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セリスティーナ、呆れる

「セティ! 帰って来ていたのか!」


 少し疲れたような表情を見せていた彼は、セティを見付けると彼女の下へと急いだ。たちまち元気を取り戻したかのように優し気な表情で、少女に話し掛ける。


「遅かったじゃないか。怪我はしてないか? どんな敵と戦って来たんだ? 一人で行って来たのか? 大丈夫だったか?」


 早口で捲し立てる弓弦に、セティは少し距離を取る。

 そうなのだ。この弓弦という男は大変、過保護な一面を見せてくるのである。


「…ぅぅ」


 弓弦が言った言葉は、少女の中で予想された通りのものであった。それも、やっぱり一語一句間違いの無い大正解だ。

 物の見事に言われてしまった。

 物の見事な心配振りである。

 セティとしては、不必要な心配はしてくれなくても良いのだが、フィーナと弓弦は何というか、過保護気味なのだ。毎回ではないが、兎に角心配してくる。


「…怪我は無い。…無事だから、そんなに心配しなくて良い」


「心配するのは当然だ。兄が妹代わりの心配をして何が悪いんだ」


 弓弦、間髪入れずにこの返しである。

 まるでシスコンそのもののような言い草だが、本人にそれを指摘すると絶対に認めてくれないのが困りものだ。

 自分をまっすぐ見詰めて伝えてくれた思いには嬉しいセティだが、反面何とも言えない心地になる。

 弓弦はさも当たり前のように言ってくれるのだが、彼がこの発言をすると決まってフィーナの機嫌が傾くのだ。

 念のためフィーナな様子を確認したセティは、彼女の口が「シスコンご主人様」と動いたのを確かに見た。今日も今日とて不機嫌になっている。


「…悪くないけど。…悪い」


「?」


 セティとしては悪い気はしないが、フィーナからしたら悪い気しかしないだろう。

 眉を顰めた弓弦の様子に、セティは小さく息を吐いた。

 あぁ、分かっていない。今現在フィーナは機嫌を悪くしているのに、全然気付いていない。


「…もう良い。ジュース飲ませて」


「…? あぁ」


 フィーナの機嫌について、わざわざ自分が教える必要は無いと考えたセティは椅子に座る。

 どうせすぐ後に気付くのだ。


「ご飯の時間だから。用意して」


 声のトーンが明らかに下がったフィーナの声に、弓弦が固まる。

 どうやら早速気付いたようだ。

 数度瞬きをしてから頰を掻き、フィーナに向かって両手を合わせるも、


「さ、知影もセティもこれ持ってって」


 無視されたようだ。

 弓弦は石のように固まり、その場に棒立ちになった。


「はーい」


「ありがと」


 フィーナは、知影とセティにそれぞれ料理を渡していく。

 熱々のカレーライスだ。スパイスの効いた香りが喉を、腹を刺激する。


「…ぁ」


 机の上に皿を置いたところで、セティの腹の虫が騒ぎ始め、声を上げた。

 知影とフィーナの視線が微笑ましそうに注がれると、少女は頬を染めて俯いた。


「子どもの胃袋はいつも素直だよね〜」


「…きっと、ジュースを飲んだから」


 半分程空になったコップを恨めしそうに睨んだセティは、ふと思い付いたのか席を立った。

 両手でコップを持った少女は足先を弓弦へと向けて彼の下へ。


「…代わりに飲んで、弓弦」


「はぁ」


 それを受け取って飲み干す弓弦。

 ジュースの飲み干されたコップはセティが受け取り、今度は流しへと向かう。

 そんな少女を見ていた知影は、冷蔵庫からジュースを取り出そうとしてフィーナに止められる。

 知影の背後に立ち笑顔のまま、曰く、「ジュースは駄目よ、ご飯中なんだからお茶に決まっているじゃない」。知影が周囲を窺って突破口を探すも、光明は見付からなかった。

 せめてもの足掻きと、セティが持つコップを指差したが、「洗えば良いでしょ?」と止めを刺された。

 ジュースを諦め、お茶が入ったボトルを取り出しながら肩を落とした光景に、セティがクスリと笑う。

 自分のことを素直と言うのならば、彼女の方こそ素直である。そんな少女は自身と知影の使ったコップを水ですすぐと、片方は元の位置に、もう片方は元とは反対の位置に置いた。

 そして、二人分のコップにお茶を入れる。


「……」


 お茶の注がれたコップに神妙な面持ちを向ける知影。彼女がゆっくりと手を伸ばしそうとしたものの、またもやフィーナによって制止することになる。


「今、ジュース飲んだばかりよね。そう飲み物ばかり飲まないの」


「…ぐ」


 知影は極々当たり前のことを言われ、溜息と共に引き下がったが、何故か未練があるのか茶を凝視する。


「ねぇフィーナ、今日は空が綺麗だよね」


 せめてもの足掻きその二。

 空が綺麗と言っている割には、彼女の視線はコップに釘付けである。

 空を見てすらいないのに、空のことで気を逸らしに掛かるとはどう考えても無理のある話だ。


「セティ。ご飯前に知影がお茶を飲まないように、コップを守っておきなさい」


 作戦失敗。


「…俺の分もあるよな?」


 固まっていた弓弦が、おずおずと手を挙げる。

 フィーナの隣に置いてあったカレーの内、二つが机の上へと移動した。残りは一人分である。

 しかしそれは、フィーナがいつも使っているカレー皿だった。弓弦の分ではないことが、ご飯の量からも分かった。

 じゃあ自分の分はあるのだろうか。これが問題だ。

 昼ご飯は食べたものの、夜になると当然空腹になる訳で。弓弦はセティと同じように、腹の虫が騒ぐのを我慢していた。

 しかし我慢には限界がある。カレーの刺激な香りが弓弦の胃袋に与えた衝撃は大きく、一時はレッドゾーンに突入していた。何とか今は持ち堪えているが、早急に胃を満たさなければセティの二の舞を演じてしまう。それは恥ずかしかった。


「当たり前よ。さ、持って行きなさい」


 フィーナは自分の分を取ると、自身の定位置に座った。

 彼女が退いた後には、弓弦の分であるらしいカレーがあった。

 らしい、というのは弓弦が一瞬のことではあるが、自分のカレーなのかと疑ったためである。


「あ、あぁ…」


 いつもの倍近く山と盛られたご飯が、具沢山なルーの海に浮かんでいる。弓弦がそっと、持ち上げると、ルーの波が寄せては返した。

 ご飯に茶色の文字が書かれている。どうやら、「シスコンバカ」と書いてあるようだ。実に器用なものである。


「うわぁ…」


「…ぉぉ」


 弓弦がそっと机の上に置くと、知影とセティが正反対の溜息を吐いた。それぞれ、呆れと感心の感情が込められている。

 弓弦がチラと隣を見ると、フィーナと視線が合った。


「あ」


 知影が今更ながら気付いたようにセティに細めた眼を向けてくるが、少女の視線は弓弦に釘付けだった。

 視線の一方通行。

 知影が少女に向ける視線は、静かな怒りに満ちていた。


「セティ……ッ!」


 してやられた。知影の視線がそう物語っている。

 見詰め合ったまま喋らなくなった眼前の二人から視線を外したセティは、横眼で知影を見詰め返すと、


「…ふっ」


 笑った。

 控えめではあるものの、勝者の笑みであった。そもそも、何故勝者の笑みを浮かべているのか。

 ーーーそう。少女は知影にしてやった(・ ・ ・ ・ ・)のだ。


「一度ならず二度までも私の注意を逸らして…あまつさえその隙を突いてコップを入れ替えたとでも言うの…!?」


 キーポイントは、知影とその隣の席に面した机の上に置かれたコップ。本来ならば、知影はセティが眼の前と隣にコップを置いたタイミングで気付かなければならなかった。コップに最も近い椅子に、コップの持ち主は座るのだから。即ち、その時のコップの持ち主が、コップに口を付けることが出来る。知影が狙っていたのはこれだ。

 セティは知影の前とその隣にコップを置いた。これでは抽象的であるため具体的にすると、自身と知影のコップを取り替えて置いたのだ。

 ここで一つ注目してほしいことがある。知影の前に置かれたコップは、誰が飲んだコップかーーーそれを考えると、知影がコップに釘付けになった理由が明らかになる。

 しかしそんなことが出来たら、知影は知影ではなくなる。セティは、彼女の意識がコップに釘付けされるのを見越して心理戦を持ち掛けたのだ。彼女の意識を逸らして、自身の家族にあたる人物達を隣に座らせるために。


「…計、画、通、り」


 果たしてその計画は、見事成功した。知影がお預け状態となったコップに意識を向けている間に、弓弦を今の席に座らせた。彼女が自分の失態に気付いた瞬間、そこには「動揺」と呼ばれる一瞬の隙が生じる。コップから意識が逸れる一瞬を狙っていたセティは、まんまと隙を突いてコップを入れ替えたのである。


「…セティ、謀ったね!? 私の、私のコップがぁ…っ」


 驚くべきことは、それらがゼロコンマの世界で起きたということだ。しかしその次元の速さでなければ、知影は反応していた。

 「計画通り」と呟いたセティは、正に会心の笑みを浮かべて勝利を確信した。一応念のため、自分のコップは遠去けておいて、視線を机の向かい側へと遣った。

 弓弦とフィーナは、まだ見詰め合っている。否、弓弦が何を言うべきか迷っているのだ。フィーナの待っているような様子が、犬耳から分かる。眼を凝らさないと髪に隠れて見えないが。

 きっと次に犬耳が動く時は、待ち切れなくなった時だろう。そして出来立てのご飯が眼の前にある以上、フィーナは冷めるのを良しとしないはずだ。


「「…じー」」


 セティと知影、それぞれ眼を細める。知影からセティ、セティから対面の二人へ。窺うような視線は、やはり一方通行だ。


「……」


 そんな視線が向けられているとはつゆ知らず、弓弦の頭はフル回転していた。

 しかしながら、思考は幾ら回転しても堂々巡りで何を言えば良いのか分からない。

 取り敢えずは、知影が居るというのに珍しく隣に座れたことに触れるべきだろうか。いやその前に、料理について触れるべきか。


「…ちょ、丁度腹が減っていたんだ。沢山盛ってくれてありがとな」


 ようやく出た言葉が、そんな言葉であった。

 頭を使ったためか、ディオと運動をしためか、はたまた昼に肉を一枚食べそびれてしまったのがここにきて影響し始めたのか。弓弦が思わず腹部を押さえると、フィーナの犬耳がピクリと動いた。


「…もぅっ」


 どこかで聞いたばかりの小さな音が、二人のハイエルフの耳に届いた。


「…すまん」


 セティが小さく噴き出した。

 呆れたように頭を振ったフィーナは額に手を当てるが、良く良く見ると肩を震わせている。


「‘…素直ね’」


 一頻り小さく笑ってから、フィーナは息を整える。

 呟きに近い声音はどこか跳ねるようで、彼女の機嫌を反映しているようだ。

 弓弦はそれが気に食わないのか、腕組みをして半眼になった。


「悪いか。…昼から腹が減っていたんだよ」


「悪くないわよ。…勿論」


 昼から。ならば、この人はずっと自分の料理を楽しみにしていてくれたのか。そう考えると喜びを隠し切れず、フィーナは蕩けたような笑みを浮かべた。

 幸せに満ちた顔。自分が今感じている幸せが、想いが満面に込められている微笑み。これは今日顔を合わせてから、ずっと見せたかった顔だ。

 どうしてこの時まで、直接見せることが出来なかったのか。フィーナは自分の中で浮上した問いに即答を出した。

 問いに対する答えとは即ち、寂しさに由来する嫉妬だ。頭では分かっていても、本能からの感情を殺すことが出来ないから嫉妬を表に出してしまったのだろう。他の女は放っておいて、自分だけを見てーーーと。

 そう、分かっちゃいるけど止められないのだ。


「「……」」


 そんな弓弦とフィーナは、馬鹿夫婦らしい遣り取りをしたために見詰め合うことが止められない。止めれば、照れていると相手に判断されてしまうからだ。弓弦とフィーナ、負けず嫌いな性格も似た者ハイエルフ夫婦だ。

 カタンと音がしたのでセティが横に視線を遣ると、


「……フフフ」


 知影の瞳が闇を宿していた。背後に陽炎のようなものが見えるのは、嫉妬の炎が燃えているためか。


「…二人共」


 これ以上は惨事が起こる。そして自分の胃袋が保たない。様々な危険を予知した少女は徐に両手を広げると、勢い良く掌を合わせた。


「「っ!?」


 快音に、二人の世界が破壊される。

 眼を瞬かせながら自分を見詰めてきた家族に向けて、セティは小さな溜息と共に言った。


「…程々にして。ご飯…冷める」


 知影が頻りに頷く。

 そんな彼女が、足下に短剣を置いたことを少女は見逃さなかった。

 どうやら惨事は既のところで防げたようだ。胸を撫で下ろそうとした少女はふと、視界に入ってきたコップから違和感を感じた。

 注視してみると、違和感の正体はコップの変化だった。


「…フフフ、ゲームエンド」


 隣を見ると、知影が勝ち誇ったようにコップの縁を指でなぞっている。

 どうやら今度は、自分が隙を突かれてしまったらしい。悔しくはあったが、これで知影が大人しくなりそうなので怪我の功名か。

 それにしても、コップの縁をなぞり続ける知影の手付きの、なんと怪しいことか。ねっっっとりとした手付きを見たセティは、これ以上見てはいけないような不安に駆られて視線を外した。


「じゃ、いい加減に食べるとするか」


 それを待っていたのか、弓弦が手を合わせる。


「えぇ、冷めない内に食べるわよ♪」


 フィーナも手を合わせたのを見ると、セティが急いで、知影が面倒そうに手を合わせた。


「いっただっきまぁす♡」


 そして食事が始まると同時に、お茶が飲み干される。

 フィーナと弓弦が呆れたような視線を向ける中、知影は大満足な食事を堪能するのであった。

「……」




「…………結局…弓弦と会うことは叶わなかった…。部屋の戸を叩くことも出来ず…ただ艦内を流離っただけ…ぐぐ」




「何故私は、自分の部屋に戻って来てしまったのか…! 何故後少しの勇気を振り絞ることが出来なかったのか…!! ぐぐぐ…」




「(つぁぁぁぁぁぁッ!!!! 私のっ、私の大馬鹿ものぉぉぉぉぉぉぉッ!!!!)」




「…なんて、月の昇った今叫ぶ訳にもいかん…。あぁぁ…何と虚しい…虚しい時間なのだっ。くっ…弓弦め…」




「弓弦…弓弦めぇ…っ」




「はッ!? こ、これでは知影殿と同類ではないかっ!?!? いかんそれは私の個性が死ぬ! 私の女らしさが死んでしまう気がする! いかんいかんいかん…っ」




「弓弦ではないか…うむ。良し、捉えたぞ! …うむ。ふっ…料理ならば、私に任せておけ。…うむ、うむ。そう、これが私だ。うむ!」




「ふむ、うむ…。では予告だ! 『夜の訪れは、闇の訪れ。床に就いた弓弦を襲ったのは、花による二重の拘束であった。身動きの取れなくなった弓弦の下に、ある報せが届く。報せを受けた弓弦は何とか行動を起こそうとした。撫でるフィーナ、脱ぐ知影。白羽の矢が立ったのは、風の運び手。今、あの行進曲が流れるーーー次回、弓弦、震える』…む、熊さんの縫い目がほつれているな…」

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