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俺と彼女の異世界冒険記   作者: 仲遥悠
最初の異世界
30/411

異変

 異変は、唐突に訪れた。


「いえ、ですから『名無し島』または『妖精の島』とその島は呼ばれていて…。決して『呪いの島』なんて畏れ多い名前ではないですよ。と言うか『呪いの島』って何ですか」


 レオン、ユリ、知影は『カリエンテ』の歴史研究家の下を訪ねていた。

 場所は、王宮内の一室。

 二つの本棚には、分厚い書物がこれでもかと収められており、挟まれた付箋ふせんの数々には年季が感じられた。

 研究者の年頃は、初老に差し掛かっている辺りだろうか。何でも、生涯を歴史研究に捧げているのだとか。


「見たことも聞いたこともない名前ですね…」


 国に仕えている研究者が語る言葉は、即ち国に伝わっている歴史そのもの。その言葉に嘘偽りはないはずだが、拭い難い違和感を伴っていた。


「えぇ!? 先日伺った事柄と違うではありませんか!! これでも私、記憶力には自信があるんです! なのに…」


「えぇ、ですから先日話した内容と全く同様のことを話しましたが」


「そんな! だって!」


「まぁまぁ知影ちゃん。落ち着きなって〜」


 知影は自分の記憶力に絶対的な自信を持っていた。

 故に、その研究者の言葉に納得出来ない彼女は食って掛かっていた。

 絶対に違うという確信。しかし確信を根拠につついても、確固たる「真実」は揺るがない。


「…知影ちゃん、彼等が言っていることは間違っていない。…あぁ確信した。やはり歴史は書き替えられたってことになるんだな~…」


 学者に対していきり立つ知影を制してレオンは北の方角を睨んだ。

 歴史を書き替えられるなんて聞いたことがない。

 だが証拠がある以上、現実として起こってしまったのであろう。

 こういう時、彼の友人なら幾つか仮説を立てるのであろうが──そこまでレオンの頭は回らなかった。


「畏れ多いとは何だ?」


 煮え切らない様子のユリが、腕を組みながら学者に訊き返す。

 苛立つような声音になってしまっているのは、これから何をしなければならないのか、分からないためか。


「あの島には溶けない氷に包まれ、その身を時の流れから切り離したまま眠っている『二人の賢人』の家があるのですよ」


「「「二人の賢人?」」」


 学者から聞かされた、初めて聞く単語に全員の言葉が重なる。


「二百年前に世界を闇に包もうとした、強大な悪魔をたった二人で討ち滅ぼした“英雄”のことです。我々を始めとした一部の研究者や、比較的に歴史に詳しい民のみが尊敬と畏怖の念を込めてそう呼んでいますので、あなた方が知らなくても無理はないですね」


 悪魔が討たれた事実は誰もが知るところであるが、誰に討たれたかは知らない。つまり、忘れ去られる。 


「人は過去ではなく、今に生きている。今生きている時間、これから生きる時間こそ重要ですが、過ぎた時間に価値を見出さない者も居ます。…そうやって歴史は失われていくのですよ」


 二百年前のことですら、真実に影が伸びている。

 ならばそれより前に何か大きな出来事があっても、詳細は謎に包まれてしまうのだ。

 「歴史の皮肉」だと、研究者は語った。


「お~お~、だがその二人の賢人とやらはどうして眠っているんだ~? アレか〜? 来るべき時に備えて眠っているとかそう言うものなのか〜?」


 レオンは眉を顰める。

 元々『呪いの島』は、一度は足を運ぶ必要性を感じていた場所なのだ。

 そこに居る、極めてアヤシイ二人の存在。

 敵か、味方なのか──どのような人物かだけでも、見当を付けておきたかった。


「隊長殿。二百年前の人物で、かつ直接見たことがない人物のことを聞いても、意味が無いと思うぞ」


「い〜や、多少は参考にはなると思うぞ〜?」


「…辛勝とは言え、リスクX(アデウス)を討った私達が数で劣る者達…それも同じ人間に遅れを取るとは思いたくないが…」


 「上には上が居るもんだ~」と、レオン。

 ユリの意見に頷けない要因足り得る人物達は、居る。だからこその言葉であった。


「そうですよ! 更に弓弦君も居れば鬼に金棒です! 弓弦君の金棒です! ブンブン振り回してもらいたい、と言う訳で合流しに行きましょう!!」


 こちらは相手にしていてはキリが無いので無視することに。


「(…弓弦に…金棒な〜)」


「(何故だろうか。…変な意味に聞こえるような、そうでないような……)」


 少しだけだが弓弦の気持ちが分かるような気がする二人。一体彼女は、どれ程彼のことが好きなのだろうか。

 少なくとも彼女が変態であるということだけは確かであった。


「あぁ、お探しの方はユヅルと言う名前だったのですね。珍しいこともあるものです」


 少し驚いたように、研究者が喉を鳴らす。

 彼の言葉に、ユリが反応した。


「それは凄いな。差し支えなければ二人の賢人の名前…教えてもらえないだろうか?」


 賢人の名前──それは情報を必要とする自分達にとって、必要となるかもしれないものだ。

 「ユヅル」とは、偶然の一致なのか。

 何事も情報は多ければ多いほどに越したことはないのである。


「前置きしますが、今から言うことが正しいとは限らないので留意して下さい。歴史とは常に、解明と共に書き改められているもの故に…」


 咳払いを一つ。

 研究者は、近くにあった本を手に取る。

 中にビッシリと走り書きが記されていることから、彼のメモなのだろう。

 メモのページを捲っていくこと数秒後。研究者は口を開いた。


「…文献によりますと、一人目の賢人の名前は『フィリアーナ・エル・オープスト・タチバナ』。今はもう存在しない種族…“高貴なる森の妖精”と謳われたハイエルフと言う種族で、唯一の生き残りとされている人物です」


「タチバナ…タチバナ…ねぇ…?」


 反応したのは知影だ。「タチバナ」を反芻している彼女の肩は震えている。


「ハイエルフ…だ〜?」


「…確か、『組織』のデータベースでも伝説上の存在とされている種族だ。遥かな昔に姿を消したと伝えられているが……」


 伝承の類だと思っていたハイエルフがこの世界に居たことに驚くレオンとユリ。

 だが次に学者から告げられたもう一人の賢人の名は、さらにレオン達を驚愕させるものだった。


「…もう一人の賢人の名前は『ユヅル・ルフ・オープスト・タチバナ』。ハイエルフの中でも、とりわけ高貴な存在とされているフィリアーナが自身の名を与え、唯一心と身体を許した存在です」


 ──ブチッ。


「名前からも分かるように、この二人は夫婦と言う説が有力ですね。二人が一つ屋根の下で生活していたとされる記録もありますし」


 何かが切れる音が、聞こえたような気がした。

 あくまで比喩なので実際には聞こえたわけではないのだが、ユリとレオンの耳には“それ”がはっきりと聞こえた。


「そう…凄い偶然ですね。へぇ…ユヅル・エフ・オープスト・タチバナ。そう言えば…私の未来の旦那様は今何しているのかなぁ…?」


 ゴゴゴ…。といったオトマトペが見えそうな程、不穏な空気を纏い始めた知影によって、場の気温が徐々に下げられていく。


「な、なぁ知影ちゃん? そのオーラ…止めて…あら〜?」


 突然、レオンの視界がボヤける。

 それはまるで、ハンマーで頭を殴打されたような感覚だった。

 レオンの上体が、大きく揺れた。


「た、隊長殿っ!?」


 そのままレオンは、何故か気絶してしまう。

 しゃがみ込んだユリが、手早く診察を行って無事を確認していく。


「気絶しただけだ。…隊長殿……はぁ」


 アデウス襲来の時といい、曲がりなりにも隊長がこれでは困ってしまう。だが、原因である知影が全くの無自覚なのはどうしたものだろうか。


「──!!」


 一方。

 レオンに精神的トラウマを植え付けた知影は、弾かれたようにあらぬ方向へ視線を向けた。


「‘弓弦君…?’」


 ──方角は、北だ。

 弓弦の名を呟いたかと思うと、瞳を大きく見開いた。


「ユリちゃん、弓弦君と繋がった! 多分今この国の近くに居る! 隊長さんはこの人に任せて、私と一緒に来て!」


 更にいきなり北の方角を見たかと思うと、レオンを放置するとまで言い出してしまう有様。酷いものである。

 しかし唯一行方が知れなかった弓弦の手掛かりどころか本人が近くに来ているらしい反応を掴めたことに比べれば──現在のレオンは放っておいて然るべきとも思ってしまい、二つの選択肢がユリをほんの少しだけ(・・・・・・・)悩ませた。


「…知影殿は、本当に何事も橘殿が最優先なのだな」


 居場所が分かっているレオンと、居場所が分からない弓弦。

 ユリとて、どちらを優先するかと訊かれたら弓弦を優先してしまうだろう。

 これはいわば、効率の問題だ。合流して元の世界に帰還するための方法を探さなくてはならないのに、ようやく掴めたかもしれない弓弦の手掛かりをむざむざと逃してしまうようなことは避けたいし、またもし、知影と逸れてしまうようなことがあればそれはそれで大変になってしまう。

 彼女の行動力は暴力的なまでに熾烈を極める。

 放っておくと、放たれた矢のように見知らぬ場所へと旅立ってしまうだろう。


「当たり前のことだよ! ほら早く!」


「…………。私も橘殿が心配なので失礼する」


 結局ユリも知影の後を付いて行くことにした。


「何ですか。…もう少し語りたかったのですが」


 二人、取り残された研究者とレオン。


「ここは、空気を読みましょうか」


 何の空気を読んだのだろうか。

 研究者も職務へと戻って行ってしまう。

 結局、気絶した一応隊長のレオンだけが一人、床に伏すようにして残された。











「まっ、待ってくれ知影殿!!」


 知影の足はかなり速かった。

 風? いや、最早嵐だ。ユリも決して遅い方ではないのだが、それでも時々姿を見失いかける程に速かった。

 それでいて走りのフォームも美しかった。

 彼女に横切られた住民は、何が起こったのか分からず混乱して暫く呆気に取られる。

 その後にユリが通るものだから、これがバッチリ見られるのだ。

 ガン見だ。圧倒的ガン見である。

 視線を合わせ次第思いっ切り眼が合ってしまう、

 そのためユリは、脇眼も振らずに先を急ぐ。

 何故だか分からないが、妙に恥じらいを感じる気分だ。


「(く…ッ!)」


 懸命に地を蹴るユリ。

 知影の背が、徐々に近付く。

 どうしてそうも必死なのか。

 どうしてそうも必死になれるのか。


「(どうしてそう、橘殿のことを…)」


 それだけ彼女が弓弦に対して必死だということが伝わる。

 何故だかそれが、ユリの心の中をモヤモヤさせた。


「(えぇいッ!)」


 そんな気持ちのまま城下町を出る。

 前方を急ぐ、まるで一心不乱にある一点の場所を目指している知影の足に迷いは無い。


「弓弦君…待っていて…!」


 息を切らしつつも、弓弦のことしか考えていないであろう知影。

 しかしそんな彼女に、悲劇が迫っていた。

 眼の前に、海が近付いているのだ。

 彼女がそのことに気付く素振りは見られない。背中越しではあるのだが、気付いていない気配が色濃く漂ってくる。

 街を飛び出してから徐々に強くなっていく塩の香りにユリが危機感を覚えていると、案の定知影の足が地面を離れた。


「知影殿止まってくれぇ! 落ちるぞ!!」


「え」


 暫しの空中歩行。


「え、え」


 上見て、下見て。


「え、え、え」


 空へと向かう平泳ぎ。


「わっ!? きゃあぁぁっ!?」


 自由落下。


「く…! 間に合えッ!!」


 崖の下へと消えて行く知影の姿。

 ユリは懸命に手を伸ばしたが、無論届くはずもない。

 伸ばした手を届かせるには、その距離は遠過ぎたのだ。


「空が私を拒絶したぁぁぁぁぁっ!?!?」


 ユリが海岸に辿り着いた頃には、時既に遅し。

 知影の手は、ユリの手の届かぬ低さにまで落下していた。


「知影殿ぉぉぉッ!」


 届かぬ手を伸ばし、自らも飛び降りようとした。

 後のことなぞ構うものか。銃だけを置き去りに、服ごとの突入。


「──ッ!?」


 だがそれよりも早く、手の先に光が落ちて行った。

 肌を掠めたのは、微かな冷気。

 昼の砂漠地帯には、とても似つかわしくない冷気であった。

 ──起きたのは、謎の事象。


「きゃあっ!?」


 知影の下に広がる海の一部分が、一瞬にして凍結した。

 波もそのままに、時が止まったかのように凍り付いている。

 形成されたのは、円形状の氷によるステージだ。

 白く化粧を施した海を確認した知影は、いつの間にか取っていた飛び込み姿勢を崩して、足を下にした。

 そして海の中に落ちることなく、着氷。

 海難事故は防がれていた。

 もっとも、


「ぐふぉっ…げむ…ぎる…がんぐぉ……」


 彼女は足を滑らして尻餅をついた挙句、衝撃のあまり気絶してしまう。

 仰向けの気絶だ。その姿は、力を使い果たした強者が背を向けずに倒れ伏した様に等しい。

 そんな格好の付くものではないので、単に無様でしかないのだが。安心なことに、大した怪我をしていないのが分かった。

 ユリはホッと胸を撫で下ろすと、空を睨んだ。

 様々な憶測が彼女の脳裏を過る。

 だが何よりも兎も角、知影が助けられたことは確かだ。

 そのことに感謝をしたいが──どうにも胸がざわついていた。

 そう、比喩するなら「ざわ…」と例えたところか。

 何とも形容し難い、しかし換言するならば正体を確かめなければならない焦燥感のようなものが、空を鋭く睨ませていた。


「今のは……?」


 視線の先には、所々に雲の浮かんだ青空が広がっていた。


* * *


 フィーナが何らかの魔法を下に向けて放ったのを見て、弓弦は足下を見た。


「ふふ、ちょっとした人助け…と言ったところでしょうか」


 雲に埋められた視界は、白一色。

 成程、人を助けたのか。よく分からないが、そうなのだろうと勝手に解釈を下して魔法の維持に集中した。


「そうか」


 彼らは人眼に触れるのを避けるために雲の上を飛行していている。

 前から後ろへと流れている空の景色は、中々の迫力だ。

 風は少し冷たいし、いやかなり冷たいけども。肌に感じるのは、圧倒的な爽快感であった。

 最初の頃こそ、今にも落ちるのではないかといった不安を抱かせる弓弦の飛び方であったが、これまでの旅路でどうにか形になっていた。繋いでいた手を離し、フィーナ先導の下に南大陸への空路を進んでいる。

 ──そう、フィーナの後を弓弦が付いて行くという形。

 そして、彼女が被っているのは犬耳を隠すためのつば広帽子、着ているのはローブ。

 先程からローブの中が後ろから見えそうで期た──少し、気不味かった。


「しかし…魔法で空を飛ぶという感覚は中々面白いな」


「ふふっ。普通の人は滅多にに経験することが無いはずですから…。それに、飛行魔法は有用な移動手段ですので、今の内に慣れておくと良いですよ?」


「そうか…」


 やはり見えそうだ。

 もう少し、もう少しはためけ裾達よ。


「(…って何考えてるんだ俺は)」


 弓弦がそのことに気が気でない自分に内心自嘲していると、フィーナが少しだけ飛行スピードを落とした。

 少し危ない飛び方をしていただろうか。隣に並ぶ彼女の横顔を窺うも、彼女の視線は彼方を見ていた。


「夢の…一つだったのです」


「夢?」


「もう叶っている夢も多いの。例えば…」


 横顔に見惚れていたために、視線が合う。

 クスリと、笑われた。


「大切な人と一緒に旅に出ることです。だから私、今本当に幸せです」


 そう微笑み掛けてくれる彼女はとても魅力的で、弓弦は自分の顔が熱を持つのが分かった。


「…俺は別にそうでもないが」


 動揺が、返答に現れる。

 「大切な人」発言も、「幸せ」発言も、そのどちらに対しての「そうでもない」。

 顔を真っ赤にしている人間が言う台詞ではない。

 それは逆に、そう(・・)思っていることを裏付けているようなもので──


「見事なまでに分かり易い照れ隠し…ふふ、ご主人様可愛い…」


 当然こうなるのである。


「だから違うと…」


「ふふ…何を言っても無駄です。あぁでも、もっと言ってください!」


「言わないからなっ!」


「今言いました」


「子どもの理論かっ!?」


「ふふっ♪ そろそろ陸に降りますよ」


 フィーナの方が、一枚も二枚も上手であった。

 降りて行くフィーナに手を引っ張られ、着地した先には──


「うわ…マジか」


 布面積の少ない褐色肌の人々、ターバンを巻いた商人、縦笛を吹く蛇使いに、シミターを帯びた警備兵。

 いかにもアラビアンな、常夏の島といった風情の活気に満ち溢れた国だった。


「ちょっと待っていてください」


 何故だか覚悟の表情を浮かべたフィーナが、人々の間に消える。

 時間にして一分も経たない間に戻って来た彼女は、心底嫌そうな表情をしていた。

 人間嫌いが治まったのかと思いきや、我慢して突入しただけのようだ。

 建物の影に隠れてもたれた彼女の顔は、少しだけ青かった。深呼吸を続け、呼吸を整え始めた。


「…何をしているんだ」

 

 無言で腕をさすられ始める。

 手首から、肘の間を何度も往復するフィーナの白い手。


「こうすると、人間に触れられた身体が浄化されていく気分になる気がして…」


 よく分からないが、どうやら気持ちを落ち着けているようだ。

 暫く好きにさせることにした。


「「……」」


 男の腕を触り続ける女。

 傍から見ると、奇妙な光景に映るかもしれない。

 そんなことを考えていると、フィーナの手が離れた。

 

「財布を出してください」


 そして謎の要求。

 弓弦は、言われた通りに“アカシックボックス”で財布を取り出した。

 するとフィーナがローブのポケットに手を差し入れ──

……」


 数十枚の金貨を取り出した。


「「……」」


 降りる沈黙。


「まさか」


「違うわよ」


 捕まらなければ大丈夫という、グレーに近い黒の行動をしてしまった訳ではないようだ。

 心外とばかりのフィーナが言うには、「森で採れた薬草を売って来ただけ」のようだ。


「さぁどうぞ、ご主人様♪」


 それにしては懐が温かくなり過ぎな気もするが、下手に突っ込みを入れさせない笑顔があった。


「さて、では準備も整いましたし…街に入りましょうか」


 二人は、『カリエンテ』の中へと入って行った。

 人混みを避けるように隅の道を歩きながら、まずは探索だ。


「『カリエンテ』…。この国は昔から交易で有名な国ですね。毎日のようにバザーが開かれており、これから旅の準備をすると言う旅人にとっては、是非訪れておきたい場所です」


「物が集まれば者も集まる…か。案外三人の内、誰かがこの国に居たりしてな」


 実際には現在三人共この国に集まっているのだが、それを彼が知る由もない。

 彼が唯一気配が分かる知影も、漠然とこの世界の何処かに居るという曖昧なものでしかない。

 具体的な方角や距離が分からない以上、手掛かり皆無な状況での人探しをするしかないのだ。

 果たして両者は会うことが出来るのか──それは、謎である。


「今、女性のことを考えていました?」


「ん? あぁ…」


 隣から聞こえた声に生返事する。

 それが災いした。


「へーそうですか。へぇ…」


 自分が何の問いに、何と返答したのかと気付いた時にはもう遅い。

 冷たい声音に居心地が悪くなる。

 ここは砂漠の国だというのに、妙に肌寒かった。

 先程まで暑さを感じていたのに、気持ちの持ちようで暑くも寒くもなるのだろうか。

 意識すればさらに肌寒くなる。どうしてこう寒くなるのだろうか。

 チラリと横を盗み見ると、


「……」


 フィーナと眼が合った。


「えーと、その、な? 逸れてしまった三人の内の一人だ」


「そう。それで?」


 口調が変わり、翡翠色の瞳が鋭く細められる。


「それで!? あー…そうだな、仲の良い友人…ってところだな」


 周り曰く、付き合っている同然の関係性だった。

 一時は身体を共有していた。今では何故だか途轍も無く好かれている──等と話せば話す程、拗れていきそうな気がした。

 上手く説明出来そうにないので、当たり障りのない返答をした。


「…そう。じゃあ意地の悪いことを訊いて良いかしら?」


「…ど、どうぞ?」


 と答えながらも横眼で逃げ道を探す。

 店から店へと行き交う視線が、一つの店を捉えた。


「私と「お! あそこの串肉美味そうだな、行くぞー!!」…もう、無理矢理なんだから…♪」


「それを二本くれ!」


 フィーナの手を引いて屋台の前へと向かった弓弦。

 財布から金を渡して、炭で炙られた串肉を二本受け取った。

 いうまでもない。話題逸らしだ。

 ここまで露骨な逸らし方は、一周回って見事なものである。


「フィーも食うか?」


 串肉の先を、フィーナの口元に近付ける。

 無論食べさせないという選択肢は用意していない。口を開いた瞬間に食べさせるつもりでいた。

 実に強引な迫り方だ。


「あ…。…‘わん♪’」


 勿論フィーナのツボは貫ぬかれた。

 弓弦が串肉を買ってくれた。しかも無理矢理にでも食べさせようとしてくる。身体は条件反射のように頷いていた。


「(…危ない危ない)」


「……」


 本能からの行動であったが、本心からの行動ではない。

 フィーナは訊くタイミングから逃げられてしまったことを悔やみながらも、絶品に思えてしまう串肉を堪能する。

 だがその内心では──


「(ちゃっかり機嫌を取られるなんて…私の馬鹿…っ)」


 ──と、涙を飲んでいたりした。


「…お」


 食べ終わった後。

 ゴミになった串を捨て、バザー商品を物色しながら街を歩いて行くと、やがてとある店で弓弦の足が止まった。


「どうかされましたか?」


 店の中を凝視し始めた弓弦。


「…少し待っててくれ」


 フィーナを待たせ、入店することに。


「お、こいつは…。こいつも良いな。…これも」


 店を覗くと、そこにはシンプルな柄の布が沢山販売されていた。

 一見しただけで高いと分かる布もあったが、リーズナブルな品も多い。そして同じぐらい、良質だと分かる布も多かった。

 ざっと店内を歩く最中で気に入った布──その数三種類を弓弦は手に取った。

 手早く会計を済ませると、店を後にする。


「何を購入なさったのですか?」


 彼が戻るとフィーナは通り脇のベンチに腰掛けていた。

 いつの間に買ったのだろうか。隣に置いてある、何やら色々な紙袋を自分の膝の上に乗せる。

 彼女の興味は、当然弓弦の購入品に向いていた。

 翡翠色の瞳が、不思議そうに丸くなっている。コクリと傾げた首筋に、うっすらと汗の雫が浮かんでいた。

 ちょっと眼を離した隙に、あちらこちらと足を運んだのだろう。よく見ると、肩が上下していた。

 弓弦は「後でな?」と返すと、空いたスペースに座った。


「さて、今晩はどうする?」


「えっ!? 今晩…ですか?」


 フィーナの被っている帽子が、僅かに動く。

 何かを期待しているのだろうか。犬耳をピンと立てているようだ。犬耳が。


「‘まずは身体を清めて…それから……’」


 おまけによく分からないことを呟き始める。


「取り敢えず寝床は必要だから、宿を取ろうと思っているんだが…それで良いよな?」


「………。勿論私はご主人様の意思に従いますよ? えぇ、従いますとも」


 何故だろうか。犬耳に元気が無くなった。

 妙な間についても気にはなったが、触れない方が良いように思えた。

 触らぬフィーナに祟り無し。藪を突けば被害を被る。


「…じゃ、次はあっちの方を探索してみるか」


「…はい」


 まだ『カリエンテ』探索は始まったばかりだ。

 暑い日差しと、人々の熱気に当てられながら、南の国を歩く。

 辺りを見回す弓弦。そんな彼を微笑ましそうに見遣るフィーナ。

 頬を、興奮と幸福にそれぞれ朱くして。並んで真砂まさごを踏み締める。

 人々の熱気に当てられながら、しかしそれを上回る熱意に衝き動かされて。

 その後二人は、適当に街を歩いている途中で見付けた宿へと足を向けるのであった。

「ふぅ…」


「お、ルクセント少尉。今日も戦闘訓練かい?」


「あ、博士…はい。最近『陰』や魔物の襲撃はありませんけど…運動はしないと身体が鈍ってしまうので」


「…そう言えばそうだね。でも弓弦君達が来てからが忙しかっただけで、これが平常運転だと思うけど」


「そうですけど。…戦いの勘は研磨したいですよ。僕はまだ単独行動が出来る階級じゃないので、昇進しないと」


「昇進試験は順番制だからね。次にやるのはいつかな…」


「博士も把握していないのですか?」


「アレは抜き打ちみたいな形で突然知らされるんだよ。今のところ、そんな連絡は来てないね」


「でも、僕が来てからと言うもの、まだ一度も事件が行われていないのですが……」


「まぁそんなこともある…としか言えないね。決めるのは上だから」


「そう…ですか。あ〜あ…早く昇進したいなぁ」


「…試験があっても、昇進出来るかは別だよ。そうと分かったら、ほら、訓練訓練」


「では♪ 博士は業務業務♪」


「へ? うごぉぁっ!? リィル君、えり引っ張らないで! 首、ぐび閉まっでるぅっ!」


「さぁさ、お仕事お仕事ですわ♪」


「きょ、今日はオフってことじゃ駄目かな!? っで、首ぃっ」


「さぁさ、おしごきお扱きですわ♪」


「ぉ゛ぉぉぉぉぉおおおお゛ッ!?!?」


「あ、はは…。予告言おっと。『一度重なろうとした道は、ほつれるようにして離れていく。思えど願えど叶わぬ現実に、ある者は揺れ、ある者は奮起する。そうして時間は流れていく。人々の営みを見下ろす南国の夜空は、今宵も淡く輝いていた──次回、変化』。…はぁ、旅したいなぁ…」


「あんまり抵抗しないでくださいまし。襟が駄目になっちゃいますわ」


「その前に僕の首が駄目になりそうだよっ!? ぐぇっ」


「あ、気絶した。丁度良いですわ! このまま運びましょっと……」


「…。旅したいなぁ」

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