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クロル、流す

 緊迫した状況が、続いている。

 誰かが促した訳ではない。しかし一悪魔を除いて、誰もが画面を凝視していた。

 飲むのか。それとも、他に何かをするつもりなのか。固唾を飲んだ者特有の、一直線な視線が画面を貫いている。

 画面の中で、レイアはグラスを手に取った。彼女はグラスを唇に当て、ゆっくりと傾ける。

 「弓弦」の表情が、微かに歪んだ。それは弓弦ならばまず見せないような、冷た過ぎる笑みだ。

 全てが思い通りになって、さぞ嬉しいのだろう。その笑顔が、弓弦を嘲笑った。


『ん…』


 液体が、唇を渡ってレイアの中に入っていく。

 96度という、限り無く濃縮されたアルコールは容赦無く彼女の喉を焼き尽くしているだろう。

 グラスの中で波打つ坂が、徐々に緩やかなものになっていく。

 量にして半分程だろうか。それだけの量を超えてもなお、グラス内の酒は減っていく。


「な……」


 弓弦は己の眼を疑った。

 酒の減りが止まらない。これはまさかーーー


『んく…』


 そしてグラスは空になった。

 コトッ、と小さな音を立ててグラスを置いたレイア。まさか、一気飲みをしてしまうのではないか。そんな弓弦の懸念は、現実のものとなったのだ。


「…あ、主よ…あれは…大事無いのか…?」


 アスクレピオスが恐る恐るとばかりに訊いてくるが、弓弦はどう答えたものか悩んでしまった。

 弓弦の頭の中にも疑問符が浮かんでいたのだ。


『おろ、ユ~君は飲まないの?』


『あ、いや…』


 表情一つ崩さないレイアに促され、「弓弦」もグラスの中を口に含む。


「…あれはスピリタスとは違うのか?」


 いや、そんなはずはない。そう確信出来た反応を、「弓弦」が見せていた。


『うんうん、良い飲みっ振りだね。さっすがユ~君♪』


 その様子には、一瞬ではあったが微かに動揺が見て取れた。『スピリットータス』のアルコール度数がどれ程のものかは分からないが、あの表情を見る限りは決して低くないはず。ここまでの無容赦振りを見る限り、極めてアルコール度数の高い酒と見て間違い無い。とすれば、やはり「スピリタス」と同等の物と見て相違無いか。


『じゃあそのまま、もう一杯いってみよっか。ユ~君のカッコ良いところ、お姉ちゃんもっと見たいなぁ』


 「弓弦」は返答に窮すも、彼女の言葉に従った。

 その表情を見たヴェアルが小さく声を上げた。「ば、馬鹿な…」と。


『ぷはっ…』


 「弓弦」が、微かに眉を顰めた。

 中身はどうであれ、身体は弓弦だ。それが眉を顰めるということは、アルコールに苦しめられている証だ。


『うんうん、良いねぇ♪ じゃあ、更にもう一杯♪』


 場は、既にレイアのペースとなっていた。

 「弓弦」が飲み干した矢先に、グラスには酒が並々と注がれていく。

 それは正にわんこ蕎麦状態だ。時折「弓弦」の勧めでレイアが飲むも、すぐにわんこ蕎麦状態は再開される。


『…っく』


 割合にして、「弓弦」が三杯に対してレイアは一杯だろうか。三倍の量を飲んでいるのにも拘らず、「弓弦」は潰れていない。潰れてはいないが、酒が回っているのか口数が減っている。恐らく、酔いに振り回されようとする意識をどうにか正気に保っているのだろう。そんな様子を見せていた。


『えへへ~、お酒美味しいね~♪』


 対してレイアは、未だ普段の調子を崩さない。少し語尾が間延びするようにはなったが、それ以外はいつも通りだ。


「彼女の肝臓は、化物か…!?」


 カタッと、チャンネルが落ちて音を立てた。

 想定外の事態に狼狽えたヴェアルが、集中を切らした瞬間だった。


「今だっ!」


 弓弦は氷に拳を叩き付けていた。

 ヴェアルの集中が乱れたこの瞬間に、活路を見出したためだ。


「うぉぉッ」


 衝撃が亀裂となる。拳を中心としてヒビが広がっていき、氷が砕け散った。


「何だと…ッ!?」


 炬燵内への進入を阻もうと、ヴェアルが魔力(マナ)を放つ。しかし弓弦は、それよりも速く炬燵の中に身体を潜り込ませる。


「…やられたな」


 ヴェアルによる障壁が完成した時、そこに弓弦の姿はもう無かった。

 ほんの一時の油断が、この結果に繋がった。意味の無くなった障壁を解除し、ヴェアルは溜息を吐いた。


「ク…抜かったな。『紅念の賢狼』」


 バアゼルが笑う。

 その言葉には、弓弦に外へと出られたこと、レイアを酒で潰せなかったことの意味がそれぞれ込められていた。

 こうなることは、粗方予想出来ていた。だからこそ、バアゼルは事を静観していたのだ。


「…可能性に、負けたな」


 無論放っておいた方が、止めるよりは面白くなりそうだったということもあったりはする。

 他者の災難を、面白半分に見る。その考え方は、実に悪魔だ。


「当然の未来だ」


「当然? 違うな。まだ未来は決まっていなかった。だから私は可能性に賭けたのだよ。ただ、結果は向こうの方が上手だったがな…」


「紅念の者は、負けを認めるのか?」


 アスクレピオスが驚いたように瞬きする。

 彼が弓弦に手を貸さなかったのは、自分が力を貸さずともどうにかなると確信していたためである。

 その結果思った通りになったために、神鳥かむどりは少々上機嫌であった。


「負けを認めない程、愚かではないさ。全ての道を辿ると、我々の読み違いに繋がるのだからな」


 やりきれない思いを込め、今一度溜息を吐く。

 悔しさを滲ませているヴェアルは、頭を振って思考を切り替えようとした。そして気持ちを落ち着かせるために、自分の前に紅茶を用意した。


「すぴー…」


「…キチ……」


 紅茶の爽やかな味わいを楽しむヴェアルの耳に、まず届いたのは寝息。

 相変わらず夢の世界へと旅立っているシテロに、いつしかアデウスも加わっていた。


「…ギチギチギチ!」


 アデウスの寝息は少し騒がしい。

 熟睡しているらしいのは結構だが、寝言が騒々しいのはいかがなものか。


「…これでは、おちおち紅茶も楽しめんな」


 ヴェアルは瞑目すると、身体の内から魔力(マナ)を放った。

 放たれた魔力(マナ)はアデウスの身体を宙に持ち上げ、どこかへと運んでいく。


「…ギチャッ」


 その姿が米粒のようになったところで移送は終わった。


ーーーギチギチギチ…。


「……」


 再移送開始。アデウスの姿は、完全に暗闇に紛れて見えなくなった。


「そもそも、何故主の姉代わりに逆襲しようと考えたのか。申し訳無いが、私には皆目見当が付かない。何故なのだ紅念の者よ」


 アスクレピオスの問いに、再移送を終えたヴェアルは遠い眼をした。

 返答は無い。どうやら答える気は無いようだ。


「知りたいか、『流離の双子風』代理」


 代わりに返答をしたのはバアゼルであった。良く良く見ないと分からないが、実に話したくて堪らないといった様子を見せている。


「興味が無いと言えば嘘になる。何分好奇心が強い方なのでな」


「良くぞ云った。善いだろう。斯様云われれば、我としても教える他あるまい」


 ヴェアルが牙を口より覗かせる。

 どの口が言うか。瞳が剣呑になる。


「それ以上は、私としても実力行使に出る必要性を問われるな」


「些か貶されただけで感情を剥き出しにするか。貴様の器が知れるな」


「物事には越えざるべき一線があるものだ。そしてその越えざるべき一線を、今お前は越えようとしている」


「ク…如何どう言葉ことのはを取り繕おうと、とどのつまりは貴様の心が繊細と云う事に他ならん。硝子細工の様にな」


 狼の瞳を見据え、見下すかのように蝙蝠は笑う。

 徐々に重い空気が立ち込める。

 それは一触即発の雰囲気だ。そこまでして、ヴェアルは何を隠そうとしているのか。気にはなるものの、この雰囲気では到底羽を休められたものではない。アスクレピオスは重圧に冷汗を覚え始めた。


「…支配の者よ、そこまでして教えてくれなくとも私はもう良い」


「忌憚するな。『紅念の賢狼』が、何故なにゆえああも必死になっていたのか…気になるだろう?」


 ならば、さっさと言ってくれれば良いものを。内心で急かすアスクレピオスの前に、チャンネルが飛んで来た。


「……」


 ヴェアルから視線が向けられている。

 聞くな。そんな言葉が視線から伝わった。

 もし聞いてしまったら、直ちにチャンネルが襲い掛かってくるであろう。

 痛いのが怖いという訳ではないが、同じ主の中に住まう者達の関係性を悪くすることは、延いては主の迷惑となる。それを避けるためにアスクレピオスが嘴を開こうとするが。


「ロリコン…と云ったか」


 バアゼルの方が、少し早かった。


「冗ーーーッ!?」


 ヴェアルの魔法を“サイレント”の魔法で、動きは大量の蜜柑の皮で封じ込め、余裕の表情を浮かべる。


「な…ロリコン?」


 突拍子も無い単語がバアゼルより飛び出し、面食らうアスクレピオス。

 ロリコン。つまり、ロリータ・コンプレックス。少女や幼女に対して強い好意を抱いている者達のことだ。

 アスクレピオスはかつて、癒しの神鳥かむどりと呼ばれた存在だ。時折、心の病としても扱われる場合もあるため、当然知識としては知っていた。


「ーーーッ!?」


「ク…そう。貴様の主のとある秘事を、レイアと云う娘が誰の耳にも入らぬ様隠し通そうとした。然し其の尽力を其処な狼が無為にしたのよ。小娘に、秘事の全てを包み隠さず話すことによってな」


 何故、ヴェアルは話してしまったのだろうか。最初は分からなかったアスクレピオスだったが、話を聞いている内に納得した。


「…少々意外だったな。日頃勿体振った言い方をする念動の者は、幼子には弱いのか。ふぅむ…悪魔にも色々な者が居る」


 ヴェアルはまだ蜜柑皮の山から抜け出せない。

 殺意とも取れる気配が漂っていたが、見て見ぬ振りをされる。というより、ヴェアルよりも注目を集める存在が居たがために忘れられているというのが実際だ。


「…戻ったか」


「…む?」


 蝙蝠と神鳥かむどりの視線を一身に受けたその存在は、炬燵から這いずり出るように姿を現した。

 顔は真赤。気怠そうな彼から放たれるのは、これでもかという程の酒の匂い。


「…うぇっく……」


 完全に出来上がった状態で、クロが戻って来た。


「みゃぁごぉ」


 ゴロリゴロリと転がり、起きたかと思うとまた転がる。

 炬燵布団に顔を摺り寄せ、また転がる。


「みゃぁぉ」


 フラフラと歩いたかと思えば、今度は爪を立てて床を掻き始める。

 この場合は爪を研いでいると表した方が正解であろうか。一心不乱に音を立てているその姿は、悪魔という憑き物が落ちた単なる猫でしかない。


「…悪魔も酒に酔うのだな」


「…木天蓼またたびでも彼れは痴れるがな」


「まるで猫ではないか」


 クロがこちらに戻って来たということは、弓弦は外の世界に戻れたのだろう。

 モニターの画面では、それを示すかの如く場面に動きがあったのだが、酔っ払いに注がれた視線は外れないーーー否。外せなかった、外せるはずがなかったのだ。


「にゃぉぇぇぇぇ……」


 クロが蜜柑皮の山へと口から何かを垂らしていた、その光景にーーー。

「これで…どうだぁッ!!」「っっ!!!!」




「はぁっ…はぁっ…。今度は刺さらなかった…? じゃあ…!」


「…コク。出来た」


「やったぁ! やったね副隊長!! 僕達の合体技、完成したよ!!」


「…完成した。…感動した。…でも、疲れた」


「あ、ははは…だよね。もう結構練習したもんね」


「…だから、今日は練習おしまい」


「そうだね。僕も休憩したいや」


「…コク。…終わると言えば、この章も終わる」


「休憩休憩…って、え、終わるの?」


「…次回で最終話」


「そうなんだ。今回も長かったねぇ」


「…長かった。…お風呂入りたい」


「そだねぇ…お風呂…お風呂…」


「…? ルクセント君…顔赤い…?」


「いやいやいや! 赤くなってなんか、ないよ?」


「…。そう。なら…予告する。『強烈な酒、「スピリットータス」。その酒の強さに呑まれたモノは、悪魔猫だけではなかった。回る景色。巡る思い。吐露されるのは、乙女の想いーーー次回、レイア、謝る』…酒は飲んでも飲まれるな」


「…何だい、その言葉」


「…ことわざ。意味は教えない。私には難しいから」


「…酒は飲んでも飲まれるな…かぁ。…分かったよ副隊長、調べてみる」


「…コク」


「今日はありがとう、副隊長。僕…また強くなれたような気がするよ」


「…コク。…じゃ」


「うん。またね」

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