うのだろうか。

 剣に付いた血糊を払い、地に突き立てる。


「ぅ……」


 気絶した兵達が、意識を取り戻し始めた。

 所在無さ気に視線を彷徨わせた男達の視線が生首を、そして返り血を浴びた弓弦を見る。


「ヒ…っ」


 一人、また一人と眼を白黒させ、後退る。

 ガチガチと歯を鳴らし、中には失禁する者も居た。

 男達の意気地が無いのか──否。元々心の奥底に巣食っていた恐怖が、心の隅々を呑み込んだのだ。

 血塗れになった英雄ばけものの姿に──。


「「「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁあッッッ!?!?!?」」」


 やがて男達は一人、また一人と逃げて行った。

 石ころにつまずいて転びそうになりながらも、我先に、命を守ろうと。


「……」


 弓弦の前には、誰一人立っていなかった。

 あるのは男の死骸。そして、眼に見えない視線の数々。

 遅れて襲ってきた罪悪感に俯き、拳を握り固める。


「(そうか…人を……殺したのか……)」


「ユヅル」


 震える拳が、そっと包まれる。

 顔を上げると、隣に風音の治療を終えたフィーナが立っていた。


「…フィー」


 彼に何と言葉を掛ければ良いのか。フィーナは悩んだ。

 静かに眼を伏せているのは、自分の行為に動揺しているため──そんなことは分かっていたのだが、上手い言葉が出てこなかった。

 彼が傷付いている。分かっているはずなのに、何故だが安堵している自分に気付いてしまったのだ。


「(…馬鹿ね、私)」


 普段の穏やかな瞳とは違う、明確な殺意に彩られたその瞳を見た時──思ってしまった。

 「あぁ、この人は。この人だけは、何があっても自分の味方でいてくれる人なのだ」──と。

 人間の薄汚い部分を目の当たりにした直後でもあったためだろう。迷わず人を殺めた弓弦の姿に、どうしようもなく胸が熱くなってしまった。

 フィーナとて、殺しを「是」とする訳ではない。誰しも命は尊いものだ。

 分かっている。分かってはいるが──所詮は美しい花畑のような綺麗事でしかない。

 人殺しの光景に喜んでしまう、薄汚れた自分が居る。

 自分の心に、フィーナもまた動揺していた。


「…城へ向かいますか?」


 ようやく出てきたのは、そんな言葉だった。

 早く、また落ち着ける場所に行きたい。そんな思いが、現状の解決という案を提示していた。


「…風音さんは?」


「峠は越えたかと。従業員の方に預かってもらいました」


 弓弦は風音の姿を探し、遠眼に状態を確認した。

 荒くなっていた呼吸は、落ち着きを取り戻しているだろうか。時折苦しそうに乱れる時もあるが、血液による巻かれた包帯の侵食は収まっている。

 決して軽くはない傷を追った女将は、静かに眠りに就いていた。


「そうか」


 まずは一安心だろうか。

 しかし腰を上げる必要性のある事象は、存在している。

 これからどうするか。弓弦は幾つか自らの中で案を挙げつつ、フィーナの意見を聞くことにした。


「…フィーならどうする?」


「…危険ですが、風音の言っていた言葉が気になります。…乗り込みたいです」


 弓弦は顎に手を当て、思考の海に浸かる。

 人を殺めたのだ。もうこの国には居られないだろう。

 だがこちらからの用が無くとも、向こうが手を出してくる可能性は否めない。

 今後余計な横槍を入れられる前に、まずは真意を探ることで意見が一致した。


「…そうか。なら念には念を入れといて…おい、そこのお前」


 血の乾いた剣を鞘に戻し、鋭い視線を向ける。

 そこには、昨日握手を求めてきた従業員──音弥の姿があった。


「手引きしたのはお前だな? …丸分かりだ」


 騒つく従業員達。

 まさか、そんな。信じないとばかりに、一同揃って音弥を見る。


「だとしたら…」


 しかし男は大仰に肩を竦め、鼻で笑った。


「…どうしますか?」


 眼の前に立ってもなお不敵な様子を崩さない音弥。

 不気味だ。このまま何もせずに捨て置くと、嫌な予感がした。


「…こうするんだ」


 弓弦が男の身体を突き飛ばした。

 掌で押し飛ばされた音弥は背後

に仰け反り、尻餅を突く。


「…っ」


 無言で睨む弓弦に、身の危険を感じた。

 脳裏を過ったのは、兵の首が飛ぶ光景。


「な、何を……」


 後退りしようとするも、身体が動こうとしなかった。


「な、何で…っ」


 ──その身体には、地面と縫い合わせるようにして氷が伝っている。


「…っ」


 怯えを顔に宿す男。

 小物振りを存分に発揮する姿に、弓弦は溜息を吐く。

 こんな男の所為で、自分もフィーナも、風音も犠牲になりかけたのか。

 一発顔を殴ってやろうかと思ったが、そんな気も失せる反応だった。


「さて…」


 眼鏡の男従業員に掛けた拘束魔法──“バインドアイス”を解除すると、男の身柄を従業員達に預ける。


「やめ…っ」


 音弥の姿は、旅館の奥に消えた。

 恐らく今回の件について、ひたすら問い質されるはずだ。

 今は彼等に任せて、自分達のやるべきことを優先した方が良いだろう。

 

「(まずは、城に乗り込まないとな…)」


 乗り込んで、すべきことをして、ここに戻って来て、国を発つ。

 意気込む弓弦が、遠眼に見える城を眺めていると、


──パァ…。


 ふと自分の中に、力が湧くのを感じた。

「温泉…だと……ッ!?!?」


「うわー、隊長さん、何か眼が嫌です…」


「うむ、そうだな。…獣の眼光を感じるぞ」


「男って言うのはな〜、野獣のように鋭い眼光を持っているんだな〜」


「眼付きの鋭い男はスマートと言うことを言いたいのだろうが…」


「うん、言いたいことは分かるけど…ねぇユリちゃん」


「うむ」


「お〜?」


「「不潔」」


「…何だ何だ二人して〜。そんな汚らわしいものを見るような眼で隊長を見るもんじゃないぞ〜?」


「だって隊長さん…いや気持ちは分かりますけど。私だって弓弦の入浴姿を見たいですけど…。それでもそんなギラついた眼はしませんよ?」


「いや、していそうなんだが」


「えっ、ちょっと待ってよユリちゃん。私の場合はこう…キラキラしたって言うか…さ?」


「見紛いようもなく、ギラギラしていると思うぞ」


「ま〜、知影ちゃんはもう少しお淑やかな感じを持ってもな〜」


「そんなの、隊長さんには言われたくないですよ!」


「うむ、そうだろうな」


「…温泉で反応して何が悪いんだ〜! 健全な男なら、温泉にぐらい反応するだろ〜!」


「だとしても、不潔だと思います」


「うむ、不潔だぞ隊長殿」


「ぐ……」


「…あ〜あ、弓弦の入浴姿見たいなぁ…‘あわよくば乱入して……’」


「…知影殿」


「ほ〜ら! やっぱり知影ちゃんも同類じゃないか〜!!」


「はぁ…。確かに、性に関する欲は三大欲求の一つに数えられてはいるが…」


「性に関する欲、略して?」


「む、性欲だ」


「うわ、性欲だなんて…ユリちゃんやらしー」


「んなっ!?」


「いやぁ…やらしーねー」


「……随分と勝手を言ってくれるな」


「ま〜ま〜ユリちゃん、落ち着きなって〜」


「隊長殿は静かにしていてもらいたい」


「ぐ」


「知影殿も、それ以上言うのなら……」


「…え、ちょっとユリちゃん…。静かに銃口を向けないでもらえるかな……っ」


「…予告だ」


「「そこで予告ッ!?」」


「『運命という糸は紡がれていく。一度交わりを絶たれても、新たに交錯し、歴史を再演する。設けられた争いの蔭で笑うは、誰ぞ──次回、天守にて待ち受ける者』」


「な〜ユリちゃん、どうして予告をこのタイミングで…」


「隊長さん、これ多分…やらなければならないことさえ終わっていれば、後はどうするのも好き勝手出来る…ってヤツじゃ……」


「……」


「(ニコッ)」


「退却だ〜ッッ!!!!」「わ〜っ」

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