お弁当は外で食べてこその弁当なの。byアシュテロ
──前回までの、あらすじ。
風、地、水の教室を案内された弓弦。ディオやセティが歓迎されている様子を眼にした彼は、ホロリと眦を拭った。
過保護なバアゼルや、ディオに注がれる熱っぽい男からの視線に苦笑しつつ、セティの過去を知るディーの話に興味を持ちつつも、最後の教室へと向かうのだった。
* * *
弓弦が最後に案内されたのは、火教室だった。
高等部校舎の一階、手前の入口側にある教室だ。
「こ〜こで最後なんだな」
ディーと共に、教室内の様子を窺う。
すると、これまでの流れから予想出来ていた通りの声が、言葉が聞こえてきた。
──天部 風音と申します。十八歳です♪ どうぞ宜しく御願い申し上げます♪
丁寧な言葉遣いの後に、美しい一礼。
その所作に、教室内のクラスメイトが、ディーが眼を奪われていた。
「(…はは)」
そんな中で、弓弦は一人苦笑する。
何というか、らしい挨拶だ。それに、随分テンションが高い。
『鹿風亭』という旅館の女将を務めていた彼女は、物心つく前から女将としての修行を行っていた。その中では、当然相応しい教養を身に付けるための勉学もあったはずだ。
だからこんな集団で、まして制服という衣装に袖を通したこともないはず。
大方、学生という立場や制服といった諸々が嬉しいのだろう。
「ま〜たまた、別嬪さんなんだな」
普段は結い上げられている黒髪が、今日は下ろされていた。
特に何かで飾ってもいないのだが、だからこそ髪の美しさが際立っている。そして、普段よりも幼い印象を与えさせた。
「東方系美人なんだな。…ア〜イツの部隊の顔面偏差値はどうなっているんだ」
幼いといっても、どちらかといえば歳頃の容姿と例えるのが適切か。
普段の姿を知っているだけに、弓弦も思わず見惚れてしまっていた。
「(…綺麗だな)」
──私の席は…。あ、入口側ですね。
どうやら風音は、よくある「転校生を紹介する〜」の流れで入室したばかりだったようだ。
席を紹介された風音は、教壇を降りて廊下側手前の席に着いた。
廊下側の弓弦達からはギリギリ見えない位置だ。普段とは違う姿を間近で見れと期待した弓弦だが、どうやら難しいようである。
「(…その内見れば良いか)」
どの道どの教室にも、教師として訪れるのだ。後々の楽しみにするべきなのだろう。
教室の様子を一通り確認し、弓弦は小さな息を吐いた。
「皆打ち解けられそうで、安心です」
ユリも、知影も、フィーナも、レイアも、ディオも、セティも、風音も、それぞれの形でクラスに打ち解け始めていた。
この分だと、どうやら全員が学園生活という休暇を満喫出来そうだ。
安心したのだろうか。小さな息は、思った以上に深いものとなった。
「(…保護者か俺は)」
不必要な心配ではあった。
しかし、それでも心配してしまう自分が居た。頭で分かっていても、心が憂慮していたのだ。
「…君は保護者かい」
ディーにも突っ込まれてしまう。
弓弦が「大切な仲間ですので」と返すと、何ともいえない表情で返された。
「ま〜、し〜っかり学園生活を楽しんでほしいんだな」
ディーが腕時計を確認する。
つられるようにして弓弦も時計を見た。
「そ〜ろそろ、戻るか」
「はい」
一階なので、そのまま学園長室へと戻る二人。
「(ん…)」
その道すがら、弓弦の腹の虫が小さく声を上げた。
意識を向け過ぎると余計に騒ぎそうなので、鮮やかな青色に染まっている空を見遣る。
「(…あの雲、綿菓子みたいだな)」
昼までは、まだ時間があった。
* * *
──。
雑音が、聞こえる。
面倒な講義と、囁き合う生徒の声が、聞こえる。
聞こえる音は、それだけではない。
耳元で聞こえる声に耳を傾けながら一人、口元を動かす。
「‘今授業中なんだけど’」
音の元は、耳に装着したインカムだ。
ある人物によって作られた、肌の色に合わせた柄が耳に馴染んでいる。
だから人の眼では、良く凝らしでもしない限り視認することは出来ないだろう。
『…ツー』
隣にすら聞こえない程に小さくも、苛立ちを込めた声がインカムの向こう側を黙らせる。
ノイズ音に眉を動かされつつも平静を装い、インカムの電源を切った。
「(…うるさい男。データだのサンプルだの、馬鹿みたい)」
しかし内心の苛立ちは収まり切らない。
机の下で、片足首を引っ切り無しに動かしながら、どうにか気を紛らわせられないかと窓の外を眺める。
いつもと変わらない空。いつもと変わらない景色。
見下ろした先には、中庭があった。
「(…平和ね。…?)」
そこを、二人の人物が歩いていた。
背中しか分からないが、着ているスーツから教師であることが分かる。
学園長ディー・リーシュワと、見慣れない男がもう一人。
「(……!)」
ドクンと、心臓が不自然に跳ねた。
ディーの隣に並んでいる男に、見覚えがあった。
眼を見開き、そして確認する。
背丈も、その黒髪も、横顔も、見覚えがある。
全身の肌という肌に悪寒が走り、耐え難い拒絶感に苛まれた。
「(…あの…男は…!)」
男の名は、橘 弓弦。
忘れもしない。過日、穏やかな日々を、大切なモノも、悉く奪っていった男の名前であった。
* * *
「そ〜う言や橘先生。昼ご飯はどうする?」
学園長室に戻ると、話題は昼食へと移った。
『ティンリエット学園』では、学園内に大きな食堂が校舎毎に一箇所ずつ、高等部校舎にのみ小さな喫茶店がある。どちらも学生は利用出来るのだが、主に喫茶店は教師が利用するために学生の利用頻度は少ない。
もっとも喫茶店は、窓から中庭の景色が観れるという特徴がある。落ち着いた雰囲気の店ということもあり、食堂の喧騒を嫌う生徒は比較的利用するようだ。
もっとも食堂や喫茶店は、共に食事の提供場所兼団欒スペースでしかない。寮で食事を作って持参する生徒も多いのだとか。
その場合は中庭であったりと、思い思いの場所で食事を楽しんでいるらしい。
「昼ご飯…そう言えば、考えていませんでした」
そんな話を事前に聞いてはいた弓弦。しかし出勤初日にありがちなドタバタのために、昼食まで思考が至っていなかった。
普段だったら弁当の一つでも用意する彼は、今日に限って何の支度もしていなかったのだった。
『ユール、珍しいの』
頭の中に、シテロの声が響く。
日向ぼっこのために外出していた彼女。中庭を通過した際、クロと一緒に戻って来たのだった。
『任務の話とか、直前まで色々聞いていたからにゃ。弁当までは作れなかったのにゃ』
「ううん…どうしましょう」
『ユールのお弁当、食べたかったの』
『にゃはは。弓弦、明日からはアシュテロの弁当を作らにゃいといけにゃいみたいにゃ』
「(…はぁ)」
弓弦が気にしないようにしている最中も、勝手に話が進んでいく。
悪魔猫による悪魔龍への悪魔の囁きは、頭の中で賑やかに続く。
弓弦としてはどちらでも構わなかったが、成り行きを見守ることに。
『…む〜。わざわざそこまでしてもらわなくて良いの』
『でも弓弦の弁当、食べたくにゃいかにゃ? お昼に、一緒に』
『…食べたいけど、でも…良いの』
シテロはどうやら、相当弁当を食べたい様子。クロに唆される中、懸命に我慢しているようだ。
食べたいと言われると作りたくなってしまうのを堪え、やはり見守る。
「お〜、そうか。だったら、一緒に喫茶店でも行くか?」
ここでディーが、嬉しい提案をしてくれた。
食事のお誘い。特に理由も無ければ、断る必要も無く。
「でしたらご一緒します。やっぱり最初に行く店と言うのは緊張してしまって…」
他に思惑が無い訳でもなかったのだが、素直な言葉と共に了承した。
「緊張するのかい。ほ〜ほ、そうか」
思わぬ言葉に、唇が緩む。
まさか、緊張という言葉が出てくるとは。恥ずかしそうに頰を掻く弓弦の姿に、眼を瞬かせる。そして微笑ましそうに頷くと、ディーは自分の椅子に腰掛けた。
「昼までちょ〜いと仕事捌くから、適当に座っていてくれ」
そう言うと、書類に眼を通し始めた。
促された弓弦も椅子に座り、暫し時を待つことに。
『ほら、こう言うのは勇気にゃ勇気。ほらほら』
自然と、頭の中で聞こえる声に意識が向く。
いつの間にか、話が進展しているようだ。
『…う〜』
『学生やるのを断られたんだから、それぐらいの我儘は許してもらえるはずにゃ』
『うう〜…。我儘言うと、ユールを困らせちゃうの』
『僕達は悪魔にゃ。我儘で、何が悪いのかにゃ? それに、弓弦は寛容にゃ。そしてニブチン。‘…察せよばかりじゃ駄目にゃのにゃ’』
クロの囁きが、シテロの背中を何度も押していく。
巧みな言葉に、彼女の心が動いていく。
人のことを散々に言ってくれるものだが、どうしたものか。
「(おい、クロ。溶かされたいか)」
シテロの申し出を断ったのは確かだ。
これ以上生徒を増やすとディーの手間が増えただろうし、生徒になると言うことはその分人の眼に触れるということで──あまり好ましくなかった。
一緒に学園へと来た女性陣全員にいえることだが、美人は人の眼に触れ過ぎてしまうのだ。
それに、女性陣が全員シテロのことを知っている訳ではない。彼女が弓弦に宿る悪魔であることを知っているのは、フィーナとレイアの二人。弓弦が体内に悪魔を宿していることを知る人物達から、セティだけが欠ける。実際は知っているのかもしれないが、少なくとも弓弦は知らない。
故にシテロが艦内を歩いていても、精々見知らぬ人物が艦を歩いているとしか思われていないのが現状だ。そんな彼女が学園に来る。隊員でもないのに──すると、色々と背後関係を探られかねない状況になる。
弓弦としては、彼女が自分の中に住む存在の一つであることをあまり知られたくなかった。
『弓弦? 不倫相手の存在を周りに知られたくにゃいのは分かるにゃ。でも、彼女の切にゃる願い…叶えてやるのが男と言うヤツにゃ』
『…ふりんあいて?』
「(…だからと言って、あまり人の眼に触れて良いものじゃない。何人の人間がこの学園に居ると思っているんだ)」
『…とまぁアシュテロ。弓弦は君が大切なあまり、自分の中に囲ってしまいたいそうにゃ』
人聞きの悪いことを話す悪魔に、弓弦の眉が上がる。
「(お前なぁ…)」
『…ずっと中に居るより、お外で一緒に居た方が嬉しいの』
「……」
『隣に並んでいると、ユールのポカポカを強く感じて……温かくなるの』
そんなことを言われると、無下に出来なくなる。
隣に居たい。美女にそんな願いを言われて、首を縦に振らない男は中々居ないだろう。
クロの高笑いが聞こえてきそうであった。
『にゃはは』
否、実際に聞こえてきた。
場所が場所なら、無理やり顕現させて頰を抓りたい気分にさせられる。
深々と溜息も吐きたかったが、ディーが業務をしている手前、そういう訳にもいかない。
「(どうしたものか……)」
満足に魔法を使えないだけで、生じる問題の何と多いこと。
ああでもない、こうでもない。
こうでもなければどうするのか。
溜息を吐きたくなる衝動は、収まらなかった。
──チャッチャカチャ、チャッチャカチャ、チャッチャッチャッカッチャ!
「さぁ、始まりますわよ〜! ネクストミュージック、スタート!」
──教えて! それは何? 教えて! お姉さん♡ そのお悩みを解いてあげます♪
「ポンッ」
──タヌキさん? 違うよ! 妖精さん? そうだよ! ユリタヌキって言うんだよ♪
綺麗な、お姉さんと可愛い、ユリタヌキ♪ 二人が楽しく教えてくれる〜ぅ♪
「「集まれ〜! 皆〜!!」」
──皆でおいでよ〜♪ 笑おうよ〜♪
「ミュージック、ストップですわ!」
「ポン」
「学園と言えば勉強! 勉強と言えば、解説ッ! さぁ、『なにそれ? 教えてリィルお姉さん!』の始まりですわ!」
「ぱちぱちぱち〜だポン」
「さぁ八回目となりましたこのコーナー。何と、ユリタヌキも戻って来てくれましたわよ〜!」
「久し振りだポン! これからもお姉さんと一緒に、沢山このコーナーを盛り上げていくんだポン!」
「ユリタヌキはお休みの間、どこに行っていましたの?」
「故郷の夢の国に帰っていたのだポン。皆と久し振りに会って、楽しかったポン!」
「そうなのですね。心機一転と言った感じですわね」
「そうなんだポン♪」
「着ぐる…毛もツヤツヤですわね。気合が入ってるみたいで何よりでしてよ!」
「それは〜もう、ポン」
「良いですわ、良いですわ〜! さて今回のお題は…」
──ダカダカダカダカダカ…! ダン!!
「“フレイムソード”ですわ!」
──ババーンッ!
「‘フレイムソード?’」
「火属性中級魔法。火の魔力を凝縮させ、剣を形作る魔法でしてよ。接近戦のお供に欠かせない魔法です」
「炎で剣を作る…凄いポン」
「他の属性にも、剣や得物を作り出す魔法は数多くあります。それでも剣が作られがちなのは…やはり術者にとって武器としてのイメージが容易であるためでしょうか」
「じゃあ人によって、剣以外の武器で魔法を発動させたりするんだポン?」
「それは“フレイムソード”じゃありませんわ。フレイム何ちゃらですし…。魔術学的に体系化されているのは、“フレイムソード”だけですわ」
「う〜ん、皆が使い易いためってことがあるのかポン。じゃあ応用する人は応用しているんだ…」
「でも変に魔法の形を変えるのなら、他の魔法を扱えるようにした方が良いですわ」
「そうかもしれないポン。やっぱり引き出しが多い方が、戦いの上では大事だポン」
「上級者ですと、自らの得物と“フレイムソード”とで二刀流をする方も居るそうですわ。無手を装った不意打ちにも使えますし、活躍の場は広いと思われますわよ」
「無手を装っての…それは良い手だポン! 間合いを詰めようとする相手への良い牽制になるポン!」
「…ユリタヌキ。夢の国の住人が、そんな現実的なことを言ってはいけませんわよ」
「…ポン?」
「…分かってないようですわね。まぁ良いですわ、あなたらしいですし。…では予告でしてよ!」
「…?」
「『弓弦だ。刑事物とかで推理する時って、勿論論理的であることも必要だが、直感的なものも大事だったりする。ピンときて、もしかしてと動いてみたら真実への大きな一歩となる訳だ。だが決め付けとか直感って、時々大きな見落としを生んだりするんだよ。アレだ、「僕は大きな思い違いをしていたようです」…ってな──次回、勝手な見方だけで決め付けていると、決まってロクなことがない。by弓弦』…長いですわねっ!?」
「決め付けは良くない…ふむふむ、だポン。やっぱり時代は遠近両用の時代なんだポン。戦い方にだって当然、幅広い対処法が求められてくるものなんだポン」
「…ところで、ユリタヌキ」
「ポン?」
「まだ近距離攻撃魔法は使えませんの?」
「ポン」
「…不思議なものですわね。上級の魔法を使えるあなたが…」
「お姉さん、そろそろ今日のところは終わりだポン」
「あ、そうでしたわね。では、また」