現実の学校は、大体屋上が解放されていない。by弓弦
──前回までの、あらすじ。
数々の戦場を潜り抜けてきた実力を、ほんの僅かに解放した弓弦。
全ては、より良い学びを生徒達に授けるため。決して、少々カチンときたからではない。
そんな彼は、何食わぬ顔で闘気を迸らせた。
生徒達の猛攻を拳の一撃にて鎮め、悠々とした足取りでグラウンドを去るのであった。
* * *
校庭で一悶着を収めた弓弦の姿は、高等部校舎四階にあった。
生徒達を蹴散らすや否や、その足で向かった教室だ。
先程までは、一時間目の講義。勿論、一単位だけで一日の業務が終わるはずもなく──二時間目の授業のためだ。
「~で、ここはつまり、こう言うことでな」
校舎四階。ここは、闇教室。
氷教室の一件があったために緊張して臨んだ講義であったが、今のところは何事も無く講義出来ていた。
生徒達も大人しく教科書を開いており、各々メモ書きをしたり線を引いたりしている。
一人分の席が空席だが、出席率もほぼ全員だ。
教室内に居ない生徒は、どうやら他の用事があって席を外しているそうだ。講義の後半までには間に合うとのことだった。
「つまりだ。『バット』は所謂超音波と呼ばれる高周波を発して、互いにコミュニケーションを取る。これによって、暗闇の中でも連携の取れた行動が出来ているんだ」
現在弓弦は、『バット』の講義を行っている。
教えるクラスが変わっても、講義内容は変わらない。教科書に基づき、時には自分の知識とも併せ、可能な限り分かり易いように教えていた。
もっとも、『バット』に関する講義はそろそろ終わる。
先程は到達出来なかった部分に入って、どれだけ時間が経ったのだろうか。しっかり授業を受けてくれる生徒達に、弓弦は感動すら覚えていた。
「(しかも…)」
視線の先に座る、一人の女生徒。
紫紺の髪を後ろで結ぶ彼女の名は、「神ヶ崎 知影」。
彼女が居る教室ということで、何か変な行動を起こされないか心配だったが──驚いたことに、どの生徒より真面目に授業を受けている。
それはまるで、かつての『日常』を思い起こさせるような様子だった。
弓弦は人知れず懐かしさを抱きながら、胸を撫で下ろしていた。
「(感心感心…)」
案ずるより産むが易しとは、このことであった。
『…む~』
一方で、シテロは不満そうに唸っている。
彼女の内で静かに燃える怒りの炎は、先の一騒動からずっと燃え続けていた。
『にゃはは、怒りまだ冷めやらぬ…って感じだにゃ』
『先程の彼女からは鬼神の如き気迫が感じられていた。早々冷めるものではないさ』
『別に怒ってないの』
どこか食い気味なシテロの言い方が、自身の言葉を否定していた。
ツンと、拗ねていた。
『だけど、さっきのアレはやり過ぎだにゃ。いくら生意気に思えたからって…』
弓弦の脳内で、深々とした溜息が吐かれる。
『どこの教師が拳一つで大地を砕けるんだにゃ…』
というのも、先程の講義で弓弦が見せた一撃が理由だ。
弓弦は普通の人間ではない。その身体能力も、魔力も、常人を遥かに凌駕している。
しかし魔法を使わずして、拳一つ叩き入れただけで大地を砕き、隆起させる芸当は困難だった。
いかに弓弦といえども、そこまでの馬鹿力は持っていなかった。
『…別に魔法は使ってないの』
だが実際、弓弦は物理的な力のみで大地や生徒達を震撼させた。
その背景に、シテロの存在がある。
『だからと言って、立派に龍しているアシュテロが力を振るったら、地面ぐらい簡単に隆起するのにゃ…』
ヒトの力では困難であろうと、城塞に等しき体躯を有する土龍の力ともなれば話は別だ。
生意気を言う生徒達に対するシテロの怒りが、弓弦の拳を通じて打ち込まれたのだ。大地が隆起するのは寧ろ当然であり、地盤が避けなかっただけまだマシであった。
『魔法を使ってないからセーフなの』
『どこの誰が見てもアウトだにゃ。確実に悪目立ちしたにゃ、アレ』
『う~…』
シテロの声が、徐々に小さくなっていく。
彼女自身、本当は少しだけやり過ぎた感覚はあった。
ちょっと──そう、本当にちょっとだ。弓弦の拳に力を込めただけで、あの有様だ。
大地がボコン。地面がドカン。
拳一つで簡単に作られる、素敵な惨状。
まさかあんなことになるとは。心の片隅で後悔していなくもないシテロにとって、痛い所を突く苦言であった。
『弓弦に迷惑を掛けた自覚はあるのかにゃ?』
『う~。…ユールに迷惑…』
『そう、迷惑にゃ』
それも、チクチクと連続で。
それなりに棘のある言い方に、シテロはどんどんしおらしくなっていく。
『…でも、ユールは迷惑と言わなかったの』
『弓弦は優しいからにゃ~? 意外と心の中では…』
『己の失敗でもあるものを全て押し付けるとは、いかがなものだろうか。儘猫』
ヴェアルがクロの言葉を阻む。
探るように、しかし確実に核心を突いているいつもの物言いが、反論を噤ませる。
「(…何だ?)」
微かに漂い始めた不穏な気配に、思わず弓弦の意識が内へと向けられた。
講義が最優先であるために、完全に耳を傾ける訳には行かないが。半分程の注意が向けられていた。
自らが行ったやり過ぎな攻撃に、シテロの力が関わっているのは分かっていた。だが、何故クロが失態を演じたとされているのかが結び付かなかったのだ。
「失敗」とは、一体──?
『弓弦の拳に込めた、感情の内訳。まさか気付いていないとは言わないだろうな?』
『……』
『認めたくないからと悪戯に責めるのは、何とも君らしくないな』
あれだけ口車の回っていたクロが、沈黙していた。
まるで己の内に渦巻いている何らかの感情を、抑え込んでいるかのように。
『…クロル?』
あまり見られない様子に、シテロも気遣わし気だ。
『にゃは、僕は「凍劔の儘猫」。気の向くままに、アシュテロを揶揄っただけにゃのにゃ』
『…む~』
『あくまで煙に巻くのならば、それでも良いだろう。しかしこの問題…そう遠くない日に向き合うことなる』
「(問題…か)」
そういえばと、弓弦が思い出す。
自らの内に宿る不思議な存在──悪魔達。
彼等との付き合いも長くなり始めたのだが、まだまだ知らないことは多い。
ヴェアルは知っているようだが、どうやらクロの過去と関わっているようだ。
いつか話してくれるのだろうか。知るべき時がくるのか。
しかしそれはまだ、「今すぐ」のことではないのだろう。弓弦は講義に意識を向け直した。
「(…もうそろそろだな)」
一瞥した時計には、講義開始と終了の間頃の時間が示されていた。
講義の内容も、丁度半分程度だ。
進度としては問題無い。教科書を確認しながら、一人頷く。
──ガラガラ…。
扉が横に開かれたのは、そんな時であった。
「お」
待ち人、来たる。
弓弦の、クラス中の視線が扉に注がれる。
「……」
扉から現れた生徒は、黒髪のショートカットが特徴的だった。
横顔は端正であり、その細身のスタイルもメリハリが利いている。
身長は170はあるか。女性にしては長身の部類に入っていた。
「(…ん?)」
そんな女性の姿に、弓弦は覚えがあった。
横顔を見て既視感に包まれ、着席と同時に眼が合った瞬間──
「‘…あ’」
弓弦は小さな声と共に固まった。
──コトッ。
弓弦の手から離れたチョークが、床で音を立てる。
運命とは、何という悪戯をしでかしてくれるのだろうか。
現れた生徒は、かつて弓弦が指揮訓練のために赴いた任務で行動を共にした部下の一人──「ユヅナハ・レイヤー」に瓜二つだったのだ。
「(いや、まさか…)」
「(ニコッ)」
否、瓜二つなのではない。
悪戯っぽい微笑みが語る、肯定の意。
「(あ──あぁあッ!?)」
それは間違い無く、ユヅナハであった。
何故この学園に居るのかは分からない。しかし紛れもなく、ユヅナハ・レイヤーであった。
「(…弓弦?)」
隣の席に座った女性への態度に、知影の眉が動いた。
怪しい。弓弦へと戻した視線に、探るような色が宿っていた。
「……」
そんなこととは露知らず、弓弦は名簿を確認していた。
生徒の顔と名簿に記された名を照らし合わせると、
「(…ユヅナハ・レイヤーって書いてあるじゃないか…! どうして気付かなかった…」
名簿に、これ以上無く明瞭に答えが記されていた。
間違い無く、現れた人物はユヅナハであった。
もう少し早く気付きたかったものだが、この際仕方無い。
チョークを拾いながら、最終確認だけを行う。
「(…じ~)」
「(視線が痛い…)」
ジト眼を向けてくる隣を見ないようにしながら。
「ユヅナハ・レイヤーだな」
「そうだよ~。…橘 弓弦センセ?」
並行世界における同一の存在かもしれない。そんな予測をも否定する含みのある言い方だ。
「(これは…後で話をしないといけないか)」
これからのことに先の見えない不安を抱きつつも、まずは眼の前のことを。
思考を切り替え、教師としての振る舞いに努めていく。
「…悪いが君を抜きにして授業を進めさせてもらっていた。これまでのところは、隣のクラスメイトに見せてもらうように」
そして、授業を再開する。
「‘ごめん、ちょっと見せてくれないかな?’」
「(…ん?)」
そして、思考が「待った」を掛ける。
「(ユヅナハの隣の席って…)」
「‘良いよ。けど、一つだけ質問に答えてほしいの’」
「‘質問? 私に答えられる質問なら’」
「‘レイヤーさんってさ…先生と面識あるの?’」
弓弦の耳だからこそ拾える小さな声が、ヒソヒソと。
「‘…隠してはいるけど、あの反応は、分かる人には分かるよね。面識…あると言えばあるわよ?’」
「‘…そう。あなたの名前、覚えがあるの。じゃああなたが…指揮訓練の時の’」
「(いや、聞かないように、考えないようにしよう)」
やっと真面に授業が出来るのだ。託されている仕事を、しっかり終えなければならない。
授業を無事に終えるため、弓弦は全力で意識を講義に向けるのであった。
授業は終わり、一斉に賑やかになった教室を後にして。
弓弦の姿は、高等部の屋上にあった。
「んん…っと」
春先の風は冷たく感じる。
しかしその風に乗って香る桜の香りは甘く、優しく、何とも春らしい色に満ちている。
ちらほらと落ちている桜の花弁を踏まないように歩きながら、弓弦は身体を伸ばした。
「ん…っと」
凝りが和らぐ、心地良い感覚。
これに茶の一杯でもあれば、腰を据えて一息入れたい気分だったのだが。
ここには湯沸かし器も無ければ茶葉も無い。
出来ることといえば、学園の景色を眺めることぐらいか。
しかし景色を眺めることは、気分転換としては悪くない手段だ。
もう少ししっかり眺めようと、転落防止の金網に、そっと手を添えた。
「(上手く…撒けたか)」
固定の問題が無いことを確認してから、少しだけ体重を預ける。
思い出したかのように、疲労が襲い掛かってきていた。
講義に対する緊張と、
「(クソ…知影の奴……)」
肉体的疲労である。
実をいうと先程まで、知影からの逃走劇を行っていたのだ。
『日頃の行いから鑑みれば、否定出来ない可能性ではあった。予測が足りていなかったな』
『確かにそうだな。師匠、何故考えなかった』
ヴェアルとアデウスの苦言に、弓弦は項垂れるしか出来ない。
この学園での活動拠点である、自身の教員室を知られたくない弓弦にとって、知影の存在は危険分子そのものだ。
一度知られてしまえば、時間があれば居座られるなんてことになりかねない。
下手をすれば、他の面々にも居座られかねない。学園は世界のように広い訳ではないのだ。勘の良い一部の人間には、もう特定されているかもしれないというのもあった。
無論、まず知っているであろう人物も居る。
レイアである。思考を覗かれることから私室の露呈を予測した弓弦は、レイアとの間で常に『回路』を開いておいた。他の人物に思考を覗かれないようにしているのだった。
唯一弓弦の思考を覗ける彼女であれば、私室の場所を知っていても何ら不思議ではないだろう。
フィーナやセティにも見付かっている可能性はあるが、弓弦は魔力を極力抑え込んでいた。いかに魔力の感知が出来る二人であっても、相当に集中しなければ感じ取れないはずだ。
風音とユリ、知景に関しては感知する能力が無いために、裏技の心配は無い。
よって、レイア以外には勘付かれない状況なのだ。
「(折角、ここまでやったのにな……)」
これが、弓弦の私室秘匿作戦である。
因みに『回路』に関しては、当初は風音も候補に上がっていたのだが、彼女に弱味を握られると何をされるか分かったものではないため、あえなく落選した。
フィーナやイヅナ、ユリに関しても、彼女達に学園生活を穏やかに過ごしてもらい思いがあった。それをいうなら、全員が該当するものの。
そんな中でレイアが選ばれたのは、やはり彼女にならば任せられるという安心感があるためだろう。事実、現状は何の問題も発生していなかった。
弓弦が警戒しているのは、最たる危険人物である知影のみだ。
彼女に私室を発見されるようなことがあれば、穏やかな教員生活は瞬く間に終焉を迎えてしまう。
だが学園での知影は、普段見せるような弓弦への執着振りを見せなかった。
お淑やかで、優しい。元の世界において、『学校のプリンセス』と呼ばれていた頃の姿があった。
そんな彼女の姿には、かつての弓弦も憧れていた。
学園という普段とは異なる環境のためだろうか。懐かしい姿がそうさせたのか。
油断していたのだ。
「(まさか、俺を油断させてから…発信機で行動監視しようとしていたなんてな…)」
気付いたのは、教室を後にした直後だ。
昼休憩の時間であったため、参考書を置きに教員室へ戻ろうとしたところで──気配を感じた。
素知らぬ振りのまま、わざわざ大きく迂回するルートを通ったが、それでも気配は変わらない。
まさかと思って試しに魔力を探ってみれば、案の定知影だったという話である。
『にゃは。でも発信機の存在に気付いたのは流石だにゃ』
あの知影が、自らの目的達成のために手段を選ばない彼女が、ただ尾行するだけに終わるはずがなかった。
数度撒こうとしたが、一定の距離を置いて、必ず付いて来た彼女。まさかと思って身体中を探ってみると、やはり服の裾からコロリと落ちる物があった。
拾って確認してみれば、チップタイプの発信機だったのである。後は丁寧に握り潰し可能な限り距離を取るために、屋上にまで逃げて来たのだ。
ここまでして、ようやく知影は諦めて食堂へ向かったのであった。
『策は幾重にも張り巡らせておくものさ。しかしあそこまでの執着は、異常だな…』
「(本当だよ…)」
不意を突かれただけに、疲労も大きい。
幸いなのは、次の講義が空きコマであることか。前半の疲れを癒すには十分な時間だ。
「(良し、部屋に戻るか……)」
参考書を置いてから、食事に向かおう。
そう思い校舎内に戻ろうとすると、足音が聞こえた。
「──ッ!?」
まさか、知影に見付かったのか──そんな危機を抱いたが、階段から徐々に見えてくる髪を見て否定する。
「あれ? 隊長君じゃん! おっひさ~♪」
姿を見せたのは、ユヅナハであった。
相変わらずのフレンドリーな様子で、弓弦の前にまで歩いて来る。
「…久し振りだな、レイヤー中尉。顔を見た時は、心臓が止まるかと思ったぐらいだ」
「それは私の台詞だよ。まさか隊長君が赴任してくるなんて…こんなことある? って思ってたから。…どうして来たの?」
「(どうして…か)」
ユヅナハの質問に、弓弦は首を傾げる。
かつて部下にしていた時期があるとはいっても、流石に全幅の信頼を置ける訳ではない。
言葉を選んで返答することにした。
「休暇する隊員達の監督役だな。皆が羽目を外し過ぎないように…ってな」
表向きの理由のみを伝えているため、決して嘘ではない返答だ。
ユヅナハも納得したように頷いた。
「そうなんだ。でもそれにしては、随分思い切った休暇だよね。他のクラスに来てる編入生も、皆隊長君の所の隊員でしょ?」
「あぁ、そうだな」
こればかりは隠しても仕方の無いことなので、事実をそのままに伝える。
確かに思い切った休暇の取らせ方だとは思った。もしもの時の戦力として利用しろということなのか、
「(それとも…他に理由があるのか)」
レオンやセイシュウ達の真意は分からない。
しかし、歴とした任務の要請をされた以上断る必要は無い。
必要ならば、後日説明を求めれば良いだけなのだ。だから今は従っていた。
「はは~ん? そして隊長君は、部隊内でもモテモテだと。やっぱりモテ男君だ」
弓弦の返答に納得したはずのユヅナハ。
だが何故だか、別の件についても納得していた。
それもどちらかというと、別件の方が強い納得の仕方である。
半眼が雄弁に語っていた。
「な…っ、どうしてそんな話になる」
「相変わらずのモテ男っ振りだね。神ヶ崎さんが探してたよ?」
「…あのな」
話の流れが掴めない。
どうして部隊内での人気とか、そういった話になるのだろうか。
そもそも弓弦は「モテ男」という呼ばれ方を好ましく思っていなかった。
少々小馬鹿にされている感じがするのだ。
出来れば訂正させたかったのだが、彼女の調子を見て断念する。
言ったところで訂正するような人間ではないだろう。彼女なりに、親しみを込めて呼んでくれている可能性もある。
それに話を脱線させ続けると、訊かなければならないことを訊けなくなってしまう。
「…それよりも、レイヤー中尉は何故この学園に居るんだ? 暫く滞在しているみたいだが」
弓弦は咳払いを一つすると、話題を元に戻した。
「…私?」
数度の瞬き。
長い睫毛が、パサパサと羽ばたきする。
虚を突かれたようだった。
「私は…勉強かな?」
「勉強?」
「そ。昇進試験に筆記があってね…。モテ男隊長君も受けたことあるでしょ?」
大尉はそれまでの階級と異なり、単独での異世界突入が許されるようになる階級だ。
つまり、相応の現場対応力が必要となるのである。
知識を試す一環として、筆記試験があるのも頷けた。
「(そんなものもあるのか…)」
あるのは頷けるが、受けた覚えはない弓弦。
それを話すと、
「うぇぇぇぇぇぇッ?!?! 何でどうして、どう言うことっ!?」
ユヅナハの眼が、口が大きな円を描く。
そんなに驚くものかと思わなくもない弓弦だ。
武も試されれば智も試される。試験というものは、往々にしてそんなものだ。
「…やっぱり試験官によって、試験内容が違ったりするのかぁ…。あ~あ、ハズレを引いちゃった気分」
「しっかり知識の方も試してくれるなんて、良い試験官だと思うがな」
だからといって、知識を問わない試験官が悪い訳ではない。
必要な場合に必要な実力を見定める。良い試験官とは、そんなものなのだろう。
「良いよねモテ男隊長君は。だって教師やれるぐらい頭良いんだからさ」
ユヅナハは拗ねたように唇を尖らせる。
「あ~あ。私にもそんな知識や力があったらなぁ…」
「(知識に…力か)」
口にはせず、心の中で反芻する。
彼女の発言からは、強い羨望の感情が汲み取れた。
足りないものを、満たそうとする。当然の欲求ではある。弓弦の中にも、そんな想いは存在している。
だが弓弦は彼女の発言を、「強い羨望」と捉えた。特に深く考えはせず、ほぼほぼ直感的に。
「(何故…そんなにも強く求めていると、俺は思った)」
直感だ。そこに根拠は無い。
根拠を見出そうと考えるが、結論は導き出せそうになかった。
「俺は俺で、結構勉強してるけどな。何せ、教師なんて初めてなんだから」
「そう? それにしては、器用に熟してたなって思うけど」
「そう見えていたのなら、何よりだ」
嬉しい言葉に、胸を撫で下ろす。
お世辞に思えなくもないが、弓弦は素直に受け取ることににする。
そんな彼の姿を見るユヅナハは、どこか胡散臭そうなものを見る瞳をしてから背を向けた。
「ま、勉強大事だね。学生生活も悪くないし。色々と教えてよね? 橘センセ」
振り向き様の言葉に、弓弦は頷く。
生徒を教え導くのが教師の役目だ。頼られたら頑張りたくもなる。
「任せとけ。だから、しっかり勉強してくれよ。力になれることは出来るだけ手伝うから」
「…本当?」
弓弦を中心に映す橙色の瞳が、興味深そうに爛々とする。
普段よりも、さらに気持ちが乗っている輝き振りだ。もしかしたら、今日一番輝いているかもしれない。
「(お、良いことを言ったみたいだな)」
喜んでもらえたのなら何よりだ。
「じゃあお願いすることもあるかも。…その時は、力になってよ?」
可愛らしい部下の頼みだ。可能な限り聞いてあげようと弓弦が思うのは、至極当然のことであった。
「あぁ」
弓弦の返事に満足したのか、ユヅナハの背中は校舎内に消える。
「じゃね」とは、彼女の去り際の台詞だ。片手を軽く振って消える彼女を、弓弦は見送った。
「…さて、と」
訪れる静寂。
少しだけ間を置いて、鐘の音が聞こえた。
昼休憩の終わりを知らせる鐘だ。
──ぐぎゅる…。
同時に、弓弦の腹の虫が騒いだ。
「(急いで部屋に戻らないとな…)」
空腹のまま時を過ごすのは堪ったものではない。気持ち悪くなる前に、食事を摂る──意気込みながら校舎内に戻った弓弦の足は、自然と速くなっていた。
「(思わぬ再会だったな…)」
昼に食べる食事の内容と同じぐらいに、弓弦の思考はユヅナハについて考えていた。
随分色々な呼び方をしてくれるものだ。調子が良いというか、何というか。
相変わらずで何よりなような。いっそのこと、忘れていてくれた方が嬉しかったような。
取り敢えず、可愛らしい女子生徒に頼られたりするのは悪い気分ではなかった。
『…む~』
そんな彼の気分を他所に、不満気に唸る声が一つ。
「(どうした、シテロ)」
『…何でもないの』
それっきり声は聞こえなくなった。
ただ拗ねたような声から不満がありそうな様子だったが、弓弦には分からなかった。
『…今の、分からにゃかったかにゃ?』
代わりに、珍しく抑揚の弱いクロの声が聞こえた。
「(…何が?)」
クロでさえ、そこまで気にしてしまう程の何かがあったとでもいうのだろうか。
だとしたら何だというのか。
変なことでも言ったのだろうか。
「(…全く思い当たる節が無いんだが)」
『にゃは、何でもにゃいのにゃ』
階段を降りる際に聞こえた二度目の声は、普段の悪魔猫と変わりなかった。
クロがそう言うのならばと、弓弦も気にすることなく話は流れる。
その後は特に会話も無かった。
弓弦は教員室に戻り、参考書を置くと、購買に向かった。
眼に触れた品々を適当に購入してから叩いのは、保健室の扉。
「入るぞ」
入るなり早々、薬品の匂いが鼻腔を突いた。
養護教諭の姿は無く、薄暗い室内に暖かな日差しだけが差し込んでいる。
室内は仄かに暖かい。しかし、換気のために僅かに開けられた窓から冷たい空気が入ってくる。
「(ま…それが気持ち良くもあるんだが)」
弓弦は決して何の用も無くここを訪れた訳ではない。ある人物を探していた。
部屋を見渡してみると、室内にある四床のベッドの内、入口から見て左奥のベッドがカーテンで見えなくなっている。
どうやら目的の人物はそこで横になっているようだ。
「(…多分、そう…だよな)」
カーテンに手を掛け、そっと首から上だけを向こう側へと滑り込ませる。
「す…ぅ…っ」
そこには、眠れる保健室の美女が居た。
寝息は若干荒く、頬は上気している。時折面持ちが険しいものに変わったかと思えば、程無くして疲労の隠し切れないものへと戻る。
美しい金糸の横髪が、一部顔に張り付いている。発汗もしているらしい。
一コマ目から講義を欠席せざるを得ない程の、弱々しいフィーナの姿がそこにあった。
「(…はぁ、大分拗らせてるな……)」
弓弦は床頭台の引き机を出すと飲食物を置き、自らは側に置いてあった椅子へと腰掛けた。
額へと手を伸ばすと、熱い。
生卵を置き続けていたら、半熟になりそうな温度だ。
夜電話が祟って風邪を引いたにしては悪化し過ぎな気もするが。
「(ま…俺の知らないところで苦労とか、迷惑を掛けていたのかもしれないな)」
ゴミ箱に視線を落とすと、薬の容器が空になって入っていた。
服薬はしているようだ。
となれば、後は休息か。
「(…人間の多い環境だからと言うのもあるのだろうか。…考えられなくはないこと…だな)」
長居をすることで起こしてしまっても、本人のためにはならない。
飲み易く、簡単に栄養が摂取出来ると触れ込みのゼリー飲料だ。
少しでも早く完治するようにとの願いを込めて、近くのパイプ椅子に置いた。
「(長々と電話することになって悪かったな。今はこれで)」
そっと髪を撫でてから手を離す。
「…」
気持ち、フィーナの表情が安らかなものへと変わったような気がした。
見間違いかもしれないが、少しでも身体が楽になってくれたら──それはとても嬉しいことだ。
風邪の軽快を願いながら、弓弦は保健室を離れるのであった。
──チャッチャカチャ、チャッチャカチャ、チャッチャッチャッカッチャ!
「はい、ストップザミュージックっと。さて、そろそろ説明してもらおうか。どうして僕が、こんな扱いを受けなければならないのかをね」
「はぁ……しつこい男は嫌われますわよ? 事ある毎にくどくどくどくど…頭痛くなってきますの」
「僕は色んなところがキリキリと痛むんだけど……!?」
「まぁ、良くってよ。博士、あなたに掛けられている疑惑はズバリ……」
──ダカダカダカダカダカ…ダン!!
「…何このドラムロール…今そんなタイミングじゃないよね!?」
「とその前に、今回は“ハイドロボム”に付いて説明しますわ!」
「…。だと……思ったよ…」
「…って“ハイドロボム”ッ!?!?」
「あら、そう身構えないで。安心してくださいまし。流石の私も、この魔法を発動させるつもりはありませんから」
「そりゃそうだよ。“ハイドロボム”って言ったら、初、中、上のさらに上…封級の魔法なんだから。今じゃ使える者の居ない戦略兵器レベルの魔法を放たれた日には、僕どころか『アークドラグノフ』そのものが吹き飛んでしまうよ」
「あぁ、因みに人の説明を邪魔すると言う、それはそれは無粋なことをする人に対しては…口が滑るかもしれませんけど」
「……つまり、黙ってろと」
「とどのつまり、そうでしてよ」
「何でだい!? 前回我慢したじゃないか! また次回に持ち越しなんて事態は回避したいんだけど!?」
「ほら、良く言うではありませんか。…歴史は、繰り返すと」
「あまりに短い歴史もあったものだね…!?」
「…私と博士の付き合いは、その程度のものだったのでして…?」
「…今回の説明魔法と違うものをやる必要は無いと思うんだけど」
「そうですわね。説明と違うことをやる必要は無いですものね」
「だからと言って、いつまでも人を拘束して良い理由には……」
「さて、今回は“ハイドロボム”と呼ばれる魔法の説明でしてよ!」
「…。しまった……」
「先程博士が話してくれた通り、“ハイドロボム”は封級に分類される魔法です。静の水魔力に荒ぶる動の水魔力を衝突させ、擬似的な水蒸気爆発を起こさせる魔法ですわ。…こんな」
「風にはやらないでね!?」
「…はぁ。本来水蒸気爆発とは、冷水が超高温の物質によって瞬間的に気化された際に発生する現象です。それを振動で補ってしまおうと言うコンセプトの下に体系化された魔法…と、一説では言われております。しかし元々相反する事象であった水蒸気爆発と違い、こちらはどちらも水の魔力によるもの。その威力は水魔法の中で最強との呼び声もあります」
「まぁ、発動には相応の魔力と二種類の魔力を同時に操る制御力が要求される。つまり、一種の合体魔法だね。魔力の時点で、僕等人間に扱うことは不可能に等しい代物だ」
「…。一人につき一つの属性…ですか?」
「そうだよ。そもそも僕達人間の身体は、複数の魔法を同時に使えるように出来ていない。何せ生まれ付き、魔力を扱う回路が一つしかないからね。それを補おうとすれば……」
「生体に相応の負荷が掛かる…と」
「そう。勿論突然変異的なもので、先天的に二つ以上の回路を有する人間も居るには居る。大元帥とかね。一方で、後天的に新たな回路を埋め込むなんて芸当も、理論上は存在していなくもない。体系化されていないし、成功例も居ないとされているが…」
「あら、そうなのでして?」
「理論はある意味、理想論さ。理想を語るのなら子どもにだって出来る。実現性は置いといてね」
「そう言えば博士も、在学中に色んな理論を提唱していましたわよね」
「その殆どはディー先生に止められたけどね。まぁ…今となっては、その訳も分かる。あの頃の僕は、青かったんだよ」
「……って、どうしてそんなにペラペラと喋っているのでして?」
「そう言うリィル君こそ、随分話すことを許してくれたけど」
「それは……私とて、学びの機会をみすみす逃すような女ではありませんもの」
「つまり僕の言葉が学びになっ」
「ハイドロ──」
「てないよね!? 黙るから!! その振り上げた手を止めてくれないかな!?」
「…懸命な判断でしてよ。では詠唱例です」
『水よ、流るる水よ、ここに集え、集いて化せ! シュウキヒセサカリセテヂケリュハウモウソ、トスヌショエザエタメケゲヒンウモウソ、ンスユウヒゼム!!』
「はい。私達の言葉でお願いしますと言いたくなるような詠唱は、レティナと言うハイエルフのものです。舌を噛みそうになる後半の詠唱は、『ルーン語』と呼ばれる古代言語です。…よくも噛めずに言えますわね」
「……」
「しかしながら、この『ルーン語』は非常に魔力との相性が良い言葉とされています。魔力に対して効率的なイメージを送るために確立された言葉…とも取れますわね。かつて『ハイエルフ』の間では、共通言語として使われていたとされていますが…今では扱う者の居ない言語ですわね」
「‘ふぁ…ぁ……’」
「そう言えば、弓弦君とフィリアーナの会話では登場しませんわね。二人の間では交わされていたりするのでしょうか…? それはそれとして、予告ですわよ!」
「痛っ!? な、何だよいきなり!」
「予告、言ってくださいまし」
「…。言ったら、解放してくれるかい?」
「そうですわねぇ…。そろそろ飽きてきましたし、良いですわよ」
「‘…とんだ横暴だよ’」
「何か…言いまして??」
「…『弓弦だ。真から出た嘘と、嘘から出た真と言う言葉がある。こんな感じで、相手に嘘を言わなきゃいけない時は、少々の真実を混ぜた方が信じてもらい易い。勿論、嘘なんてものは言わないに越したことはないんだが、優しい嘘も時には必要だ。…さて、どうやって話したものか──次回、冗談の殆どは、貫き通すと冗談じゃあなくなる。by弓弦』…と言う訳で、リィル君…?」
「条件がありますわ。…たまには、私の模擬戦に付き合ってくださいまし」
「…な、そう言って人を虐める口実を……」
「……。やっぱり、もう少し拘束しておきましょうか」
「ごめん! する! 付き合うから!! いや付き合わせてください!!」
「‘…悔しいけど、少し嬉しいですわ’」
「…君は真正のサディストだね」
「…耳が良くても、面白いぐらいに阿呆ですわね。いっそ面黒い…」
「へ?」
「もう良いですわ! ふんっ」