困惑
暗闇の中に、光が煌めく。
地を踏み締めた先に、魔法陣が展開している。
「…ッ!」
アンナは素早く身体を切り返し、刃を振るう。
剣から伝わる手応えを頼りに、腕に力を込めて連続で振り抜く。
「ハァァッッ!!!!」
乱舞、乱舞、乱舞。
血飛沫が舞い上がり、血風が吹き荒れる。
双剣を手にしたアンナには、並大抵の実力が及びもしない。格下と思われる魔物達に、彼女は圧倒的な実力を遺憾無く発揮していた。
剣が、魔法が、闘気が、彼女を中心として全てをなぎ倒していた。
疲労をある。心労も、ある。
だが、負けられない理由があった。
「覚悟を決めろ…ッ」
アンナは一度距離を取ると、握る得物を静かに納刀する。彼女が腰を少し落とすと、次の瞬間その身体が消えた。
光が走る。
暗闇を切り裂く一筋は、地を滑り軌跡を描く。
瞬きにも満たない時間の後、右手の刃を振り抜いた状態で姿を現したアンナは、徐に剣を鞘へと戻す。
「消えろッッ!!!!」
アンナの背後で、裂かれた魔物の胴体が舞い飛ぶ。
軌跡が描く、星の形。それは、彼女が刃と共に駆け抜けた跡であった。
「チッ…まだか」
しかし、多くの魔物を斬り裂いてもなお、アンナの敵は数を減らさない。
舌打ちと共に向き直った彼女は、静かに剣に手を伸ばす。
全ての静けさは、彼女の内に宿る怒りを高める要因でしかない。
倒しても倒してもキリがない魔物達を前に、アンナは叫ぶ。
「まだ立ち塞がるか、私の前にッ!!」
魔物は前方の視界を埋め尽くすように犇いている。
一刀で斬り伏せられる程度には強靭な魔物が居ないが、それは一匹単位でのこと。
延々と湧いてくる魔物。しかし背後は壁と、もう動くことのないカザイ。
退くことは出来ない。数に押されたぐらいで退いては、「元帥」という階級と、『剣聖の乙女』の二つ名が泣いてしまう。
そして何より、ここで退いてはカザイの亡骸はーーー魔物の餌食となるかもしれない。
そんな予測にアンナは、嫌悪感を覚えていた。
胸に抱く罪悪感がそうさせるのか。分からないが、もう動けないカザイをこのままにはしておけないと、彼女の中で叫ぶ声があった。
「ッ…!!」
だからーーー剣を取る。刃を向ける。武器を取る心を、憤怒に塗れさせて。
「良いだろう、斬り伏せてやるッッ!!!!」
殺した男の亡骸を守ろうと、終わりの見えない戦いの中で、アンナは踊り続けるのだった。
* * *
探し人は、探す前から部屋に隠れていた。
いつから隠れていたのか。それを考え始めると、取り敢えず自身が座っていた時には居なかったはずーーーと、ヨハンは推測した。
「(…居なかった…はずだ)」
だが妙に確信が持てない。
ジェシカの背後に身を隠している少女は、ディーの話の通り存在感の薄い印象を受ける。
それはまるで、意識を向けていないと空気の中に溶けていってしまいそうな程だ。だから、意識を向けないと認識出来ないようなーーー意識を向かせないように動かれてしまえば、延々と隠れることを許してしまうような、そんな存在感の薄さだ。
だから、もし自分が執務机に向き合っていた時から机の裏に隠れていたのだとすればーーー
「(俺は十五の少女を足下に隠しながら執務を……)」
あまり、考えたくない絵面だ。
ヨハンはそこで、思考を打ち切ることにした。
「紹介にするんだな、ヨハン。彼女こそが我が部隊の新人、トレエ・ドゥフト中尉だ~。…ドゥフト中尉、彼がここに来る前話した友人、ヨハン・ピースハート大将閣下だ~」
ディーの紹介に、十五の少女は恥ずかしそうに俯く。
青味がかった灰色の髪。チラリと覗いていた瞳は、蒼。地味な印象を受けるが、同時に顔が整っていそうな印象も受ける。
ディーの言う通り、将来が有望そうだ。
「トレエ・ドゥフト…です……」
小さな声だが、耳聞こえの良い声だ。俯きながらであっても、彼女の声は良く聞こえた。
「ヨハン・ピースハートだ。先の戦いでは妻を助けてくれて、感謝する」
忘れない内に、少女に礼を述べて手を差し出す。
感謝の握手だ。それは同時に、友好の感情を示している。
「まぁ…」
ヨハンなりに親しみ易いよう配慮したつもりであった。しかし、
「…恥ずかしい…です」
トレエはそう言うと、完全にジェシカの背後に隠れてしまう。
ヨハンの手は、誰にも掴まれないまま宙に留まることに。
「……」
その視線は、困惑に彩られながらジェシカを見詰める。
どうすれば良いのか、あまり経験が無いために見当が付かなかった。
「恥ずかしい? トレエちゃん」
その何ともいえない視線を受け、ジェシカはトレエを見詰める。
「…怖い…です」
左隣の少女も、困惑気味の瞳を向けてきた。
自身に注がれる、二方向からの似たような視線。それがあまりに似通っているため、ジェシカも少し困ってしまう。
どちらも、相手に接しあぐねているといったところか。
「そう…」
さて、どうしたものか。
思案するジェシカの中で、一つ浮かんできた案があった。
「‘この人は、顔こそ少し怖いかもしれないけど、とっても優しい人なのよ’」
彼女は、トレエの耳元に口を寄せた。
そして、聞こえ易いよう口元に右手を添えて、優しく言い聞かせるようにトレエに囁く。
「‘この前もね、オルレアちゃんって言うトレエちゃんと同い年の女の子と仲良くなってね? 一緒に買物とか、喫茶店でケーキを食べたりしたの。だから、見た目程、怖い人じゃないわよ’」
少女は直後、キョトンとしていた。
その瞳が、数度の瞬きの後に見開かれる。
「…面白いおじさん…です」
少しだけ、勇気が出たようだ。
首から上が、ジェシカの後ろから見えるように。
「(面白いおじさん…)」
ヨハンは、何とも複雑な心境になる。
少女との年齢差を鑑みれば、おじさん呼びされても当然の歳だ。しかし、しかしだ。釈然としないものがある。
「(このまま、続けても?)」
ジェシカから、少女の反応を受けてのアイコンタクトが送られてくる。
僅かな間の交錯。そこに時は要らず、必要な言葉だけが届けられる。
「(…構わん)」
許可を受け、ジェシカは言葉を続ける。
「‘そう。面白い人なの。オルレアちゃんと一緒に居る時なんか、親子に見えちゃうぐらいに気に掛けてばかりな優しい人で、わざわざ揚げ物パーティのために城主としての仕事を全て後回しにしちゃったり…なんてこともありました’」
「え、あ~の時仕事終わらせてなかったのかい!? 珍しい!」
驚く声を上げたのは、ディー。
ヨハンやジェシカと同じようにパーティに参加した彼は、友人が業務を終わらせてから参加したものだとばかり思っていたのだ。
ヨハンの業務量は、今や他の部隊長の追随を許さない程のもの。『剣聖の乙女』の代理とはいえ、『組織』を一時的に纏め上げている以上それは仕方が無い。
また、それだけではない。彼はこの『シリュエージュ城』の城主としてこの地方を治めている立場にもある。そのため、当日分の業務を終わらせておかないと、次の日の業務に影響が出る恐れがあるのだ。というか、多くの関係者に間違い無く迷惑が掛かる。
それを知っているからこそ、例えばパーティの次の日の朝に酔い潰れていたヨハンの行動に驚いたのだ。
「っ!?」
そんなディーの声に、トレエがビクンと驚きジェシカの後ろに隠れてしまう。
折角身体半分が出ていたというのに、また首から上のみに。これではジェシカの説得が台無しだ。
「ディーさん、少しお静かに」
声音の冷えたジェシカの声が、ヨハンとディーの耳を冷ます。
ディーだけではなく、ヨハンの肝までも微かに冷やしたのは、それが彼女の怒っている声であると知っているからだ。
「……」
ディーは、口を開いたまま固まった。そしてそのまま、無言で捕虜を引き摺りながら部屋を出て行った。
居た堪れなかったのだろう。静かな退場であった。
何とも形容し難い空気に包まれた室内。
「そう!」
微妙な静寂を打ち破ったのは、ジェシカが手を叩く音だ。
「パーティに誘われて、オルレアちゃんの体調が心配だからって仕事後回しにしちゃうぐらい優しい人なのよ!」
「…優しいおじさんです」
トレエの身体半分がまた見えるように。
「‘そう! ちょっとだけ怖い雰囲気はあるけど、優しい人だから色んな子ども達にも人気のある人だったの’」
「…子ども達に…?」
トレエはそう言うと、少しだけ頬を膨らませる。
「…私…子どもじゃない…です」
どうやら軽く機嫌を損ねてしまったようだ。
子どもに限って、自分は子どもではないと主張するもの。
その理由が何とも微笑ましいものだから、思わずジェシカは頭に手を伸ばしてしまう。
「…?」
キョトンとするトレエ。
そのあどけない表情を向けられ我に返ると、ジェシカはそこでようやく自分が少女の頭に手を伸ばしていることに気付いた。
「あっ…ごめんなさいね」
手を引くと、「…びっくりしたけど…大丈夫…です」と返事が。
そんな少女の姿は、とうとうジェシカに隠れない位置にあった。
「…おじさんは…子ども達に好かれてた…。…でも…色んな子ども達は…ここに居ない…です。子ども達はどこに…行ったのですか?」
撫でられたためか、説得を重ねたためか、はたまたそのどちらでもあってどちらでもないのかもしれないが、少女の口数は増えた。
後もう一押し。そこでジェシカは、少女の疑問に答える形で一つ、一押しとなる言葉を告げる。
「あの人はね、元々学校の先生だったから」
「…!」
少女の瞳が、この日一番に見開かれた。
明らかに驚いた様子が伝わってきたのを見て、ジェシカは確かな手応えを感じていた。
「…学校…!」
十五歳の少女にとって、魅力ある言葉だったのだろう。トレエはジェシカから離れようとして一瞬躊躇うも、胸に当てた手を、グッと握り締める。
握り締めたのは小さな手だけではない。小さな掌の中には、小さな小さな勇気が輝いている。
「おじさん、先生だったのですか…?」
強い興味を抱いたらしい少女は、意を決したようにヨハンの下へと向かった。
「…あぁ、三十年以上前のことだが、そこのディーの前任をしていた」
ヨハンは肯定する。
実は、大将としてこの城に着任するより以前。彼は『ティンリエット学園』で教鞭を執っていた過去があった。
「…そう…ですか…!!」
大将ヨハンの過去。
聞く者が聞けば、驚くような過去だ。しかしヨハンのことを、大将から教師へと見方を変えた結果から、トレエには効果的であったようだ。
「…大将さんは…優しいおじさん先生…です」
「…改めて、礼を言う」
勇気を振り絞って自らの下へと歩いて来てくれた少女に、ヨハンは手を差し出す。
一度隠れられたといって、差し出すのを止めないのは彼なりの意地ーーーそれと、誠意だ。
「…いえいえ…です」
少女の手が、ヨハンの手に触れた。
控えめに触れた手を軽く握ると、少女の手がピクリと動く。
そのまま手を引っ込めてしまうのかーーーとは思いはしたが、少女が手を離すことはなかった。
「…ジェシカさんを…おじさん先生の大切な人を助けられて…良かったのです」
見上げてくる少女は、瞳にヨハンを映している。
まっすぐとした瞳。その裏に、何かの決意を滲ませているような光を湛えている。
守りたい「何か」がある瞳だ。ヨハンはそう直感した。それが何かまでは分からないが、この瞳の光が失われない限り、少女は強くなっていく。そんな未来を垣間見たような気がして、瞳が宿す可能性に友人も抱いたであろう思いを抱く。
そして同時に、
「(もう…おじさんで構わん)」
少女による自分の呼ばれ方に、諦めの気持ちも抱くのだった。
「…ん? この匂いは……」
「…弓弦様、口を開けて下さい」
「………。おい風音、お前…少し酒臭いぞ」
「あらあら、そんなことは御座いません。大丈夫です。御気になさらず」
「…全然大丈夫じゃなさそうだが。それにこの茶請け…酒がふんだんに入っていないか?」
「はい。御酒を少々混ぜて作りましたよ」
「…少々どころの香りじゃない。ザ、酒って感じがするん…だ、が。人が話している間に口の中に入れようとするんじゃない」
「はい? 別にその様なことはしていませんが」
「あー…(そうだった。風音は酔うと、言っていることとやっていることがあべこべになるタイプだったな)…。酒はどんな酒を使ったんだ? 随分と濃そうな酒の香りだが」
「はい…ええと、スピリッタース…と言う酒なのですが、御存知ですか?」
「(『スピリットータス』か…。おいおい)…知っているが、どうしてそんな酒を」
「特に深い理由は御座いません。お店で偶然視界に入ったものですから、思わず手が伸びていました」
「(…で、茶請け作りのために蓋を開けたら香ってきたアルコールで、コイツは酔った…と。)これ、度数96だぞ? 殆どアルコールの塊だし…調理には適さないと思うが」
「良いではありませんか。弓弦様とて、たまに料理で冒険をされることがありましたし」
「まぁそうだが。(今回の風音の場合、随分と突拍子が無いんだよな。…何か裏がありそうだ)…」
「新作の茶請けですが…召し上がられないのでしたら残念です。最初は是非とも弓弦様に召し上がってもらいたかったのですが…」
「…(そう言われると、なぁ。弱いよなぁ…。)分かったむぐっ」
「では…これは私が一人で戴くとします」
「(俺が今食べさせられてるんだがっ!?) むぐっはぐっ!? うぉっ!?」
「では、戴きます」
「(こ、これは…ぁっ!? アルコールとアルコールが異世界クオリティで化学反応して、えげつないことに…っっ!?!? マズい、このままじゃ、意識…が…!?) むぐっふごっ、ぐぼっ!?」
「あらあら、中々の御味。美味で御座います♪」
「…がくっ。(く…そ…)」
「…弓弦様? どうされましたか!? …大変です、フィーナ様の下で癒してもらわないと…!!」
「(…何故…そこで…自分の布団を敷く……だ、駄目だ…もう…げん…か…い……)」
「…はっ。予告をしなければなりませんね。『男は困る。悩んで答えを見付け出す。男は困る。他に手立てを探し出す。少女に困る。自らの内で、見出した答えはーーー次回、菓子』…弓弦様が御気に召される物を作れず、私は悲しゅう御座います…よよよ……」
「……ぐぅ…」
「……くぅ…」
「「Zzz……」」