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俺と彼女の異世界冒険記   作者: 仲遥悠
最初の異世界
43/411

暗闇を往く

 朝早く起床したレオンは荷物をすぐに纏めて宿のロビーへと移動した。

 眼が覚めた時、もう少しだけ寝なおそうとも考えたのだが──どうにも寝付けなかった。

 というのも遅刻した場合、部下達の当たりが怖くなりそうだと考えたためだ。

 待ち合わせというのものは、往々にして男が待った方が良いというもの。女を待たせるよりも、格好が付くのだ。

 だから彼としては格好良く、また隊長らしく、宿の一階で二人が降りて来るのを待っていた。

 コーヒーを片手に。


「う〜ん! この苦味が中々良いな〜」


 朝からお酒を飲むのははばかられたのでコーヒーだ。

 ハードボイルドどうこうとは縁遠い人間だとは自覚しているが、今日から突破を試みる『スルフ洞窟』は海の下を通る洞窟。崩落の危険性と隣り合わせというだけでなく、魔物も居るはずだ。

 危険な行動だと分かっているから、油断は出来ない。

 短時間での踏破を目指すためにも、可能な限り魔物の活動が収まる午前中に町を発った方が良い──早る思考が、頭の中でグルグルと回っていた。

 危険を前に、焦る気持ちを落ち着かせる必要があった。そのために、コーヒーのほろ苦さに浸ることにした。

 ──要約しよう。この男、何故か気取っているのだ。


「…しかし、遅いな~」


 三杯目となるコーヒーを飲みながら、宿の二階へと視界を向ける。

 それにしても遅い。女というものは、色々と準備に時間を要するのが大概だが、ここまで長いのか。レオンは既に、一、ニ時間程の間待ちぼうけになっていた。

 そろそろ、洞窟へと向かいたい。

 地図から距離を算出すると、南大陸から東大陸まで渡るのに、歩き詰めだとしても二泊はしなければならない距離がある。

 洞窟滞在時間を減らすためにも距離を稼ぎたいレオンとしては、これ以上突入時間を遅らせたくないのが本音だった。

 日々隊長業務に明け暮れていた彼にとって、久々の冒険らしき冒険なのだ。張り切って地図から目的地までの距離を算出するぐらいには乗り気なのに、誰も降りて来ない。

 部下二人が泊まってる部屋の扉は、閉じられたままだ。


「…そろそろ呼びに行くか〜?」


 コーヒーの入ったカップが空になったのを確認すると、レオンは固まった身体を左右に捻って解す。

 そろそろ待ちくたびれてきたのだった。


「す、すまない隊長殿!」


 そんな時に、ようやく待ち焦がれたきた部下の声が聞こえた。

 ドタドタ。足音を立ててユリが降りて来る。


「待たせた!」


「ちょ、ちょっと待ってよユリちゃん! まだ私準備がきゃぁぁぁあっ!?」


 長々と旅支度を整えたと思われるユリと知影が姿を見せたのは、そろそろ呼び起こしに行こうとレオンが立った時の出来事だ。

 知影は階段から盛大に落ちたが、砂漠の疲れは取れているのか活力を感じる。

 やはり、野宿とは違うのだろう。


「おいおい〜、大丈夫か知影ちゃん」


「ぅ…問題…無いです」


 腰を擦りながら立ち上がる知影。

 何ともドジっ娘のような印象を受ける様子だ。可愛らしいと感じる者も多いのかもしれない。

 いや実際のところ。弓弦さえ関わらなければ、彼女は可憐な美少女なのだ。他の利用客から、「大丈夫か」と声を掛けられていた。


「お〜し!」


 出立の準備は出来た。

 レオンもカップの中のコーヒーを全て飲み干そうとして──無いことを思い出すと立ち上がった。


「お準備が出来たのなら駆け足で行くぞ〜!」


「了解です!」「了解だ!」


 三人はそれぞれの武器を手に、洞窟へと向かうのであった。











──『スルフ洞窟』。

 船という移動手段が出来る前に、造られたとされる人工海底洞窟。

 正確には、人工海底洞窟とされる洞窟だ。いつ、誰が、どうやってこの洞窟を掘ったのかは歴史の闇に包まれている。

 もっとも、海底を突き進む洞窟が自然に出来たとは思えないという考えの下、人工という推論が成り立っている以上──自然の洞窟であるということも考えられなくはない。

 例えば、かつては海上に存在していたのだとか。それが、長き時の流れで地盤沈下が起きたとか。

 しかしいずれにせよ、記録が残っているために二つの大陸を結ぶ場所であることは確かだ。

 海路が使えない現在、陸路で南大陸から東大陸に繋がる唯一の場所だが、人の姿は無い。

そして、とても暗かった。


「お〜お〜…暗いな〜」


 凄まじく暗かった。


「暗いですねー」


 果てしなく暗かった。


「ぁ…ぁぅぁぅ…」


 ガクブルガクブル。


「ぁぅぁぁぅ……」


 ガクガクブルブルガクガクブルブル。


「「…ユリちゃん」」


「こ、怖いものは仕方がないだろう!?」


 レオンと知影は、しゃがみながら震えるユリに向き直る。

 洞窟に入ってからというもの、すぐにこれだ。

 最初は入口側から光が差し込んでいたが、奥に行くに連れて光は薄まり──伸ばした手の先すら見えなくなり始めていた。

 入口の時点で芳しくなかったユリの表情は、とうとう真っ青になっていた。

 二人はユリの眼線の高さにまで腰を下ろすと、震える肩に優しく触れた。


「「明かりお願い」」


 異口同音の要求を添えて。


「あ。『照らせ!』」


 ユリは思い出したように顔を上げると、掌の上に生じた光球が周辺を明るく照らす。

 光属性初級魔法“ライト”というこの魔法は、暗闇を小さな光球で照らすというシンプルな魔法だ。言葉通り、「光」である。

 松明代わりになる等、汎用性の多い魔法だ。冒険には欠かせない魔法の一つであるために、この魔法が込められたとある『魔法具』は冒険者の必需品となることが多い。

 光は大切だ。視界一つ明らかであるかそうでないかで、行動制限の有無が変わってくる。

 洞窟に向かう前にこの魔法の話が出ていたのだが、暗闇の恐怖の前にすっかりユリは失念していた。


「よし、では参ろうか」


 何事も無かったかのように早足で歩き出すユリの後に、レオンと知影は笑いを噛み殺しながら続く。

 “ライト”のお蔭か、視界は数歩先まで視認することが出来る。

 空気が少しずつ澱んでいく中、変わることがないのは潮の香り。

 妙に空気が湿っているのは、ここが海の中であることの証左か。壁を細部まで観察してみると、苔のようなものが茂っていた。

 また天井近くの左右の壁には、何かを置くような出っ張りが設けられている。


「ユリちゃん、ちょっと上の方を照らしてくれないか〜?」


 レオンの言葉を捉えあぐねたのか、少し訝しんだ様子のユリが腕を持ち上げる。

 ぼんやりとした光が洞窟の上側を照らす。

 薄暗闇の中に、レオンは鋭く観察眼を凝らした。


「(出っ張りの上から天井に続く黒い染み…)」


 恐らく、煤の跡だろう。

 いつのことかは分からないが、松明が置かれていた時期があるのだろう。人が利用していたことの名残であった。

 果たしてその「人」とは何の目的で利用していたのだろうか。大陸横断か、はたまた採掘か。

 前者であってほしいのが本音だ。ほぼほぼ博打に近いような状況下であるというのに、この先に待ち受けているのが行き止まりだったら眼も当てられない。


「隊長殿、もう良いだろうか」


「お〜。サンキュ〜な〜」


 三人は、洞窟を奥へ奥へと進む。

 最初は光源を持つユリが先陣を切っていたが、暗闇が深まるに従い後退。先頭はレオンに交替となった。その後に知影、ユリと続く。

 この旅の中で完成した隊列になっていた。

 一番戦闘経験の浅い知影のカバーのため、隊員経験者で挟む。戦闘時はレオンが斬り込み女性陣二人で援護をする。背後は狙撃手として索敵能力の高いユリが警戒を続け、背後からの奇襲に備える──一番均衡の取れた隊列だった。

 一つだけ苦言を呈するとするならば、光源だろうか。

 暗闇の中で行動する際、光源というものは本来先頭者が持つもの。しかし光源を持っているのはユリだ。

 彼女が光源魔法の行使者であることが理由の一つではある。だが光源魔法は、例えば壁に取り付けたり、他者の手に乗せることも出来る。

 そんな中でもなお、ユリが光源を手放さないのは──否、手放せないが正しい。

 暗闇や幽霊の苦手な彼女に、暗闇を唯一緩和してくれる光を手放せというのは難しい話であった。

 必然的にレオンが一番不明瞭な視界の中で行動することになるが、そこは隊長として部隊を率いる立場にある者だった。狭い洞窟の中でも大剣を巧みに操り、障害を容易く斬り伏せていった。

 洞窟の入口から今に至るまで、息一つ切らさずに戦闘をこなす姿は頼もしいものであった。


「(幸いなのは…そんなに強い魔物が姿を見せてないってことか〜…)」


「(…凄いなぁ。でも弓弦の方が……)」


「(…どんどん暗くなってきていないか…? うう…)」


 遅い来る魔物を蹴散らしながら、細い道の中を一列になって三人分の足音を響かせて行く。


「…ストップだ、二人共〜」


 先を行くレオンが足を止めた。

 急な行動に知影も慌てて止まり、


「ぬっ」


「わっ」


 ユリがその背中に打つかる。

 丁度、後方に注意を配っていたところであった。


「ちょっとユリちゃん?」


「すまない、急に止まるとは思っていなかったぞ。いかがしたか隊長殿?」


「ん〜…」


 レオンは訝し気に声を発すると、しゃがむ。


「ほいっ」


 傍らにあった石ころを掴むと、思いっ切り前へと転がした。

 石が、音を立てて転がっていく。


──カツ、カツ。


──。


──カツ。


 音が最初に比べ、突然間隔を開けた。

 聞こえてきた音も、妙に遠い。


「ユリちゃん」


「…うむ」


 起きた現象の原因を、少しだけ明るくなった視界で探る。

 薄暗闇に浮かぶ、徐々に下がっていく天井。

 先に続く道も、同じように下がっていく。それも段階的に。

 階段だった。


「足下に気を付けながら降りるぞ〜」


「は〜い」


「‘どんどん暗くなってくぞ…’」


 階段を降りながら進んで行く。

 先を行くレオンが、一度片足に体重を掛けてから一段ずつ降りて行く。

 崩落の危険性の有無を確かめるためだ。


「(…空洞の感覚は無いな〜)」


 踏み締める度に返ってくるのは、土の固い感覚。

 思いの外しっかりとした階段だった。

 やはり、人の手が加えられているのだろうか。その後も同じことを繰り返して階段を降りて行く。

 やがて、小さな広場に出た。


「よ〜し! 今日はここまでにしとくか! 今日の当番は…俺か。んじゃ〜少し待っとけ~」


 武器を下ろし、レオンは鞄から調理器具一式と材料を取り出す。

 ギョッとしたのはユリだ。信じられないものを見るような眼で男の姿を見ていた。


「『ポートスルフ』で仕入れたこれが、早速役立ちそうだな〜!」


 意外にも慣れた包丁捌きだった。

 野菜を、魚を、トントンと。リズム良く食材を切っていくレオンの姿を見る知影とユリの瞳は丸い。


「ほ、ほっ、よ〜っと!」


 魚を下ろし、調味料や切った野菜と混ぜる。

 手際の良い様子に、知影が瞳が鋭く光る。


「(出来る…!)」


 何故か審査員気取りの彼女だった。


「隊長さん料理出来たんですね。私てっきり、食べる専門の方かと…」


「部隊の隊長ってやつはな〜? 結構色々な素質がなきゃ務まらないんだ~。調理技術もその内の一つでな〜?」


 失礼な知影の言葉に、レオンは胸を張った。

 自慢気に、利き腕である右腕を左手で叩いた。

 食材の調理。

 それも立派なサバイバル技術の一つだ。

 頭の弱いレオンであるが、武人としての生存力はピカイチだ。


「お前さん達には遠く及ばんかもしれないが、ま〜待っとけ」


 数分後。

 知影とユリの前には、あっという間に何らかの魚のカルパッチョとパンが並んだ。

 別々に食べるも良し、パンに挟んでサンドウィッチにしても良し。


「お、美味しい…なんで…?」


「…うむ」


 いずれにせよ、大変美味であった。


「隊長を侮るな~ってな? てか、ユリちゃん…俺が最低限の料理が出来ることぐらい知ってるだろ〜?」


 サンドウィッチを食べ進めていたユリが、手を止める。


「いや、話には聞き及んでいたが…。実際目の当たりにすると、驚かされたぞ」


 レオンの言葉通り、ユリも知識としては理解していた。

 やらないだけで、人並みには出来る──情報源は、友人であるリィルからだ。

 だが実際に見たことはなかったため、驚いたのだった。


「しかも、本当に美味しいしねぇ。弓弦には負けるけど」


「おいおい…」


 女性陣二人は納得した。

 頭は回らなくとも料理は出来る、それがレオン・ハーウェルという人物だ。


「そっか…。これがTAITYO(たいちょー)の力…」


「知影ちゃん…イントネーションがおかしいぞ~?」


 まるでコードネームのようだ。

 しかしコードネームと違うのは、小馬鹿にされているような気がして気に入らない。

 料理が少し出来るというだけで、何故こうも言われなければならないのか。


「流石…と言ったところか…TAITYO」


「ユリちゃん…」


 ニ対一の数の暴力に反論を諦め、レオンも食事を味わう。

 料理は、全員完食であった。


* * *


 ──ここ最近のこと、それはそれは深刻な問題が発生していた。

 和の心。即ち和の食事、和食。

 元の世界で、日本人と呼ばれていた人種である弓弦は、和食を愛していた。

 勿論他の食事も好みだ。しかし和食は別格だ。

 食べる側だけでなく作る側でもあるからこそ、そこに彼なりの「愛」があった。

 だから彼にとって、自らが暮らした国の食事が食べられないというのは寂しいものであったのだ。

 異世界での食事も、大いに楽しい。楽しくはあった。

 しかし慣れてきてしまうと、途端に故郷の味が恋しくなってきた。

 和食を食べられなかったという背景があったために、弓弦は旅館で出された料理を掻き込んでいた。

 ご飯、おかず、ご飯、ご飯。祖国の味を食せるのは、正しく至福の時間であった。


「…ふふ」


 反対側に座っているフィーナは、そんな彼の様子に頬を緩めていた。

 箸の使い方は分かっているのか、背筋を伸ばして姿勢良く食事を食べ進めている。


「…っく」


 ──しかし、何やら様子がおかしい。


「この国…分かっているよ…ィック。刺身だよ刺身? これで飯が進みゃない訳がぁないだろうっ!!」


「あぁっ、ご主ひんさまっ!?」


 二人揃って。


「そんなに急いで…もぅ、わらひの料理とここの料理どっちが美味しいんでしゅかー!!」


 因みにこの二人、酔っている。未成年飲酒といってはいけない。

 まずこの国にそんな法はないし、そもそも二人はハイエルフであるからだ。


「な、何だとっ」


 きっかけは風呂上がりの料理でテンションが上がった弓弦のちょっとした悪戯だった。

 悪戯──そう、ほんの出来心だ。

 彼は事前に旅館でこっそりお酒を用意してもらっており、それをフィーナのお茶に混ぜたのだ。

 そこは弓弦、手を抜くことはない。当然度数も高い物を用意するように頼んでいた。

 フィーナが軽く口に含んだ後、少しずつ少しずつ飲み進める内に、


「まったくぅ…ご主人しゃまは優柔不断? 知影〜知影と…私だって乙女なの!」


 こうなった。


「眼の前で他の女性の名前を呟かれていると、ちょっとは不愉快になったりするの! ご主人しゃまはぁ、もうしゅこし“デリカシー”を持ってくあしゃいっ!」


 呂律は回っていなく、犬耳は垂れ下がり、身体が右へ左へフラフラと。

 今にも後ろか前に倒れ込みそうだが、取り敢えずは左右に船を漕いでいた。

 弓弦に向けてビシッと指を突き付けている様子は、いうなれば彼女の強い抗議意識の表れなのか。


「知影さんも僕にとって大切な人なんら! 心配なのは当然、心配しないなんて道理が無いらろ! しょうがないじゃないかー」


 何故弓弦もフィーナと一緒になって酔っ払っているのかというと、「あなたも飲んでくらさい!」とフィーナに飲まされたからである。

 策士策に溺れるとはこのこと。現在机の中は酒瓶が乱立中。酒瓶でボーリングが出来そうな具合だ。

 酒を頼んでは飲み干すのを繰り返し、完全に出来上がった二人がひたすら愚痴を零し合う混沌カオスな空間が形成されていた。


「しょうがなくなんてないれす…ック…ほんとは…ほんとは私らけを見れいれほしいのに…ック…」


 新しいお酒を飲み干すとフィーナは立ち上がった。

 それまでも立ち上がろうとした素振りはあったのだが、まだ言葉だけに留めてやろうという一種の理性が働いていたのだ。

 たった今、そんな理性も吹き飛んだ。覚束無い足取りで弓弦の隣まで来て座り込む。


「ご主人しゃま! なんか言ったらどーなのっ!!」


 ポカポカポカ。


「あ〜…なんとか〜」


「そういう意味じゃないれす〜っ!!」


 ポカポカポカ。

 そう形容した音が聞こえるように、両手を握り締めて弓弦の胸を交互に叩いてくるフィーナ。酔っていて気が付いていないのか、浴衣がはだけ、下着が見えかけている。

 ギリギリ見えるか見えないかの瀬戸際──これぞ、絶対領域の醍醐味だ。

 弓弦も弓弦で胸元がはだけており、どことなく大人な雰囲気を纏っている。

 ワイングラス片手に語り掛けてきそうな雰囲気だ。


「うるさいな〜。言ったらろ〜?」


 口にする言葉こそ、だらしなさの極みであるが。


「知影さんもフィーも俺には大切なんらよ〜ック…。ど〜してそ〜なるんだよ〜」


 それを聞いたフィーナのポカポカが止まる。

 浮かれている時、ふと心が静寂を取り戻す瞬間がある──という訳ではなく、瞳に知性は見られない。

 仄暗い闇が宿っていた。

 不思議に思った弓弦が視線を向ける。

 交わる視線。フィーナは、この上なく良いことを思い付いたとばかりの表情で、


「なら〜…私が無理にでも決めさせてあげますっ!」


 実力行使に出た。


「え〜むぐっ!?」


 弓弦の身体を押し倒し、氷魔法で自由を奪う。


「な、何をする気だ…?」


 後頭部を畳で強打した。

 衝撃で流石に酔いが覚めたのか、弓弦が必死に抵抗を試みるも身体は動かない。

 手首や足首を、氷の鎖が縛っている。


「く…っ」


 鎖はびくともしない。

 力ずくでの突破は、叶わない夢となった。


「本来こ〜言うのは好きではないのだけろ、これもご主人しゃまのため…」


「ちょ、おま…っ」


 フィーナが弓弦の犬耳をふにふにと触る。

 何とも変な感覚が、背筋を駆け巡った。

 一体今、何をされているのか。思考の処理が追い付かなくなっていく。


「っ!?」


 フィーナは弓弦の頬を両手で優しく包み込むと、口と口を重ね合わせた。


「ぷは…っ」


 唇だけで咥えるように、優しく、何度も。

 一度堪能したら最後、再び感触を求めるようになる。

 甘くついばむように唇を求めるフィーナは、荒い息そのままに、弓弦の耳元に囁く。


「そのためなりゃ…私は悦んで堕ちるわよ…? あなたのためなら…どこまでも……闇のそこまでも…っ」


 肩にトンと、乗せられる重み。

 消え入るように、フィーナの言葉が徐々に尻窄みになっていく。


「フィー?」


「後悔…したく…ない…から…すぅ…」


 興奮と同時に酒が回ったらしいフィーナは、そのまま夢の世界に旅立っていた。

 正に嵐の後の、何とやら。一瞬にして彼女は穏やかな寝息を立てていた。

 弓弦の肩に、顔を乗せて。

 肌と肌が触れ、温かい。木目細やかなフィーナの肌は、まるで吸い付いてくるような感触を持っていた。

 もっとくっ付いていたい。そんな考えが過る程には、弓弦は幸福を感じていた。


「…俺も寝るか」


 そっとフィーナを畳の上に寝かせて立ち上がると、弓弦は襖を横に開いた。

 思い出したように机を退け、酒瓶を片付けて。そうしてから布団を取り出した。

 広げた布団の上にフィーナを横たわせると、その隣に自らも横になって眼を閉じる。

 眠気を感じていた。酒の所為か、疲労のためか。兎角、横になりたい気分になっていた。


「…?」


 フィーナを自らの方に寄せたところで、ふと寒気を感じた。

 それは人肌の熱を感じていたからこそ、気付けたものだろうか。いや、幸福感に満ちていたためか。

 ゾクリと、不快な視線を感じたような気がした。


「一瞬だが…いや、気の所為か…」


 弓弦は勘違いと判断した。

 しかし不吉な予感が焦燥感となって、彼の中を駆け巡る。

 形容し難い不吉さだ。気持ち悪ささえ覚える。

 今夜は寝付けそうにないと判断した弓弦は、気を紛らわそうと考えた。


「…ん…」


 時々フィーナの髪を撫でながら、暇潰しに取り出した『ソロンの魔術辞典』を読み漁り始める。


「そう言や昼の約束…まぁ良いか。ん、これは?」


 フィーナが寝てしまった以上、マッサージをすることが出来ない。

 何だかんだ自らの手でフィーナを気持ち良くすることを楽しんでいた弓弦は、約束を守れなかったことを悔いつつも本のページを捲っていく。


「はー、こんな魔法もあるのか…ん…? 文字が霞んでよく見えんな…って、なっ!?」


 それがある程度まで行われると、何と本のページが勝手に捲られていく。

 弓弦の手を離れ、空中でひとりでにページを変えていく様は、何とも不思議なものであった。


「おぉ…イッツア、ファンタジーワールド……」


 驚いて本を取り落としてしまった弓弦は、豆鉄砲を受けたような面持ちをしていた。

 視線の先の本は、依然空中に浮いたままページを捲り──


「…!」


 あるページで止まった。


「…これは…!?」


 経験上何かを察した彼はページを覗く。


「(…大体ありがちなのは、読んだら何かが起こる的なものがあったりするが…)」


 書かれていたのは──否、そこに描かれていたのは、魔法陣。


「(魔法陣…だけ?)」


 他に何の文章も見当たらず、陣だけが描かれたページがそこにはあった。

 弓弦は酷く違和感を覚えた。

 『ソロンの魔術辞典』はその名の通り、あらゆる魔法についての項目が記されているとされる。

 魔法名から始まり、属性や効果が延々と記された後に、魔法陣が記されているというのが基本の形だ。

 しかし、今開かれているページはどうか。

 羊皮紙二枚分に渡って描かれている黒い魔法陣。

 黒と呼ぶよりは、どこか茶色味を帯びている。

 そして所々滲み、掠れている。

 まるで誰かが無理矢理描き殴ったように、生々しく歪な形をしていた。


「(何だ…この感覚は)」


 その歪さに、弓弦は恐怖を覚えた。

 気持ち悪い。まるで理から外れた──「存在しないもの」を見ているような感覚だ。


「(インク…いや、違う。これは)」


 弓弦の指が、魔法陣へと伸びる。

 陣に触れた瞬間、分かる。

 この魔法陣は描かれているのではない。付着している(・・・・・・)のだ。

 魔法陣を記しているのは、本来描くために用いるのではないモノ。

 しかし、使いようによっては──メッセージを記せるモノ。

 酸化すると、茶色味を帯びるモノ。


「(誰かの──血?)」


 そんな物質に、一つだけ心当たりがあった。


「ッ!」


 思わず指を退ける。

 反射的な行動だ。気付いてはいけないものに気付いてしまった身体が、条件反射的に動いていた。


「なっ!?」


 直後、


──カッ!


 血で描かれた魔法陣が、光った。

 本の中心にブラックホールのような穴が開き、猛烈な勢いで辺りを吸引し始めた。


「何だよこれ…っ」


 正確には、弓弦だけを吸い込んでいた。

 瞬く間に身体が布団を離れてしまう。

 回る景色。手を伸ばせども、何にも掴まることが出来ない。


「(何だよこの吸引力ッ!?)」


 一家に一台は欲しくなりそうな吸引力。まるで吸引力の変わらない某掃除機のようだ。

 この場合、暴走掃除機か。実に「そう」が多い。

 いやそんなことはどうでも良い。この一大事において、実にどうでも良い。

 回り続ける景色の中で眼を回した弓弦の記憶が、「吸引力」という単語に刺激された。

 あれはいつのことだったか。

 テレビで流れていたコマーシャルに惚れ込んだ幼きあの日。家電量販店で値段の高さに驚いたとある少年が、家族に負担を掛けさせまいとクリスマスプレゼントで願ったものがあった。


「(そう言えば…サンタにせがんだことがあったな……)」


 サンタの正体に知らなかったがための、何とも可愛らしい願い。

 実用性特価の、随分所帯染みた願いでもあった。

 叶った次の日には、ウキウキとして家中を掃除した。


「(…あれ、嬉しかったなぁ)」


 ──そんな、小学生の冬。


「だいそぉぉぉぉんッッ!?!?」


 突然の出来事に対応出来るはずもなく、弓弦は穴の中に吸い込まれるのだった。

「弓弦…羨ましい…っ」


「……ルクセント少尉、男の嫉妬は見苦しいよ。そうねちっこいと女の子が寄って来ないから注意しないと」


「……でもズルくないですか? こんな主人公補正的な恋愛ターゲット率補正……主人公ってだけでモテるってズルいと思うんです!」


「…まぁ、仕方無いよ。でも、彼は彼なりに頑張っているんだよね……時超えたり死にかけたり」


「鈍感ではないですけど、スカしてないですか?」


「それは違うと思うよ…って、今日のルクセント少尉辛口だね。兎に角。彼はああ見えても結構力に振り回されているし、やたらめったら悩んでいるんだよ? それでも、皆に心配をかけないように前を向いて、眼に見えないところで頑張っているんだよ」


「……狡い、本当に狡いよ」


「まぁまぁまぁ、予告行こうよ予告! 『海底洞窟に突入した知影達を他所に、弓弦とフィーナはジャポンを満喫していた』」


「『刃物の国に来たということで、彼らは包丁を求め、腕の良い職人を探すことに』」


「『ジャポン一の刃物職人は一体、どこに居るのだろうか』」


「『東洋の国で起こる、風が導く出会いと、本が導く出会い──』」


「「『次回、至高の包丁』」」


「心の強さが道を開くってね。って、何でこんな変な決め台詞を…はぁ、狡いよホント」


「……ここまでヤサグレないように皆は糖分ちゃんと、用意するんだよ?」

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