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俺と彼女の異世界冒険記   作者: 仲遥悠
最初の異世界
46/411

鉄が打つのは、心

 宴会は続く。

 酒の香りを漂わせ、中には酔い潰れている人間も存在していた。

 そんな中で、弓弦の酔いは冷めつつあった。


「(何故…だ?)」


 広間の壇上に立つ弓弦はさながら国会に立つ首相のように、険しい表情で『鹿風亭』の従業員から質問攻めを受けていた。

 何故質問攻めされているのか。どうしてこうなったのか。

 意味が分からず、混乱していた。


「何故フィーナさんは弓弦さんのことを、ご主人様と呼ぶのですか?」


「弓弦さんは奥様のことをどう思っているのですか?」


「どうすればフィーナさんみたいな美人の心を射止めることが出来るのですか?」


「取り敢えず俺と二人っきりでトイレに行こうぜ! そこで新たな世界の扉を!」


「だぁぁっ! そんな一度に質問するなと何度言ったら分かってくれるんだ! 一人一人順番を守って質問しろ! …後最後の一人! 俺にそんな趣味はないっ!! 断じてな!」


 弓弦は両拳を握り締め、眼の前に準備された机に叩き付ける。

 答えても答えても質問が。暫くしたら、同じ質問が打つけられる。


「(酔っ払い共め……っ)」


 先程からずっとこんな調子だ。

 何故か身体が勝手にツッコミを入れ続けているが、このままでは処理が追い付かないことを危惧していた。

 しかし頼みの綱といっても──


「…そうしたらぁ…ご主人様、私の唇を無理矢理奪ったの? その時は突然だったので混乱したのだけど! 以降ご主人様の唇を見るたびに胸の奥が…キュン! として気ら付いらら…いちゅも眼れ、ご主人様の唇を追い掛けちゃうようにぃ…なっちゃったのよ!!」


「「「キャーーッ!!!!」」」


 フィーナはご覧の通り、当てにならない。

 否、当てにしては色々な意味で弓弦の精神が削られる。酒と恋バナで持てはやされ、すっかり気分が良くなっている様子だ。

 聞かれれば嬉しそうに今日に至るまでの経緯を話してしまうのだから、きっと話がさらに盛り上がることだろう。今の彼女は動く地雷だ。

 弓弦は味方が誰一人居ない中、孤軍奮闘を強いられているのだった。


「教えてください! 夜の相手はどうやって!」


「テクニックテクニック! 女ぁ落とすテクニックを教えてくれ!」


「テクニック? そんなの俺が教えてやるから取り敢えずトイレに、な?」


「ひょほろひょほろあらひれふぉ~?」


 ツッコミが追い付かない。

 それはもう、壮絶な程に。どうしようもなく。


「(どうして…どうしてこうなったぁぁぁっ!!)」


 何故、こうなったのか。

 内心で頭を抱えながら、記憶の中を弓弦は必死に手繰った。











* * *


 ──最初は、普通のお祭り騒ぎに近かった。

 飲み物を飲み、用意されたビュッフェ形式のご飯を少しずつ食べ進めながら、一時を楽しむ。

 弓弦はフィーナと一緒に、他の従業員から様々な話を訊かせてもらっていた。

 話の内容としては、他愛もない世間話ばかりであった。中には中々興味深い内容の話も聞けて、満足していた。

 そう、あの時までは。


「さて……」


 そう、あの時までは!

 弓弦とフィーナの相手をしていた風音が席を立つと、「私は私用があるので外させて頂きます」と言い残して去った後に──それは、起こった。


「フィーナさん! 今から向こうで恋バナしませんか? 私達人生の先輩であるフィーナさんに色々相談したいことがあるんです!!」


「えっと…そうね。私の話がどこまで役に立てるかは分からないけど、そんなので良かったら、喜んでお話しさせてもらうわ」


 待っていましたとばかりに、女性従業員の内数名が動いた。

 女将の手前、我慢していたのだろう。押し掛けるようにしてフィーナを恋話に誘うと、隅の方へと行ってしまった。


「(ま、この賑やかさをさかなにするのも悪くない)」


 弓弦は机に一人向かい、猪口に徳利を傾ける。

 広間の喧騒を聞きながら、徳利を満たす清酒の音に耳を傾ける。


──コッコッコポポ…。


「(良い音だ……あぁ、落ち着く)」


 これが、思った以上に心落ち着く一時となっていた。

 注いでは飲み、注いでは飲み──


「ふぅ……」


 弓弦はその後のんびりと時間を過ごしていたのだが。


──タッタッタ…!


 近付く足音。

 訝しんだ弓弦が盃片手に視線を遣ると、


「…ご主人様ぁぁっ!!」


 衝撃が。

 フィーナに抱き着かれたのだ。

 一杯の酒によって作られていた平穏はは、いつの間にか完全に出来上がったフィーナによって壊された。

 完膚無きまでに。


「ふふ〜♪ 良い気分♪」


 単に抱き着かれただけなら、まだ良い。

 しかしフィーナの様子にを見た弓弦の酔いは、一瞬にして冷めていった。

 フィーナの美しい金髪。

 その上に、あるはず(・・・・)の物が無い。


「‘フィ、フィー!? 帽子はどうした!?’」


 今あるのは、あってはならないもの。

 そもそも何故帽子を被っていたのか。その根拠に基づくモノ。


「ぼうし〜? 勿論持っれますよぉ……れもなんか…ご主人しゃまに耳を触ってほひ〜なぁ…って♪」


 等と言いつつ、帽子を被せてくる。

 何故か帽子の上に、さらに帽子を被せられた弓弦。

 その一方で、フィーナの髪からは現在、彼女の髪と同じ金糸色のフサフサな犬耳が伸びていた。

 そう。ハイエルフとしての証が、多くの眼に触れていた。

 一様に丸くされている瞳は、犬耳を中心に向けられている。

 賑やかだった広間に、静寂の影が伸びている。

 徐々に、徐々に静まっていく。


「‘お、おい! 時と場所を考えろ! 早く被れ!’」


「いやれす! 早く…早く触っれくだしゃいっ! ねぇ愛でて! 触りなひゃい!!」


 もう駄目だ。言うことを聞いてくれない。

 歯噛みしながら、弓弦はフィーナの帽子を両手で持ち上げた。


「こ、んのっ!」


 勢いそのままに、フィーナの頭に帽子をダンクする。


「ぁ…っ」


 強引な行為に、フィーナから艶のある声が零れた。

 人の心労なぞ露知らず、随分と幸せそうな様子だ。


「(く…どうする!?)」


 思考を巡らせる。

 誤魔化しようはあるのか、向こうにどの程度情報がもたらされてしまったのか。程度によって、最善の手を打たなければならない。

 しきりに視線を彷徨さまよわせていると、控え目な声が聞こえた。


「あ、あの〜?」


 女性従業員の一人がおずおずと手を挙げていた。


「フィーナさんの頭の上に付いている犬耳はどういったものなのですか? 触らせてもらった所…本物のようですし…」


 急いで被らせたが、どうやら時既に遅かったようだ。

 触ってないのならまだしも、既に触られているのなら話は別。反論の仕方が変わってくる。


「本物…ね」


 顎に手を遣りながら、敢えて含みを持たせた発言をする。

 いきなり否定に走っても、それは肯定の裏返しだ。どうにかして、本物ではないと説明する必要がある。

 弓弦が返答に窮していると、うっとりとした表情のフィーナが急に手を引っ張られ、壇上へと連行された。


「……」


 嫌な予感に、冷汗が滲む。

 クルリと身体を回され、視界に広間全体を望まされる。

 衆目が集まる中、フィーナは半歩下がり──


「んふふ〜…ご主人しゃま? わらしたちだって、いっぱい質問に答えていたらいたのれすから? ごしゅじんしゃまもしっかり答えましょ〜っ!!」


 とんでもないことを言い出した。


「い゛いっ」


 まさかの公開処刑である。

 聴衆の瞳には期待が満ち溢れ、口が今か今かとスタート体勢を取っている。

 質問攻めになることが簡単に予想出来た。


「何てことを……」


 弓弦は項垂れた。

 こうなっては仕方が無い。

 それに、場合によっては好機に取れなくもない。


「さぁみなさん! 遠慮無く質もむぐっ!」


 まずはフィーナを静かにさせる。


「おすわり。そして口は、チャックだ」


「ぅぁ……っ」


 座らせ、発言も自制させる。

 有無を言わせぬ静かな迫力と、某犬の半妖のような扱いがどうやらお気に召したようだ。


「……答えれば良いんだろう答えれば! 訊きたければ訊け!」


 ちょこんと座ったフィーナは、うっとりとした面持ちで視線を向けてくる。

 息を荒げ、潤んだ瞳で見上げてくる姿は嗜虐心を唆らせるものだ。

 しかし今彼女に構っている暇は無い。極力彼女を視界から外しつつ咳払いを一つすると、弓弦は出される質問に一つ一つ答えていくのだった。


* * *


 そして一時間後(現  在)

 あの後、再びフィーナは隅の方に連れて行かれてしまった。

 酩酊した相手から情報を引き出そうとするとは、ありがちな手だが有効な手だ。弓弦としては防ぎたかったのだが、意気揚々と飛び出して行く彼女は止められず──壇上で一人、次々と出される質問に答える羽目に。


「(あそこで開き直った俺を全力で殴りたい)…はい」


「つまりその犬耳は本物で、お二人はハイエルフなのですか?」


「どうしてそう思う。第一ハイエルフなんてものは、二百年以上前に絶滅している存在だ。そんなに長く生きる存在が居るか?」


「犬耳は」


「良く出来ているだろう。『魔法具』の一種だ。とある遺跡で拾った」


 ざわざわ…とどよめきが広がる。

 誤魔化しに誤魔化しを重ね、真実に嘘を塗り固めていく。

 風呂敷が広がり過ぎないよう注意しているが、重ねた嘘の分だけ広がってくださいく。

 弓弦は内心辟易しているが、受け入れるしかないのが現状だ。

 ハイエルフの存在は、出来れば知られて良いものではない。


「(まぁ…あまりにも手遅れが過ぎるが…な)」


 何を返答しようと、好奇心の数は減らない。


「…はい」


 次に弓弦が指したのは、先程広間に案内してくれた二人の片割れだった。

 眼鏡を掛けた、知的そうな男性従業員。

 眼鏡の奥の鋭い瞳が、見定めるような光を放っている。


「…確かに、二百年前にハイエルフは絶滅したと広く知られています。しかし、とある話がある。僕は学者である友人から、現在も生きているハイエルフが…二人だけ、この世に存在していると耳にしたことがあります。一組の男女…それは、あなた方なのでは?」


 面倒な質問だ。

 しかし、答えない訳にはいかない。

 沈黙こそが、最もたる肯定の返事なのだから。


「自分の眼で見た訳でもないことを、当てずっぽうで言われてもな。違う以上、違うとしか答えようがない。一組の男女と言うだけで間違われてたんじゃ、間違われた方としては堪らない」


 二百年前から今の時代にまで生きてきたハイエルフは、弓弦の知る限り三人だ。

 違う以上、違うとしか答えようがない。嘘を重ねることに罪悪感を感じ始めていた心が、少しだけ軽くなった。


「(…だとしても、悟られる訳にはいかんな)」


 あの眼鏡の男は、危険だ。

 間違い無く、こちらの正体に確信を持っている。

 だが、確信を持っているような様子はブラフかもしれない。

 注がれる視線に嫌なものを感じつつも、弓弦は一歩も退かない姿勢を貫く。


「酒の席とは言え…少し不躾が過ぎるんじゃないか? 宴を彩る傾奇者を演じるにしては…あまりにも浅はかだ」


「──ッ」


 言葉に込められた棘に、男が怯む。

 眼鏡越しの瞳に、動揺の色が滲んだ。


「失礼しました。…あなた方が災厄を世界から退けし『二人の賢人』その人だと思っていたのですが。僕の…夢だったんですが。英雄に会うことが…」


 男は瞳を伏せながら、一歩退いた。

 舌戦から退くという意味での動作だろうか。そのまま、部屋の外へと消える。


「(…どうにか、なったか?)」


 棘を込め過ぎるあまり、少々変な言い方をした気もする。

 しかし、何とか退けたことは事実だ。まずは内心で、安堵の息を吐く。


「弓弦さんの好物は何ですか?」


 しかし構わず質問は飛んでくる。

 一難去ってまた一難。質問の後に、また質問。

 質問地獄だった。


「好物は「昨日の夜ご飯みたいな風音しゃんの料理」…も好みだが「知影しゃんの料理」…勿論好きだが「私の料理は?」好物に決まっているだろう…!「「「キャーーッ!!!!」」」……兎に角! 俺のために作られた料理とか、その…想いが込められている料理なら何でも好物だ!!!!」


 本当に、地獄のような時間だった。


「聞いた!? 『好物にひまっている』なんて…しかも私の料理の時は即答…あぁ…っご主人様ぁ…っ」


「「「キャーーッ!!!!」」」


 何故質問一つ答える間に、こうも横槍が入るのか。

 どうしてこんな暴露話のようなものをしなければならないのか。

 ああ言えばこう言われ、こう言えば黄色い声の大合唱。


「(これじゃまるで、見世物にされている気分だ……)」


 元凶を呆れた眼で見ると、嬉しそうに彼女は微笑む。

 眼を細め、赤らめた頬は緩み切っている。

 有頂天の様子、即ち何も気付いていない顔だった。


「(幸せそうだなオイ…っ)」


 願わくば、弓弦としてもあそこまで楽しく酔いたかったものであった。


「今何を思ってフィーナさんを見たのですか?」


「フィーナさんのスリーサイズって既に把握しているのですか?」


「既に“そういったこと”は経験したのですか?」


「今の見た!? ごしゅじんしゃまが私のをころあっつい視線でじ〜っと見詰めたわよ!!」


「「「キャーーッ!!!!」」」


 こんな、針のむしろのような状況下でなければ──。


「(…誰か一人でも良いから、ツッコミ要員来てくれ。頼むから…)」


 似たような質問ばかりに、ほとほとうんざり気味だった。

 弓弦はもうどの質問に、何度同じ回答をしたのかを覚えていくのを諦めた。

 回答を訊く気はあるのだろう。覚える気もあるのだろう。

 しかし広間に居る人間の殆どは酒に酔わされ、致命的に記憶力が欠如している。

 真面目に答えるだけ無駄だ。今さらながら、そんなことに気付いた。


「お! やっとその気になったか! 一緒にイこうぜ、新世界へと!!」


「そんなツッコミは望んじゃいないッ!」


 そう、この謎の男についても考えるだけ無駄だ。

 声の主は、体格の良い旅行客。あれは、ああいう存在(・・・・・・)なのだ。

 人の趣味は色々とある。否定するつもりはないが、巻き込まないでほしい。

 巻き込まないでほしいというのに、


「(どうして、こう──ッ!)」


「「「「「キャーーッ!!!!」」」」」


 プチンと、糸が切れた音がした。

 弓弦の中で、大きな音を立てて。


「後なんでキャーキャー言ってる人数が増えているんだ、おかしいだろ!!!!」


 それが、始まりだった。


「やらないか」


「止めろ!」


「「「「「「キャーーッ!!!!」」」」」」


「だからまた一人増えるな!? 腐っているのか!? それとも発酵しているのかここの女性従業員は!!」


「早過ぎては駄目です。味噌はしっかり発酵させないと」 


「そう言うことはもう少し小さな声で話せ、ややこしいから!!」


「私、ご主人しゃまの作った味噌汁が飲みたいれす!!」


「時間があったら作ってやるから静かにしよう、な?」


「「「キャーーッ!!」」」


「減った!?」


「俺の味噌汁も」


「フィーに作るんだ!」


「「「「「「キャーーッ!!!!」」」」」」


「「「キャーーッ!!!!」」」


「別要員だっただとっ!? …てか、静かにしろぉぉぉっ!?!?」


 今日一番の大声量であった。

 次から次へと打つけられる質問に痺れを切らした弓弦は、腹の底から抗議の声を上げた。


「ゼェ…ゼェ…っく…ぐ……ぅっ」


 キリがない。喉が痛い。息が辛い。

 もう沢山だとばかりの文句が、広間を静まらせた。


「(…収まった…か……)」


 喉飴を舐めたくなってきたが、全力の叫びによりやっと静かにすることが出来た。

 これで、終わりだろう。ホッと胸を撫で下ろしながら、荒い息のまま広間を睨む。

 すると、


「フィーナさんのどう言ったところが好きなのですか?」


 また質問が。

 おまけに弓弦にとって何とも答え難い質問内容だった。

 先程からずっと変化球の対処ばかりしていたために、真面目過ぎる直球は予期出来なかった。


「どう言ったところ…か」


 挙句、困り果てることに。


「…言わなきゃいけないのか」


 頷く数人。

 中でも味方であってほしかった人物が、一番大きく頷いていた。


「フィーナさんのどう言った所が好きなのですか?」


「…こんな大勢の前で、か?」


「フィーナさんのどう言った所が好きなのですか?」


 イッツ、エンドレス。


「フィーナさんの「言うよ! 言うから静かにしろ!」………」


 そして静寂。

 広間に居る全ての人間と一人の泥酔ハイエルフが弓弦を見詰めてくる。

 どうしてこう、一体感があるのか。

 全然嬉しくない一体感だが、感心はする。


「(ま…言って事が収まるのだったら…これぐらい言っても良いか)」


 頭痛を覚えながら肩を落とすと、観念して口を開くことにする。

 面倒で仕方が無かった。

 この永遠に続く地獄とも受け取れる時間が、少しでも早く終わるのなら一時の恥ぐらいどうってことない。


「……その、な? ……まぁ何だ…」


 髪を掻きながら、躊躇ためらいを捨て去る。


「…弱くて情けない俺を、献身的に側で支え続けてくれる温かいところ…とか…? 料理上手で美人なところも中々…」


 もう、どうにでもなれ。


「あぁもう! 挙げだしたらキリがない! 全部大好きだよ! 全部なッ!!」


 酒の勢いが、残っていたのかもしれない。

 思わず叫んでしまった言葉に、弓弦の口角が引きつる。

 勢い任せとは、このこと。思いのままに、駆け抜けてしまった。


「…は、はは」


 広間内は静まり返っている。

 誰もが口をポカンと開け、呆気に取られている。


「……」


 額を冷汗が伝う。

 これは、勢いに任せるあまりに全力で失敗してしまった感覚に近い。

 ふと思い返してみれば、何とも形容し難い小っ恥ずかしさに言葉を失う。


「あぁ…っ!!!!」


 そんな中、感極まった声と共に壇上へと向かう者が。

 勿論フィーナだ。覚束無い足取りで弓弦の下へと走って来る。


「(あぁ、あれは……)」


 これから起こるであろう出来事を予期して弓弦が動くと、


「きゃっ!?」


 その直後、フィーナ階段でつまずいた。

 予測通りの出来事だ。既に動作準備に入っていた弓弦はフィーナの前へと急行し、前のめりになっていく彼女を抱き留めることに成功した。


「ご主人しゃま…!! わらしもです! わらしもご主人しゃまの全てがらいしゅきですっ!!」


 どうやら、さらに酔いが回ったようだ。

 まるで呂律が回っていない。

 そして酒臭い。


「まったく…ほら、部屋に戻るから肩に手を回せ」


 こういうのは、寝かせるに限る。


「こおれすか?」


 すぐに回される、華奢な手。

 酔っているにしてはやけに迷いの無い動きだった。


「よっ…と。俺達はもう部屋で寝かせてもらうから、後は勝手に盛り上がってくれ!」


 フィーナの膝裏に手を回し、おもむろに抱き上げる。

 相変わらず、羽のように軽い身体だ。

 重さを、全くといっていい程感じない。


「…しっかり掴まっとけよ、フィー」


「ぇっ!? えぇ……」


 フィーナを俗に言うお姫様抱っこで抱え上げた弓弦は、そのまま部屋へと向かった。


「「「キャーーッ!!!!」」」


 黄色い歓声を背に浴びて。


「(…頭、痛いな……)」


 因みに、大広間から部屋まではそう遠くない。

 賑やかな広間の喧騒は、部屋に戻ってもなお聞こえ続けるのであった。










 

* * *


 ──カン! カン! カン! カン!

 薄暗い地下室の中で、鉄を打つ無機質な音が響く。

 注いで暗闇を照らすのは、赤い火花。

 窯から取り出したばかりで赤く染まる刃に、鉄槌が振り下ろされ続ける。


「…差し入れです」


 熱気立ち込める地下室に、男が茶を持って現れた。


「頂戴します」


 応じた声の主は、女だった。

 地下室の隅にある小さな書斎に置くよう命じると、再び槌を振り続ける。


 ──カン! カン! カン!


 再度響く、鉄の音。

 その場を去ろうとしていた男の足が、地上へと続く階段の手前で止まった。


「あの二人について……」


 眼鏡越しの瞳に、軽装で槌を振るう女の姿を映す。 


「…風音さんは、気付いていらっしゃったのですか?」


 呼ばれた女の手が止まる。

 冷え始めた鉄を窯に戻し、顔だけで振り返った。

 それは紛れも無くこの地下室がある旅館の女将──風音のものであった。

 幼くして母より女将修行を施された彼女は、同時に鍛冶職人であった父からも教えを受けていた。

 当代きっての名職人とも呼ばれたことのある父親だった。その技術の全てを叩き込まれた彼女もまた、名職人と呼ばれる存在だ。

 

「あれ程頑なに拒まれていた槌を、今さら握るなど……」


 ──しかし、とある「事件」が彼女に槌を置かせた。

 彼女が槌を振るうのは、実に数年振りのことであった。


「…音弥おとや、私がいつ槌を拒んだのですか?」


 風音が男を見詰める瞳は訝し気だ。

 しかし「音弥」と呼ばれた男は臆すことなく、発言を続ける。


「“あの時”からあなたは、断固として誰の依頼も受けようとしなかった。それが一国の王からの依頼であったとしてもです。…拒みと言わずして、何と言うのですか」


「私はただ…作品を持つに値する人間が居なかったために、槌を置いていただけです」


 そう言うと、風音は再び窯から鉄を取り出した。


「ではあの二人は持つに値する人物だったと言うのですか! 私では、駄目だと…っ!!」


 音弥の拳が壁に打ち付けられる。


「確かにあの二人は、英雄です! 本人達は否定していますが、『二人の賢人』その人だ! でもだからと言って、私が刃を手に出来ない理由にはならない!! 何故ですかッ!?」


 だが、鳴り響く鉄の音が、男の嘆きを呑み込んだ。

 風音は槌を振り始め、顔すら向けない。

 その瞳は、眼前の鉄にのみ向けられていた。


「…あなたは、純粋過ぎます。穢れを知らない。…力に貪欲なだけ(・・)の人間に、意味も無く強い力を与えた結末…そう、いずれ力に溺れる。何度も言ったはずですが」


「分かっています…ですが!」


 音弥は、理解出来なかった。

 確かに自分は力が欲しい。だが、力がどれ程のものであったとしても使い熟せば良いだけのこと。

 力に溺れはしない。何故、力を振るう資格さえ与えてもらえないのか。

 音弥は、幼少の頃から風音を知っていた。遊び、戯れ──時を共にしたことも多い。

 なのに何故自分ではなく、余所者に力を与えたのか。


「あなたがあの時に剣を作ってくれれば…。あいつが生命を落とすこともなかったかもしれない!! それなのに!」


「…。確かに間音まおとの死は、彼を止められなかった私が背負わなければならない…咎です」


「だったら!」


 風音は首を横に振る。

 強い拒絶の意思を込めた仕草に、音弥は苦虫を噛み潰したような表情に変わっていく。


「ですが、背負っているからこそ私は…あなたに力を渡す訳にはいかないのですよ?」


「…何を」


「…それに私があの二人に渡したのは包丁。あなたが望んでいるような武器とは違います」


「──では今あなたの鍛えているそれ(・・)は、何なのですか!!」


 明らかに怒りの混じった声が、薄暗闇に響く。

 風音が口にする言葉と、今眼の前にある光景が矛盾しているように感じたのだ。


「……」


「何と鋭利な光、何と物々しい形…! それは刀ですよね! 武器だ! それも、あの二人に渡すつもりの!」


 音弥が指で示した鉄は、包丁よりは遥かに長かった。

 宴の半ばで彼女が席を外したのは、翌日宿を立つ一組の男女に「ある物」を渡すためであった。


「久々に、心が震えたものですから」


 心が震えた。

 それだけのことで、朝に揃ったばかりの材料から刀を鍛えるというのか。

 大して言葉を交わした訳でもない、いうなれば、どこの馬の骨とも知れる存在と。


「何がそこまで…」


「予感と…期待です」


 言葉の意味が、音弥には分からなかった。


「託してみたくなったのですよ、私の想いを、あの二人の行く末を照らす炎に込めて。あの二人は『英雄』であろうとなかろうと、強い心と互いを深く想い合う絆を持っています。…それはどちらも、今のあなたには欠けているものです」


 風音が再び槌を振るう手を止める──否、振るう必要が無くなったのだ。

 打たれた刃は淡い光を放ち、完成の時を静かに待っている。

 想像通り、いやそれ以上か。

 過去最高の出来だと確信出来る刀身が、窯の揺らめく炎を映していた。


「(力は、力…。そう、力でしかなく、そこに善悪は無い。だからこそ…)」


 炎を映す瞳が、そっと閉じられる。

 瞼の裏に、かつて追っていた師の背中が浮かんでいた。

 調子の良い性格であったが、鍛冶の腕は一流だった。

 届く刀剣の依頼は数知れず。受ける依頼は一握り。一度南国の市場に流れれば、ありとあらゆる好事家がこぞって大金を持ち出す。

 その男は──誰よりも、妻である母を愛していた。


「私とて、力に溺れない自信がある!!」


「(だからこそ…どちらにも染まる。力を振るう者が、存在する以上…)」


 父亡き後は、代わりに風音が槌を振るっていた。

 流石は父だと感じたのは、どんなに槌を振るおうとも父の刀剣には及ばなかった時だ。

 しかし諦め切れず、ひたすらに刀剣を鍛え続けた。

 そんな日々の中で鍛えた、一振りの刀剣。

 会心の出来であった。しかしその剣が生まれてしまったがために──とある男の人生が狂ってしまった。


「これでも、日の本を守護する侍大将であった父に鍛えられた身だ! 実力はあるはず!」


 己の未熟さが招いた、当然の結果。

 以来風音は、槌を握ることはあっても刀剣を鍛えないようになっていた。


「(かつて御父様は、『この世に断てぬモノ無し』と称された一振りの刀剣を、偶然にも鍛えてしまった。ですが一度そのことが知れ渡ると、あらゆる国が使者を寄越し、小競り合いが起きた)」


 それは奇しくも、かつて師匠である父が辿った道と似たものであった。


「(…だから御父様は、刀剣を誰にも託すことなく…北の永久凍土地帯の奥底へと封印した。…力を求めて、二度と争いが起こらぬよう……)」


 偶然にも強過ぎる力を生み出してしまったがために、槌を置く。

 だが置いていたはずの槌を、再び手にしたのは──。


『うぅぅぅまぁぁぁぁいぃぃぃぞぉぉぉぉぉぉッッ!!!!』


『口に入れた瞬間、程良い塩気と醤油に包まれた魚の脂が弾け飛ぶ! まるで肉のように厚い身の弾力は、固過ぎず、柔らか過ぎない。そして濃厚だッ! ホロホロと口の中で崩れ、旨味の清流となって喉奥に流れていくようだッ!』


『一部だけだ。流石に人間全てを一括りにするのは…な?』


「(クス…ッ)」


 とても素直でユーモアがあり、そして情の深い人物に興味が湧いたから。

 そして彼の隣に立つ人物との先に、多くの困難が待ち受けているという「相」が見えたから。


「(けれども、道を切り開くために力が必要となるのも事実)」


 風音は、女将として多くの旅行客を見てきた。

 様々な者達が居り、中には脛に傷を持った者達も居た。

 そんな日々が、観察眼を養ってきたのだ。

 時として、その者達を待ち受ける運命の一部が「相」として見えるようにまでなっていた。


「力を扱う資格とまではいかなくとも、力を手にする機会ぐらいあっても良いはずだ…!」


 音弥の相は、残念ながら見えない。

 風音が未熟なためか、それとも関係性が近過ぎるためか。

 しかし彼に「力」を渡すことは良くない未来を引き寄せるような──そんな予感があった。

 確証めいたものは、どこにもない。

 第六感でしかないが、危惧するには十分なものであった。


「(力は、力でしかない。なればこそ…善き者に振るわれれば、平和を為す礎ともなる……)」


 自らの実力を豪語する音弥。

 確かに、試しもせずに切り捨てるのは酷かもしれない。


「なら…」


 完成しつつある刃の輝きを確認してから頷くと、彼女は立ち上がった。

 傍らに立て掛けてある薙刀を取り、静かに刃先を音弥へと向ける。


「では、その自信がどれ程のものなのか…試してみましょう。持って来ているのでしょう? 剣を抜きなさい」


 嵐の前の静けさを思わせる静寂が、瞬く間に場を支配する。

 窯の炎に照らされる地下室で、戦いの火蓋が切って落とされようとしていた。

「はい出ましたー、そう言うね、意外な人物が意外にも強いみたいな展開がー」


「…。ん?」


「もうありがちなんだよ、そう言う展開ってさ。ありがち過ぎてお腹一杯と言うか。大食い王選手権の決勝戦を見ている視聴者ぐらいお腹一杯だよ」


「大食い王? 視聴者…?」


「ユリちゃんはどう思う? ありがちな展開の中にありがちな、ありがちがガチガチのパターン」


「む? …ありがちがガチガチなガチガチのガチ?」


「…あ、えっと……ガチのガッチガチです! みたいな」


「…真剣勝負みたいなものか?」


「それはガチです! だよ」


「…すまない知影殿。隊長殿ではないが、さっぱり分からんぞ」


「…うーん、伝わらないものだなぁ。弓弦だったら伝わるんだろうけど…はぁ、弓弦〜ねぇ、弓弦はどこ〜?」


「…とは言ってもな。橘殿は本編に出ている故、こちらには来れないと思うぞ」


「弓弦〜弓弦〜るるる〜」


「……」


「弓弦来ないかな〜。弓弦〜るるる〜」


「さて、予告だぞ。『思いと思いが打つかる狭間にて、求める男と拒む女は衝突を続ける。平穏を願った女の思いは虚しく打ち砕かれ、栄光を願った男は猛進する。そして、朝焼けに染まるジャポンにて上がったのは、悲鳴──次回、忍び寄る悪意、日の本を翳らせて』」


「…その、るるる〜とやらは何なのだ」


「これ? おまじない、だよ」


「む、意外と可愛らしいものなんだな」


「え、何だよユリちゃん。私に可愛気が無いような言い方をしてくれちゃってさ〜」


「…いや、知影殿は可愛いと思うぞ」


「え」


「む」


「それ、弓弦の声真似で言ってみて。似てない分は頭の中で補充するから」


「…似ていないこと前提なのだな」

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