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シテロ、抱く

 湯煙の中、見えるのは、筋骨隆々とした裸の男。

 視界に入って意識してしまうと、肝が冷凍庫に入れられた気分になる。

 意識をどうにかして外すには、男のことを考えないことーーーつまり、男以外のことを考えるしかない。

 思い浮かべたのは、女のこと。女性の身体を脳裏に描き、男のことを忘れた。


「はぁぁぁぁ…参った…なぁ」


 暗闇の中、ただただ疲れたなぁって思いが湯水のように浮かんでくる。

 はぁ…どうして、こうなったんだかなぁ。ほんと…どうしてだろうか。


「…どうしたもの…か」


 身体に上手く力が入らない。

 頭も思ったように回らない。ずっと、靄が掛かったように考えることも出来ない。

 そんな弓弦は、炬燵に足を入れて静かに時を過ごしていた。


「…ユール?」


 炬燵と向かい合う彼と炬燵の間。弓弦の膝に乗っているシテロが首をもたげる。彼女は今、子龍の姿だ。


「ん…あぁ…」


 気遣わしそうに見詰めてくる二対の瞳を見詰め返し、弓弦は笑い掛けようとする。だが、どこかぎこちない。


「…ポカポカがポケ~になったの」


 シテロの表情が曇る。

 しまったな、と思ってもどうにか出来るものではない。でもどうにかしようと試みて、弓弦はシテロの首を撫でた。


「悪い、シテロ。お前にまで心配掛けているな」


「…私だけじゃないの、他の皆もユールのこと心配しているの」


「…そうなのか」


 シテロの言葉に、弓弦は周囲を探す。

 自分と、シテロと、他にはーーー誰も居ない。どこからか気配は感じるので、自分の内部空間には居るはず。

 他に居るのは、アスクレピオスと、アデウスとヴェアルということが気配から分かる。一体どこに身を隠しているのだろうか。そんなことをふと考えた弓弦だが、そんな彼は、他に考えなければならないことを考えていない。

 何せ彼はーーー


「…ま、こんなんじゃ心配してくれって言っているようなものだもんな。知影もふざけているようで、何だかんだ正論を言ってくれたし…」


 全裸なのである。

 全裸で炬燵に足を入れ、膝の上にシテロを乗せているのが、今の弓弦の体勢だ。

 何とも、何とも茶の間には見せられないような光景。それが繰り広げられている理由は、弓弦が自分の見た目にまで意識を向けるだけの余裕が無いためだった。

 倒れてからというもの彼の意識は、自分自身に向けられている。今も、己の内にあるどうしようもないものと火花を散らしている最中だ。


「どうにかは、したい。だがどうしても…考えてしまうとだな…っ」


 浮かび上がってきてしまう男の裸体。

 これまでに出会ってきた男達の顔釜浮かぶ、次いでその身体が。記憶の至る所にある肉体美が、弓弦を震えさせた。

 顔が青褪めた。震える瞳孔は、瞼の裏に浮かぶ裸体を遠去けるように瞬きを我慢している。


「ユールぅ…大丈夫…?」


 どうしよう。どうにかしたいのに、どうすれば良いのか分からなくて。行き場の無い感情が雫となる。

 瞳を潤ませたシテロに見上げられると、弓弦は形容し難い罪悪感を感じた。

 ひたすらに沸き起こる男への不快感を減らすためには。シテロを安心させようと思考を巡らした弓弦は、先程と同じ行動をすることに。


「…すまんシテロ、悪いが人間の姿になって俺に抱き着いてくれないか? 今はあまり、男について考えたくないんだ」


 それは即ち、「女」について考えること。

 思考を一つのものに固定することで悪感情から眼を背ける、いわば逃避行動だ。

 本当だったら、悪感情を自らの内に留めるだけに出来れば良い。それが出来たら苦労しないのだが、弓弦は一つの背中に「大きな何か」を背負っていた男を、二人程知っていた。

 一人は、弓弦の肉親。家では不当な扱いを受ける悲しい立場にあった男だが、一度覚悟に袖を通すと街の守護者となっていた。

 もう一人は、弓弦に『禁忌』を託した男。無言、無表情を言葉とする寡黙な男だが、その仮面の裏で誰よりも厚い情を持っていた。


「(う…)」


 また男について考えてしまった。

 このままではいけないと、弓弦は自然と語気を、シテロの龍翼の付け根に触れた手に力を込めていた。


「今は、お前のことだけを感じていたいんだ…っ!」


「え…!?」


 シテロの眼が、驚きに丸くなった。

 視線を彷徨わせ、指は左右にくっ付けたり離したり。弓弦の言葉に明らかな動揺を見せた後に、恐る恐ると上眼遣いになった。


「…わ、分かったの」


 シテロは眼を瞑ると、その身を光の粒子とした。

 小龍の甲高い鳴き声が響き渡ると、粒子は人の形に膨れ上がって霧散した。


「抱き着く」


 光の後に残ったのは、弓弦の膝で馬乗りになった一人の女性だった。自然を思わせる緑の髪は眼に優しく、男なら誰もが眼を奪われる双丘は眼福だ。


「な!?」


 弓弦が変な言い方をしたものだから、間に受けたシテロは服を着ていなかった。

 彼女が何を思って服を着ていないのか分からない朴念仁は、言葉に詰まって固まった。


「ユール、ポカポカになれーっ!」


 シテロはそのまま膝を遡り、抵抗されることなく弓弦に密着した。

 裸な男の膝にまたがりながら抱き着く裸の女。見ようによっては著しく誤解を招いてしまいそうーーー否、どう見ても誤解を招く体勢だ。


「ん…何かユール、固くなっちゃったの。…でも、私を感じてもらうため…に、ぎゅぅぅぅぅぅっ!!」


 側から見れば、である。

 自らを感じさせようとシテロは、可能な限り弓弦に密着しようとするため女の子らしい膂力で弓弦に抱き着く。

 これが意味することは、何であろうか。男からすれば、羨ましいことに変わりないのであろうが、彼からすれば中々に危険な状況になるということだ。


「うぐぉっ!」


 即ち、双丘による質量の暴力である。

 密着によって物の見事に双丘の間へと誘われた弓弦は現在、窒息気味だ。

 「背後からにしてくれないか?」そんな要求をするために息を吸おうとすると、木目細やかな肌が吸い付いて口の中一杯にシテロの香りが広がる。視界は真っ暗で何を見えず、犬耳が規則正しい心臓の音を拾った。


「(…本当、人間の女の子みたいだよな…。温かくて…柔らかくて…良い香りがして…凄く気持ち良い感じだ……)」


 眠たくなってきた弓弦。

 徐々に彼の頭の中は霧に包まれ始めた。


「(…何だ…胸が苦しいぞ…? あぁ、そうか…女性の良さってヤツを実感しているからか…。じゃあ俺、今…全身でシテロの良さを感じている…ってことだよな…。そう思うと…こうやって前から抱き着かれるのも悪くないな。シテロの身体…温かくて、この、肌に包まれているような感じ…これまでは苦しくて止めてほしかったんだが中々どうして…)」


 解放されることのない圧迫感に、いつしか弓弦は幸せを感じる自分が居ることに気付いた。

 そして意識を手放しつつ思ったのだ。「女の子って、胸って良いなぁ」、と。

 男嫌いが転じて、女好きに。

 男のことを考えたくなかったら、頭の中を女で満たせば良いーーーそんな答えを確かなものにして弓弦は、


「シテロの中…最高…だーーー」


 やはり言い方的に、もう少し考えた方が良い発言をして気を失った。


「…何だか、凄いことを言われたような気がするの」


 知影辺りならば悶絶してしまいそうな言葉でも、どことなくズレた感想を抱くのは悪魔であるが故か、彼女の性格によるものか。シテロが間に受けなかったのは、少なくとも弓弦にとっては幸いであった。


「でも私のポカポカがユールに褒められたような気がするから嬉しいの…♪」


 だが意味が分からず間に受けられなかったものの、「最高」という言葉はシテロの耳に届いていた。

 誰かに褒められる。余程嫌な相手でもない限りは嬉しいというのが気持ちとして当たり前のようなものだ。

 シテロは暫く弓弦を抱きしめていたが、時間の経過に連れて力を弱めていった。次第に手が落ち、顔が弓弦の頭に凭れると瞼が下がった。


「すぅ…」


 閉じた視界の中で、ふと風を感じた。

 顎の辺りに感じていた頭の感覚がするりと離れ、別の硬いものの感覚を頬に感じるようになった。元々背中に支えが無いまま意識を失ってしまった弓弦が、凭れられて仰向けになったのだった。


「…ん…」


 シテロにもまた、耳に弓弦の胸の音が聞こえていた。

 持続的に、絶え間無く規則的に聞こえてくる音が、彼女の意識を溶かしていく。

 陽溜まりのような温もりを感じていると、どうしようもなく彼女は安らぎを感じた。

 幸せだった。俯せなので胸に圧迫感を感じている以上、少し息苦しいが。だがそれがあまり気にならない程に、心地良い感覚に彼女は包まれていた。

 この感覚を、ずっと。そんな想いが、彼女の唇にある魔法の名を紡がせていた。


「…‘ロック…コネクティング…’」


 それは、座標固定の魔法。物と物の位置を固定し、一時的に接着させておく魔法。

 弓弦やフィーナが被る帽子が、激しい戦闘の最中においても飛ばされないのはそのためだった。

 魔法陣が輝きを放ち、魔法発動の証とした。弓弦に乗るシテロの位置が固定され、離れなくなった。

 弓弦は仰向けに、シテロは俯せ。他の人に見られたら危険なまま、時は過ぎていくーーー












 ものだから、当然のように眼を見張られた。


「…し、師匠…っ!?」


 弓弦をシテロに任せ、自らは邪魔にならないよう離れた所でハリセンを振るっていたアデウス。一頻りツッコミの練習を終えたところで戻って来た彼に対し、待ち受けていた師匠の姿の異様さに動揺するなとは無理な話だろう。

 不思議な体位で眠る一人と一悪魔の様子をまじまじと見てから、悪魔はタイミングの多いに遅れたツッコミを入れた。


「そんな体位で寝れる病人が居るか! 不器用過ぎる寝方が一周回って器用な寝方に見えるではないか!」


「そのように遅れては、笑えるものも笑えんよ」


 致命的に間の取り方を誤ったツッコミを鼻で笑ったのは、後からやって来たヴェアル。呆れたように嘆息しながら、彼はアデウスにまだ席を外しておくように促した。


「『紅念の賢狼』よ、何故離れる? 致すことは致した体で寝ているように見えるため、目的は果たされているのでは…?」


 因みにこのアデウス、実際には「キシャ」の羅列で話している。精霊魔法の素養の無い人間には聞こえないが、悪魔の耳には通じる言葉で届いているだけである。


「分かり合うとは、己の意思を相手に理解してもらうだけではない。相手の意思もまた、己で理解することだ。考えてみると良い、あの体勢で寝たまま眼覚めた折に私達が近くに居たら…気不味い状況になるだろう」


「…気不味くなる、と。そう言うものなのか」


「必ずしもそうとなる訳ではない。ただ…危険の芽は出来るならば、潰さなければならない」


 二悪魔は場所を移してから腰を下ろした。

 炬燵が見えなくなるまで離れたその場所は、特にこれといって何も無い場所だ。周囲を見渡しても、何かがある訳でも見える訳でもなく、ただ何も無い空間が永遠のように広がっているだけ。


「…心とは、分からんものだな」


 陰鬱な気分が、暗闇によって増幅するようだ。アデウスは頭を振る。

 精神空間的に、こうも暗闇が広がっているというのはいかがなものか。そう考えもしたが、それは既に結論が出ているものだ。

 かつてこの空間の主も暗闇について考えたりしたものだが、結論に辿り着けなかった。

 しかしこの暗闇については、「結論が出ないこと」こそが結論だ。自分の心が確かなものとして自分自身で覗ければ、ヒトは生きるのに苦労しないのである。即ち、考えても考えるだけ無駄ということ。

 そんな経緯を知っているからこそ、アデウスは染み染みと呟くことで自らが抱いた疑問に答えを打つけた。


「分からないからこその、暗闇。しかし、想像を掻き立てるものではある」


 もしかしたら、手を伸ばした先に見えない扉があって、触れれば扉の先に進めるかもしれない。まだ見ぬ物を求める探究心は、しばしば人の営みの糧となる。

 「だからこそ、時として好奇心は猫を殺すのだがな」とヴェアルは続け、少し遠い眼をした。


「…賢狼、お前はいつも勿体振った言い回しをする。まるで全て他人事のようではないか」


「他人事と思いたいこともある。だが、他人事と思えないこともある。他人事のように聞こえるのはきっと、私が他人事と思いたいからだろう」


 ヴェアルの脳裏に、浮かぶ光景があった。

 思い出されるのは、以前とある人物の部屋に何気無く壁を通り抜けて向かってみたところ、うっかり湯上り姿を目撃してしまったという事故だ。

 あの時見た光景、あの後起こった出来事。ヴェアルにとってはその全てが、今にして思えば若さ故の過ちだった。


「…何か覚えでも?」


「フッ…。坊やだったのさ」


 煙に巻くヴェアルに、アデウスが探るような視線を向けた。だがヴェアルは彼方を見遣っており、その思考について思案することは出来なかった。


「…ほぅ」


 その代わりといわんばかりに、周囲に変化が起きた。

 声を出したのはヴェアル。彼の視線の先に、姿を表す存在が居た。


「猫に記憶に。噂をすれば影だな…」


 相変わらず他人事のように話すヴェアル。

 だが、その声音はどこか、何故か微かに震えているように思えた。

 アデウスは、姿を表した存在を見て、次にヴェアルを見た。仲間の変化に気付いたのはその時だ。


「賢狼、貴様宛の言伝だ」


 現れたのはバアゼル。

 ヴェアルに向けての伝言とのことなので意識を集中させるアデウスだったが、言伝の内容は明らかにならなかった。


「…フ。足を運ぶとしよう。私もつくづく運の無い狼だ」


 どこへと行くのか。

 それを問う前に、アデウスを除いた二悪魔は姿を闇に溶かした。


「……」


 取り残されるアデウス。右を見ても、左を見ても変わり映えしない景色に溜息を吐く。

 話し相手も居ない。ならば、することは限られてくるもの。気を取り直したアデウスは、来た道を戻ろうとしてーーー


「…そう言えば」


 先程からずっとアスクレピオスの姿が無いことに気付く。

 弓弦の下へと向かう直前には居たのだが、逸れてしまったのだろうか。

 この空間は、どこまで広がっているのかさえ分からない空間。逸れてしまう可能性も、大いにあるであろう。そして、永遠に迷子になるなんてこともあるかもしれない。

 アデウスは一悪魔頷くと、


神鳥かむどりよ、カムンドーリ!」


 カモンボーイならぬ、カムンドーリ。英語としても、駄洒落としても怪し過ぎる文句を大声で発しながら、暗闇に消えて行った。

「ねぇ風音」


「はい、どうされましたかセティ?」


「…女の子同士って、口と口でキスするの?」


「…接吻ですか。それは…難しい質問ですね。するかもしれませんし、しないかもしれません。…まさかとは思いますが、そんな場面を見たのですか?」


「…前の話」


「前の話…?」


「コク。…フィーナがレイアに、キスしようとしていたみたい」


「あらあら…まぁ」


「…だから、女の子同士でもするのかな…って」


「…そうですね。私の国では一般的には、籍を共にした異性同士が行うものです。他所の国では、所謂親愛の証として親が子に、子が親にすることがある…とは、伺ったことがあります。また極々稀に、同性同士の恋と言うものもあるそうですから、あり得ないものではありませんかと」


「男の子と男の子、女の子と女の子…が?」


「はい。それも一つの愛…だと思います」


「…そうなんだ。勉強になった」


「クス…それはよう御座いました。…では、ここで予告です。『疑問とは、生きている限り日常の中に潜むもの。喜びとは、生きている限り日常を彩るもの。蜜柑、蜜柑。そして蜜柑。渇望した望みを目前にして歓喜する悪魔の背後に立つ彼女が冷笑するーーー次回、弓弦、喚ばれる』…‘それにしても、セティの耳に届いているとは。…あの場に居たのはフィーナ様とレイアさんを除いて私だけのはず…。他に何方かに目撃されていたのでしょうか…?」


「…風音どうかした?」


「…何でもありません。セティ、恋愛とはデリハードな問題です。フィーナ様とレイアさんの件は第三者に他言しない方が良いでしょう」


「…コク、分かった。でも風音、デリハードじゃなくて、デリケート。…バじゃなくて良かった」


「そうなのです。ハ、かバで悩みまして。最初はデリバー…」


「ストップ。駄目。サンタみたいな鳥になるから」


「…左様で御座いますか。それは失礼致しました」

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