レオン、男の戦い
「…ま~、菓子でも摘みながら話をしおうや」
弓弦を近くにまで招いたレオンは、後ろに置いてあった饅頭を勧めた。
「饅頭か。良いな」
受け取ると、一齧りしてみる。
独特な餡子の味だが、不味くはなかった。
『蜜柑は入っていないようだな』
入っているはずがないだろう。
すっかり蜜柑の入った饅頭が当たり前になってしまったらしいバアゼルに、抗議を入れる。
「話って言うのはな、他でもない」
弓弦が食べ終わったところで、レオンは話を切り出した。
わざわざ先に菓子を勧め、一息入れたのだ。ここからするのはきっと、真剣な話だろう。表情と、気を引き締めて、弓弦は微かに居住まいを正した。
「…風呂は、どうなっている」
そして自らの行動を反省した。
真面目に話を聞こうとしたのに、女性陣を追い払ってまでしたかった話というのはそんなものか。
思わず溜息を吐いてしまった弓弦。
気持ちというのは、引き締めていた分だけ緩んでしまうようなものなのだ。
「風音が早速取り掛かっている。と言っても肝心の材料が俺の下にあるからな、悪いが要件がそれだけならもう行きたいんだが」
「…俺は真面目な話のつもりだったんだがな~」
「そうなのか? 俺はてっきり、混浴がどうこうって話をするんじゃないかと予想していたんだが」
一瞬固まるレオン。
どうやら図星らしい。実に分かり易い反応だ。
「(…混浴…なぁ)」
弓弦としては、別に駄目という訳ではない。混浴なんてしたければすれば良いし、問題さえ起きなければそれで良かった。
わざわざ二種類も浴槽を作る余裕が無いのだ。艦全体で一つの浴槽を共有する他無い。勿論時間は分けさせるべきだが、混浴のための貸切時間ぐらい設けられる。
そうでなくとも、水着等の着用を義務としたプールのような入浴方法さえ可能ならば混浴が出来る。
だがそれは理論上の話だ。基本は女性として、男性にも反対する人物が居るだろう。
「混浴は出来ない話じゃあない。だが、混浴をしたいと思いたくない人が居るのも実際のところだ。現状、男女で時間を分けるのが一番現実的な話だ」
「それは…混浴は出来るかもしれないが、難しいってことか~?」
明らかに気落ちしている様子のレオン。
混浴が男の夢であることは弓弦も、重々承知しているにはいるのだが、現実は厳しいということだ。
「あぁ。レオンと一緒に混浴したいって言う女性が居たら、一時的に浴槽を貸切にすることで混浴出来るはずだ…一応な」
想は旅館の貸切風呂から得たもの。
商業区で生活する商人の中には家庭を持っている者も居るため、家族で入浴したい際に利用出来る方法だ。
「は~」
「誰か混浴出来るアテでもあるか?」
「無いな!」
男レオン、独身である。
「だ~か~ら、混浴の可能性を模索していたんだろ~」
「残念だが諦めてくれ。双方の合意無しでは混浴なんて不可能だろう」
「なっ!? そりゃ無いだろ弓弦~」
「無理なものは無理なんだ。無理にでもしようとしたら、艦の女性全員を敵に回しかねないぞ?」
こればかりは譲れないものだ。
どう頼まれても、ここで譲歩してしまっては女性陣に悪いことをしてしまう。
ここは、きっぱりと断らなければならない。断らなければ、自分に色々と後片付けが回ってくる。そんなのは嫌だ。
「風呂なんて覗き前提だろ~っ!?」
「覗き前提の風呂なんてあって堪るかッ!!」
プライバシーも何もあったものじゃない。
そもそも、一部隊の長である人物が覗きを宣言してどうするのか。間違い無く様々な隊員の不信を買うというのに。
「無理なものは無理なんだ。分かってくれよ」
「無理と言われて引き退ったら男が廃るってヤツだろ~ッ!」
何故そうなる。
この反応をされるのは予想内。例えいかに力強い言葉で求められようとも、譲れないものがここにはある。
レオンの眼光は、さながら獲物を見据えた虎のようだ。対して弓弦は、天より愚者を見下ろす龍の瞳。
龍虎、ここにて凌ぎを削る。
「覗きをする時点で男が廃るってことに、どうして気付かないッ!?」
「浪漫を求めてこそ男だ~ッ!! 湯船に咲く桃源郷にこそ浪漫はあるッ!!」
「桃源郷どころか咲くのは鮮血の花ッ! たかだか覗きのために地獄を見たいのかッ!?」
「例え血に塗れたとしても、俺には目指さなければならないものがあるんだ~ッ!!!!」
「目指した先に見えるのは湯船どころか三途の川だッ! 血塗れの片道切符片手旅に何の意味があるッ!!」
「それがッ! 男の夢ッ!!」
「そんな儚さッ! 露と消えろッ!!!!」
互いに語気が荒くなる。
何故こうも食い下がる。湯船に咲く桃源郷とやらが、どうして死を覚悟してまで見たいのか。
『この者の異常なまでの気迫、一体何がここまで突き動かしているのだろうか…』
『本能より出づる煩悩が齎す執念…だ』
煩悩。これもまた、想いの力なのか。
バアゼルはどこか感心しているようだが、アスクレピオスは認める訳にはいかない理由があった。
『主よ、決して譲ってはならん。私はかつて欲望に溺れた国の衰退を見たことがあるが、あれは空しき程惨たらしいものであった。何せーーー』
長くなりそうなので理由、割愛。
「弓弦お前は、何も分かっていないッ!! 男の夢を忘れたお前さんにはな~ッ!!」
「何を…ッ!」
「知影ちゃんにユリちゃんにオープストちゃんに風音ちゃんに、果てはレイアちゃんまで! 望めば混浴してもらえるようなお前さんには何にも分から~んッッ!!!!」
少し言葉に詰まる弓弦。
確かに、不可能ではないかもしれない。というか、可能だろう。風音に関しては既に、完成した浴槽で混浴する予定が立っているのだから。
だがそれでも、男の夢が、浪漫がいかに大事か知っていても、アスクレピオスの言う通り譲る訳にはいかないのだ!
「…それとこれとは別だッ! これはな、覗きをするのはいけないんだって話だッ!! 周りの環境がどうとかは一切合切関係無いッ!!」
「大アリだ~ッ! お前さんにはこの気持ちがッ! 迸る熱い情熱が絶対に分からんからな~ッ!」
レオンの内に、燃える炎あり。
かつて某頭脳派と駆け抜けた森を流れていた青い風が、男の身の内にて炎を燃え上がらせる。
「俺は、俺は~ッ!!」
大きく机を叩いて席を立った三十路の独身男。青春とも呼ばれたあの風が今、胸の扉を開け放った瞬間だった!
「弓弦! 俺は男としてお前さんに決闘を申し込むぞ~ッ!!」
「なッ!?」
開け放たれた隊長室の窓。
レオンは側に立て掛けてあった大剣を取り出すと、そこより外に飛び出した。
「…ま、マジなのか…?」
窓を覗き込んだ先。そこではレオンが腕組みをして瞑目している。
まるで嵐の前の静けさ。来るべき時に備えて力を蓄えているかのようだ。
『主よ、雌雄を決する時だ。あの男の夢、武によって捩伏せる時が来たのだ』
いかなる言葉で諭そうとも、レオンは聞く耳を持ってくれない。
態度が、何より瞳が雄弁に語っている。
「…そう…だな」
戦い無くして、諭せないのなら。
自分は、剣を取らねばならない。
「…行くか」
“アカシックボックス”を発動させて、弓弦は剣を取り出す。そして愛用の銃剣を握り締めて、窓から飛び出した。
「よっと」
艦の鉄肌を撫でた風に煽らながら、地面に降り立つ。
微かに膝を曲げて着地の勢いを殺すと、砂埃が少しだけ舞った。
レオンは背中を向け、静かに海を眺めている。
「来たな~?」
横に突き立てられた大剣が、空高く昇った日に照らされていた。
得物を大地より引き抜き、レオンは振り返る。
「…なぁ、本気でやるのか?」
「本気以外で、どうやるつもりなんだ~?」
言葉だけなら、いつものレオンだ。
だが声音が、いつもの彼でないことを雄弁に語っている。
低く、感情が抑えられた抑揚の無い声音ーーー獅子の、本気の声音。
ただ純粋な夢への渇望は、男を獅子へと変えた。
「…分かった」
どうやら、この獅子を全力で叩きのめさないといけないらしい。
艦内に安全で健全な浴槽を作るため、弓弦は銃剣を構えた。
「俺が勝ったら、混浴を認めろよ~?」
「…じゃ、俺が勝ったらその話は無しってことで」
レオンも得物を構えた。
「いくぞ~ッ!!」
先手を打ったのはレオン。
一歩毎の踏み込みと共に加速していく男は、弓弦の胴体目掛けて大剣を水平に構える。
速い。その姿は、刹那にして弓弦の下へ。
「く…ッ!!」
回避が間に合わない。瞬時に判断し、弓弦は剣を縦に構えた。
衝撃。とても速く、重い一撃を剣に受ける。
レオンの速さは知っていたが、まさか自分の反応速度を上回るとは。それに、この斬撃の躊躇の無さはーーー!
「くらえ~ッ!!」
本気で、殺りに来ている。
横の一撃から剣を軸に反転し、縦の一撃を見舞う『加速剣』“クロスインパクト”。身体の半分を左に仰け反らすことで二撃目を避けた弓弦は、その勢いを活かして後ろ回し蹴りを放つ。
「このッ!!」
そっちがその気なら、こっちもその気。
レオンの背に沈み込む踵に力を込め、雄叫びと共に蹴り飛ばす。
「ぐぉぉッ!?」
渾身の一撃。跳ねるように地を転がるレオンの勢いが、威力を物語る。
回し蹴り一撃で、ここまでの威力。ハイエルフの身体能力は我が身のことながら凄いものだ。
しかし弓弦の攻撃はなおも止まらない。地を蹴ると、爆発的に加速して風となる。
「いっつつ…良い蹴りを…っ」
受け身を取り、突き立てた得物で身体を起こしたレオンの顔面に、拳が迫まる。
顔面を抉るような鋭い一撃が、瞬時に向きを変えた。
直線的な攻撃に見せかけた弓弦のフェイントだ。迫るのは、レオンの背後から。
「うぉぉッ!!」
反射的に盾にした大剣が、顔面強打を妨げる。
鈍い音。腕にまで衝撃が伝わり震えた。
剣を砕く程の怪力ではないが、体重の乗った重みのある一撃だ。
当たっていれば、即座に意識を刈り取られただろう。しかし防いだ今、それが隙となる。
「まだまだ~ッ!!」
レオンが振り上げた大剣が、飛び退った弓弦の髪を掠める。
間一髪の回避。弓弦は一旦距離を取ろうとした。
『主よ、いかんッ!!』
アスクレピオスの警告。
レオンが振り上げていたはずの大剣が今、自分の眼前にあった。
読まれていたのだ。弓弦の足が地面に着く前に、レオンの突撃が届く。
直撃すれば、死だ。弓弦はここで、初めて剣を使う。
ここで使ったというのは、ここまで使う必要が無かったためである。剣を振るうより、打撃の方が手加減無しの一撃を与えられると弓弦は考えた。もし出来るものなら、このまま剣を抜かずボコボコの鉄拳制裁で黙らせようと思っていたのだが、それは無理だった。やはりレオンは、強いということだ。
レオンが大剣を投擲した。
勢いのある大剣は、そのまま突撃してくるものだとばかり思っていた弓弦の意表を突き、着地を乱させる。
そこを、レオンは見逃さなかった。
持ち手の居ないまま、弓弦の銃剣と凌ぎを削る大剣の勢いが削がれる前に、彼は大きく踏み込んだ。
地面が減り込む。反動を受けて勢い良く飛び出したレオンは、全ての加速力を拳に込め、
『主ッ!!』
大剣の柄に打つけた。
「っうぉぉぉぉおおッ!!!!」
生まれる爆速。
拳というエンジンを持った大剣の突撃が、弓弦を襲う。
『加速剣』“アクセルピアース”。
剣を貫かれたら、自分が貫かれる。
地面を割りながら、弓弦が爆速に耐えていく。大剣の勢いを殺し切るまでに、着地から数mの距離を有した。
「…く…っ」
レオンの攻勢を凌ぎ切った。
眼の前に落ちる大剣。何とか勢いを殺せたが、弓弦は力無く片膝を着く。
立ち上がろうとするも、
「っ!?」
立ち上がることが出来ない。それどころか、身体の力が抜けていく。
「(な…何だ…? 急に…眠気が…っ)」
何故かは分からない。
だが、猛烈に眠たかった。
剣を突き立て必死に抗うも、抗い切れないーーー!!
『主…? 如何した!?』
「…っ」
駄目だ、このままでは。
このままでは自分は、混浴を認めることになる。
どうしてこうも眠たい。
まさか、ロソンだろうか。彼女が突然の用事で呼んでいるのだろうか。
眠い。倒れる訳にはいかないのに。どうしても、眠い。
『…盛られた様だな』
「(…何…だと…っ!?)」
盛られた。
もし盛られたのが睡眠薬だとしたら、盛ったのはまさか。
「勝負あり、だな~」
まさか。
「…お前……っ」
汚い。この男、汚過ぎる。
「悪いな弓弦~。これは男の夢のためなんだ~」
どこか申し訳無さそうではあるが、隠し切れない喜びを滲ませているレオンの姿が、最後の光景となった。
「…むぅ。弓弦に声を掛けそびれてしまった。何と言うことだろうか…っ」
「…おろ。ユリちゃん…まだ商業区に居たんだ」
「レイア殿…」
「ユ~君とは会えた?」
「それが…会えるには会えたのだが…。知影殿と仲睦まじい様子で、中々声を掛けられなかったのだ…」
「…ありゃ、結局声は掛けられなかったんだ」
「…うむ」
「でもさ、いつまでベンチで座っているの? こんな所で待っていても、ユ~君が来てくれるかどうかは分からないんだよ?」
「…それはそうなのだが。最近何故か、自分から話し掛けるのに緊張してしまってな。どう話し掛ければ良いのか分からなくなってしまっているのだ」
「ありゃりゃ。じゃあユ~君から話し掛けてきてくれればお話は出来るんだね」
「うむ…」
「うーん…そっかぁ。でもどうしてそうなっちゃったの?」
「…そ…れ…は…わ、分からんっ」
「…。ありゃ、そかそか。じゃあ…うーん、そうだなぁ。ユ~君、今隊長室に居ると思うよ? 少し待っても出て来なくて、何故か知影ちゃんとリィルちゃんだけが出て来たから、隊長君と男の子の話をしているんじゃないかな?」
「男の話…か」
「中々出て来なさそうだったし、知影ちゃんと一緒にユリちゃんも出待ちしてみたらどう? まずは直接顔を合わさないことにはね!」
「…出待ち…か。う、うむ…やってみよう…!」
「うんうん♪ じゃあ行ってみよう!」
「う、む。…ところで、レイア殿も弓弦に会いたくはないのか?」
「えっとね、私は買い物があるから。ユリちゃんと一緒に行くことは出来ないなぁ」
「べっ、別にレイア殿と一緒に行こうとは考えていないぞ?!」
「えへへ、そかそか。うん、そうだね。変なことを訊いちゃってごめんね」
「いや、別に気にしていないぞ」
「そか。良かった♪ じゃあ私、買い物に行って来るね。ばいば~い♪」
「うむ! …わ、私も予告を言ってから頑張らなければな…。『死闘の末、遂に夢を勝ち取ったレオン。勝利に酔い痴れる一時も束の間、その背中を狙う一人の女が姿を現す。鳴らされる銅鑼の音。激突する勝者と復讐者。繰り返されたのはかつての惨劇。全てが終わった後に大地に立ち、わらうのは誰なのかーーー次回、知影、怒りのアイアンクロー』…しかしレイア殿…意外と聡いところもあるのだな…。出来るものならば気を付けなければ…」