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俺と彼女の異世界冒険記   作者: 仲遥悠
女二人湯煙客旅編
300/411

湯煙旅に、悩む風音

「はぁ……」


 溜息を吐く風音の姿は、縁側にあった。

 物憂気な彼女の視線は、これまでに収集た情報が事細かに記載されたメモ帳に吸い込まれている。

 小梅が用意してくれた従業員の勤務表を下に話を訊き回ったものの、どの従業員も正しく計画通りの動きをしていたためだ。

 そこは流石というべきなのだろう。

 決められた時間までに、決められた仕事をキッチリ終わらせることが出来ている。従業員の実の高さが窺えた。

 集められる情報は集めたと思いたい。そう考える彼女が溜息を吐くのには訳がある。


「(…まさか夜は障子を下ろしてしまっているとは)」


 それは、第一発見者から訊いた話にら対する感想であった。

 風音が顔を上げると、中庭の反対側ーーーつまり、浴場に繋がる廊下が見える。

 見えるといっても、実際に廊下そのものが見える訳ではないのだ。ここから見えているのは、障子。窓の内側にある格子のカーテンが、反対側の廊下を隠していた。

 もしかしたら、三付が事件現場に被害者が向かう様子や、犯人らしき人物を見ているかもしれないーーーそんな風音の淡い期待は無残に打ち砕かれてしまった。

 照明によって照らされた向こう。

 障子越しに見えるのは、精々人の影か。影を見ただけで人物が特定出来れば苦労はしないだろう。

 だが「影を見た」ーーーという発言さえあれば、仮定の上での推理をすることが出来たのだ。それなのに。


「(…まさか、御姿を拝見されてすらいないとは…っ)」


 広がる和の庭園に向かい、肩を落とす。

 掃除に集中していた。だからその間に誰かが廊下を通った可能性は、当然の如く生じてくるのだ。


「(…ですが気を取り直して、考えねばなりません。えっと…)」


 被害者は、二十三時に反対側の廊下を通って浴場に向かった。その姿は、小梅によって目撃されている。

 被害者が死体となって発見されたのは、二時。つまり、犯行可能時刻は二十三時から二時までの間ということになる。

 しかし三時間というのは長い時間だ。三時間もあれば、大体の従業員が一時的に単独行動出来てしまう。

 だから風音は、より時間を絞ることにした。


* * *


「えっと…」


 三付から話を伺う前、彼女は一旦部屋に戻っていた。


「確か…ここにあったはず」


 そこで彼女は荷物の中から、「インカム」を取り出した。

 有事の際。いつでも『アークドラグノフ』と連絡が取れるよう持参が義務付けられている通信手段は、思わぬ場面で役に立ってくれたのだ。

 彼女は迷わず通信を繋ぎ、艦橋にある人物を呼ぶように頼もうと試みた。


『はい、こちらアークドラグノフですわ』


 数回のコール、小さなノイズは数秒で鳴り止む。

 聞こえてきたのはリィルの声だった。


「もしもし、風音です」


『まぁ、天部中佐ですか。何かご用でして?』


『すみませんがユリさんを呼んで下さい。至急伺いたいことがありますので』


『分かりましたわ。そのままお待ちくださいまし』


 召喚を試みた人物とは、ユリだ。

 風音とて無知ではない。死斑が、死後すぐに現れるものでないことは何となく知っていた。多少の時間が必要だと。

 しかし今必要な情報は多少ではなく、正確なものだ。故に、詳しいであろう人物に訊こうとした。


『代わったぞ、風音殿』


 近くに居たのだろうか。

 ユリの声は、すぐに聞こえた。


「ユリさん、つかぬことを伺うのですが、死んだ人間の皮膚に現れる瘢痕…死斑。それは死後如何程の時間で出現するので御座いますか?」


『む。死斑だと? …風音殿。もしや、そちらで何かしらの事件に巻き込まれたのか?』


「…はい」


 風音は連絡するまでに至った経緯を手短に話した。

 ユリは黙って話を聞いていた。そして話が終わると、『それは災難だったな』と声音を落とした。


『しかし緑色の死斑か…。ふむ、恐らくは硫化水素だろうな』


「…硫化水素」


『平たく言えば硫黄だな、うむ。人が有害な気体によって窒息死した際。窒息する原因となった空気の成分によって、現れる死斑の色が通常とは異なるのだ…と、時間について訊かれたのだったな』


「いえ、大変興味深い話に御座います」


 一応オルレアと仁の遣り取りを聞いていたので、死斑の色の謎については解明されている。

 間違い無く硫化水素が死因。メモが正かったことが、現場に居る二人の預かり知らぬところで証明された。


『死後二時間以降だ。死体の状況にもよるが、二時間を切ることはまずない。硬直以外に現れる死後変化の代表例だからな、うむ、間違い無い』


「…二時間以降、ですか。つまり現れるのに二時間以上かかることも?」


『無論だ。血流が完全に鬱滞した状態の身体の局所に、継続的な負荷…重力がかかることによって、死斑は出現する。それは裏を返すと、継続的な負荷さえ無ければ出現しないことを意味するのだ』


 死斑の出現には時間が必要。

 その時間は最低二時間。

 ユリから話を聴く傍、風音は話の要点をメモに記していった。


『こんなところだな、うむ』


「ありがとう御座います。助かりました」


『うむ。では失礼する』


* * *


 そこで、通信は切れた。

 ユリが通信の内容を必要な情報だけに留めたのは、風音の背後にある緊急性を察したためか。

 およそ五分程度の通信を終わらせた風音は思案を重ねていく。

 元々考えていた犯行時刻の条件に、死斑が出現していたという条件を内包させる。すると犯行時刻は、二時から最低二時間前。つまり、長くても二十三時から零時までの一時間だ。

 そしてその時間、自由に動けたであろう人物の存在を探さなければならない。


「(誰か…居ないのでしょうか)」


 風音は勤務表と睨み合った。

 勤務表が正確であることは、既に確認している。

 大元の犯行時刻の範囲内で自由に身動きが取れるのは、料理長「下部 早吉」。宿泊者の「草津 雄一」、「有馬 晴美」、「俵山 仁」、「城崎 小梅」、「玉川 愛花」だ。この他の従業員には難しい。

 何故か。簡単だ。彼等もまた、掃除していたからだ。それも二人一組で。

 三付一人で旅籠屋全体の掃除をすることは、時間的に不可能だ。だから、従業員と手分けして清掃を行っているようだ。

 それがこの旅籠屋が美しく保たれている一因だろう。毎日の清掃が分担され、常に最高レベルの状態で担当分の仕事がなされているがための。

 ここで重要なのは、二人一組(・ ・ ・ ・)で業務を行っていたこと。どちらかが一時的に席を外すことはあるかもしれないが、流石に十分以上も居なくなることはないだろう。故に、他の従業員達は除外すべきと判断した。

 風音は勤務表の二十三時から二十四時の枠を注視した。

 まずは下部。この男は二十三時には寝床に入っているらしい。というのは、勤務表に「休憩」と書かれているからだ。

 少し遡ってみると、八時頃入浴しており、その後飲酒を始め、眠りに就いたーーーと、読み取れる。

 何故ここまで詳しく書かれているのか。それは近くに書かれていた小梅の勤務表で予想が付いた。

 小梅も八時に入浴していたのだ。

 同時刻に、壁一枚で隔たれた空間に居た以上、ある程度の時間は分かるのだろう。

 風呂上がりに飲酒を始めたというのは、「彼が自室に入って行くのを見た」ーーーと注意書きがされていたことで、情報の正確性が分かる。

 だがそれだけでは、その後就寝したとは判断し難い。入浴を終えた後、小梅は見回りをしていたようなので、その間に動くことは可能なはずだ。

 だが一時間に限定された犯行時刻内で犯行が出来るかーーーとなれば、話は別だ。

 下部の自室は、小梅の自室の隣にある。因みに見取り図から読み取る限り、窓は無い。

 同じく旅籠屋を家とし、日々労働に励む者同士らしく、襖一枚を隔てた部屋で身体を休めているようだ。というのも、旅籠屋の見取り図によると、下部の自室へ行くには小梅の部屋を通らねばならないのだ。

 小梅の部屋が廊下に面した側である以上、部屋を出て廊下に向かうには、やはり小梅の部屋を通らなければならない。

 二十三時、小梅は廊下で被害者を見掛けた後すぐに部屋に戻っている。この時点で下部は部屋に居たのだ。よって、彼には犯行が不可能であった。

 唯一可能だとすれば、小梅に気付かれず部屋を後にし、犯行を終えた後に気付かれず戻ることが必須となる。

 ここで必須条件を阻害するのは、下部の部屋から廊下までに通らなければならない襖だ。

 計二つ。どちらも音も立てずに開けることは不可能に近い。

 仮に音を立てずに開けられたとしても、小梅と彼女の飼い猫、そして後一人。


「(…玉川さん)」


 二十三時頃から小梅と共に書類整理に当たっていた従業員の眼を全て躱すなど、間違い無く不可能だった。

 つまり、下部は犯人ではない。風音は断定し、メモに書いた下部の名前の上にばつ印を書いた。


「(後五人…。二十三時から零時までの一時間に限っては…まだ絞り込めます)」


 下部が白ならば。

 同じく二十三時から零時までの行動が明らかになっている人物達が居る。


「(そう…。城崎さんと玉川さんの両名)」


 当然、互いに互い(・ ・ ・ ・ ・)が行動を把(・ ・ ・ ・ ・)握している(・ ・ ・ ・ ・)ために、片方を信じるならばもう片方も信じることが出来る。


「(これで二人が除外されるはずです。つまり…残り三人)」


 旅籠屋の従業員がこれで消えた。

 残るは自分達以外の宿泊者となった。


「(…俵山様から考えてみるべきですね)」


 風音は信じたい人物から考えることにした。

 今現在、オルレアと共に事件の捜査を行っている男。彼の行動を考える。


「(まず、俵山様がいらした時間…。記憶違いでなければ、九時少し前。そして、御帰りになった時間は……?)」


 オルレアが時計を見たのに連られ、風音も時計を見たのだ。

 九時にはもう部屋に居たはずだ。問題は帰る時間なのだが。


「(…。何時頃…だったのでしょう)」


 記憶が無かった。

 来た時間は何となく覚えているのに気が付いたら、既に姿は無かったのだ。

 仁が来てから、自分は何をしていたのだろう。

 オルレアが弄ばれていたのは覚えている。何となく。

 オルレアが可愛い行動をしていた。間違い無く。

 覚えていることと、覚えていないこと。

 覚えていないことの大半を占めるのは、自分の行動。

 部屋からは出ていない。オルレアに対して何かをしていたーーーような気はするのだが。

 兎に角、仁は九時頃には居て、零時の時点で居なかった。それだけは確かだ。


「(…俵山様、恐るべき方です)」


 風音は舌を巻いた。まさか自分に気取られることなく、一瞬にして姿を消しているとは。

 だが零時には居ない(・ ・ ・ ・ ・)以上、残念ながら犯人の可能性を否定し切れない。

 悔しいが、一応候補に残さなければ。

 小梅と愛花の名前にバツを書いた風音は溜息を吐いた。

 仁が温泉を穢すような行為をすることなんて、絶対にあり得ない。天地神明に誓って、断言出来た。

 だがそれは感情論での話。今必要なのは、論理的な思考だ。

 仁は確かに温泉を穢すような人間ではないかもしれない。だが、場合によっては温泉を穢す人間なのかもしれない。

 仁の犯行を否定するには、否定出来るに値する根拠を見付けなければならないのだ。

 恐らく、自分達の下を離れた後は部屋に戻っているはず。後はそのまま部屋を出ていなければアリバイとして成立するのだが。現実はそう上手くいかせてくれないようだ。

 仁の部屋は確か、自分達の部屋の下だったはず。「俺の部屋はここの丁度真下だぜ」と、彼が言っていたのを覚えている。

 だから彼が、自身の部屋とは反対側である浴場側の廊下に行っていなければ、事件との関与は疑えない。

 後で現場に戻り、一度話を訊くべきかもしれない。風音はそう考え、別の容疑者が犯行を行ったであろう可能性を考え始めるのだった。


「(…有馬さんと、草津さん)」


 推理には、まだまだ時間がかかりそうだ。

「ぅっ」


「私だってやりたくないけど、これもハリセンの代わり! 教育的指導よ! 覚悟なさい!」


「虐待っ、虐待駄目だよぉっ!? お尻叩くの駄目ぇっ!!」


「程良く加減してあげるだけ感謝しなさい!」


「ぅぁっ!? だからお尻叩くの止めぇっ」


「叩かれたくないのなら、おもしろおかしく人に迷惑をかけない!」


「うっ! でもじゃなきゃネタがっ!」


「ネタ以前に駄目よ、他の人に迷惑かけちゃ! 反省なさい!」


「ど、して叩かれなきゃぁっ!?」


「暴走しがちなあなたを、あの人の代わりをお仕置きしなきゃいけない役割があるのよ! 神妙にすることね!」


「うぁっ、で、も乙女のお尻を叩くなんてぇっっ、んきゃっ」


「…ふふ。はい、おしまい。許してね、これも仕事よ」


「ぅぅ…女の子のお尻がぁ…っ。見てよ、この赤いの…お猿さんみたいだぁ…ヒリヒリする……」


「ズボンの上から手加減して叩いたのにヒリヒリも何もないわ。赤いのはあなたのズボンよ」


「…まさかこれ、血かなっ!?」


「平手打ちで血が出る程、馬鹿力じゃないわ。自分が着ているズボンでしょ? 今朝、気分で選んでたじゃない。その赤いズボン」


「…でも、心なしか赤くなっているような」


「気の所為よ。元から真っ赤じゃない。凄く真っ赤よ」


「…フィーナ、人のファッションセンスにケチ付ける気?」


「あら、心外ね。ケチなんて付けないわ。良く似合っているもの」


「…褒めても何も出ないけど」


「ふふ、そう」


「…何その笑い」


「ふふ」


「…何?」


「さぁて、ね? さ、予告するわよ。『風音で御座います。横文字とは難しいものですね。らいすくりぃむ、そふとくれぃむ、かりかりきゅん…はぁげぇたっとぅ…噛んでしまいそうです。…きゃっちますご…こほんっ。魔法の名前は言えるものもあるのですが、やはり、難し過ぎますねーーー次回、湯煙旅で詰む推理』…ふふ、お楽しみね♪」


「何かその笑いが気になるっ」

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