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俺と彼女の異世界冒険記   作者: 仲遥悠
最初の異世界
44/411

至高の包丁

 気が付くと俺はまた、あの何もない空間で倒れていた。

 何も無い空間で思い出すのは、今でも記憶に新しい『アデウス』との戦い。

 あの時俺は、謎の声に力を与えられた。

 謎の声、謎の男。謎尽くしのバーゲンセールだ。

 …いや、力は与えられたと言うより、覚醒させられた…か?

 魔法なんて力が俺の中に眠っていたとは考え難いことだが。

 大体魔法なんてファンタジー世界の産物だ。空想上のもの。誰かの考案した幻想の賜物。

 実際使えるという現実があるのだが、ふと実感が湧かない時がある。

 もしかしたら、今俺が見ているのは夢なのかもしれない。

 今の俺は、現実の俺が見ている理想の姿──のようなもの。

 俺が知らない所で、現実の俺が穏やかな日々を過ごしているのかもしれない。

 そんな幻の大地的なことを考えもしたが、取り敢えず──


「…暗いな」


 一体ここはどこなのだろうか?

 見渡す限りの漆黒空間。俺以外に何も無い、誰も居ない。

 どこか物悲しささえ感じるような空間だった。


「おーい!」


 誰かの存在を願い、俺は大声で叫んだ。


──おーい、おーい、おーい…。


 声高らかな俺の声が、反響してくる。

 返事は、無い。

 困ったな。一体どうすれば良いんだ。


「くそ…あの謎ダイソンめ。よくも、人を変な場所に…」


 石ころがあるなら蹴飛ばしたい。

 恨めしさを吐き出していると、


──久し振り。


 突如、声が聞こえた。


「ッ!?」


 反射的に振り返る。

 今の独り言を聞かれたかもしれない。少しだけ恥ずかしくなりながら。


「誰だッ!?」


 周囲を見回す。

 前か、後ろか、右か、左か。少々挙動不審と思われても仕方が無い程に辺りを探る。


「いや」


 すると、


「初めましてかな? 橘 弓弦君」


 いきなり眼の前に人が現れた。

 ──いや、それは人なのだろうか。

 声からすると若くも落ち着きのある女性だと分かるが、何故か首から上がよく見えない。

 空想の生物、「デュラハン」を思わせる姿だ。逆光のようにも見えるが…違うな。

 まるで…認識能力が阻害されているみたいだ。眼に見えない障壁が張られているような、そんな感じた。

 不気味な様子だ。だが、どこか親しみ易さを覚えもする。

 声にしてもそうだ。確かに聞いたことがあるはずなのに、それが誰の声なのかを判別することが出来ない。

 喉元まで思い当たろうとしているのに、まるで無理にき止められいるような。俺はこの声を、絶対に知っている。

 いや、世界は広いのだから声が似ている人ぐらいごまんと居るのだろうが…。

 以前俺に魔法を授けた声と関係があるのだろうか。


「…こんな所に呼び出して何の用だ?」


 怪しさ100%の存在と、会話することに。

 第一怪人発見と言うヤツだ。怪しいことこの上無いが、少なくとも唯一の情報源。警戒しながら出方を窺う。


「ふふふっ! 警戒してる警戒してる! あ、因みに君の武器はこっちで預かっているから、変な気を起こさないでね?」


 謎の人物は、左手に持っていた剣を俺に見せてきた。

 いつの間に奪ったのか。人の武器を見せびらかすその姿は、嫌がらせをしているのだろうか。


「…せっかちな人は損するよ? 人生の三分の一は損しちゃうかも? やっぱり男たるもの落ち着きが無いとね」


 何が男が…だ。

 揶揄われている。俺、絶対に揶揄われているよな? 

 何なんだこの女は。


「(…と、いかん)」


 何か今の俺、ヤケに口が悪いな。

 何故だ…?


「(…そうか)」


 眠いんだな、これは。


「眠いんだね」


「…さて、な」


 女は溜息を吐いた。

 やれやれ、とばかりの溜息だ。

 そんな行動も、何故か気に入らない。


「……ここに呼び出したのは君に、この魔法を授けるためだよ」


 女はそう言うと両手に光を宿した。

 知る人ぞ知る、強者のポーズ──と言うよりは、どちらかと言えば、「ざんまい」的なポーズか。

 俺に見せるように、二つの光を視線の高さまで持ち上げた。


「君には力が必要。それは今以上の力。…過ぎた(・・・)力が…ね」


「…っ」


 だから何なんだこの女は。

 いきなりそんな深刻そうな声で言っても、俺としてはどう受け止めれば良いのやら…。

 いやそもそも魔法を授けるなんて、出来るのだろうか。


「……」


 俺の魔法属性を利用すれば、十分に可能かもしれない。

 どんな魔法かにもよるが。


「混乱してる? ふふふっ、そうだよね…でも私はあなたに、この二つの魔法を授けなければならないの」


 何故。


「…絶対に、何が何でも…ね」


 女の言葉は、強い義務感と決意を宿していた。

 何故そこまで断定しているのか。本人でもない俺には分からない。

 ただ細めた瞳で、女の真意を見定めようと努めるしかなかった。


「……どんな魔法なんだ?」


「空間魔法“シグテレポ”と、殲滅せんめつの名を冠した属性の魔法…“アタラクシア”」


「空間…殲滅…」


 “殲滅”。物騒な魔法属性だ。

 空間魔法は…名前からして、転移の魔法なのだろうか。


「発動方法は? 大方魔術辞典には載らないのだろう?」


「お、流石鋭いね。そう、魔法が授けられても、あなたにはまだ使えない。使えなければ、辞典はすべを現さない。使えない魔法を現す術を持たない」


「…どう言うことだ」


「あなたにとって、本当に必要となった時…。魔法達が教えてくれる」


 要領を得ないな。授けるのではなかったのだろうか。

 よく分からない。


「…あらら」


 しかし追及するよりも先に、不意に眼の前の女性の姿が消えかけた。

 まるで闇に溶けていくように、じんわりと。


「時間…みたいね」


 女はどこからから何かの機械を取り出した。

 機械と言うのは、一瞬だが歯車のようなものが見えたからだ。実際に機械なのかは分からない。

 だが機械を取り出した瞬間、彼女の雰囲気に焦りの気配が生じた。

 急いで戻らなければならない。俺に向けた背中から、そんな印象を受けた。


「…?」


 ──初対面だ。

 そのはずなのに、俺はこの背中を知っているような気がする。

 どこかで、確かに、見たことのある背中──のように思えた。

 だがどこでかは分からない。


「あ、そうだ。一つだけアドバイス、してあげる」


 女の足が、消えていく。

 思い出したと言うよりは、思い付いたかのようなニュアンスで、彼女は言葉を続けた。


「遠い遠い先に、必要になるかもしれない。そんな…小さなアドバイスをね」


 どこか茶目っ気を含んだような響きの言葉が、耳朶を優しく打つ。


「(そうだ。この…声)」


 この声音…少し弄ればアイツに似ていないか?

 アイツ…そう、アイツだ。


「君は、君。どこまでいっても…君だよ」


 …。おかしいな。名前が出てこない。…アイツ…アイツ…どいつだ?

 …っ、諦めるしか…ないか。


「君が信じたものを…。君が信じたいものを、最後まで信じて貫き徹して? そうすればきっと、頑張れるはずだから…」


 俺は、俺? 何を当たり前のことを。


「お、おい!!」


 俺が信じたものを? いや、どうしてそれっぽいことを言っているのだろうか。

 …意味が全く分からない。


「また会いましょ? また…ね?」


 勝手に現れて、言いたいことを言った女。

 その姿が完全消えると同時に、俺の前に現れたのは──。


「げ」


 吸引力の変わらない、再びのブラックホールだった。


「だいそぉぉぉぉんッッ!?!?」











* * *


 窓の外を見ると、広がっていたのは青い空。

 人々の喧騒が聞こえ、遠耳に挨拶を交わしている声も聞こえた。

 既に朝であった。


「(もう…朝か)」


 自分はどれぐらいあの不思議な空間に居たのだろうか。

 考えながら弓弦は白紙のページを見る。


「ん…?」


 覗き込んだページは、記憶にあるものよりも少し異なっている。

 見開き二ページの内、左側のページの一部分──具体的には、魔法の名称だけが記されるようになっていた。


「(…白紙じゃなくなっているな)」


 それは夢のように思えた出来事が、実際に起こったことであることの証左であった。


「(…“シグテレボ”と“アタラクシア”…か)」


 名称以外の記述が無いために実際に魔法を使うことこそ出来ないが、魔法自体は託されたようだ。


「(いつか、必要になるのかもな…。それにしても)」


 弓弦は身体を伸ばした。

 固まっていた身体が伸ばされ、僅かばかりの解放感が得られた。

 まるで、長々と眠っていたような身体の感覚だ。


「(疲れ…取れているな)」


 感覚的にはずっと起きていたはずだ。

 しかし眠気はあまり感じられない。不思議と熟睡感があった。

 布団の効果か。だとしたら、何と良い布団なのか。


「(二度寝でも…)」


 掛け布団を胸元まで上げ、徐に眼を閉じる。


「ん…」


 すりすり。

 隣に感じていた温もりが、強くなる。

 視線を向けると、フィーナの顔が腕に触れていた。


「(フィーも随分ぐっすり寝ているな)」


 静かに寝息を立て、気持ち良さそうに眠っているのを確かめると、再び眼を閉じる。


「(…ふぁ…まだ…眠れそうだ……)」


──コン、コン…。


 小さなノックの音が聞こえたのは、その時であった。


──御早う御座います。食事を御持ち致しました。


 襖の奥から、若い女性の声が聞こえてきた。

 落ち着きのある、静かな声音だ。

 香りに意識を向けると、美味しそうな香りが漂ってきた。


「ん、あぁ。フィー、起きろ」


 冷めさせてしまうのは、申し訳無い。

 寝惚け眼から一転、覚醒した弓弦は身体を起こすとフィーナに声を掛ける。

 寝ていたために仕方が無いのだが、彼女の衣服は少々淫ら──否、男心をくすぐる魅力を放っていた。

 もう少し見ていたい気分にならなくもなかったが、寝ている姿を人に見せるのは不味い気がした。

 世間体的にもよろしくないだろう。なのでフィーナの身体を少し強めに揺さ振ることに。


「ほら、起きるぞー」


「ん……?」


 揺さ振ること、数回。

 ゆっくりと彼女は身体を起こした。


「……」


 虚ろな瞳を覗き込み、手をヒラヒラとする。


「お〜い、起きてるかー?」


 眼の前で手を振るも反応はない───いや、あった。

 いかにも無表情を装っているが、犬耳がピコピコと動いている。

 手を振った方向と反対側の耳が交互に動くのが何とも可愛らしい。


「(…そこまでやれると、逆に起きているようにしか見えないんだがな……)」


 瞬きしないことが器用に思える光景が暫く続く。


「(起きろよ……)」


 徐々に痺れを切らしていく弓弦の瞳が、据わっていく。

 何をすれば起きざるを得ない状況にさせられるのだろうか。彼女の隙を探っていると、唇が動いていることに気付いた。


「…て」


 どうやら、何事かを呟いているようだ。

 掠れ気味の声に、耳を澄ます。


「ん?」


「…おはようのキスをしてください」


 弓弦は半眼になった。

 何と甘い懇願なのか。言葉の有する蠱惑的な魅力に、心臓が景気良く跳ねる。


「(キス…なぁ)」


 甘い魅力に誘われて。

 内心で苦笑を浮かべながら、少しずつ顔を前へ、前へ。


「(く…この魅力に…抗えない…ッ!!)」


 フィーナの唇へと、顔が近付く。

 薄桃色の唇は、吸い付くような弾力を持っているのだろう。

 そして一度交わしてしまったら、二度三度、虜にされてしまう。

 きっと、そこから先は止まらない。さながらジェットコースターのように、後は駆け抜けてしまうだけだ。

 朝から始まり、終わるのはいつ頃になるのだろうか。

 しかしどれ程の時間を費やしたとしても、満足してしまうのだろう。


「フィー…」


 唇が、触れ合おうとする。

 フィーナの瞼が閉じられた。僅かに唇を突き出し、今か今かと愛撫を求めていた。


「ご主人様…」


 弓弦の耳が、不吉な音を拾った。

 扉に手が触れる、小さな音だ。

 しかし冷水を浴びせられたように、弓弦の思考は冷静さを取り戻した。

 右手で近くに置いてあったフィーナの帽子を、左手で自らの帽子を手に取った。


「失礼致します」「フィー、帽子!!」


 弓弦がフィーナに急いで帽子を被せようとするのと、外の人物がふすまを開けたのはほぼ同時。

 同時に帽子を被り、被せさせるという器用な行為をした弓弦は焦るあまり、勢い余った。


「おわっ」


「きゃ…っ」


 そのまま、フィーナの方向に倒れ込んでしまった。

 唇に柔らかい感触が当たったような感じがするが、深く考えないようにしてその人物に向き直る。


「此方が御食事で御座います……?」


 襖が横に動かされ、外に居た人物の姿が見えるようになる。

 女将だった。この旅館の従業員の中で、一番若々しい見た目をしているだろうか。

 しかしその身にまとう気配は、ベテランのそれである。数多の客をもてなしてきた強者なのだ。

 日系人らしくも整った顔立ち、艶のある黒髪、知性を感じさせる瞳──だからこそ、弓弦は彼女の美しさに否が応でも気付かされた。

 美人だ。フィーナの美しさとは、また違った美しさがある。

 「大和撫子」とは、彼女のような者のためにある言葉なのだろう。


「(元の世界だったら、密着特集でも組まされ…いや、女優か何かでテレビ業界デビューしていたかもな……)」


 そんな女将が、朝食を運んで来てくれたようだ。

 彼女は部屋をサッと一瞥すると、クスリと笑みを零す。

 全てを察したような、そんな笑みだ。


「「……」」


「見たところ…先程まで御楽しみのようでしたので少々躊躇ためらいましたが、御食事の方を優先させて頂きました」


 「斯様な事は時々ありますから」とフォローにならないフォローをその後に続け、台車から取り出した食事を机に並べる彼女。

 途端、部屋中を美味しそうな香りが満たした。


「(うーん、良い出汁の香りだ…)」


 女将は急いで居住まいを正した二人を微笑まし気に見詰めると、襖を閉めて去って行った。


「「……」」


 訪れる沈黙。


「ご飯、食べましょうか」


 それを破ったのは、何とも冷静なフィーナの声だった。


「食べて着替えたら…分かっているな」


 しかしその瞳の奥は、静かに爛々としていた。


「……」


「おい、そんな期待するような眼で俺を見るな」


「づっ!?」


 ハァハァと息を荒くするフィーナの額を指で弾き、箸を取る。

 メニューは白米と味噌汁に、秋刀魚のような魚の塩焼き(大根おろしのようなもの付き)に漬物──素晴らしくジャパニズム溢れる内容で、弓弦の腹の虫と心を躍らせた。

 ザ、朝食である。和の心が、盆の隅々にまで満ちていた。


「お茶を淹れますね」


「…ん、悪いな」


「ふふっ、当然の務めですよ」


 フィーナの注いだ茶を啜り、味噌汁も啜る。


「これは──ッ!?!?」


 弓弦の眼が見開かれた。続いて骨と身を分けた焼き魚を、口に運ぶ。


「う…っ」


 やがて、何かを喉に詰まらせたかのように俯く。


「ゆ、ユヅル…?」


 まさか骨でも詰まらせたのだろうか。

 思わずフィーナが、茶を差し出した瞬間──!

 

「うぅぅぅまぁぁぁぁいぃぃぃぞぉぉぉぉぉぉッッ!!!!」


 弓弦の眼から、口から、光が溢れ出た。

 まるで魂からの叫びにも思える、歓喜の光だ。


「口に入れた瞬間、程良い塩気と醤油に包まれた魚の脂が弾け飛ぶ! まるで肉のように厚い身の弾力は、固過ぎず、柔らか過ぎない。そして濃厚だッ! ホロホロと口の中で崩れ、旨味の清流となって喉奥に流れていくようだッ!」


 噛めば噛む程、懐かしい味が口の中に広がり箸が進む、進む。

 異世界で味わう故郷の味──それは、故郷が懐かしければ懐かしい程良く思えるものだ。

 しかしそんな補正を取り払っても、美味の一言では表し切れない絶品和食であった。


「美味い……これだ、この味だ。この味を俺は待っていたんだ」


 自然と、弓弦の瞳が潤んでいた。

 圧倒的な感動が、海峡にて荒ぶる津波のごとく打ち付けてきている。


「……」


 対してフィーナは、そんな弓弦を半眼になって見詰めている。

 翡翠色の瞳は、どこか冷ややかな色を宿していた。


「何か妬いちゃいます。後で作り方を教わってきます、そして褒めてもらいたいです」


「はは……まぁ楽しみにしとく」


「なんですかその、「期待してはいないけど」と今にも聞こえそうな言い方は!? 見ててくださいご主人様。必ず、必ずあなたの胃袋を掴む家庭的な料理を作れるようになりますから…!」


「(そんなつもりはなかったんだが……)」


 弓弦はそもそも、フィーナの作る食事を気に入っていた。

 舌鼓を打った途端、美味と感じる料理を作る彼女なのだ。自然と期待したくもなる。

 だが過度に期待するのもどうかと思って言葉を濁したのだが──中々上手く伝えられないものである。


「それはまぁ、楽しみだな」


「っ、その言い方は全然期待していませんよね?」


 どうしたものか。

 どこかムキになっているフィーナの様子は、愛らしいものだ。

 箸を進ませ、美女を眺めながら湯呑を手に取る。


──ズズズ…。


 音を立てて、啜る。


「(あぁ…茶が美味しい)」


 至福の一時に浸りながら、


「さぁて、な?」


 フィーナを揶揄からかって話を終えた。


「さて」


 箸を置き、手を合わせて浴衣から装束に着替える弓弦。

 腹をこしらえたら、早速次の行動へ。どこで着替えようか悩んだが、当前客間は一部屋しかないし、だからといって外で着替える訳にはいかない。フィーナの視界に入らない部屋の隅で、袖を脱ぐことにした。


「あっ」


 その姿を見て大急ぎでフィーナも食べ終え浴衣を脱ぎ始めると、その姿を見た彼が眼を見開いた。


「な…っ! 幾ら何でも異性の前で堂々と脱ぐか!? 羞恥心はないのか!?」


 大して考えずに下着姿となったのか、暫し間があった。

 数度瞬きされた瞳の近く──頬が赤味を強めるのに、時間は要さなかった。

 逡巡した様子で袖を脱いだ浴衣を見詰めると、やがて意を決したように畳の上に置いた。


「……~っ、別に、私は気にしてないですよ? それこそ、そう言うご主人様も羞恥心は無いのですか?」


 どうやら恥ずかしさのあまり、開き直ったようである。

 気にしていないと話すには、彼女の顔はあまりにも赤過ぎた。


「………~っ、俺も気にしていないから問題ない。全く、それはもう全然な」


 あんまり堂々とされると、見ている方が逆に恥ずかしさを覚えるのはよくある話だ。

 自然と美しい肢体に視線が釘付けにされ──胸が高鳴る。


「(…好きだ)」

 

 そんな言葉を考える程には、魅力に満ち溢れた姿だった。

 勿論口にすると恥ずかしさが増すだけなので、心の中にのみ留めておく。


「…はぁ」


 代わりに、小さく溜息を吐く。

 一応、落胆の意味を込めたつもりだ。しかし、感嘆の感情が確かに込められた吐息であった。


「なぁ、フィー」


 弓弦は、あくまで落胆しているのだと自らを納得させた。

 ──いつの間に彼女の内から羞恥心が、一端でも消えてしまったのか。

 以前とある不慮の事故で、色々痛い目を見ることがあった弓弦としては、その変わりように驚きを隠し切れなかった。

 

「(まさか…泉で水浴びしていたなんてな…)」


 弓弦の意識が、少しだけ過去に飛ぶ。

 不慮の事故とは、どこにでもある話(?)である。

 まだ『名無し島』で生活していた頃のこと。森の探検中に見付けた泉の岩影で休憩していた弓弦が、人の気配に気付いて岩の先を覗き込んだ先に悲劇が待っていた。

 一糸纏わぬ姿のフィーナと、鉢合わせたのだ。

 あの時の平手打ちの痛みは、今でも忘れられない。


「…何ですか」


 ──そう。あの時も今のような、ちょっと拗ねた表情をしていた。


「大体…そのM体質はどうにかならないのか? 萌え…じゃない、その内痛みを求めて敵の攻撃に自ら当たるのではないかと、ずっと俺はヒヤヒヤしているんだけど」


 因みに弓弦は弓弦で、フィーナの前で着替えることに躊躇いを覚えていない自分が居ることに気が付いた。

 その変化は自分自身のことであるのにも拘らず、彼にとって不思議で仕方が無かった。


「(恥ずかしさが無い訳じゃあ、ない。だが…)」


 フィーナが側に居ることが、当然になりつつあるためだろうか。

 彼女と共に在る安心感が、そうさせるのだろうか。


「…ご主人様限定ですよ。この身も、この心も、全てはあなたのためにあるの。…そう誓ったのですから。そんなことは絶対にあり得ません」


 全てを捧げたのだと、強い口調でフィーナは話す。

 支えると決めたのだ。そこに一切の迷いは無い。


「「……」」


 沈黙が降りる。

 二人揃って顔を真っ赤に染め、交わる視線を逸らす。

 顔から湯気を出しながら、口をパクパクさせながら、お互いに装束に着替える。

 そのまま顔を見合わせることなく部屋を出た時、


「ん…?」


 弓弦は隣から視線を感じた。

 しかし隣──フィーナを見ると、彼女はすぐに下を向いてしまう。

 俯いた横顔からは、その表情をうかがうことが出来なかった。


「御出掛けですか?」


 旅館の中心部に広がる庭園の前を通り掛かった時のこと。

 そこで二人は女将に声を掛けられた。

 今朝食事を届けてきてくれた、『鹿風亭』の女将だ。

 年齢は、分からない。丁寧に結い上げられた黒髪を、美しい造形のかんざしで留められた様は、日系人といった印象を弓弦に与える。


「(ディスイズ、ジャパニーズオカミ…)」


 異世界よ、これか日本(?)の女将だ。

 心の内で、弓弦は感動していた。

 だからといっても口にはせずに、別の言葉を口にする。


「少し街を見てこようと思ってな。この国では何が有名なんだ?」


 自分が知る世界と良く似たような場所であっても、異世界は異世界。

 知らない土地のことは地元民に訊くのが一番良いと判断した弓弦は、国の名産品について訊く。

 すると、


「「刃物です」ね。あらあら…私が教えるより御隣の可愛い若奥様「奥様!?」に伺っては如何でしょう?」


 答えは女将とフィーナ、両方からもたらされた。

 何故だが対抗心を燃やしている様子のフィーナに苦笑をしつつ、質問の対象を変えることに。


「…フィー、教えてくれないか」


 フィーナの表情がぱぁっと明るくなる。


「はいっ!!」


 両手を合わせ、嬉しそうに頬を綻ばせる彼女だったが、女将の存在を思い出して咳払いする。


「ここ東の国ジャポンでは、古くから鉄の精錬が盛んです。多くの職人が製鉄技術に長けており、彼等の手掛ける鉄製具の秀逸さは世界にあまねく知れ渡っています。他国からも買い付けに来る豪商が居るぐらいです」


「(…鉄、か)」


 そこもまた、弓弦が元々暮らしていた国との共通点であった。


「中でも名人が打った刃物の中で、最も出来栄えが素晴らしい物は“銘”が付くのだとか。その名人が本当に認めた者にしか与えられない唯一無二の、至高の逸品…だと伺ったことがありますよ」


「へぇ」


 刃物の銘。

 名人に認められた者しか手に出来ない、業物。

 中々に男心をくすぐつてくれる言葉だ。


「過去に“銘”が付けられたものは何があるんだ?」


「すいません…そこまで「正宗、村雨などが最も有名な物でしょうか」…だそうですよご主人様」


 フィーナの発言を女将が補足する。

 弓弦にとって、どちらも耳に覚えがあるような銘だ。

 最早刃物の代名詞と表しても良い。なので頷けた。


「…くっ」


 しかしそれは、刀剣についての知識が少しでもあった場合の話。

 フィーナにとっては、未知の部分も多い話であった。

 無知を悔いるように、唇を噛んでいた。


「拗ねるな…生きていれば知らないことがあって当然なんだから」


「…いえ、そう言う訳ではないのですけど…もぅ、良いですよ。どうぞお話を続けてください」


 どう見ても拗ねているフィーナを微笑まし気に見つつも、言われた通りに話を再開した。


「そうだな…。折角だし、記念に手に入れたい物がある」


「記念品の類で御座いますか。当館にも、宿泊者様限定の御土産が御座いますよ?」


 女将は袖から一枚の布を取り出す。

 淡い桜色と柄の入った、上品な印象を受ける手拭きだ。


「(あら、綺麗……)」


 思わず「欲しい」と言いたくなるフィーナだったが、自らの欲を抑え込んだ。

 綺麗だし、欲しい。しかし、気に食わない。

 女将の思い通りになっているようで、反骨心を抱いていた。


「う〜ん…これも魅力的なんだがな? 欲しい物は別にあるんだ」


「左様で御座いますか…残念です」


 等と言いつつ、女将は全然残念そうではなかった。

 まるで冗談半分で、揶揄からかっていたかのようだ。

 決して本心からの言葉ではないことは確かであった。

 一癖も二癖もある、底の窺い知れない人物。

 そこが恐ろしくもあり、「凄い」と感動を覚えたくもあった。


「鉄製具としましても、この国には様々な物があります。どの様な品を御求めなのでしょうか」


「欲を言えば切れ味が良く、鈍ることのない包丁が欲しいんだ。その名人とやらに作ってもらうことは出来ないのか?」


「包丁…ですか」


 中々に難しい注文だと、自分でも思う弓弦だ。

 普通に考えて、条件を満たす刃物は中々存在しそうにない。主婦や料理人垂涎の品だからだ。

 元の世界にもあるのだろう。ならば異世界にあってもおかしくないような気がしたのだ。


「……」


「…?」


 チラリチラリと視線を感じる。


「……」


 随分嫉妬しているのだろうか。重なったかと思うとすぐに外された。


「…伝手がありますので、材料さえ用意して下さるのならば…。僭越せんえつながら私が御頼みしましょうか?」


「(…ふむ)」


 思わぬ返事だった。

 駄目元で頼んでみたことが、幸いしたようだ。


「…ん、それは良いな。因みに必要な材料を教えてくれないか?」


「……そう、ですね」


 女将は顎に手を当て思案の様子を見せた後に、まるで古い記憶を辿っているかのように眼を閉じる。

 不思議な行動だ。思い出している──というよりは全く別のことをしているような、そう思える行動のように思えた。

 違和感を感じた。


「アダ、マン鉱石、膨大な火の魔力マナが込められたオレ、イカル、コス鉱石、樹齢千年を超える大樹の幹…であれば良いでしょう。これだけの材料があれば問題は無いのですが、今の自然界に現存しているかどうかは「あるわよ」…はい?」


 フィーナが女将の言葉に被せる。


「♪」


 それも得意気に。


「(…な、何だ。妙に寒気が……)」


 おかしなものだ。

 フィーナと女将の言葉の被せ合いがちょっとした争いのようだ。

 まるで、見えない火花を散らし合っているような。


「そうね……記憶に間違いが無ければ多分、あったと思うわ。ねぇユヅル、部屋に戻り持って来てもらえないかしら?」


「ん、あ、あぁ」


「ふふ♪」


 最初は「そんな物あったか?」と疑問符を浮かべていた彼だったが、彼女のウィンクで言葉の意味を理解した。


「(…フィーの家から持って来たヤツにあったのか)」

 

 弓弦は部屋に戻り“アカシックボックス”を発動。


「さぁて…」


 取り出したい物を頭の中で強く思い描き、穴から両腕を引き抜く──すると、


「お」


 先日フィーナの家の宝物庫で見付けた不思議な道具の内、杖と、


「おお」


 重みがない拳大サイズの不思議な石と、


「おおお」


 仄かに輝きを帯びた石を手に掴んでいた。


「(便利だな……)」


 これで良いのかと心配ではあったが、取り敢えず二人の所まで持って行く。


「これでどうだ?」


「これは……まさか本当に御持ちになられていたとは」


 女将は驚きの表情を一変、困ったような表情に変える。

 その視線は仄かに輝きを帯びた石に向けられている。


「ですが…輝きを見るにオレイカ、ルコス鉱石に込められた魔力マナが少ないですね。これでは「大丈夫よ」…あらあら」


 再び言葉を被せるフィーナ。

 弓弦に軽くウィンクをすると、部屋に戻って行ってしまう。


「(無いなら充填する…か)」


 察するに火の魔力を込めに行ったのだと結論付けて、弓弦は女将と一緒にフィーナが戻ってくるのを待つことに。

 程無くして、強い火の魔力マナが部屋に満ちていくのを感じた。


「(あぁ…込めてるなぁ)」


 張り切って込めているのが分かる、力の注ぎようだった。


「(何を張り合っているかは知らんが、これで良い包丁が手に入りそうだ。さしずめ…至高の包丁ってところか)」


 最高の素材が揃おうとしている。

 腕の確かな職人に頼めれば、相応の逸品が鍛えられるに違い無い。フィーナが入って行った部屋の戸を眺めながら、弓弦は静かに期待度を高めていく。


「良からぬ噂を人伝いに伺いました」


 女将が口を開いたのは、そんな時だった。


「…良からぬ噂?」


 不意の言葉。

 瞬きすること数回。弓弦の鸚鵡おうむ返しに、女将はゆっくりと頷く。

 口にするのを躊躇ためらうような、しかし伝えなければならないという強い意志が感じられた。


「…現在の王が、“妖精狩り”なるものの準備を進めていると言う噂で御座います」


 噂話は、噂話。

 あまりに唐突であり、しかしそれだけに大きな衝撃を伴っている。


「──ッ!?」


 弓弦は思わず、言葉を失ってしまうのであった。

「至高の包丁…か」


「お〜? どうしたユリちゃん、サブタイトルを繰り返したりなんかして〜」


「やはり、良く切れる包丁と言うのは良いものでな。切ることに力を使わずとも良いから、繊細な一太刀を入れることが出来るのだ」


「確かにそうだな〜。包丁と言わず、刃物は切れた方が良い。なまくらを好んで使う奴も居るそうだがな〜」


「なまくらでも? 隊長殿、それはどう言うことだ?」


「ん〜何だったかな〜…」


「物好きが居ると言うことか?」


「いんや違うな〜。刃物って言うのは、大概刃こぼれする。例えば力の強い奴が力任せな一撃を振るえば、決まってそうなる。だから敢えてなまくら刀にすることで、切断ではなく打撃を目的とした鈍器として使う訳だな〜」


「ふむ…。そうか、そんな使い方もあるのか」


「何とかとハサミは使いようってヤツだ〜!」


「ふむふむ、隊長殿とハサミは使いようと言うことか。深いな」


「ユリちゃん、さり気無く俺のことをけなしていないか〜?」


「何を言うのだ隊長殿。隊長殿のことは一個人として十分尊敬しているつもりだが……」


「お〜、ユリちゃんみたいな別嬪べっぴんさんに言われると嬉しいな!」


「‘…何と御し易い’」


「ん!?」


「何でもないぞ」


「そうか〜。ま、話はこれぐらいにして予告だな〜! 『町へと繰り出す弓弦とフィーナ。新たな国を訪れても、やるべきことは変わらない。町を楽しみ、人を眺め、穏やかな一時に身を任せる。そう、新たな国を訪れても、やるべきことは変わらないのだから──次回、朧を断つ一振り』…だそうだ〜」


「新たな国…か。私達はいつ、新たな国に辿り着けるのだろうな……」


「ま〜、時間があるのなら有効活用だ〜。知識なり実力なり蓄えておかないとな〜」


「うむ、そうだな。やはり、隊長殿は隊長をしているだけあるな。今日も勉強になったぞ」


「褒めても何も出ないぞ〜? じゃ〜おさらいついでに、俺からユリちゃんに質問だ〜」


「む。その勝負、喜んで受けて立とう」


「一見役に立たないものでも、考えようによっては役に立たせることも出来ることを何と言ったか…覚えているか〜?」


「勿論だ隊長殿。馬鹿と隊長殿は使いよう…だな」


「…ユリちゃん?」


「…む?」


「…わざとやっているだろ〜」


「ふ…」


「……」


「ふ……」


「あ、おいっ。逃げるな〜っ!?」

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