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俺と彼女の異世界冒険記   作者: 仲遥悠
裏舞台編
385/411

逡巡

 通りを駆け抜けている間に、それは起きた。

 轟き渡るような振動に身を伏せたアンナは、異変が収まったのを確かめる。


「…何が起きたんだ!?」


 周囲を確認するも、目立った異変は見当たらない。

 だが、妙に心を騒つかせる気配が漂っていた。


「ぅぅ…」


 覆い被さっていたアンナが退いたことで、身動きの取れるようになったトレエが起き上がった。


「…何が起こったんですか…?」


「分からん。だが時間を浪費した。兎に角急ぐぞ!」


「はい!」


 二人は街を駆ける。

 目指すは、街の西部。石畳の上を踏み続け、過ぎる景色には脇目も振らない。

 自身に出来る、最速の速さで急いでいると、目的地はすぐだった。

 だがーーー


「「…ッ!?」」


 大きく口を開けた奈落の底に、直面することとなった。


「…何なんですか、これは…!?」


 抉られた奈落の縁にトレエが片足を置くと、少し先の地面が割れ、破片が底へと落ちていった。


「…魔法の余波だろう。これが…『滅失の虚者』の力か…!」


 一体どれ程の戦闘が行われたのだろうか。

 底の見えない穴を見つめ、アンナは息を飲んだ。

 広がるのは、ひたすらな虚無。暗闇の先から淀んだ気配が漂ってくる。


「…おじさん先生ッ! ディー隊長ッ!!」


 その隣でトレエが悲鳴のような声を上げた。

 そして臆せず地を蹴ると、穴の中に飛び込んで行った。


「あ、おい!」


 制止するアンナを他所に、トレエの姿は闇に消えた。

 ヨハンと、ディー。彼女は二人の名を呼んだ。

 まさかこの穴の底に、二人が居るとでもいうのか。ならば、そこにはーーー!


「…高いな」


 闇に眼を凝らしながら、アンナは呟く。

 一体どこまで通じているのだろうか。闇の先は、ここからでは見えない。


「……っ!」


 意を決したアンナは穴に飛び込んだ。

 地の底からの生暖かい風に当てられ、むせそうになる。

 高所から降りる時の独特な内臓の違和感に歯を噛み締めながら、鞘から抜いた左の剣を岩壁に突き刺した。


「ぐぅぅっ!?」


 ガリガリ、と音を立てて壁が斬り裂かれていく。

 衝撃に震え、離しそうになってしまう右手に力を込め続け、何とか勢いを殺す。


「…何で…こんな酷いことをするんですか…ッ!」


「!」


 下方にトレエの姿が見えていた。

 その付近には、地面に片膝立ちする二人の男が。

 そして、


『酷いこと~? 私は殺し合いたいだけだよ~?』


 異様な気配を放つ若い女の姿が。


「そんなことって…! あなたは…ッ!」


「トレエ!」


 アンナは三人を庇うようにして、女との間に着地した。


「元帥さん…っ!」


「ッ…!」


 手にする刃の先を女に向け、下がっていろとばかりに左手をトレエ達に向ける。


『お~、お客さんだね~』


 間延びした声で話し掛けてくる女。

 長い深紅の髪、蒼い瞳がアンナの中で二人の人物と重なる。


「…! 貴様は…ッ!?」


 見間違いか。いや、そうではない。

 眼の前の人物は、あまりにも二人の人物に面影が重なり過ぎている。

 まるでーーーそう、子どものように。


『あ、そっか。初めまして~♪ 私が『滅失の虚者』で~す♪』


 大剣を突き立ててから両手を振る女に切先を向けたまま、視線だけを横に向ける。


「おい、リーシュワ! ピースハート! これはどう言うことだッ!? 何故!」


「「……っ」」


 息も絶え絶えの二人。

 目立った外傷は少ないが、額から滴る冷汗が只事ではないことを示す。


「(語る体力も無い…か。く…っ!) トレエ、お前は水魔法使いだったな」


「は…はい!」


「‘私が時間を稼ぐ。その間に回復魔法を二人に掛けておけ!’」


「はい!」


 トレエは力強く頷き、二人の下まで下がる。

 程無くして、静かな詠唱の声が聞こえてきた。


『青き魔力(マナ)よ…癒しの水となれ』


 水属性中級魔法、“キュア”。

 水属性の魔力(マナ)により対象の治癒力を高め、傷を癒す魔法だ。

 使えなかったらどうしようかと考えていたが、どうやらちゃんと使えるらしい。

 そんなことを頭の片隅で思いつつ、アンナは時間稼ぎに入った。


「『滅失の虚者』、貴様は何者だ!」


 もう二人は戦えない。

 ここで戦えるのは、アンナとトレエのみ。

 ここまでの戦いで名誉の負傷を負った戦力外(ヨハンとディー)には、せめて戦いに巻き込まれないだけの体力を戻してほしかった。


『何って~…『滅失の虚者』だよ? 人間が付けた二つ名なのに~』


 アンナは悟っていた。

 調子良く話す女。その強さは、これまで戦ってきた【リスクX】とは一線を画するもの。

 人の姿をしているが、内に住まうのは凶悪な悪魔だ。

 勝てるのか? 勝つしかないがーーー恐らく、まともにやり合えば死人が出る。そしてそれは、半分を超える確率でヨハンとディーである。

 だからアンナは、そもそも自分が戦場に立とうとしていた。

 最初から自分が戦っていれば。そんな仮定の話を考えたくもなってしまう。


「(だが…)そんなのは知らん。私は、貴様が何者かを訊いている」


 どうして、悪魔が人間の姿をしているのか。

 というか、最近の悪魔は人の姿を模すのがセオリーなのか。『幻憶の導き手』といい、アンナがかつて戦った最強とされる悪魔といい、どちらも人間の見た目であった。

 これで、人の姿を模した悪魔は三体目。

 共通点は、揃いも揃って強力な悪魔ということだろうか。


『う~ん。私が何者か…か~』


 腕を組み、思案する女。

 胸の下で組まれた腕が、胸を主張させる。


「…っ」


 トレエが息を飲んだ。

 どうやら密かに精神的なダメージを受けたらしい。


「(何を考えているんだ、私はっ)」


 構えは解かず、内心で突っ込みを入れる。

 もしかしたらこれは、こちらを油断させるための演技かもしれない。

 だから気を抜けるはずがない。


『私は……』


 何が飛んで来る。

 一瞬の隙が、一生を終わらせる。

 女が振り上げた大剣に、アンナは迎撃の姿勢を取る。


「…ッ!」


 剣を両手で握り、正眼に構える。

 何が来ようと、弾いて斬り裂く。猛る闘志の宿る瞳が、剣の先を鋭く見据えた。

 振り上げられた大剣は月光を照らし、そのままーーー!


「…何者なんだろうね」


 振り下ろされることなく、鞘に戻された。

 まるで戦意を失くしたとばかりの女からは、悪魔のような威圧感が消えていた。


「何を…」


 予想だにしなかった言葉に、アンナの剣も降りる。

 不思議と警鐘が鳴らない。

 そこに僅かな殺気を感じれば、けたたましく鳴るというのに。


「…貴様は、何者だ」


 アンナは、改めて誰何する。

 その問いに込めたのは、先程とは似ていて、非なるもの。


「何者だと思う?」


 女は静かに、問いで返す。


「…お前は、本当に人間ではないのか?」


 アンナは、さらに問いで返した。


「!!」「きゃっ!?」


 背後で飛び起きるような気配。


「ん~…。どうしてそう思うのかな。あ、悪魔だけど、あくまで参考に~」


 冷たい夜風が吹き抜ける。

 飛び起きていない一人が、寒さでくしゃみを数度した。


「…私は、その身に悪魔の力を宿した人間を…少なくとも二人は知っている。その内の一人は、人でありながら悪魔と心を通わせ、互いの信頼を力として生きている奴だ」


 アンナの言葉が、即座に緊張の糸を巡らせた。

 ヨハンとディーは、その内の一人を知っていた。しかし彼等は、彼女が語るもう一人については知らなかった。


「…悪魔と…心を通わす?」


「…と~んでもない話が出たんだな」


 誰だ。そんな途方も無い存在は。

 もしそれが本当ならば、その者はーーー。


「……」


 一方でトレエの脳裏には、何故だかぼんやりと人の背中が浮かんでいた。


「(…どうして)」


 彼女が語る「その内の一人」。それは最早、予測の範疇を出ない。だがトレエもまた、不思議とその人物を知っているような気がしていた。


「…ピースハート達の様子から、一度は『滅失の虚者』が死者の真似をしたか、あるいは死者の身体を動かしているのだと思った。だが本当は…」


 女の瞳が、アンナを見詰める。

 「面白い」。その爛々とした瞳が語っていた。

 促された訳ではないが、彼女は自らの考えを続けて口にしていく。


「お前は、『滅失の虚者』をその身に宿したオルナ・ピースハート本人ではないのか?」


 響く言葉が、静かに溶けていく。

 誰もが女の返答を待ち、また女を見詰めていた。

 たっぷりと間を置いて、女の唇が徐に言葉を紡ぎ出す。


「…そっか~。そう考えるんだね」


 その答えには、肯定も否定も無かった。


「!!!!!!」


 見開かれたヨハンの瞳に映る女の姿は、確かに彼が良く知る娘のもの。

 いや、違う。違うはずだ。

 そんなはずはない。これでは悪魔の思うツボだ。

 言い聞かせても、心臓の鼓動が早鐘を止めない。


「おじさん先生…?」


 不安そうなトレエに袖を引かれ、どうにか落ち着きを取り戻す。


「…ヨハン、分かっているだろう。『滅失の虚者』の正体が何であれ、僕達の知ってるあの子はもう、居ないんだな」


 ディーの言葉が、さらに心を冷やす。


「(分かってはいる。だが…)」


 それでも波紋は、水面を揺らす。

 ヨハンの中に眠る、復讐の影に隠れた思いがこの時確かに揺れていた。


「あ~あ。戦う気無くなっちゃった。帰ろっかな~」


 一方、女は深紅の髪を靡かせて空を見上げていた。

 やはり戦う気配を漂わせないまま、フワリと地を蹴った彼女は凄まじい勢いで岩壁を蹴り上げて行く。

 やがて穴の入口まで登られた時、アンナは自分の失態に気付く。

 これは、嵌められたのではないか。

 油断をさせておいて、その後でーーーもしかしたら埋め立てられるかもしれないと思ったためだ。


「あ、一つ言い忘れてた!」


 だがそれが懸念に過ぎなかったと思えたのは、この上なく楽しそうなことを思い出した女を見た時。

 彼女の瞳には、これ以上に無い程の親しみが宿り、一人の男だけを映していた。


「パパ~♪」


 吸い込まれるような純粋な瞳。


「……」


 そうだ。かつていつも見ていた瞳も、こんな風に純粋な光を灯していた。

 こんな風に、父親である男のことを呼んでいた。

 分かっていても、あまりに重なり過ぎていて。

 その時ヨハンは女のことを『滅失の虚者』ではなく、オルナ・ピースハートとして見てしまっていた。


「パパの、へんた~い!」


 だから、「娘」のものとして聞こえたその言葉にヨハンは、


「ッッッッ!?!?」


 途轍も無い衝撃を受ける。

 まさか、見られていたというのか。

 信じたくはないが、この口振りが意味するのは、そういうこと(・・・・・・)だろう。

 今日の朝から妻と勤しんでいた若気と迸る愛情の至りを、よもや娘に見られてしまったとは。

 一時の気の迷いとはいえ、娘と認識してしまった存在からの言葉は、あまりに鋭過ぎる凶刃。

 ヨハンの身が、心が、非物理的に切り刻まれる。

 斬斬斬斬、実に無惨に。


「パパの~、へんた~いっ!」


 女は、強調するようにして繰り返した。

 切り刻むのは、言葉の刃。

 切る、斬る。切り斬りと。

 切り斬りキリキリ、ヨハンの心を刻んでいく。


「ママと~? へんたいへんたいへんたいへんた~いっっ!!!!」


 止まらない、止まらない、止まらないッ!!


「ぅ…っ!?」


 仰向けに倒れたヨハンの白眼に、トレエが小さな悲鳴を上げた。


「ヨハン!?」


「ちィッ!!」


 アンナが地を蹴る。

 ヨハンに向けられた何を意味するのか分からない彼女であったが、何らかの魔法が放たれたのだと思い剣を抜き放ったのだ。


「おっとっと~!」


「っ…! 待てッ!!」


 岩壁を蹴り、人技とは思えない速度で女に迫るが刃をかわされる。

 返す刃にて追撃を見舞うも、斬撃が女を斬ることはない。


「ふふふっ! じゃね~!」


 無邪気な笑い声を響かせながら。

 女は夜の闇に、姿を滲ませていった。


「…おじさん先生」


 緊迫した雰囲気を、完膚無きまでに消滅させて。


「変態って…何ですか…?」

「これも…反応しないな」




「これも…違う…」




「これもか……ふむ。全くの無反応と言うことは、ここにある薬剤は全て…効き目がないということになるか。いや、だがまだ…時間差で効くということもある。…もう少し…様子を見るべきか」




「しかし…初感染者の出現からかなりの時間が経った。本編と無関係だとは言え、中々長い間、私はこの感染症と向き合っているのだな…」




「……何だ…眠たくなってきたな。…少し休むか……」




「予告だ…。『彼女は真実を言う。感情を打つけ、人を躍らす。彼女は偽りを操る。偽りの裏に、真実を隠すために。彼女はしるべを求めている。偽りと真実の間で惑わされているのは、彼女自身ーーー次回、子猫』……真実と、偽り…つまり…素直になれないのだな…」




「…私も、もう少し素直になれたら……」

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