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ユリ、飛び出す

 清々しい朝の光が、窓から差し込んでいる。

 光に照らされた部屋には、手製らしいぬいぐるみが綺麗に並べられており、何というか部屋の主らしい部屋だ。

 開かれた窓の隙間から入り込んでくる朝風に頬を撫でられ、ユリは身体を起こした。


「んん…んう…」


 抱き締めていたぬいぐるみを傍に置くと、ユリは身体を起こした。

 心地良い朝だ。寝惚け眼を擦って意識を清明にすると、ユリは、


「ぁぅ…」


 布団に沈み込んだ。

 布団の外が良く冷える朝特有の、二度寝態勢だ。未だ布団に残る温もりを求めて、ユリはもぞもぞと動く。


「…ん…?」


 何気無く伸ばした手が、傍に置いていたぬいぐるみをなぞる。頬を触れ、やがて背中を掴むと自らの下へと引き寄せた。


「ん…くまさん……」


 ぬいぐるみを胸に押し抱き、ユリは夢の世界へと足を踏み入れていく。

 モフモフに包まれて夢見心地な彼女は、そのまま意識を手放そうとしてーーー


 ーーードンドンドン!!


 扉を叩く音のために出来なかった。


「ふぁっ!?」


 裏返った声と共に眼を大きく見開いたユリは、突然の物音に反応して布団の中に入った。

 暫くして、布団が震える。

 否、布団ではない。ユリが震えているのだ。


「ぁぁぅぁぅぁぅおおおおばけばけ…っ」


 震えれば震える程、震えと恐怖が強まる。

 不意を突かれたことによって動揺し切ってしまった彼女は、もう取り乱しまくりだ。朝だというのに、布団の中にて暗闇に包まれた彼女の時間感覚はさながら深夜。扉を叩かれただけで、全力で自分を追い詰めていることに他ならないのだが、兎に角彼女は震えるしかなかったのだ。


ーーードコドンドコドンドコドンドンドコ!


 再び扉が叩かれると、堪らずユリは熊のぬいぐるみを抱き締める。


「ぅぁぁぁぁぁぁぁ…や、やめてくれぇぇぇ……」


 何故だ。何故そうもリズミカルに叩く。余計に怖くなるではないか。

 震えを抑えようと、ぬいぐるみを抱き締める力が強くなる。

 震える唇がとある人物の名を呟く。


「…っ!!」


 一度呟くと、もう一度呟きたくなる。それはまるで、魔法のように。

 二度呟くと、更にもう一度。呟けば呟く程、心が落ち着くようだ。念仏のように繰り返しながら、ユリは布団より飛び出した。そして左手でぬいぐるみを抱いたまま、机に立て掛けてあった狙撃銃に飛び付いた。


「…!! (これでは…照準が定まらない…! ならば!)」


 ぬいぐるみの胴体を服の中に押し込み、狙撃態勢に入る。

 熊さんの頭が少しだけ邪魔にはなるが、狙撃の精度を下げるつもりはない。震える心を落ち着けて、ユリは極めて冷静に誰何した。


「名を名乗れ。さもなければーーー」


 不意に扉を叩かれただけでこの反応。冷静な行動だからこそ、対応としては完璧に世間一般な常識と大きくズレていた。

 名を名乗らなければ発砲されるかもしれない危機的状況。扉を叩いた人間からすれば理不尽に近い状況だ。

 この可哀想とも取れる状況。陥っているのは、運の無い人間と見て相違無い。艦内で運の無い人間となれば、人物は必然的に限られてくるもの。その人物とは、大体二人に分けることが出来た。「彼」か、「彼」か。


ーーークアシエトール大佐!!


 ユリの耳朶を打ったのは、焦ったような男の声。

 声の主を判別したものの、ヤケに慌てている様子にユリは眉を顰めた。

 何かが起こったのだろう。瞬時に判断すると、急いで身支度を整える。


「何かあったか、ディオ殿」


 ユリはディオの話に耳を傾けつつ、上着を探した。

 すぐに扉を開けようかとは思ったが、寝間着ネグリジェ姿を見られるのは恥ずかしかった。


「ふむ」


 ディオが語った急な来訪の理由。

 白衣を羽織り、急いで前ボタンを留めようとしていたユリは思わず訊き返していた。


「…それは誠か?」


 朝から何やら騒々しいとは思った。しかし訊いてみると、それは納得のいくーーー否、いき過ぎる理由だった。


「本当だよ! 僕はリィルさんに言われて…!」


 応急処置用の診療具が入ったバッグを右手に取る。

 扉を開けると、ディオの青褪めた表情が眼に入った。

 冗談を言っているような顔ではない。明らかに緊急事態を語っている顔だ。


「…分かった。すぐに行く」


 どうやら、行くしかないらしい。

 俄かには信じ難いものを覚えつつも、ユリはディオの先導に続いた。


「しかし何でまた、そんなことに…」


 急ぎ足でディオを追いながら、思案する。

 実際に確認するまでは分からないことばかりだが、ディオの話から現状の理解を図っていく。


「…昨日までは変わり無い様子だったが」


「そうなんだよ。寧ろいつもより生き生きとしていた気がするけど…。リィルさんが様子を見に行った時には…もう」


 揚々とした気配を見せてたのが、今日になったらーーー。

 ディオの言う通りだった。故に、ユリにはそれが不可解に思えた。


「もしかしたら、この艦に何かが起こっているかもしれない。弓弦も寝込んでいるって言うし…」


 ユリは唸った。

 この艦に、何かが起こっている。それも、自分の力が必要とされている状態で。

 ならばそれをどうにかするのが、医療者としての役目だ。


「…何?」


 ところで今この男は、何を言った。

 ディオに追い付いて肩を掴むと、ユリは強引に振り向かせた。


「今、何と言った。弓弦が、どうした?」


 詰め寄る瞳は険しく、声は硬く。鬼気迫る様子は、部屋から出た時とは大違いな反応だ。

 弓弦と聞くや否や、物凄い食い付きであった。少々戸惑いながらも、ディオは今言ったことを繰り返す。


「何でも…今朝から弓弦が寝込んでいるらしいよ」


「な…!? 弓弦殿が、寝込んでしまっただとぉッ!?」


 何故だ、何故そんなことに。

 おそらく、それはそれは恐ろしいことが弓弦の身に起きてしまったのだろう。そうとしか考えられない。

 ユリはディオの肩を何度も強く揺さ振り、弓弦が寝込んだことについて訊き込んでいった。


「…朝から……」


「うん、何か関係がありそうだとは思うけど……」


 今すぐ、様子を見に行きたかった。

 踵を返して、部屋の戸を叩き中に入って。診察してーーー。


「っ」


 しかしそれが出来ないことを、ユリは分かっていた。

 弓弦の下にはきっと、彼を心配する女性達が集まっているだろうし、何よりその女性達は皆才女達なのだ。三人寄らば文殊の知恵とは良く知られた言葉だが、良く知られていることには理由がある。彼を慕う女性達ならば、わざわざ自分が出張らなくとも診断ぐらいしてしまいそうだ。

 それに、緊急度が高いのはもう一人の方だ。

 リィルがわざわざ呼び出しをするぐらいなのだから、状況はレッドゾーンといったところか。ならば自分は、そちらの方に向かわなければならない。


「…行くぞ、ディオ殿」


 迷いを振り払うと、ユリは先を急ぐ。

 通路の突き当たりを左に曲がる。左手に触れた扉の前に立つと、開いた。


「失礼するぞ!」


 開け放ったのは、隊長室の扉。

 部屋に入った彼女を待ち受けていたのはリィルと、一人の石像。


「な…っ!?」


 一瞬、何かの彫刻かと思った。

 立細部に至るまで一切手抜きの無い、立体的な造形。特に、揃えられた指の皺の違いや、無造作な髪の質感などはもう神業と呼ぶ他あるまい。

 更に述べるならば。驚くべき点は、姿勢の美しさにもあった。

 床に擦り付けた頭から腰部にかけての曲線は、「見よ」とばかりの躍動感を感じさせる。その躍動感はまるで、生きているかのようだ。


「ユリ!」


 石像と同じ高さにまで腰を下ろしていたリィルは、ユリの姿を認め立ち上がる。


「来てくださいましたのね!」


「…これは、一体…?」


 リィルと入れ替わる形でしゃがんだユリは石像を見る。

 良く出来た石像の下。床に何か文字が刻まれている。

 何の文字か。あまり見慣れない文字だがーーー。


「…土下座する人、と『魔法ルーン文字』で書かれていますの」


 タイトル、「土下座する人」ーーー言われてみると、そう読めるような気もする。名前を聞いてみると、本当に誰かの彫刻作品のようだ。


「…お願いユリ、レオン君を人間に戻してくれませんこと? このままじゃ、業務に支障が出ますわ!」


 その正体は、石像となったレオンだった。

 見事なまでの土下座っ振りからして、何か訳がありそうだ。


「む…。これはやはり、隊長殿なのか。掛けられているのは…石化魔法…と言ったところか。しかし…」


 治せるものなら治したい。治すだけ治して終わりにしたいのだが、それが難しいことをユリは知っていた。


「…リィル。私が、石化解除魔法(パージストム)を使えないこと…知らないとは言わせないぞ?」


「えっ?」


 ディオが驚きの声を上げた。


「…あら、まだ使えませんの。てっきりもう使えるとばかり」


「言っただろう。“パージストム”と、“ディバインヒール”は昔から何故か使えんのだ』


「えぇっ!? でぃ、“ディバインヒール”もっ!?!?」


 更に驚くディオ。

 そのあまりの驚きようは、流石にユリの気分を害した。

 眉を吊り上げて、「何か文句がありそうだな、ディオ殿」と声に凄みを込めると、ディオは後退りする。


「い、意外ですね!」


 “ディバインヒール”は、光属性の回復魔法“ヒール”の上位に当たる魔法。所謂ベ◯イミやベホ◯ムや、ケア◯ラやケ◯ルダである。

 医療班主任であるユリならば、使えて当たり前とばかり思っていたディオ。ただただ本心が出てきてしまってが、どうにか言葉を濁そうとする。

 しかし言葉を濁したところで、発してしまった言葉が無くなる訳ではない。


「意外…か。そうだろうな。石化も治せず、深い傷もすぐには癒せないのだから。さぞ驚くだろう」


 ユリは不機嫌さを隠そうとせずに腕を組んだ。

 苛々と怒りのオーラを立ち上らせる彼女の前にディオが土下座した。


「まぁまぁ。使えないのなら仕方ありませんわ。別の手立てを考えませんと」


「…そうだな。今は隊長殿をどうにかせねば…」


 土下座のまま石化させられているレオン。ユリの圧力に土下座させられているディオ。

 嗚呼、怒る女の前に男は何と無力なのだろうか。

 レオンを解除するための魔法は、手元に無い。ディオを立たせる声も発せられない。


「…これなんて、どうですの?」


 リィルがどこかからハンマーを取り出す。

 「ヤバt」と、鉄面に書かれているハンマーの重さは、中々ありそうだ。


「…どこから取り出したんですか」


 重い音が隊長室が響く。

 眼の前に現れた身の丈の倍はありそうなハンマーを見て、ディオが口をあんぐりと開けた。


「…いつまでもそこに座らないでくださいまし。危うく打つところでしたわよ」


「うっ」


 ようやくディオは、立つことを許された。


「…それで、どうするつもりだ」


「おほほ。それは勿論、コツンと」


 絶対コツンでは済まされない。

 ゴツンで始まり、石像が砕け散るであろう。

 物騒な物をしまうように言われたリィルは、ハンマーを背中の後ろに隠した。


「残念ですわ」


 次の瞬間、リィルは両手に何も持っていなかった。


「…どこにしまったんですか」


 まるで手品のような一瞬であった。

 ハンマーがどこから来てどこに消えたのかーーーそれを知るのはリィルだけだ。


「では、どういたしましょう? この石化をどうにかして解かないと…」


「…業務が、か?」


「えぇ。業務、です」


 案じられているのはレオンではない。溜まりに溜まる書類である。

 哀れレオン。土下座している石像が、静かに悲しみを背負っていく。


「危険な状態だろうと思い足を運んでみれば…業務か。そんなに業務が大切か?」


「そう言うものですわよ。この人がこのままだと、部隊の運営一つままなりませんわ」


 レオンが居るから、部隊が回る。

 レオンのサボり癖と、彼に対するリィルの態度から考えると中々に信じ難い。


「…セイシュウ殿はどうした。彼でも代理が出来るだろう?」


 「そういえば」と、何だかんだ普段の隊長業務をあまり見ていないことに気付くユリ。

 精々任務の報告のために赴いた隊長室で見る彼の姿は、寝ている姿ばかり。真面目に業務をしていることもあったが、それと同じぐらいの頻度でセイシュウと共に業務をしている姿もあった。業務代理をすることが出来ると、ユリが知ったのはその時だ。


「生憎。博士は今、所用があって艦を離れていますわ。不可能でしてよ」


「あ、なら弓弦に頼むのはどうかな」


 妙案とばかりにリィルが表情を明るくした。

 代理を頼もうとするのなら、彼を置いて他には居ない。


「…寝込んでいる者に頼もうとするとは。ディオ殿も難しいことを言う」


「あら、弓弦君は寝込まれていますのね…。居住区に活気が無いはずですわ」


 言葉こそ残念そうだが、代理人案を諦めてはないようだ。

 つまりは石像をこのまま放置するということ。それで良いのかレオン・ハーウェル。


「うむ。私としてはそちらも気になるのでな。出来ればこれをどうにかしたい」


 これ呼ばわりである。

 これで良いのか部隊長。


「でも、石化を治すには“パージストム”が使えなければいけないんですよね?」


「それがてっとり早い解決策ですわ。最悪、『組織』に高位光魔法の使い手を派遣してもらわなければ…。でも…」


 こんな姿で石化させられている隊長を見られたら、この部隊の恥だ。

 ただでさえここで石になっている男は有名人だと言うのに、隊長室で石化、それも土下座で? とんだ笑い草も良いところだ。

 リィルからしたら、ユリがまだ魔法を使えなかったことからして誤算だったのだ。他所に応援を頼むというのは、あくまで最終手段なのだがーーー


「…艦内で光魔法を使える人って、クアシエトール大佐だけですか?


 鶴の一声は、またもディオの一言だった。


「確か…ですけど、弓弦も、オープスト大佐も使っていたような気がする」


「…そう言えばそうですわね。弓弦君も使えましたわ。…と言うか、多くの属性を広く浅く使えましたわね。でも…オープスト大佐って、光魔法を使えましたっけ?」


「…フィーナか」


 使えた、とユリは記憶していた。

 そして同時に、彼女ならレオンの石化を解除出来るかもしれないと考えていた。


「…うん。使えた。確か以前、凄く大きな光の剣を出してた。あれ、光魔法…だよね?」


「む…。私も見覚えがある」


 弓弦と風音を追って、実行部隊の面々で廃城に赴いた時であったか。フィーナが光魔法を使った様子は見覚えがあった。

 ハイエルフである彼女なら、もしかしたらーーー? 期待する価値は十分あった。


「…でしたらここは、オープスト大佐に望みを賭けるしかありませんわね。ユリ、悪いけど呼んで来てくれませんこと?」


 それはついでに、弓弦の様子も見て来いということなのだろう。

 リィルの言葉の意味を言外のものとともに捉えたユリは、部屋を早足で後にした。

「…空が…青い……」




「…海も…青い……」




「…心も…青い……」




「あはは、あはははは」




「…空はどうして青いんだろう。どうして空は青く見えるのか。いやそよそも青とは何だ? 何故青は青と定義されている。最初に青を青と決めたのは誰だ。…は、ははっ。不思議だ。世は不思議に満ち溢れている…」




「…はぁ、これで良いのか? 取り敢えず本編で寝ているって設定だから、こんな感じにはしてみたが…どうにもしっくり来ないな。俺、こんな精神状況になっているのか? だとしたら、中々情けないんだが…」




「いや、な。やっぱ主人公って、程良くカッコ良くてナンボなんだよ。いつまでも凹んだウジウジ男を、誰が好意的に見てくれるんだかって話だ。だから俺としては至って普通の俺として振る舞いたいんだが…やっぱり設定上仕方が無いしな。だがなぁ…これだけは言っておきたいんだが、俺としても寝込んだりとかしたくないんだよ。したくないんだが…強いられているんだ」




「全くさ、雁字搦めな世の中だよな。しがらみばっかりだ。だから気持ち的に疲れて、白髪の人が増えるんだよ。髪の毛抜ける人も増えているんだ。とんだ負のサイクルだ。頼むからさ、それなりに様になる主人公で居させてほしいよな。そりゃ人間だし、凹んだりとか落ち込んだりとかはするが、物語的に見ていて面白くなるところじゃないとな、ただのネガティブ野郎にしかならないんだよ。鬱陶しいの何のって話だ。人気が下がるだろう、人気が。人気って、主人公的に大事なんだから」




「…と、こんなことより予告だな。『石化したレオンを救出出来る方法を求め、ユリは艦内を急ぐ。求めるのは己には不可能な方法。噛み締めたのは己の無力。弓弦の部屋を訪ねたユリを待ち受けていた光景はーーー次回、弓弦、浮かされる』…浮かされる? 殴られて吹き飛ばされるってことか? …取り敢えず、嫌な予感しかしないな…」

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