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俺と彼女の異世界冒険記   作者: 仲遥悠
裏舞台編
374/411

映夢

 気が付くと、見知らぬ場所に居る。

 右も左も、上も下も見知らぬ景色で。だけどどこかで見たことあるような景色で。

 だけど、「自分」は知らない。背中に触れるマットレスの感触も、カーテンの色も、机等の家具も、そこに収められている書物の文字でさえも知らない。

 ここはーーーそう、見知らぬ異世界だ。それも、任務(ミッション)でも一度として足を運んだことのない。


「…ここ…どこですか……?」


 幾ら見渡しても分からない。


「…ここ……どこですか……?」


 分からない、分からない。


「…ぅぅ」


 分からず終いのままベッドを飛び出し、その勢いで見知らぬ私室を飛び出す。

 どこかの家の中を歩く足は彷徨い、出口を求める。階段を降り、すぐに見えた扉に手を掛ける。


「どうした?」


 すると、声を掛けられた。

 脱出を意識するあまり、誰かの家だというのに「誰か」が存在する可能性を思考の外に追いやっていた。

 突然の声に、思わず身体を震わせてしまった。

 だから、向こうからすれば不審な様子に映ったのは想像に難くない。端から見れば、自分は侵入者の状態なのだから。


「遅刻でもしたのか?」


 男の声。それも、かなり親し気な雰囲気を帯びている。

 本心からすれば、無視してでも出て行きたかった。しかし、


「…ううん。違い…ます」


 自然と身体が振り返っていた。

 意識した訳ではない。半ば反射的の動作であった。


「(え…?)」


 振り返った先に、声の主が立っている。

 誰だろうか。恐る恐ると視界を上げていくと、足からズボンへ、ズボンから上へと男の姿が明らかになっていく。


「(ぁ……)」


 その時。頭の中で、硝子にひびが入るような音がした。

 罅は入れば入る程、亀裂が繋がっていく。硝子の先に、「何か」があることを報せてくる。

 その先にあるのは、その先で眠っているのはーーー影、いや、面影だろうか。

 知ってるというのか。

 この声も、この姿も、自分は。


「(ぁぁ…っ)」


 自分は、知ってる。

 この人物を、とても良く。

 自分が知る人々の中で、一番知っている。


「(ぅ…っ)」


 胸が、苦しい。

 何かで摘まれているように締め付けられているようだ。

 しかしそれは、痛みではない。

 痛いのではない。とても、苦しいのだ。

 自分に問う。一体、この苦しみは何だというのか。どうしてこんなに苦しくなってしまうのか。

 だって、この人は。この人は、自分のーーー


「お、おいっ、どうした!?」


 自分のーーー


「…何でも…ないです。大丈夫です」


 胸を押さえながら、何が大丈夫だというのか。慌てて寄って来た男から距離を取るように、背後の扉に(もた)れるようにしながら自嘲する。

 慌てたように、とは男の声音や寄って来た時の慌ただしさから感じた印象だ。肝心の首から上を見る前に俯いてしまったのために、男の表情は分からない。

 自分で言っておいて、説得力などあるはずもない。事実、内心穏やかではなかった。


「(この人は…誰…?)」


 罅割れの音が、聞こえなくなる。

 思い出せない。いや、そもそも思い出せることなのかどうか。

 そもそも最初から記憶されていないことは、思い出すことが出来るはずもない。

 ーーーそう、自分は知らない。知らないはずなのに、「自分」の記憶には無いはずなのに、思い出そうとしている自分が居る。

 知りもしないものを、どうして思い出そうとするのか。こんなにも懸命に無駄な想起をするのは何故なのだろう。

 戸惑いが思考を支配しようとする。

 だがそれ以上に胸の内を支配したのは、安堵か。


「…本当か? 本当に大丈夫か?」


 どうしてなのか。説明が出来ない。

 この苦しさは、何だというのか。

 ただ、一つ。確かなものだと思えるのは、自分がこの苦しさを苦に感じていないことだった。

 苦しさが苦にならないとは、また良く分からないものであるが、つまり嫌ではない。寧ろこの苦しさを歓迎している本心が、安堵の源。


「大丈夫です…」


 動揺が、安堵に塗り替えられていく。

 まるで擦れていた感情という名のパズルのピースが、歯車が互いに噛み合ったように安堵と、別の何かが心を満たしていった。


「そう…か」


 俯いた視界の中に男の脚が見える。

 するともう一つ、安堵と共に芽生えた感情が胸を打つ。


「あ…っ」


 程無くして、頭に何かが乗せられる。

 少し硬くて、髪の上からでも温もりを感じるこの感触はーーー手か。


「…っ!?」


 再び聞こえる、罅の音。

 今度は早い。びしびしと、続け様に亀裂となる。

 何かが、身体の内で弾けた。

 いや、心の内といった方が正確か。


「(何…これ……っ)」


 まるで抑え切れない思いが、風船のように次々と膨れ上がっていくようだ。

 感情が、溢れ出す。


「ふわぁぁ…っ」


 思わず吐息が溢れる。

 自分自身でさえ驚くような、恍惚とした熱っぽさが息に混じっている。

 間違い無い。自分は、幸福を感じている。

 見知らぬはずの世界で、見知らぬはずの人に頭を撫でられこの上無い幸福を感じている。

 だが同時に、どこか懐かしさを感じていた。

 前。そう、そう遠くない以前にも似たようなことがあったようなーーー


「(…あ…れ…)」


 心当たりを思い出そうとすると、強い眠気を感じた。

 音は、また聞こえなくなった。


「おいおい、なんて声を出すんだ」


 視界が閉ざされていく。

 抗おうとしても、瞼が上がらなかった。

 せめて、声の主を一眼ーーーと考えた。だが、上がらぬ瞼と強まる眠気が立ちはだかる。

 望みは虚しくも、叶わなかった。












* * *


ーーーちゃん……え…ちゃん…。


 暗い世界に声が聞こえる。


ーーーちゃん、ちゃん。


 誰かが、誰かを呼んでいる。

 遠くから、誰かを呼ぶ声だ。


「…ぅ…ん…」


 声に促されるようにして、トレエは瞼を薄っすらと開ける。

 楕円状に広がった世界は、朝日が射し込み白く眩しい。


「(ここ…は……?)」


 いつも眼覚める場所とは、異なる場所。しかし世界の色が異なるだけで、全く見慣れない場所ではないと分かった。


「(…そう…でした。私…オルレアって人のベッドで…寝たのでした……?)」


 視界の右側に見知った人物を認めた。

 仄かに料理の香りを纏うメイド服に身を包み、特徴的な真紅の長髪を一つに纏めているのは、ジェシカだ。

 彼女を認識し初めて、トレエは先程までの光景が夢であったことを自覚した。


「私が、分かりますか?」


 言葉を切り、ジッと見詰めてくるジェシカの瞳は、真剣だ。瞳の色に、不安が見て取れた。

 何が彼女を不安にさせていたのだろうかと思いつつ、頷いたトレエは身体を起こす。

 ついでに傍に置いた丸眼鏡を掛けた。


「あぁ、トレエちゃん。良かった」


 するとジェシカに抱き締められた。


「良かった…です?」


 何も急に抱き付かなくても。

 困惑するトレエはされるがままになっていたが、ふと塩っぱさを感じた。

 ジェシカが泣いているのだと、最初は思った。だが、妙に頰が冷たく感じる。

 片方は温かいのだ。ジェシカの体温が感じられるために。しかし、それにしても冷たく感じる。

 トレエは冷感を感じる方ーーー左頬を指で触れてみた。


「そう、良かった…」


「…?」


 冷たい。正確には、冷たいものが伝っている。


「トレエちゃん。あなた、泣いていたのよ」


「ぇ…?」


 念のため指を舌に触れさせると、やはり塩っぱく感じた。

 泣いているのが自分だということに、この時気付いた。


「(でも…どうして)」


 自分の感情が、分からない。

 どうして泣いてしまったのか。涙自体は止まっているものの、疑問が生じる。


「悲しい夢でも…見たの?」


 気遣わし気なジェシカの問いに否定で返す。

 悲しい夢ではなかったように思える。

 温かくて、優しくて、胸が苦しくなるようなーーーそんな夢だった。


「そう…」


 ジェシカは言葉を切り、少し考える姿勢を取る。

 トレエが、気を遣ったのではないのかと考えたのだ。しかし彼女の表情からは、動揺が読み取れた。

 一番戸惑っているのは、彼女なのだろう。ならば、その訳を問うのは今ではない。落ち着いた頃に話してくれるのか、そもそも話したいことではないのかもしれないのだから。

 今はそっとしておくべきなのだろう。そっとしておくべきではあるのだが、それよりも優先させねばならない事項があった。

 元々ジェシカは、トレエを起こしに来たのだ。今現在の彼女の一日は、この家で行う「とあること」から始まるのである。それを済まさないと、その後の予定に支障が生じるのだ。

 普段からそうであるのだが、ジェシカは一つの確信を抱いていた。

 今日は、今後のことを考える上で重要な一日なのだ。


「分かりました。では」


 トレエから離れたジェシカは、彼女に聞かせるように手を叩く。


「ご飯、食べましょっか」


 待っていた、とばかりにトレエの腹が声を上げた。












 トレエが寝ていた部屋は、『シリュエージュ城』の中庭に建つアンナの家の二階である。

 ジェシカと共に木造りの階段を降りた一階では、料理の香りが立ち込めていた。


「起きたか。良く眠れたようだな」


「はい。眠れ…ました」


 アンナは既に起床し、席に座っていた。

 それまでは机の上に並べられた朝食を見詰めていたので、どうやら食事が待ち遠しかったようだ。

 席に座るように促されたが、トレエは少し悩んでしまう。


「昨日の疲れも取れたようで幸いだ。良し、まずは食事だ」


 というのも、整容の話である。

 起きてすぐ食卓に直行というのは、どうなのだろうか。自らの寝間着姿を見下ろして小さな溜息を吐く。


「(…本当は着替えたいけど…)」


 アンナが、今か今かと食事を待っている様子が腕を引く。

 「大丈夫です。気にしないで」。隣に立つジェシカの耳打ちに、トレエは首を傾げた。言葉の意味を捉えあぐねたのだ。

 これは、どちらの意味での「大丈夫」なのだろうか。洗面所へ先に行っても問題無いということなのか。それとも、先に食卓に着いても問題無いということなのか。


「さ、冷めない内に食べるぞ。良いな、ジェシカ」


 銀食器に手を伸ばすアンナ。

 待ち切れないあまりに、とうとう行動に出ようとしている。


「その前に」


 しかし、彼女に対しての許可は下りなかった。

 ピタリと動作を止めたアンナからの抗議の視線に、調理者としてこの場を支配しているジェシカは対峙した。


「洗面の時間ぐらい取り計らってください。女性なんですから、身嗜みを整える必要性ぐらいお分かりになるでしょう?」


 毅然とした態度の背中に、母親の背中が見えた。


「…分かった」


 項垂れるアンナの背中に見えたのは、食事をお預けにされた子どもの姿か。

 立場は関係無い。食事の場では、誰もが平等であった。


「失礼…します」


 トレエは急いで洗面所に向かう。

 顔を洗い、髪を櫛で梳いて、ゴムで後ろを縛って二人の下へ。

 許可を貰えたとはいえ、待たせているのだ。身形を整えるのに時間は掛けなかった。


「…終わりました」


 アンナだけではなく、ジェシカも席に座っていために早歩きで着席する。


「…それでは、お願い出来ますね?」


「…ぐ…ぐぐ」


 トレエが整容している間、二人は何やら話をしていたようだ。

 ほんの少しの間席を外していたのに、アンナの顔色が海のように青くなっていた。


「…?」


 血の気が引いているのは、食事を待たせ過ぎたためかもしれない。

 空腹のあまり、顔が青くーーーとも考えられたが、何となく違う気がした。

 ならば、空腹ではなく交わされていたであろう会話が関係しているのかもしれない。

 何の話をしていたのだろうか。アンナの表情から、彼女にとって良くないことであることが読み取れた。


「あぁ、いや…。こっちの話だ」


 疑問符を浮かべるトレエの視線に気付いたアンナは、バツの悪そうに眼を泳がせる。

 その視線の先に座るジェシカは、ニッコリと笑っていた。


「それよりも、良いな。ジェシカ」


「はい。どうぞ召し上がれ」


 朝食が始まった。

 待っていたとばかりに食べ出していくアンナは、どこか現実逃避をしているに見えた。


「うん、美味うま美味うま…」


 チラリとジェシカを一瞥するアンナ。


「……」


 ジェシカは笑顔で返した。


「美味、美味…」


 チラリチラリと二度見するアンナ。


「……」


 ジェシカは食事を堪能している。


「…なぁジェシカ。美味いと連呼しながら、料理をそれはそれは美味しそうに食べる私って、どう思う」


 何かに媚びているらしいアンナ。


「はい?」


「いや、だから…」


「は、い?」


「…。いや、何でもない…」


 ジェシカはバッサリと切り捨てた。


「(…ぅぅぅ)」


 確かに、返答に困る質問であった。

 一連の流れを傍観するトレエからすれば、得体の知れない恐怖の光景である。

 一体何があったのか。簡単な疑問であるが口には出せず、トレエは料理と一緒に呑み込んでしまう。


「…。美味、美味……」


 それから、アンナは食事に集中するようになった。

 鳶色の瞳には、光が灯っていない。まるで、死んだ魚のような暗さが揺らめいている。


「(恐いです…っ)」


 何故だろうか。

 トレエはその遣り取りに、どうにも嫌な予感を覚えるのを禁じ得なかった。

 穏やかな朝の始まりである朝食の時間。そのあまりの物騒さに、少女は料理の味を忘れていくのであった。

「んー♪ 美味しいじゃない♪ 幸せ♪」


「…良く食べるな」


「お腹空いていたもの、当然じゃない。そう言うあなたも沢山食べてると思うのだけど」


「…そりゃあ、男だからな。食べて当然だろう」


「…。食堂の料理、私の料理よりも食べてない?」


「まさか。フィーが作る料理の方が食べてるから、絶対」


「…。ふふっ」


「…言わせたかっただけだろう」


「当たり♪」


「はぁ…分かり切ったことを」


「分かり切ったことでも、言ってほしいのよ?」


「それじゃ、俺が普段から言ってないみたいじゃないかあむっ!?」


「隙あり」


「…んぐ、んぐ」


「ふふ、小動物みたいで可愛いわ♪」


「あのな…一瞬だが咽せかけたぞ」


「そんなヘマはしないわよ。でも、あなたは少しヘマしてるみたい」


「…?」


「ほら…。ほっぺにご飯付いてる」


「ん…どっちだ?」


「こっちよ。ほら…貰い♪」


「…楽しんでるな」


「楽しんでないと思う?」


「楽しめない訳ないだろう?」


「良く分かっているじゃない。えぇ、その通りよ」


「…ま、楽しい時間は続いてほしいもんだよなぁ」


「……」


「…そこまでして、ユリの所に行かせたくないか? って!? 抓るなよっ」


「……。今は、私とのデートでしょ? 良いじゃない、あの子のことは」


「…何か今日のお前、らしくない。(…悪いが、心…覗いてみるか)」


「あなたと一緒に居る時間が、一番私らしい時間だと思っているけど。(だって…ユリの所に行ったら、あの良く分からない流行病の実験台にされちゃうじゃない。そんなの私…嫌……)」


「(成程…な)」


「ちょっと待って、今まさか…!?」


「心配してくれて、ありがとな」


「……覗いたのね。酷い人」


「でも、好きだろ?」


「そうよっ、だから…嫌……」


「…。大丈夫だ、流行病だか何だか知らんが、病なんかに負ける俺じゃない。信じてくれ…な?」


「……ズルい。そんな言い方ズルいわよ…。だって…あなたのことは誰よりも……」


「はは、ありがとな」


「…本当に、大丈夫なのね?」


「信じろ。『契り』をした仲だろ?」


「…はぁ。分かったわ」


「良し、じゃあそうと決まったら…!」


「ちょっとっ。そんなにがっつくと…!」


「ごほっ!?」


「あぁぁぁ…。締まらないわね……」


「ごほっ…ははっ、悪い。予告言わないとって思ったらな」


「…あぁ、忘れてたわ。ここ、本編じゃなかったわね」


「当たり前だろう。そもそも時系列が分からん…が、予告の尺がヤバいのは分かるな」


「…尺取って、悪いとは思ってる」


「うん、よろしい。じゃああっちにも謝って」


「…尺取って、ごめんなさい」


「うんうん、じゃあこっちにも」


「尺取って…ごめんなさい……」


「良い感じだ、じゃあそっちにも」


「尺取ってごめんなさいっっ」


「じゃあ予告だ。『想いが解けて弾け飛ぶ。日々抑えた想いが紡ぐは喜びの表出。思いが解けて弾け飛ぶ。日々堪えた思いが紡ぐは怒りの表出。重いが解けて弾け飛ぶ。日々積まれる重いは、多数の書類ーーー次回、苦行』…喜怒哀楽…か。今の俺の感情は、楽しいってヤツだな。フィーは?」


「…喜怒快楽ってことかしら。感情の表出を今晩にでもお願いしたいわ」


「……。考えとく」


「期待してるわ♡」


「…あぁ」


「大丈夫なんでしょ? 尺取りご主人様」


「ぐ…あ、アレだ。似た者同士ってことで」


「似た者夫婦ってことね♪」


「…はいはい」

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