湯煙旅と尋問
部屋を出、息を吐く。
息を吐き、歩き出す。
「……」
玄関を通り、左に曲がる。
階段を昇らず、まっすぐ。
「……」
左手に中庭。
右手に客室。
目指す場所は、その先。
「……」
戸。伸ばす手は、震え、固まり、やがて徐にまた伸びる。
コン、コン。
来訪を中の者へ報せる音を立てる。
「入りますよ」
戸が横に引かれる。
開ける視界。映るは淡い照明に照らされた休息所。
小梅は、探し人の名を呼ぶ。曰く、「此方に居ますか?」と。
「…ここに」
果たして、探し人はすぐ近くに居た。
戸の前に陣取っていたのか。視線を落とすと、側に居た。
居ないはずがないのだ。
旅籠屋の従業員は全員、休息所にて待機するよう命じたのは彼女自身なのだから。
「少し話があります。付いて来るように」
「はい」と、短い返事。
返事の主が自らの背後に視線を遣ったのは、「従業員達をそのままにしておいて良いのか」という問いのためだ。
小梅は瞑目と同時に頷いた。そして、来た道を引き返し始めた。
「……」
先程まで通っていた通路。
長く感じるのは、己が迷いの深さか。
無言で付いて来る人物。
従うように、数歩後ろを歩いている。
「…此方に」
小梅が言葉を発したのは、番台の前。そのまま向きを変えて直進するだけで、旅籠屋の外に出られる位置に立った時であった。
「飯坂様がいらしたそうですね?」
足音が止む。
小梅が止めたように、その人物も歩みを止めた。
「えぇ。一昨晩、一緒に出迎えになったではありませんか」
そうだ。確かに一昨晩ーーー正確には二十二時頃。小梅はこの人物と共に「飯坂 大輝」を出迎えた。
旅籠屋の評判を左右する街の審査団を出迎えるのに、余程の理由が無い限り責任者が相手をするのは当然の礼儀なのだから。
故に小梅は見回りを切り上げ、接待に当たった。見回りーーー業務を切り上げて。
「…私が話しているのは、昨晩のことです。いらしたそうですね。一度は御帰りになった昨日の…晩」
だから、気になった。
飯坂の応対をするために業務を切り上げたことを知っているはずの人物が、自分を呼ばなかったことが。
「…その話、誰から」
徐に振り返り、眼を微かに大きくした人物を見詰める。
「いらしたのですね」
見詰めたのは、瞳。
覗き込むように、心の内を探る。
「…はい。昨日の二十三時前に」
二十三時。自分が被害者を目撃したはずの時間。
「…。何故何も語らず、私の下に参じたのです」
「すぐにお帰りになった故、伝えるまでもないことかと判断いたしました」
口籠る様子は無い。
瞳に揺らぎはなく、彼女はこれを「真」として話しているのだと分かった。
「…そう、ですか」
問答を止め、奥の通路へと向かう。
飯坂がここに来たことを黙っていた。それだけ分かれば十分だったために。
通路を少し進んで、右を向く。
戸に触れ、横に動かす。
「連れて来ました」
部屋。
その中に居たーーー否、待たせていたのは三人。
「…あなた達は」
女性と、少女と、二人の後にやって来た男。
小梅は神妙な面持ちで待たせていた三人の前に座るよう命じ、自らも隣に座った。
「…話があると言うのは此方の方々です」
静かに、話を切り出す。
自分からの問いはもう終わった。だから後の疑問は彼等に任せようと、そう思ったためだ。
「話…ですか? 話とは一体」
三人は視線を交わした。
女性が口を開く。
湯河原 京子の死に関して、自分達は調査をした。
その結果、湯河原の死は自殺ではなく他殺であることが分かったらしい。
そんな説明の後に言葉を発したのは、少女だった。
「…聞かせてほしいことがあるんすよ。昨日の晩、何をしていたのか」
「何を唐突に…。私が昨晩何をしていたのか…勤務表を見れば明らかなはずですが」
「その勤務表が…えっと、あなたの行動全てを書いているはずがないから言っているんすよ」
「…はぁ」
言っていることが分からないといった反応を見せられ、少女はなおも言葉を重ねる。
緊迫した雰囲気が、またもや弛緩し始める。少女の隣に座る女性が頬に手を当て、困ったように苦笑していた。
大丈夫なのだろうか。小梅がここにきて不安になっていると、柏手が耳朶を打った。
弛緩した雰囲気が一転、緊迫したものになる。
「むぐっ」
柏手の主は、どこか苛立ちを見せながらも少女の口を手で塞いだ。
「なァチビ、んな遠回しじゃ何も訊き出せねぇよ。こいつは、単刀直入ってのが一番だってことを教えてやる。…おいあんた」
少女が向ける抗議の視線。しかし男は気にも留めない。
「…はい」
「昨晩人が死んだってのは知ってるな? 自殺に見せかけた殺人ってなァ。…俺達はあんたを疑っている。疑いを晴らしたけりゃ、昨晩何をしていたのか話すんだな」
「勤務表があるのです。話す必要性がありますか?」
「何故話さない? 話せねぇ理由でもあるのか? …あんたの隣に居る女将に、街のトップの来訪を言わなかったように」
小梅は横眼で見た。その人物の表情が強張るのを。
その人物が話したがらないことを逆手に取り、徐々に逃げ道を塞いでいる。
男の話術には驚かされるものがある。だがそれ以上に驚いたのは、男の妙な強気だ。
この迫力。対峙する者を気圧さんとする気概は、武士のものに等しい。
「俺ァ見たんだよ。あんたがあの、飯坂って男を追い返したところをなァ!」
まるで噂に聞く、見廻組の取り調べのようだと小梅は思った。
何か大きな覚悟の下、被疑者を徹底的に追及する姿勢が特に。
「んじゃ、こうする。流石に勤務表に、飯坂を追い返したことまでは書いてねぇ。だったら、まずは追い返した理由を話してもらおうか。文句は無ぇな?」
沈黙が訪れる。
聞こえるのは、時計の音。
その人物が長い沈黙を置いて男に返した答えは、
「はい」
肯定。
言葉が正しいのか、否か。傍観者として見定めようとした小梅が、その人物の話したことを纏めると、次のようになった。
「あれは昨晩…そう、二十三時頃のことでしょうか。私が玄関にて、掃除の業務を終えたところに、忘れ物をされたとのことであの方はいらっしゃいました。しかし時は夜更け、就寝されている宿泊者様のことを考慮し、お引き取りいただいたのです」
* * *
「(…勝負…っすねぇ)」
オルレアは、静かに闘志を燃やしていた。
尻尾は眼の前にある。それを捕まえられるか、逃がしてしまうか。全て、これからの問答に懸かっている。
『主よ、私も力を貸そう。共に真実を突き詰めようぞ』
「(頼むっすよ、アスクレピオス!)」
仁の言葉が無ければここまで漕ぎ着けなかったのは気にしない。
オルレアは、ただ前を見据えていた。
「あれは昨晩…そう、二十三時頃のことでしょうか」
その人物は、静かに話し始めた。
「待ったっす。どうして二十三時ってことが分かるんすか」
すぐ止める少女。
したり顔をする彼女に、驚いたような仁と風音の視線が向けられる。
「番台に時計があるはずです。それを見れば、いつでも時間を確認することは可能かと」
「たまたま時間を確認していなかった…とか、ないっすかね?」
「私は勤務表の下、業務を行っています。そのため時間は常に把握しております。少なくとも、始まる時間と、終わる時間は特に」
『主よ、勤務表には確かに「玄関清掃」と書いてあるぞ』
アスクレピオスの言葉に、勤務表を見る。
確かに、二十一時から二十三時までは「玄関清掃」と書かれていた。
二十時は夜食のための休憩で、これが一時間ある。
休憩を終えた後に玄関清掃へと移るとここから分かった。
「(…。アイツが言っていた時間とは違うっすね。二十二時半頃って言っていたんすけど……)」
少女がチラリと横眼で見た仁は、怪訝そうに眉を顰めていた。
引っ掛かっているようだ。
時間の違いについて追及するべきか。考えていると隣から小さく喉を鳴らす音が聞こえた。
風音だ。横眼が合うと、彼女は動かしているか、そうでないのか判別し難い範囲で首を左右に振った。
どうやら心を覗かれているようだ。それはさておき、今は変に追及を避けるべきとのサインだろう。
オルレアは、話の続きを促すことにした。
「二十三時は、始まる時間か終わる時間…どっちの時間だったんすか?」
「終わる時間ですね」
即答が返ってきた。
「私が玄関にて、掃除の業務を終えたところに、忘れ物をされたとのことであの方はいらっしゃいました」
「待ったっす。忘れ物とは何だったんすか?」
「おいチビ…ここは話をさせるべきだと思うぜ」
二度目の「待った」。
聞き咎めたのか、仁が口を挟んだ。
「フル待ったは基本っす」
「…あん?」
謎である。
しかし仁が抗議しようとしたところで、その人物が言葉を発した。
「よろしいですか?」。少女に「話をさせるべき」と言っておいて、自分が行動をなぞる訳にはいかない。仁は口を噤んだ。
「小さなコインです」
「小さなコイン?」
「何でも知人に収集家が居るそうで。その方に渡す貴重なコイン故、失くしてしまったら困ってしまう…とのことでした」
「…それはアレっすか? 集めた枚数に応じてご褒美が貰えるとか……」
「そこまでは存じておりません」
「ううん…そうっすか」
貴重な物ならば、失くしてしまったら困ってしまうのも当然だろう。
加えて小さい落し物。ピアスや指輪などのアクセサリーと同じで、探すのも困難かもしれない。
『主よ、何か思い当たることが?』
「(何となく思っただけっす。それより)…一緒にメダ…コインを探さなかったんすか?」
「可能であればそうしたかったのですが」
苦笑しつつ、その人物は続けた。
「しかし時は夜更け、就寝されている宿泊者様のことを考慮し、お引き取りいただいたのです」
「待ったっす。就寝されている宿泊者って、誰のことっすか?」
「勿論、昨晩から今に至るまで当旅籠屋に宿泊されている全ての方です。何せ飯坂様の来訪は二十三時のこと。その時間であれば、多くの方が就寝していると考えるのが普通かと」
「ま、そうだわなァ」
相槌を打ったのは仁だ。
考え方は間違っていない。二十三時という時間を考慮するならば、物音は立てないに越したことはない。
そのため飯坂を返したのは妥当な判断に思えた。思えてしまった。
「飯坂様にお帰りいただいた理由はお分りいただけたかと存じます」
「ううん…。(アスクレピオス、何か分かったっすか?)」
これまでの言葉からは訊きたいことを訊き出せていないため、自分では何も気付けそうにない。だがアスクレピオスならば、何か気付いているかもしれない。
なのでオルレアは、心の中で神鳥に訊いた。
『…先達て主が引き出せた話を纏めよう。二十三時というのは、時計を確認したために分かった。忘れ物と言うのは、小さなコイン。宿泊者の考慮と言うのは、宿泊者が眠っているであろうことへの考慮。…道理は通っている。私の聞いた限りでは、恐れながら何もおかしな点は見付からなかった』
「(うううん…確かに、そうっすねぇ。でも、ここからおかしな点を探し出さないと…)」
何も、気付けない。
だが気付かなければ、終わってしまう。
それは避けたかった。
「(あ、そうだ! 飯坂って人を追い返したのが二十三時でないってこと、証明出来ないっすかね!)」
唯一おかしな点があるとすれば、仁の話との食い違いしかない。
だが時計を確認して、二十三時と確認したと眼前の人物は言った。
それを覆せる「何か」はあるのか。
「他に質問はありますか? 無ければ、休憩所に戻らせてもらいますので」
時間が無い。
考えるよりも先に、オルレアは言葉にしていた。
「あ、あるっす! この人が、あなたと飯坂って人の遣り取りを見たのは二十二時半頃って言ってたっす!! 本当は二十三時じゃなくて、二十二時半だったんじゃないっすか!?」
「おい、チビっ。そこで俺を出すかっ」
最早言い掛かりだった。
だから、
「…それを証明する物はあるのですか?」
最も簡単に返されてしまう。
証明する物はーーー
「…あるっすか!?」
「無ぇよ、そんな物」
無かった。
そう、証明するために必要なのは証拠。
仁の記憶では不確か過ぎた。
「…私は時計を確認しているのです。残念ながら、時間を見間違うことはありません」
尻尾が、遠退く。
捕まらない。捕まえられない。
時間を証明する方法が、今は無い。
「…ッ!!!!」
オルレアは、眩暈を覚えた。
まるで金槌で殴られたかのような鈍痛が、頭に走る。
『主よ、如何したッ!?』
「何でもないの」と、心配するアスクレピオスに返す。
痛みは徐々に収まるが、妙な脱力感がある。
「(…あれ)」
そんな中、気付いたことがあった。
「(バアゼル…どこっすか)」
蝙蝠悪魔の魔力を内に感じない。
いつの間に。どこかに出掛けたようだ。
『む…? そう言えば先程炬燵の中に入って行ったような…。それよりも主、このままでは…ッ」
「(分かっているっす。でも…っ)」
バアゼルの動向よりも、今の状況をどうにかすることが大事だ。
「では、失礼します」
その人物は、小梅の困惑した視線を払い除け、退室しようと動いた。
オルレアは歯噛みした。
考えても、考えてもどうしようもなくて。どうしようか考える程、悔しくて。
「待ちなァッ!」
だからそんな時に聞こえたその声は、どうしても頼もしく思えてしまった。
「まだ訊きてぇことはある。悪いが、そこに戻ってくれ」
「…質問は終わりではないのですか?」
その人物は、仁の言葉に僅かながら嫌悪感を露わにした。
それもそうかもしれない。どうやらオルレアの様子から、質問が一つだけと思っていたようだ。
「俺は、『まず』って言ったんだよ。質問が一つだけとは…言ってねぇなァ」
不敵に笑みを浮かべる仁。
彼の言葉通りなのだ。勘違いしていたのはその人物と、少女だけ。
「んじゃ飯坂を帰した理由を訊いたところで、アンタがその判断を独断で下した理由を訊かせてもらうぜ」
「…質問はそれで最後ですか?」
「さァなァ」
仁の様子を見るに、絶対に「最後」と言うつもりはないだろう。
彼は何が何でも掴むつもりなのだ。
今にも逃げようとする尻尾を。
「ま、そこの女将も気になっているだろうしなァ。訊かせてもらうぜ?」
その人物は、隣を見た。
「……」
小梅と視線が重なる。
やがて小さな溜息と共に、
「…承知しました」
何故独断での判断を小梅に伝えなかったのかについて、話をするのであった。
「…ねぇ、フィーナ」
「…? どうしたのセティ?」
「…こんなの、見付けた」
「あら、小さいけれど綺麗なメダルね。どこに落ちていたの?」
「…この部屋。弓弦の机の下」
「あの人の机の下? おかしいわね。今日の昼に掃除したはずなんだけど…」
「…でも、落ちてた」
「ううん…こんなに、キラキラした物を見落とすなんて。掃除してから誰か落としたのね。知影か彼か…もぅ…大切そうな物なのにどうして落としちゃうのかしら」
「小さいから仕方無い」
「そうね。そうなのだけど。…今頃探しているかもしれないわね。セティ、おつかいを頼んでも良い?」
「…コク」
「ふふ、じゃあお願いね♪」
「いってきます」
「いってらっしゃい♪」
「…まさか、たまたまの落し物が役に立つなんて。机の下に用意した私も私だけど、気付くあの子もあの子ね。ふふ…少しお膳立てし過ぎちゃったかも。でも折角の良い機会だもの、これぐらい良いわよね? …だけど、あの人は何て言うかしら。やっぱり、反対? ふふ…それはそれで、応援のしがいがあるけど…。今度訊いてみようかしら? ふふっ。でもその前に、予告でも言おうかしら。『オルレアっす! フル待ったは基本! いやぁ、話を止めて悪い気はしなくもないけど、凄い舌戦をしている感じがするっす! あー、でも出来ればもう少し大声で言いたいし、こう、指を突き付けながら…スートルファに学んだ風魔法のちょっとした応用で…ビシィッて! く~っ、良いっす素敵っす最高っす♪ …でもその前に…今の状況を何とかしないといけないっすからね。がんばるっすよーーー次回、湯煙旅と追及』…。楽しそうね、ふぅん」