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弓弦、小さく内省する

 俺と知影が浴槽の完成予定地に着いてから暫くして、風音は追い掛けて来た。

 暫くしてからと言っても、そんなに時間は経っていない。何せ、ここは艦橋に通じる通路の真下に当たる部分。階段を降りてからそれなりに歩かないといけない部分にあるからだ。

 本来は倉庫と言う名の、何も無い空間だったんだが、鉄の床をまじまじと見ると薄く文字が書かれている。どうやら浴槽制作の効率を上げるために、設計図を書き写したんだろうな。仕事の早いことだ。

 本当にこんな所に浴槽が出来るのか? 少し疑問だったんだが、風音は作る気満々みたいで結構なことだ。

 「直ちに取り掛かります」と意気込む風音が指定した場所に、全ての木材を置くと、知影が腕を引っ張ってきた。


「弓弦は作るの手伝わないの?」


「あぁ。風音に全部任せるつもりだ」


 戦力外通告を受けているしな。無理に出しゃ張る必要は無いってことだ。


「そっか♡」


 知影が腕に抱き着いきた。

 余程嬉しかったのだろう。標準以上の大きさである胸に挟まれた腕に圧迫感があった。


「…嬉しそうだな」


 風音の手伝いをしないことが、そんなに嬉しいのか。


「うんっ」


「素直だなっ!?」


 素直な知影はかなり上機嫌のようだ。

 グリグリと頭を押し付けたり、歓喜を押し殺したかのような声を上げたり…それは傍目に見ても、喜んでいることが分かる様子だ。


「……」


 こちらは眼に見えて貼り付けたような笑顔の風音。

 ぱっと見は穏やかな笑顔だが、きっと内心に何かしらの想いがあるんだろう。いや、それはもう、複雑に渦を巻いているんだろう。


『解せているのなら、貴様は何故訂正の一つでも入れん? より混沌とさせたいのか』


 それはごもっとも。

 ここでフォローを入れておかなければ、後でどんな要求をされるか分かったもんじゃない。

 だからと言って変に言葉を掛けてもな…知影の機嫌が悪くなりそうだからなぁ。どうしたものか…。


『主よ、想いを伝えるのは言葉だけではないぞ』


 バアゼルに続いてアスクレピオスにも助言されてしまった。

 言われなくても分かってるんだが…お人好しはもんだ。

 …ん、この場合はお悪魔好しか…ってそんなことは今どうでも良いな。

 …。取り敢えず笑いかけてみるか。


「…!」


 お、驚いたように眉が上がっている。良い反応じゃないか?


「……」


 風音は笑顔を見せてくれた。

 ニッコリと、そう形容出来る笑顔は、まっすぐと俺を射抜いている。

 …射抜いている? 何故だ。冷汗が…。


『…貴様は莫迦か』


『主よ、それでは主に抱き着いている想われ人に甘えられている主が、頬をだらしなく緩めているように受け取られるのだが……』


 反応を間違えたらしい。

 嗚呼、何と言うことだろうか。これでは間違い無く、後が怖い。

 そう、間違えた所為で間違い無く…だ。はは。


『現実逃避…主よ……』


 あぁ、アスクレピオス。覚悟しておかないとなぁ。


「…っっっ」


 取り敢えずそれとなく首を左右に振ってみる…が、効果は薄いみたいだ。相変わらず風音は刺すような笑みを向けてくる。

 上機嫌な知影と不機嫌な風音。正反対な二人分の機嫌を向けられている俺は、物の見事に共通した危機感におそわれていた。

 この誤解は…解けなさそうだ…っと、何となく知影に心を覗かれているような感覚を覚え始めたな。はい、この話はお終い…だな。


「は〜♪ 弓弦の腕って抱き心地超最高! 私の機嫌は鰻登りの滝登りだよ〜♪」


 俺の気分は鰻の紐無しバンジーだよ、まったく。


「さてはてはてさて。そんな気分の良い私はこの喜びをお裾分けしたい訳で。風音さん、一つだけ気になったこと言っても良いかな?」


「…はい?」


 虚を突かれたように首を傾げる風音。

 知影が気になったこと…か。そう言えばコイツ、興味深そうに床を見ていたな。


「確かにこの設計図の通りだとさ、そこにある木材で無駄無く浴槽が出来る思うんだけど。…排湯口から抜いたお湯ってどうするの?」


「はい? 艦内の浄水道と繋げるつもりですが…」


 艦内の浄水道?

 …そうか、確かに。シャワーで使った湯が排湯口に吸い込まれるのが、当たり前過ぎて気が付かなかった。

 排湯口に吸い込まれた湯は浄水道を通って、その最中に濾過された上で再び湯として使われる…そんなものだろう。

 艦に貯留出来る水なんて限りがあるからな。定期的に入れ替えたりはしているはずだが。


「普通はそう考えるよね。でも、それだと艦の浄水道に繋げる一手間が出来るんだけど…。その設計法って知ってる? 空気の圧力とか考えないと逆流しちゃうから」


「はい。ここにその設計図もありますよ」


 そう言うと、風音は一冊の本を手に取る。

 広げられたページには何やら、排湯口の設計図が記入されていた。管自体は…お、部屋の隅に用意してある。

 アレも自分で作ったのなら感心ものだが、風音とは言えそこからの手作りはしないだろう。大方業者に頼んだって感じだろうな。見たところ、全く同じサイズの管が二本あるし。

 それにしても流石風音、抜け目無いな。…と言うか、俺が無知なだけか。

これは、戦力外通告も頷ける。手伝うつもりが、逆に余計なお世話となること請負いだからな。


「それなんだけど。艦の浄水機構に接続するよりは、浴槽だけで完結した浄水機構を作った方が早いと思うんだ」


 知影が話す、『アークドラグノフ』の浄水機構。

 艦内の各排水口から続く管は、やがて一本の大きな管…排水道に繋がり、濾過装置へと向かう。

 濾過装置の核となっているのは、『清水の宝玉』。これの浄水能力によって、山の源水に近い清浄な水が、艦内の浄水道を巡っているらしい。

 それを踏まえた上で知影が問題点として挙げたのは、どのように(・ ・ ・ ・ ・)して浄水機(・ ・ ・ ・ ・)構と浴槽を(・ ・ ・ ・ ・)を繋げるか(・ ・ ・ ・ ・)…だそうだ。

 風呂に必要なのは浴槽だけではない。古い湯を捨てられる排湯口と、継続して湯を出し続けることの可能な給湯口。そして綺麗な湯そのものが必要だ。排湯口と排水道を繋ぎ、給湯口と浄水道をそれぞれ管で繋ぐのも良いが、管を通す穴を空ける工程が必要となってくる。

 そこまでするぐらいなら、確かに浴槽専用の浄水機構を新たに作るのも良いかもしれないな。問題は、どうやって作るかなんだが。


「装置は前にフィーナが作ってくれた物を使えば解決するし、後はそこの管をちょっと弄って形変えるだけ。わざわざ床に穴を空ける手間は省けると思うよ?」


 知影が言う装置…以前事故で異世界に跳ばされた時の風呂のことか。

 どうやってあそこまで完璧な風呂を作れたのか…未だに謎だ。


「…それは嬉しい申し出ではあるのですが……」


 風音は小さく首を振った。

 小さく…だが拒絶の意志がハッキリと伝わってくる。

 風音は自分の力だけで浴槽を作ろうとしているつもりらしい。その意気込みは凄いものだが…心配ではあるな。


「自分の力で成してこそ、意味の生じるものもあるのですよ。…流石に水汲みと湯沸かしの機械は発注する予定なのですが……」


「…まぁ、それはな」


 そこまで出来たら、大したものだ。

 出来なくて普通だしな。


「…風音さんがそう言うのなら別に良いけど」


 何を言ったところで風音の意見が変わらないと分かったのか、知影は引き下がった。

 無理に自分が助言することでもないって言うのも本音だろうな。そこまでする義理も無い…と。


「行こ、弓弦」


 腕を引っ張られる。

 知影からすれば、確かに義理立てする必要は無いだろう。

 俺が自分以外の女性と話しているのが気に入らない…か…。


「うん」


 やっぱり知影に覗かれていたようだ。まったく…コイツめ。


「うん?」


 頷いた知影に、キョトンとした顔で見上げられる。

 さも当たり前の如き顔で頷かれると、困るものがあった。

 だがこれが、知影の平常運転。いつも通り過ぎるのがどこか悲しい。


「ねね、行こうよ」


 知影から風音に視線を遣る。

 彼女は時間が惜しいのか、既に作業を始めているようだ。身長の倍近くある木材を、設計図通りに並べようとしているのか運ぼうとしている。

 引き摺るか引き摺らないかの高さまで持ち上げた風音の身体が揺れた。

 大丈夫なのかーーーいや、大丈夫なはずがない。今運んでいる木材は底の部分だからまだ良い。一番軽い木材と言って良い物だからだ。

 風音は決して非力な女性じゃないが…って!


「抓るな知影っ」


 考えている最中常に、知影が腕を抓ってきた。

 これが中々痛い。間違い無くこれで皮膚が腫れただろう。血が出ないのが不思議なくらいの痛さだ。


「嫉妬中だもん。抓っても良いよね?」


「良くない」


「私だけを見てよ」


「それは難しいな」


 俺はそのまま知影に引っ張られて行った。

 一歩、一歩と。風音の下から離されるように。

 最後に風音の姿が見えた一瞬。鋭くも、悲しい視線を感じたのは気の所為じゃない。

 ただただ悲しい視線が、身体の内に染み込んだのだから…。


「弓弦」


 階段を上がって、商業区に入った。

 相変わらず、戦艦の中だと言うのに小さな商店街が広がっている。

 だが、昼に近い時間だと言うのに洋服屋のシャッターが下りていた。

 仕入れの時期…か、定休日だろうか。一日中店が閉まっているなんて日もあるしな。

 他の店は通常営業。八百屋店主の声が聞こえた。

 そんな時のこと。知影は俺の名前を呼ぶと、眼の前に立ちはだかった。

 立ちはだかるや否や、眼を閉じて唇を僅かに突き出してくる。

 皆まで言わずともってヤツだ。こんな時に知影が求めてくることなんて一つぐらいしかない。


「……」


 知影の前に立つと、彼女の頬が緩んだ。

 上を向く顔には仄かに朱を帯びている。

 人前だが、躊躇うことはない。いや寧ろ人前だからと言って、何を躊躇う必要があるのか。


「ほら」


 迷うことなく俺は、ハリセンを振り下ろした。


「あぶっ!?」


 響く快音。

 晴れ晴れとする鬱屈。

 ハリセンって素晴らしい。


『主よ…っ』


 アスクレピオスの抗議なんか聞こえない。


「それは無いよっ!」


 いや、ある。


「人前だ。自重しろ」


 恥じらいも何もあったものじゃないな、コイツは。


「せめて慈悲の一つぐらい頂戴よっ」


「よし分かった」


 ハリセンを振り上げる。


「それは無慈悲だよぉっ!」


「人前ではしたないお前に対する、俺なりの慈悲だ」


 良心の呵責? 全く感じない。

 コイツは、ハリセンで突っ込まないと止まってくれやしないからな。

 俺からしたら、これが慈悲だ。


「私は傷付いたよ! お詫びを要求するね!! キスしてくれるって期待したのに!!」


「誰がいつキスするって言った。する訳ないだろう」


「じゃあ今して! 今すぐキスミーうぉぅっぅぉぅっ!?」


 ハリセン二連。恥じらいを持ってほしいとの想いを全力で込めた。

 何度も言うが、人前なのだ。良くあるバカップルじゃあるまいし、人様のお眼汚しになるようなことをする訳にはいかない。それはマナーだからだ。…良し。ハリセンで叩いたことで、覗かれている感覚が消えた。


「弓弦が酷いよぉ…♡」


 馬鹿は放っておいて、俺は自室へと向かうことにした。

 引き返して風音の下へと向かおうかとも考えたが、すぐに知影の機嫌が傾いてしまいそうなのでそう言う訳にもいかない。

 だが風音を放っておく訳にはいかない。単に艦内風呂のために必要なのは、浴槽を作るだけとばかり思っていたが、そうでないのなら話は別だ。

 何せ、床に穴を空けるなんてどう考えても力作業。風音は非力な女性じゃないが、それでも荷が重いことはある。艦の水路に管を通すなんてことをするよりも、専用の装置を用意して、風呂だけの水路を作った方が良いはずだ。

 ヤンデレには本当に困らされるが、知影の頭の良さは折紙付き。彼女が悪意無しに推奨してくれた方法ならば、風音がやろうとしている方法よりも遥かに楽なはずなんだ。

 問題は装置をどう作るか…と、風音をどう説得するか…だな。装置については、まずフィーに訊いてみないことには分からないし、風音の説得には装置の製作に目処が立たないと難しいものがある。


「ううう…でもハリセンで叩かれて喜ぶって…こんなのフィーナじゃん。ううう…」


 考えを打ち切ると、知影がいじけているのが視界に入った。

 いつの間に俺よりも先の通路で座り込んでいるのか。謎だったが深く考えないことにして、隣を抜けて自室を目指す。


「酷いっ」


 聞こえないフリをしていると、無言で付いて来た。

 腕を掴まれ、そのまま組まれる。


「ぎゅぅぅぅぅぅ」


 そして強く抱き付いてきた。

 歩くのに凄まじく邪魔だ。もし躓いて転びでもしたらどうするんだろうな。


「そりゃあ、倒れた拍子に弓弦が私を押し倒すラブコメ展開ですよ。胸揉み揉み付きのね♡」


「…誰がするか」


 腕組みから自分の腕を脱出させる。

 「あ…っ」と悲しそうな声が聞こえたが、気に留めない。


「何でさ」


 気に留めない態度が気になったらしい。知影が後ろ歩きしながら前に立ちはだかった。


「そりゃあ、歩くのに邪魔だからな」


 因みに知影は、さり気にムーンウォークをしている。器用なものだ。


「ぅぅ…っ。何か今日の弓弦は冷たいよぅ…」


「…そうか?」


 いつも通りだと思うが…。


『…いや、今日の主は些か不機嫌だ』


 …そうなのか?


『想われ人を一人だけ艦底に残して来たのが、ずっと気掛かりなのだろう』


 それはそうだが…。

 そうか…冷たい…かぁ。久々のヤンデレモードに、身構えてしまっているのはあるのかもしれないな。


「…じゃあさ、いつもの弓弦だって証明したかったら…はい」


 アスクレピオスの声が聞こえなくなった。

 どうやら俺の内省に納得した…ってころか。

 少し肩の力を抜こうとして短く息を吐いた俺に、知影が伸ばしてきたのは左手だった。

 相変わらず綺麗な手だ。…本当、見た目だけは完全に美少女なんだがなぁ。


「何だ、その手は?」


「手、繋ごうよ」


 …まぁ、それぐらいなら歩く邪魔にはならないか。


「…好きにしろ」


「わーい♡」


 立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花。…昔誰かが、コイツを喩えたことがあったな。

 学校の…どの男子だったか。いつの間にか学校中に広がっていた。

 昔の人は、美しい女性を花に喩えたそうだが、俺もその考え方には同意出来る。

 嬉しそうに笑った知影の笑顔。それは通路の窓から差し込む光の所為もあってか、美しい大輪の花のように見えたのだから。

「ぁぅぁぅぁぅぁぅ…暗い暗い…ぅぅ…っ、し、しかし待たねばならないのだ。ここで折れてしまっては、これまでの我慢が水の泡だ。私は今正念場に立たされているのだだから、く、暗くても我慢だ…ぁぅ、が、我慢だ…ッ」




「む、い、今ハリセンの音が聞こえたぞっ!? 少し遠い所から聞こえたように思えるが…。やはり、弓弦はこの中に居るのだな…? そうと分かれば、私はここで待つだけだ、うむ。この…暗い場所で…待つだけ…だ!」




「ぁぅ…し、かし…暗いものは暗くて…こ…いものは…うむ。予告を言って誤魔化すべきだな!? うむっ。『穏やかな時間の訪れは、いつも待人の訪れと時を同じくする。外は変わらず快晴の下、草花と戯れているフィリアーナが待っていたのは、大切な夫の帰宅。帰宅した夫の癒しになれと、彼女は自慢の紅茶に淡い想いを込めるのだった。眠る知影。罵られる弓弦。複雑に揺れるフィリアーナが胸中にて語ったことはーーー次回、フィリアーナ、憂う』…むぅ…気を張り詰めていた所為か…眠く…なってきたぞ…」




「…すぅ……ゆづ…る……ぅ…すぅ…」

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