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よく言うよね。カッコ良いとか可愛いは罪だって。本当そう思うよ。by知影

 ──前回までの、あらすじ。


 会ったら困る人物達に限って、続々と姿を見せるもの。

 束の間の夢のように賑わっていた食堂内は、いつしか弓弦の背に針山を突き立てていた。

 知影の、フィーナの、風音の、ユリの、セティの、レイアの視線を時折感じながら、弓弦はディーとの話に花を咲かせた。

 どれ程永遠に感じられる時間であろうと、時は流れていくもの。

 話は終わり、食事も食べ終え、二人は席を立つのであった。


* * *


 弓弦とディーは、食堂の返却口の前に立っていた。


「(あぁ…何か、良いな)」


 洗浄待ちの盆が並ぶ返却口。

 それだけでも分かる盛況振りに、弓弦は何故だか感慨深くなった。

 この明らかに人が足りていない様子が、何とも悪くない感じだ。返却口の向こうでは、侍従服姿の女性が慌ただしくしている。

 不思議と若い年頃の女性が多いように思えた。しかし洗い物や遠眼に見える手際は中々のもの。多くの経験を積んでいることが分かった。


(わ〜か)い子が多いだろう」


 ディーは眩しいものを見るように話す。

 そして当然のように、


料理長(りょ〜うりちょう)の趣味なんだな」


 とんでもないことを言い放った。


「えっ!?」


 流石に耳を疑う弓弦。

 思わず訊き返してしまう声に、生徒達の視線が集まった。

 咳払いで誤魔化すと、視線の端で知影の口が小さく動いていた。


「‘何か喘いでるみたい…♡’」


 出来れば見たくない口の動きであった。


「|冗談『じょ〜だん》なんだな」


 ディー曰く、学園のOBや調理技術を上げたい学生がバイトしているのだとか。

 どうりで若いはずである。


「すみません!」


 そんな声と共に、艶やかな黒髪を団子にした店員が盆を下げた。

 弓弦とディーが足を止めていたことから、返却口が空いていないことに気付いたようだ。洗い物のペースを上げたその人物も若々しかった。


「わざわざありがとう。ごちそうさま、美味しかったよ」


 山吹の花を思わせる瞳を見詰め、優しく微笑み掛ける。

 厨房は現在忙しいのだ。多少の時間待たされたぐらいで気に留める弓弦ではないし、相手にも気に留めないでほしかった。

 故に心からの礼を述べて、コトンと盆を置く。


「ぇ、ぁ…はいっ!」


 それを急いで掴む店員。


「(おいおい、そんなに慌てて掴んだら…!)」


「あっ」


 案の定、勢いのままに盆を取り落としてしまった。

 直後、皿の割れる音。


「(おいおい……)」


「マカナ! 何やってるの!?」


 「失礼いたしました」と謝罪をする厨房の中で、一際大きな女性の声が。


「すみませんでした!!」


 「マカナ」と呼ばれた人物は、慌てたように奥へと消えた。

 恐らく掃除道具を取りに行ったのだろう。程無くして、塵取りと箒を持って戻って来た。


「すみません、すみませんっ!」


 そんな言葉と共に片付けを行う姿は、かなり哀愁を漂わせる。

 何度も謝りながら、皿の破片を片付ける。


「(…何も、そこまで謝らなくても…な)」


 少し複雑な気分になってくる弓弦。

 賑やかなはずの食堂。忙しいはずの厨房。だが皿を片付けている彼女の周囲は、不気味な静寂が立ち込めていた。

 響くのは、塵取りの上で重なる陶器同士が打つかる音と謝罪の声。

 何か声を掛けるべきだろうか。そう思いはしたが、掛ける言葉が見当たらない。


──すみません、すみません…。


 過ちを認めて謝ることが出来るのは、人として大切なことだ。

 だが謝り過ぎるのは、はたしていかがなものか。


「‘無理に掛けた言葉は、偽善になり易いんだな’」


 抑揚の無い声が、弓弦を諌める。

 ディーが、真剣な横眼で視線を送ってきていた。

 まるで、言葉を掛けようと焦る弓弦の心を見透かしたように。


「‘ここは、彼女に任せれば良い’」


「‘彼女?’」


 眼線で示された方向に、他の店員とは明らかに異なる雰囲気の人物がいつしか立っていた。


「…怪我はしてないようね」


 マカナの手を一瞥し、小さく息を吐く。

 床で散らばっている破片に向ける瞳は、静かな悲しみに彩られていた。


「チーフ…」


「少し休憩時間をあげる。一旦休むこと、良いわね?」


「はい…」


 破片を集め終えたマカナは、ディーに、次に弓弦に向かって深々と頭を下げた。


「…っ」


 その瞳が、揺れている。

 まなじりが微かに光を湛えていた。


「(涙…か)」


 山吹色の双眸と、視線が刹那に交わった。


「っ…」


 マカナは厨房の奥に消えた。

 「すみません」と、瞳に語らせて。


「学園長…それと…確か、橘先生…だったわね?」


 「チーフ」と呼ばれた女性が、マカナの代わりに洗い場に立った。

 先程咎める声を発したのも彼女だろう。

 色白い肌に銀灰色の髪、切長の黒眼が特徴的な美人だった。


「アンジェラ・クックよ。ここのチーフを務めているわ」


「橘 弓弦だ。よろしく」


「えぇよろしく」


 差し出された手と、弓弦は握手を交わした。


「…あら。あなた……」


 強く握られる。

 鼻を鳴らしたアンジェラは、ゆっくりと鼻で息を吸った。


「ノリの効いたシャツとスーツ…良い香りね。中々の上物を着ているじゃない」


「(…ん?)」


「それに…」


 顔が近付いて来る。

 端正な顔が、弾力のありそうな唇が眼の前に。


「何てこと!? 今日は、ここ最近で最高の日よ! 天使が微笑み掛けてくれてるみたい!」


「は?」


 アンジェラという女性が、弓弦の中でヤバい人認定された瞬間であった。


──!!


 背中が痛い。

 刺すような視線が注がれている。

 誰のものかは分からない、分かりたくもない。

 しかし、食堂が微かに静まったことから注目を集めていることが分かる。


『にゃはっ♪』


『おぉ』


 クロとアデウスが、面白そうな人物の登場に眼を輝かせているのが分かった。


『変な人なの』


 シテロは不思議そうにしており、


『人の数だけ、心の形もあると言うことだ。然龍』


 彼女に人の有り様について語るヴェアルは、相変わらずの調子であった。


「(何か対応策の一つでも言ってくれ…っ)」


 呑気な悪魔達は、完全に対岸の火事を見ている状況だ。

 さぞ良い見世物になっているだろう。しかし弓弦は既に生きた心地がしなかった。


「あなた自身も悪くない。磨かれている男の香りよ。家庭的で紳士的だけじゃない、野生のスパイスも効いてる」


 だというのにアンジェラは止まらない。情熱的な瞳が、弓弦だけを映している。

 思わず手を離しかけるが──離れない。


「あ〜アンジェラちゃん? 昼間っからそう言うのはね…」


 ディーも間に入るが、アンジェラは止まらない。


「聞こえないわ学園長。私は今、彼と話しているの」


 それどころか、人差し指を唇に当ててる仕草で注言を遮ってしまう。


「良い男は、つまらないことを気にしないものよ。オッケー?」


「はぁ」


 鳩が豆鉄砲を食ったような表情で、ディーは固まる。


「(ディーさん!?)」


 頼りの援軍は、簡単に沈黙してしまう。


「もしかしたら私、一生に一度の機会を前にしているかもしれないの。逃せる訳無いじゃない」


 自分の上司にあたる人物を、いとも簡単にあしらうアンジェラ。

 豊満な自らの身体を押し当てながら、出来れば冗談であってほしい文言を口にした。


「‘ねぇ…私達の相性…確かめてみたくない?’」


「(か、勘弁してくれ…っ)」


 弓弦は思わず天を仰ぎたい気分に見舞われた。

 すっかり火が点いてしまっている様子のアンジェラは、どうやら情熱的な人物のようだ。

 一度火が点くと、激しく燃え上がってしまう。心も──身体も。

 情熱的であるが故に、理性を二の次にしてしまう。それは最早、獣の性とも呼ぶべきものだ。

 彼女は己の幸福を、情熱のままに生きることだと捉えているのだろう。

 いや、これでもまだ理性がある方なのではないか。弓弦はふと考えた。

 衆目があるからこそ、彼女は「お誘い」程度で踏み止まっているのかもしれない。

 これが、もし周りに誰も居ない状況であったのなら──実力行使もいとわなかったのではないか。


「(…ゴクリ)」


 嫌な予感に背筋が凍る思いだった。

 食堂は完全に静まり返り、感じる視線はより強くなる。

 完全に、悪い意味で目立ってしまっているようだ。


「(仕方無い…!)」


 このままでは、今後の学園生活への支障は避けられない。

 ここは一つ、生徒達にも分かり易いように潔癖を示すしかないだろう。

 弓弦は、腕を回して握手を解くという強行策を取った。

 さり気無い円の動きで手を離すと、そのまま後ろに一歩下がった。


「興味深い調理の話、どうもありがとうございます。参考にします。…では」


 敢えて周りに聞こえる大きさで、弁明をする。

 弓弦はそのまま短い礼と共に、返却口に背を向けた。


「あ、ねぇちょっと…」


 制止の声を上げるアンジェラ。

 彼女は、どうしても弓弦という男との関係を持ちたかった。

 気付いてしまったのだ。この男は、この男こそは、自分にも引けを取らない料理人であると。

 手に触れれば、まとう香りを嗅げば分かる。同じ料理人として、強い興味を抱いていた。

 食堂の長を務めて年月が経ったが、ここまで強く惹かれたのは初めてだった。

 しかしそんな思いも虚しく、弓弦は止まらなかった。

 振り返ることなく。ディーと共に離れて行く。

 追い掛けるべきか。そんな思考が脳裏を過るも、唯一空いていた返却口の棚に盆が置かれていた。


「非常に心苦しいのだが、少し片付けてもらえないだろうか」


 返却口がまたもや埋まってしまったため、盆を置けなくなった女性が困った顔をしている。

 だがアンジェラも困りたかった。

 丁度弓弦との間に立たれてしまい、彼の姿を見失ってしまったのだ。


「(何てこと!? 運命って残酷…)」


 一人休憩に行かせてしまっているため、厨房内の人員は一人欠けている状況だ。

 たかだか一人か。否、昼時の欠員が与える影響は大きい。返却口の大渋滞も、その一つだ。

 利用客を待たせてしまっている以上、返却口を片付けなければならない。


「(…でも、障害がある方が燃える女なの、私)」


 タイミングの悪さを内心で嘆きつつも、アンジェラは諦めない。

 まだ見ぬ未来の可能性は無限大だ。

 次の邂逅に思いを馳せながら、アンジェラは食器を洗い始めた。


「うむ、すまんな」


 一方、片付いた返却口に盆を置いたのは、ユリだった。食堂に来てからそう時間が経っていないが、食事はしっかり完食している。

 学園での食事を満喫していたのだが、急に(・・)予定を思い出したために急いで食べ終えたのだった。


「(アンジェラ…と言ったか)」


 アンジェラの姿を眼に焼き付けながら、クラスメイトに手を振る。

 そのまま食堂を後にすると、帰宅の途に就──


「……」


 ──こうとしたのだが、どうにも気分が向かず、校内散策をすることに。

 午後講義が無いのは今日までだ。明日からは、夕方まで講義を受けなければならない。

 午後の始まりから自由行動出来る最後の一日に、いそいそと帰宅する生徒の数は多い。歓喜に満ちた彼等の姿をチラホラ見ながらも、彼女の足は自室へと向かわない。

 やがて中庭に辿り着いた彼女は、噴水前のベンチに腰掛けた。


「…ぬぅ」


 噴き上がっては重力に従って落ちていく水飛沫。

 日差しを反射し虹を纏うシャワーを見詰めながら、彼女は唸る。

 どうにも、心が落ち着かない。

 穏やかな日差しの下でモヤモヤと、わだかまりが広がっていた。

 原因は考えるまでもない。先程の遣り取りだと分かっていた。

 弓弦とアンジェラの遣り取りを見てから、ずっとモヤモヤしている。


「…ぬぅぅ」


 思わず、頰に息を溜めてしまう。


「‘…何なのだ。…何なのだ…っ!’」


 ユリが口にした言葉は、本人は自覚していないが苛立ちが混じっていた。

 アンジェラという女に、どうにも好意が抱けない。

 初対面のはずなのに、弓弦の匂いを堪能するような姿勢を見せていたことが。

 視線から嫌らしい雰囲気が見え隠れしていたことが。

 どうしても、理解し難かった。


「ぬぅぅぅぅ…っ!!」


 意識すると、余計にモヤモヤする。

 この感情を、どうしてやろうか。

 今すぐにでも射的場に繰り出して、的という的を撃ち抜きたい気分だ。


「…本当、生意気だよねぇ」


 前方から聞こえた声に顔を上げると、知影が歩いて来ていた。


「知影殿」


「ふふふ…」


 ニコニコと笑っているように見えるが、どう見てもブチ切れている。

 青筋を幻視しそうだ。纏っている怒気が、凄まじい。

 瞳に宿っている闇は底知れなかった。


「ねぇユリちゃん。私…甘く見てたかも」


 幽鬼のような足取りで近付く様子に思わず身構えながら、ユリは続きを促す。


「…何をだ」


「ほら…こう言うさ、初日って…精々弓弦がカッコ良いとかイケメンだとかでキャーキャー言うぐらいじゃん? ありがちなのはさ」


 知影の右手には、短剣が握られている。

 正確には、アンジェラが弓弦に顔を近付けた時点からずっと握られていた。

 彼女と昼食を共にしていたユリは、その危険性に気付いたからこそ行動を起こしたのだった。


「…確かに弓弦は…注目を集め易いからな」


 彼女の弓弦愛は本物。本物過ぎるあまり、狂気に近い。

 起こるかもしれない殺人事件回避のためにユリが先手を打ったものの、まだ怒りは冷めていないようだ。


「甘く見てたよ…ふふふ。弓弦って超絶イケメンじゃん? 女狐が狙いを澄ますのに、一日は与え過ぎた……」


 ユリは苦々しい顔を浮かべながら、こめかみに指を当てる。

 頭痛と同時に、思い出される一幕があった。


『ほら、人間って基本美男美女に弱いからさ…』


 転入初日ということもあり、弓弦は間違い無く女学生の注目を浴びる。

 誰だって眼の前に画面の向こうに居るような男前が現れたら、黄色い声を上げたりするのだ。


『ここは、ど〜んと構えてみようよ』


『…そうだね。女は海ってジュディも歌ってるもんね』


『ちょっと違うような気もするけど…うん。心は広く、広〜く、ね?』


『うんうん、女も度胸』


『それもちょっと違うような…』


 だから、多少のことには眼を瞑る。それが女としての余裕。レイアに諭され口にした決意は、砂のように崩れ去っていた。


「やっぱり弓弦は魅力的なんだよ。もう立っているだけで女の子に恋させちゃうスーパーマン…ううん、ハイパーマン。これはね、世界の理なんだよ。そう言う風に決まってるんだ。なのに…なのに…ふ…ふふふ」


 怒りは、恐らく自分自身にも向けられているのだろう。

 薄ら笑いを浮かべる知影を中心として、周囲の気温が僅かに下がっていた。


「そうか…」


 見上げた空は、青かった。


「(弓弦…)」


 瞼を閉じて思うのは、この学園のどこかに居るであろう男への同情。

 溜息混じりに、続きを促す。


「それで…どうするつもりなのだ」


「弓弦を常に監視する」


「は…は?」


 当たり前のように、とんでもないことを言い出す知影。そこに弓弦のプライバシーは存在していない。


「しかし授業があるのだぞ。常にと言うのは物理的にも不可能だ」


「簡単だよ。学園中に監視カメラを仕掛けるんだから」


「……む」


 弓弦どころか、学園中のプライバシーが脅かされようとしていた。

 そこまでするかと思ってしまうが、行動に移してしまうのが知影クオリティ。

 このままでは、本当に実行されかねない。慌ててユリは、制止の言葉を口にした。


「…今の私達は、学生寮で生活しながらこの学園で世話になっている身だ。学園と…何より弓弦に迷惑を掛けることになるのだぞ。本当にそれでも良いのか?」


「どこの馬の骨とも知らないひとに好かれる方が迷惑がるよ」


 その程度で嫌がるような男ではない。寧ろそれはそれで歓迎すると思うのだが──そんな言葉は口にしなかった。


「(っ…いっそのこと、拒絶の意思を身に纏えば良いものを。何故ああも女にだらしないのだ…っ)」


 この時ばかりは、弓弦の優しさが腹立たしいユリであった。


「ねぇユリちゃん。弓弦の平穏のためなの。協力してくれない?」


 風が吹き抜ける。

 木の葉が舞い上がり、彼方へと飛んでいく。


「ほら、この手を取って?」


 左手を差し出した知影の髪が、風になびいていた。

 何というタイミングの良さか。優しい微笑みと併せて絵になる仕草だが、だからこそ妙な程に腹立たしい。


「…そう言うことか」


 よく話してくれると思っていたが、最初から協力を打診することが目的だったようだ。

 得心したユリは、心の底で非協力を固く誓うのだった。


「教員室を探ってみたけど、弓弦の机が無かった。きっとこの学園内のどこかに、弓弦だけが使う教員室があるんだ」


 ユリが簡単に首を縦に振らないことは、知影自身分かっているのだろう。

 彼女は自ら、さらなる情報の開示を始めた。

 しかも、初っ端から潜入捜査の成果発表だ。ユリは唖然としてしまった。


「待ってくれ知影殿。そんな時間がどこにあったのだ」


「そりゃ、あの始業式中だよ。教員が殆ど出払っている最中しか、教員室調べられないし」


 自信満々な知影の様子に、溜息を禁じ得ない。

 俯いたユリは、大きく肩を落とす。


「(駄目だ…)」


 弓弦に関することとなると、知影からは常識が抜け落ちてしまう。

 式典を行け出す方法は幾らでも存在するが、極短時間で潜入捜査を終えてしまうとは──にわかには信じ難い。しかしそれが出来てしまう才能があるだけに、タチが悪い。

 知影という天災に、不可能は早々無いのだ。


「…弓弦は多分、私のことを警戒してる。それは教師と生徒が親密にしている姿を見られたくないって思いと…後、多分…見付かりたくないんだよ。自分の教員室を」


「自分の…教員室」


 その言葉は、蕩けるような甘い響きを持っていた。

 何というパワーワードであろうか。

 ユリは、自身が動揺していることに気付いた。

 彼女だって乙女なのだ。内に秘めた淡い想いを揺さ振られると、気持ちが揺らぎもする。


「(自分の…教員室)」


 ふわりふわりと浮かぶ、淡い想像。

 昼は教師と生徒の関係。

 放課後の密会では、超えてはならない一線を超えてしまう関係。

 思わず考えずにはいられなかった想像は、知影の巧みな言葉遣いによって誘導されたもの。

 ユリの思考を読み、確実に揺さ振ることが出来る言葉を口にしたのだ。

 果たして、策は成っていた。

 ユリは、自分の思考がフワフワしていくことを感じた。


「そう! さながら保健室みたいな場所があるんだよ!!」


 さらに畳み掛けていく知影。

 正機、ここに見たり。

 ユリを味方に付けるため、追撃を狙う。


「保健室…?」


 そうして口にされた、「保健室」というワード。


「保健室だとぉッ!?」


 ユリは、大いに動揺してしまった。

 それはもう、知影ですら唖然とする程に。


「…え」


「あ…」


 知影は知る由も無いが、ユリにとって「保健室」は、大変ホットな場所であった。

 鮮度抜群につき、効果も抜群。

 狼狽えるユリが、保健室で弓弦と遭遇したのは、今日の話。

 スーツの似合い過ぎている彼に制服姿を褒められ、微熱の有無を額で確認された。

 甘くて淡い、青春の一幕。

 そんなことが、果たしてあり得るのだろうか。昨日までのユリなら、一笑に付しただろう。

 しかし、実際に起こってしまった。


「(弓弦の…スーツ…顔…近ぁ…っ)」


 青春の波に煽られたユリの酔いは、まだ冷めていなかった。


「ユリちゃん…やけに反応が良いね。まさか…何かあった?」


 あからさま過ぎるユリの反応に、知影の瞳が細まる。


「…な、何でもない…何ともない…」


 知影の視線から逃げるように、ユリは顔を逸らす。

 名言しよう。正直なところ、大変胸高鳴る一時であった。

 今でも思い出すと、頬が緩んでしまう程に。


「何かありそうな、ありありそうな感じがするんだけど」


「何でもないと言っているだろうっ。揶揄からかうのも大概にしてくれっ」


 先程までの鬱屈とした気分はどこへやら。

 保健室での出来事を思い出すのは、さながら幸せな夢に身を浸す心地であった。


「んん〜、何でそう焦るのかな〜? おっかしいな〜?」


 そのため、幸せを害された途端に怒りが湧く。

 抱いた幸せの分だけ、怒りが増していく。


「あぁ、こんな所に良い的が」


 緩んだ顔は、貼り付けたような笑顔に。

 構えた狙撃銃は、一体どこから取り出したのやら。


「ちょっ、えっ。人に銃口を向けちゃいけないって教わらなかったっ!?」


「あぁ、私が銃口を向けたのは、的だ」


 笑顔が、笑っていない。


「や、やだなぁユリちゃん。腕の良い眼科医なら紹介するよ…?」


「生憎医者は、自分で間に合っていてな。私の眼は健康そのもの…私が判断した」


 銃口を突き付けながら言ってくるものだから、威圧感が凄まじい。

 ユリは本気だ。本気で撃つつもりだ。

 引鉄に、指が掛かっている。


「お医者さん先生なら、私の健康を脅かさないでくれると…嬉しいなぁ……なんて…」


 冷汗を額から伝わせながら、後退る知影。

 噴水の前から、花畑の近くへ。

 その額には、銃口が触れていた。


「弓弦の部屋とやらの捜索…止めてもらえるな」


 言葉の通じぬ相手には実力行使。


「…で、でも」


 どうしても、弓弦と二人切りになる環境を探したかった知影。

 天才の思考が回る。この状況下で、自らの思惑を貫き通すためにどうすれば良いのか。


「止めてもらえるな」


 どうすれば──


「沈黙は、否定と受け取るが」


 どうしようも、出来るはずがなく。


「…はい、ごめんなさい」


 知影は協力者を得られず肩を落とすのであった。

──チャッチャカチャ、チャッチャカチャ、チャッチャッチャッカッチャ!


「さぁ、始まりますわよ〜! ネクストミュージック、スタート!」


──教えて! それは何? 教えて! お姉さん♡ そのお悩みを解いてあげます♪


「…ポン」


──タヌキさん? 違うよ! 妖精さん? そうだよ! ユリタヌキって言うんだよ♪

 綺麗な、お姉さんと可愛い、ユリタヌキ♪ 二人が楽しく教えてくれる〜ぅ♪


「「集まれ〜! 皆〜!!」」


──皆でおいでよ〜♪ 笑おうよ〜♪


「ミュージック、ストップですわ!」


「…ポン」


「学園と言えば勉強! 勉強と言えば、解説ッ! さぁ、『なにそれ? 教えてリィルお姉さん!』の始まりですわ! ‘…ほら’」


「ぱちぱちぱちぱち〜ポン!」


「はい。このコーナー、十一回目となりました! 水属性魔法に突入した中での次なるお題は…」


──ダカダカダカダカダカ…! ダン!!


「“プレスウォーター”ですわ!」


「パチパチパチだポン。“プレスウォーター”って、どんな魔法だポン?」


「良くぞ聞いてくれました。“プレスウォーター”とは、水球で対象を押し潰す中級魔法ですわ!」


「……」


「…どうしましたのユリタヌキ? 頭上なんか見て」


「…身の危険を感じたんだポン」


「そう毎回、魔法の実験台にはしませんわよ」


「出来れば常にしないでほしいポン」


「…信用無いですわねぇ、付き合い長いのに」


「…ボク、お姉さんとあったのはこのコーナーが初めてだポン」


「そんな、酷いですわ…酷いですわぁ…。一緒に医学校で学び合った仲ではありませんの」


「そんな本編にも出てない設定の話なんてどうでも良いポン。それよりも、早く魔法の解説をするポン」


「う…今日のユリタヌキは機嫌が悪いですわね。何かありましたの? 何なら相談くらい…」


「…は、や、く」


「分かりましたわよ、もう! …プレスウォーター”は、代表的な攻撃魔法の一つです。水属性に覚醒された方なら、まず習得を目指したいものですわね」


「どうしてだポン?」


「扱い易い攻撃魔法である。この一点に尽きますわ。相手の頭上に魔法陣を展開させて、後は落とすだけ。狙いも付け易く、詠唱も短い。これが戦闘ではどれ程役に立つことか…」


「ふむふむ、だポン。でも押し潰すってぐらいの水球だから、大きいと思うけど…前衛が巻き込まれないか心配だポン」


「そこが欠点ではありますけど。しっかりと指定性を持たせれば問題ありませんわ」


「指定性?」


「対象に対する指定性、あるいは識別機能のことです。強力な魔法は威力と共に、効果範囲にも優れている場合が多い…そんな魔法に仲間が巻き込まれたら一大事です。そう言った場面に必要とされるのが、指定性なのですわ」


「難しいポン」


「要は巻き込み防止ですわ。“プレスウォーター”が当たっても、識別が有効になっている味方は水飛沫一つ被りませんわ。敵は潰されますけど。…ほら、なら森で火属性魔法なんて使った火には、大火事になってしまいますもの」


「敵にだけ作用させて、自然には影響を与えない…言葉で言うのは簡単だけど、難しそうだポン」


「事実、難しいですわ。ですが出来ることが最低限求められます。戦場において指定性を定めることが出来ない魔法の使用は、無差別破壊兵器の使用と同じことですもの」


「無差別破壊兵器…すっごく怖いポン」


「魔法の発動が出来るだけ(・・)では、決して魔法を扱えたとは言えませんわ。魔法を使う皆さんは、このことを絶対肝に命じてくださいまし」


「仲間を助けるための魔法で、仲間を傷付けちゃ駄目。とっても大切なことだポン」


「お姉さんとの約束ですわ!」


「う〜ん、十一回目にもなって、ようやくそれらしい言葉を言ってくれたポン。


「……詠唱例ですわ」


『潰せ』


「はい…こちらは、セリスティーナと弓弦君の詠唱ですわね。短い詠唱です。しかし、たった一言で中級魔法を発動させてしまう辺り…流石の二人ですわ」


「…一緒の詠唱……」


「詠唱が似たようなものになるのは、ある種必然的なものですわね。まぁこの魔法の場合、弓弦君がセリスティーナの詠唱を真似している形式になりはしますが…」


「……」


「さて、予告ですわ。『弓弦だ。こうして新生活を始めてみると、元々の暮らしが懐かしく思える。別に失われたとかそう言う訳じゃないんだが、無い物ねだりしたくなるのは、どうしてだかな。…いや、別に寂しい訳じゃないぞ。ただ、静かだな…と──一人暮らし始めると、帰宅した時妙に寂しくなる。厳密には一人じゃないんだが。by弓弦』…では、次回もお楽しみにしてくださいまし」


「“クロイツゲージ”…!」


「ユリタヌキ、今は光属性魔法の解説はしていませんわ」


「…くっ」


「…あなた、意外と焼き餅焼きですわよね」

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