レイア、立つ
外の天気とは真逆な大雨模様が窺える部屋の中で。意識を旅出させてしまった弓弦の周りを、相も変わらず女性陣は囲っていた。
「あ、あなた。男の人は…こ、怖くないわよ…?」
寝息を立てている弓弦の犬耳に囁きかけるフィーナ。
悲しい状態になっている夫のために投げ掛けた言葉は、彼女が言えたものではない台詞だ。
事実、その言葉を聞いた他の者は揃いも揃ってフィーナを見た。
「…フィーナが言えた台詞じゃない」
揃った気持ちを代弁したのはセティ。
この場の女性陣の誰よりも、男を毛嫌いしているフィーナ。それを良く知っている肉親だからこそ言えるストレートな言葉だった。
しかしフィーナはあっけらかんと屁理屈を捏ねた。
「私はユヅル以外の男が嫌なだけ。怖がってる訳じゃないわ。それに、全ての男が嫌いと言う訳でもないこと…セティ、あなたなら分かるわよね?」
少女の脳裏に一人の男の子が浮かんだ。
彼を招いたり、ご飯をご馳走している時にフィーナは嫌な顔一つしていなかった。それどころか、いつも微笑まし気に見てくれていた気がする。
セティは小さく頷いた。
「…でも屁理屈」
「ふふ、そうね。物は言いようだわ」
「フィーナなら怖がるよりも先に蹴散らしてそうだよね」
知影の身の蓋も無い言い草に、フィーナが半眼になった。
「あら、蹴散らされたいのかしら?」
冷気が立ち込める。
声の調子はそのままに、瞳が鋭い。
「私、男じゃないのでお断りします」
「そう、残念だわ」
冷気が収まる。
フィーナが大して残念ではなさそうにしているのは、それがこの部屋の日常だからだ。
「「……」」
だがその日常には、欠かせないはずの人が欠けている。
「彼」は良く言うのだ。こんな時には決まって、「平和だなぁ」と。それが平和な日常を見た時の口癖だ。
染み染みとした彼の呟きを聞くと、知影とフィーナも「平和」を意識するのだ。日常の一ページが、いつもそこにあったのに。いざ聞こえなくなると寂しいものだ。
「…少し寝かせてあげよう。揃って周りに立っていたら、ユ~君落ち着いて寝れないかも」
弓弦の額に触れていたレイアの言葉に、一同はベッドから離れた。
「そう言えば、ユリ」
フィーナとユリ以外は椅子に座る。
椅子取り合戦のようだが、実際は二人が他の四人に椅子を譲った形だ。
「私にも用があったのよね? 何かしら」
フィーナが訊いたのはユリの用件。どうやら、聞き流さないでいてくれたようだ。
「あ、うむ」
ユリとしては正直、半分忘れかけていた。
弓弦の様子が衝撃的過ぎて、あまりにも思考が彼に囚われてしまっていたのだ。どうして他事を考えられようか。
第一石化は、砕かれでもしない限りあれ以上の変化は無いが、弓弦は今症状が時間と共に推移しているような状態なのだ。弓弦への対応は、一歩間違えれば今後も悪い状況が持続しかねない。
ユリは医療者という経験上、確信していることがあった。一番厄介なのは身体の病ではない、心の病だと。
人の営みの質を最も落とすのは、心の病なのだ。心を病んでしまえば、そこから身体を病んでしまう。病は気から、とはここから来ると考えていた。
弓弦のことも大切だが、この部屋に滞在するためには別の用事を終わらせた方が筋も通るというものだろう。ユリは手短に用件を話すことにした。
「実は隊長殿がかくかくしかじかでな」
「…そう、かくかくしかじかなの。それで、どうかくかくしかじかなのかしら?」
「うむ、それがしかじかかくかくでな」
「しかじかかくかく?」
「うむ、それでかくかくしかじかなのだ」
「そう、かくさんすけさんなのね。分かったわ」
「うむ」
説明は、実に手短に行われた。
理解の早いフィーナの聡明さにユリは感謝したかったのだが、何故か引っ掛かりを覚えた。
どうも、理解してもらえていないような気がする。「かくかく」と「しかじか」に、全ての用件を入れ込んで説明したはずなのだが。
「あのさ、一つ疑問。良いかな?」
その手短過ぎる説明に、知影が挙手をした。
疑問とは、何だろうか。
「…話、通じてる? 聞いているとさ、話が通じていないような気がするんだけど」
「かくかく」と、「しかじか」に込められた数多の言葉は、理解されてこそ意味を成すものだ。
良い意味でも悪い意味でも理解力に長ける知影が挙げた疑問に、ユリとフィーナは顔を見合わせた。
「…取り敢えずユリちゃんに訊くけど。フィーナに何を頼まれたの?」
「む…隊長殿が理由は解せんが石にされている故、フィーナ殿に魔法の解除を……」
「え? レオン・ハーウェルと言う一応この艦の艦長を務めている男が、助さんと角さんを連れて諸国漫遊の旅に出たのでしょう?」
見詰め合った二人は眼を瞬かせる。
これはーーー伝わっていない。
「ほらやっぱり、全然伝わっていないし…」
「何処かで伺った昔話の様ですね♪」
肩を落とした知影を見て、セティが小さく噴き出した。風音は微笑まし気にクスリと笑う。
「…わざわざかくかくしかじかに略す必要無かったと思うけど」
「…むぅ。伝わると思ったのだが」
「言葉って難しいわね」
略さないことは大切なのである。
それと、ツッコミ役が居ない時には誰かが代わりをすることも大切だったりする。
「‘なんで私がツッコミやってんだろ…’」
知影の呟きは誰の耳にも届かなかった。
「でもあの男が石になっていると言うことは理解したわ。不思議ねぇ…魔法によるもの? ギャグとかじゃなくて?」
「ネタの類ならば良いのだ。しかし…どうも普通に石になっているみたいでな」
普通に石になっている。実に不思議な表現である。
「…分かったわ」
渋られるかとも思ったが、フィーナは意外にも快諾してくれた。
表情こそあまり好んでという訳でもなさそうだが、断固お断りでもない。
これにはレイア以外の者が驚いた。
「…何? 揃って物言いた気な顔をして」
「あまりにもすんなりと引き受けてくれたのでな。つい驚いてしまったのだ」
「そうそう」「…コク」
三人に見詰められ、フィーナはタジタジになる。
自分は、そこまで冷たいハイエルフだと思われているのか。そりゃ確かに、好意を持って接している訳でないのだが。それでも。
「…心外だわ。私にだって、困っている人を助けたいって思う善意ぐらいあるわよ」
ふと、レイアの姿が眼に入った。
先程から何も喋っていないが、何をしているのか。
視線だけをさり気無く向けていると、レイアの視線が動いたので視線が合いそうになる前にユリへと戻した。
「うむ、そうなのか。失礼した。ではその善意が導くままに、足労願いたい」
フィーナはユリと共に部屋を後にし、隊長室へと向かった。
隊長室の扉を開くと、中でリィルとディオが待っていた。
待ってましたとばかりの出迎えを受けから、フィーナは石像の前に立った。
「あら、見事な石像ね。まるで生きているみたいじゃない」
生きていると思ったのは、この場の誰もだ。
自分で言ったものの、少々変な言い方であったか。フィーナは内省した。
「オープスト大佐、これを治せまして?」
リィルの言葉に石像を凝視する。
「視」たところ、魔法によって石にされているらしい。石像になった男がここまで怯えた表情をしているところを見ると、術者は相当な実力者か。動きを封じて、じわりじわりと恐怖を抱かせながら石化させている辺り、性格も中々のモノをお持ちだ。
「(…この魔法…)」
しかし、魔力の持ち主が判別出来ない。それに、今まで視たことのない奇妙な魔力だ。幾重にも練り重ねて発動された石化魔法は、単なる“パージストム”での解除が難しそうだ。
「…何とかなると思うわ。任せて」
フィーナは三人を下がらせ、石像に手を翳した。そして眼を閉じ、静かに詠唱の語句を呟き始める。
『…砕かれよ』
髪が魔力に煽られ、静かに重力に反し始めた。
石像の足下に魔法陣が生じると、翳したままの手を横に払った。
『不動たる縛め!』
魔法陣から生じた光が石像を包んだ。
* * *
フィーナとユリが去った後の506号室。各々が神妙にして二人の戻りを待とうとしていたーーーと、いう訳でもなく。それぞれの時間を過ごすことにしていた。
知影が弓弦の下に戻り、風音はセティと談笑している。そんな中一人だけ、部屋を離れようとしている者が居た。
「じゃあ私は部屋に戻るね」
このまま何もしないままで居る訳にもいかないため、レイアは部屋を後にした。
弓弦のことが気にはなったが、今は寝ているのでそっとしておくべきとの判断を下した。
「…ユ~君、熱もあるみたい。こんな時は…ううん、こんな時だからこそ最大限に活かさなきゃ」
そんな言葉を呟き、彼女が向かったのは自身の部屋。
戻るや否や、棚の中身を物色し始めたレイアの脳内に呆れたような声が聞こえる。
『…如何、最大限に活かすと云うか、娘よ』
聞こえたのは、厳かな響きを持つ蝙蝠悪魔の声。
棚から小瓶を取り出したレイアは、それを机に置いて顎に手を当てた。
「ユ~君が横になっている間に、やらないといけないこともあるってことだよ。ユ~君危なっかしいところあるからねぇ…」
例えるなら、子どもが寝ている間に家事を済ませておくーーーに近いのかもしれない。眼を覚ましている間は出来るだけ側に居たいが故の苦渋の判断だ。
『ふむ…して、何をするつもりか』
随分と訊いてくる蝙蝠悪魔だ。
何をしようとしまいと自分の勝手ではあるが、疑問の理由を考えると微笑ましさを覚えるレイアだ。
「分かった、ユ~君が心配なんでしょ?」
返ってきたのは無言。だがその無言は、肯定であるが故と思われた。
蝙蝠悪魔ーーーバアゼルは素直じゃない悪魔だが、中々どうして義に厚い。何だかんだ己を宿している男の身を案じているのだから。
「私には、出来ればユ~君の側に居てほしい…そんなところだよね」
弓弦のことを案じているのはバアゼルだけではない。シテロや、アデウスなんかは特に心配していた。
体調を崩した弓弦の下へ、真っ先に戻って行った二悪魔は今、主の下だ。特にシテロは、弓弦をベッドに運んで夜通し看病すると決意していたのだ。
あの時の迫力は凄まじかった。普段大人しい存在程、いざ激怒したら手が付けられないのだ。
レイアはその意気に負け、弓弦の看病を彼女に譲ると看病に集中出来るよう、フィーナと知影に睡眠魔法を掛けた。弓弦の異変が朝になって発見されたのは、そのためであったりする。
『貴様には、償う理由がある。違うか、娘よ』
償う理由。
そう、原因の一端はレイアにもあった。
「…それは、そうだけど」
否、一端ではない。原因の大半が自分にあると、彼女は考えていた。
弓弦のことを思い、黒歴史現在進行形の姿を他の誰にも見せまいとして、彼女は悪魔達全員を自らの下に滞在させた。
何も起こらないとの甘えがあったのだ。レオンを信用していたからこそ、全ての黒歴史が弓弦だけで完結するように取計らった。そして自らも、事態を静観することを決めていたのだ。
しかしそれが仇となり、異変を察知し彼女が駆け付けた時には、弓弦が男への恐怖に屈していた。
シテロが寝ていて良かった。そう考えたのは、彼女がレオンに対して抱いた感情に起因する。
弓弦の異変を確認した時、彼女の内で堪忍袋の緒が切れたのだ。その結果レオンに対し、色々と制裁を加えたのだが、もし起きたシテロの到着がもう少し早ければーーー悪魔の激怒は想像を絶するスケールをもって、繰り広げられただろう。実際はレイアが弓弦をベッドに寝かした時に駆け付けたのだが。その時は、「怖いものを見た際のショックと、熱で倒れたんだよ」と思わず誤魔化してしまった。
『田分けの如き寝込み様だが、彼れと其の周りからすれば一大事。貴様が此処を離れれば、あらぬ疑いを掛けられても知らんぞ?』
「…そこは、ほら。何とかする。折角フ~ちゃんの瞳から魔力を隠したのに、そんな些細な失敗は犯さないよ」
思えば昨日今日と、誤魔化してばかりだった。
レオンにはついムキになって制裁を加えてしまったが、もし自分が怒ったことから昨日の事件にまで辿り着かれてしまったら、レオンの命が危うい。だからレイアは、自分の魔力という痕跡を隠したのだ。
方法? それは、彼女のみぞ知る。
「隊長君は突然石になった。ユ~君とは一切関係ありません。…これが理想なんだけど、難しいよねぇ」
『突然石になった者と、寝込んだ者が同時に生じる。…関連を疑えとばかりの事象だ』
「それでも、何とかなるかなぁ…って、思ってる」
『ほぅ。其の自信が何処から来るのか解せんが…。一つ、忠告してやろう』
バアゼルは、声の調子そのままに、レイアに忠告を伝えた。
『娘、努努己の保身とならぬ様用心する事だ』
レイアの表情が固まったのが分かったのか、バアゼルは喉を鳴らす。
驚かないのか。ということは、自分なりに分かっていたのだろう。原因の大半を担っている以上、自分がしている行為が、自身の保身に繋がることに。
それはいわば、放火犯が放火した場所を火消しに回っているようなもの。その後の行いがどうであれ、最初に犯してしまったモノを弁明のしようはないのだ。
「そうだね。でも…外出は中止みたい」
扉を叩く音が聞こえた。
忠言に対して礼を言ったレイアは身支度を止めると、扉の前に立った。
「人生楽ありゃ苦もある…か。そう言えばそんな歌があったな。…正直、苦しばかりだと思ってしまうんだが。それはきっと、俺が楽を当たり前のものとして考えることで気付いていないだけ…だろう。…当たり前のことこそ、結構大事だったりするんだが」
「…とまぁ、分かっていても当たり前のことは当たり前と考えて、それ以上考えることなんて中々無い訳だ。そこのところ難しいよなぁ」
「ところで、助さんと角さんって言ったら大体の人はピンとくるよな。いや、逆に知らない人の方が少数派のはずだ。それぐらい有名な人達なんだし…。名前くらいならどこかで聞いたことがあるって人も多い…よな。うん」
「…俺もいつか、気の合うお供を連れて、気ままな旅をしてみたいなぁ…ってところで、予告だ。『扉の先に立っていた人物に、レイアは息を呑んだ。知られる訳にはいかない真実を心の内に秘め、彼女が臨むのは静かな探り合い。告げる一言、告げられる一言、その全てを手掛かりとして探りを深める相手に対し、彼女は弓弦の黒歴史を隠し通せるのかーーー次回、レイア、捨てる』…黒歴史…か。はは…ホント、黒歴史だ…はぁ」
「…そう言や、気の合うお供を連れてデカいモンスター倒しに行くってのも良いよなぁ。一狩り行こうぜ! …ってな♪」