惨劇の港町
──三人の旅人が旅路に戻ったその少し前。
具体的には、ユリが不思議な感覚を覚えていた頃。
夜明けと共に、弓弦とフィーナはほぼ同時に眼が覚めた。
「…フィーナ、感じたか?」
覚めた、というよりは覚まされたか。
背筋に悪寒が駆け巡っていた。
「えぇ…と言うことはご主人様も?」
「…あぁ。周辺の魔力が、急速に失われた…と言うのか? 誰かが強力な魔法を使ったんだろう。それも…酷く禍々しい感覚だ」
フィーナが防護陣を解く。
「「──ッ!?!?」」
悪寒が、より強くなった。
彼方より、禍々しい気配が立ち込めている。
全身の毛が粟立つような感覚の中、フィーナの犬耳がピクリと跳ねる。
「(この…魔力の感じ…でも……)」
この魔力を、知っている。
穢れてはいるが、この魔力は確かに。
記憶の奥に、一人の影が過った。
「(…他人の空似…? そんな偶然は……)」
「…どうかしたか、フィー」
「…確かめに行きましょう」
嫌な予感に駆られた二人は走り出す。
荷物を背に、黄砂を蹴飛ばす。
向かう先では、宵闇が薄れ始めていた。
「…何か気になることがあるのか?」
「えぇ…少し。胸騒ぎが」
フィーナは胸に手を置き、小さく拳を作る。
潮風強まる彼方を見据える瞳が、微かに揺れている。
瞳が映す景色に、白い煉瓦造りの灯台が見え始めた中で、
「!」
大きく上がる、炎と黒煙。
早朝の静寂を突き破るように、大きな爆発が起きた。
「ユヅル!!」
「あぁ、急ぐぞ!!」
“クイック”を自らに掛けた二人は、二筋の風となって砂漠を突き抜けた。
到着地。南大陸と東大陸を結ぶ玄関口である港町──『ポートスルフ』は地獄絵図と化していた。
町は焼かれ、聞こえるのは阿鼻叫喚。
至る所に転がる亡骸は、最早人の形を留めていないものが幾つもある。
吐気と共に、思わず眼を覆いたくなる程の惨状が広がっていた。
「酷い…」
あまりの光景に、絶句するフィーナ。
人間を好いていない彼女であったが、生命が無惨に奪われている惨状に心動かぬ程に冷酷ではなかった。
「(殺められただけじゃない。そこからさらに追撃されている。…こんな明らかな憎悪…ッ!)」
「ボサッとするなフィー、来るぞ!!」
ハッとしてフィーナが正面を向く。
炎のように毛並みを燃やした犬型の魔物だ。
燃える家屋の影から飛び出て、一斉に襲い掛かって来ていた。
「はぁぁッ!!」
魔物を斬り伏せる弓弦。
「後少しで町の中央と言ったところだな! 突破するぞ! はぁぁぁっ!!」
飛び掛かる魔物を次々と斬り、街の奥へと急ぐ。
迫る魔物は数多く、次々と弓弦に迫っていた。
「(考えるのは後よフィーナ! 今は援護をッ!)」
彼の身に迫る危機は、今起こっている。
守らなければ。フィーナは詠唱に入った。
『唸れ風の刃…切り裂きなさい! ウィンドカッター!!』
魔法陣の展開後、放たれる真空の刃達。
魔物の体躯が、二つに切り裂かれる。
魔力で形成された風の刃は、直進上へ吹き抜けると
進路を切り拓いた。
「良し! もう少しだ! 走れ!!」
二人はそのまま先を急ぐ。
時には襲われる町民を助けつつ、目指すは町の中心部。
禍々しい魔力が満ち溢れている、源泉。
「うぉぉぉぉぉッ!!」
「はぁぁぁぁぁッ!!」
そして──辿り着いた。
「クックックッ…ゴミ共にはお似合いの景色だなぁ…オラ! 燃えやがれ!」
町の中心──観光名所であろう噴水が、無残に壊されていた。
ひび割れた噴水口の上に、銀髪の男が立っている。
銀髪からは、細長い耳が覗いている。
ローブから覗く肌は浅黒い。放たれる魔力は、沼のように穢れている。
──ハイエルフ。
漆黒の、ハイエルフ。
弓弦のかつての世界の知識で、分類するならば。
「(ダークエルフ…なのかッ!?)」
思わずフィーナを見る弓弦。
エルフ、ハイエルフが存在するならば、ダークエルフも存在してもおかしくない。
この場に急行するまで、フィーナが動揺していたのは気付いていたのだ。
彼女の知り合いという答えに辿り着くまで、時間は要さなかった。
「…やっと来たかぁ? 待ち焦がれたぞオープスト!!」
「…あ、あなたは…ケルヴィン!? 生きていたの…っ」
信じられないとばかりに、フィーナの瞳が見開かれた。
「いいえそれよりも、あなたこんなことを…! 止めなさい、何の目的で!!」
「何って…?」
眼の前のローブの男──ケルヴィンは大仰に肩を竦めると、フィーナと弓弦を指差す。
「決まっている、復讐だよ! 我らが同胞を殺した人間へのな!! なぁオープストも! …そこの同胞も憎くはないのか? 悪魔の甘言に踊らされハイエルフを蹂躙した馬鹿ど、…ってぇな! 何をする!!」
「生憎、お前の御託に付き合う趣味を、俺は持ち合わせてない!」
弓弦が銃携帯にした武器をケルヴィンに向ける。
引鉄は引いた。敵対の意思と共に。
誰だろうが知ったことではない。目的なんざどうでも良い。
罪の無い人々に手を掛けているのだ。命を奪っているのだ。
止めない理由が、どこにあるのか。
「んだと…ッ」
フィーナもそれに倣い、魔法の詠唱体制に入る。
『ダークエルフ』。負の感情に心を焼き、その身を魔の一族へと堕としたハイエルフ。
討たねばならない。それが、魔力や自然と共に生きるハイエルフの掟。
人が過ちを犯した者を罰するように。
闇に堕ちた者が生命に仇をなすのなら、それを止めなければならなかった。
例え、昔馴染みでも。
「ここで分かり切っていることはお前が町の人々を襲い、殺めたことッ! それだけ分かれば俺の取るべき行動は一つ、お前を倒すだけだッ!」
言うが早く、弓弦はケルヴィンに銃弾の応酬を浴びせる。
残弾は、幾つあっただろうか。
少なくとも、いよいよ底を尽きかけていても何らおかしくはない。一度の最大装填数である六発を撃ち終わると、接近戦に切り替えた。
「はぁッ!」
振り下ろしの斬撃。
ケルヴィンは、空へと逃れた。
「ぐっ…ならオープスト! お前は何とも思わねぇのか!」
ローブの裾が、僅かに切れていた。
反応が遅れたであろうのは、まさかここまで簡単に拒絶されると思っていなかったためか。
ならばとばかりに、問答の方向をフィーナへと変えた。
「親や友を殺された! 森が焼かれたあの日を! 今やハイエルフで生きているのはこの場に居る三人だけじゃねぇか!」
フィーナは歯噛みする。
ケルヴィンの憎悪は、分かる。痛い程に。
「それにお前は…」
その様子は、動揺と取られてもおかしくなかった。
弓弦の猛攻から逃れると、ケルヴィンは叫ぶ。
「この俺ケルヴィン様の許嫁じゃ──」
「それは…あなたの家族が良かれと思って進めた話よ! お父様もお母様も肯定的ではなかった!! それに私はあなたのような卑劣な男性はお断りよ!!」
言葉を上書きするように、フィーナも声を張り上げた。
魔法の詠唱を中断してまでの否定だ。
「(…そりゃ、因縁だな)」
フィーナは余程嫌だったのだろう。
だが弓弦からすれば、今明かされる衝撃の事実に近いものだった。
僅かに逸れた注意が、剣筋を鈍らせる。
「…けっ」
一方でケルヴィンは、唾を吐いた。
彼女の全力の否定がおかしかったのか、忌々しかったのか。
「うわっ!?」
そして同時に弓弦を吹き飛ばすと、今度はおかしそうに口角を歪めた。
チロリと覗いた舌が、唇を舐め回す。
「…なら無理矢理にでも俺の女にしてやるよ。二百年掛けて手に入れた…この、忌むべき悪魔の魔法で、なァッ!!」
上空に魔法陣が展開された。
ケルヴィンが手を空に翳すと、漆黒の魔力が彼に落ちた。
まるで、漆黒の稲妻。男の身体を避雷針にしたかのように吸い込まれた魔力は、振り下ろされた掌から放たれた。
狙いは──フィーナ。
支配属性魔法“コマンド”と、魔法の名称を弓弦とフィーナの瞳が読み取る。
「(支配属性魔法ッ!?)」
ドクンと心臓が跳ねた。
その属性は、弓弦の記憶に新しい。
『支配の王者』とされる悪魔が使用した魔法属性。
その効果は──文字通り、対象を「支配」すること。
「っ…!」
先日における『支配の王者』との戦い。
忘れるはずもない。フィーナは一度とはいえ、支配の操り糸に囚われたことがある。
人間への憎悪を引き出されて、操り人形にされていたことがあるのだ。
フィーナが支配属性魔法に包まれている、今のように。
「く…うぅ……ッ!!」
「フィー!!」
好き勝手を許す訳にはいかない。
弾き飛ばされた弓弦がフィーナの下に駆け寄ろうとするも、炎を纏った狼達がそれを阻む。
「お前は精々…そいつ等と遊んでいるんだなッ!」
魔物が一斉に襲い掛かって来た。
次から次へと襲い掛かる、爪、炎、牙。
四方からの集中攻撃だ。逃げ場は無く、進路も無く。ただ迎え撃つしかない。
「ハァァァァァァァッッ!!」
その間にも、フィーナの姿は魔法に包まれていく。
焦る弓弦を他所に、刻々と。
「く…そッ!!」
「邪魔をさせるものか…俺の悲願が遂に叶うのだ…人間の…根絶やしと…オープストを…手に入れることが…ッ!!」
「……ッ」
魔物を蹴散らした。
だがケルヴィンによって放たれている魔力はより強くなり、フィーナを完全に呑み込む。
「ふざけるなよ…ッ!」
弓弦は地を蹴った。
「何もかもが自分の思い通りになると思ったら──ッ!!」
「…間違いだと?」
だが、身体が空を駆けることはない。
それどころか、その場からすら動けていない。
ケルヴィンの魔法によって、弓弦の足は蔦に絡め取られていた。
「クククハハハ…ハーッハッハッハ!!!!」
蔦は足から手まで伸びる。
完全に身動きを封じられた。
得物を変形させて向けようとした銃口は、まだ彼方を向いている。
ケルヴィンは高笑いと共に、さらに魔力を強めた。
「だったら…見せてやるよォッ!
これが、トドメとばかりに。
「止めろぉぉぉぉぉぉおおおッッ!!!!」
動きの封じられた弓弦は、最早見ていることしか出来なかった。
無様な制止の声だとは思った。しかし、それがせめてもの抵抗であった。
魔力は徐々に薄れていき──
「……」
後には、フィーナが呆然と立ち尽くしていた。
バアゼルに操られた時と変わらない、虚ろな瞳で。
「おい…フィー…?」
まさか、そんな。
問い掛けるも、返事は無い。
糸の切れた人形のように、ただ立ち尽くしているだけ。
「クックックッ…オープスト。俺の下へ来て跪け」
「……。はい」
だがケルヴィンに命じられると、突然動き始める。
地上に降りて来た男の表情が、歓喜に歪んでいる。
「お、おい…」
フィーナは彼の前へと歩み寄ると、命令通りに跪く。
「(どんだけ催眠耐性無いんだよ、アイツっ)」
文句を言いたくなるが、心の内に留めておく。
本人だって、やられたくてやっている訳ではないはずだ。
責めたくはないが、責めたくもなる。
「(何か…何か策は無いか…!?)」
だが、相変わらず身動きは取れない。
「(俺に…もう少しでも力があれば……)」
悔やめども、状況は変わらない。
だから思考を回す。
現状を打破する、起死回生の策を求めて。
心臓が跳ねている。
追い詰められていることに、動揺しているのだろうか。
「(考えろ、何か無いのか…ッ!!)」
「…そうだな。手始めに、そこに居る愚かな同胞をお前の得意な氷魔法で氷漬けにしろ」
──打開策は、浮かばず。
時間切れのようだった。
「折角見付けた同胞だ。殺すのは惜しい。お前と同じように、後で命令を訊くようにすれば良いんだからな」
ケルヴィンの言葉に従い、フィーナは頷く。
「(くそ…っ)」
生かしてもらえるのは、幸いか。
生命があっての物種だ。
まだ可能性を残せるのなら──。
「それから俺と一緒にこの町の人間を根絶やしにするぞ」
「…はい」
覚えていろ。
必ず反撃する。
諦めることだけは、絶対にしない。
「…ッ!」
瞳に怒りと闘志を宿し、ケルヴィンを睨む。
「……」
その視線を遮るように立つ、操り人形。
唇から、抑揚の無い声で詠唱が紡がれた。
『…業深き者を四重の戒めにて封じよ』
冷たい。
寒気を感じた時には既に、足下から氷が伸びていた。
『目覚めぬ事叶わぬ永久のし…ん淵たる地獄にて…眠れ…』
どこか辿々しい詠唱と共に、冷たい魔力が弓弦の身体を覆っていく。
「(…バアゼルの次は、俺が氷漬けか)」
ひたすらに冷たさが広がっていく感覚。
自分の身体が、徐々に自分のものではなくなるような感覚。
悪魔の気持ちが分かったような気分になり、弓弦は思わず自嘲した。
「……」
フィーナが作り出した巨大な魔法陣から発せられた冷気は、弓弦を包み込み、凍らせていく。
「…そうか」
弓弦は抵抗しなかった。
抵抗出来たかもしれないし、出来なかったかもしれない。しかし、凍て付く感覚に身を委ねる。
──氷像の、完成だった。
「…ク、ククククク、クハハハハハッ!!!!」
それを見たケルヴィンはまるで壊れたかのように嗤い、嗤い続けた。
自身の願いが叶ったからなのか、それともようやく巡り会えた三人目の同胞を失ってしまったからなのか。定かではないが、彼は空に向かって嗤い続けていた。
「…仕上げだ。下がれ」
反響する声が、空へと吸い込まれていき──悲鳴と魔物の咆哮は変わらず上がり続けている。
ケルヴィンの促しの下、フィーナは町の上空へと飛翔した。
惨劇広がる町を見下ろせる高さに、二人並ぶ。
人の姿は、いよいよ疎らとなり始めていた。
魔物が跋扈する光景に鼻を鳴らしたケルヴィンは、両手を上げた。
フィーナを背後に下がらせると、詠唱を始める。
「…二百年あまり前。あの日…焼かれる森、及ぶ悪意を前に俺は…逃げることしか出来なかった…だが」
男を止められる者は、居ない。
「悪魔の力をも手にした今なら…俺は人間に復讐出来る…。見てろよジジイ…今無き同胞共…。ケルヴィン・ブルム・ブリューが、愚者を断罪する様を……ッ!」
歓喜と共に集中を高め、滅びの魔法を今、口に──!
「──!?」
背中に、鋭い衝撃が走った。
紡ごうとしていた言葉は詰まり、思わず歯を噛み締める。
詠唱を始められなかった代わりに口を衝いて出たものに、ケルヴィンは眼を見開いた。
「…な……っ」
背中から胸へと突き出ているのは、剣。
先程まで対峙していた男が手にしていた物。
だがその男は未だ、氷の中──。
「何故、お前が──」
顔を動かし、背後を見る。
芸術品のように美しい金糸の束が、視界の端に映っていた。
こんな時でさえ美しいと思ってしまえる髪。記憶を優しく触れる、花のような香り──。
「…馬鹿ね」
その主を、一人しかケルヴィンは知らなかった。
「あなたの魔法が私に効いたこと…一度もないじゃない」
「…オー…プスト……」
刃が抜かれる。
走る鋭い痛み。そして──鮮血。
「…ごっほっ!?」
迫り上がってきた血を吐き出した。
魔法の制御が切れた。重力に引かれながら、ケルヴィンは空を睨む。
「ユヅル…っ!」
刃に付着した血液を水魔法で流したフィーナが、氷像の下へと戻ろうとしている。
ケルヴィンには眼もくれず、一直線だ。
「相変わらず生け簀かねぇ、女だ…っ」
落下しながら、ケルヴィンは吐き捨てる。
二百──正確には二百五年前。自分が森を離れた時、彼女は十三の歳だったか。あの時よりも美しく成長してより女らしくなった。
性格も落ち着きが混じり始めているが、性根の部分はまるで変わっていない。真っ直ぐで、愛情深く、森や同胞を慈しんでいた頃と──。
「……まんまと騙されたって訳かよ」
そんな彼女が悪魔や人間に対して復讐心を抱かないはずがない。自分と同じように。悪魔を討ったのも、そのため。
今度は人間に復讐する──そう思っていたのに。
今の彼女には、復讐よりも大切な“何か”があるのだ。
「……!」
そこでケルヴィンは気付いた。
フィーナが何故、見知らぬ同胞と共に居るのか。
自分が彼女を、「女らしくなった」と感じた感覚の正体を──。
「二百年……か」
決して短くはない時の長さに、思いを馳せる。
「…これならば昔のように、跳ね除ければ良いものを…」
彼女が見知らぬ誰かに淡い想いを育むようになっていても、何らおかしくはない──二百年とは、そういうものなのだろう。
「…グ…」
胸から溢れる出血は止まらない。
もう長くは保たないだろう。薄れゆく意識の中で、ケルヴィンは悟った。
フィーナの心も奪えず、復讐も叶わず。
自分の二百年あまりは、何だったのだろうか。
「なら…ば…!」
──否。このまま終わる訳にはいかない。
終わらせてしまう訳にはいかない。
二百年抱き続けた感情が、彼の意思を繋ぎ止める。
ケルヴィンはローブの裾を乱暴に探り、一つの物体を取り出した。
「死なば諸共と思って用意したこれを…ッ」
それは奥の手にも等しい、最後の切札。
出来れば切りたくなかった、最後の悪足掻き。
血に濡れる手で握る黒く澱んだ魔力の塊を、彼は口に運んだ。
* * *
氷の中で、弓弦は一人微睡んでいた。
「(…。ごめんなさい…ねぇ)」
「ごめんなさい」。フィーナの詠唱には、そんな謝罪の言葉が隠されている──ように弓弦には思えた。
途切れ途切れの詠唱を訝しんだのが、気付きの始まり。まさかと思ってフィーナの詠唱に耳を傾ければ、確信に至れた。
「(ま…殺気一つ取っても、バアゼルに操られた時に比べて弱かったからなぁ…)」
本気の殺気を打つけられたからこそ、違和感に気付けた。
だから、賭けてみることにしたのだ。
全力で逃れようと思えば逃げられたものを、避けなかったのはそのため。
「(…アイツ、どう対処するつもりなんだろうな)」
ケルヴィンが隠し持っている魔力の塊に気付いていた弓弦。
魔力を視慣れていなくても分かる、その危険性。
もし何かの切っ掛けで暴発しようがものなら、この町を吹き飛ばせるだけの密度を有していた。
それに気付かないフィーナではない。
だから彼女は、操られたフリをしながら少し離れた海上に誘導したのだろう。
霞む意識の中で、そこまでは見えたのだが──。
「(…ま、全ては自ずと明らかになる…か)」
時が訪れるのを待ち、弓弦は意識を手放していく。
身体全体を包んでいるフィーナの氷。
しかし氷の中だというのに、中はかまくらみたいで妙に温かい。優しく自分を包む揺り篭のように思えるのだ。
──理由は、何となく分かる。この魔法を発動するために消費された彼女の魔力の性質が──何というべきか、優しさに満ちているのだ。
氷の中。しかし、妙に居心地が良いからこうして、微睡んでいられた。
「ん…?」
氷が溶け始めた。
微睡んでいた意識が、清明になっていく。
氷越しの景色には、フィーナが心配そうに佇んでいた。
とても申し訳無さそうな様子だ。
「良し」
弓弦の悪戯心が、著しく刺激された。
彼女と視線が合うや否や、プイっと顔を背けてみる。
「……~~っ!!」
途端に、視線が抗議の色を宿す。
横眼で様子を窺うと、フィーナの顔が赤くなっている。
弄らし気に噛まれた唇は、下唇が隠れていた。
「…何か、嬉しそうだな……」
弓弦が謎の反応に呆れていると、やがて氷が溶けた──。
「…『人間に恨みを抱く、悲しきハイエルフ…。…拒絶され、壊れた男の心を満たしていたのは深い絶望。…殺戮の限りを防ごうと、二人のハイエルフは武器を取る。繰り広げられる激戦、哭き叫ぶ港町の曇り空。決別のため、終止符を打つ想われ人は何を思うのか──次回、迫り来る慟哭、口にする決意』…」
「…えーと、君の出番は次からだよ?」
「…コク。…でも…予告の紙を渡されたから」
「…そ、そうかい…ご苦労様、中佐。ところで──」
「…リィルに止められてる。…だから無理」
「と言うことは、僕を吊るしたままと言うのが無理ってことで…ってどうして背を向けるんだいっ」
「…『大方博士は屁理屈を言うから、それを言い出したら立ち去ってくださいまし』…って、リィルが」
「な…そ、そんなぁ……」