不穏
ディーとトレエは城での生活を続け、日々を過ごしている。
城で寝泊まりし、気が向いた時に『エージュ街へと出掛けて街を見回る。それが今の二人の役割であった。
アンナは執務室漬けの日々だ。日中はヨハンの指導を受けながら、日が落ちた頃にフラリと城内を歩いている。
時として幽霊に間違われたこともあるが、ただ単に生気が無いだけで生きてはいる。
何だかんだの紆余曲折があり、結局初日以降はアンナの家で宿泊しているトレエは、そんな彼女のことを気に掛けていた。
一応最初は心配していた。だが程度が下がっているのは、ヨハンによる彼女への説教内容を知っているため。端から見れば、どう考えても自業自得な仕打ちには納得以外の感情を抱けなかった。
ジェシカ手製の朝食後の今朝も、幽鬼のような足取りでアンナを見送ったが、そんな彼女を見た二人は同じ感想を抱いたものだ。
どんな感想か。曰く、「あ、これは寄り道して行くだろう」と。「私と彼女、どちらが先に執務室に着くのかしら」と話したジェシカに、トレエはジェシカを見詰めて頷いたのを覚えている。日頃の行いが人にどう見られるのか、良く良く分かる一幕であった。
「っ、はっは~っ! そ~れはまた、元帥嬢ちゃんの株は大下がりってもんなんだな!」
一通りの顛末を聞いたディーが、腹を抱えて笑う。
「ど~うだいど~うだい。元帥嬢ちゃんも、ど~こにでも居る女の子って染み染み分かっただろう?」
彼はここに来る前、『剣聖の乙女』が女性の憧れであるという話をトレエから聞いていた。
『剣聖の乙女』。戦場では不思議な魔力を秘めた剣を手に戦う戦姫。凛とした佇まい、正義を宿した瞳、整った容姿は憧れの標的として求められて止まない。
『組織』に属する女性には、彼女を目標として定めている者も多い。それは彼女の名が、存在が半ば神格化されているためでもあった。
しかし蓋を開けてみればーーー尊敬していた女性の中には、夢破れてしまう者も居るだろう。
「…毎日分からされています。本当に、色々と出来なくて」
夢破れたのは、トレエも例外ではなかった。
期待があったのも、落胆してしまったのも、確かにその通りなのだ。
でもそれがあったからこそ、トレエはアンナを身近な存在に感じられるようになっていた。
「剣一筋の子だったからね」
「それあの人も言っていました。それまでどうにかなっていたから…って」
食い気味に話すトレエに、ディーは眼を瞬かせる。
身近に感じられるからこそ、呆れの感情が生じているのだろう。内心、「あり得ない」とでも思っている様子が伝わってくるのだから。
女性としては、あり得ないのかもしれない。だが、武人としては別の意味であり得ない。
ディーは皺の増えた手に視線を落とし、スッと眼を細める。
「凄い子だよ。どうにか出来る実力があるんだから」
彼女の強さもまた、あり得ない。
世間で「大人」だと、一般的に認識されたばかりとされる齢で、あの実力だ。
大将と中将の男、そのどちらも相手取って同時に戦う。そんなこと、波の実力では成せない行為だ。
さらに付け加えるのなら。彼女はまだ余力を残していた。運良く優位に戦えることが出来たが、次は同じ結果にならない。
あの戦いの最中、もし彼女が無銘剣以外の得物を手にしていたらーーー
「…ディー隊長?」
トレエの声に、旅立っていた意識を戻す。
考え事の間に、目的の場所を通り過ぎていたようだ。
「ん~、暖い日差しだから、少しぼ~っとしちゃったんだな」
通って来たばかりの通りを引き返して行く。
目的地は、住居二軒分離れた所に佇んでいる。
これは、何度も呼び掛けられていたことが分かる距離だ。
「…お空の上に行っていたんですね。少し…心配しました」
だとすれば、このどこか棘がある言葉にも納得出来た。
「…色々と語弊がありそうな言い方なんだな」
「ディー隊長は、空の上を飛ぶことが出来ます。凄い風魔法使いですし、意識だけを空高く飛ばすことも出来るのかな…と、思っていました」
随分と饒舌だ。それ故に、機嫌が悪いのだと分かる。
それもそのはず。そもそもディーとトレエの両者は、朝から常に行動を共にしていた訳ではない。街に入るまでは行動を共にしていたが、日が昇り切る頃に合流するという約束の後、別行動を取っていたのだ。
それ即ち、合流する頃には腹の虫が騒いでいることを意味する。ディーはディーで、空腹を感じるか感じないかといったところであったが、まだまだ成長期である少女の胃袋はやはり貪欲なのであった。
「僕ぁ、幽体離脱が出来る程器用じゃないんだ…。幾ら風魔法を使えても、そんなことは中々出来やしない」
「…放って置くと、そのままお空の上を漂い続ける…」
空腹とは、容易に人を怒らせるもの。
根元の欲求が満たされない時、人は容易に生存本能を剥き出しにする。
この随分な言い方は、脅かされている生命が上げる、叫びか。
「は、はは…。メ~ルヘンなのかホラ~なのか。少~し縁起が悪いんだな」
ディーは乾いた笑いを浮かべていた。
あまりその言い方はしないでほしかった。しかし、彼女は怒りながらも心配してくれていたのだ、責めることをどうして出来ようか。
純粋な心が紡ぐ言葉は、時として皺の増えた心を抉る。だが純粋な心というのは、往々にして冷たい言葉に抉られるのだ。
なのでディーは可能な限り緩く、優しく諭すように、次の言葉を続けた。
「って、ブローレン大佐が」
続けようとした。
「…ジェラル……」
何を言おうとしたのか、頭の片隅より言葉が抜け落ちた。
所謂絶句。衝撃が言葉を奪っていった。
その瞬間、遠い別の世界からふざけた笑い声が聞こえてきそうであった。
純粋な心を利用した、純粋な悪意による罵詈ーーー日頃の恨み辛みを容赦無く打つけられているかのようだ。
「…ドゥフト中尉。次に彼から通信が入った時は、すぐ変わるように」
その時、ディーの表情が変わっていた。
どのように変化していたのか、それを知るのはトレエだけだ。
だが彼女が驚いたように固まった後、食事が終わるまでの間ずっとディーと視線を合わせることはなかった。
そこから色々と察せられるのかもしれないーーー
「さ~て、どうするか」
昼下がり。
人々の喧騒が、遠くから曇って聞こえる。
まだまだ夕焼け空には早いというのに、住居が形作る影が伸びる辺りが時間感覚を惑わしてくる。
それで感覚を惑わされているようでは、色々と危険な兆候が見え隠れしているのだろうが、生憎ーーー否、当然とばかりに意識は明瞭としている。
視界に映る景色は鮮明だ。そこに疑いの余地は無く、ただあるがままの現実を見据えている。
視線の先に居るのは、男達。
何やら一言二言言葉を交わした後に、影の伸びる先へと歩いて行く。
「(こ~こから先は、ちょいとリスクがあるが…さ~て)」
トレエと別れたディーの姿は、『エージュ街』の路地の一角にあった。
男達が角を曲がるのを見送り、周囲の警戒を怠らずに路地奥へと歩みを進めて行く。
何故こんなことになっているのか。その訳はおよそ数十分前までに遡る。
トレエとの昼食中のこと。店に覚えのない男達が入って来たため、別れて尾行することにしたのだった。
覚えがないというと、顔に見覚えがないということに直結する。直結しがちなのだが、そうではない。ディーが問題だと感じたのは、男達の間に流れる雰囲気に覚えがなかったのだ。
第一人の顔を一つ一つ鮮明に覚えていられるのは、天才の記憶力だ。かつての教え子の中には、それが可能な者も居たが、そんな天才が早々に居たら困る。
だが雰囲気は違う。雰囲気は大きく分けて、二種類しかないためだ。
即ちその場に合う雰囲気であるか、そうではないか。後者である場合、その場に対して異邦者と考えることが出来る。
男達の雰囲気は、街を歩く者の雰囲気として少々不穏だった。いうなれば、戦場を知る男達の雰囲気。人を殺す覚悟を持つ者が放つ静かな気迫である。
単なる流れ者なら良し、だがそうでなければーーーその答えは、これから得られるはずだ。
「(…ま~だ奥があるのか)」
あまり尾行を続けると、身の危険がある。それを承知の上で、ディーは男達を追う。
ーーー…。
男の数は、三人。
何やら歩きながら言葉を交わしているらしく、口元を動かしているのが見えた。
「(…聞こえないな。こ~ちらに気付いている様子はない…が、もう大分通りから離れた。…何故、こんな路地にまで足を運ぶ)」
ディーは街の地形を思い浮かべ、自らの位置を当てはめる。
今居るのは、街の東の外れ。尾行を始めたのが中心部にある店の前であるため、それなりの時間を尾行に費やしているのか分かる。
ーーー…。
路地の行き止まりで男達が足を止めた。
相当声を潜めて話しているのか、相変わらず声は聞こえない。しかし手元に何か持っているのが見えた。
その何かを奥にある扉に押し当てた後に、男達は取っ手を手前に引く。
「(あれは…!?)」
ディーが眼を奪われたのは、男達が手に持つものでも扉でも無い。一瞬であったが、男の一人が押し当てた物をポケットに入れる際に見えたーーー『隊員証』。
「(奴等、まさか…っ)」
見間違えようのない事実は、別の真実へと思考を導く。
表情を険しくしたディーが、男達の背中を見送ろうとした次の瞬間、
ーーー?
男の一人が振り返った。
「…ッ」
ディーは咄嗟に隠れる。
「(気付かれたか…?)」
背後にも気を配りながら耳を澄ます。
頭上も確認した。
こういう時決まって、空から追手が前後に着地したりするのだ。
だがそんなこともなく、近付いて来る足音も聞こえない。
更に間を置いてから、念のために男達が居た場所を遠眼に確認するも、既に三人の姿は無かった。
「(…こ~れは、決定打か? 随分と、怪しいが…)」
可能ならば、もう少し確証を得たかった。
だが男達の行動からして、男達が消えた扉を通過するためには何かしらの条件が必要だということが分かる。
鍵となるのは『隊員証』か、それとも別の何かか。恐らく、登録された特定の『隊員証』を持つ者だけが通れるーーーといった解鍵方法が考えられた。
「(…確証を得たいが、これ以上の深追いは危険…か。良し)」
無論、単に『隊員証』をかざせば入れるのかもしれない。だとすれば杜撰な施錠であるが、確実に入れるアテがない。
下手を打って、相手方に気付かれる要素を設けるのはいただけなかった。
ならば、ここは一旦後回しにして対応を考えていく方向性が妥当か。
ディーは静かに身を翻し、その場を離れる。
来た道を戻って大通りに出ようとしたところ、ふと足を止めた。
ーーー……ぞ。
ーーー……って。
何やら騒がしくなっているようだ。
止めてしまった分足を速めて通りに出たディーは、近くで催されていた井戸端会議に参加した。
「何かあったのかい」
ディーの声に、井戸を囲んでいた三角が開かれる。
「まぁこれは、軍人さんじゃないの」
「あら軍人さんじゃない」
「軍人さん今日もナイスミドルねぇ」
口々にディーのことを呼ぶ三人は、この街に住む奥様方だ。
巡視の初日に話し掛けられた時に世間話で盛り上がり、以降も懇意にしてくれる人物達である。
協力者の存在は、様々な時に役立つ。この街で暮らしていない自分達では分からない情報を仕入れるのに、一役も二役も買ってくれていた。
「や。皆さんお変わりなく。…少~し、南側が賑やかだけど」
「あー、それね! どうも街の近くに青い魔物の群れが現れたらしくてねぇ。怖いわ」
「そうそう。何だっけ…アレよ…あの山岳地帯に住む……」
「何とか…ガルムって言ったわねぇ」
腕を組み、三人の奥様の言葉から情報を抜き出すため思案する。
青い、山岳地帯、ガルム。
この三つの単語が指し示す魔物の名は、彼の知る限り一個体だ。
「…それは、『マーナガルム』のことかね。あれは夜行性だったはずだが…」
「それだ!」と、三人分の声が重なった。
「でもね、今人に襲い掛かっているんだって」
「そうそう。実際に見た訳じゃないけど、勢いが凄いのって何の。何か怒ってそう」
「女の子が一人で戦っているんだって。今時の女の子って凄いのねぇ」
「あら、女の子が戦ってるの!? 魔物、何匹も居るって聞いたけど」
「何匹も相手に凄いのねぇ」
「…何匹? でもそれって、危ないんじゃないかしら?」
「…そうねぇ。感心してる場合じゃ…ないわね」
「軍人さん、助けに行ってあげた方が良いんじゃないかしら」
「……ん?」
とてもスムーズに繰り広げられる会話に感心していたディー。
突然話を振られ、少し口籠った後に南の地平線を見遣った。
ハッキリと見える訳ではないが、緊迫した空気が漂う南の地平線が、ふと眩しく見えた。
気の所為ではない。光が反射されたために眩しく見えたのだと分かったのは、南の方角に、「少女」の姿が見えたような気がするから。
「い~や、その必要は無いと思うんだな。多分その子は僕の部下で、信頼出来る子だから」
魔物は、任せても大丈夫そうだ。
そう断言するディーの内心には、部下への確かな信頼があった。
三人分の懸念への答えとして十分な説得力を有した声音で返答し、ディーは三人に礼を言って別れた。
「ん~じゃ、本当に戻るとするんだな」
どうやら今日は、お互いに不穏という名のクジを引き当てていたようだ。
偶然か、はたまた別の何かか。
その答えを出すには、まだ早計だ。
胸の内で微かに蟠る「不穏」の気配を感じつつも、ディーはそのまま城を目指すのだった。
「…ユリの手前あぁは言ったが…。流石に…面倒な事を頼まれたな」
「「「…………」」」
「な、セイシュウに、レオン…トウガまで……実行部隊ほぼ全滅じゃないか……」
「……」
「…ディオもか。にてしても夢巨乳病…。夢の中で巨乳を求めて彷徨う…うーん、罹りたくはないな。惨めな姿になりそうだ…」
「「「「……おぱ」」」」
「…ッ!? 一斉に眼覚めたッ!?」
「「「「おぱ!」」」」
「!?」
「「「「おっぱおぱ!」」」」
「な、何だその踊りはッ!?」
「「「「おっぱおぱ!!」」」」
「や、止めてくれッ! 全員キャラ崩壊どころの騒ぎじゃないぞッッ!?!?」
「「「「おぱ、おぱおぱおっぱいぱい!!」」」」
「止めろ…っ、止めてくれッ! そんな踊り…ッ!!」
「「「「おっぱおぱおぱおっぱいぱい!!」」」」
「止めてくれっ、正気に戻るんだッ!!!!」
「おっぱい♪」
「ディオ! おいッ!」
「おっぱ♪」
「レオン!」
「おぱーっ!」
「セイシュウ!!」
「おっぱぱおっぱ」
「トウガッ!!」
「「「「おぱぁぁぁぁぁぁぁぁぁいッ」」」」
「駄目だこいつら、早く何とかしないと…ッ! くそ…ッ、俺に何が出来るッ!? どうすればお前達を…ッ!」
「「「「おぱぱぁぁぁぁぁぁぁぁいッ!!!!」
「…はっ!? そうか、予告だ! 予告でフィーとユリに場面を託せば…きっと…ッ! 『可憐な少女は歌を歌う、平和を謳いし街の中で。可憐な少女は踊りを踊る、刃を両手に躍り出す。可憐な少女は舞を舞う。深紅に光る、飛沫の中でーーー次回、撃退』…撃退出来ればなぁ…。っ、はっ!?」
「もみもみ」
「もみもみ?」
「もみもみ!」
「もみもみ!!」
「「「「もみもみッ!!!!」」」」
「何だよ…こっちに来ないでくれ……っ」
「「「「お」」」」
「おい…こっち来るな」
「「「「お、お」」」」
「こっち来るなって…ッ!」
「「「「お、お、お」」」」
「…!?」
「「「「お、お、お、お」」」」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッ!?!?」