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アデウス、合わせる

 弓弦の意識は、微睡みの中を彷徨っていた。

 夢へ、現へ。行ったり、来たり。現へと向かわせるのは、圧迫感だ。重厚な質量による息苦しさが、現実へと弓弦の手を引く。

 しかしそれと同じように、仄かに伝わる熱と吸い込むような柔らかさが夢へと弓弦の手を引いていた。


「うう…」


 夢へ現へ。苦しい気持ち良い。

 何ともいえない心地となっている弓弦は、呻くと深く息を吐いた。


「ん…」


 すると別の呻き声が溢れた。

 自分のものとは全く異なる声音に、弓弦の意識が浅瀬へと上がった。

 薄っすらと開いた瞼の後に見えるは、肌色。滑らかで、艶があり、珠のように美しい肌色だった。


「…あぁ、そうか」


 覚醒し始めた弓弦の意識は、肌色を見詰めている内にハッキリとした。

 徐に身体を起こして座った弓弦は、隣で寝息を立てる肌色の正体を見て眼を細める。

 自然を連想させる緑の髪をくしゃくしゃと撫でると、髪の主ーーーシテロが身動ぎした。

 寝惚けたように薄っすらと瞼を上げ、顔を上げたシテロの顔に手を伸ばした弓弦は、


「ふにゃ」


 彼女の頭を両手で鷲掴みにした。

 そしてそのまま、頭を回していく。

 一見珍妙な行動に見えるのだが、これは歴とした意味のある行動だ。

 呻くような、虚ろな声を発しながらシテロはされるがままになり、やがて脱力してしまう。彼女は頭をグルグルと回されたら、眠くなってしまうのだ。

 弓弦は前から鷲掴みにしていた手を後ろに回し、シテロの頭を床に寝かせた。


「…何で寝かせたんだ、俺」


 気持ち良さそうに寝息を立てる女性を見てボヤく。

 大して深く考えずに取ってしまった行動だが、自分の行動ながら実に謎だ。


「まぁ、良いか」


 寝かせてしまったものを再び起こすのも悪いと思い、そのままにしておくことにした。


「すぴー……」


 炬燵の同じ側に身体を差し入れている以上、席を立ったらシテロを起こしてしまうかもしれない。少々窮屈に感じはしたが、弓弦は座ったまま寛ぐことにした。

 炬燵に身体を預けると、固まってい た筋が伸びるような感覚が。


「ん…身体、少し軽くなったか?」


 今度は両手を上に伸ばして確かめてみる。

 やはり、軽くなっている。寝る前は気怠さがあったのだがーーー


「…寝たから疲れが取れたのか」


 そう考えることにして、炬燵上の蜜柑を手に取る。

 皮を剥いて口に含むと酸味と甘味が広がり、食欲を刺激した。

 美味い。一粒、また一粒と口に含む度に味を堪能した。


「…俺は、どれぐらい寝ていたんだろうなぁ」


 頬杖を突き、溜息を吐く。

 シテロが眼を覚ますまで、何もせずに待つよりは何かで時間を潰しておいた方が良い。だがそもそも、ここに来てからどれ程の時間が経過したのだろうか。


「…き」


 遠くから声が。

 声がした方に意識を向けると、見知った気配を感じた。


キシャア(師  匠)…」


 程無くして姿を現したのは、アデウスだった。

 少し疲れたように息を切らして寄って来た彼は、どうやらハリセンを振るう練習をしていたらしい。


「おお、こっちに戻って来ていたのか」


「キシャシャシャシャシャ、キッシャシャシャシャシャアシャアシッシャシャキャ」


 そこで寝るアシュテロやヴェアルとアスクレピオスと共に戻って来たと、アデウスは頷く。


「そうか。ヴェアルとアスクレピオスは?」


「『紅念の賢狼』はレイアの下だ。『支配の王者』がわざわざ呼びに来たのだから、大事な用があったのだろう。代理は知らん」


 炬燵の前に座ったアデウスも、先程の弓弦と同じように蜜柑を剥いて口に運んだ。


「…レイア…か。昨日もそうだが、最近よく皆を呼ぶよな。何か作業でも手伝っているのか?」


 アスクレピオスの気配を探ると、どこかからかは分からないが風が吹いてきた。

 どうやら、ここからは離れているものの空間内のどこかには居るようだ。

 アスクレピオスその内戻って来るはずなので、放っておいて弓弦も蜜柑を手に取る。

 炬燵の上に置いてある蜜柑は、残り五つだ。


「シキャ、シャキキシャシャシャキキキキシャシャッシャキシャシャ」


 いや、単に話に付き合っていただけだ。と、アデウスは言っている。

 普通の人間には理解することの出来ない言語であっても、自然や動物の言語を認識出来るハイエルフにとっては、自らの用いる言語に等しい。

 そのため聞いた瞬間言葉の意味が分かるのだが、分かってしまうからこそ、浮かんできた疑問があった。


「…一つ気になるんだが、どうして交互に喋り方を切り替えているんだ。どっちかにしてくれ」


「キシャッシャ、キシャー」


 分かった、師匠。とアデウスは頷く。

 そうきたか、とは弓弦の心の声だ。

 別に「キシャ」言葉でも構わないのだが、そうなると師匠が出てくるような気がしなくもない。何故かではあるが。

 弓弦はもう一度、アデウスに訂正を頼むことにした。


「…すまん、出来ればもう一つの話し方の方で話してくれないか。そっちの方が色々と楽なんだ」


「分かった、師匠」


 どうして色々と楽になるのかの説明は出来ないが、兎に角アデウスには普通の言葉で話してほしかった弓弦。腑に落ちた返事に満足した。


「良し、それで良い」


 手に取った蜜柑を食べ、炬燵で寛ぐ弓弦達。

 それは静かな一時だ。囁くように耳を打つシテロの寝息が、しじまに音を添える。

 吸う息と吐く息。それは時々小さく混ざる呻き声と相まり、潮騒のように聞こえた。

 蜜柑を見詰めた弓弦の脳裏に、ある光景が浮かぶ。

 蜜柑が好き過ぎる某悪魔ならば、脳裏に茜色の水平線を思い浮かべて蜜柑の肴とするかもしれない。

 人間の姿で顕現した某蝙蝠悪魔が、蜜柑を片手に浜辺に腰を下ろすーーーその背中が何故か、物悲しさを覚える弓弦だ。

 このまま悲しいイメージが膨らむ前に、別のことを考える。そこで、気になったレイアの話について訊くことに。


「にしてもレイアの話…なぁ。お前達を付き合わせる話って、どんな話なんだか」


 悪魔全員を呼び寄せて話をする話とは一体、どのような話をしているのか。

 重要な話をしているのかと思ったが、アデウスは苦笑気味に大した話でないことを前置きされてしまう。

 弓弦はますます気になってしまい、続きを促した。


「一番比率が多いのは師匠のことだ」


 他の話をすることもあるが、およそ五割近く話題に上がる。

 自分に関することとなれば、気にしてしまうのも当然だ。どんな話をしているのだろうか。


「俺のこと?」


 弓弦は蜜柑を食べる手を止め、アデウスに視線を遣る。


「例えば師匠が外出から帰って来た時には、ほぼ間違い無く師匠の面持ちが精悍になったと話す。そこからどう精悍になったかを、ひたすらカッコ良いを交えて話すのだ」


 そう話すことなんて無いとーーーそう思いたかった弓弦だが、アデウスの言葉に閉口する。


「…眉がどうとか、眼付きがどうとか、眼光がどうとか、鼻の高さがどうとか…もう何度聞かされたことか」


「……」


 弓弦としては恥ずかしさのあまりむず痒くて仕方が無いが、そうでない者にとっては延々と長話をされているだけに過ぎない。

 そんな話を聞かされる悪魔達の心中は察して知るべし。


「それだけではない。あの者は師匠の可愛さについても語る。師匠のどこが可愛いのか、我々にどう理解しろと言うのか…」


「…か、可愛さ……」


 そんなものが、自分に、あるとでも。

 本人ですら理解出来ないことの理解を他者に求めるとは、無理難題もいいところだ。

 弓弦は「諦めた方が良い」と溜息を吐いた。

 幾ら語られようとも、分からないものはどうやっても分からないのだ。どこがどう可愛く見えるのか、腰を据えて問い質したいが危険な香りがしなくもない。

 危険な香りの正体は分かっている。文字通り可愛さについて延々と語られ、それを否定しようがものなら肯定せざるを得なくなるまで何やかんやされるのだ。

 服とか、髪型とか、ポーズとか、「弓弦」を構成している可愛い部分とやらを、他でもない本人にどうにかして認めさせようと、あらゆる手を尽くすに違い無い。無論心から願い下げである。

 しかし弓弦はその一方で、アデウスの言い方が心に刺さってしまった。

 ごもっともな言い方なのだが、さり気無く貶されているようにしか思えない。もう少し別の言い方をしてくれれば良かったのに。


「あの者の話すことは、本当に良く分からん。いや、話すことを除いてもあの者そのものが良く分からん」


「自分じゃない誰かのことなんて、そんなものだろ。良く分かったら、分かっただけ凄いってもんだ」


 弓弦は蜜柑の残りを食べ終えて、アデウスに笑い掛けた。

 他者のことなんて、分からなくて当然なのだ。レイアはレイア。それだけなのである。


「師匠は分かるか?」


「さぁて、な。正直、カッコ良いならまだしも可愛いなんて言葉がどうして出てくるのか。意味が分からん」


「確かに。師匠から面白さを取ったら何が残るのか、甚だ疑問だ」


 面白さ以外の要素、全否定。

 またしてもアデウスの言葉が、弓弦の心に刺さった。

 面白さ以外にも、もっと何かしらあるはずだ。何も全否定しなくても良いのに。

 弓弦は肩を落とし、深々と溜息を吐いた。

 炬燵机の木目を眺めてその美しさに見惚れていると、ふと自分の心が荒んでいることに気付く。

 荒んでいる時は美しいものを見ると、心が洗われたような気分になるのだ。アデウスの歯に衣着せぬ物言いに心抉られた弓弦にとって、机の木目は清涼剤であった。

 木目を見詰めて心を落ち着けていると、遠くからこちら側に近づいて来る気配を察知した。


「…散々な言われようをされているな、主よ」


 そんな言葉と共にやって来たのはアスクレピオスだ。口振りから、一連の会話を聞いていたのだろう。

 視線をアスクレピオスに向けると、彼に続いてバアゼルやクロが姿を現し、最後にヴェアルの姿もあった。


「…分からないからこそ、ヒトは不確かさに、確かさを求める。確かな心の拠り所は、灯火の支柱となって明かりを支える…。それが、偽りの拠り所であったとしても」


 相変わらずの調子で話すヴェアル。金色の毛並みと空を切り取ったような水色の瞳は、言葉からも窺わせる聡明な印象を与えるがーーー


「…ヴェアル、その紙はどうしたんだ?」


 その印象の全てを、ヴェアルの額に貼られた一枚の用紙が台無しにしていた。


「…何でそのものが貼られているんだ」


 弓弦がヴェアルの眉間を縦断する真っ白な紙切れを指摘すると、クロとアスクレピオスの表情が歪む。バアゼルも顔を逸らした。


「…私がよくよく運の無い狼だった…と言うことさ」


 自嘲気味に話すヴェアル。

 運の無いとはどういうことなのか。内容が気になったのは、周りの悪魔達による反応のためだ。

 これはーーーあの紙切れに何かしらの意味があると見て相違無い。弓弦がアデウスに眼配せすると、察しの良い弟子は悪い笑みを浮かべた。


「すぴー」


 弓弦と悪魔達は炬燵を囲むようにして座る。

 弓弦とシテロの位置はそのままに、向かい側に居たアデウスがヴェアルに場所を譲り、自らは弓弦から向かって右側ーーーテレビや本棚を背にする側に。その奥にクロ。その反対側にはアスクレピオスが、弓弦側にバアゼルが腰を下ろす。

 炬燵周辺の人口密度はとんでもないことになっていた。


「何か災難にでも見舞われたのか?」


「有る。我の蜜柑が喰われている。伍個しか無い」


 即答するバアゼル。しかし求めている答えは彼の答えではない。


「違う、ヴェアルだ。蜜柑が食べられるのは、いつものことだろう」


「貴様…」


 バアゼルの瞳が細まり、殺意を宿す。

 自分の物が勝手に食べられたら、誰だって気分を害すというものだ。


にゃくにゃったら、また買えば良いのにゃ。どうせ買うのに使われるのは弓弦の金にゃ」


 猫ーーーの姿を何とか保っているクロは、頭に氷嚢を載せている。

 気になったので訊こうとする弓弦だったが、それよりも先にアスクレピオスが嘴を開いた。


「待て氷の者。主を、金の生る木のように言わないでもらいたい。主に失礼ではないか」


 「お、そうだそうだ」と、自分は財布ではない主張をする弓弦。


「間違いではにゃいのにゃ。本当のことを僕は言っただけにゃ」


 生意気なものである。

 普段のクロとの温度差を感じる物言いに、弓弦の中の疑問が膨れ上がった。

 きっと頭に載せている氷嚢と何か関係がある。クロが熱を出していたとしらない彼は、その後猫がくしゃみしたのを見て何となく理解する。


「で、だ。ヴェアル、その紙は何なんだ?」


 話の矛先はヴェアルへと戻った。

 眉間から鼻頭まで伸びるようして貼られている紙を指摘された狼は、瞳を横に泳がせて溜息を吐く。


「認めたくないものだ」


「どう、認めたくないものなんだ?」


 肝心なのは、その内容。

 だが簡単に口を割るとは思えない以上、手を打っておく。


「私自身の驕りによるものだ。驕りとは、気の緩みに乗じて影から射すもの。用心しなければならなかったのだがな…」


 ヴェアルの頭上の空間に、小さな歪みが生じる。

 歪みから切先を覗かせるのは、鋭利な鎌。師匠との見事な意思疎通を熟したアデウスの鎌だ。


「…不注意の所為で、何か災難に遭った…ってことか?」


「…認めたくはないが、そう言うことだ」


 気になるのは、その災難の内容。

 あの紙切れという障壁の向こう側に、その答えはある。

 だが、その障壁を切り裂くには少しばかり隙を作り出さなければならない。

 問題は、その隙をどう作るのか。弓弦は思考を深める。


「その災難って…何だ?」


「申し訳無いが、君に教える義理は無い」


 取り付く島も無さそうだ。

 余程知られたくないのだろう。だからこそーーー気になる。

 話は終わりだとばかりに魔法で蜜柑を自分の前に運ぶヴェアル。それを見て弓弦は、今が隙なのではと考えはしたが、反応されそうな予感がした。

 まだだ。まだ、早い。ワザと隙を見せているようにしか思えない。

 必要なのは、確実な隙。例えば不測の事態に対処せざるを得なくなった、その瞬間だ。


「…貴様」


 そしてその瞬間は、突然訪れた。

 蜜柑を口に運ぶヴェアルを見て、減りゆく蜜柑への怒りが冷めていないバアゼルが嗜虐的な光を瞳に宿した瞬間、弓弦は悟った。

 バアゼルの奴、暴露する気だーーー弓弦はすぐ、アデウスに合図を送った。


「きさ「やらせはせん!」」


 バアゼルの口を塞ごうとヴェアルが飛び出した。

 これだ。この隙を、待っていた。


「(今だ――!!)」


 師匠と弟子のナイスコンビネーションが、隙を穿つ。完璧なタイミングで切先が、ヴェアルの額に貼られた紙切れを捉えた。

「師と…弟子かぁ。息の合った師弟の合体技って、カッコ良いよねぇ…」


「…コク。コンビネーション…あれは、良いもの。…私達も何か、考える?」


「副隊長…。僕達も一応…師弟関係になるんですか?」


「…なると思う。…剣術教えたから」


「そうなんだ。じゃあ、どんな技が良いかな」


「…王道なのは、師匠が弟子に教えた技。…これは師弟コンビネーションにおいて外すことが出来ない」


「と言うことは、剣を構えて突撃するあの技か…。あ、閃いた!」


「…?」


「僕と副隊長が、十字状に交差突撃するコンビネーションはどうかな?」


「…形としては悪くない。じゃあ早速、練習」


「じゃあ僕は、予告を」


「…コク」


「『レイアは手を伸ばした。己が本能の赴くまま、ただ一つの想いを胸に抱く彼女の手は、空をなぞる。悔しさに手を伸ばそうとも、過去をなぞる。攻める姉、避ける弟。何度も繰り出すその手は、彼女の願いを掴み取るのかーーー次回、レイア、伸ばす」


「…じゃあVRルームで、レッツ、コンビネーション」

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