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冗談の殆どは貫き通すと冗談じゃあなくなる。by弓弦

──前回までの、あらすじ。


 (クラス・)教室(ダクルフィアルス)にて、元部下ユヅナハとの思わぬ再会を果たした弓弦。

 相変わらずの様子に懐かしさを覚えながら、小さな約束を教師として交わした。

 その後保健室で休む眠れる美女と束の間の一時を過ごした彼の姿は、教務室から食堂へ、そして学園長室へと移っていた。


* * *


 『ティンリエット学園』学園長室。

 昼過ぎの時間であるのにも拘らず、部屋は暗い。

 本来光が差し込むはずの窓にはカーテンが覆い被さっている。それでも僅かながら光が差し込んでいるのだが、部屋を照らし切る程のものではない。

 参考までの話ではあるが、この部屋は普段から薄暗い訳ではない。

 基本的には日差しの差し込む暖かな部屋だ。部屋の主も、外の景色を頻繁に楽しんでいた。

 しかし基本的でない場合もある。

 部屋の主の古い友人が人知れず訪ねて来た時や、主がこっそりと惰眠に精を出す時等が、これに該当する。

 即ちカーテンとは、遮断壁だ。

 遮光壁ではなく、遮断壁。

 その目的はただ一つ。人の眼を遮るため──である。


「…どう、ですか」


 そして今この時も、人の眼を憚る光景が繰り広げられていた。

 緊張していることがありありと分かる様子で、弓弦がシャツのボタンに手を掛ける。

 プチ、プチ。ボタンが外れる音だ。


「……」


 対して彼の前で椅子に腰掛けているのは、部屋の主であるディー。

 指を組み合わせながら、見定めるような視線を彼の胸元へと送っている。

 薄暗い空間。シャツのボタンをはだけていく男──いかにも、意味深な光景だ。

 だがそれもそのはず。この部屋では、大変重要な意味を有する遣り取りが行われようとしていた。


「ふ〜む…こ〜れは、中々…」


 弓弦が取り出したモノを見たディーが、顎に手を遣る。

 興味に満ちた眼差しだ。まじまじと見ながら、喉を唸らせる。


「…想像(そ〜うぞう)を超えてきたんだな……」


 男の視線の先に、小さな影。

 鋭い紫の双眸を持つ「それ」は、瞬きを一つした。


「おぉっ!? ふ〜む…」


 それだけで肩を跳ねさせるディーだったが、やはり興味深げに影を見詰める。


「こ〜いつは…」


 その視線の先で、「それ」は黒緑の鱗に覆われた翼を広げる。

 小さな、しかし確かな重々しさを感じさせる力強い翼だ。


「ほら、ディーさんに挨拶だ」


 弓弦に促されると、僅かに開かれた顎から鋭い牙が覗いた。

 人の腕すら容易い噛み砕いてしまいそうな牙に、ディーの額に汗が滲む。

 そして、大気が震えた──!


「きゅるるるぅ」


 ディーの額を汗が伝った。


「トカゲのシテロです」


 何食わぬ顔で話す弓弦。

 紹介された「トカゲのシテロ」は、頷くようにして鳴いた。

 愛らしい鳴き声だ。若干似合わない程に。


「トカゲ?」


「はい、トカゲです」


「い〜やいや! こ〜いつはトカゲと言うより寧ろ…ドラ」


「トカゲです」


「きゅる♪」


 全身を覆う鱗に、鋭い瞳、爪、牙──確かにリザード系統の生物に酷似した存在だ。

 そして小さな体躯から伸びる翼の長さは、全長の半分を占める程。確かに羽とは呼べない。

 羽の生えた蜥蜴──確かに『バジリスク種』の特徴とも外れている。

 だがディーは、そんな蜥蜴を知らなかった。


「きゅるるぅ♡」


 蜥蜴でもなく、『バジリスク』でもない。

 小さいながらも、圧倒的な存在感を放っている生物──ディーの知る限り、該当する生物は一つだけだった。


「し〜かし…だな〜…」


「こんなに愛らしいドラゴンが、はたして居るのでしょうか?」


「〜っ!?」


 シテロの瞳が大きくなる。

 まるで感動しているとばかりの様子に、ディーの眼も丸くなる。


『…無茶苦茶にゃ』


 その一方弓弦の脳内では、身体の中に住まう悪魔猫の呆れ切った声が聞こえた。

 弓弦にしか聞こえない声であったが、心の底から呆れ返っていることが分かる声だ。

 シテロは正真正銘の、ドラゴンである。身体こそ小さく顕現させているが、普通に考えればドラゴン以外の何者でもない。

 弓弦も魔法生物を講義するために様々な生物の勉強をしているが、ドラゴンの特徴には共通する部分がある。

 全身を覆う鱗はダイヤモンドに匹敵し、爪牙や炎は神の身すら切り裂き、灰にする。

 日輪すら覆う翼を広げた圧倒的な威容は、他に並ぶ生物が居ないとされる。

 強く、気高い神話級の存在──それこそが「ドラゴン」である。


「ふ………むぅ……」


 ディーの困惑も当然だ。

 今現在、シテロは小型犬サイズにまで小型化した状態で顕現しているが、それでもドラゴンとして誤魔化しようの無い要素しかない。

 それを大真面目に否定し続けているのだから、無茶苦茶な話なのだ。

 クロの言うことももっともだ。

 弓弦としては、「お前が焚き付けた所為だろう」と毒突きたい気分だったが、口にはしない。


「(…不思議(ふ〜しぎ)な反応をするんだな)」


 嬉しそうに弓弦を見上げるシテロからは、強い好意が見受けられる。

 潤んでいる瞳は、まるで恋をする乙女を思わせた。


「…凄く懐かれているみたいなんだな」


「はは、まぁ…可愛がっていますから」


 そう言って撫でる弓弦の姿を、ディーは見詰める。


「(…(た〜し)かに、可愛がっているみたいなんだな〜)」


 他愛の無い遣り取りの中に、両者の信頼関係が垣間見える。

 微笑みかける弓弦、瞳を潤ませるシテロ──単に飼い主とペットの関係にしては、何とも奇妙な光景に見えなくもないが。


「ふ〜む…」


 ディーは悩んだ。

 弓弦とシテロの仲は良いのだろう。

 だが、シテロはどうみてもドラゴン──に近い容姿をしている。

 ドラゴン──であろうと、なかろうと、生徒達がパニックを起こす可能性は否定し切れない。

 それに、何故学園にまで連れて来る必要があるのだろうか。そこが分からない。


「橘先生、(ち〜な)みに…どうしてこの子を側に置きたがっているのか、理由(り〜ゆう)を聞かせてほしいんだな」


「あぁ…」


 シテロを一瞥してから、弓弦は言葉を続ける。


「コイツ…寂しがり屋なんですよ。出会った時からほとんど一緒に居るから、あまり私と離れたがらないんです」


 本当のことを交えながら、少しだけ話を盛っていく。

 元々クロに乗せられた船だが、やると決めたらやるのが弓弦という男だった。

 もう何が何でも、シテロと学園に居たい。それを分かってもらうには、どうすれば良いのかばかりを考えていた。


「ですから…ここでも出来れば一緒に居れたらな…と」


 可能ならば、中より外で一緒に居たい。そんなシテロの思いを叶えるために至っているこの状況。

 端から見れば、ペットを溺愛する痛い男に過ぎない。


「(ユール…♪)」


 しかしシテロの喜びようは、相当なものであった。

 上機嫌そうに、首と尻尾が揺れ始める。


「…ま〜、そ〜こまで言うのなら…僕ぁ反対しないさ。ドラゴンだったら、もしものことを考えて却下することも考えんたんだが〜…」


 そう言いながら、ディーは弓弦の瞳を覗き込む。


(き〜み)のことを信じるんだな」


「(う…)」


 優しい言葉が、心に刺さる。

 いや、それよりも──


「(バレて…るような、バレてないような。…どうだか)」


 黒い瞳の奥から、ディーの思惑は読み取れない。

 しかし、どうにもディーの言葉に含みがあるような気がしてならない。

 まるで全て分かった上で許可を出されたような、反応を探られているような。

 視線を交える弓弦の背に冷汗が滲んだ。


「ありがとうございます。ほら、シテロも」


「きゅるる」


 取り敢えず許可は貰えたのだ。ならば、ボロが出る前に退散しよう。

 肩に乗ったシテロと共に頭を下げると、弓弦は踵を返した。


「‘ユールむぐっ’」


 シテロの耳打ちを指で塞ぎ、何事も無かったように部屋を後にする。

 何故普通に言葉を話そうとするのか。

 スーツ裏の胸ポケットにシテロを入れると、自身の教員室へと戻って行った。


「は〜…」


 新人教師の背中が、扉に隔てられて見えなくなる。

 ノブの閉まる音を聞いたディーの肩が、ガタンと落ちた。


「あ〜れで誤魔化せたつもりなのかね…」


 あのシテロという小動物は、間違い無くドラゴンだ。

 あれだけドラゴンらしい要素を兼ね揃えていて、違うはずがない。

 ましてやディーは歴戦の隊員であり、同時に元魔法生物学の教員だ。どう言葉を並べられようと、自らの瞳で見定めた事実だけを受け止めるようにしている。ドラゴンであるという知見を違えることはしなかった。

 弓弦がどう説明しようと、そもそも意味は無いのであった。


「(いや、本当(ほ〜んとう)に誤魔化せたつもりなんだろうな〜…。そ〜れに、昨日はあれだけ煙に巻いといて、いきなりあんな生物を見せるとは…)」


 意味は無かったが、ディーの中に疑問を浮かばせた。

 昨日と今日で、百八十度異なる弓弦の様子には、きっと訳がある。

 恐らく、あの「シテロ」とかいう子龍がおねだりでもしたのだろう──と、当たりは付けているが。だとしたら何とも情に流され易い男である。

 そもそもの話ではあるのだが、やはりドラゴンは危険な生物だ。ペットどうこうで済ますことの出来る存在ではないし、勿論ペットショップにも並んでいない。

 もし並んでいたら、ディーですら飼いたいと思える程だ。いやそんなことはどうでも良いのだが。

 もし販売されていたら、どれぐらいの値が付けられるのだろうか。いやそんなこともどうでも良い。

 少なくとも、あくまで弓弦が「トカゲ」と言い張るのなら、蜥蜴とかげなのだろう。どんなにドラゴンに見えても、ドラゴンでしかなくとも、蜥蜴(とかげ)なのだ。

 学園内に、動物使い(ビーストテイマー)を始めとしてペットを連れ込む生徒達が居る以上、蜥蜴とかげの連れ込みを認めない理由が無い。


「(本当にドラゴンを従えているとはな…。ハーウェル坊とあのお方が、祖父孫揃って惚れ込むのも分かる)」


 見たところ、生徒達の安全を脅かす様子は見られなかったし、何よりアレは主人に惚れ込んでいる素振りだった。

 それも、相当な部類である。

 ディーは、長年人を教え導く立場にあるため、人の心の機微に聡かった。

 ドラゴンを人と同じように扱うのは少し違う気もするが、やはり「心」を持った生物なのだ。

 眼は口程に物を語る。「寂しがり屋」と紹介された直後は、子が親の下を離れたがらないようなものとは思ったが──あの瞳の輝きは只事ではない。どちらかといえば、想い人の側に在りたいと願う恋人のような印象を受けた。

 あの「シテロ」というドラゴンは、弓弦に対して只事ではない感情を抱いているようだ。


成程(な〜るほど)


 そんなことを考えるていると、ディーの思考がとある結論を弾き出した。

 学園を治める男、ディー・リーシュワ。初めて学園内に持ち込まれたドラゴンに対して思ったのは、


「…雌だな」


 どうでも良いことであった。


「人と、龍か…」


 妙に生温かい眼をしながら、ディーは手を止めていた資料に眼を通していく。

 龍に想われる程の、色男。新人教師──橘 弓弦。

 彼への興味は、尽きない。


* * *


「ふんふ〜ん♪ ふふ〜ん♪」


 上機嫌なシテロの声が、教員室内に響く。

 羽ばたいては部屋の隅へ、羽ばたいては机の上で──忙しなく飛び回っている。


「(楽しそうだなぁ……)」


 随分と落ち着きの無い様子を見ていた弓弦だったが、やがて眼が疲れてきたので追うのを止めて久しい。

 しかし時折視界の端にチラついたりするものだから、やはり眼で追ってしまう。


「(あぁ…)」


 そして疲れると、何も無い天井を見上げる。

 口までぽかんと開けて、傍目にも分かる惚けっ振りだ。

 光の無い瞳に意思は見られず、まるで心がどこかへと旅立ってしまっているようだ。


『どうしたのにゃ?』


 見かねたクロが、口を開く。

 それでも反応しないので顕現すると、氷魔法で足台を造った。

 眼の前で前脚をヒラヒラ動かす。意識の確認だ。


「……」


「…眼を開けたまま寝てるにゃ」


 足台から降り、身体を伸ばす。

 数秒程そうした後、爪を立てる。


「ふ…ぅ…っ。さて」


──ガリガリガリガリ…。


 教員室内に爪研ぎの音が響く。


──ガリガリガリガリ…。


「ふむ」


 氷台の反対側に、ヴェアルが顕現した。


「『空間の絶ち手』…ティーカップとボードを」


「キシャ」


 次いでアデウスが顕現すると、“アカシックボックス”で紅茶の入ったカップとチェスボードを出現させた。


「ふむ」


 一方でヴェアルは、おもむろに視線を動かす。

 部屋の隅から隅へと向けられた視線は、とある壁際の一点で止まった。


「…丁度良いところにある」


 そこには、弓弦の愛剣と愛刀が立て掛けられていた。

 ヴェアルは剣の柄を口に咥えると、素早く鞘から引き抜く。


「純粋な氷魔力(マナ)によって造られた氷…その味は如何程のものか…」


 氷台の隅を斬撃が走る。

 美しい四角状に切断された氷は、カップの中へと吸い込まれていく。


「アイスティーか…」


 茜色の海に揺れる氷山を見詰め、アデウスが喉を唸らせた。


「「ズ…ッ」」


 まずは、一口。

 爽やかな味に舌鼓を打ちながら、二悪魔向き直る。


「では、続きといこう」


 それぞれ赤と白という、何ともめでたい色使いのチェス盤を挟んで対峙する両者。ヴェアルが真紅のポーンを前進させる。


「その前に賢狼よ、『ウルォーード』と吠えてはくれないか」


 つられてアデウスも白の駒へと鎌を伸ばす。

 ヴェアル軍とアデウス軍の戦い──紅白戦争の再開だ。


「…理解しかねるな。その言葉に何の意味があると」


「剣を咥えた狼の鳴き声だそうだ。師匠の知識の中にあった」


 盤上で激戦を繰り広げながら、指揮官は語らい合う。

 話題は、「剣を口にした狼」という何とも危険な香りの漂うものだ。


「何の知識だそれは。拒否させていただこう」


 いや、得物を咥えた獣というのは古くからありがちな存在である。

 刃と狼。その組み合わせは、一種の奇跡的調和(マリアージュ)と評しても良い程には洗練されたものだ。

 しかし問題は、「ウルォーード」という謎の鳴き声だ。

 この鳴き声一つ加わるだけで、瞬く間に危険な雰囲気が漂い始める。

 気にしてはいけない、危険な雰囲気が。


「賢狼ともあろう悪魔が、随分と器量の狭いことを」


「…話に花を咲かせるのは結構なことだが、後三十三手でチェックだ」


 しかし気にしないというのも、ある種危険だ。

 不意打ちとは、不意を突かれるからこそ痛手なもの。把握しなければならない状況を把握出来なかっただけで、瞬く間に取り残される。

 この瞬間も、正にそうだった。

 注意が逸れ続けていたために、いつしか盤上から殆どの白駒が消えていた。


「何ッ!?」


 慌てて攻め筋を変えるアデウス。

 盤上を眺め、悪魔の知恵を振り絞って駒を動かしていくが──


「見えているのだよ…!」


 状況は変わらない。そう言わんばかりのヴェアルを睨み付ける。

 圧倒的なヴェアル軍を前に、既に勝敗は決していた。


「チェックメイト。これで終わりだ」


 揺るぎない結末に、アデウスは項垂れるしかない。

 これまで何度か勝負に興じてきたが、過去に類を見ない程の完全敗北であった。


「フ…己の浅慮を悔いると良い」


「ッ、もう一戦だ賢狼!」


「受けて立とう。こうも簡単に勝ち逃げしてもつまらんのでな」


 再び盤上に駒を並べ、二回戦に挑む二悪魔。


──ガリガリガリ…。


 クロはまだ爪研ぎしている。

 いや、それは単なる爪研ぎではなかった。

 爪研ぎしているように見えて、少しずつ削る氷面が擦れている。

 爪痕に、何か意味があるのであろうか。交叉する線に、規則性が見受けられた。


──ガリガリガリガリ…。


 それはさながら、氷柱への彫刻だ。

 一心不乱に削り続けるクロの瞳に、情熱が灯っていた。

 加速する爪研ぎ。一方で氷片が飛ぶに飛ぶ。

 冷気は空気と混ざり、少しずつ室温を下げていった。


「ぅ…っ」


 室温低下に対し真っ先に反応したのはシテロであった。

 身を震わせ、恨めしそうに氷柱を見る瞳のまま溜息を一つ。


「寒いの…」


 翼を広げて飛び立った。

 このままでは凍死してしまいそうだ。フラフラとした飛行で、弓弦の下へ。


「陽溜まり…」


 寒さで震える前脚を使って、スーツの裏ポケットに入り込む。


「う〜」


 だが今一つ気に入らなかったらしく、今度はシャツ内部への侵入を試みた。

 僅かに空いた首筋と襟の隙間に前脚を掛け、そのまま顔から滑り込んだ。


「うっ!?」


 突然シテロが服の内側に入った感覚で、弓弦の意識が呼び戻される。

 冷水を浴びせられた感覚に近いのであろうか。虚ろな眼に光が戻り、室内の惨状を眼にした。

 彫刻中のクロ、チェス中のアデウスとヴェアルという学園にあるまじき光景に、思わず鋭いツッコミを入れる。


「動物園かッ!?」


 その頃には、シテロはシャツの首元から顔と前脚を出して眠っていた。


「お前達…確かに自由にしても良いみたいなことは言ったがな、流石に限度があるだろう…! こんな光景、人に見られたらどうするんだっ」


 幸いにして人に見られていないから良いものの、見られでもしたら大問題である。

 学園というのは、人の眼の多い空間なのだ。いつどこで誰に見られるか分かったものではない。

 見られた日には、たちどころに噂話が広がってしまうだろう。

 曰く、「新任魔法生物教師の部屋は動物園であると」。

 担当している科目が科目なだけに、ムツゴロウ化は避けられない案件であった。


「師匠、恐らく動物園に蟷螂かまきりは居ないはずだ」


「それはどうでも良い。兎に角、人が来る前に戻れ」


 細かい指摘を切り捨てられたアデウス。

 どうやら渾身の指摘だったようだ。ガクリと俯くと、悔しそうに魔力(マナ)の粒子に戻っていった。


「手厳しいな、笑いの道とやらは」


 ヴェアルも戻って来る。


「ふぅ。一汗掻いたにゃ」


 彫刻を終えたクロも満足そうに戻る。

 机の上には、立派な魚の氷像が置かれていた。


「お、意外としっかり出来ているじゃないか」


 何の魚かは分からないが、それは確かに魚であった。

 形の整った鱗に、生きているような瞳の光沢。何より、存在感があった。


『にゃは。自信作にゃ』


「…だが、邪魔だな」


 しかも、溶け始めている。

 このままでは、氷解け水が参考書を濡らしかねない。


「う〜ん」


 少しの間悩む弓弦だったが、やがて徐に氷像を手に取る。


「ほいっ」


 そのまま、冷凍庫の中に安置するのであった。


『…ハンマーでも出して壊すかと思ったのにゃ』


 意外そうにクロが鼻を鳴らす。


「まぁ、見るからに力作だからな。壊すことも考えたが、無駄に壊すよりは…な」


『…酒の氷に使うのかにゃ』


「そう言うことだ」


 物は、有効活用してこそである。

 どうやって持って帰るのかという問題はあるものの。


「クーラーボックスでも用意しないとな」


 こちらに持って来たかどうか思い出してみるが、持って来たという記憶は無い。

 こんな時にも魔法が使えたらとは思うが、使えない以上他の方法を考えるしかないのであった。


「さ…て」


 時計を見ると、そろそろ三限目の終講時間だ。

 暫くボーッとしていたが、そろそろ本日最後の講義時間が近付いている。


「(次は…どこの教室だったか)」


 時間割表を見る。

 氷、闇と続く最後の教室は──。


「(…げ)」


 雷であった。


「(レイアが居る教室…それに)」


『…例の子が居る教室にゃ』


 頭の中に聞こえるクロのトーンが、一段落ちた。

 雷教室(クラス・トール)。そこに在籍する、とある生徒。

 昨日のこと。その生徒に関して、クロは意味深な話をしていたのだった。


「(あぁ…)」


 何の話をしていたのだったか。

 弓弦は昨日の記憶を思い出した。

──チャッチャカチャ、チャッチャカチャ、チャッチャッチャッカッチャ!


「あ〜あ、収録収録と、リィル君は随分忙しそうだ。…結局、散々な仕打ちの理由も教えてもらえなかったし…はぁ」


「ふんふんふんふふふんふんふん♪ ふんふんふんふふふんふんふ〜ん♪」


「…だけど、彼女が本当に理不尽な場面と言うのは早々少ないものだし…今回も何かしらの訳…が……」


「はんふんふんふふはんはんふん♪ ふふふんふんふんはんふんはん♪」


「!?」


「うん? …今誰かが居たような……」


「(…狸の…着ぐるみ……? まるでテーマパークから飛び出して来たような見た目じゃないか…。それに、声に聞き覚えが…)」


「気の所為か。ふんふんふ〜ん♪」


「(まさか…クアシエトール大佐か!? どうしてあんな上機嫌に…。まるで、欲しかった物が手に入った子どものように無邪気だ…。それに、この香り……)」


「さ〜て、お仕事だポン♪ ふんふん♪」


「(そうだ、弓弦君達が使っている柔軟剤の香りだ。少なくとも、普段のクアシエトール大佐からは香らない香りだが…。そうか、クアシエトール大佐が上機嫌なのは、その香りに包まれているためか。…香りフェチと言う話がファンクラブの間で噂されていたけど……まさか、本当だったか)」


──ガチャ。


「…そうか。リィル君が水魔法の解説をやっていたし、何かの事故で被弾、弓弦君に魔法で乾かしてもらった…とまで、読めた。それであまりにも上機嫌になっているから、不気味がったリィル君が、僕に疑いを向けた。クアシエトール大佐に一服盛ったんじゃないか…と。こんなところかな」




「…やれやれ、実に分かり易い思考回路だ。被害を受ける身としては、堪ったものじゃないけど」


──今回は、“キュア”についての説明でしてよ!


「…さて、今回は“キュア”についてか。…水属性中級魔法である“キュア”は、水の魔力マナによって細胞治癒能力を活性化させて傷を治す魔法。中級魔法の中では、比較的扱い易い部類に位置付けられていることから、水属性魔法使いが最初に目標とすることが多い魔法だ。水属性魔法使いと聞けば、まずこの魔法を使えるかどうかを確認しなければならない。それ程までに重要な魔法でもある…と言うことで、詠唱例だ」


『青き魔力(マナ)よ…癒しの水となれ』


「ディー中将の部隊に所属する、トレエ・ドゥフト大尉の詠唱だ。回復魔法であるが故に、“癒やし”を詠唱フレーズに取り入れてるね。水の魔力マナと癒やし…どちらも、“キュア”を連想し易いフレーズだ。王道な形だけど、だからこそ堅実な効果が見込める。ただ、“癒やしの水”と言うのが面白い。普通ならば──」


 青き魔力マナ=水の魔力マナ。癒やし=回復魔法。


「これで、水属性の回復魔法と言うイメージを魔力マナに発信出来る。ここに付け加えるなら、ズバリ対象の指定だ。王道でいくなら──」


──青き魔力マナよ、彼の者を癒せ。


「『彼の者』と言うフレーズを内包させ、対象を指定させる。こうすることで、魔力マナの発信、発動する魔法の選定、対象の指定がスムーズに行える。最も効率良く魔法を使うことが出来るんだ。だけどドゥフト大尉は、『癒やしの水』と表現している。これが意味することは、ズバリ出力の増幅だ」


 青き魔力マナ=水の魔力

 癒やし=回復魔法

 水=水の魔力


「水の魔力マナを意味するフレーズを二度使用している。同様のフレーズを重ねて口にすることで、水の性質を増幅させているんだ。つまり、発信、選定の後に、対象指定ではなく増幅の工程を取っていることになる。じゃあここから、何が言えるかと言うと、次の二点だ。つまり、」


 一、対象を指定する必要がなかった。

 二、指定よりも、効果を優先する必要があった。

 

「例えば、指定する必要が無い程に密着していた。または、わざわざ口にせずとも指定出来るだけの技量があった。あるいは、魔法そのものと本人の相性が良かった。その上で、魔法の効力を高められるように敢えてこの形式を取った…あるいは、本人がこの詠唱形式しか知らなかった──どちらも、前述した二点に該当する。それは言うなれば、まぁ…個性の一つとも取れなくもないけどね。詠唱一つをとっても、少し分析してみれば色々な考察が出来るものなんだ。…さて、一通りの解説が終わったところで、予告だよ」




「…って、自分で読まなきゃいけないんだった。『弓弦だ。ありがちなものは、これまたありがちな所で、ありがちな風に起こる。つまり学園で起こるありがちな出来事は、決まってありがちな場所で起こるんだ。所謂、スポットって言うヤツだな。その一つが屋上であったり、体育館裏であったりするものなんだが、その中には廊下や階段と言う場所が含まれている。つまりはそう言う話だ──次回、廊下と階段はありがちだよな。うん、ありがちだ。by弓弦』…さて、僕とリィル君、どちらの解説の方が参考になったかな? …なんて言ったら、彼女に怒られそうだ」




「学園…か……。女生徒って、良いよね」

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