ありがちな始まりは、ファンタジー物に定番な火の玉のようだった。by弓弦
──リンゴーン、リンゴーン。
鐘が鳴り響いている。
高らかに、喜んでいるように、歓迎するように。「リン、ゴン」と。
──。
人々の喧騒が聞こえる。
「ガヤガヤ」と呼ぶよりは、「キャッキャッ」、と。因みに、決して猿ではない。
「はぁ、はぁっ。まさか、こんなことになるなんて」
そんな人混みの中に向かい、一人の男が足早に突っ込んで行く。
風を切るような速度だ。
残念ながら、パンは咥えていない。
「すまん! 退いてくれッ!」
人混みを抜ける、抜ける、擦り抜ける。
その身の熟しは華麗で、川の流れのように傾斜を登って行く。
驚くような声が聞こえた。
あわや、打つかりそうにもなった。
しかしどうにか何事も無く、男──弓弦は建物の中に突入した。
「(約束の時間ギリギリじゃないか! どうしてこんな…っっ!!)」
チラリと恨めし気に視線を遣った先には、諸悪の根源がスーツのポケットに入っている。
『キュンキュンチェッカー君』。銀製、ハート型のストップウォッチだ。現在、「19」という数字が表示されていた。
何故彼がそんなものを持っているのか。それは「湯煙旅の終わり」や、「弓弦、喚ばれる」、「ロソン、触れられる」を参照していただきたい。
兎に角このトンデモな道具の所為で、弓弦は朝からとんでもない目に遭ってきたのであった。
「(たった一回、胸キュンさせられなかったと言うだけ…なのに、どうしてあんなことを…ッ!)」
弓弦の脳裏に、思い浮かぶ光景があった。
そんなことをしている暇は無い。今は何よりも先に、目的地への急行が急務だ。
だがそんなことは分かっている。分かっているが、どうしても考えてしまう。考えてしまうのである。
それはあまりにも屈辱的で、それでいてツッコミを入れ続けなければ気が済まない状況で──。
* * *
朝起きると、「それ」は鳴った。
ふと感じた嫌な予感の直後、物の見事に的中してくれた。
「極殺!」
『遮れ振動、顕現し、防げッ』
半ば条件反射で口を衝いて発されたのは、効果範囲内にて生じた音をシャットアウトする魔法──結界属性中級魔法“シャルフェアタイディゲン”。別名、防音結界の詠唱であった。
「……」
程無くして結界は展開され、『キュンキュンチェッカー君』から発された警告音は無音となる。
「ひとまず、最悪の事態は避けられたか…」
等という言葉を言った途端。
「な」
足下に、魔法陣が展開した。
直後に視界が明転。弓弦は、見知らぬ町の中に居た。
夕焼け色に染まりつつある町は、どこか下町然としており懐かしさに満ちている。
町人の服装も、元々の世界の意匠に良く似ていた。
ここ最近見てきた町の中では、一番元居た世界の町に近いのかもしれない。そんなことを考えていると。
──mission.腰に手を当てて、歩け。
何とも似つかわしくない合成音声が、『キュンキュンチェッカー君』より聞こえた。
「…仮想空間か?」
取り敢えず従わないことには延々とやらされると分かり切っていたので、弓弦はいつの間にか着ていた灰色のスーツの下から腰に手を当てる。
──もう少し、横に揺れて。カバンを持ち直して。
「…細かいな」
両足それぞれに荷重を掛ける時間を増やす。
きっと、相当変な歩き方に見えるだろう。
いつの間にか左肩に提げていた鞄を左手で押さえ、歩く。
──ゴミ箱を抱えた赤服のおばちゃんに、頭を下げろ。
すると、眼の前に該当人物が。
頭を下げられると同時に弓弦も頭を下げ、会釈する。
──眼の前を通り過ぎる黒服の若者に、軽く挨拶をせよ。
取り敢えず、従う。
若者は、どこかに駆け足で向かって行った。
その直後、瞬きの刹那に場面が別の場所に変化する。
「(…おい)」
川沿いの草道だ。
近くの川を、複数人が漕ぐ長いボートが通って行く。
歩く弓弦の隣を、少し周りの若者達とは顔立ちの違う二人の女性が駆け抜けて行った。
因みに赤服と青服である。
「(おい…っ)」
既視感の塊に、弓弦の中で警鐘が鳴る。
自分はとんでもないことをやらされているのではないか。そんな危機感が、脳裏を掠める。
「(追い掛けろってことだろっ)」
物凄い既視感の塊だ。
どうせこの次は、草むらの坂をボードで滑り降りたりするのである。
もう何というか。兎に角、ツッコミ待ちに思えてならない。
これは、アレか。アレを言えば良いのか。
「この…バカチンがっ!!」
決まり文句を言った途端。
それが正解であったかのように、周囲の景色が元に戻っていくのであった。
* * *
そうして今に至る。
罰ゲームが終わったら、目的地に辿り着くという訳でもなく。後には、変わらない景色が広がっているだけ。
即ち、罰ゲームが始まる直前の場所──学園街の入口に立ち竦んでいる状態であった。
そんな最中、弓弦の犬耳に始業前に鳴る鐘の音が届いた。
弓弦にとっての約束の時間は、この鐘の音が鳴る時刻に等しい。近くを歩く若者達にとっては注意喚起の鐘だが、彼にとっては完全なレッドゾーンであった。
この鐘が鳴るよりも先に目的地に辿り着いておきたがったが、そうは問屋が卸さない。
だからこうして人混みに突っ込み続けているのだ。
そうして建物内に入ってからも、入口までよりは疎らになった人の背中を追い越して行く。
これならば、魔法でも使ってパッと行く方法も考えるべきであった。しかし、不必要に魔法を使うべきではないと、彼はある人物から伝えられていた。
無論彼も良く良く意味を理解した上での納得であった。だからそれ故に、走るという原始的な方法しか取ることが出来ないのだ。
「(魔法って便利だったんだなぁ…)」
元々使えればと夢見ていたことが現実になって。
現実になってしまえば、その現実が元々になって。
今ではすっかり、魔法漬けの毎日であった。
「(…ま、たまにはこんな…使えるけど使わない的な日も良いよな。平和な分には)」
どうでも良いが、「魔法漬け」という料理名、料理法がありそうである。
「何々の魔法漬け」。実にファンタジー感溢れる食事ではないか。
しかしファンタジーと表すと、その味が気になるもの。出来れば「正に、何々のファンタジーや」と、安易な考えに至ってほしくないので悩みどころである。
実に、どうでも良いが。
「失礼します!」
弓弦はようやく目的地に辿り着いた。
即ち建物の最奥にある、主の部屋だ。
扉を叩いて入室すると、そこは清掃の行き届いた静かな空間が広がっていた。
「学園長室」、とその部屋は呼ばれていた。
「お~。良~く来たんだな! 道に迷っていないか心配していたところなんだな!」
部屋の主──ディー・リーシュワは席を立って出迎える。
どことなく懐かしさを覚えたのは、弓弦が在籍する部隊の長と同じ雰囲気を宿すためか。
「始めまして。ディー・リーシュワなんだな。こ~この学長をやっている~」
「(初めまして…では、ないんだがな)。橘 弓弦です。お会い出来て光栄です…ディーさん」
いや、それだけではない。
弓弦は彼と、何度も直接の面識があった。
「橘 弓弦」としての姿ではないものの。
「ディーさん…か。う~む」
握手を交わしながら、ディーは首を傾げた。
「(…しまった。つい癖で…)」
どうにもしっくりこなかったのだろうか。
言ってしまってから気付いたのだが、驚く程自然に「ディーさん」と呼んでいた。
「(…どうにも『オルレア』に引っ張られているな)」
それはまるで、少し久し振りに会う知人を呼ぶかのように親しみが篭っていて。
実際にはその通りなのだが、その通りにする訳にはいかない。
今彼の前に立っているのは、「美(ここ大事)少女」ではなく青年。
弓弦は気を取り直すようにして、探るようにディーの反応を窺った。
「…中将と呼べば? それとも…学園長? ですか?」
眼の前に立つ男、ディー・リーシュワ。
彼という人間を指し示す役職は、『組織』の「中将」と『学園』の「学園長」の二種類があった。
しかし、ディーは更に訝しむ。
しっくりくるような、こないような。何ともいえない違和感が、靄のように広がっていく。
「い~や…? ディーさんの方が妙にしっくりくるんだな」
「中将」か、「学園長」か、「ディーさん」か。
その三択を考えた時に、「ディーさん」呼びが一番しっくりときてしまった。
何故か。それを考えると、「何とも言えない」が答えとなる。しかし、何故か腑に落ちてしまった。
「そ~れでいて、君とは何故か、初めて会った気がしない…」
腑に落とさせた正体は、既視感なのかもしれない。
ディーは良く良く弓弦を見定めていく。
少なくとも、記憶している限りではこれが初めての出会いだ。紙面、データ上で把握している情報よりも、一見の方が遥かに勝る。
橘 弓弦という男。階級はディーの一つ下である「少将」。
若くしてその階級に辿り着いた彼の勇名は、実名こそ広まっていないが知る人ぞ知るものとなっている。
曰く、『アークドラグノフ』には龍をも操る獣使いが居る──と。
その英雄譚は、遡ること数ヶ月前のこと。とある容疑で処刑されそうになった「レオン・ハーウェル」を救出せんと、『アークドラグノフ』実行部隊が『組織』全てを敵に回した時のことである。
『ヴァルハラ城』を仰ぐ山岳地帯に姿を現した『アークドラグノフ』実行部隊と、彼らの進軍を封じる隊員達が激突する最中に「それ」は現れた。
雲海より降り行く黒緑の鱗。
美しくも荒々しい鱗の連なりから繋がるは、大空を切り裂く巨大な翼。
戦慄が隊員達の中に駆け巡るのを見計らったように、空より龍の業火と共に舞い降りた人影が全てを焼き焦がしていった──。
「成程。こ~の妙に親しみ易い雰囲気に秘密があるんだな。結構結構」
人が動物を飼うように。
自然と協調し、動物と共になる者達が居るように。
魔物を飼うことや、魔物と友になる者が居てもおかしくはない。
それがこの、親しみ易い雰囲気にあるとするならば納得がいく。
「はぁ…」
ディーの理解を理解しかねる弓弦。
一瞬「オルレア」との関連性を指摘されるかと疑ったが、そうではなかった。
「さて橘先生。ど~うだい、この学園は。中々悪くなさそうな場所だろう」
話は別の話題へ。
学園の感想について問われた弓弦であったが、正直朝は急いでいたために周囲を見ることが出来ていなかった。
「…申し訳無いのですが、まだあまり見れていなくて。ですが学舎の雰囲気としては、素晴らしい場所だな…と」
そのことを伝えると、ディーは少し思案するように時計へと視線を遣る。
「ふ~む。じゃ、こ~う言うのはどうなんだな」
そして視線を弓弦に戻すと、どこか満足そうに頷いた。
「早速今日から教壇に立ってもらいたいんだが…。今日は、君の科目は入っていない。と言うか、ちょ~っとした式典があって授業自体が無いんだな。と~言うことで、ま~ずは一時間ぐらい、好きにここを見て回ると良い。学園見学なんだな!」
「…はぁ。因みに、式典とは何の?」
式典というからには、学園の一大行事の一つだろう。
学園の教員も出席する必要があるのだろうが、そもそも何の式典なのか。
異世界の学園の式典ということで、弓弦にとっては知らないことばかりであった。
「今日は、始業式なんだな」
「ん、始業式って言いますと…。長期休暇明けに、全校生徒に向けて行う…?」
「そ~の通りなんだな。生徒達の元気そうな、そ~れでいて休暇の間に成長した様子が一度に見れる素敵な式典なんだな」
意外と、普通だった。
「(…話が長い印象しかなかったな。アレは)」
最早名物といっても差し支えない程に、長の話が長いことで有名な式典のようだ。
しかし元居た世界との共通が、弓弦に懐かしさを思わせた。
「…自分は挨拶等をしなくとも?」
「勿論。緊張するとは思うが、簡単にお願いしたいんだな」
「(…やっぱりしないといけないのか)」
面倒だ。
そして中々のプレッシャーだ。
「簡単な自己紹介で良いんだな。何を話すかは…見学中にでも考えてくれ」
ディーはそう言うと、手元の書類に眼を落とした。
一時間の見学。
正直授業をするものだと思っていたために、少々拍子抜けは否めない。
しかし、いきなり授業をするよりもゆとりがあることは嬉しかった。
挨拶は、中々に緊張するとは思うのだが。これも通らなければならない道の一つだろう。学舎というのは、そういうものだ。
「分かりました」
ディーに言われるがまま、弓弦は一時間の間、学園内を探索することになるのであった。
──チャッチャカチャ、チャッチャカチャ、チャッチャッチャッカッチャ!
「さぁ、始まりますわよ〜! ネクストミュージック、スタート!」
──教えて! それは何? 教えて! お姉さん♡ そのお悩みを解いてあげます♪
「…ポン」
──タヌキさん? 違うよ! 妖精さん? そうだよ! ユリタヌキって言うんだよ♪
綺麗な、お姉さんと可愛い、ユリタヌキ♪ 二人が楽しく教えてくれる〜ぅ♪
「「集まれ〜! 皆〜!!」」
──皆でおいでよ〜♪ 笑おうよ〜♪
「ミュージック、ストップですわ!」
「分かった…ポン」
「学園と言えば勉強! 勉強と言えば、解説ッ! さぁ、本編を飛び出した『なにそれ? 教えてリィルお姉さん!』の始まりですわ! ‘…ほら’」
「っ、ぱ、ぱちぱちぱちぱち〜ポン!」
「さて、いよいよ始まりました『学園編』。その予告では、これまでの物語に登場した魔法についての解説を行っていきますわ!」
「わ、わーいだポン! ねぇねぇお姉さん、記念すべき最初は、何について教えてくれるのだポン?」
「良くぞ訊いてくれました! 今回は、“ファイアーボール”について解説しますわよ!」
「“ファイアーボール”?」
「その名の通り、火属性の魔法ですわ。魔法陣から小さな火の玉を放つ初級魔法…まぁ、定番魔法の一つですわね。攻撃力は、それ程…ではありますが、火属性攻撃魔法の中では最も行使が容易です。そのため火属性魔法使いが、一番最初に習得する魔法ですわね」
「火の玉を出すなんて、凄いポン! 僕も使ってみたいポン」
「…ユリタヌキ、残念ですが。火魔法使い以外は使用出来ませんの」
「…がーん、だポン」
「話を戻します。初級中の初歩だからと言って、侮ってはいけません。この魔法最大の特徴は、行使が容易であると言うこと。料理に用いたり、眼眩ましや牽制に活かしたりと応用が利きます。詠唱にも時間が掛かりませんから」
「お外での料理に活かせるのは凄いポン! 火が使えるだけで、レパートリーが一度に広がるポン♪」
「勿論無詠唱の使い手も多いこの魔法は、時折火魔法使いの力比べにも用いられます。どちらが、より強力…あるいは美しい“ファイアーボール”を放てるか…シンプル故に、実力を示し易いのでしょう」
「…成程〜、だポン」
「例えば、こんな有名な諺があります。今のは“エクスプロージョン”ではない、“ファイアーボール”だ…と。これは、自分の価値観のみで判断するのではなく、本質を理解しろと言った意味がある言葉ですわ。あ、“エクスプロージョン”というのは、“ファイアーボール”の発展魔法で、上級魔法ですわよ」
「…本質の理解。う〜ん、難しいポン」
「諺にも用いられるこの魔法。魔法と言えば、この“ファイアーボール”…と言われるぐらいには認知度が高いですわ。どこかの世界では、防熱対策をした上で二組のチームに分かれて“ファイアーボール”を放ち合う遊び…“ファイアーボール”合戦なるものが存在しています」
「…あ、熱そうだポン」
「他にもとある世界では、『“ファイアーボール”と呼ばれた日』と呼ばれる映画が、昔に製作、公開されました。主題歌…『“ファイアーボール”・パーリィナイト』は、その世界で優れた名歌百選に選ばれる程の人気を誇っており、今も幅広い年代に愛されています」
「…へ、へぇ…。だポン」
「とまぁ、魔法と言えばまず挙げられるのが、この“ファイアーボール”と言う魔法なのです。…さて、次に主な詠唱なのですが──」
「…皆〜! 予告だよ〜! 『弓弦だ。ったく、急に一時間も暇を貰うとは思わなかった。好きにしてくれ〜とか、何でも良い〜ってのは、言う方は楽だが言われた側からすれば面倒以外の何物でもない。まぁ、折角貰った時間を無駄にするのもアレだし、しっかり散策しないと…。にしても広いなぁ、ここ。お、噴水もある。あそこは…保健室じゃないか! どれどれ──次回、火が付いたように熱いのは、何なのだっ!?byユリ』…だポン!」
「本編に登場したものだと、弓弦君の『燃えろ』や他の方の場合、『焼け』もありますわね。また天部中佐は、『“ファイアーボール”』と言う名称自体を詠唱に用いています。このように魔法発動のために行う詠唱は、人によって差が出ますの。詠唱は主に発動する魔法の安定化、威力強化のために用いるのですが──」
「まったね〜だポン!」