嗅覚は密接に記憶と結び付く。故に匂いフェチは人の健全な有り様の一つなのだ。変探偵は除く。byユリ
──前回までの、あらすじ。
仕事初日からの疲れを、弓弦は感じていた。
慣れないことをすると、緊張で思った以上に疲れてしまうのはよくあること。
疲労は大きい。日も暮れていた。
しかし翌日も仕事。茶で一息入れながら講義の事前準備をする彼を、悪魔達はそれぞれ見守っていた。
* * *
『ティンリエット学園』は、その広大な敷地を活かして全寮制を導入している。
校舎から徒歩数分。初、中、高等部用の三つの寮があり、寮の中でさらに女子エリアと男子エリアに分かれている。
入学した生徒達は例外無く入寮し、仲間達と寝食を共にする。といっても、部屋は二人一部屋だ。食は食堂があるが、寝に関しては精々自分以外に一人しか共にしない。稀に、部屋替えがあるものの、それも滅多に無い。
というのも、普通に手間だからだ。生徒達は各々の私物を部屋に持ち込んでいるし、あまり外部の人間を寮内に入れない方針があるからである。
入ろうがものなら即日侵入者扱い。そして、警備員に捕縛されるのだ。そんな危険を冒してまで、寮に入ろうとする不審者は、まず居ない。時々居るには居るが。
それもそのはず。何といってもここ──『ティンリエット学園』は、一応名門校に位置付けされる学舎なのだ。
名門ということはつまり、生徒達の中には格式高いお家柄の下で育った者も居る。
金目の人や物を狙う不審者の一人や二人、居ても当然だ。
それ故の部外者立ち入り禁止。
あまりにオープンだと、我が子を預ける親も心配になるというのもあり、警備員は強者揃いだ。
また面倒以外に部屋替えが行われない理由に関しては、生徒達自身のプライバシーの問題もあった。部屋替えが行われるのは、精々生徒同士の仲が著しく悪化し、双方から強い部屋替えの希望があった場合と──寮長の気紛れぐらいか。
基本は面倒がる癖に気分一つで変えられる後者に関しては、それこそ面倒でしかない。
「…ふむ」
──ここは『ティンリエット学園』高等部女子寮。
一人の生徒が、羊皮紙片手に部屋を探していた。
「(久々に講義なんてものを受けたが…意外と疲れるものだな)」
ユリである。
つい先程まで受けていた入寮オリエンテーションにおいて、眠気と戦いながら、少々の敗北を収めた後の探索であった。
「(私の部屋は…もう少し向こうか)」
廊下の左右に、ズラリと並んだ扉の数々はまるで、ホテルを思い起こさせる。
スポンサーが良いのだろう。内装も中々品の良い意匠が施されている。
左右を順に見ながら部屋番号を確認して──そうしている内に辿り着いた。
「(さて…私は誰と同部屋になるのやら)」
誰と相部屋になるのか。それが扉を開けてからのお楽しみとなっているのには理由がある。
現在一人のユリ。オリエンテーションは共に学園に来た仲間達と受けたが、全員が解散と共にどこかへ行ってしまった。
好奇心があることは結構。しかし誰もが自由なものである。
ユリは誰がどの部屋なのかを、完全に聞きそびれてしまったのだ。
これからの学園生活で、多かれ少なかれ関わる同室者の存在。
必然的に、一緒の時間も増えるはず。
共に勉強したり、何気無い言葉を交わしたり──その中では、普段訊けない話について触れることも出来るだろう。そう、恋バナというものだ。
この際なのだ。普段は胸の内に留めている疑問を打つけて何が悪いのか。その点では、出来れば一緒になってみたい人物達の候補が浮かんだ。
「(ふ…。部屋決めとは、こんなにも期待に胸が躍るものなのだな)」
はたして、扉の先に居るのは誰なのか。
扉を開いてしまえば分かる、簡単な問題。しかし簡単であるが故に戸惑いが生じる。期待も大いに渦を巻く。
鬼が出るか蛇が出るか。鍵を手に、期待と不安交じりに鍵穴へと差し込む。
──カチャ。
「(良し…!)」
ユリは期待を胸に、扉を開けた。
「うぇーるかーむっ♪」
ユリは無表情で、そっと扉を閉じた。
──え、ちょっと! あれ、何かちょっとデジャブが…。
ユリの表情は、石のように固まっていた。
いや、最早石だ。“メドゥーサアイズ”の魔法に当てられたように、彼女は石になっていた。
「…はっ!?」
やがて再起動。
左手で数度眼を擦り、首を小さく振る。
しかし現実は変わらない。
「ん…っ! 痛…っ」
頬を抓っても変わるはずもない。
出来れば一番相部屋になりたくなかった人物が、見えたような気がした。
そう、生粋のトラブルメーカーの姿が。
「(いや…そこまで断言してしまうのは失礼に当たるが……)」
しかし、これまでの悪事を幾度と無く知っているからこそ気が引けてしまう。
失礼だと分かっているのだ。別に嫌いではないし、どちらかというと好意を持てる人物だ。大切な友人の一人ではある。
「(く…ぅぅ)」
ドアノブを握ったまま俯くユリ。
上司から左遷を伝えられた中間管理職サラリーマンが、悔しさを滲ませたまま上司部屋のドアノブを離せずにいるような哀愁が背中に漂っている。
──おーい、おーいユリちゃん! ユリちゃーん!
ユリは何度も頭を振った。
分かっている。これが現実だ。
足掻いても変わることのない、確固たる現実だ。
受け入れなけれならない。
ならないのだが──。
──部屋においで~よ~♪
「(くぅ…っ)」
──ドアを開けて~♪
どうせなら、他の人が良かった。
そう思ってしまう本心があった。
──どおして? 入って来ないの~♪
「(あぁ……)」
メロディに乗った問い掛けが腹立たしい。
何故こうも腹が立つのか。ふと自分の心理状況を考えてみると、思い起こせるものがあった。
「(そうか…弓弦を監視するとかどうとかの、アレがあったな……)」
どうやら昼間の件を引き摺っているようだ。普段よりも、気が立ちやすくなっているらしい。
「(いかんな、自重せねば)」
深呼吸と共に気持ちを落ち着け、部屋の中へと入る。
それはもう、色んな気持ちだ。怒りもそうだし、一抹の寂しさもそうだ。虚しささえ感じているのを抑え込む。
「あ、やっと入って来た! もー、何してたの?」
知影は既に、寝間着に着替えてベッドの上に居た。
それもそうだ。時刻は──
「…知影殿、どうして弓弦殿の寝間着に着替えているのだ」
それもそうではない。夕飯前だった。
元々、事前に配達依頼をした私物が届いているかを確認してから、各々の夕食を摂るように言われていた。
オリエンテーションは一緒に受けたのだ。夕飯を食べる暇なんかなかったはず。
だというのに、知影はすっかり眠る姿勢を見せている。
「あ、しまったクセで…」
「……」
飯も食べずに、寝る支度。
いや彼女の場合、弓弦の寝間着を着ることがおかずなのかもしれないが──。
いずれにせよ、弓弦の苦労が分かる一言だ。
「でも、お風呂は入ってるよ? そりゃあ弓弦の服だしパジャマだもん。綺麗な身体で着たいしね」
「…いつ入ったのだ」
異性の服に嬉々として袖を通していることから、既におかしいということに気付いてほしい。
しかし無理だと分かっているから、敢えて触れない。
知影にとって、弓弦の服を着ることは当然なのだ。
何故ならそれが、彼女にとっての愛の形であるから。弓弦のものは自分のもの。理由? 幸せになれるし興奮するから。
「……」
ユリは額に手を当てた。
頭痛がする。
察せてしまう自分が悲しかった。
「オリエンテーションの前。ちょっと時間空いてたから入っちゃった。ここのお風呂、銭湯みたいで広かったよ」
「…そうか」
知影からは、湯上りのシャンプーの香りがした。
オリエンテーション時、隣に彼女が座っていたにも拘らずに気付かなかったのは、単にユリが眠気と戦っていたからだ。
知影とて女。幾ら本能に忠実だからといっても、自らの汗や身体の汚れ等は気にするはず。お風呂に入ったというのは、本当のことなのだろう。
「あー…弓弦の良い匂いがする」
広いお風呂。それなりに興味が湧いてきたユリであった。
「(風呂…服…)」
ついでに、知影が袖を通している弓弦の寝間着も。
「(…いかんぞ)」
しかしここで欲望に屈しては知影と同類になってしまう。
理性を発揮し、己を律する。
同時に逃げるように視線を逸らすと、まだ封の解けていないダンボールが。
そこで荷解きの必要性を思い出した。
「ユリちゃんも早く入っておいでよ」
「後でな。それよりも、荷物の確認をせねば…」
ユリは、部屋の隅に置かれた荷物の紐を解いていく。
教科書類は、既に机上に置かれている。そのため片付けなければならないのは、主に衣類や私物だ。
「あー、そうだね」
愛用の狙撃銃をカーテンの裏に隠し、洋服は畳んであった状態そのままに知影と共用の箪笥へ。
「む」
箪笥は、ユリの机の隣にある。
反対側に当たる知影の机の隣にはクローゼットがあった。
しかし既に入っていると思われた知影の衣類は、まだ中に無い。
訝しんで背後を見ると、知影も同じように荷解きしていた。
女性物の可愛らしい衣類、時々男物の衣類。箪笥に入れ易いように、手早く畳み直している。
「箪笥ぐらい、それぞれの分が用意されていても良いと思うんだけど、不便だねぇ。服が混ざったりしないのかなぁ」
今さらな行動だ。
寝間着に着替える前に行っても良いとは思ったのだが──
「まぁ服が混ざっても、気を付ければ良いだけなんだけどさ」
大方荷物の一番上に、弓弦の服を見付けたのが全ての始まりだ。
袖を通さなければ、堪能しなければ──そんな本能のままに、荷解きを後回しにしていたのだろう。
「仕切りがあるのだ。丁寧に畳んでしまっておく分には大丈夫だと思うが」
「そりゃね? それに棚を分ければ良い話だもんね。丁度四つあるし」
「うむ。私は下の二段で構わないぞ」
言うが否や、ユリは手早く衣類をしまっていく。
時間が時間だ。腹の虫が、少しずつ声を上げ始めていた。
衣類を片付け、教科書を並び替え、明日からの学生生活に向けた準備を進めていく。
「んん…」
一通り終えると、軽く固まった身体の筋を伸ばした。
微かに心地良い感覚を感じながら、静かに心を踊らせる。
これで、準備は出来た。
後は夜食を食べた後に風呂に入ると、もう明日を待つだけだ。
「あぁぁぁ…」
すると背後で、ポフンとベッドに突っ伏す音。
「弓弦の下着持って来るの忘れたぁぁぁ…。絶望したぁ…っ」
視線を向けてみれば、非常にどうでも良い理由で絶望している知影の姿が。
「ぁぁぁぁあああぁぁぁぁあああ……」
俯せになりながら、足をバタバタ、バタバタ。
「あ、私死んだ…」
停止。
「もう無理…。弓弦の下着が無いとか、どうやって学生生活送れば良いんだろ…」
どうやっても学生生活を送れそうである。
「もう私の馬鹿馬鹿馬鹿っ」
再び足をバタバタ。
可愛く振舞っても、変態なものは変態である。
そして、掃除されているとはいっても埃が舞いそうだ。
ユリは無言で窓を開けた。
「(風が気持ち良いな…)」
「ねぇユリちゃん」
すると知影が話し掛けてくる。
布団に顔を押し当てていたので、知影の声は篭っていた。
無視しようかと思うユリであったが、溜息一つ。
「大体予想出来るが…一応聞こう」
寛大な心で耳を傾けることに。
「何とかして弓弦の下着、手に入ら──」
「私は盗人の片棒を担ぐつもりはない」
そして即答する。
海のように寛大な心でも、許し難いものはある。
「えぇ…欲しくないの? 弓弦の下着」
「…。いやそもそも、欲しいと思うのか? わざわざ」
「だってー。欲しいじゃん?」
ユリと知影の間には、確かな溝が生まれていた。
否、正確には知影が掘り進めているのだ。溝を下へ下へと。
一体どこまで進んでいくのか。少なくとも、ユリは彼女の悪事に加担するつもりはない。
「…知影殿はそうかもしれないが、私は知影殿ではない。欲しければ…いや、そもそも手に入れようとしなくて良い」
自ら好き好んで弓弦に避けられようとする必要は無いのだ。
そう、幾ら弓弦の下着の香りが気になっていても。
「…でも今、私と同類のこと考えていたでしょ」
何故こんな時、知影は妙に鋭いのか。
ユリは嘆息しながら空を眺める。
「同類扱いされる程、自らを貶めるつもりはない。下着を盗もうとすれば、弓弦殿に避けられるだけだぞ。悲しいではないか」
街の灯に照らされた夜空は、決して星が多い方ではない。ユリの眼を通しても、点在するのをようやく確認出来る状態だ。
だが空を見ると、思うことがあった。
「(…願わくば、私は穏やかな日々を送りたい……)」
そんな、星への切なる願いを。
「大丈夫だよ。弓弦は、必ず講義のために教室へと来なければならない。…それを踏まえると、擦れ違い様に弓弦の下着を盗むことが毎日出来るから」
毎日盗まれる側は堪ったものではない。
「…その代わり、弓弦殿との関係性も擦れ違ってしまいそうだな」
「え? 擦れ違いから始まる恋? やだぁ♪ 私と弓弦は恋に落ちているのに♪」
「下着を毎回盗む女性に好意を持てる男がどこに居る…」
頭痛が酷くなる。
何故だろうか。ユリは無性に弓弦に会いたい気分になった。
「(弓弦…)」
この場を収めてくれるから、だろうか。
意識してしまうと、抱いた感情は強まっていく。
「持ってもらえるかもしれないじゃん。だからユリちゃんも協力して?」
知影の言葉は無視して、ユリは再び箪笥の前に戻る。
引き出しから、少しだけ衣類の端が飛び出ていた。
色々と頭を悩ませながら、並行作業をしていたためだろう。
改めて引き出しを引く。
衣類の端が挟まらないように調整してから、ゆっくりと戻していく。
「(ある程度絞って持ち出したつもりだったが、それでこの量か…)」
引き出しの中には、ユリのお気に入りが数多く入っていた。
ユリにとって思い出のある服の数々。中でも、一番手前にある衣類が一番のお気に入りだ。
白のTシャツと、蜂蜜色のショール。
これに青色のデニムパンツとキャップ帽を組み合わせると、一つのコーディネートが完成する。
何故一番のお気に入りかといえば、買ってくれた人物が弓弦だからだ。
あまり私服を着る機会を設けないユリだが、それでも時折私服に袖を通す。
そんな少ない頻度の中で、最も着用するコーディネートだった。
勿論この学生生活の中でも着用するつもりであり、袖を通すこと自体が待ち遠しい。
「お願い! ユリちゃんだけが便りなの!! 私達の友情に誓って…ね?」
──そう、弓弦はユリにとって好意的な意味で色々と思うところのある人物だ。
真面目に教師をやるであろう彼の邪魔は、させない。
下着というふしだらな思考しか出来ない愚か者には、なおさら。
「(…下着が、何だ)」
ここは一つ、ハッキリと突き放すべきだろう。
弓弦に背中を押されたような心地のままに、ユリは力強く言い放った。
「こ、と、わ、る!」
ハッキリと、拒否の言葉を返す。
引き出しがしまわれると同時に、話もお終いにした。
「うそぉ……」
効果はてきめんだった。
知影は力無くベッドに沈み込む。
「交渉の余地無し…? 弓弦の下着ぃ…」
そのまま溶けてしまいそうな様子だ。
「あ~…」
見ているユリまで脱力感を及ばせそうな抑揚の無い声の後──
「あ、燃え尽きた」
動かなくなった。
まるでこの世の終わりに直面しているかのように、背中が白く燃え尽きていた。
どうせなら共に食事に向かおうかと少しの間見ていたが、彼女に動き出す素振りは見られず──
「先に行っているぞ」
結局置いて行くことにした。
「はぁい…」
ユリは知影を残し、行きと同じように一人で食堂へと向かう。
通路の奥から、微かに美味しそうな香りが漂ってくる。他の生徒達が、吸い込まれるようにして食堂に向かっていた。
食事は何だろうか。それはそれで楽しみであったのだが、それ以上に心踊るのは──
「(弓弦の授業…か)」
ユリは胸元に手を当てた。
制服の内に隠された、豊かな胸の間には彼女の宝物が輝いている。
小さな、ロケットペンダントだ。
中に飾られている思い出は、彼女が人生において最も大切にしているもの。
普段は白衣の裏ポケットに入れてあるのだが、在学中は身に付けるようにしていた。
お洒落──よりは、これを付けながら、「彼」の授業を聴くことが目的だ。
他の誰もが知らず、自分だけが知っている姿。
そう──ペンダントの思い出は、いつか本当に実現することを願ってしまう夢の一つであった。
ペンダントに触れる。ただそれだけで、飾り気のない胸の奥が刺激される。
自分でもどうしようもない程に、胸が高鳴ってしまうのだ。
「…♪」
いつしかユリは、鼻歌交じりになっていた。
耳をそばだてなければ聞こえない、小さな鼻歌。
「(弓弦…先生か…♪)」
生徒達の賑やかな声が、聞こえている。
食堂に向かう表情は、いつものユリであった。
しかし一歩、また一歩と進む毎に──いや正確には、少しずつ明日に近付く程に。
教壇に立つ彼。見慣れない姿の彼。隊員同士ではなく、教師として接してくれるであろう彼。
彼に迷惑を掛けないよう、自分は学生らしく振る舞えるだろうか。
あぁ、楽しみだ。
想像が想像を呼び、心を囃し立てていく。
ユリの表情は、普段と変わらず生真面目に引き締まっていた。
しかしその心に宿る学園生活への期待は、大きく高まるばかりであった。
──チャッチャカチャ、チャッチャカチャ、チャッチャッチャッカッチャ!
「さぁ、始まりますわよ〜! ネクストミュージック、スタート!」
──教えて! それは何? 教えて! お姉さん♡ そのお悩みを解いてあげます♪
「…ポン」
──タヌキさん? 違うよ! 妖精さん? そうだよ! ユリタヌキって言うんだよ♪
綺麗な、お姉さんと可愛い、ユリタヌキ♪ 二人が楽しく教えてくれる〜ぅ♪
「「集まれ〜! 皆〜!!」」
──皆でおいでよ〜♪ 笑おうよ〜♪
「ミュージック、ストップですわ!」
「…ポン」
「学園と言えば勉強! 勉強と言えば、解説ッ! さぁ、『なにそれ? 教えてリィルお姉さん!』の始まりですわ! ‘…ほら’」
「ぱちぱちぱちぱち〜ポン!」
「はい! このコーナー…十三回目となりましたわ…。あぁ…」
「…お姉さん、どうしたんだポン?」
「…こうも暑い日が続くと、流石に堪えますわねぇ…」
「酷暑は身体の大敵ポン。一度、水分を摂っても良いかもしれないポン」
「…そうですわねぇ。…ユリタヌキは、暑くないのでして? そんな着ぐるみを着て…中は蒸し風呂だと思いますけど」
「ボクは不思議な国から来た妖精さん。中には誰も居ないポン」
「…逞しいですわね。じゃあお言葉に甘えて、私は水分補給に向かいますわ。少しお待ちくださいまし」
「行ってらっしゃいだポン。…よっと、ふぅ」
「(…流石に、蒸れるな。弓弦に体感温度調節魔法を掛けてもらっているし、汗掻くことを見越して水着を着ているから難を逃れている部分もあるが…。…それでも、こうも暑く感じるとは。)…どれ、私も経口補水液を…」
「お待たせしましたわ!」
「ポンッ!?」
「さて今回も、そんな暑さを冷やしてくれる水魔法の説明ですわ!」
──ダカダカダカダカダカ…! ダン!!
「“マールシュトローム”ですわ!」
「パチパチパチだポン。“マールシュトローム”って、どんな魔法だポン?」
「対象の足下に、渦潮を発生させる魔法です。激しい渦に巻き込まれたら最後、瞬く間に飲み込まれて窒息やら靭帯を捩じ切られるやら…生命はありませんわ」
「ひぇぇ…怖い魔法だポン」
「ユリタヌキのように身体が重いと、発動してからの回避は間に合わないでしょうね。身体があらぬ方向に捻れて…特に首なんかが捻れた日にはとても無残なことに。そう…今のユリタヌキのように
「…ところでユリタヌキ。首が真反対を向いているのですけど…私の見間違えでなければ」
「今日はちょっと、寝違えちゃったのだポン」
「…壮絶な寝違え方ですわね」
「それよりもお姉さん。詠唱例が聞きたいポン!」
「雑な誤魔化し方ですわね!? …まぁ、良いですわ。実を言うと、詠唱例は本編未登場なのですわ」
「? どう言うことポン?」
「この魔法の初出は、弓弦君が湖の底に沈んでいた神殿にて踏んでしまったトラップなのです。ですから、詠唱例は無いのですわ」
「…それは寂しいのだポン。でも、登場している人で使える人の中で、使える人は居るはずだポン。何かしらの設定があっても良いはずポン」
「そうですわね…。あったようなないような…。思い出そうとしてますけど…靄が掛かったように、何も浮かびませんわ」
「…何か、後ろ暗い気配を感じるポン」
「俗に言う、大人の事情と言うヤツですわ」
「つまり、何も考えていないと」
「身も蓋も無いことを言わないでくださいまし。存在してはいるのですから」
「じゃあ教えてくれても良いのに…」
「楽しみは、取っておくと言うものですわ。いつか…そう、私達が知る以上の物語が描かれた時…登場しているのかもしれませんわね」
「…知る以上の、物語」
「さて、予告といきましょう。『ようやく来た。見知らぬ場所、見知らぬ天井、見知らぬ人々。けれども、その名の付く場所には決まって準備されているものがある。決まって、沢山の人が居る。だけど私は今、孤独の中に佇んでいた。喧騒を突き破るような心の叫びに、一人抗っていた──賑やかなのが嫌でも、孤独が好きなのでもない。…私はお腹が空いているだけなんだ。byセティ』…セティは、向こうの世界でも相変わらずですわね」
「…皆、相変わらずだポン」
「人はそう簡単に変わらないものですわ」
「ボクは妖精さんだから分からないポン」
「あ」
「む?」
「思い出しましたわ、詠唱」
「本当か!?」
「えぇ」
「何なんだポン? 変に勿体振られると気になってきたぞ…!」
「では、また次回に持ち込みましょう」
「えぇ…」