ディオ、終わる
弓弦はすぐに了承してくれたので、僕達は『VR2』の前に来ていた。
そこに辿り着くまでの間、弓弦の話を聞いていたんだけど、少しおかしなところがあって僕は声を上げていた。
「そんなことってあるのかな…」
それは丁度、弓弦がつい先日に体験してきた事件に関する話の時だった。
「天部中佐とどこに行って来たの?」と言う僕の疑問に対して、弓弦はある事件の顛末を話してくれた。
何でも、死体になってから経過した時間を下に犯人を見付け出して、事件を解決に導いたそうだけど…。
「うーん…おかしいような」
「…何がおかしいんだ?」
弓弦は首を傾げた。
言っていることの意味が分からない。怪訝な視線が語っていた。
でもそれは、僕の台詞だ。僕こそ、弓弦の言っていることが分からなかった。
「…でも、クアシエトール大佐に訊いたんだよね? その…死んだ後に現れる身体の変化って」
「あぁ。だからおかしいことなんてないと思うんだが…」
クアシエトール大佐に訊いたのなら、間違いは無いのかもしれない。
だったら、おかしくはないのかな。
「そうだね。うん、変なこと言った。ごめん」
「?」
「先に入っておくね~」
変なことを突っ込まれる前に、僕はVRの中へと足を踏み入れた。
* * *
ーーーVRデータ、ロードシマス。
視界いっぱいに溢れていた光が収まると、眼の前に橋が見えた。
かなり高さのある橋だ。絶壁と絶壁を結ぶ架け橋は、木造りの直線。足を置いてみると、少しだけ軋む音がした。
左右は腰の高さの手摺に挟まれているけど、そこから先は広い川と、緑、岩壁が見えるだけ。きっと、落ちたら川底への真っ逆さまだろう。
落ちたら怖いけど、橋を作る木もロープも新しそうなので、壊れることはなさそうだ。…けど、橋を繋ぐロープが切れたら…どど、どうなるんだろうっ!?
と言うかこんな所で戦いをするんだ…ランダムステージにしなければ良かった。
「せっかちな奴だ…」
橋の向こう側。ボヤきながら弓弦が姿を現した。
剣の状態を確認して、次に周囲を見渡した弓弦は僕の姿を認めた。
そのまま近くまで歩いて来ようとしたんだけど、何の偶然だろう。弓弦の進む先には丁度小さな窪みが…。
「あ」
制止の声を上げる時間は無かった。
僕の見ている先で足が、お見事なことに窪みの中へ。
「…は?」
嵌った。
困惑に眼を見開いて、口を開ける弓弦の身体が前へ、前へと傾く。
あ、転ける。そう思った時には、弓弦は顔から着地を決めようとしていた。
助けようにも、橋の端から端では間に合うはずがない。見ていることしか出来ない僕はただ、腰を下ろして眺めるしかなかったんだ。
「…っと!!」
ーーーそう。ギリギリで手を前に出した弓弦が前転で衝撃を殺しても、
「おわぁっ!?」
丁度そこが傾斜で、思った以上に転がっても、
「…あ、あらー?」
転がった先に足場が無くても、ボンヤリと眺めていることしか出来なかったんだ。
「…わーい」
弓弦が自分の置かれている状況に気付いた時には、もう全てが遅かった。彼の身体は崖から飛び出していたのだから。
足場が無い。
掴める所も無い。
周囲を確認して最後、僕に助けを求めたのか手を伸ばす。
でも僕にとっては対岸の火事。幾ら気にしても、手を伸ばしたとしても伸ばされた手は掴めない。
だから僕は、僕に出来る最善のことをした。
今伸ばした手は届かなくとも、せめて思いだけは届けられるように。万感の想いを込めて。
「グッドラック」
親指を立てた。
「…!」
僕には見えた。驚愕に顔を彩った弓弦が、笑顔の後に親指を下に向けて立てたのが。
それを見た瞬間、背中にゾワリと走るものがあった。言葉にしなくても弓弦に思いが伝わった…これこそ正に、
「…あぁ、奇跡だ…!」
奇跡が起きたんだ。想いに込められた声無き声が確かに、彼に届いたんだ。
「自由落下ぁあぁぁぁぁあああああっ!?!?」
そのまま弓弦は感極まった声を上げて川底へと転落した。
お腹の底から出したような声は、谷を作る岩壁に反響して空気に溶けていく。響き渡る度に薄れていく名残に耳を傾けながら、空を見上げた。
「んん…っ」
機械的に再現されたとは言っても、やっぱり空は現実的だ。
心地良い風を感じながら眺める白い雲は、どこか笑っているように見える。
景色を楽しみたいんだけど…頭上に表示されているゲージが、ここは仮想空間の中だと教えてくれる。
「はぁぁ…平和だ」
「平和じゃないっ!!」
頭上から聞こえる声。
不意に、頭に痛みが走った。
「痛いっ!? な、何するんだよ弓弦っ」
ハリセンで打たれたのだと気付いたのは、頭から出血している弓弦がハリセンを握り締めていたからだ。
「ゲージが減っちゃったじゃないか!」
それと、ゲージが少し減っていたから。
「俺は全部無くなるかもしれなかったんだぞ!? 減るどころの話を持ち出すかッ!!」
弓弦の体力ゲージを見る。
ゲージは真っ赤だ。少し高い所から落ちれば、すぐに空になってしまいそうな瀕死の状態を示していた。
「と言うか、良くそこの絶壁を登って来れたね」
そっちの方が驚きだよ。
登って来れたにしても、どうやって登って来たんだろう。
僕だったら、途中で抜け道でも無い限り二度と這い上がって来れなさそうな高さなのに。
「間一髪、壁に剣を突き立てることが出来たからな。後は飛行魔法で一っ飛びだ」
飛行魔法…良いなぁ。
「でも、それなら普通そこまでダメージは受けないと思うんだけど」
「あぁ…」
弓弦は遠い眼をした。
「実は最初に、丁度出っ張ってる岩の部分を見付けてな。そこに掴まろうとしたのは良いんだが…。手が滑ってな」
「…掴めなかったんだ」
背伸びをして弓弦の背後にある崖を見てみると、大人が三人は入れそうな程に大きな窪みが一箇所あった。
でも出っ張っている所はどこにも無い。どう言うことなんだろう?
「で、その後剣を刺して勢いを殺すことが出来たんだよ。ここまでは良かった」
「うんうん」
「最初に掴まろうとして荷重を掛けた部分が崩れてきた。それでしこたま頭に直撃されてこの様だ」
あぁ、あの窪みはそう言う…。
確かにあれだけの面積の岩が降ってきたら、ダメージを受けもするね。じゃあ弓弦のゲージが殆ど無いのは、当たり所が悪かったのが原因なんだ。所々頭に刺さっているし。
出血も中々のものだ。そろそろ血の水溜りが出来そうで、弓弦の体力ゲージを確認してみるとカウントダウンが始まっていた。
「それは…災難だったね」
僕の視線で気付いたのか、流血の源泉に手を当てた弓弦が何かを小さく呟く。
「…あぁ、災難だ。で、も一つ災難なのは、助けを求めたのを誰かさんにグッドラックされたことなんだよ」
「…へぇ」
すると、見る見る内に弓弦のゲージが増えていく。
どうやら回復魔法をかけているらしい。ゲージは見る見る内に満タン状態となった。
「えっと…伝わってなかった?」
「…何をだ」
「手は届かないけど、せめて想いだけでも届けようかなって思って。届いたようで何よりだよ」
「それで…これを」
弓弦が親指を下に向けて、立てた。
「ふぅん…なぁディオ」
破顔する弓弦、声のトーンが下がる。
抑揚の無い声って、こんな声のことを言うんだろうね。
何故かな。弓弦は笑っているんだけど…そこはかとなく身の危険を感じるような。
「死ぬ準備は、良いですか?」
猛烈に身の危険を感じた。
「へ?」
僕が踏んではいけないモノを踏んでしまったと気付いたのは、弓弦の顔から笑顔が消えた時だ。
『闇…いや、ディオを斬り裂け…!』
振り上げられたハリセンが、淡い光を帯びる。
陽光に照らされて光ったのだと最初は思った。だけど次の瞬間、予想は完全に裏切られた。
「さて…!」
衝撃と共に殺気が、爆発する。
座ったままでは確実に殺られると、身体が勝手に距離を取っていた。
「…ッ!」
肌が粟立ち、喉が渇く。
実戦。それも強者と対峙した際の恐怖が全身を駆け巡っていた。
「取り敢えずぶっ倒すから、覚悟しろ」
ゆらりと弓弦が揺れた。
光の剣が、徐に下段に構えられた瞬間。静寂に包まれた空気が音を鳴らした。
「ぐぅぅぅぅッ!?」
時を同じくして肌に痛みが走る。
ゲージが減る音に気付いた時には、既に体力の色が黄色になっている。
あっと言う間に半分も削れてしまった。こんな簡単に、体力とは減っていくものなのだろうか。
「くッ」
せめてもの抵抗を見せようと、僕は剣を横に凪いだ。
勿論感覚が伝わってくる訳ではない。抵抗は、物の見事に空を切った。
「あぐッ!?」
背中からの襲撃。
鈍い痛み。膝蹴りをされたと気付いたのは、地面を転がってからだった。
「それで攻撃のつもりか?」
弓弦は嗜虐的な笑みを浮かべて歩み寄って来る。
どうやら変なスイッチが入っているみたいだ。この状態になった弓弦は、色んな意味で危険だって直感が叫んでいる。
「攻撃もな、ツッコミだってな」
仰向けの僕に向けて、ハリセンが振り上げられる。
振り下ろしの一撃が来る! 転がって避けようとするけど、身体が言うことを聞かない。
まるで地面に縫い付けられているみたいだ。
身体が、自分の身体に思えないような感覚に襲われる中、ハリセンが振り下ろされた。
「スカしたら意味が無いんだよッ!」
スパァァンッ!
聞けば小気味良い。当たれば猛烈に痛い音が耳朶を打つ。
後、僕の体力はどれぐらい残っているのだろうか。確かめてみるとハリセン越しに見えたゲージが、赤くなっていた。
「っ!?」
次の瞬間、足場が消えていた。
いや違う。僕が足場から消えていたんだ。
ゲージの確認のために注意を逸らした瞬間を、弓弦が見逃すはずがなかった。
なす術も無いまま落ちていく身体。雲を突き抜け、重力に従って加速し、ただ墜落の時を待つだけの状態は、地上の光景が明らかになるまで続いた。
「わぁぁぁぁぁぁっ!?!?」
米粒が大きくなっていく。それが弓弦だと分かると、僕は声を上げていた。
ヤバい、あの弓弦のオーラ、危険だ。
ハリセンを右手に持ち、静かに前を見据える弓弦の瞳が見なくても眼に浮かぶ。きっと、獲物を補足したスナイパーの瞳だ。
僕は必死に抵抗して着地場所を変えようとするけど、身体を襲う風圧が妨げてきた。
弓弦が静かに振りかぶった。
僕は静かに眼を瞑る。あぁ、もう駄目だ。
「はぁぁぁぁぁぁッッ!!!!」
腹部に強い衝撃。
骨が軋む音が、身体が無理に形を変えられているのが分かる。
「つぉぉぉぉぉぉッッ!!!!」
ハリセンが減り込む、減り込む、減り込む。
一層のこと貫いてくれれば良いのに、それをしない破壊力が唸りを上げて爆発する。
雄叫びと共に斜めに弾き出された僕の身体は重力に反して、雲を突き破っていく。その過程で、残り僅かであった僕の体力ゲージは少しずつ減少し、やがて空となった。
ーーーYou Lose
表示される敗北の文字。
薄れゆく意識の中で、僕の耳では弓弦の呟きが反響していた。
「これが俺の、ディオ・フィナーレだ…」
そんな、弓弦の無慈悲な言葉が。
* * *
「わっ!?」
VRルームから追い出された僕は、鉄の床に背中を打った。
身体が気怠い。弓弦によってボコボコにされたのは、思った以上にダメージとして身体に通っていたみたいだ。何だか、凄く疲れた。
乱れた呼吸を整えながら時間を過ごしていると、VRルームから弓弦が出て来た。
「ふぅ…いやぁ、良い運動だったな!!」
正にストレスを発散したとばかりの笑顔が、とても爽やかだ。
仮想空間の中でも回復魔法の効果は十分に発揮されていたのか、彼に疲れた様子は見受けられない。
やっぱ、回復魔法ってズルい。
「ストレス発散…の、間違いなんじゃない…?」
「…そうとも言うな。いやー、レオンの奴に理不尽な敗北をさせられたばからな。否定はしない」
隊長のとばっちり…?
「ひ、酷いや…」
「ま、そう言ってくれるなって。こう言う日もあるさ。それに、先にやってくれたのはそっちだからな?」
「う…」
弓弦によって理不尽を押し付けられた気分だ。
これじゃ負け損だ。もう…二回戦の気力も無いし。
「……身体、動かせるか?」
「うううん…何とか」
歩くことぐらいは出来るはず。
くそ…負けたこと…悔しいなぁ。
「でも、もう少しここで身体を休めたいかな…。あんま動かしたくないんだ」
「…そうか。良かったら魔法で部屋まで送ろうか?」
「ううん…そうだね。送ってもらおうかな」
「良し」
言うが早く、弓弦は僕の肩に触れた。
「……」
弓弦が小さく何かを呟くと、周囲を光が包んだ。
「ほら」
いつの間にか僕の部屋に着いていた。
“テレポート”って言うそうだけど、凄い魔法だ。急いでも五分はかかる距離を、こんな一瞬で…!
「…凄いなぁ、弓弦は。こんな便利魔法が一杯使えるんだもんね」
「ま、その度に死にかけているんだがな」
「それでも、返ってくるものが大きいじゃないか」
「そうかぁ?」と弓弦は頬を掻く。
「生き残れれば、の話だろ? ま、運が良いのが重なっただけだ。色々とな」
運の良さも実力の内って言うけど…。弓弦が死にかけているって話は何か信じられないなぁ。
「のらりくらりと危険を回避している気しかしないよ」
「それもあるにはあるんだが…ほら、さっきの自由落下みたいなこともあるってことだ」
あぁ…あれは、確かに不運の連鎖だったけど。弓弦が嘘を言っている感じはしないし…。冒険中も、不幸に見舞われることはあるのかな。
確か…以前、転送事故で異世界に取り残されたままになった時もあったんだっけ。
「そんなものなのかなぁ」
「そんなものだろ? 俺は今、生きているんだからな」
事も無気に言っている弓弦だけど、きっと僕には想像も出来ないような冒険をしていて、それが彼を鍛えたんだろうね。
ここまで強くなれるなんて、どんなスパルタ冒険を受けたんだか。もし、弓弦が経験した冒険を追体験出来るのなら追体験してみたいなぁ。なんて、そんなの難しいことだろうけどね。
「…と、もう夕方か」
艦の下の方に居たから分からなかったんだけど、窓を見ると弓弦の言う通り夕陽が射し込んでいた。
昼ご飯を食べてから身体を動かしに行って…そっか、僕達ってそれなりの時間を仮想空間で過ごしていたんだね。ふと振り返ってみるとあっと言う間だったけど、夕焼けの空が時間経過の証明だった。
「…夕焼け…か」
夕焼けの空を見ていると、ふと思いを馳せたくなる。
「あの日を思い出すか?」
「え…?」
一瞬、弓弦が何を言っているか分からなかった。
「あの日」。その言葉は、僕の転機となった日を指す言葉なのだから。
「夕焼けってさ、懐かしくなるよな!」
僕が問おうとするよりも先に、弓弦は早口で捲し立てた。
まるで僕の追及から逃れようとしているかのような態度は不思議だったけど、気に留める必要は無いと考えた。
何となく意味あり気なことを呟きたくなったんだよ、多分。
「だよね?」
「あぁ!」
訊いてみると、とても爽やかな返事をもらった。
弓弦が少し痛い人に思えてきたけど
多分気の所為だ。
「そう言うことを言いたかったんじゃない」と、自分にツッコミを入れた弓弦は部屋の戸に手を掛ける。
「帰る?」
「あぁ。身体、ゆっくり休めろよ」
あまり長居する気は無かったようで、それだけ言うと弓弦は帰っていった。
さて…。
「んん…っと」
本当に疲れたなぁ。
シャワーでも浴びて夜ご飯まで仮眠を取ろっと。
「…さて、こうして食堂に戻って来てはみたが…弓弦は居ないな、うむ。…もしかしたら部屋に戻ったのかもしれない。一度部屋も訪ねてみるとしよう…」
「…と、部屋の前にまで来てはみたが。むぅ…戸を叩くと言うのは、こうも緊張するようなものだったか…?」
「えぇい、なるようになれっ」
「…む? 返事が無い。もしや、皆不在か? …もう一度、叩いてみるとしよう」
ーーーはぁい。
「…ほっ。フィーナ殿が居るではないか。まさか皆でお出掛けをしてしまったのかもしれないと、不安になった…ぞ……?」
「どちら様かしら? …あら、ユリじゃない。何か用?」
「(む…。知影殿が居るな。フィーナ殿の後ろで寝ているようだが…一体どうしたのだろうか)。フィーナ殿、弓弦は在室か?」
「…弓弦? 少し前までここに居たけど…今の居場所は知らないわ」
「…そうか。それは残念だ…。ところで、知影殿は何故そこに倒れているのだ?」
「え? あぁ…急な睡魔に襲われたみたいだから、そっとしているのよ。…きっとユヅルが帰って来たから燥ぎ過ぎたのね」
「…子どもか」
「ふふ、色んな意味で子どもっぽいのよね、あの子。だから気にしないで」
「うむ、では気にしないでおこう」
「えぇ、お願いね。それで、あの人に用があるのよね? なら戻って来た時にでも、あなたが来たと伝えておくわ」
「いや、それには及ばない。邪魔したな」
「部屋には居ないか。となると…弓弦はどこに…? …弓弦が行きそうな場所は…。うむ、次は甲板を探してみるか…」
「その前に、予告だ。『行き場所に悩む弓弦は、アシュテロに呼び止められた。彼女に誘われるがまま主不在の部屋に入った弓弦が見たものは、茜色に染まる光。アシュテロが見るのも、同じ光景だった。暮れ泥む空、静かに揺れる心。腰を下ろし、肩を並べ、静かに景色を映す彼の瞳に映ったものとはーーー次回、弓弦、眺める』…うむ、楽しみにすると良い」