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俺と彼女の異世界冒険記   作者: 仲遥悠
裏舞台編
357/411

刹那

 おかしい。

 おかしい、おかしい。

 おかしいと思っている自分が居る。しかし、おかしくないと叫んでいる自分も居る。

 真実は分からない。二つの思いが鬩ぎ合っている。だが何よりも分からないのは、背後で死んだ男の思惑。

 何故むざむざと死んだのか。一つしかない生命を、あからさまに浪費する行為だ。そうまでして、何をしたかったのか。これも分からない。

 真実が分からない。何故大元帥を殺めたのか、敵対する姿勢を取ったのかーーーそれを何一つとして男は語らなかった。そして、そのまま墓場まで持ち去ってしまった。

 何一つ分からず、何一つ成し遂げていない。

 アイツへの怒り、自分への怒り、魔物への怒り。怒りというたった一つの感情だけでも、この数だ。他の感情を交えると、それなりの数を誇る。

 だがその感情の中には、喜びが無い。楽も無い。良くある感情…喜怒哀楽の内、「怒」と「哀」しかない。

 様々な感情がない交ぜとなっている胸中は、ただただ不快でしかない。

 だからだろうか? 私は無性に腹が立って仕方が無かった。

 だが、この渦のような感情。それは何か言葉では表せないような力によって、無理に掻き回されているような、そんな吐き気を催しそうだった。


* * *


 刹那の内に、決死を分ける。

 ヨハンは無我夢中で、手を伸ばしていた。


「(間に合え…ッ!)」


 好機だったか。いや、決して好機ではない。それどころか危機でしかない。しかし、この危機を逃せばーーーそれは、ジェシカの明日を闇に葬るということになる。


「(俺には、この危機しかないッ!)」


 突き出した左手に込めるのは、全霊の魔力(マナ)

 大将ヨハン・ピースハートの全霊が瞬時に魔法陣を形成し、火球を放つ。

 火球発射までの時間にして、コンマ下二桁の一秒。左手が突き出た瞬間に魔法が、“ファイアーボール”が放たれた。


「(届け…!)」


 狙ったのは、男の腕。正面から男の腕を焼き尽くして、引鉄を引けなくする。

 短絡的ではあるが、咄嗟の行動故に考える暇など無かった。


「ッ!? 隙を突いたつもりが、その程度では…!」


 男が反応した。

 何かで気が逸れていたのかもしれないーーーと思ったら、まるでヨハンの行動が見えていたかのような反応速度であった。

 最愛の妻へと向けられた銃の引鉄を引こうとする、指。それが、終焉へと向けて徐に動き始めた鎌の切先だ。


「(届け!)」


 それからは、全てがスローペースのように映った。

 伸ばした手の合間に見えたのは、徐々に惹か引かれていく引鉄。

 振り下ろされる鎌よりも、速いか遅いか。ほんの少しの差が結果に直結する。引鉄は、絶望執行の合図だ。

 だから決して、鎌が振り下ろされることのないように、絶望が降る前に、ヨハンは妻へと手を伸ばす。


「(届けぇぇぇッッ!!)」


 火球が先か、引鉄が先か。

 時間は経っていないはずなのに、永遠をヨハンは感じていた。

 手を伸ばしたところで、何かが変わるとは思えない。それでも、せめて伸ばさねばと本能が声を上げている。

 かつて“悪魔”に宝を奪われた時、自分は後になって絶望することしか出来なかった。

 だが今はまだ、「後」ではない。「後」になる前の、「先」がある。

 だから、せめてもと足掻く。

 いずれの結果になろうとしても、その瞬間を見逃さないためにーーー












「直撃させられる!」


 銃声が、響いた。

 次いで炎球が爆ぜる。


「(無情…な…ッッ!!!!)」


 遅かった。ほんの少しだけ、物理的な距離の近さが勝ってしまったのだ。

 ジェシカに迫る鎌は既に振り下ろされ、彼女の生命を捉えようとしていた。


「止めろぉぉぉぉぉッッ!!!!」


 大切なモノが、手から零れ落ちようとしている。なのに、自分は何も出来ない。

 どうしようもないことが、眼の前で起きようとしていた。

 その名は現実。覆しようのない現実は、避けられない絶望そのもの。

 ヨハンの叫びも虚しく、銃弾はジェシカの首を目指している。


「ジェシカァァァアアア!!!!」


 伸ばした手から、爆発した感情に誘爆したかのように魔力(マナ)が弾ける。

 もう何をしようとも、遅い、間に合わない。諦めという名の重圧がヨハンを襲い掛かった。

 嗚呼、やはり駄目なのか。嘆きに暮れようとしたその時、彼の耳に届く声があった。


「…! ヨハン?!」


 それは自分の名を呼ぶ、妻の声。

 火球による衝撃の余波で、意識を取り戻したようだ。

 だが今際の奇跡でも、ヨハンにとっては心苦しいものに違い無かった。

 諦めたくないのに、諦めざるを得ない。打つ手は、残されていない。

 驚きに染まっているジェシカの表情は、ヨハンの様子に驚いたためであろうか。

 しかしそれはほんの一瞬のこと。次の瞬間、彼女が寂し気に笑ったのがヨハンには分かった。


「ーーー!!!!」


 止めろ、止めてくれ。

 決死の叫びは、言葉にならないものだった。だがヨハンの心は、襲い来るであろう絶望に震えていた。

 ジェシカの微笑みは、いつもなら心を癒してくれるはずだった。しかし今はどうだろうか。まるで、数多の弓矢に射抜かれたように苦痛を感じさせられた。

 だが時は待ってくれない。妻の下へと急ぐヨハンを嘲笑うように、銃弾はジェシカへと吸い込まれていったーーー












 ーーー吸い込まれたように、見えた。


「ぁ…っっ!?」


 次の瞬間、窓から吹き込んできた風が書類を巻き上げ、ジェシカが着用している給仕服の裾を持ち上げた。

  火球が直撃してすぐ突風に煽られた男は、バランスを崩して前のめりになろうとしていた。

 その背後。風に続いて窓より、飛来しようとしている物体が見える。

 すると、ヨハンは不思議な感覚を覚えた。

 胸に触れた柔らかな風。風の起こし主がその中で自分を叩いてくれたような気がしたのだ。


「(勝機!)」


 間一髪にして、最良のタイミング。

 風が運んでくれた希望への光明。これを放す訳にはいかないーーー! と。


「…何っ!?」


 ほんの刹那の差が、どうしようもなく悔しかった。

 しかし、風向きが変わり、一撃が届くこの状況。今この瞬間を、どれ程求めていたことか。


「ぬぅぅぅぅぅんッッ!!!!」


 伸ばした左手の握り拳が、灼熱の輝きを放つ。

 引き戻すと同時に微かに開いた拳から、凝縮された無数の魔方陣が覗く。

 魔方陣が生み出すのは、大将ヨハン・ピースハートの代名詞。衝突と同時に、濃縮された火魔力(マナ)が破壊の大爆発を起こす無詠唱での火属性上級魔法“エクスプロージョン”。


「ち…ィッ!!」


 体勢を崩した男が反応を見せるも、勝敗の刹那を制したのは、ヨハンだ。

 男の足が、身体を支える一歩を踏み出すよりも先に、ヨハンの腕が伸びようとしていた。

 今、突き出した手より放たれた魔力(マナ)が、極至近距離で男の腹部に触れた。


「消えろッ!」


 ヨハンの叫びに応じるように、魔力(マナ)が極度に膨張した。

 己が守ろうとしたものを、最後まで守り通そうとする男の手が、諦めと戦い抜き立ち上がり続けた男の意地が、活路を撃ち抜く勝利の砲台となったのだ。

 放たれた祝砲は、「敵」を焼き焦がす大爆発となった。


「っ…ジェシカ!」


 ヨハンは妻の姿を求め、その名を呼ぶ。

 視界までも灼いてしまうような爆炎の中であっても、彼の瞳はまっすぐ求める者の姿を捉えていた。


「ジェシカ!」


 ヨハンは眩い光の先へと手を伸ばす。

 伸ばした手の隙間に、指が入り込んでくる。


「あなた!」


 それはまるで、歯車と歯車が噛み合うような、パズルのピースとピースが合わさるような、柔らかくて温かみのある感覚。

 思わず頬が綻みながらも、自分の側へと寄せた腕の先。眦を仄かに濡らしたジェシカの身体を抱き留めた。

 光が収まると、彼女の姿が鮮明に見えるようになった。

 ヨハンは素早く周囲を確認し、安全確認を試みる。

 爆音と共に広がった爆発の中心に居たはずの者は、消え去っている。この空間はどうやら、見た限りでは安全なようだ。

 確認を終えると、ヨハンは妻へと意識を向けた。


「すまない。俺が不甲斐無いばかりに…」


 涙脆い姿は、出会った頃からずっと変わらない。

 腕の中に収まる彼女は、昔と変わらず小柄で、華奢で、守りたくなって。

 出会った頃より、四十も歳を取ったはずなのに。ずっと変わらず、愛おしかった。


「いいえ! 私が油断したばかりに…むざむざと捕虜になってしまい、迷惑を…」


 自虐的なのも変わらずか。

 ヨハンは内心苦笑し、首を左右に振る。


「いや、俺だ。同じ場所に居ながら守れなかった」


「それでも、守ってくれました。私を助け出してくださいました。昔みたいに。…違いますか?」


「む…」


 痛い所を突かれ、ヨハンは押し黙る。

 昔みたいに、というのは遡ること四十年前の出来事。

 かつて、捕虜とされたジェシカをヨハンが助けた一幕があるのだが、それはまた別の話。


「うふふ。捕虜にされると言うのも悪くない経験です。必ず守ってくれる人が居ますから」


「…分かった、もう良い。降参だ」


 ジェシカの微笑みも、あの頃と変わらない。

 いや、少し変わったか。微笑んだ時の眦に、皺が微かであるが窺えるような、そうではないような。


「(口には出せんが…)」


 随分と、大人びた。

 そう、あの頃は自分も彼女も若かったのだ。

 あの頃はーーー


「……」


 昔話に浸るには、少々鋭い視線が向けられていた。

 ヨハンは視線の主が誰か分かっているのだが、どうやらジェシカは気付いていないようだ。


「俺の心臓が保たん」


 さり気無く気付かせるためにも、そっと彼女の身体を離す。


「まぁ。まだそんな歳ではないと思いますけど。だって…」


 しかし彼女は、再び胸に収まってしまう。

 昼間だというのに積極的なものだ。珍しい姿を見せるのは、やはり昔を思い出したからだろうか。

 このまま二人の時間を過ごしたい気持ちが生じはしたが、時と場合を弁えなければなない。そして、歳も。


「それ以上は言うな。…人も居る」


 小さな溜息と共に、もう一度ジェシカの身体を離す。

 今度は、理由も添えた。


「えっ…」


 ジェシカは眼を瞬かせ、おずおずと後退りする。

 ヨハンの背中に隠れて見えなくなっていた部屋の入口。そこには腕組みをしながら半眼で見詰めてくる、ディーの姿が。


「あ、あの…」


 視線が、完全に合った。


「…(わ~か)いね~」


 最大限の嫌味だった。

 ジェシカの顔が、仄かに赤くなる。

 ヨハン以外の他人に見せることのない姿を、しっかりと目撃されたことを知った彼女は、居た堪れず顔を隠す。


「失礼しました…っ」


 そしてそのまま、ヨハンの執務机の裏へと回り込んでからしゃがんでしまう。

 恥ずかしいから、隠れる。

 きっと机の下では赤面した彼女の姿が見れるのだろうが、わざわざ覗きに行くのはデリカシーに欠ける。

 そうは思いつつも、覗きたいものは覗きたい。しかしデリカシーに欠ける。


「(いつまでも、良い意味で若々しいのは喜ぶべき…か)」


 ヨハンは好奇心由来の思考を締め括り、隠れた妻の様子を窺う。

 開かれた窓からは穏やかな風が入り込んでおり、風に乗って妻の髪から香るシャンプーが鼻腔に入った。

 眼を細めたヨハンが風を堪能していると、ふと脳裏に浮かぶ情景があった。


「(む…? 昔、似たようなことがあったな……)」


 あれは、いつのことだったか。


「‘…ん゛んっ’」


 風の名残に思い出を探そうとしたヨハンは、そこで背後の気配を思い出した。

 また昔語りを始めそうな己を自制するため、小さな咳払いと共に細めた瞳を普段通りにするのだった。

「デドデドデドデドデーデレン。おきのどくですが、ユヅルのひざはつぶれてしまいました」


「…えぇ、とんだ失態ね。まさかユリがあんな暴走をするなんて、予想もしなかった…」


「弓弦は今…」


「膝に回復魔法を掛けてるわ。相当痛かったみたい。ちょっと涙眼なのが愛しいわね」


「ねぇフィーナ、喧嘩売ってる?」


「あら、別に売ってないわよ。あなたがとても大切に思えちゃう程に素敵な人を、愛おしく思っちゃ駄目なのかしら」


「ぅぇ…ぐ…その言い方、微妙に反則。いやさ、そりゃ弓弦大切だよ? でもさ、大切だと思うから独り占めしたくなる気持ち分かるよね」


「あら、共有財産的な話は一体どうなったのかしら」


「あの時は、フィーナさえ押さえておけばいざという時にどうにかなるって思ったからだし。状況に応じた行動だったもん…って、この話はもう良いよ! ここは予告だよ、予告の場! 染み染みとした話よりも、コミカルな話でいこう!!」


「コミカル…ねぇ。そう言えばユリはどうしているのかしら」


「ユリちゃん? 遠くで暴走を反省しているよ。何でも、弓弦の汗に興奮…しちゃった…みたい…♡」


「…興奮しているのは、あなたもでしょ。鼻息荒いわよ」


「だって弓弦の汗だよ? 汗って…エロくない? 私弓弦の汗なら、幾らでも飲み干せるよ♡」


「…汗とか、水滴とか。あの人の良さを引き立てる効果があることに対しては否定しないわ。でも私は流石に飲み干せないわ」


「そんなこと言って〜。縄で縛られながらだったら嬉しそうに飲むんでしょ?」


「馬鹿言わないで。そんなことされても飲まないわよ」


「そうだねぇ、飲まされる方が良いんだもんね」


「…は?」


「皆まで言わなくとも分かってる! 無理矢理が好きなフィーナだもんね!」


「…無理矢理過ぎるのは嫌よ。強引過ぎると引いちゃうわ」


「…ふーん」


「…何」


「じゃあどうして弓弦相手にはマゾ性癖出すのさ」


「…どうして私を変態扱いするのかしら。…あの人に身体を許すのは、単にあの人が私のことを、愛してくれているって分からせてくれるからよ」


「え、弓弦が愛しているのは私だけ。何人ヒロイン出ても、最後に勝つのは、わ♡た♡し♡ そうだよね?」


「誰に向かって話しているのよ」


「お茶の間の皆さん?」


「…だから誰よ、それ」


「画面の向こう?」


「…ゲームのやり過ぎよ、知影。私、あなたの言ってることが良く分からないわ」


「私とフィーナは、見ている世界が違うみたいだね」


「癪な言い方ね。でも、あの人が大切に思っている人…決してあなただけと思っちゃ駄目よ? あなただけの人じゃないんだから」


「弓弦は私のもの。私だけの人。フフフ…」


「…何を言っても無駄なようね」


「…あぁ…弓弦が私に向かって手を振ってくれるのが見える。なんっっっっって爽やかな笑顔なんだろ……」


「…。ユヅルならまだ回復魔法掛けてるわよ」


「あぁ…弓弦…弓弦ぅ…♡」


「…駄目ね、これは。さ、予告よ? 『惑う者が居る。その蔭では惑わせる者が居る。仕組まれる者が居る。その裏では仕組む者が居る。心を持つ者が居る。その闇には心を持たぬモノが居るーーー次回、陰謀』…出来事には全て、起源がある」


「はぁはぁ…ゆづるぅ…ゆづるぅぅ」


「…あなたの想いの起源はどこにあるの、知影。あなたの固執は…一途と言うより…寧ろ盲目。…それはどうして? なぁんて…ふふ、変にそれっぽく言ってしまうと白けてしまうわね」


「ゆづるぅぅ♡」


「あ、こら! ユヅルを襲わないの!!」

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