東の国ジャポン
思い出の場所に扉をして、彼の下へ。
「村の東口を出て暫くしたら、森を抜けるはずです。そうすれば『ジャポン』はすぐですよ。では行きましょうか、ご主人様」
「あぁそうだな。行くかフィー。…ん? どうした?」
振り向いた弓弦を見て、フィーナはあることに気付く。
それは、何故先程気付かなかったのか──不思議な程におかしい光景だ。
しかし気付いてしまえば、どうにも気になってしまう。
気になり過ぎて、身体の内から笑いが込み上げてくる。
「ぷっ…ふふ…ご主人様…髪に枝が付いてます」
弓弦の黒髪に、枝が一本刺さっていた。
それだけのことだ。なのに、おかしく思えてしまった。
「ん?」
言われて髪に手を伸ばした弓弦。
右手で髪を探り、枝に触れる。
「…本当だ」
抜いてみると、確かに枝であった。
恐らく、横になっていた時にくっ付いたのだろう。
ご丁寧に、ずっと刺され続けていたのだ。
「情けなっ…って、笑うなよ!」
どうして教えてくれなかったのか。
若干の抗議を交える弓弦は、続けようとした言葉を飲み込む。
「だって…! おかしくて…っ。ぷっ…」
笑い過ぎて涙まで出掛かっているフィーナは、お腹を押さえて笑っていた。
あまりに楽しそうにしているものだから、弓弦もつられて頬が緩む。
口元が弛み、込み上げてくるものに耐えようとしたが、
「っ、ははははっ!!」
堪え切れずに噴き出してしまった。
「…そう言うご主人様こそ笑ってるではないですか! あ…もしかして照れてます?」
「ははっ、さぁて、な?」
「あっ、誤魔化した」
森に木霊する、二人分の笑い声。
森に消え行く声に惹かれて姿を見せた鳥達が、梢に羽を休めて囀り始め、木漏れ日の中を鹿や兎が跳ね回る。
蝶が舞ったかと思いきや、小さな羽虫達も鳴き始める。
音の消えて久しい廃墟が、およそ二百年振りの賑わいを見せていた。
二人はそのまま一頻り笑い合った後、村を後にするのだった。
「平和だな」
「平和ですね」
森の魔力の流れを追いながら、歩く二人は何気無く呟く。
耳を澄ませば動物たちの声や木々のざわめきが聞こえる森──それは穏やかで静かな平和の景色だ。
二百年前に二人で勝ち取った平和の息吹がとても、心地良く感じた。
「おっ」
その時、強めの風が吹いた。
清らかさに満ちた、強い風だ。草や木の葉が舞い上がる。
「きゃ…っ」
フィーナの髪が靡いた。
慌てて帽子を押さえようとするも、伸ばした手が置かれたのは金糸の川。
ハッとして頭上を見上げると、風の上に帽子が乗っていた。
今の風で飛ばされてしまったのだ。
「あ…」
伸ばそうとした手の先を、小さな風が通り抜けた。
地を踏み締め、自らの帽子を押さえながらの跳躍と共に、空いた右手が伸びる。
「ほら」
飛ばされた帽子を掴んだ弓弦は、着地するとそのままフィーナの頭に被せた。
「…ありがとうございます」
もう飛ばされることがないように、帽子を両手で押さえるフィーナ。
咄嗟に帽子を救出した彼の姿は少し──いや、かなりカッコ良かった。
それはまるで、高い棚に手が届かず苦労していたところあまりのカッコ良さに、直視出来ない。
だから深く帽子を被り、伏せ眼がちに謝辞を述べた。
「ん~、良い風…だな」
そんな乙女の悩みはどこ吹く風。弓弦は背後に視線を遣っていた。
眼を細めながら向けた視線の先には、『長老の樹』。
追い風として吹き付けてきた風は、まるで背中を押してくれているような心地であった。
「あ…分かりますか?」
これもハイエルフになったからなのか。
自然の──喩えるなら表情というべきものが分かるような気がした。
それは直感的なもので、特にこれといった根拠は無い。しかし、そんな気がしてふと呟いた言葉にフィーナも頷いた。
「この森は私達ハイエルフの故郷ですから。きっと、旅立つ私達を祝福してくれているのよ。…私達は言わば、この森の子ども。たった二人生き残った…最後の子ども達なのですから」
「この広い世界にたった二人…か。励まそうとしてくれているんだな」
「はい。…ですが、たった二人でも一人よりは全然良いはずです。…まぁ彼らはもう一つ、他のことも応援してくれていますけど」
不穏な響き、ここにあり。
それは何となく、もしかしたら──といった予感だ。
「待てフィー、言うな」
ハイエルフにとって、この森は故郷──母であり、父でもある存在だ。
親というものは不思議なもので、子どもが家を出てもそれなりの頻度で心配を募らせていく。
二百年余前に森を飛び出した娘が、見初めた男を連れて来た。
そんな娘に親として、「とある思い」を抱くのはある意味当たり前なのかもしれない。
気の所為といえば、それまでだ。
だがフィーナが受け取ったであろう森の言葉を、弓弦も受け取ってしまっていた。
弓弦がフィーナの言葉を遮ろうとするも、ニコニコと微笑む彼女の口は止まらない。
「『ハイエルフの未来を頼む』…と。出来ればって感じで私達にあることをお願いしていますね……」
「馬鹿っ、言うな……!!」
何をお願いされているか分かっているからこそ、弓弦の顔は真っ赤になった。
フィーナの言葉を続けさせまいと制するが、やはり止まらない。
「(だったら…ッ!)」
「つまり子づっ!? きゃん!? あふっ!?」
強硬手段発動。
酷いようだが、無理矢理静かにさせるには、これが一番の方法だとこれまでの経験から判断した弓弦。
咄嗟に実行したのだが──
「…すぅ…はぁ……」
背筋をなぞる、濃密な寒気。
煌々と燃える火に、わざわざお中元パックの油を全て注いでしまったような気がしてならない。
「…ふ…ふふ…身体が火照ってきちゃいました…♪」
弓弦は自らの行為を、その直後に後悔することとなった。
「…お…おい…?」
艶のある流し眼。
「はぁ…ご、ご主人様…♡」
爛々とした表情。
「私を…どうか滅茶苦茶にして…? はぁ…っ」
お誘いを待っていたとばかりの興奮振りに、弓弦は直前の自分の頬を殴りたくなった。
百烈拳を、全力で見舞いたくなった。
「…私はあなたになら何をされても…嬉しい…。…悦んで受け入れます…っ」
幽鬼のような足取りで近付いて来た彼女に、肩を掴まれた。
「お、落ち着けフィー! 眼が、眼が正気じゃないっ!!」
発情モードに入った彼女に、思わず後退りながら諭す弓弦──が、逃走経路確認のために振り返った時にはあったはずの道に、木々が枝を伸ばしている。
思うように動けない。
まるで森の意思が囁いているようだ。「作れ」と。
そう、森は言っているのだ。「ここで作る運命である」、と──!
「だって…私の身体をこんな…。変にしたのはあなたなのよ…?」
とうとう背中が幹に打つかった。
肩に乗せられていた手が、その先の幹に押し当てられる。
「…そう…なのか?」
壁ドンならぬ、幹ドンであった。
弓弦の退路は、この時完全に塞がれていた。
「もう私、普通の刺激じゃ満足出来ないんです」
跳ねる心臓。
この先起こるであろう出来事に、恐れと──同時に好奇心を感じていた。
どうなってしまうのか。考えたくはないが、考えがチラリチラリと過ぎろうとしてくる。
フィーナの熱気に当てられたためなのだろうか。本能が興奮し始めているのだと弓弦は感じた。
「普通じゃない刺激って、何だよ…。と言うかフィー、顔が近い。一旦落ち着こう? な?」
懸命に理性で抑え込んでいるが、それにしてもフィーナの興奮が半端なものではない。
最早時間の問題なのかもしれない。そうは考えつつも、必死に頭を振る。振り続ける。
煩悩から逃れるように。
「早く…この身体の火照りを鎮めてください…っ、ご主人様の…欲望を全て打つけて無茶苦茶にして…っ」
迫って来る発情犬。
掛けられる体重。唇が、近付く。
「っっ!?!?」
柔らかい感触を最後に、弓弦の記憶は途絶えた──。
気が付いた時にはいつの間にやら日が暮れていた。
空からの光の色が変わると共に、森も、仄かな茜色に染まっている。
少し肌寒くなっただろうか。身震いと共に、弓弦の意識は帰って来た。
「(…朝チュンならぬ、夕チュンか…)」
側にはあらぬ方向を見ているフィーナが「ご主人様ぁ…」と呟きながら、幸せそうに自らの髪でくるくると遊んでいる。
ずっと見ていたいような、そうでもないような。
見ていると何だか恥ずかしくなってきそうなので、結局視線を外すことにした。
「(夕って、タと形似てるよな。…どうでも良いことだが)」
空白の時間に自らが何をしていたかは弓弦には分からなかった。
考えようとしなかったが正しいのではあるが──否、寧ろフィーナのこの様子を見たら考えるまでもなく「ある答え」に辿り着くのだが、弓弦は考えようとしない。
心という世界の片隅で、「大丈夫…だったよな?」と考えたかどうかは、彼のみぞ知る。
「思わぬことに時間を割いてしまったな…」
遠眼に、森の出口が見えていた。
森を出てそう離れた所ではない場所に『ジャポン』があるのなら、森でもう一夜を明かすこともないだろう。
空の色を確かめ、弓弦は身体を起こした。
「フィー、早く行くぞー」
「……」
フィーナは動かない。
まるで言葉が聞こえていないように、髪を手で弄んでいるままだ。
恐らく、待っている言葉を言われなければ動くつもりがないのだろう。
溜息と共に、弓弦は肩を落とした。
折れるしかないようだ。
「……続きはまた今夜…な?」
「……!! わんっ!!」
帽子がピコリと動いた。
中の犬耳がピンと立ったのが分かる。
喜色満面。期待するような表情で身体を起こした。
興奮し切った彼女の口から犬言葉が発せられると、弓弦は強い脱力感に見舞われ静かに崩れ落ちた。
「何でこうなるんだ…俺、意思弱過ぎだろ…」
断り切れないのは、何故なのか。
「…楽しみにしてますね? ご主人様!」
それはきっと、彼女の笑顔が見たいからに違い無い。
「…フィーナが可愛いなら(?)どうでも良いか。もう、どうでも良くなってきた…ははは…」
謎の結論で自らを納得させ、空笑いで誤魔化してみる。
嬉しそうに抱き付いてくる犬を困った顔で見詰めながら、これがバレた時の知影への言い訳を必死に考える弓弦なのであった。
「マッサージ…気持ち良かったです…♪」
「はいはい……また今晩な」
そう──弱点を的確に指圧するマッサージを行った時の言い訳を。
* * *
かつて闇に堕ちたハイエルフが「儀式」を発動した祭壇に、“それ”は降り立つ。
ヒトのような姿を取っているようで──ヒトではない雰囲気を纏っている。
人知を外れた、超然たる雰囲気を。
「…理を外れし者…か」
あまりに整い過ぎた面持ちで虚空を見上げ、思案に唸る。
「…憎たらしいね。遂に、終と潰えさせようと…ねぇ」
コツ、コツと神殿内に響く足音。
同時に、空気が僅かに振動していた。
静寂に溶けていく、羽ばたきの音と共に。
「…お前の心を動かしたのは…何だ?」
空間が揺らぎ、そこから這い出てくるモノがある──が、その者が無造作に手を振ると、それはまるで最初から無かったかのように消滅する。
「…『二十回目』か?」
忌々し気に吐き捨てた名詞が、何を示すのか。
それを知る者は、誰も居ない。
「…時の流れは、面白いね。何もかもが同じだと思っても、毎回微妙に異なっていく。…ウィルスだよ。『前回』に比べ、一年《僅かだが》繰り上がっている。これ、一度干渉された事象に対する抑制力なのかねぇ?」
「──そう。起こったことは、変えられない。形が僅かに変わっても、性質は変わらない」
闇が、空間に満ちている。
身に纏う闇はどこまでも暗く、冷たい。
生あるモノを、全て拒むように。
「──ま、それでも」
──その者は、生を拒む者。
光の対極──深き闇に位置する存在。
その者が再び無造作に手を振ると、闇が爆ぜた。
「全て消し去ってやるけど…クククククク」
一瞬にして数百もの魔法陣が起動していた。
複雑な紋様の中に込められているのは、破壊の意思。
──少し、種を蒔いてやろう。さぁ、どう動く…?
その者の姿は魔法陣の輝きに隠れ、見えなくなった。
* * *
私とご主人様は森を抜け、街道を東へと向かう。
『東の国ジャポン』は二百年前唯一ハイエルフを匿ってくれた国でもあり、当時の私達と最も交流が深かった国。…勿論、故郷と距離が近かったのもあるのだけど。
「あ、あそこですよ!」
遠眼に見えた、古き良き「ワビサビ」の溢れる情緒漂う町並み。
記憶の中の町並みとあまり変わることなく、カリエンテと比べると少し懐かしく思えたのは、何故かご主人様も同じのよう。
「お、おぉ…」
…と先程から感嘆するばかり。
そんなこの人を見ていると、いつもの数倍愛おしく思えてしまうのは、私の心境のちょっとした変化からくるものね。
「…ご主人様、これからどうしますか?」
そんなユヅルに、私は声を掛けた。
「……暫くここに滞在しようと思う。ここは俺が居た世界の国に凄く似ているしな」
そうなの。それは僥倖(確かこの国の言葉にこう言う言い方があったはず)と言うものね。
私としても、この国を楽しみたい気分だった。ユヅルが暮らしていた世界に近いのなら、ここで生活する中で彼の新しい一面を見れるかもしれないと思ったから。
それに彼があまりにも懐かしそうにしているものだから、何だか私も懐かしくなってきちゃった。
昔とあまり町並みが変わっていないから? 不思議なものね。
「では折角ですし、数日かけてゆっくり観光といきましょうか?」
「そうだな。そのためには──」
「宿、でしょ?」
言葉を遮るように、宿泊の提案をしてみる。
実は、泊まってみたい宿があるの。
行動拠点とするのなら、うってつけの宿が。
「その通りだ。よく分かったな」
「えぇ……と言いたいところですけど。…ちょっと馬鹿にしてません?」
「さて、な?」
その言葉に帽子を眼深く被るご主人様。
口の端が吊り上がってる。ちょっと得意気なところが可愛く見えた。
帽子が、よく似合ってた。
「ふふっ、そう言うことにしておきましょうか」
彼が被っているのは、私の母の帽子。
魔法の藁で編んだ、つばの広い麦藁帽子。青のリボンがアクセント。
私が被っている帽子は私が母にお願いして作ってもらった物。
お願いと言うより、おねだりかしら。可愛らしい帽子だったから「欲しい」って何度も言って…同じ物を作ってもらった。懐かしいわね…。
つまりお揃い。お揃いなのよ? 大事なことなので繰り返す…基本ね。
おまけに、この帽子には魔力が込められている。
込められている魔法は幻属性中級魔法“パーマネンティ”。効果は魔法効果の延長。
流石はお母様ね。二百年も家の中にあったのに、魔力の輝きが衰えていないわ。
そんなお母様の形見を、あの人は被ってる。似合ってるのが微笑ましい。
夕焼けに染まるあの人の姿は、どんな芸術よりも美しくて、愛おしい。
デザインは女性ものなのだけど、あの人の整った顔が違和感を感じさせなかった。
「…何か含みがありそうだな」
「さぁて、ね?」
「…それ俺の真似か?」
「ふふ」
得意気から一転、ちょっと拗ねたような表情のユヅル。
面白いぐらい表情がコロコロと変わるのよね。本人は自覚していないのでしょうけど。
「おい」
「ふふっ」
そう言えば私達の着ている物…。殆ど魔力を帯びているわね。
「…ったく」
髪を掻くユヅルの隣に並んで、町を歩く。
『カリエンテ』や『ポートスルフ』と異なり、この国の住居は基本木造建築。木の色合いが眼に優しい町並みだった。
人間の衣服も素朴な風合いのものが多い。髪型も…特に男性のものが特徴的ね。
確か…「ちょんまげ」だったかしら。一度見たら忘れられないぐらいには、インパクトのある髪型だわ。
人によっては、土臭い印象を受けるのかもしれないわね。でも私は嫌いじゃない。土の香りは好きだから。
「…お、こんな宿なんてどうだ?」
瞳を輝かせながら、辺りをキョロキョロ見回していたユヅルが足を止めた。
足を止めた先にあったのは、大通りに大きく構えられた歴史を感じる立派な旅館。
宿の名前は「鹿風亭」。
私の記憶にもある名前だった。つまり二百年以上前から、この地に建っている宿と言うことになる。
あの頃は確か、不思議な雰囲気を持っていた一組の男女が経営していたわね。
自然を愛していた二人だった。時々『霞の森』の中に足を運んでいた姿も見受けられたわね。ちょっとした知り合いのようなものだったけど…。遠眼に見える宿の中は、見知らぬ人の姿ばかり。
そう言えば、五十年ぐらいが人間の平均寿命だと聞いたことがあるわ。今は、もう少し伸びていると思うけど。
この国の古い言葉で、「人間五十年」と言うものがあるそうだし、時の流れは虚しいものね。二百年もあれば、二、三代ぐらいは代替わりしてそうだわ。
「お眼が高いです。ではこの国に滞在する間はここを拠点としましょうか」
「あぁ、そうと決まれば早速行くか」
「はい」
因みにこの宿は宿代とサービスの内容が、良い意味で釣り合ってないと言うことでも有名で、一番の売りだったそうだわ。
それは人々の謳い文句のようなものだったけど、確かに素敵な宿だった。
当時の女将と主人が、人間に追われていた頃の私や、付いて来てくれた当時の仲間を匿ってくれた。
憎しみに囚われていた私でも、ほんとに僅かばかりは悪魔討伐に向けて身も心も休めることが出来たのを覚えている。
だけど今はどうなのかしら?
宿のサービスも、料理も…夜も。この後が、色々な意味で楽しみでしょうがないわ。
「今晩は楽しみですね」
「違うな。これからの全てが楽しみなんだ」
まぁ。全てだなんて…。一体私、どんなことをされちゃうかしら。
もう胸が高鳴ってきた。
「…私、頑張ります」
「フィー、誤解しているぞ。絶対何か誤解しているから」
「…優しくしてください。あ、激しいのも私としては全然大丈夫ですから」
「ははは…。絶対誤解しているよコイツ…盛大な誤解をしているよ…ははは…」
何故だか遠い眼をするユヅル。
私、誤解などしていないから大丈夫なのに…もぅ、この人は何を心配しているのかしら、不思議だわ。
「どうぞお越しくださいました…。お部屋はこちらとなっております」
そう考えている内に案内された部屋は、奥の方の部屋だった。
人の通りが少ない部屋なのは幸いね。ちょっとぐらい声を我慢出来なくても何とかなりそう──と言うのもあるけど、やっぱり人の気配が遠いと安心するから。
もうこの時点で中々評価高いわよ。流石ね、ここ。
「へぇ凄いな…。奥部屋来たの初めてだ…。うぉ、座布団柔らかっ」
「ふふ、取り敢えず一息吐きましょうか」
座布団に座ったご主人様に、温かいお茶を用意してから反対側に座る。
二人部屋。向かい合うように敷かれていた座布団に座ったので、ユヅルが正面に。あぁ…本当に素敵な人♪
「…どうかしたか?」
「いいえ? 何も」
…いけない。何だかずっと、内心一人で惚気てる。
お風呂に浸かってないのに、逆上せてる気分だわ。ずっと浮かれてる。
ふふ…こんな部分が自分の中にもあったことに驚きね。
「そうか。…お、美味いな」
お茶を啜ったユヅルはもう一口口に含んで、深い味わいに浸る。
「…?」
浸ってるだけ…じゃないわね。何か考えているような気がする。
「……」
もしかして。
「…知影さんは今どこに居るのでしょうね」
ユヅルの顔が上がった。
知影って人のことを考えていたのが、どうやら正解だったみたい。
「さぁて、な? だが、ここで待っていればそう遠くない日に会える……そんな気がするな」
「……」
「そうですか」とは言わなかった。
…。もう少しで会える。会えてしまう。
この人の意識が他の女性に向けられていることを想像すると、ちょっとだけ胸の奥がチクリとした。
「(私もしかして…妬いているのかもしれない…)」
分かってる。逸れた仲間を探すのは当たり前のこと。
分かってても、ちょっとだけ悔しくなる。
「(…いけない)」
こう言う時は、気分転換ね。
「どうかしたか?」
「さぁて、ね?」
この言葉、便利。
だって私が口にすると彼…ちょっとだけ、むっとするもの。
ふふっ、簡単に揶揄えて楽しいわ。
「…ま、それでも来なかったら二人で世界一周でもするか?」
少しだけ嫉妬する私の気持ちを汲んでくれたのかもしれない。
面白おかしそうにそう笑い掛けてくるご主人様の提案は、あまりにも素敵過ぎた。
気持ちは一気に鰻上り。つい私も笑顔で返してから、
「わんっ!!」
と返事。
我ながら変な癖。恥ずかしいけど…嬉し過ぎてつい口にしてしまう。
ホント…責任取ってほしいものだわ。
「行きましょう! どこでも、一緒です♪」
「…あぁ、そうだなぁ」
二人の笑いで室内を染めてから──この時、私は感じていた。
“平和”だ。ずっと続いてくれれば良いのに。そんなことを。
そして、後に痛感することになる。
「それも、悪くないかもな」
──この時もし、蔭で動いている輩の動きを読めていたのなら、“あんなこと”にはならなかったのに──。
「ん〜、ユリちゃんはさ〜」
「む」
「どうしてそんなに暗闇とか幽霊が嫌いなんだ〜?」
「なっ、ななっなななんの、何のことだ…っ」
「お〜、そんな動揺することでもないだろ〜」
「わ、私は動揺なんかしていないぞ、うむ!」
「…思いっ切り声が震えているんだが〜?」
「気の所為だ」
「気の所為って…さっきも蝙蝠を見た瞬間涙眼になっていただろ〜」
「…隊長殿は無駄に目敏いな」
「お、褒められると嬉しいな〜」
「だが、その目敏さが…」
「って、不穏な顔で銃取り出すなって」
「…私が何を得意とか、苦手とか…隊長殿には一切関係無いだろう?」
「いや俺はな〜? 一応隊長として部下の相談に乗ろうとだな〜…」
「プライバシー、だ」
「ん?」
「私は、一応女だ。女がプライバシーと言うからには、退くのが男でないか、隊長殿」
「だからって引き下がってはいけない時もあるだろう。良いかユリちゃん、お前さんはウチの部隊の医療班を纏める立場だ〜。…いつも毅然とした態度で治療に当たると言う、大切な役割があるんだぞ〜?」
「理由をこじつけてくれる。別に何が好きだろうと嫌いだろうと、私の勝手にさせてほしいものだぞ」
「…改善したいと思わないのか〜?」
「改善したくて改善出来れば、苦労しないと言うことだ。それに私は、暗闇も幽霊も嫌いではない」
「…なぁユリちゃん」
「む」
「後ろに小さな女の子が」
「きゃぁぁぁぁぁぁあああああっ?!?!」
「お〜い! 予告の紙を持って遠くに行かないでくれ〜」
「おっ、そっちには髪の長い女が居るな〜」
──きゃぁぁああああああっ?!?!
「お、戻って来た」
「隊長殿! 脅かさないでくれっ!」
「はっはっは! ま〜ちょっとしたお遊びってヤツだ〜」
「〜っ! 隊長殿ッッ!!!!」
「お〜、暗闇の向こうへと、面白いぐらい逃げたな〜」
「……」
「そう怒るなって〜。じゃあ、予告言うから許してくれ〜」
「ふん…」
「『陽のあたる道を歩む者達を追う者達は、蔭の上を突き進む。蔭の先には暗闇が広がっていた。それは暗く、深い闇に続く道。闇の中の道標は、前へと続いていた。前へ、前へ。ひたすら前へ、光を目指して──次回、暗闇を往く』…お〜次の話からは探検の匂いがプンプンするぞ〜!?」
「‘…ぅぅ…っ、最悪だ……’」
「…ユリちゃん、どうかしたか〜?」
「な、何でもないぞ!?」
「……やっぱり、暗闇も幽霊も恐くて嫌いなんだな〜」