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俺と彼女の異世界冒険記   作者: 仲遥悠
裏舞台編
361/411

菓子

 ジェシカは紅茶を淹れに退室した。

 ヨハンは彼女に、「記録書の無事を確認せよ」というディー宛の伝言を頼んだ。

 彼女に付いて行こうとしたトレエだったが、待つように言われて部屋に残り、現在はヨハンとの二人切り。

 紅茶を飲むということで、腰を落ち着ける場所が必要だったのだがここは執務室。残念なことに椅子も机も一セットしかない。

 少女に立ちっ放しを強いることが憚られたヨハンは、最初に部屋の移動を提案した。しかし少女はそれを拒んだ。

 ならばとヨハンは、自分がいつも座っている椅子を勧めた。

 座り心地が良いような素材で作られた椅子だ。少々少女には高めの椅子ではあるが、立たせるよりはマシだと考えた。

 しかし少女は、それも拒んだ。

 城主で、自らも身を置く『組織』のトップとも呼べる人物の椅子を座れるものか。少女の立場を考えれば頷ける話なのだが、ヨハンは心の底から困ってしまった。


「…おじさん…座ってください」


 誰にも座られない椅子が勿体無いと思った訳ではないのだが、少女の気遣いを無駄には出来なかった。

 ヨハンは徐に椅子に腰掛けた。トレエは机を挟んで、ヨハンの前に立つ。


「立っていて辛くはないのか」


「…良いです。…おじさんの椅子…です」


 どうあっても座るつもりはないらしい。少女の態度から理解したヨハンは折れ、それ以上の問答を止める。


「…そうか。なら、菓子はどうだ」


 代わりに、立ち続けの状態から気を逸らせるように別の提案をする。

 ヨハンが指で示した方向には本棚が置かれてあり、棚の下の引き出しには気分転換用にとジェシカが購入してきた保存に長けた甘味が収納されているのだ。


「…!! …そんな…大丈夫…です」


 菓子と聞いたトレエの眼の色が、少し変わった。

 口では否定をしているが、その瞳は確かな期待に満ちている。


「構わん。引き出しを開けて、中から好きな物を選ぶと良い」


 ヨハンは言葉でトレエの背中を押す。

 思わぬ食い付きの良さだった。

 そんな反応をされると、より一層期待に応えたいと思えるもの。思わず「好きなだけ」という言葉を「選ぶと良い」の前に挿れてしまいそうになったが、そこは自制する。

 好きな物を好きなだけ。相手に判断を任せられると、選択する側としては往々にして困惑してしまうものなのである。


「…分かり…ました」


 トレエはどこか申し訳無さそうに、それでいて表情の片隅に嬉しさを滲ませながら、引き出しの下へと向かう。そして、中を確認した。

 引き出しの下に向かっている時の足取りは、彼女が不安を抱いているであろう様子を訴えてくるものだったが、これがいざ引き出しの中身確認となると、中々に迷いの無い動作であった。


「(…実力はあり、性格は臆病とも取れる内気なようだが、中身はやはり年頃の少女か)」


 中身を吟味している少女の姿を見てふと思う。

 あの年頃の少女は、どのような菓子を好むのだったか。似たようなことを教師時代に悩んだ記憶があるような、ないような。

 悩み抜いた末に、菓子専門の雑誌まで購入した記憶も、あるようなないような。

 思い出そうとする記憶の断片は、人生という流れの中に埋もれたまま浮かんでこない。どうやら、ど忘れしてしまったようだ。


「(…歳か)」


 どの道ふとした時に思い出せるような気がしたので、ヨハンは想起を断念する。

 自身の記憶の中から意識を現実へと戻した彼の前に、何かを握り締めているトレエが歩いて来た。


「…これに…します」


 持ち上げ、徐に開かれた指の間から小さな包装紙が覗く。


「…それで良いのか?」


 小さな掌の上に載っていたのは、ヨハンの予想を外れた菓子ーーー煎茶味の飴であった。

 ヨハンも好んで舐める飴だ。口の中で広がる、仄かに苦く深みのある味が、何とも味わい深いのである。


「…これで良いの…です」


 トレエは頷く。

 しかしヨハンは、少女が好むような味ではないような気がした。どう表現したものか考える彼の脳裏に、とある言葉が浮かぶ。


「(…歳頃の娘らしくない)」


 それは素朴な感想だ。

 トレエが選んだ飴は、十五歳という歳を考えると中々渋いチョイスといえる。


「(いや…これが今時の少女の好みなのか?)」


 そう予想はしたが、どうも腑に落ちない。どうしても、チョイスが少女の好みとは思えない。


「…?」


 そういえば、とヨハンは少女の瞳を見る。

 心なしか、先程よりも喜びの色が薄いように見えるように思える。

 本当に食べたい甘味を選んでいるのだろうか。そうは思えない表情をしているような気がする。


「本当に良いのか」


「……良い…です」


 やはり、妙に口籠っているような気が、しなくもない。


「ふむ」


 もしかしたら。そんな思い付きがヨハンを駆り立てる。

 一つ頷いた男は立ち上がると、足先を引き出しへと向ける。


「‘ぁ…’」


 トレエが小さな声を上げた。

 それは吐息のようなものに近く、音になるかならないかの声であったが、確かに聞こえた。

 何かある。そう考えたヨハンは迷わず引き出しを引く。


「…む」


 引き出しの中身。そこには、多くの菓子が入っている。

 煎餅、あられ、飴等、それはそれはバリエーションに富んだ菓子類が入っていた。入っていたのだが。


「(…少し、趣味が古風か)」


 少女に選ばせるには、少し渋いバリエーションに富んでいた。

 ならばと、ヨハンは隣の引き出しに手を掛ける。

 引き出すと、中には隣の引き出しとは趣のかなり異なる菓子類が入っている。


「こっちから選ぶと良い」


 ヨハンは丸く小さな包装紙が多く入っている袋を見せる。

 その包装紙の一つ一つは、可愛らしい動物のマークが入っていたり、はたまた星やハートの可愛らしいシールでデコレーションされている。とてもヨハンが持つには似合わない印象を受ける袋だった。


「…!」


 トレエの眼の色が、変わった。

 その色は、先程のような喜びを感じさせる色と類似しているものだ。

 小幅な、しかし軽やかさを思わせる足取りで近付いて来た彼女は引き出しの中を覗き込む。


「‘わぁ…♪’」


 そして小さな歓声を上げた。

 彼女が期待していたのは、こういった可愛らしい菓子なのだろう。そう容易に察せるだけの好反応を少女は示してくれていた。


「(良い表情をしているな。…あげる甲斐もある)」


 少女は遠慮がちな気配を漂わせているが、食べたい物を一つ一つ吟味しているらしく視線には遠慮が無い。


「凄い…です。中身は何が入っているん…です…?」


 トレエは引き出しの中に、びっしりと収納されている菓子袋の一つを手に取り、ヨハンに見せる。

 淡い桜色が特徴的な、可愛らしい袋だ。袋は透けるデザインをしていないので、中身は見えない。


「開けてみればどうだ」


 透けもしないものを眺めたところで、中身が分かる訳ではない。どうせなら、出来るだけ喜んでもらった方が良いのだ。

 見上げてくる少女に、ヨハンは他の菓子の袋を眺めながら促す。

 こうして見てみると、一見しただけでは中身の見えない袋ばかりだ。いっそのこと、一つ一つ開けさせてみるのもちょっとしたサプライズ感覚があるかもしれない。


「(…サプライズ。オルナも、好きだったか)」


 ーーーそう。昔、娘の誕生日に試したことがあった。

 懐かしき日を思い出すヨハンが浮かべた笑みは、どこか影を落としていた。


「良いん…です?」


 少女の瞳から放たれている輝きが、影を照らす。

 落ちていた影は、輝きに包まれて薄れていく。

 そうだ。少女と娘は無関係だ。下手を打って怯えさせてしまったら、また振り出しに戻ってしまう。

 輝きを見詰め、ヨハンは即答した。


「構わん」


 トレエは、さらに眼を輝かせた。

 前髪の隙間から、爛々とした好奇心が覗いている。まるで瞳の中で星が輝いているような眼差しだ。

 嬉しそうに袋を結んでいた紐を解いたトレエは、中身を覗き込む。

 そして顔を上げると。


「これに…します!」


 頬を上気させてヨハンを見詰めた。

 どうやら中身が気に入ったようで、見上げる表情は控えめとはいえ、この日一番の笑顔だ。


「良いだろう」


「ありがと…です!」


 トレエは早速袋の中に手を入れた。

 中を探ること数秒後。袋から出てきた彼女の手には、飴二個分の大きさのクッキーが載っていた。


「わぁ…♪」


 淡い桜色が特徴の、子犬を模したクッキーだ。色からも察せられたように、仄かな桜が香ってくる。

 桜味のクッキー、といったところだろうか。眼にも鮮やかで、愛らしい見た目は少女の心を掴んで離さない。


「美味いか」


「…です!」


 トレエの喜ぶ反応に満足しつつ、ヨハンは椅子に戻る。

 業務は盛り沢山だ。特に有事の際でもなければ、放置することが出来ない。業務なんて出来れば無視したいの山々だが、そんな時に限って重要な報告書が入っていたりする。そしてこれが、中々の確率で起きたりするのだ。

 しかし、莫大ともいえる量であるものの、真面目にやっていれば昼を少し過ぎたくらいに終わることもしばしばある。そんな時に決まって、ヨハンはジェシカを連れて街を歩いたりするのだ。

 それは、仕事が終わった後だからこそ出来る夫婦の息抜きだ。無論、業務中にも息抜きはあったりするのだが。


「(幸い、今日の書類は少ない…か)」


 早く終わらせることは、出来そうだ。量としては、今から急いでも夕方には終わりそうである。

 ヨハンは短く息を吐くと、万年筆を手に取った。


「…さくっ」


 ぽり、ぽり、ぽり。

 トレエがクッキーを食べているらしい音が聞こえた。

 固過ぎず、柔らか過ぎず、そんな丁度良さが分かる音だ。

 そして、桜の香りもした。

 甘く、それでいて心を和ませる香りだ。


「(…桜か)」


 桜。鮮やかな、桜。

 音と香りを楽しみながら筆を走らせるヨハンの脳裏に、桜の景色が浮かぶ。


「(…風流だ)」


 浮かぶ幻を風流と呼ぶは、これいかに。


「…さくっ」


 美しい桜雲。そんな景色を、ジェシカと歩きたい。

 他には誰が良いだろうか。あぁ、ジェシカなら、オルレアを呼ぶことを提案しそうだ。

 桜と同じ色の瞳を持つ少女。彼女は今、どこに居るのだろうか。

 元帥直属の部下である彼女は、本来あまり表舞台には出て来ない立場にある。身を置いているであろう場所は分かるのだが、少なくともそれはここではない。

 元帥当人が居るのだから、この城に滞在しても良いとは思うのだが。元帥曰く別行動が基本らしい。そのためここでの別れ以来、直接姿を見たことはない。

  また元帥は、こうも言った。「唯一の部下は、私に何かがあった時のための切り札。だから、部下の存在は元々、私と大元帥しか知らない」と。もう片方の元帥にすら知らされない影での繋がりは、元帥が最も信頼を置く者の証であり、同時にもう一つーーー別の意味も成しているのだとか。

 確かに言われてみれば。元帥『剣聖の乙女』こと、ジャンヌベルゼ・アンナ・クアシエトールは、必要以上に誰かと親なるような女ではない。一定の交友関係を築きはするが、それまでだ。

 しかし、それがオルレアのこととなると、話は別となる。

 がさつで、男勝りで。性格的には、あまり女らしくないアンナだが、オルレアに対しては不思議な視線を向ける。

 あれは、優しく、見守るような視線だ。他の者に向ける視線とは、込められている温かみが違った。アンナとオルレアの間には、見えないが強い繋がりがある。そう感じさせられるような雰囲気があったのだ。

 だがそれも、最初からそうであった訳ではないはず。きっとオルレアの人となりや実力が、アンナの心を開いたのだろう。少女にはそれだけの「何か」があるのだ。

 あれから少し時が流れたが、彼女は今頃どうしているのだろうか。桜の幻にオルレアの姿を探して、ヨハンが手を止めたその時。


「失礼します」


 扉が開いてジェシカが入って来るのだった。

「…ただいまー」




「…くんくん。お酒臭い。…昼なのに」




「…匂いの元は、ここにある饅頭。…この饅頭…凄く…濃ゆい。…きっと、つよいおさけ…っく」




「…なに…これ…においだけで……せかいが…ぐるぐる…」




「…ここにいたら…だめ…。に、げ…な……うっぷ」




「…ぅぅぅ……」


「予告予告~と…あ、副隊長。顔色が悪いけど…どうしたんですか?」


「…るくせんと……くぅん」


「よこ、え…副隊長?」


「…ちょっと…そこ…どいて……」


「え? 今日はここで予告を読まなければならない気がしたんだけど…」


「…ぅ…よ、こ、く…?」


「そうそう、予告。『平和は長く、続かないもの。続かないから大切で。平和は長く、続かないもの。続かないから、持続を信じる。平和は長く、続かないもの。続こうとすると、いつもーーー次回、不吉』…確かに。何か、嫌な予感がするような……」


「ぅぅ…もぅ…限界……」


「…え?」

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