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レイア、伸ばす

 全てを暴露しようとばかりに口を開いたバアゼルを制止しようと、脚に力を込める。

 形を変えた座布団が、後ろ脚に蹴られて床を滑る。

 空を駆けるように跳躍したヴェアルの脳裏に、稲妻という名の警鐘が駆け巡った。


「(この感覚は…ッ)」


 無邪気な悪意が、自分へと向けられている。悪意の根源はーーー自分の頭上から放たれていた。

 ヴェアルは即座に理解した。狙いは、額に貼ってある紙だ。紙を奪うことで、開けてはならぬ箱を開けようとしている。

 好きにはさせない。避けねば、悪意が直撃する。しかしバアゼルを止めなければ、どの道結果は覆らない。


「(ええい、ままよ!)」


 ヴェアルは頭を振り、特攻姿勢を取る。

 死中に、活を。逃げても進んでも、結果が同じになろうとも、諦めに眼差しを閉じて堪るものか。

 可能性を信じ、バアゼルに向けて牙を剥く。

 迫る鎌。切先が、紙を目掛けて伸びる。紙と金毛の接着点を切り落とすように鎌が振るわれた。

 鎌が届くのか、牙が届くのか。弓弦は定まらぬ勝者の行方に、自らが望む未来を願って拳を握り締めた。












* * *


 見詰める先に、白い紙。

 コンコンと、机と音を奏でるのは、鉛筆の反対側。

 紙に走る、五つの線。

 口が紡ぐのは途切れ途切れの、音。

 言葉の無い音を口遊み、暫くすると線の中に丸を書く。

 丸から線が伸びる。線を伸ばしたら、その隣に丸を書く。

 音は繋がり色を成し、そして連なり響きを宿す。

 やがて、言葉が交わった。

 音色は連なり、途切れながらも言葉が合わさり、それは歌となった。

 歌い手が紡ぐは壮麗な一時を彩る、澄んだ声。


「~♪」


 涙の跡を、君はまた、見下ろしている。

 私は俯く君を見上げていた。

 流れる雲が、私達を眺めていて。

 流れる雫が、君の頬を撫でた。

 君はいつも、後ろばかり。

 悔やんで、嘆いて。後ろを見て、肩落として。

 でも、そんなの。悲し過ぎるよ。諦めないで。前を見て。

 ねぇーーー私を見て。

 笑おうよ、顔を上げて。笑顔はほら、いつも胸の中。風が吹く丘の上で、柔らかな空を流れて。

 ほら君も、笑おうよ、悲し涙、笑顔で包んで。

 立ち止まることもあるけど、笑顔ならまた、歩ける。

 笑顔の虹、潜ろうよーーー


「ん~…ぼち、ぼち…? うん。取り敢えず、完成♪」


 書き上がった楽譜を見、レイアは鉛筆を置いた。

 趣味の一つである曲作成。手応えがあったかと訊かれると首を傾げる出来だが、それでも一応完成ではある。

 完成した楽譜に眼を通して頷くと、彼女を席を立って机の引き出しを引いた。

 引き出しの中には、数枚の楽譜が入っていた。その一番上に、書き上げたばかりの楽譜をしまう。


「うん♪」


 引き出した引き出しを元に戻し、レイアは窓から外に出ようとした。

 窓の鍵を開け、横に動かそうと手を掛けたその時。


「おろ」


 部屋の戸が叩かれた。

 レイアは時計を見て時間を確認する。

 昼ご飯ーーーの時間ではない。かといって朝ごはんの時間でもない。そのため、部屋には手作りの食べ物がまだ無かった。

 これには困ってしまうレイア。扉を叩いた人物が誰なのか、姉代わりとしての勘が働き察しが付いてしまった。お菓子の一つでも用意して出迎えたかったのだが、無いのなら諦めるしかない。

 レイアは肩を落としながら、扉を開けた。


「おはよ、ユ~君。身体…と言うか、気持ちの調子はどう?」


 部屋を訪ねて来たのは弓弦だった。

 色々あり、男なのに男性恐怖症となっていた彼を見たのは一日振り。昨日、彼の部屋で絵本の読み聞かせをしようとした時以来だ。

 その後気を失ってしまってから何をしていたのかは知らないが、昨日までの憔悴した面持ちはどこにも見られない。どうやら、彼を慕う女性陣達の、尽力の甲斐あって立ち直れた証だろう。

 元気そうな顔が見れて何よりなレイアだった。


「立ち直れたって感じだな。身体も気持ちも。調子はいつも通りだ」


「そかぁ。良かった」


 元気な顔を見せに来てくれたのだろうか。だとしたら、何と可愛らしい行動だろう。いつも通りの姿が眩しく見えて、レイアは思わず小さく笑ってしまった。


「何だよ、急に笑って…。俺の顔に何か付いてるか?」


「そう言うのじゃないよ。昨日の今日で元通りになってるから驚いただけ。それで今日はどしたの? お姉ちゃんに会いに来てくれただけ~…なんて」


 まさかそんなはずはないと、冗談交じりに訊いてみる。

 勿論、そうであってもなくても嬉しいことには変わりない。こうして元気な顔が見れるだけで、レイアは幸せを覚えてしまうのだから。


「それも、ある意味間違ってはいないな」


「そうなの!? ぁ…」


 しかし弓弦は、何と頷いた。

 わざわざ顔を見せに来てくれるなんて。冗談半分で言ってみたものの、訊いてみて良かった。喜ぶレイアだったが、折角顔を見せてくれた彼に食べさせてあげれるものが無いことを思い出すと、肩を落とした。


「…ごめんね、今日はまだユ~君に食べさせてあげられる物作ってないんだ。少し時間を貰えたら簡単に作ってあげられるんだけど、どう?」


 そう言いながら頭の中で、すぐに作れそうな料理をピックアップしていく。

 材料はある。何とか作ってあげることが出来そうではあった。


「…いや、いつもそうなんだが、姉さんの料理目当てで来ている訳じゃないから。わざわざ作ってくれなくても良い」


「そか…残念。じゃあ料理はまた今度にして…」


 わざわざ作らせようとしない気遣いが出来るなんて、何て出来た子なのだろう。弓弦の優しさに眼頭の熱くなったレイアは、無性に頭を撫でてやりたい気分になる。


「…何だ」


 自らの心に従うまま手を伸ばすと、弓弦の犬耳が逆立った。

 弓弦は頭を撫でられるのをあまり好んでいない。頭を撫でられるのを警戒しているのだ。

 身構えられていると、手を伸ばしても避けられてしまうことが想像に難くない。しかも避けられたら寂しくなってしまい、余計に触りたくなること請け合いだ。

 だがそれでも、撫でたい。避けられることなく頭に触れたい。そんな思いが手を伸ばさせようと訴えてくる。

 頭を撫でる。そのためには、どうすれば。


「あ、マシュマロならあるよ、中にチョコレートが入ってるマシュマロ。昨日商業区で買ったんだ♪」


 そうだ、食物で釣ろう。マシュマロを食べている間に撫でてあげよう。


「俺は祖父母に欲しい物せびる孫かっ。悪いが、要らないから」


 そんな、魂胆が見え見えの誘惑に弓弦が乗るはずもなく。あっさり断られてしまう。


「うーん…じゃあ、何か欲しい物ある?」


「だからどうして、人が物貰うこと前提で顔を出すと思っているんだ。正月にしか顔見せない孫じゃないんだから」


 やたら孫推しな弓弦である。

 彼の言うことはもっともだが、レイアとしては譲れない衝動があった。

 そう、弓弦であっても譲れない衝動があったのだ。


「でも、ユ~君の顔見てると何か食べ物あげたくなっちゃうって言うか…」


「俺はペットか…」


「違うよ、ペットじゃない。弟だよ。お姉ちゃんって言うのは、つい弟を甘やかしちゃうものなの」


 姉というのは、弟を可愛がってしまう生き物。実に例外が多々ありそうな言いようだ。

 弓弦としては言い返したかったのだが、レイアの言葉に思うところがあり何も言い返せない。

 姉達に甘やかされて育った彼には、思うところがあり過ぎた。


「そう言うことで、マシュマロ受け取ってよ。弟は、お姉ちゃんに甘えるものだよ~?」


「…なら、姉こそ弟の受け取りたくないって頼みを聞いても良いんじゃないか」


 そうきたか。

 自分の言ったことを逆手に取られ、レイアは考えを巡らせる。

 どうすれば、彼にマシュマロを受け取ってもらえるのだろうか。考えを深めていくと、ふと一つ思い浮かんだことがあった。


「んん…聞いてあげたいけど。私はユ~君にマシュマロをあげたくて仕方無いの。そうだなぁ…じゃあ、ユ~君の快気祝いってことで」


「どんな理由だ」


 快気祝い。何と素晴らしい言葉なのだろう。レイアが閃きに喜ぶ一方、弓弦は口をあんぐりと開ける。

 その言葉を使うか。肩を落とした弓弦は恨めしそうにレイアを見た。

 彼が折れるのに。時間は掛からなかった。


「…分かった。じゃあ、そのマシュマロは受け取る」


 その言葉を、待っていた。


「良い子だね~♪」


 「ちょっと待っててね」、そう弓弦に言い残すと嬉々としてレイアはマシュマロを取りに行った。

 一分と経たない内に弓弦の下へと戻ったレイア。マシュマロを手に戻ると弓弦に手渡した。


「はい、どうぞ」


 マシュマロを渡した手は、渡すついでに弓弦の頭へ。

 そのまま撫でようとするレイアだったが、


「…が、頭は撫でさせないからな」


 しかし避けられる。


「…残念。でも、美味しく食べてね」


 レイアが腕を伸ばす。


「あぁ」


 弓弦はそれを避ける。


「それは断言するが…っ」


 伸ばす、避ける。伸ばす、避ける。

 左右から伸びるレイアの腕を、弓弦は流れるような動きで避けていった。


「頭は撫でさせないからな!」


「撫でさせてよーっ」


「断る!」


 そんな遣り取りが、数分続く。

 幾ら手を伸ばしても触れられず、避けられ続けてしまう。レイアは次第に息を切らしていき、疲労を見せていった。


「ユ~君…。もうちょっと優しさ見せてよ…」


 レイアは肩で息をするようになった。疲れのため撫でることを諦めることに。

 弓弦も疲れを見せているので、後もう少しで触れるような気はするのだが、後一歩が届かないというのは良くあること。隙を突いて触れようとしても、どうせ際どいところで避けられてしまうのだ。それが悔しかった。


「姉さんが人の頭を撫でようとするのが悪い。ったく…皆撫でようとするし…勘弁してほしい」


「だってユ~君…可愛いじゃん」


「可愛くない」


 可愛いものを撫でるのは仕方の無いこと。それを訴えても弓弦が取り合ってくれるはずもなく。

 拗ねたように顔を逸らす弓弦だったが、その様子すらレイアにとっては可愛らしい行動に見えた。


「残念…。本当、残念だよ…」


 どうして触らせてくれないのだろうか。意地悪な弟である。


「ユ~君の意地悪…」


「意地悪で良い。…どうせ前言撤回すると思うし」


 レイアは弓弦の言葉に眼を瞬かせる。彼の言葉の真意を理解しかねたからだ。

 思わず訊き返してしまった彼女の食い付きに、してやったり顔をした弓弦は言葉を続ける。


「ちょっと話したいこともあってな。散歩、付き合ってくれないか?」


 散歩のお誘い。

 弓弦からの誘いなんて滅多に無いし、何より誘われた時点でもう嬉し過ぎる。レイアが選ぶ選択肢は、一つしか無かった。


「そうなんだ。えへへ、行こっかなぁ」


 「支度してくるね」と言い残して、レイアは部屋に戻る。

 戸締りをしっかりして。お出掛け用の鞄に用意を整頓して入れ込んで。鏡を見て自分の身嗜みを確認した。

 寝癖は無いだろうか。跳ねてる髪は、枝毛は? 髪から順に確認していって、最後に鏡から距離を取って自分の全身像を確認した。

 服装こそ隊員服だが、弓弦も隊員服姿である以上違和感は無い。大丈夫そうだ。レイアは弓弦の下へと戻った。


「お待たせっ」


 扉の外で待っていた弓弦は、あまりに手早いレイアの準備に驚いて苦笑した。そして、「じゃあ、行くか」と歩き始めた。

 今日は良い日になりそう。

 特に根拠は無いのだが、レイアはそんな確信を抱くのであった。

「…何か…不愉快ね。撫でようとする、避けるの繰り返しなんて…まるでイチャついてるみたいじゃない。こんなの見せられる方の気持ちにもなりなさいよっ」


「じゃあ見なければ良いのに」


「…知影、それはそうなんだけど。ほら…こう、羽目を外さないための見守りは必要だと思わない?(」


「弓弦なら大丈夫だよ。きっと、軽く外すことはあっても大きく外すことはない。…そう私は信じてる」


「…どうしたの知影、悪いものでも食べた?」


「どうして?」


「だって今のあなたの発言…凄く、変よ? 随分と、らしくないじゃない」


「酷いなぁフィーナ。私は私。神ヶ崎 知影だよ? フィーナの視覚に訴えてくる私の情報は、それが私だと示しているでしょ?」


「…だけど私の直感は、あなたの違和感を訴えてくるわ。どうしてかしら」


「老いたんじゃない?」


「…その口、今すぐ凍らせるわよ」


「その視線だけで北極気分なんだけど…」


「まぁ、そんな軽口を叩けるのだったら、あなたは知影みたいね」


「最初からそう言っているじゃん。どうして疑うんだか」


「ユヅルのこと、あまり気にしてないみたいだから」


「まさか」


「?」


「気にしてしまうから、考えようとしていないんだよ」


「…成程ね。あなたらしいわ」


「そう言うこと。じゃ、予告いってみよ~」


「任せるわ」


「はいはーい。『レイアと弓弦は散歩に繰り出した。穏やかな時間の訪れかと思いきや、怪しい気配が立ち込め始めた。姉は頭を回す、弟は頭を悩ます、二人が立つのは店の前。今、実に勝敗の予測が容易な頭脳戦の火蓋が切って落とされたーーー次回、レイア、してやる』…してやったんだ」


「…何をしてやったのかしら。気になるわね…」

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